マーチングの次はダンス

ずいぶん前の2017年に書いた、「高校生マーチング・バンドから見える日本の驚異」の続編である。

こんどは、「ダンス」だ。
結成してまだわずか2年しか経っていない、『アバンギャルディ』が、SNSでブレークしている。

どうやら、堺市にある大阪府立登美丘高校のダンス部OGたちが中心メンバーのようで、そのいでたちは、ちょっと懐かしさがあるジャンパー・スカートの制服で、全員がおカッパ頭(ウィッグ)で統一している。
ビデオによっては、舞台が「校内」だと、あのゴムの「上履き」で踊っているのだ。

そもそも、この高校のOGだった、akane氏が、振り付けとコーチを担当したところ、日本高校ダンス部選手権で、2015年から2連覇した、「バブリーダンス」が有名になって、17年にはレコード大賞特別賞を受賞し、すぐに日和るNHK紅白歌合戦への出場となって、全国に知れ渡った。

19年にコーチを引退したが、いわば本格的「プロ転向」したのである。

さいきんのブレークは、数週間前の「America’s Got Talent」に出場し、会場を沸かせて予選通過したことだ。
この番組は、いわば「世界の登竜門」なのである。
もしも優勝すれば、賞金100万ドルはもとより、ラスベガスでの公演が確約される。

人間はいつから踊っていたのだろうか?

おそらく太古の昔から、感情とともに体を動かして何かを表現したにちがいなく、言語の発達より先なのではないか。

この意味でもわが国は不思議で、おもに西洋の「ダンス」に対して、「日本舞踊」があるのは、「洋楽」に対して「邦楽」があるからだろう。
楽器のちがいどころか、音階もリズム感もことなる。

身体ぜんぶを用いて「踊る」のも、「洋と和」での用いる筋肉のちがいもあるために、日本人の踊りは複雑になる。
それがまた、「武道」におけるちがいとなって、「騎士」と「武士」とでは、全然ちがう動きをする。

フェンシングと剣道のちがいは、誰が見てもちがう筋肉をつかうのがわかるし、組み手としても、レスリングと柔道はまるでちがう。

さらに、小笠原流などの弓道では、座り方・立ち方・歩き方といった動作の基本が、日本舞踊での訓練と合致するのは、それが生活の基本動作でもあったからである。
糸で吊られた人形のように、頭がブレずにスッと立つのは、あんがいと難しく、外国人にはなかなかできないのである。

畳がない洋風の生活様式になった日本人にも困難になったので、「時代劇」が作れなくなった。

だから、日本で学ぶ、「ダンス論」という専門分野では、どうやら西洋のそれよりややこしいらしい。

たとえば、狂言師の世界で有名な、「猿にはじまり、狐におわる」という表現は、『釣狐』のキツネ役ができるようになるまで数十年を要するからだ。
役者は、檜板を張った能舞台(檜舞台)でキツネの歩調を真似て飛ぶように床を踏む演技を要求される。

このとき、バタバタと音がしてはいけないのだ。

キツネのように軽妙に、音を立てずに踏めるようになるには、とんでもない訓練を要するのである。
それは、足腰の動かし方であり、筋肉の使い方の習得なのである。

これを日本人は、伝統的にしっている。

また、現代の伝統的工芸品の世界では、かつて時代のアバンギャルド(前衛)だったことを重視して製品作りに取り組んでいる。
これは、いま何かと話題の「歌舞伎」も同然で、「かぶいて候」とは、頭を傾ける仕草=何それ?からきている言葉で、「風変わりなひと」のことを「かぶき者」といったことにはじまる。

なので、勝手に解釈すれば、「アバンギャルディ」とは、「かぶき者の女子たちによる前衛的ダンス・カンパニー」ということになるのだろう。

代表のaKane氏が、ここまで解説したものを見ていないので、勝手に、と書いた。
ただし、このチームのコンセプトとして、「風変わりなおもしろさを強調したい」という言葉があるので、大外れではないとおもう。

それにしても、このダンス・カンパニーも然りだが、圧倒的に芸事に関しては、上方上位だとおもうのである。

かつて書いた、マーチング・バンドにしても、「厚さ」と「熱さ」が、関東以北とは趣を異にする。
プレイヤーとしての本人はもちろん、家族の同意や積極的関与がないとできないだろうと想像できるからで、この「ノリ」が上方なのだろうとおもうのである。

つまり、「芸」がないのは、半端な人間なのだ、という地域的合意があるかとおもわれるのである。

その要求完成度は、おカッパの髪の毛一本の揺れ方にも及ぶことはまちがいない。
この人たちの練習量を容易に想像することはできるけど、「途方もない量」だとだけはわかるので、やっぱりどれほどの練習量なのか?について具体的には想像できない。

ましてや、代表兼振付師のaKane氏がいう、「ぶっとんだダンス」を披露してなんぼ、という発想は、とかく「決めたがる(自己中的)」東京の価値観とは真逆の「真のエンタメ」を求めている「理念」があるのだから、これをまた、「マネジメント」する能力は、aKane氏だけでなく、メンバーひとりひとりにも求められていて、完全に理解して実行しているのがわかるのだ。

でないと、組織は崩壊する。
つまり、まれに見る完成度と熟練度の高い「組織」なのである。

世界的に珍しい日本の部活とはいえ、府立の普通科高校を卒業して、そのままダンス・カンパニーに就職することの勇気にこそ、アバンギャルドな精神があって、外国のオーディションで、「日本精神の発露」を事前アピールしてその評価で「確かに日本的だ」と審査員にいわしめたのは、ピカピカの出来立ての「無形・伝統的工芸品」としての絶賛だったのではないかと、ひとりで痛快感に浸っているのである。

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