金融政策が効かない理由(わけ)

景気が加熱してインフレになったなら金利を上げて、景気が後退してデフレなら金利を下げる。

こうした「伝統的」な金融政策は、もっぱら「中央銀行」がやってきたものだ。

わが国でも、ずっとニュースで、「政府・日銀」といういい方をして、政府の経済政策と日銀はセットだとしてきたけれど、「バブルの反省」から、日銀法が改定(平成10年)されて、明治期に設立されて以降はじめて、「政府からの独立」を達成したのであった。

しかし、このブログで何度も書いたように、法的な日銀の立ち位置と、資本金での立ち位置がことなる。
上場株式会社としての日銀は、日本政府が株式の半数をもつと「されている」からである。
不思議なことに、日銀は上場企業なのに、「株式(主)構成」を一度も公表していない。

証券取引所は、どうしてこれを許しているのか?
ちなみに、日銀の企業コードは、「8301」である。

もちろん、国会でも議論されていないのは、「パンドラの箱」が日銀になっているから、怖くてきけない、しりたくない、ということではないか?

そんなわけだから、新日銀法における「政府からの独立」とは、単なる「作文」である。
これが、「法治国家」を自認する、日本国の「法治」なのである。

つまり、インチキだ。

そのインチキが、経済構造的にどんどん拡大されて、気がついたらコントロール不能になっていた、というのが、実態だとかんがえる。

その拡大とは、貨幣(法定通貨)のシェアがどんどん落ちて小さくなったことと連動する。
かんたんにいえば、「金融工学」がつくりだした、「デリバティブ」という「商品」が、売れれば売れる(実態は証券会社も「信用創造」した)ほど、中央銀行の経済コントロール力が低下することをいう。

これに、ビットコインとかでしられる、「ブロックチェーン (blockchain)技術=暗号化技術」でできている、「仮想通貨」も加わった。

ときに、「電子マネー」と一口にいっても、ブロックチェーン技術を用いたものとそうでないものは、ぜんぜん「別物」だ。

先行しているという、「デジタル人民元」にせよ、各国が開発中という、「中央銀行デジタル通貨(CBDC:Central Bank Digital Currency)」にせよ、ブロックチェーン技術が使われていないなら、それは、「中央集権型」にならざるをえず、当然ながら中央銀行は中央集権型を選択するはずだ。

逆に、ブロックチェーン技術(暗号化技術)を用いた、「仮想通貨」には、発行元さえ誰だか不明の、「分散型」だという特徴がある。

発行元が不明という一点で、中央銀行は「ふざけるな!」と敵視するはずではあるけれど、ブロックチェーン技術のもう一つの特徴に、「匿名性がある」ことをわすれてはならない。

既存の中央銀行が嫌う、誰が発行したかわからないのが問題なのではなく、誰が使ったかもわからないし、不正使用がほとんど不可能だという利点を強調したい。

これは、いま乞食化した国民が、数パーセントのキックバックでよろこんでつかっている「なんとかPAY」もおなじで、ブロックチェーン技術を用いないなら、「匿名性はない」から、経済全体がこの方式になってしまうと、その主宰者は全員の経済生活をコントロールできる、恐怖の時代が完成するのである。

つまり、愚か者たちにたった数%のエサを与えることで、将来、奴隷化したあかつきには、とんでもない利益をえる(世代を超えて永久に収奪する)のが目的なのだ。

日銀もしかり、だけれど、ずっとつかってきた「紙幣や硬貨」にも「匿名性がある」から、CBDCの設計には、ブロックチェーン技術をつかうべきだが、そうなると分散型になって、中央銀行の存在価値がなくなる。

話題の、「マイナンバーカード」も、ブロックチェーン技術を用いていないことが、国民からの不信を買っているのは、当然といえば当然だ。

いま、こんな具合で、中央銀行が発行しているはずの「おカネ」が、銀行だけでなく証券会社も含めて、タダの「数字」が電子的に移動しているだけなので、じっさいの「現物通貨」のシェアがなくなっているのである。

ところが、金融政策が、19世紀的な法定通貨しか流通しない理論のままでいるために、あたかも中央銀行の決定が、その経済圏に決定的影響を及ぼすと、「神話化」させるしかなくなった。

よくいう、「マーケット」が、巨大になって、中央銀行だけで太刀打ちできなくなったのは、これまでの施策(民間が「信用創造」したこと)の、自業自得なのである。

それゆえに、逆神化したマスコミは、あたかも中央銀行に経済コントロールの決定権がいまだにあるようにみせかける、嘘記事を平気で書いているのだし、中央銀行側も「なにやらもったいぶって難しい風情」を装うことで、重大な決定をしているのだと演じるばかりとなったのである。

その役者として、役人上がりより、学者が最適だとして選ばれたのは、「きっと難しい理論」を根拠になにかしているにちがいない、と国民やら経済界がおもえばそれでいいからである。

結局のところ、国民経済という概念も希薄化して、むしろ、不況をつくって、担保を収奪することに政府も中央銀行も、よってたかって奮闘している。

この意味にだけ、金融政策は効いている。

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