上方が芸能の中心なワケ

文化大革命(1966年から1976年までで「終息宣言」は1977年)で、徹底破壊された「伝統文化」は、二度と戻らない。

日本人は、「漢籍」の伝統を江戸期まで「常識の一部」としていたけれど、やっぱり、明治政府の「文明開化」とか、「脱亜入欧」が、「富国強兵」のスローガンで上塗りされて、さらに敗戦でGHQが命じたので、すっかりわずかな「古典のなかの漢文」として暗記させられているにすぎなくなった。

それでも、まだ、テストにでるからと、「絶句」や「律詩」の暗記は常識なので、いまの大陸人よりは漢詩を理解している。
あちらの一般のひとたちはぜんぜんしらないのである。

しらないだけでなく、詩の原文をみせても読めない。
当時の文法がちがうだけでなく、当時の漢字を簡略体しかしらないひとにはもう読めないからである。

さらに、日本人にはもうひとつのアプローチがあって、たとえば、『枕草子』とか、『源氏物語』には、ちゃんと漢籍の知識が織り込まれているので、これら「国文学」に親しもうとしたら、おのずと漢籍をたどらないと意味不明になってしまうのである。

藤原氏による、「摂関政治」の確立は、世界史的な不思議にみちている。

そもそも、だれも天皇の地位を簒奪しようとせずに、代理人たる摂政や関白職を設置して、その席の争奪戦を一族でやっていた。

「平安」だから、血なまぐさいことはなかった、とはぜんぜんいえない血なまぐさいことばかりやって、藤原氏はあの地位を独占するに至るのである。
すると、こんどは一族のなか、親兄弟に母方の親兄弟も加わってまた争うのだった。

ちなみに、当時は、天皇の跡取り(将来の天皇)を誰が産むかが、祖父の地位を決めた。
つまり、自分の娘を皇后にさせるばかりか、国母にしないと、摂政や関白になれないのである。
この点で、あの平家でも「清盛一代」しか、これを実現していない。

ポッと出の秀吉が関白になったことの驚き(異例さ)は、征夷大将軍よりもすごいのである。

さて、藤原氏の栄華は、道長を頂点とするといわれている。
ときの天皇は、後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇で、源流となったのは、後一条天皇・後朱雀天皇の曾祖父にあたる村上帝であった。

この村上帝が、王朝文化の祖ともいえる風流人だったのである。

ただし、村上朝で平将門と藤原純友の乱があって、質素・倹約に努めなければならなかったことが、かえって帝を風流の道に向かわせたのかもしれないが、元々の才がなければやろうとしてもできないことに相違はない。

「光源氏」のモデルとされているのが、道長だというのは、紫式部の立場も影響している。

村上帝の孫にあたる、一条天皇(後一条天皇・後朱雀天皇の父)の皇后は、有名な「中宮定子」であった。
このひとの父は、道長の兄にして関白・内大臣の道隆である。
女房(中宮のブレーン)に、清少納言がいた。

しかして道隆に人望がなく、道長は対抗して娘の彰子を入内させ、なんと、ふたりが「皇后」になってしまった。
その中宮彰子の女房が、紫式部であった。

そんなわけで、清少納言と紫式部は、文化レベルを競う代理戦争のブレーンになっていたのである。

ときに、当時の平均寿命はやたら短い。
男性が50歳、女性が40歳という。
女性の嫁入りは、13歳ぐらいだった。

すると、たいそう不思議な疑問が湧き起こる。
彼女たちの教養は、どうやって磨かれたのか?だ。

ここでいう教養とは、宮廷における文化レベルに追いつくという程度ではなくて、中宮のブレーンになるほどの高度な教養をさす。
分野でいえば、手習い、和歌、音楽、絵画、薫物がメインで、ただ手習いといっても内容は深く、古歌・故事を学び、昨歌も含む。

音楽は、琴や琵琶の演奏のことで、絵画は自ら描くことはもとより、他人の作品への鑑賞力も要求された。
とくに、演奏については幼少時より厳しく教わったという。
薫物とは、香のことで、調合の知識も含む。

また、男性の必修、「漢籍」についても、ひそかなるもの(あからさまにしない)としての、当然の修得があった。

しかしながら、これらを統合した生活が、宮廷での日常なので、学問というよりも、「芸能」であったのである。
帝やらを慰めるための、ウィットに富んだ女性が好まれ、これらの素養がないものは高い地位のものほど相手にしなかった。

つまり、嫁にいけないのだ。

ただし、当時は通い婚なので、娘は実家にて一生過ごす。
なので、家庭内教育でぜんぶを修得するのが当時の常識だったから、「家」そのものの教養が娘に転化されるとかんがえられていた。

上方の、とくに、女性を中心とした「芸事」が、関東以北のそれとは様相がちがうのは、どうやら宮廷文化の影響なのではないか?とおもわれるのである。
その典型が、宝塚(少女)歌劇団だとしたら、素養にみちた良家の子女がこぞって入学を希望する意味も理解できるというものだ。

雅の伝統なのである。

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