伊豆半島の図書館巡り

静岡県の伊豆半島には、7市、6町の13自治体がある。
内訳は、熱海市、伊東市、東伊豆町、三島市、函南町、伊豆市、伊豆の国市、沼津市、西伊豆町、松崎町、下田市、南伊豆町、河津町である。

このうち、公共図書館があるのは、「市」では、熱海市、伊東市、下田市、伊豆市4カ所(修善寺、中伊豆、天城、土肥)、伊豆の国市2カ所(市中央、韮山)、三島市2カ所(市立、中郷分館)、沼津市2カ所(市立、戸田)、「町」では、東伊豆、河津(文化の家)、南伊豆、松崎、西伊豆、函南、と全部で、7市13館、6町6館、あわせて19館がある。

それでもって、『銭の花』の全巻揃いがどれほどで、保存状態や貸し出しの可否を探ってみるのはどうか?と思いついたのである。

全巻とは、ハードカバー版で7巻、ソフトカバー版で10巻となっている。

ちなみに、花登筺は、土肥の宿に籠もって執筆したというから、伊豆市の土肥図書館が、もっとも興味と期待が高まるし、物語の舞台がほぼ、熱川温泉だったので、東伊豆町と近隣の河津町や下田市がどうなのか?も興味深い。

もちろん、大温泉地の、熱海や伊東、あるいは修善寺がある伊豆市とかも、「業界人」が多いだろうから、どのような状況なのか?に興味が、温泉のごとく涌くのである。

いまは便利なネット検索がある。

そこで調べたら、結果は以下のとおり。
熱海市:ゼロ、伊東市:ゼロ、下田市:7冊/10、伊豆市:ゼロ、伊豆の国市:ゼロ、三島市:7冊/10、沼津市:ゼロ、東伊豆町:9冊/10(9巻欠、8巻・10巻は貸出不可)、河津町:ゼロ、南伊豆町:ゼロ、松崎町:ゼロ、西伊豆町:ゼロ、函南町:ゼロ。

以上から、全巻揃えの図書館は、全滅。
13市町のうち、蔵書ゼロは、10市町と、なかなかの無関心ぶりなのである。

さすがに舞台となった、熱川温泉がある東伊豆町は9冊と健闘したが、画竜点睛に欠けて残念である。
また、舞台にもなったが、作者の花登筺がこもって執筆したという、土肥温泉のある伊豆市が蔵書ゼロなのは、まことに残念としかいいようがない。

わたしは、自治体図書館で日本最大の蔵書数、150万冊を誇る、横浜市立図書館で、ハードカバー版全7巻のうち、5、6、7巻を読んだ(1,2,4巻が欠本)ので、前半部分がある、三島市図書館が読破にはもっとも便利そうである。
もちろん、貸出を受ける居住者の資格はないから、館内での閲覧となるので、何日か滞在する必要を覚悟してのことだ。

ところで、『銭の花』は、いまとなっては伝説のテレビドラマ、『細うで繁盛記』の原作であるわけだが、ここで描かれた地元のひとたちの姿は、お世辞にも「いいひとたちばかり」とはいえないし、むしろ「抵抗勢力」として、主人公がすすめる諸処の改革にあからさまな邪魔をする。
しかし、それがまた、全国どこにもある「リアル」だったのである。

滋賀県大津市出身の作家が、どうして伊豆の熱川を舞台にした話をつくったのか?についての詳細をわたしはしらない。
関西でも有馬やらなにやらと温泉地に事欠かないのに。

むしろ、東京の奥座敷的でいて、まだ電車も開通していない時代の熱川の孤立した土地が、ひとつの長旅や湯治の適地であったからかもしれない。
旅人は、どうやって熱川を目指したのか?を想像するに、大変だったことは間違いないからだ。

そもそも、伊豆島だったいまの伊豆半島が、本州に衝突したのは、50万年前だとされている。
フィリピン・プレートの上を移動してきて、いまも、本州を押しつけている。
ために、「日本アルプス」と呼ぶ、三つの皺(シワ)ができた。
もっとも伊豆に近い、南アルプスは、現代の地球上で最高度の隆起(年間4ミリ)をしているのである。

その衝突点に、どうしたことか、三嶋大社が鎮座している。

沼津商工会が新幹線駅の開業に大反対して、三島に駅ができたら、三島市の発展著しく、対して沼津の衰退も著しいという。
この両市の不仲は、江戸時代以前からだろうけど、なんだか熱川の田舎人(びと)を嗤えないのである。

それにしても、温泉が出ることと漁業のおかげで、観光地として発展したのは、伊豆半島の特徴にみえるけど、天城のワサビのごとく山の幸も豊富なのではあるのだが、観光では全員が食っていけない、という原則がこの半島にも適用されているのである。

観光産業とは、あくまでも産業連鎖の頂点にあるはずの高度な産業なので、それを支える様々な産業が裾野にないと、成り立たないからである。

地元を取り上げてなお、旅館経営の真髄と裾野の解説までしてくれた、当代一流の人気作家の作品が、かくも無惨な扱いを受けているとしれば、この半島の文化性の低さを露呈しているといえないか?

人間は、衣食が足りると、文化を求める生き物なのである。

自治体が存在する意義のひとつに、住民への文化の提供があるのであって、ヘンテコな役人が予算を振りかざしてやる、諸政策よりもよほど重要なのである。

これを忘れた、半島自治体の姿は、あの「正子」のキャラクターそのものではあるまいか?

好演した冨士眞奈美の素顔は、文化人そのものだけど、土地柄は変わっていない。
とはいえ、そんな土地を観光する価値が出てきたのは、現代の皮肉だろう。

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