気になる居酒屋の居心地

完全に地方都市化している横浜で、飲み屋街といえば、やっぱり「野毛」である。

地方のひとは。「横浜」を、『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968年)とか、『よこはま・たそがれ』(1971年)をいまだにイメージしているのか?なんでも、「ヨコハマでしょう?」というときのトーンが、憧れめいている特徴がある。

わたしの人生は、2年間ほどエジプトにいた期間を除けば、ぜんぶが横浜市民として生きてきた。
だから断言するが、たいした街ではない。

ただ、人口統計とかをみると、370万人とか、巨大な数字があがって、地方のひとがひるむのはわかるけど、ただひとがたくさん住んでいるだけの、巨大な東京のベッドタウンに成り下がった都市なのである。

なので、居酒屋すら、東京の専門性に欠けるのは、まことに残念だ。

前に、銭湯のことも書いたが、ぜんぜん企業努力がちがう。
これは、横浜の銭湯の経営者が東京の銭湯に客として入ったことがないだけでなく、横浜銀行とかの金融機関の融資担当も、東京の研究をしていないからだと思われる現象だ。

だから、同じく、居酒屋もおなじ状況にあるとかんがえるのである。

もちろん、ぜんぶがぜんぶ東京のマネをしろ、と暴言を吐きたいのではない。
それに、わたしは居酒屋チェーンなる業態の店にはいきたくないので、あくまでも個人経営の店のことをいいたいのである。

残念ながら、全国の食品店たる個人商店は、ほぼコンビニエンスストアに席巻されて、壊滅した。

これで、おとなが子供に課した、「おつかい」も壊滅したと前に書いた。
酒類も、たばこも、子供が買うことができないのは、「年齢認証しろ」とコンビニで強要するからで、たとえ近所の子供だとしっていても、買わせてあげることができなくなった。

おじさんやおばさんが訪ねてきて、子供を近所の店におつかいに出したのは、お小遣いをあげるための方便だったのに、である。
ただカネをあげたら、子供はなにもしないでおカネが貰えることだけを覚えるからで、わざと買い忘れたと理由をつけて、おつかいに出せば、お釣りを子供に渡すのに丁度よかったからだだった。

だから、町内に必ずあった近所の酒屋とかたばこ屋は、よほど気の利くコンビニエンスだったのである。

そんなことを忘れさせたのが、いまの不便なコンビニエンスストアで、気がついたら子連れで居酒屋にやってくる阿呆なおとなたちもふつうになった。
子供時分に、どんな育ち方をしたのだろう?といぶかるのだが、店側だって、もうすっかりファミレスの様な体制でいる。

わたしが子供時分、呑兵衛だったオヤジでさえ、夜の繁華街に連れ出すことはめったになかった。
なので、数回しかない記憶として、伊勢佐木町にあった河豚料理店で食べたフグ刺しの味を覚えている。

むかしの横浜は、世界中にある港町らしく、荒っぽかったのである。

それにまだ、米兵が混じっていたのだ。
高校生の頃までは、横浜駅周辺の繁華街に、昼でもふつうに米兵が制服を着て遊んでいたから、大学生の女性たちが、英語の勉強のためだかわれわれ高校生には目もくれずなんだかウロウロしていた。

東横線が桜木町止まりだった時代の桜木町駅は、いまよりずっと関内寄りで、市役所の移転でできた、「新南口」が本来の駅入り口だった。
いまでも、野毛方面につながる地下道があるし、すこし移転したものの「鉄道開業記念碑」もここにある。

そんなわけで、むかしの桜木町駅は、野毛の中心地へ直結であった。
しかし現在も、うまく地下道を広くして、野毛側の地下出口も野毛に通じるようにできている。

「いかがわしい街」としてのイメージがこびりついていたから、結構な年齢になるまで、夜の野毛を散策するようなことはしなかった。

この、「呑みどころ」の集積地の特徴に、個人経営があって、全国チェーンはかえって珍しい。
けれども、東横線の廃止がきっかけで、そのいかがわしさもグッとマイルドになったから、いまでは若者たちが闊歩している。

いわゆる、「いかがわしいおじさんたちの街」というイメージが、すっかり薄くなったばかりか、おじさんたちの居場所が減ってしまったのである。

野毛山のふもとにある、横浜市立図書館に通うため、とうとう桜木町までの定期券を購入する決意をしたら、昼の野毛での買い物もルーティン化した。

コロッケパンの店とその裏にある豆腐店が、「行きつけ」になったし、駅の地下道から出る前にある、不思議と激安な八百屋さんも夕方には売り切れが続出するので、図書館には野菜も抱えて向かうことになる。

呑み屋の昼の顔というのは、どこかぼやけたものだけど、気になる店構えを見つけて、ついに入店すると、そこは客同士のサロンでもあった。

店主はひとの良さそうな顔つきでいたけれど、なによりも「客層の乱れ」を嫌うようであった。
勧められた雪花菜(きらず、せっかさい)とは、「おから」のことで、これを春巻きやコロッケにしていた。

材料のおからは、わが家ルーティンの豆腐店のものだった。
やっぱり、店構えは重要なのだ。

あゝ、『素浪人花山大吉』の近衛十四郎が演じる、大好きなおからをどんぶりで頬張るシーンとキャラ設定が懐かしい。

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