グラフ電卓の教科書がない

「学び」の世界は一生である。
つまり、「生涯教育」がうたわれてひさしいが、それに耐える教材の空白がある。

このブログでは、ずいぶん電卓をテーマにしてきた。
なかでも、日本の電卓で国内では見あたらない「教育用関数(グラフ)電卓」という分野では、アメリカ製にかなわない。
学校の授業で、電卓を使うか使わないかが分岐点だが、先進国で電卓を使わないのはわが国「だけ」だからだ。

なぜ使わないのか?
関係者にはさまざまな議論がある。
その関係者とは、「教育」があたまにつく。
お仲間うちでの「議論」になっていると、わたしのような「部外者」からはみえる。

その部外者からいわせれば、学校で電卓を使わないのは「予算」がつかないからだと以前書いた。
たくさん予算を要する「パソコン」なら予算がついて、しかも「プログラミング」が小学校で「必修」に決まった。

教育が「利権」になってしまったのだ。
ちなみに、もはや「日本製」のパソコンは存在しない。
だから、韓国で不買運動の対象になりえない。
そして、役人からみえる地味な電卓に、予算がつかない。

一方で、算数や数学の教育者たちの問題がある。
「おしえ方」というもっとも重要なノウハウが、ぜんぜん確立されていない。

「教育学部」という名称だけでは小学校の先生になれないから、文科省のHPで「教員免許がとれる大学」を検索しないといけないし、「専門」にわかれる中学・高校だって、教員の授業法についての詳細な指導はないから、なんと個人の資質として放置されている。

つまり、教師の「虎の巻」である「指導要領」が実行されればいい、という「雑さ」がある。
教育という「サービス産業分野」において、ここでも「品質管理」や「品質保証」という概念が希薄なのだ。

だから、自動的に「被害者」は児童・生徒になる。
あたりまえである。
「指導要領」が実行されればいい、というのは教師に対してのことであって、「顧客」である児童・生徒の「理解」を無視しているからである。

この「思想のちがい」が、「成果のちがい」をうみだすのは必然である。
「成果」については、もはや公教育に期待はできず、「学習塾」や「予備校」の専門分野になってしまった。

ところが、目立たないように日本にも天才教育機関があって、それが「高等専門学校(高専)」や、さいきんでは「バカロレア認定校」である。

バカロレア認定校では、国際バカロレアのカリキュラムと日本の学習指導要領の双方が「(生徒にとって)無理なく履修できる」ようになっている。
これは、教育界における「特区制度」である。

こうした学校で教育用電卓がつかわれるのは、「国際」というキーワードが実行されるからだし、「(生徒にとって)無理なく履修できる」ためである。

つまるところ、バカロレア認定校以外の「日本のふつうの学校」は、ぜんぜん国際水準になく、「(生徒に)無理『させて』履修『させている』」ことを自白しているのである。
だから、塾と予備校の需要が発生するのだ。

学校教育で、理系の教育が「技術立国」を支えることを否定するひとはいない。
ところが、その学校教育の水準が最初から国際水準になっていないのだ。

むかしの子どもはできたのに、いまはできないのは、日本人の子どもが退化したのか?
そうではなく、社会が進化して、学ぶことが増えたのである。
だからこそ、児童や生徒が「効率的」に吸収できる「工夫」が、教える側に要求されているだけなのだ。

その道具のひとつが教育用電卓なのである。

この道具をつかうメリットは、なんのための計算か?ということを先に識る(教える)ことができることだ。
説得ではなく、納得をうながすことは、学習意欲ということに多大な影響をおよぼすものだ。

さて、そんなわけで、文系のおやじが閑にかこつけて独自に数学の勉強でもやり直そうかと思いついたら、教育用電卓を購入するのも「おとな買い」の一種になる。

 

上記は正規輸入元の信頼できるルートで入手可能だが、ことしの夏に新製品(改良新製品は右)が発売されているから、そちらを問い合わせるといいだろう。
ちなみに、機種名に「CAS(数式どおり)」が付いているものとそうでないものがあるのは、ついて「いない」ものを「試験持ち込み可」として区別したいからである。なので、おとなが個人購入するなら「CAS付」がいい。

これが電卓か?というほどのボタン数に一瞬ひるむが、世界最新かつアメリカでは「定番」の教育用電卓なのである。なお、上述のように本体下にある細かなボタンは文字入力用アルファベットなのだが、タイプライターのような配列にすると各種資格試験に持ち込み禁止となるため、わざと不便なABC順にするという「設計努力」がされている。アメリカにも「石頭」がいるということだ。

ようするに、アメリカ人の中高生は、これで理系の授業をうけている。
各種定理の計算結果が、たちまちグラフ表示されるだけでなく、グラフをつまんで動かすと数式が変化するのを見て確認できるのは、楽しいし「なぜ?」がうまれ、それを教師がフォローしている。

正規代理店から購入すれば、ちゃんとした日本語説明書はあるものの、操作方法に徹しているから、やり直し勉強しよう、と意気込んだものの、肝心の数学は、なにが説明されているかもわからない。
電卓としてこんな計算やグラフ化ができる、というのは、その計算をしたいひとには重要だが、これから学びたいひとにはレベルが高すぎる。

取扱説明書ではなく教科書がほしい。
アメリカは教科書検定制度がないので、教科書だってふつうの書籍同様の競争にさらされる。

選ぶのは読者(生徒)の評価であるから、わかりやすい、が最重要なのはいうまでもないが、先輩が後輩に勧める教科書がランキング発表されるのだ。
日本の学校で、先輩が後輩に勧める教科書ランキングなんてみたことがない。

教科書を執筆する先生も、生徒の理解しやすさを優先させるのは教育の目的に合致する。
それで、どの教科も、ぶ厚くなるのは説明に手抜きがない「懇切丁寧」をモットーとしているからである。

しらべたら、

 

をみつけた。
評価が高いのもうらやましい。
日本の受験参考書とはまったくちがうことに悔しさをおぼえるし、わが国にこのような教科書は存在しない。

わたしが興味深い国際バカロレア(IB)の「統計」なら、

があって、「紙」版もある。
生徒たちはこの教科書でどんなふうに「統計」を学ぶのだろう?

さては、日本語の教科書がほしいのだが、ないものねだりになっている。

紙の辞典

わざわざ「紙の」といわなければならなくなった。
「電子辞書」か「紙」なのか?
論争はつづいている。

電子辞書派はもちろん、一台に数十、ときに百をこえる辞書コンテンツが収録されていることを「便利」だとしている。
もはや「紙」ならとうてい持ち運べない量の出版物に相当するし、「検索方法」も進化している。そして、なによりも、写真や音声も収めているからこれぞ「マルチメディア」なのである。

「紙派」は、この点において分がわるいのは承知している。
それに、「電子辞書」だってなにも「単独機器」である必要もなく、スマホの検索ですましているいるひとだっておおいはずだ。

つまるところ、昨今は、あらゆる「検索」が、スマホ中心の時代になっている。

それでも、「電子辞書」批判派の指摘に、「ページ」をながめることができない、というものがある。

「検索」には二種類あって、「アクティブ」と「パッシブ」がある。
「アクティブ」は、じぶんから獲りに行くイメージだから、まさに、電子機器による「検索」はこれにあたる。
「パッシブ」は、じぶんはじっとしているけど相手からしらせてくれるイメージだ。

まちを歩いていて店舗やカンバンを見ることで得られる情報もこれにあたる。
書店でばったり人生をかえるような本にであうのも、アクティブな検索ではえられない情報なのだ。

「ページ」をながめる、とは、自分がしらべたい物事とは関係のない情報がでているけれど、ちらりと見て「気づく」ことがある重要さを指摘している。

電子辞書は、ずばりその検索結果にフォーカスするから、周辺の情報が得にくいというのはたしかである。
ピントがあいすぎてしまうから、カメラまかせの素人写真のようになって味わいがない、とでもいうか。

しかし、情報をもとめる人間のがわの事情は、ときと場合によっておおいに変化する。

ピンポイントでもいいから、はやくしりたい。
しかも、複数の辞書を串刺しできる複合検索の便利さは、紙の辞書なら冊数分の倍数以上な手間をかんがえると、その便利さは文明の利器としての価値になる。

ところが、なんだか余裕があって、教養として辞書を読んでみたい、などということをおもいつくと、電子辞書では物足りないのである。
活字の海に点在する見出しの妙。
また、その解説をあじわう。

その題材として、「新解さん」がある。

  

もちろん「新解さん」とは、

 

のことである。

かくも「イジられる」辞書があるものか?
けれども、御大ふたりの「イジり方」の妙は、そもそも『新明解国語辞典』が、イジられるべき内容になっているからである。
つまりは「発見の妙」。

版をかさねても、この「発見」があるのだから、「新解さん」は革新的というより「確信的」な執筆・編集がされているのはまちがいない。

帯には「日本で一番売れている国語辞典」とはあるけれど、けっして子ども向け「学習辞典」ではない。
洒脱なおとな向けの辞書なのだ。
しかし、そんな「新解さん」にも電子版がある。

上に紹介した「新解さん」たちと、ぜひとも出版社の垣根を越えて、複合検索ができるようにしてほしい。
三省堂、文藝春秋、角川書店のコラボとなるか?
出版不況を蹴飛ばす気概でやってもらいたい。

ところで、わたしがカバンにしのばせているのは、学研の『ことば選び実用辞典』である。

PCをもたずに外出したとき、ふと浮かんだことばを調べようとしたときに、スマホをつかうと「メモ」が同時にできないし、WiFiルーターも手許にないと、気になるのがパケット通信料になるのだ。
ケチくさいが、しかたがない。

この辞書はコンパクトサイズ(重量も)にして、まさに「実用」にみあう内容になっている。
意味と用例、それに「そのほかの表現」や「⇒この項目も」という参照が「実用」なのである。

ところが、「売れている」という理由からか、この辞書はシリーズ化されて、とてつもない数の「姉妹版」がでている。

        

さらにおなじ内容で「大きな活字」という、老眼組には魅力的なシリーズもある。
たくさんあると選べない、という法則がはたらくか、えいっとおとな買いするか?

ぜんぶ揃えると、とてもじゃないが持ち歩けない。
ならばと串刺しできる複合検索のために電子化したら、なんのためかがわからなくなる。

書店にいって手にしてみるのがいちばんよい。
ピンとくるやつはどれなのか?
さてさて、その「書店」が消滅しているから困ったものだ。
電車に乗っていかないといけなくなった。

これを退化というのか?

味のある旅館で、地元のローカルテレビを観るのか、いつもの全国放送を観るのかはひとそれぞれだが、せっかくやってきたのなら、むかしなら一句ひねりたいところだ。
あるいは、知人宛でなくても自分宛にはがきの一枚書いてみる、というのも「粋」ではないか?

そんなとき、気の利いた辞書があると、気の利いた旅館だとおもうものである。
そんな旅館は、いまいずこ?

ガラスペン

日本の発明品である。
舶来のガラスペンは、色合いやデザインといった風合いを楽しめるのだが、日本製に一長あるのは当然といえば当然である。
ガラス風鈴の職人が考案したものだ。

夏の風物詩である「風鈴」も、わが国独自のものだから、外国人には珍しい。
ましてや、風鈴の音を「涼しい」と感じる日本人は、そうとうに変わっていて、「日本文明」のなかの「風流」としてあげられる。
いまどき、マンションなどのベランダに設置すると「騒音問題」になるというのは、日本文明の衰えの象徴になった。

ガラスを加工する技術は舶来だが、これをもって「ペン」にするという発想は欧米になかった。

鉄ペンが19世紀のはじめに英国で特許となっている。
その後、パーカーが吸引機構、ウォーターマンが毛細管現象を利用したペン芯を発明して現代とおなじ万年筆ができた。
ときに、1883年(明治16年)のことである。

ペン先を都度都度インク壺に漬けて書く、から、ボディに内蔵したインク・タンクによっていくらでもインクが供給されるのはすこぶる便利だったことだろう。
ペン先をインク壺に漬けすぎたら、インクがボテて、紙が汚れてしまうこともない。

毛筆をもって筆記していたのは中華文明圏の特徴だ。
墨を毛細管現象によって毛に蓄えたから、あんがい字数が書ける。
しかし、人間のかんがえることはおなじで、いちいち硯で墨をたさないといけないのは不便である。
それで、江戸時代には「御懐中筆」が発明されている。いまでいう「筆ペン」のことだ。

1902年だから明治35年にガラスペンができたのは、万年筆誕生からほぼ20年後のことである。
当初はペン先だけだったらしく、その後に軸も一体のペンとなった。
どうやら当初は高価な鉄ペンの代用品だったらしい。

材料がガラスだから、ちょっとした不注意で割れてしまったらおしまいなので、ずいぶんスペアのペン先を確保・購入していたという。
「安い」ということだけでなく、じつは「書きやすい」ということが需要を喚起した。

じっさいに書いてみればわかるが、ペン先が紙にこすれる「カリカリ感」がたまらない快感である。
しかも、インクはペン先からガラスを上手にひねってつくられた幾筋もの溝に毛細管現象で蓄えられるから、一度のインク漬けで原稿用紙一枚は書けてしまう。

現代のつけペンより、はるかにインク持ちがいい。
さらには、一体型になったことで「美術工芸品」という分野にも入ったし、工房によっては欠けたペン先を修復してくれるサービスもある。

ガラスペンの意外な効用は、インク選びが自由だということだ。
筆記用インクは、みごとな「化学薬品」でもあるので、混ぜるのは御法度である。
だから、万年筆のインクはおなじメーカーのものを使ってこその「保証」であるのは、ペン芯機構内で発生する「化学反応」が故障の原因になるからである。

ここに、万年筆の便利さとトレードオフになる、インクの変更が面倒だという問題がおきる。
たっぷりインクを貯める万年筆には、ペン芯機構にもインクが蓄えられているから、よく洗ったあともおよそ一晩は水中にさらしてブラウン運動による洗浄が必要である。
好きな色のインクを購入しても、すぐさま愛用の万年筆でつかうことができないのだ。

ところが、ガラスペンはガラスゆえに洗浄がかんたんで、インクを洗い流したあとにティッシュなどで水分を拭き取れば、すぐさま別のインクがつかえるのである。

書き心地とインク選定の自由は、はまればおいそれと他に変えられない魅力があるし、工芸品でもある。
そんなわけで、さいきんは、おおきな文具店にはガラスペンのコーナーができている。

ねだんのちがいはペン先のガラスの質にもある。
ふつうのガラスか強化ガラスか。
強化ガラスはもちろん折れにくいのだが、それゆえに細かい加工には熟練技能者の手が必要だ。

だから、ペン先だけが強化ガラスで軸が別のものがいちばんのお買い得になる。
顧客になにかを書いてもらうとき、こうしたペンを使うのは店側のセンスが光ることにもなるだろう。

ところで、インクの揃えで有名なお店でのこと。
店内をグルグルして悩んでいると「どんなインクをお探しですか?」と声をかけられた。
「インクらしい匂いがするもの」とこたえたら、絶句されてしまった。

長年やっているが、色味のこだわりではなく「匂い」といわれたのは初めてだと。

さいきんの大学生はパソコンが必須アイテムになっているが、むかしは万年筆が入学祝いの定番だった。
「学生時代」という歌は、学生時代が終わってから歌う歌だが、「秋の日の図書館の ノートとインクのにおい」が気に入っている。

作者の平岡精二は、どのメーカーのインクをイメージしたのか?
わたしは、パイロットの「青」ではないか?とかってに想像している。
じつは、わたしのいちばんのお気に入りなのだ。
「あゝ、いい匂い」

350mlという特大サイズの超お得ボトルには、黒、赤、ブルーブラックの三色があるのに、なぜか「青」がないのは不満だ。
ただ、残りの人生で使い切れる量ではないかもしれない。
そんなわけで、「色は不本意だが匂いで」ブルーブラックをせっせと使っている。

全国通訳案内士の規制緩和

外国人向けの「国家資格」であった。
「あった」というのは、いまでも資格制度は「ある」のだが、なぜか昨年「規制緩和」され、資格のない誰でもが「通訳案内」できるようになったのだ。

「通訳案内」とは、外国人向けの「ガイド」である。

「規制緩和」においては、「利権」の有無が重要で、なんのための規制なのか?ということをないがしろにするのがわが国の特徴である。
もちろん、役所と役人に利権があれば、それは「岩盤」になったり「テッパン」になったりする。

だから、通訳案内士の規制緩和がされたということは、通訳案内士には「利権」がない、という意味である。
ならば全面的に廃止すればいいのだが、中途半端にしてできないのは、独立行政法人国際観光振興機構(日本政府観光局)が試験事務を代行しているからである。

つまり、観光庁が影響をすこしでも残したい、という「利権」が尾てい骨のようにあるからだろう。

一方で、全国に2万5千人ほどいる「有資格者」は、なぜ「規制緩和反対デモ」をしないのか?
泣き寝入りなのだろうかと心配する。

「観光立国」と、聞き心地のよいことばをろうしても、そんな気はぜんぜんありませんといっているようにしかおもえない。

通訳案内士とは、外国語の通訳をして観光ガイドをする、語学系唯一の国家資格であった。
この資格が、二本柱からなっているのは、上述のとおり、外国語能力とガイドとしての知識である。

また、地域限定の通訳案内士としては、2007年から、6道県(北海道、岩手県、栃木県、静岡県、長崎県、沖縄県)で始まったが、10年後の2017年時点で、実施しているのは沖縄県のみになったので、あらためて2018年から「地域通訳案内士」資格ができたという体たらくだ。

民間ではあたりまえの、継続性の原則「ゴーイングコンサーン」が、成立しないのは「地方だから」ではなく、資格の設計が甘いからである。

そういうわけで、国家資格として「全国バージョン」と「都道府県限定バージョン」の二本立てになっているが、冒頭のごとく、この資格をもっていることのメリットがよくわからない「死角」にはいってしまっている。

「士(師)業」という分野は、たいがい「資格保持者」しかできないという制約があるのは、「資格試験」というハードルをこえる能力があると認められるからで、ほんとうにそれを認めているのは管轄の「役所」ではなく、市民である国民が認めているからである。

そういう意味で、通訳案内士の試験の「科目免除」をみると、語学についてはそれぞれに具体的な水準がわかるものとなっている。
しかし、地理や歴史という「ガイド」の分野では、急速にあやしくなってしまうのである。

地理では、旅行業務取扱管理者や地理能力検定日本地理2級以上が科目免除になるし、歴史では、歴史能力検定日本史2級以上の合格者もしくは大学入試センター試験「日本史B」60点以上取得者が対象となって、一般常識では、大学入試センター試験「現代社会」80点以上取得者となっている。
つまり、大学入試センター試験は、社会人が受けても価値がある。

しかし、よくかんがえなくても、これで「ガイド」が務まるのか?
という素朴な疑問には、おそらく耐えられないだろう。

つまり、「ガイド」とはなにか?
というもっとも基本的な定義が、国民が納得するかたちでなされていないということだ。

だから、国家資格はあるけれど、だれでもやっていい、ということになったのだ。

本物の「観光立国」の国では、観光ガイドは「尊敬される職業のひとつ」になっていて、その知識を応用した案内が「プロ」として国民から認められている。
べつのいい方をすれば、「品質保証」されているのである。
それが、有償ガイドの有償である理由であるから、時間を有効につかいたい客は、無償ガイドを頼むことはない。

これまで、観光客は基本的に現地で有名なガイドを「指名」することができなかった。
それで、言語別のガイドを依頼することになるが、ガイドの内容が「品質保証」されているから、おおきなトラブルはない。もし、トラブルがあるとすれば、「品質保証」があいまいな途上国でよく起きる。

わが国製造業は、「ジャパン品質」というブランドを打ち立てたが、観光におけるガイド業でこれができなかったし、今般の規制緩和で今後改善される余地をうしなってしまった。
すなわち、わが国はこの分野で完全な「途上国」なのであって、しかも「発展」の可能性がないのである。

地域のボランティアガイドという「素人+アルファ」が案内するさまは、ほほえましくはあるけれど、ちゃんとした観光(学習)がしたい、という要望にこたえることはできない。
しかも、廉価とはいえ有償のばあい、「ボランティアだから」という言い訳は本来できない。安かろう悪かろうの再生産になるのだ。

日本を深くしりたいというニーズをもつひとほど、じつは高額所得者であることがおおく、ガイド料を節約しようという発想はしないし、そのエリアで消費する用意もしているのだが、「無料」や「廉価」こそが価値であると自分たちの価値観をスタートラインにおくから、結局「退屈なニッポン」と評価されるのである。

適正なサービスには適正な料金を支払う。
それにはなによりも「サービス品質管理」が基盤となるのである。
日本人がつぎに学ぶべきことであろう。

行政が住民から乖離する怪奇

夏の定番だった「怪談」も、昨今では人気がないのか話題にも欠くようになった。
そんなときに、突然、横浜市がカジノ誘致に名乗り出たとニュースになった。

市役所のなかでなにがどう話し合われているのかしらないが、もともと市長は誘致に積極的だった。
しかし、市長選挙をはさんで、急にだんまりをきめこんで、「未定」というニュートラルに徹していたのは「港のドン」の態度が選挙前になって180度かわったからである。

横浜港という「かつて」は、世界一を誇った港湾が、運輸省という国家機関の介入で、急速に地位を低下させたのは、まるで我が国の経済力が「国家戦略依存」という勘違いで壊されたパターンとそっくり似ている。

なにが「勘違い」かといえば、需要予測という経営上もっとも重要な判断を民間にゆだねるのではなく、むしろこれを「奪って」、経営に責任のない御用学者と役人が適当に描いた(あるべき)絵図を基礎にすることである。

もはや取り返しがつかなくなった我が国の港湾の位置づけは、とっくに「ハブ」機能を釜山港に奪われたのだが、これは我が国のやりかたをまねっこしたのに、国の役人より財閥を優先させるという韓国の基本政策が、けっきょく民間にただしく委ねることができたという皮肉でもある。

我が国の役人の「優秀さ」こそが、我が国を転落させる原因となるわかりやすい一例である。

いまや横浜港だけでなく川崎港に東京港もあわせて、「京浜三港」が一括して国家管轄になっている。
東京都港湾局も横浜市港湾局も、国家によるしきりに反対しているが、「民間優先」という基本方針がみえないから、国と地方の公務員による縄張り争いにしかみえないのは、たいへん残念なことである。

国際物流という視点からすれば、もはや主流のコンテナ輸送にあって、幹線航路を世界最大級クラスの船が行き来しているが、東アジアにおいては先の釜山港が起点と終点になっている。

たとえば、東京湾は、港が隣接しているから、本来は横浜行きのコンテナでも、千葉行きの船に乗せられるのは、地球儀的視野では「アバウト横浜」だからである。
そんなわけで、千葉港から横浜や東京・川崎港まで、さらにまとめて曳舟で移動する。もちろん、それぞれの行き先を海上移動させているのは、陸上をトレーラーで運ぶより効率が良いからである。

いわゆる入れ子人形のような構造で、海運のルートがなっている。
しかし、いかにコンテナとはいえ、積み替えという手間がそれぞれにかかるから、このコストは誰かが負担していることになる。
それは、最終消費者に転嫁されるのはいうまでもない。
国内の物流コストだけでなく、海外の分も負担があるのだと、あらためて消費者は知っておくべきである。

かつて港湾における「荷役」は、コンテナがなかった時代、ばら積みが主流だったから、人力を必要とした。
これがいわゆる「港湾労働者」ということであって、肉体労働の典型だった。
コンテナはこれを革命的に変えてしまった。

横浜港のドンとは、港湾労働者を仕切ったひとである。
いまでは、各種クレーンのオペレーター会社になっている。
だから、港の隅々まで熟知しているのは、なにも地理だけではない。

横浜「市」が手掛けた巨大事業は、「みなとみらい」である。
三菱重工横浜造船所の跡地開発のことで、大規模な造船所は横浜から消えた。

これは、市役所の都市開発部隊が主導したが、港湾関係者からすれば「担当」がちがう。
「港湾局」だろう、という常識がある。

さらに、以前にも書いたが、横浜には貿易にかかわる多くの上場企業本社があったが、ながかった社会党市長時代に法人住民税を増税したので、ほとんどの企業が東京に本社移転してしまった。
産業がなくなった横浜だが、東京のベッドタウンとして人口は増加したことを文字って「おおいなる田舎」となって現在にいたる。

カジノの予定地は、山下ふ頭という、いわば横浜港の中心地だ。
ここは、戦後史の中での横浜港、という意味があるのである。

横浜商工会議所もカジノ誘致賛成なのは、港湾企業が岩盤規制で新規参入できない特殊性が前提にあるから、港湾関係の加盟企業数が増えることも減ることもない。

市役所同様、商工会も閉塞感があるだろう。

兆円単位の投資がされるカジノが、こうしたひとたちに魅力なのは、自分のおカネではないから余計に金ピカにみえるだろう。
しかし、役人なら仕方がないが経営者なら、「投資回収はどうするのだ?」がなくてはならない。

この議論が「ない」ことで、横浜経済人の底がしれる。
市長は有名民間企業で役員を歴任した「ビジネス・ウーマン」だったはずだが、当時の単なる数における「女性枠」でなれたのではないか?とうたがいたくなる。

それが、横浜のこの夏の「怪奇」なのである。
住民は、住民あっての行政に「回帰」してほしいと冷や汗をかきながら願うしかない。

くわばらくわばら。

4度差が生死をわける

いわゆるエンジンに「ラジエター」がかならず必要なのは、燃料を燃やしてエネルギーを得るからで、燃やしつづければ熱が上昇してエンジン自体を損傷させてしまうからだ。
だから、冷却装置としてのラジエターがなければならない。

ということは、燃料の発するエネルギーを全部利用できるわけではない、ということがわかる。
残念ながら、かなりのエネルギーが使われずに捨てられている。

いまではタバコ飲みは変人あつかいになりつつあるが、ちょっと前なら「おとなのたしなみ」の最たるものの一つだった。
その中でも、「パイプ」は自分で葉のブレンドもできるから、趣味としての深みがあった。

タバコのうまみは、葉の加工・香料の調合だけでなく煙の温度にも左右されて、当然だが温度が低い煙がマイルドで、温度があがると辛くなる。
だから、「クール・スモーキング」が理想的なのである。

そんなわけで、アメリカの飛行機メーカーがつくる「ラジエター・パイプ」は喫煙具製造技術の最先端でもあったが、日本の「キセル」の木部の長さがラジエターとおなじなのだから、人間がかんがえることに大幅なちがいはない。

生きものは体に熱がこもる。
たとえば、血液が体内を循環するだけでも、血管と血液がこすれて摩擦熱が生じるから、厳密にはそれだけでも熱がでるのである。

陸に上がった動物は、高度に進化した。
その中でも人間は、霊長類としても頂点に君臨する動物である。
一般的に、人間の体温は36度ぐらいで個体差がある。
37度だと「微熱」といわれるが、年齢によっても変化する。

今年は例年よりながい梅雨が明けて、急激に気温が上がった。
梅雨の時期に気温が徐々に上がることがなく、梅雨冷えがひどかったから、からだが熱になれる準備ができていない。
それで、いつもより熱中症がふえている。

熱中症になるメカニズムは、体内に蓄積された熱の放熱ができなくなることが原因といわれている。
つまり、人間のからだにあるラジエターの機能と、気温とのバランスが崩れると発症するのである。

もし、人間のからだが単純な構造なら、体温と気温差が4度以内になると「即死する」はなしになる。
90度をこえるサウナ風呂に入っても「即死しない」のは、人間が複雑な構造だからである。

つまり、外の熱を体内にいったん蓄熱する機能があるから、いきなり焼け死ぬことはない。
しかし、長時間いれば、蓄熱する機能がなくなる。
すなわち、体内深くまで温度が上昇するのだ。
おもに蓄熱する場所は「骨」である。

蓄熱する機能があるのも、機能をうしなうのも、「温度差の有無」が原因であり結果となる。

つまり、「温度差」こそが「熱移動」に必要な条件なのである。

自動車のラジエターでかんがえれば、エンジンの温度とラジエターの水の温度差があるから機能するのであって、もしこの温度差がなくなれば、ラジエターの役割・機能はうしなわれたことになる。

そんなわけで、人間のばあい、必要な温度差は「4度以上」といわれている。
つまり、体温が36度のひとなら、気温32度までが許容範囲なのである。

しかしながら、昨今の日本では、40度を記録することも希ではない地域がある。
すなわち、もはや「危険地帯」が現出しているのだ。

誰でも灼熱の砂漠を連想するアラブ諸国では、50度を超えると学校や役所が「休み」となる。
それで、48度という日がならぶことがあって、発表する政府は恣意的であるという批判がある。

しかし、気温と体温の関係だけが問題にならないのは、湿度もあるし、室外なら風速という条件がある。
湿度が低い砂漠では、体温調整のために分泌させる「汗」が、皮膚表面にでた瞬間に乾いてしまう。

このときの「気化熱」と、木陰における気温差が3度あるから、日中のオアシスで木陰にお茶を飲みながらたたずむひとびとは、数メートル先の直射日光の場所からくらべれば、とてつもなく快適な空間に身を寄せている。

もちろん、こんな昼間に労働にはげむひとがいないのは、怠け者ではなく、命にかかわるからである。

ちなみに、井戸からくんだ水を沸騰させていれる「お茶」は、お腹にもやさしいことはいうまでもない。
このような環境で、氷を口にするのは、要求してないことはない時代になったが、旅人の健康は保障できない。

腕の皮膚をなでると「ざらざら」するのを確認でき、「細かい砂」だと勘違いするものだが、じつは自分の汗からでた「塩」である。
このばあい、すみやかに「塩分摂取」がひつようになるが、できれば粉薬のように塩を口にして、味わうことなく水で飲み込むとよい。
なお、ビタミンC系のものは役に立たない。

けれども、日本のように湿度も高いと汗がふきだして、これに風があるとついつい水だけを補給すればよいとかんじてしまう。
かならず塩も補給したいモノだ。
熱中症の予兆に、塩水が甘く感じることもある。

その目安は、体温と気温の差が4度以内は危険、だとくれぐれも注意したい。
体温-気温=4度 であって、この逆ではない。
春や秋の25度ぐらいが快適にかんじるのは、体温が適度に放熱できるからである。

残暑とはいえない猛暑はつづく。
業務上の熱中症は、労災である。
涼しい休憩場所を確保したいが、できないならばできるだけの対策は使用者の義務である。

不都合な真実には怒りで

「真実」は、ときに残酷な側面もある。
だれもがしりたくない「真実」に、八つ当たりという怒りでの対処がもっとも国民の気分をやわらげるなら、第三者は引くしかない。
そんな態度では、つき合うにあたいするという評価を得ることはできないからだ。

冷酷な真実であろうが、いったん受けとめる、という姿勢が人間に求められるのは、文明化のあかしでもある。
そしてそれは、教育によるものでもある。

「白菜」という野菜は、栽培がやっかいな作物である。
アブラナ科に属するこの植物は、似ていればかまわずすぐに受粉してしまうから安定した品質を維持するのがむずかしい。
つまり、かんたんに「雑種」ができるのである。

むかしからありそうな、ごくふつうの野菜であるが、じっさいにいまのような栽培作物としての白菜が完成したのは20世紀の品種改良技術の成果なのである。
そして、かならず「F1」といわれる「第一世代だけ」をわれわれは食しているのだ。

だから、いまのような白菜を食べ出して、わずか100年足らずの歴史しかない。
「白菜」とはあたらしい野菜で、けっして伝統野菜ではない。
明治中期から江戸時代以前のひとたちは、いまとはちがう「菜っぱ」を食べていた。

白菜の塩漬けには、少量の鷹の爪(唐辛子)をいれる。
ところが、この唐辛子は中南米が原産だ。
コショウをさがしに冒険に出たコロンブスは新大陸をインドだと思っていたから、赤い唐辛子を「レッド・ペッパー(赤いコショウ)」という。

日本には16世紀に鉄砲といっしょにポルトガル人が運んできた。
太平洋を横断したのではなく、大西洋からヨーロッパ、それから喜望峰をまわってインド洋、東南アジアのマラッカ海峡、台湾海峡をこえてやってきたから「南蛮渡来」なのである。

東北地方で唐辛子のことを「南蛮」というのは、ただしく伝わったのと、そのことばの保存もただしいということだ。

中国に唐辛子が伝わるのは日本よりもずっと後の明朝末期(17世紀)というから、どうして「唐」がつくのかわからない。
朝鮮半島に伝わるのは、秀吉の朝鮮出兵とか江戸時代の朝鮮通信使という説があり、どちらも発信地は日本である。

米の栽培も、最新の放射性炭素年代測定とDNA鑑定の技術とをあわせると、日本から朝鮮半島に伝わったことが確定している。
千年単位で日本の米が古いのである。
まして、縄文文明は、世界最古という研究もある。

さて、そんなわけで、「白菜キムチ」という誰がかんがえてもあちらの伝統的な漬物は、じつは日本統治時代にできあがった名産品だった。
安重根に暗殺された伊藤博文が、初代朝鮮総監だったときに白菜の栽培方法が日本政府からおしえられている。

これぞ「日帝残滓(にっていざんし)」の最たるものである。

もっとも、安重根が伊藤を暗殺した理由が、明治政府にあって朝鮮併合に伊藤が頑なに反対した、からであって、その安を建国の「義士」として顕彰するのも理屈に合わない。
安は両班の出身で、朝鮮の近代化を日本の協力で遂げたいとかんがえていたものを、伊藤が邪魔をしたというのが理由だからだ。

併合反対者の伊藤が、初代朝鮮総監に就任したのは、さほどに朝鮮統治の難易度が高かったからである。
なぜか?
事実上の原始(文明化されていない)社会だったからだ。

当時の朝鮮人が日本統治でもっとも嫌ったのが、脱糞の「自由の喪失」だったという。日帝による自由の喪失に「脱糞の」が抜けている。
いわゆる、「老若男女どこでも脱糞する」という習慣を、日本人はゆるさなかった。

穴を掘ってそこにする。穴が埋まれば別に掘ってそこにする。
日本人警察官がもっとも頻繁に摘発・指導した事項であって、たいへんに嫌われたという。

いま荒れる香港で、香港人が大陸からの観光客のそれをガマンできないのは、香港が文明化したからだ。
このことは、イザベラ・バード『朝鮮紀行』にくわしい。

日本から伝わった唐辛子は、朝鮮半島の土壌だとなぜか甘みをおびる。
しかし、甘い朝鮮の唐辛子の種を日本で植えれば激辛になる。
種ではなく、土のちがいである。

唐辛子に殺菌効果があると信じられて、白菜キムチに大量の唐辛子をもちいたが、人間の寄生虫の卵には効果はない。
けだし「腹の虫」にかんしては、日本人も自慢はできない。
本格的に駆除されたのは、戦後のことである。

本格キムチは乳酸発酵によるうまみの増加を旨とするから、唐辛子に殺菌効果はもちろんない。
ブータン料理は塩と山椒と唐辛子しか調味料がないから、唐辛子はポルトガルがねらったインドからつたわったのだろう。

政権が仕組んでいる反日運動で、日本製品の不買運動がおきている。
完成品だけでなく半製品にも及んでいるが、まさか白菜も唐辛子も日本からとはおもっていないだろう。
白菜キムチをつくっても食べてもいけない、という運動は起こり得ない。

ハングルの普及は、築地新聞がつくったハングル活字が世界最初であったが、推進した福沢諭吉は、のちに「脱亜入欧」を唱えてしまう。

日本人のおひとよしは、ガマンにマガンを重ねて、ときに限界点を超えるのがパターンである。
「堪忍袋の緒が切れる」のだ。
だから、どんな理由にせよ、おとなしい日本人が突然あばれだすから、逆に相手が驚いてしまうのだ。

今般の日韓の行き違いは、相手国政府の戦略がもっとも重要な要素だが、日本のパターンはまったく変わっていない。

日本は、伝統的にコミュニケーションに問題がある。

相手は不都合な真実に怒りでぶつける国民性だが、真実は真実としてちゃんと教育することがなによりも重要なのだ。
これは、プロパガンダではない。

その覚悟が、日本にもとめられている。

一方、はたして彼の国では反日を批判する『反日 種族 主義』がYouTubeで日本語字幕つきで観ることができていたが、とうとう出版されて「ベストセラー1位」になった。
日本語翻訳本も望まれるのは、日本において反日をいう「学者」や「芸術家」がいるからである。

「嘘で固めた国家に未来はない」

学者・研究者の「良心」という「変化」は、やや悲壮感に満ちているが、みずから克服するしかなく、できることを期待したい。

死者鎮魂の宗教国家

8月は、子どもにはたのしい「夏休み」だったのだけど、おとなには祝日もないなかでわずかな「お盆休み」という民族移動が恒例だ。
そのお盆休みを強化するためか、8月にも祝日ができて世界的に国民の祝日がおおい国になった。

国が定めないと休みがとれない、という現象も「国家依存」だろうけど、ドイツのように日曜日に店を開けてはならないという法律がある国も、しっかり「国家依存」しているのはさすが旧同盟国である。
日曜日は教会に行って祈るべきだ、という「曜日」の「使命」へのこだわりだ。

形からはいるのがカソリックの特徴で、プロテスタントは「原理主義」だから、心のなかが問われるものだが、日曜日を強制的に「休み」とするのがなぜかカソリックのフランスで緩みはじめている。

日本で日曜日は、稼ぎどき、にあたるから、店を閉めるどころか開けるのがあたりまえだ。
これを外国人観光客は「大歓迎」して、自国への恨み節までネットにアップしているのは、ないものねだりをしているのである。

これに「コンビニ」の二十四時間営業がくわわって、店舗内の品揃えとともに「Convenience!」と褒めながら、自国のコンビニの貧弱をないものねだりしている。

日本人のコンビニ・オーナーが歯を食いしばって人手不足の中、二十四時間営業を「死守」していることをどこまでご存じか?
一度きめたことは、なにがあっても変えないという思想の自虐的ともいえる「悲壮感」など、かんたんに外国人に理解できるものではないのは、かれらは「合理的」な思考をするからである。

この意味で「根性なし」なのである。

海軍一の親米派とか知米派といわれた山本五十六は、いまでもなぜか日本人から尊敬をあつめるもっとも有名な軍人のひとりだが、「合理的」なアメリカ人と「ヤンキー」とを理解しなかったのは、日本人の価値観だけで相手を観察・評価したからだ。

ときに「合理」がとおれば「根性なし」にもみえるが、その「合理」とは勝利のための合理であって、まちがっても「敗北主義」ではない。
さきに「勝利」とはどんな状態をいうかをきめて、なにがなんでもその状態にするのが「合理」なのだ。

日本はしかたなく戦争をした、というが、なにが勝利の状態なのかという定義がわからない。
ハワイを空襲しただけで、まさかアメリカが降伏するとはありえないから、成り行きの戦争だった。

猛省すべきはこの一点である。

ところが、敵は「合理」にもとづく一般人への「戦略爆撃」まで実行して、とうとう「原子爆弾」という最終兵器まで使用した。
これに、精神分裂をさせる「裁判」までして、「日本人」が「人」として破壊されたのだった。

この手際のよさは、いったい、いつどうやって計画立案されたのか?
じつは、いまだによくわかっていない。
それで、日本人はアメリカも成り行きで戦後処理したのだと、自分の価値観だけで思いこんでいる。

アメリカ建国以来、正面から外国を敵として死闘を繰り広げたのは、いまだに日本だけなのだ。
湾岸戦争のイラクは弱すぎた。

日本人はアメリカに壊されたが、アメリカ人には「成功体験」になっている。
自由主義思想によって建国した人造国家であるアメリカは、共産主義思想によって建国した人造国家を憎む。

ソ連からロシアへの「体制転換」に、アメリカは失敗して、ロシアはマフィア国家になってしまった。
米中のたたかいは、香港を舞台に「体制転換」の実験をしていないか?

日本だった朝鮮は、連合軍からの攻撃を受けていない。
アメリカは日本海を潜水艦で海上封鎖して、日朝の連絡を分断し、とだえたから、制度で徴用しても日本に来ることができなかったということがバレた。
むしろ、ないしょで漁船でやってこれたのは、潜水艦の目をごまかせたからである。

その日本本土を無差別空襲したから、日本の一部であっても重要度が本土より低い朝鮮半島は攻撃対象ではなかった。
だから、日本人がのこした資産がすべて朝鮮に移転したし、同様に台湾でも蒋介石の国民党がこれを得たので、日本に賠償をもとめなかったのは、蒋介石がえらいからではない。
だれもいわないが、樺太も同様である。

そんなわけで、日本国民は命だけでなく財産もうしなった。
しかし、戦争を求めたのは「国民だった」のだ。
全国で政府の弱腰を糾弾する「デモ」がおこなわれたことを、戦後はだれも指摘しない。

ポピュリズムによって、軍がいやいや戦争したから、なにが勝利なのか?をかんがえる暇がなかったというお粗末である。
「戦犯」という悪いヤツらがかってにやった戦争だ、という都合のいい論法は、当時をしるひとたちには通用しない。

それで、サンフランシスコ講和条約後、独立したわが国は国会で「戦犯の名誉回復」を「全会一致」で「決議」した。
発起人は、社会党の女性議員だった。
なので、わが国には法的な戦犯は存在しないし、年金も支給された。

しかし、軍がわるいことをしたのだとすれば、都合がいいひとたちがあらわれて、それを「鎮魂」に変換した。
戦争をもとめた国民も、まんまとこれに乗じたのだ。
こうして、だれも反対できない「平和国家」になった。
すなわち「宗教国家」である。

これは、日曜日とは関係のない宗教で、国民の「禊(みそ)ぎ」が目的である。
「戦争をもとめた」ことの「禊ぎ」は、「平和をもとめる」ことで完結する。

合理ではないから、なにがあっても変えられないのである。
なんという無責任。

国を滅ぼすのは戦争ではなく国民の「愚」による、とは土光敏夫の母、土光登美のことばである。

「しんがり」意識

戦闘において退却をはかるとき、本隊を温存するため最後尾になってこれを防御する部隊を「しんがり(「殿」と書く)」という。
日本史だろうが世界史だろうが、自軍大将から「しんがり」を命ぜられたら、ふつうは生きて帰れないことを意味した。

敗走する自軍にあって、自らも逃げながら敵軍からの追撃を受けとめ、自軍本隊が逃げるための時間稼ぎをするのが役割だ。
したがって、おのずと「援軍」はいっさい期待できないから、全滅を覚悟する。

信長の敗戦として知られる「金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)」は、越前の朝倉義景攻略のはずであったが、義弟で盟友の浅井長政の裏切りで戦況は一変する。
このときの「しんがり」で大活躍し、その後の織田家中で一目おかれる存在になったのが秀吉だったと伝わっている。

アメリカで「サービス革命」を引き起こしたという伝説の図書は『逆さまのピラミッド』(1990年)である。
この年は、サービス業界むけにもう一冊の伝説的著作『真実の瞬間』も出版されているから、めずらしい「当たり年」だった。

 

『逆さまのピラミッド』は、よくある企業の組織構造で、社長をトップにおいたピラミッド型を、そのままひっくり返したのだから「革命的」だったのだ。

すなわち、なぜかサービス提供企業は、顧客接線(現場の最前線)に若いスタッフが配置されていて、ベテランになるにしたがって後方に移り、直接お客様との「接線」どころか「接点」もうしなうようにできている。

経験のうすい若いひとたちが、常に最前線にいるのである。
そして、肩書きがつけば、だんだんと後方に移動するが、なぜか顧客からみえないところで「指示・命令」をくだしている。
その意味で、経営トップである、例えば「社長」は、もっとも顧客から遠いところに座っていることになる。

ところで、サービス提供企業の収入は、すべて利用客から得るという構造だから、もっとも若いスタッフが「もっとも稼いでいる」のにもっとも賃金が安く、もっとも顧客から遠いひとがもっとも高い賃金を得ている、ともいえる。

これはいったいどういうことか?
サービス提供企業は、その組織のすべてのエネルギーを、もっとも若い最前線のひとたちが、もっともうまいやり方で行動できるように使わなければならない、という結論が導かれるのだ。

この意味で、社長はビジネスモデルとして「しんがり」なのである。

ところが、自分が「しんがり」だと自覚している経営者はかなり少数派だ。
おおくのばあい、現場長が「しんがり」になっている。
そして、こういうばあいほど、利益がすくない事業だといえる。

なぜなら、このようなばあい、つまり、ふつうのピラミッド型の組織をそのまま疑念なく信じるひとが社長のばあい、その社長は「お飾り」にすぎないから、とうぜんに組織のパフォーマンスは低下してしまうからだ。

しかし、こうしたパフォーマンスが低い状態が「ふつう」になるので、その組織はいつまでたっても「低い」ことを自覚できない。

これが、わが国サービス業が、先進国でほぼ「ビリ」という低生産性のほんとうの理由である。

そして、このようなばあい、生産性が低い理由を、現場の最前線に問題があると決めつけるのも、とうぜんの帰結である。
トップみずからの生産性がほぼ「ゼロ」あるいは「マイナス」なのに、じぶんからじぶんの生産性が「ゼロ」だと気づくこともできないのである。

現場での問題を解決するためにどんな戦略をめぐらすのか?
これは、そのときその場での戦術しかできない現場にあって、とうぜんだが、ふだんかんがえることではない。

もし、現場に戦略もかんがえろ、と命じるならそれはそれでトップの意志だが、それではやっぱりトップの存在意義がない。
トップみずからの役割は、仕組みをかんがえることであって、そのためには現場最前線での状況をくわしく把握するひつようがある。

だから、社長室に引きこもっているようなトップでは、トップとしての「しんがり」の役割を果たしようがないのである。

そんなわけで、トラブル発生となって、トップ自らが動かなければならなくなったとき、どこか他人ごとになるのは、ふだんから「しんがり」だとおもっていないからである。
そして、このようなトップほど「犯人探し」がだいすきなのだ。

自分の顔に泥を塗ったやつは許せん!

というわけである。

これを第三者の他人は、その無責任さに呆れながら現場の苦悩を想像するのである。
そして、自分の子どもに、こんな会社にはいっちゃダメだよ、と諭せれば、将来その親に感謝することにもなるだろう。

こうして、わが国サービス業界は今日も人手不足にあえいでいるのである。
募集しても募集しても、だれも応募者がいないのは、そんな会社で働きたくないからで、どうしてそう思われてしまうかをかんがえない。

トップこそ「しんがり」なのだとかんがえる癖をつけよう。

マゼラン出航500年

ポルトガルで本名は、フェルナン・デ・マガリャイスと伝わるが、スペインに移ってスペイン語型になり、それをラテン語型にして「マゼラン」となるひとのはなしである。

今日、8月10日は、1519年、マゼランがスペインのセビリアを出航し、世界一周航海に出発してから500年の記念となる日だ。

また「ツヴァイク」に頼ってしまう。
『マゼラン』が出版されたのが1938年(昭和13年)だ。
この年の「こどもの日」に、国家総動員法が施行されているが、「こどもの日」が定められたのは1948年の祝日法なので、最初のこどもの日は1949年の5月5日となる。

おなじ年、アメリカではチェスター・バーナードによって歴史的名著『経営者の役割』が出版された。

バーナード理論を研究する「日本バーナード協会」があるくらい有名なのだが、81年経ったいまも、日本の経営者に『経営者の役割』をはたしているひとが少数派なのはどうしたことか?

ヨーロッパでは小国のポルトガルは、スペインに飲み込まれたりといろいろ苦労した国ではあるが、イベリア半島のはじっこで地中海に面して「いない」ことが絶望だったのである。
なぜなら、当時の「海洋」とは古代から地中海のことであったからだ。

地球がまるい球体であることだって、当時はだれも信じてやいない。
プトレマイオスとローマ教会とが、海の果ては滝のように落ちているときめていたからである。

ところが、「膨張」するという人間の性で、その海の果てを見てみようというひとたちがあらわれたのは、「胡椒」への強烈な欲望からである。
ヨーロッパにインドの胡椒が伝播したのは、紀元前のギリシャに記録があるものの、アラビア人の隊商とオスマン帝国によって「安全」にヨーロッパへ運ばれた。

このときの「安全」だって、いまの「安全」とはまったくちがう。
当時のちょっと前の「危険」が、それでも「安全」になったという意味だ。
旅の途中の掠奪はあたりまえだし、各地の有力者がこぞって「通行税」をまきあげたから、陸路でやってくる胡椒はいちじるしく高価になる。

けれども、胡椒があるとないとでははなしがちがう。
胡椒がない料理と食事をおもえば、せいぜい塩味だけの肉料理を想像するだけで、焼こうが煮ようが、「うまい」というはずがない。

つまり、人類は、というよりヨーロッパ人たちは、アフリカから発生した人類の歴史で、万年単位と千年単位をかさねて、いまのわれわれが「中世」とよぶ時代に、はじめて胡椒の味をしったのだ。
それが、どんなに衝撃的なことだったのか?おおいに想像できる。

これまでとかわらない食材に胡椒をふる「だけ」で、激変してしまう。
そして、いちどおぼえたら、麻薬以上になければならない物資になったのは、必然ということばすらゆるく感じる。

陸がつながっているなら、海もつながっているはずだ。
いまさらながらに、当時の気分になれば、ほとんど根拠のない世迷い言である。
プトレマイオスの地図という不変の常識があれば、いまようの科学的な、あるいは論理的な思考とはまったくいえない。

だから、「冒険」となった。
この冒険を可能にしたのは、陸路でくる胡椒の需要がとうぜんに供給をはるかにうわまっているから、「もしも」「ほんとうに」海路で胡椒がはこべれば、莫大な富を得ることができるという「賭け」、すなわち「リスク」をとる投資家があらわれたからである。

しかも、ひとりの権力者だけの投資から、複数のひとが資金を提供すれば、そのぶんリスクは分散させられる。
地中海貿易を独占していたベネチア商人の複式簿記の知恵が応用される。
『ベニスの商人』のことだ。

じつは、「リスク」こそが、「利益の源泉」なのである。
すべての商売は、リスクを内包している。
町の食堂だっておなじで、お客さんが食あたりになるリスクがある。
このリスク分を利益のなかに取りこんでいるのだ。

さらにわかりやすくいえば、もしものばあいの「保険」をかけるというのも、保険料という料金を利益をけずって負担している。

いつのまにか「リスクは避けるもの」になってしまった日本企業は、本来の「経営者」が不在になって、だれでも経営者になれてしまう。
利益の源泉を「避けるもの」にしてしまうのだから、儲からないのは当然だ。

ローマ教会に忠誠を誓うスペインとポルトガルに、法王は新発見の土地における統治権を独占的にあたえた。両国は、十字軍だったのだ。
他国はこれを傍観するしかなかった。

そして、ポルトガルはときにアフリカ全土を手にし、さらに東のインドにむかう。
コロンブスは西に地球をまわって新大陸をインドだと信じていたが、その報にさっそく西へ艦隊をだしてブラジルを得る。

しかしながら、ポルトガルは小さすぎ(当時の人口150万人)て、アフリカ全土、インド、ブラジルを統治するひとの数がない。
こうして、欲望が強くありすぎたけれど、なんと国力を消耗しつくしてしまうのだ。

マゼランの出航には、どんな意図があったのか?
お盆休みに涼みながらの読書はいかが。