不都合な真実には怒りで

「真実」は、ときに残酷な側面もある。
だれもがしりたくない「真実」に、八つ当たりという怒りでの対処がもっとも国民の気分をやわらげるなら、第三者は引くしかない。
そんな態度では、つき合うにあたいするという評価を得ることはできないからだ。

冷酷な真実であろうが、いったん受けとめる、という姿勢が人間に求められるのは、文明化のあかしでもある。
そしてそれは、教育によるものでもある。

「白菜」という野菜は、栽培がやっかいな作物である。
アブラナ科に属するこの植物は、似ていればかまわずすぐに受粉してしまうから安定した品質を維持するのがむずかしい。
つまり、かんたんに「雑種」ができるのである。

むかしからありそうな、ごくふつうの野菜であるが、じっさいにいまのような栽培作物としての白菜が完成したのは20世紀の品種改良技術の成果なのである。
そして、かならず「F1」といわれる「第一世代だけ」をわれわれは食しているのだ。

だから、いまのような白菜を食べ出して、わずか100年足らずの歴史しかない。
「白菜」とはあたらしい野菜で、けっして伝統野菜ではない。
明治中期から江戸時代以前のひとたちは、いまとはちがう「菜っぱ」を食べていた。

白菜の塩漬けには、少量の鷹の爪(唐辛子)をいれる。
ところが、この唐辛子は中南米が原産だ。
コショウをさがしに冒険に出たコロンブスは新大陸をインドだと思っていたから、赤い唐辛子を「レッド・ペッパー(赤いコショウ)」という。

日本には16世紀に鉄砲といっしょにポルトガル人が運んできた。
太平洋を横断したのではなく、大西洋からヨーロッパ、それから喜望峰をまわってインド洋、東南アジアのマラッカ海峡、台湾海峡をこえてやってきたから「南蛮渡来」なのである。

東北地方で唐辛子のことを「南蛮」というのは、ただしく伝わったのと、そのことばの保存もただしいということだ。

中国に唐辛子が伝わるのは日本よりもずっと後の明朝末期(17世紀)というから、どうして「唐」がつくのかわからない。
朝鮮半島に伝わるのは、秀吉の朝鮮出兵とか江戸時代の朝鮮通信使という説があり、どちらも発信地は日本である。

米の栽培も、最新の放射性炭素年代測定とDNA鑑定の技術とをあわせると、日本から朝鮮半島に伝わったことが確定している。
千年単位で日本の米が古いのである。
まして、縄文文明は、世界最古という研究もある。

さて、そんなわけで、「白菜キムチ」という誰がかんがえてもあちらの伝統的な漬物は、じつは日本統治時代にできあがった名産品だった。
安重根に暗殺された伊藤博文が、初代朝鮮総監だったときに白菜の栽培方法が日本政府からおしえられている。

これぞ「日帝残滓(にっていざんし)」の最たるものである。

もっとも、安重根が伊藤を暗殺した理由が、明治政府にあって朝鮮併合に伊藤が頑なに反対した、からであって、その安を建国の「義士」として顕彰するのも理屈に合わない。
安は両班の出身で、朝鮮の近代化を日本の協力で遂げたいとかんがえていたものを、伊藤が邪魔をしたというのが理由だからだ。

併合反対者の伊藤が、初代朝鮮総監に就任したのは、さほどに朝鮮統治の難易度が高かったからである。
なぜか?
事実上の原始(文明化されていない)社会だったからだ。

当時の朝鮮人が日本統治でもっとも嫌ったのが、脱糞の「自由の喪失」だったという。日帝による自由の喪失に「脱糞の」が抜けている。
いわゆる、「老若男女どこでも脱糞する」という習慣を、日本人はゆるさなかった。

穴を掘ってそこにする。穴が埋まれば別に掘ってそこにする。
日本人警察官がもっとも頻繁に摘発・指導した事項であって、たいへんに嫌われたという。

いま荒れる香港で、香港人が大陸からの観光客のそれをガマンできないのは、香港が文明化したからだ。
このことは、イザベラ・バード『朝鮮紀行』にくわしい。

日本から伝わった唐辛子は、朝鮮半島の土壌だとなぜか甘みをおびる。
しかし、甘い朝鮮の唐辛子の種を日本で植えれば激辛になる。
種ではなく、土のちがいである。

唐辛子に殺菌効果があると信じられて、白菜キムチに大量の唐辛子をもちいたが、人間の寄生虫の卵には効果はない。
けだし「腹の虫」にかんしては、日本人も自慢はできない。
本格的に駆除されたのは、戦後のことである。

本格キムチは乳酸発酵によるうまみの増加を旨とするから、唐辛子に殺菌効果はもちろんない。
ブータン料理は塩と山椒と唐辛子しか調味料がないから、唐辛子はポルトガルがねらったインドからつたわったのだろう。

政権が仕組んでいる反日運動で、日本製品の不買運動がおきている。
完成品だけでなく半製品にも及んでいるが、まさか白菜も唐辛子も日本からとはおもっていないだろう。
白菜キムチをつくっても食べてもいけない、という運動は起こり得ない。

ハングルの普及は、築地新聞がつくったハングル活字が世界最初であったが、推進した福沢諭吉は、のちに「脱亜入欧」を唱えてしまう。

日本人のおひとよしは、ガマンにマガンを重ねて、ときに限界点を超えるのがパターンである。
「堪忍袋の緒が切れる」のだ。
だから、どんな理由にせよ、おとなしい日本人が突然あばれだすから、逆に相手が驚いてしまうのだ。

今般の日韓の行き違いは、相手国政府の戦略がもっとも重要な要素だが、日本のパターンはまったく変わっていない。

日本は、伝統的にコミュニケーションに問題がある。

相手は不都合な真実に怒りでぶつける国民性だが、真実は真実としてちゃんと教育することがなによりも重要なのだ。
これは、プロパガンダではない。

その覚悟が、日本にもとめられている。

一方、はたして彼の国では反日を批判する『反日 種族 主義』がYouTubeで日本語字幕つきで観ることができていたが、とうとう出版されて「ベストセラー1位」になった。
日本語翻訳本も望まれるのは、日本において反日をいう「学者」や「芸術家」がいるからである。

「嘘で固めた国家に未来はない」

学者・研究者の「良心」という「変化」は、やや悲壮感に満ちているが、みずから克服するしかなく、できることを期待したい。

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