「文学」が役に立たない「誤解」

正確には、「人文科学」のことである。

人文科学に付いている「科学」が付くのは、他に、「自然科学」と「社会科学」がある。
ふつう、「科学者=サイエンティスト」と言ったら、「自然科学」の専門家を指すのは、その「客観性」と「再現性」が厳密に問われることに起因する。

たとえば、「物理」でも「化学」でも、「自然法則」というものが前提にある。

どのような大きさの「滑車」を使えば、どんな力でどのくらいの重量のものが持ち上げられる「仕事」になる、とか。
AとBという物質を、決まった割合で混合すれば、必ずCという物質になる、とか。

こうした、「法則」を発見すれば、誰にだって「再現」できる。
だから、「容赦ない」のが「科学」のはずだけど、「社会科学」とか、「人文科学」となると、なかなかに「法則」をみつけても「再現」が困難なことがある。

社会科学には、経済学・政治学・法律学・社会学・歴史学という分野があるし、人文科学には、哲学・文学・史学・語学などがある。
なお、歴史学と史学は、「同じ」と考えられるけど、「社会」からアプローチするか、「人」からアプローチするかの「違い」だと解している。

すると、たとえば、経済学も、「社会」からアプローチするものと、「人」からアプローチするものがあっていい。
これは、「マクロ経済学」と「ミクロ経済学」という切り分けとは違う。
社会現象としての経済と、人生としての経済は違うからである。

さてそれで、一般的に大学の「学部選択」という重要事項が、あんがいと隠されるのが「偏差値」による「レッテル貼り」である。
つまり、「有名大学」とか「偏差値での難関校」に入学したがるのはいいとしても、「どの学部」なのか?が抜けていたりする。

一世を風靡した、『ドラゴン桜』は、低偏差値から東大を目指す、という物語ではあったけど、「法学部」やましてや「宇宙人」とまで表現した「医学部」ではなくて、合格しやすい「工学部」を狙う、という前提があった。

 

大学に行って、学びたいことが二次的で、合格が優先される。
もちろん、「転部」という手続き的手段で、行きたい学部に転じればいい、という「解説」もあったけど。

すると、この作品は、「講師陣」のための参考図書にはなるけど、世にいう「受験テク」を描いたものとは違うだろう。
なにしろ、徹底的に過去問を分析して、「合格する」という目的合理的な
勉強しか「しない、させない」という方法で、講師全員の方針が貫かれている。

だから、試験に出ない範囲は「捨てる」という決断を講師がしていて、生徒はこれを考えなくていいのである。
むしろ、生徒を安心させるために、「配点」の傾向を説明をしている。
よって、生徒も実践の場で「捨てる」ことの意味を知る。

これは、試験の「仕組み」を解析してのことだ。
漫然と与えられた問題を解く、という行為の「ムダ」を指摘している。
まさに、「ABC分析」の極意を説明しているのである。
それだから、講師陣の「科学的」優秀さが目立つのだ。

もっといえば、突如過去の傾向と異なる設問があっても、気にしない、という余裕は、「平均点が落ちる」ことを根拠にしている。
むしろ、その一問よりも、他の設問における「解答ミス」に注意せよ、というのも「科学的」なのだ。

これを、「数学」の講師ではなくて、「古文」や「英語」の講師に語らせるところに、作者のセンスが光るのだ。

しかしながら、一般的に「人文系」は、「役に立たない」という評価がされていて、大学に通いながら「資格取得」のために、専門学校へ通う学生もいる。
たとえば、文学部でいう英文科とか仏文科とか。

それで、「役に立つ」のは、「語学力」に絞られる。
「英文学」とか「仏文学」の知識を無視しがちなのである。
けれども、文学作品を構成しているのは、執筆者がいた社会であって、歴史や哲学がかならず土台になっている。

ビジネスにおいても、その地域の歴史や暮らしから生まれた哲学を無視することはできない。
なぜなら、相手は「人間」だからである。

国内だっていえることが、世界でいえないことはない。

たとえば、英文学をよく知る人が中東に行ったとき、どう見えるのか?
同じく仏文学をよく知る人が、中東に行ったとき、どう見えるのか?
それぞれのアプローチから、中東の人々を分析するであろう。
もちろん、日本人なら、日本人としての目線をベースにはするけれど。

ケン・フォレットの出世作『針の目』における、エジプト人の表現は、「英国が長く支配したのに、バスに並んで乗れない」といった表現がある。
言下に、「フランス支配の弊害」を言いたいのか?と考えたくなる。

ここには、長くローマやオスマン・トルコに支配されたエジプト人の目線はない。
このことを、日本人としてどう見るか?
作者に同調するか?それとも?

 

「役立つ」ということでは、自然科学や社会科学のような「即効性」はないけれど、ジワジワとしかも確実に「役立つ」のである。

やはり、相手が人間だから、に尽きるのだ。

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