1010デジタルの日

10月10日が「体育の日」でなくなって、「2進法のデジタルの日」という呼び方が生まれた。

どうして10月10日が体育の日だったかといえば、昭和の東京オリンピックを開会するにあたって、「晴天になる日」を調べたら、もっとも「特異日」としてあがったのだった。
なお、もう一つ、11月3日(明治節:明治天皇の誕生日:文化の日)も晴天特異日である。

このエピソードから読み取れるのは、開催国の側が「大会期間」を独自に決めることができた、ということである。
もちろん、令和の東京オリンピックだってそうなんだろうけど、アメリカのプロスポーツ中継との「バッティング」から、「真夏開催」を選択せざるをえなかった。

すると、テレビによるスポーツ中継が世界的に草創期だったために、「最適な期間」に開催できた、ということになる。
テレビ放映権取り引きという、新しい「財源」をもって、国家予算の介入ではなくて民間資金でやることを始めたのは、ロサンゼルス大会(1984年)からではあった。

これがきっかけは、76年のモントリオール大会が「大赤字」になって、その「負担」にカナダ人は怒り心頭に発し、国内の政治問題化したことがあり、さらに80年のモスクワ大会では「西側諸国のボイコット」があった。

ロサンゼルス大会は、「報復」として、「東側諸国のボイコット」があったけど、一部には「選手たちの亡命阻止」も理由にあったといわれている。
それで、大リーグコミッショナーだったピーター・ユベロス大会組織委員長の発案で、「商業化」が図られることになったのである。

なお、1984年当時のアメリカ大統領は、共和党のレーガン氏(1981年-1989年在任)であった。

今回の東京オリンピックの「赤字」は、どうやって処理されるのか?いまいち明快さに欠けるのも、大会組織委が事実上の「役所」だということも、カナダやアメリカとの「体制の違い」がはっきりわかるのである。
カナダ人のように怒る日本人がいないのは、「情報統制」がされているためだ。

皮肉にも、ジョージ・オーウェルの『1984年』が描く、「全体主義」に世界が向かいだして、カナダやアメリカでも「危険視」されているけれど、わが国で警告をいうひとは、このブログを含めて「少数派」である。

何度も書くが、「保守」という用語がいけないのである。
「自由主義」と「社会主義・共産主義」という対立構造を、そのまま言った方がいい。
すなわち、「自由主義」から「全体主義」は生まれないからだ。

「保守」とは「自由主義」のことだ、と「解釈」を要するなら、その「解釈」という工程がムダなのだ。
だから、直接に「自由主義」をいえば、間違いが減るのである。

なお、自由主義の立場から「ナショナリズム」を言うのが、「伝統保守」である。
自由主義の立場から「グローバリズム」を言うと、「伝統破壊=革命思想」に近接することになって、社会主義・共産主義に親和性が生まれる。

これが、「国際金融資本」といわれるものの正体である。
わが国の「保守本流」という「宏池会=岸田派」は、自由主義の立場からグローバリズムを言うひとたちの集団である。
さすれば、新首相が言う「成長と分配」の意味は、社会主義・共産主義だと直線的に理解できるのである。

よって、この政権が選挙後に準備するのは、「増税」である。
そのための誘い水が、レジ袋「無料化」だとすれば、差し詰め「小さい飴と骨まで凍みる痛い鞭」ということになる。

ロシア革命を支援したのは、ロスチャイルドやロックフェラーだったことは、いまでは衆知のこととなったし、現代の大富豪ジョージ・ソロスが資金提供しているさまざまな「左派(極左)団体」も、その意図は同じなのである。

このところ、そのジョージ・ソロスが習近平大批判を展開しているのは、毛沢東主義という「ナショナリズム」を信奉し、「国際金融資本」からの資本提供を拒むからである。
鄧小平 ⇒ 江沢民 という「グローバリズム」で、中国と国際金融資本は成長したのだから、「本音の恨み節」を語っているといえる。

さてそれで、「デジタル」である。
コロナなのか洪水なのか、はたまた何なのか?
日本から「世界の工場」が中国に「移転」して、あらゆる製品の「部品」が中国生産となっているけど、えらく生産が滞っている。

昨年は、トイレの便器(陶器)がコロナで不足して、わが国住宅建築における「完成」が止まってしまった。
キッチンや風呂場も完成しているけど、便器がない家には住めない。
それでも、役人は「完成検査済み証」を出して、銀行の住宅ローンをスタートさせた。

「産業優先」で、ぜんぜん「国民優先」という思想が醸成されないわが国の不幸が、賃貸住宅に住みながら住めないマイホームのローンを払わされるのである。

家電メーカーでは、最初に「エアコン」部品の不足が起きた。
しかし、便器ほど深刻ではないので、当初エアコンがなくとも断熱機能がある新築物件では、なんとかなった。
それから、パソコンの部品が欠品した。

在宅勤務というブームから、空前のパソコン需要が生まれたけれど、それは、空前のパソコン不足となったのである。
そしてこの秋、10月5日には、『ウィンドウズ11』という「新OS」がリリースされた。

しかしながら、「デジタルの日」という「特売日」に、量販店でも新OS搭載のパソコンは「新発売」されていない。
せいぜい「無料アップグレード可能」というステッカーを貼るのが関の山なのである。

ソフトとマシンが「バンドル」されて販売される、という常識が崩壊したのが1010デジタルの日で起きたことであった。

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