もう一人の「森さん」

森喜朗東京オリンピック組織委員会会長が辞任して、後任には橋本聖子五輪担当相が横滑りした。
そして、橋本氏の後任大臣には、丸川珠代参議院議員が再び就任した。
玉突きで丸川氏の後任、自民党広報本部長に有村治子氏がきまった。

一方で、森喜朗氏の発言に乗じた「自民党女性議員飛躍の会」の代表、稲田朋美元防衛大臣は、党内の要職や役員会メンバーに女性議員の登用を求める緊急提言を行ったとニュースになったから驚いた。
(ただし、上述人事はぜんぶ女性だ。)

なぜなら、このひとは2014年、党政調会長のときに、「男女共同参画社会基本法」に反対していて、「おいおい気は確かなの?と問いたくなる」とか、「女性の割合を上げるために能力が劣っていても登用するなどというのはクレージー以外の何ものでもない」と、ちゃんと発言していたからだ。

どうも、防衛大臣になってからそれまでと言説がねじれたので、なにかあったのだろうか?
どちらにせよ、元来弁護士である稲田氏が、森氏の発言内容をチェックせず、マスコミ報道だけに依ったのなら、まことにお粗末としかいいようがなく、自身の上記の発言がそのままブーメランとなるだけだ。

橋本氏の就任について、さっそくニューヨークタイムズ紙が報じているのも、表面しか観ないで評価する浅はかさの表明だから、ぜんぜん褒められた記事とはいえず、かえって橋本氏への「ほめ殺し」にもみえる。
日米共に仲良く、新聞は読むものでなくなった。

「森さん」といえば、もう一人、森進一さんがいる。
62歳の若さで亡くなった、女優大原麗子の元夫にして、その後、歌手の同姓森昌子と再婚して話題になったが、また元夫になった。

このひとの歌は、かすれた声が特徴で、ゆえに「うまい」という評価ではなく、「ゲテモノ」という評価をおとなたちがしていたと記憶している。
小学校の担任の先生も、音楽の時間に、あんな声の歌手がでてくると思わなかった、といったのがいまでも耳にのこっている。

いわゆる、「美声」が価値だったのである。
「懐メロ」が大好きだった父は、年末のテレビ放送に間に合うように大掃除をして、風呂も済ませるのが恒例だった。
健在だった東海林太郎の直立不動を、リアルに観ていた。

いまさらだけど、戦後のヒット曲ばかりでもない「歌」だって、昭和40年代ならばたかだか30年も経ってやしない。
だから、並木路子の『リンゴの唄』だって、いまからしたら山口百恵よりずっと「新しかった」のだ。

子どもながらに衝撃的だったのは、男性なら伊藤久男『イヨマンテの夜』(昭和25年:菊田一夫作詞、古関裕而作曲)で、女性歌手なら織井茂子の『黒百合の歌』(昭和29年:作詞作曲は同じ)であった。
両曲が似ているのは、詞も曲も作者がおなじだったからである。

わたしの時代よりもずっと早くに創刊されて廃刊になった雑誌、『少年倶楽部』(大日本雄弁会(講談社):1914~1962)では、当代一流作家による「冒険小説」が、子ども相手でもいっさいの手抜きがない「仕事」で、当時の少年たちを熱狂させていた。

この遺産が、戦後の「冒険アニメ」に引き継がれることになっていた。
森進一の代表曲、『おふくろさん』の作詞は、川内康範。
このひとは、『月光仮面』の作者としてしられるけれど、あの『まんが日本昔ばなし』も手がけている。

日蓮宗の寺だった実家の影響で、仏教思想に強く影響を受けたことでの『月光仮面』=「月光菩薩」からのインスパイアなのである。
それで、「印度の山奥で修行して~♪」の『レインボーマン』も、『ダイヤモンド・アイ』、『コンドールマン』も川内の原作だ。

戦没者の遺骨引上げ運動や抑留者の帰国運動にもかかわったことから、福田赳夫には秘書も務めながら「国士」と評価され、鈴木善幸、竹下登の「指南役」で、赳夫の子息、康夫には、薬害補償の決断までさせている。

晩年、森進一との「おふくろさん騒動」は、森の実母自殺の顛末から、葬儀では読経までやっているから、森側の事情には通じているし、森が渡辺プロから独立した際も、全面的に支えてきたのに「突如」起きたようだ。

では、なにが川内の琴線にふれたのか?
それは、『おふくろさん』の歌詞にこたえがあった。

森が作詞家の指定なく、歌のまえにセリフをつけたのは、森自身の母への想いであろうことはわかる。
ただし、その後に続く「歌詞」は、まったく別の世界観なのである。
作詞家がこめた「想い」とは、『月光仮面』のそれだった。

悟りを開くのに成功した「如来」ではなくて、その手前の「菩薩」がイメージさせるもの。
それは、「正義」なのである。
しかし、菩薩は正義を無理強いしない。

「導く」のだ。
相手に「気づき」をあたえ、「赦す」のである。

これを、息子に求めたのが『おふくろさん』だった。
歌詞の格調高さを確認されたい。
前ぶりの、「もう一度叱って欲しかった」ではぜんぜんないのだ。

願わくば、自民党のひとたちを今一度「導く歌」にしてほしい。

この本については、別の角度から、もう一度書こうとおもう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください