ベンチャー企業が「実績」を問われる

ベンチャー企業というのは,これなら世の中に役立つかもしれない,といった技術やサービスを主軸にした,新しい事業コンセプトの企業だ.だれだって,そんな会社を新規に立ち上げたら,「実績」などない.

審美眼ならぬ審ビ眼

日本の大企業のおおくは,ベンチャー企業が売り込みにいっても,ほぼ相手にされない.そもそもどの部署に連絡すればよいのかすら不明である.これは,大企業の側も,自分たちがどんなことを必要としているかをまとめていないから,内部でもわからない.それにくわえ,そんなこまったことを大企業の内部で「内製」すべきなのか,外からの「購入」をすべきなのかが決まっていない.解決のためのスピードとコストを天秤にかけたとき,おおむねコストを重視するのだ.これは,「時は金なり」という資本主義の基本概念が希薄であることを示している.こんなことを何十年もやってきたから,社内の人材で「審ビ眼」を鍛えたことがなくなる.「審ビ眼」の「ビ」とは,ビジネスのことだ.

外資系が「審ビ眼」を重視する背景

「いいものはいい」という目で見ることは,あたりまえのことだ.ここで,外資系をベタ褒めするつもりはないが,「審ビ眼」をつかって判断するということには,それなりの「リスク」を伴う.じつは,この「リスク」への根本的な思想が日本企業と外資はことなる.

日本が高度成長していた時代の映像作品といえば,底抜けに明るいクレージー・キャッツの「無責任シリーズ」だろう.その前の,森繁久彌の「社長シリーズ」でもよい.「笑いの中に真実がある」といったのは,アリストテレスといわれているが,まさにこれら「喜劇」のなかの日本企業は「リスク」をあまり気にしていない.それが,低成長時代になると「リスク」をおそれるようになった.いつの間にか,日本企業の常識は,「リスクは避けるモノ」となってしまった.

外資系ではよく,ボーナス査定の基準として以下のようにいわれている.「このままでは,今期の業績が悪化するかもしれない,という状況で」1.果敢に挑戦し,業績を良好に改善できた,2.果敢に挑戦し,業績を前年並みにできた,3.果敢に挑戦したが,業績は予想よりかなり悪化した,4.これまでどおりとして,業績は予想どおり悪化した.

4.番以外は全員ボーナス支給の対象になる.3.番は,業績を予想より悪化させてしまったのだから,日本企業的には「余計なことをした」としてバツである.しかし,外資では,「果敢に挑戦した」ことを評価するのだ.逆に,4.番は,日本企業的には「仕方ない」として,評価するだろう.もっといえば,そんな部署の責任者になった「不運」を哀れみ,自分でなくてよかっとも考える.前任者や前々任者(すでに昇格している先輩や同僚)がやってきたやり方を変えたら,先輩たちへの当てつけになって失礼になると考えるのだ.ところが,外資では「解雇」の対象になる.「これまでどおり」のことしかしないなら,そのひとの存在理由がないからだ.つまり,「これまでどおり」に対する評価が,真逆になるのだ.

リスクをどうするか?が左右する

「リスクは避けるモノ」から,「リスクは『何があっても』避けるモノ」という,絶対化がおきている日本企業は,なんでも「純化」させてしまう日本人のDNAからきている発想方法だろう.これにたいして外資は「リスクはコントロールするモノ」という発想だ.これは,ある意味「アバウト」なかんがえ方だ.

人生に「正解」がないのは,やり直しがきかないから,時間をもどして,選択肢ごとに試してから「正解」を確認することができない.だから,つねにその場その場においての「最適」を選択するしかない.ところが,このときの「最適」が,経済学者がいう「(金額で示される)効用の最適」とはかぎらない.ひとの生活における「効用」には,「他利(他人のためになる利益)」をあえて選択することによる「信用を得る」という「効用」があるからだ.これは,企業活動においても同じである.いかなる企業といえども,「正解」に近づくことしかできないが,その「正解」が那辺に存在するのかさえ,じつは誰にもわからない.

だから、いま「リスク」に見えることが,じつは「セーフティ」なのかもしれない.すると,「リスクはとるモノ」となり,コントロールの対象となる.こうした,企業の思想的転換があってベンチャーが生きる基盤ができる.これを忘れて,「ベンチャー企業支援」という補助をしても,お金のムダであるばかりか,「政府に依存」させてベンチャー起業家の人生を翻弄させてしまうだろう.日本は冷酷な国である.

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