一次産業復活は農水省廃止から

世界の食糧危機と、国内の食糧危機は分けてかんがえるひつようがある。

これは、「昭和恐慌」と「世界恐慌」を分けてかんがえることに似ている。
あたかも似たような時期に、「恐慌」という字で書けることが起きたから、時間感覚も含めて原因がぜんぜんちがうのに、後世のわれわれは一緒くたにしたくなるからである。

もちろん、第一次産業も「グローバル化」しているから、世界の影響を受けている。
しかしだからといって、国内オリジナルの問題を混ぜてしまったら、なにがなんだかわからなくなる。

こういうのを、「ちゃんぽん」といっていた。
「ちゃんぽん」の語源には所説ある。
とにかく「混ぜる」という意味からきている。

「長崎ちゃんぽん」といえば、誰でもイメージできる全国区の「郷土料理」になった。
しかして、その具材や麺自体、あるいはスープの原材料が、どこまで「国産」といえるのか?は、なかなかに難しい。

このところ大問題になっている、「肥料」や「農薬」などの必需品にして消耗品の「高騰」や「品不足」で、これらがまたどこまで「国産」といえるのか?もなかなかに難しい。

農産物の原材料で、100%国産といえるのは、「水と空気」ぐらいになっているのだ。
「土」はあるけど、これに「肥料」をくべないといけないので、100%とはとうていいえない。

「水」も、水源地が外国人によって購入されている。

しかも、「空気」だって、「二酸化炭素肥料」という「こやし」がないと、園芸作物ができない。
「甘くておいしい」メロンやトマトなどには、温室内の「二酸化炭素濃度を上げる」ことが有効なのである。

グローバル全体主義が支配している世界のなかで、わが国の政権与党もこれに与しているので、農業から二酸化炭素排出を減らすための「補助金制度」を設けるという、ほぼ「ルイセンコ状態」という噴飯ものに堕ちている。

ルイセンコという人物の「悪名」は、人類の反面教師として忘れてはならない。
それは、「科学が政治に利用される恐怖」を意味するからである。
もっといえば、「政治に科学が屈すること」なのである。

世界でマスクを外せない、いまや「唯一の国」となった日本で、マスクを着けることの科学的根拠を挙げて、マスクを外すことの科学的根拠を示さないことを批難しているひとがいる。

このひとは、マスクを外すことの科学的根拠を本当に知らないのか?それともリサーチ力がないのか?もっといえば、「常識」を知らないのか?もわからないけど、ルイセンコ化している自身の愚かさに気づかない。

この意味で、コロナ禍初期にいっていた、東京都医師会のマスク着用の無意味とか、その後の日本小児科医会の「警告」も全部無視できる。
ただし、東京都医師会のマスク着用への「転向」も、ルイセンコ化といえるから、グズグズの議論になったのである。

一事が万事これだから、一次産業をあずかる「農林水産省」という役所のなかも、当然にルイセンコ化しているのである。
それが、上述の「二酸化炭素排出制限」を農業に課すということになる。

もっと悪辣なのは、この制限に協力する補助金を得ようとした場合の条件に「団体申請」という仕掛けを仕込んでいることだ。
これで、個人経営に徹した農家を排除した「一石二鳥」がある。

こうした「憲法違反」を、平然とする役所があるのは、政治が機能不全を起こしているか、政治が率先してやらせているか、あるいは、これら「両方」のどれかである。

役所は設置しないけど、役人のスタッフを配置する、いわゆる「無任所大臣」がいる。
役所の設置には「設置法」を制定しないといけないから、「無任所大臣」はときどきの「都合」でできる便利さがある。

たとえば、「少子化対策担当大臣」とか、「ワクチン接種推進担当大臣」とか、「拉致問題担当大臣」とか。
なんだか、「やっている感」を出すための、意識的・能動的な「ムダ」が見え見えだ。

「検討氏」として名を馳せている、現政権が「こども家庭庁」の設置を決めたのは、無任所大臣「ではない」ことに力点がある。
しかし、「増える一方」の状態を、「行政の肥大化」というから、「減らす」視点もなければならない。

ただし、それには「国民目線」を前提としないといけないけれど、「国民目線」を意識した政権(与党)ではないので、あくまでも「政権の都合」で肥大化するしかない。

つまり、国民はこの国のコントロールができない状態に押し込まれた。

「少子化対策」とは、「少子化推進」のことで、「ワクチン推進」は、今後集団訴訟になるかもしれない。
訴える先は、国際刑事裁判所だ。
「拉致被害者担当」だって、被害者家族のガス抜きというおぞましさだ。

つまり、「その気もない」ことに担当大臣や設置法が制定されている。

なので、食糧危機の対策として、もっとも「有効」なのは、農林水産省の廃止なのである。
ただし、ここに勤務する役人は、国家公務員としての「身分保障」があるから解雇できない。

国民は、このひとたちが退官するまで雇わないといけない。
じつは、このことがもっとも深刻な問題なのである。
しかしながら、新規採用をなくしたら「時間の問題」なので、「省内各部署」はそのままに、新聞でも読んでのんびり過ごしてもらうことだ。

仕方ないから、なんにもしないで一生を過ごしてもらう。
なにかしたくなったら、退職金も払って退官してもらえばいい。
「穀潰し」なんていってはいけない。
この役所が機能することが、最大の「穀潰し」になるからである。

こうやって、食糧危機を回避するのである。

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