売国の日本政府はいつまでも

最初は無理やりでも、そのうちに「世代交代」すると、「存在意義」ではなくて「存在することに意義」があるようになる。

これも組織存続の、ひとつの「カタチ」ではある。

利益を出し続けないと存続できない民間企業ですら、自社の「創業の精神」を見失うばかりか、それを社内博物館に閉じ込めることだってある。
あるいは、「企業理念」を額にして、各職場に掲示しても、「神棚」とおなじように「拝むだけ」となれば、やっぱり形骸化するのは当然である。

高度成長期に、わが国を代表する企業が、こぞって「社歌」をつくって、これを毎朝始業前に全社員で歌っていたのは、外国人には奇異に映ったろうけれど、そうしないと「いけない理由」があったのである。

企業に就職した経験のない、早とちりの学者たちがしたり顔で「日本人の集団主義」とか、「後進性」とかといって欧米礼賛していても、創業社長はひるむことなく社歌を歌わせることをやめなかった。

なぜならば、戦争で生き残った日本人は、つまり戦争前の教育を受けていたひとたちは、欧米人よりもとっくに自立していたから、そうでもしないと「結束できない」日本的な個人主義があったからである。

だから、英国流の個人主義に辟易した夏目漱石は、現地で神経衰弱になって帰国しても、なかなか回復しなかった。

戦前は、工場労働者といっても「熟練工」ともなれば、好みの工場勤めが当たり前だったので、気にさわればどんどん転職して、「腕」さえあればそのたびに収入も増したのだった。

それが、戦後のアメリカ式管理体制が導入されて、「意地になって貧困化」したのがふつうに「映画に登場」して、こんどは「虐げられた労働者」にさせられたのだから、ものはいいようではあった。
げにおそろしきは、「熟練を否定」したオートメーションであった。

こうした職人たちを嗤うなかれ。
AIによって職を失う時代とは、人間が意地になることすら許されない、もっと冷徹なことになる可能性が高い。

しかしながら、「問題」はもっと深いのである。

それは、「業界選択」すら無意味になる、「資本支配の世界」が到来する可能性をいう。
株式会社の株式を寡占的に支配される、ということだ。
つまり、小口の個人株主(投資家)のことではない。

巨大な機関投資家、すなわち国際金融資本と呼ばれる、数百人程度のひとたちが、あらゆる企業の株主になることで、企業ごとではなくて、国家規模の経済体そのものを支配することをいう。

ついこの間まで、こんな話は「眉唾物」とか「噴飯物」といわれて、SF小説にもならなかった。
しかし、だんだんと「現実」の方が、小説よりもはやく実現しそうなのである。

むかしといっても戦後直ぐ(占領時代)の法学者は、GHQの意向に従うしかなかったとはいえ、欧米礼賛をしていた。
主権回復後も、これを改めるばかりか「開き直って」、あるいは、買収されたかして、もっと強く主張した。

わが国の最高学府のなかの「最高評価」の大学が、まっ先にGHQの支配下にさせられたのは、支配者にとってもっとも効率がいいからである。
それで、アメリカのポチ吉田茂をして、「曲学阿世の徒」といわしめたのは、「余程のこと」なのだ。

そんなわけで、いまになってもマスコミが「東大神話」を一層煽るのは、東京大学こそが「売国」の「司令塔」になっているからである。
なぜなら、この学校の卒業生が日本政府の中枢を独占するからである。

もうすでに気づきはじめたひとが増え始めてはいるけれど、コロナ禍を利用した「経済破壊工作」をやっているのは、日本政府そのものである。
その「用意周到」は、さまざまな「法律改正」によって、準備されている。

世界から、移民・難民を受け入れないことをわが国が名指しで非難されないのはなぜか?
とっくに大量の移民を受け入れているからである。

昨年の5月には、「500万人の受け入れ」を、「閣議決定」している。
その名目は、「マネジメント能力がある外国人に限定」という。
かんたんにいえば、「中華鍋が振るえて、料理屋が経営できる」なら、OKなのだ。

それから、「日本」をつけた名前の「外資信託銀行」が、上場企業の株式を大量に保有して、いまは「社名を変更」している。
よくいう「外資系」ではなくて、有名な「外資」なのである。

ロックダウンが無意味としれた欧米は、つぎつぎと規制を緩和しているなかで、なぜにわが国だけが無意味としれた「まんぼう」を継続しているのか?といえば、経営継続をあきらめた日本人から、「居抜き」でマネジメント能力がある外国人に店を売らせるためしかない。

目標軒数に達するまで「やる」のだろう。

むかしの法学者がそうだったように、いまは経済学者が「外資導入」による日本経済復活を唱えている。
わが国の経済は、「資本不足」が原因で生産性があがらないと「理論」立てている。

ならば、どうして企業は「内部留保」を溜めこんでいるのか?
内部留保とは、資本の増加にほかならない。
それでどうして、「資本不足」なのか?

問題は、すでに主要企業の株主の大半が「外国人」になっていて、日本人従業員の賃金増よりも、まず内部留保にさせて株主資本を高めているのである。
そうやって、「株高」になればなおよい。

つぎは「為替」で、ドルに換金するタイミングをどうするかの攻防になる。
ただし、円安になること必定なので、しばらくは「日本(企業)買い」の時間なのである。

これを、「法的」に支援しているのが、日本政府なのだ。
なんと日本人は、生きたまま「料理」されている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください