いろんな発明

人間は、発明する稀有な動物だ。

当然だが、発明ができるのは、思考力があるからである。
だから、人間は、思考力をもった稀有な動物だ、という方がより上位にある概念だ。
それもこれも、思考力の使い方にあって、発明することができるひとと、発明しないひとの思考力になんらかの差があるからだろう。

これを、さいきんでは、「個人差」といういい方で切り捨てている。

にもかかわらず、「いろんな平等」をいうので、何が何だかわからなくなるが、それもこれも、わざと混乱させて、あたかも「いいひと」ぶることで、特定の社会状況に仕向けたいという意図によっているから、より面倒なのである。

むかしいっていた、「気を確かになさい」というのは、この意味で名言だった。

この「気」というのは、精神のことだ。
そこで、キリッとしたいときに、「気合い」をいれるし、ダランとリラックスしたいときには、「気を抜く」のである。

もちろん、「景気」の「気」も、このことを指して、世の中全体の気分が浮かれていたら景気は高揚するし、沈んでいれば景気は悪化する。

浮かれた気分は、陽気なひとが先導する。
たいがい陽気なひとは、楽天家で、ばあいによっては、「脳天気」でもある。
一方で、陰気なひともいる。

これらは、生まれついてのもので、だいたいが個人差として認識されるものだが、後天的なこともある。

なので、「世の中はうつろいゆくもの」と認識されて、それが、「時代」を形成するのである。
しかし、ひとが時代を認識するのは、後世になって振り返ったときがほとんどで、リアルに時代認識ができるひとは、また、思考方法がややことなるのである。

むかしは、「激動の昭和」と、戦前から戦争をはさんで戦後の平和をいっていた。

けれども、いろいろなうつろい(個人の細かな振動)が、なにかのきっかけで共鳴をはじめると、想像もできない大波が生まれて、社会の全員がこれに飲み込まれる。

それでできたのを、「社会常識」とか、「社会通念」とかというのである。

そうした状態が、エネルギー準位が低くて安定するために、社会常識からはずれると、まさに「外れ値」のあつかいを社会から受けて、いわゆる、「除け者」にされる。

ところが、社会常識やらも、うつろいゆくひとびとの上に乗っかっているだけの、浮き草なので、だんだんと変化を遂げるものだ。
すると、気がついたら、外れ値だったひとが、突如、時代の寵児に躍り出ることもあれば、その逆もまた真なりなのである。

野蛮なヨーロッパで、「革命(REVOLUTION:大変革)」が何度もあるのは、「振れ」が大きいからである。

150年が経過して、ようやくわが国でも、「明治維新」の立ち位置が見直されようとしている。

それで、見直したくない立場の「保守」勢力は、見直しを試みる勢力を、「歴史修正主義」といって攻撃している。

そもそも「修正主義」とは、マルクス教徒たちの内ゲバになった、「正統マルクス派」対、「修正派」のことで、たとえばドイツのベルンシュタインが「修正主義者」として、正統派から糾弾されて、スピンアウトして今日に至っている。

だから、「修正主義」という用語を用いるのは、そっち方面の自己紹介をしているという意味も含まれているものだ。

つまり、明治維新を保守したいひとたちのなかに、正統マルクス派が存在する。
これに、国粋主義的ないわゆる、「右派」という意味の「保守派」が混じっているのである。

けれども、明治維新の意味の修正をもとめるひとたちも、「国粋主義的」ないわゆる、「右派」だから、目立つのは、「右派の内紛」という構造になっていて、これをまた、正統マルクス派が分断を煽っている。

そんなわけで、150年間、強固なはずの「明治維新」が、いま、意外な崩れ方をしようとしているのである。

ずいぶん前に紹介した、山本七平の傑作、『現人神の創作者たち』(文藝春秋、1983年)がある。
小室直樹との「対談もの」の最高傑作で一度絶版して復刻された、『日本教の社会学』をあわせて読むと、その深さをしることができる。

  

要は、「現人神」を発明したのには、意味があるということだ。

そんな明治という、中央集権体制の構築を最優先にしていた時代の、国家統一事業は、「万葉集」すら、発明の対象とした。

われわれは、発明といえば機械文明のことだと勘違いして、「特許制度」を当然としているけれど、特許制度が文明力を衰退させると批判したのは、ハイエク『致命的な思い上がり』(1989年)だった。

こうして、「発明」を、文学にまで広げるのは、じつは人間の精神(気)を支配するのが、文学(哲学)だからである。

受験制度のなかにずっぽり漬かっていて、「実学」ばかりに気を向けさせて優先させるのは、「文学(哲学)は役に立たない」という思い込みをさせる、おそるべき仕掛けなのである。

これを正面から突いたのが、全国3年連続金賞の快挙を果たした、京都橘高校吹奏楽部を育て上げた、田中宏幸元顧問の、哲学の発明であった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください