破れたグランドストラテジー

もっとも基本的な国家戦略のことを、グランドストラテジーという。

世界各国は、当然にこのグランドストラテジーを描いていて、その達成に向けての努力が政治の仕事として実行されていることになっている。

よって、国民は、このグランドストラテジー策定に参画しようがしまいが、この影響から逃れることはできない。
たとえ個人が政治に関係しなくとも、その生活が政治の影響から逃れることができない、という現実のことである。

それで、民主主義の発明によって、国民参画を合法化して、グランドストラテジー形成のコンセンサスをとろうということになった。

こうして民主主義国家のグランドストラテジーが、国民の意思と合致する根拠となったから、近代民主主義国家のグランドストラテジーは、逆にかつてなく強固なものになったのである。
そうして、この「強固さ」が転じて、「国民への強制」へと変異しだしたのが、いまという時代なのである。

グランドストラテジーと言いにくければ、「国是」と言い換えてもいい。

この国是が、地方に浸透して、ある地域なりのコンセンサスともなれば、それを「郡是」(ぐんぜ)と呼んで、そのまま会社名にしたのが、「グンゼ:GUNZE」である。
具体的には、京都府何鹿郡の「郡是」を具現化するために設立された会社であった。
時は、1896年(明治29年)で、日清戦争の直後である。

ならば、三国干渉で、「臥薪嘗胆」が国是(グランドストラテジー)となった時期である。

わが国の産業は、重化学工業にほど遠く、繊維産業が全盛期となる時期だった。
その中心が、養蚕を介した「シルク」であったのだ。

わが国の養蚕の歴史は、当然に古く、弥生時代までさかのぼるという。
例によって、オリジナルは中国だとされている。

いわゆる奈良時代の、「租庸調」では、「庸」と「調」が税として絹を対象としていたから、基本物資であったのだ。

その伝統的な基本物資が、わが国の近代化の過程では重要産業となった。

これには女工の手が必須だったので、当初器用な女工には家が建つほどの高給が支給されていたし、健康管理も万全で、寄宿舎内には学校も設立された。

「哀史」になるのは、ずっと後のことである。

企業たる、グンゼのグランドストラテジーが、「郡是」からであって、その上位に「国是」があった。
これがわが国の資本主義泰明期と言われる時代における、発想と行動の順番だったのである。

それから、財閥が形成されて、国内の政商から、国際的なシンジケートへと発展すれば、「国策会社」という存在があからさまになるのである。
これを支えたのが、大銀行であった。

政府が税収によって運営されてはいないように、銀行も預金を貸し出すという仕組みになってはいない。

銀行の資金の調達は、銀行間で行われているし、これを中央銀行が円滑にしている。
銀行が破綻するのは、自身の信用創造力を上回る貸出に失敗したときで、それは貸金業として読みを外したときのペナルティにすぎない。

ただし、預金者が預けた預金が還らないと、預金者の生活が破綻するので、どうするのか?という問題がつきまとうのである。

このとき、預金とは二通りあって、ひとつは預金者が預金しか預けていない場合で、もうひとつが、預金者がその銀行から借入をして、預金(=借入金)が増えたひとをいう。
もちろん、借り入れたカネは取引先に振り込まれて、その取引先の預金が増える。
借り入れたひとの預金から、一瞬で消えても、借入残高があるというパターンである。

こうした取引が、同じ銀行内で実施されたなら、銀行自体のおカネの量はなんら変わらない。

Aさんの借り入れ1000万円が、何かの購入先B社の口座に1000万円として記入されるだけなのだ。
すると、銀行にとっては、Aさんから1000万円の返済を受けることが、商売そのものとなっている。

あたかも、銀行にAさん向けの1000万円が最初からあるかのように見えるけど、銀行はAさん、Bさんのそれぞれの通帳に「1000万円」と印字すればいいのである。

そんなわけで、個人も企業も、銀行に依存して生活していた。
「株式」や「債券」をわざわざ買う必要もなかったのである。

一方で、企業側には株式を発行する動機と、債券を発行する動機があった。
資金調達の上で、大きな金額を集めるときに、銀行からの借り入れでは煩雑だからである。
それで、持ち合いという方法なら、行って来いの関係ができて、それぞれの経営者には安定的な資金になったのである。

しかし、「株式」や「債券」に、相場というものができて、売買されるようになったら、持ち合い分の評価を帳簿に記載しないといけなくなった。
ために、株価や債券価格が気になることになったのである。

それが嵩じて、株価で換算した「企業価値」が、一人歩きするようになった。

ために、グランドストラテジーを丁寧に策定して、企業価値を高める努力ではなくて、目先の評価が重要になったのは、国家のグランドストラテジーが行き詰まったからである。

特にわが国の場合、90年代にアメリカのグランドストラテジーが、よりわが国への統制を強めると決めた(DPG:国防プラン・ガイダンス)ので、わが国は国家として身動きが取れなくなった。

それがまた、民間経営の自由度を削ぐための、「自由化」やら「改革」になって縛りつけたのである。

ならば、わが国のサバイバルとしてどうするのか?といった、別のグランドストラテジーがないと、もう存在できないほどになっているのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください