時間泥棒・JRの不親切な放送

快速電車が、後続の各駅停車の「遅れ」を調整するために、「各駅に臨時停車する」という社内放送が繰り返しあるなか、停車した快速電車も停車する駅のホームでは、特段の案内放送がないから快速電車のままで出発した、という話である。

細かすぎてどうでもいい話である。
とおもったひとは、以下をお読みなる必要はない。
もちろん、鉄道先進国であったはずの欧米では、もっとひどい案内状態なので、「論外」というご判断もあろう。

しかし、「日本の鉄道は世界一」と、自画自賛しているのが、わが国の「業界」なのだから、見過ごせない、ということになる。
ここでいう、「鉄道」には、乗り心地とかだけでなく、安全性とか時間の信頼性とかという、「サービス品質」も含まれているからである。

つまり、「たかが放送」ということにはならないのが、「自負」というものだし、その「品質」に、放送も含まれているのである。

快速が停まる駅の放送で、次駅以降の臨時停車を告げない、ということは、各駅停車に乗らないといけないひとたちの、時間を奪う、という行為である。

実際に、ドアを開けたまま車内放送で臨時停車の案内をしても、聞こえなければ意味がないし、次の各駅停車に乗ると決めて待っているひとには、聞こえたところで「?」がついて、確認の放送を聞きたくなるのが人情だけど、電車はあっさりと発車ベルを鳴らして出発したのである。

駅の電光掲示板も、「快速」の文字がそのままで、電車自体も「快速」表示のままなのである。

だから、次の各駅停車しか停まらない駅では、この電車の到着案内は、そもそも電光掲示板にない。
それで、いるはずのない電車が停車して、降車したひとたちがホームにあふれてくるから、呆然と出発するのを観て驚く客がいるのは、完全に「乗り遅れた」からである。

つまり、ここでも「時間泥棒」を働いたことになる。

駅員による案内放送があれば、それにこしたことはない。
しかし、不思議なのは、「電光掲示板」なのだ。
「臨時停車」を伝える方法が、あらかじめ用意(プログラム)されていないことに尽きる。

むかし、BBCが東海道新幹線の「特集番組」を作って放送したことがある。
ちょうど、いま主力になっている「N700系」がデビューする前の時期である。

インタビューに技術担当者が、あらゆる技術を駆使して、「700系」からの「時間短縮」は、「5分です」と答えた。
これに、BBCのレポーターはたまげたのである。
「たったの5分?」

しかし、この技術担当者は怯むことなく、真顔で「乗客の数掛ける5分の短縮だから、ものすごい効果がある」と。
そこで、日本人のこの発想が経済発展をさせ、「たった5分?」とかんがえるイギリス人の発想が、英国を衰退させたのだ、と結んだ。

だから、たとえ在来線であっても、「乗客の時間短縮」について、世界水準からしたら「異常」なほど敏感であってこその日本の鉄道といえる。
けれども現実のJRには、新幹線と在来線とで、明確な発想の違いが存在することになる。

「横浜駅」で考えると、ワンマン運転の鉄道は、横浜市営地下鉄だけだ。
ユニークなのは、新幹線とおなじ「標準軌」の線路幅で、ストップ&ゴーのダッシュを繰り返す、「関東最速」を誇る京浜急行がある。

JRの川崎駅より多摩川に近い東京寄りに京急川崎駅があるから、その分の距離が不利ではあるけど、東海道線と京急特快(どちらも次の停車駅は横浜)で、「2分」の差で京急の勝ちだった。

刑事ドラマではないし、危険だから真似っこはしたくないものの、横浜駅で「うまくしたら」東海道線に乗り換えができるかもしれない。
これで、「アリバイが崩れる」なんて作品があってもよさそうなものだ。

その京浜急行は、駅の放送を「車掌」が兼務している。
共通の「ワイヤレスマイク」で、ちゃんと駅での放送をやっている。
だから、今回のような「臨時」の場合も、車掌さんが解決を図ることにするだろう。

これが、「民間」なのである。

なおついでに書けば、京急の全線にわたる「ポイント切替操作」は、ぜんぶ「人間」がスイッチイングしている。
コンピュータに仕込んだプログラムに「依存しない」仕組みなのである。
中央コントルームで、4000回/日以上のスイッチングを、表示パネルで確認しながら人がやる。

表示パネルはコンピュータが表示させるから、「ハイブリッド式」ともいえる。
その理由は、突然の出来事に瞬時に対応させるため、なのだ。

さて、今回の「臨時停車」は、後続の各駅停車の遅れが原因であった。
これは、「待ち行列理論」の応用である。
でもやっぱり、民営になりきれないJRの残念がある。

「長州」は存在しない

先月、ほぼ30年ぶりに訪問した「萩」のことが、なんだか引っかかるので、改めて「明治維新」の不思議を整理しているところである。
それに、昨日のCOP26で書いた、通貨発行権を持った特別なひとたちと、維新の志士(特に萩藩出身で後の元勲たち)は、つながるのだ。

地元の皆さんの「熱烈なる郷土愛」は、いまどきにしたら「貴重」だから、まったくの「他意はない」のだけれども、自慢ばかりでは厚みがないとも思えるのである。
それで、「あえて」批判的な立場から書いてみようと思う。

俗にいう「薩長閥」の「長」を、「長州」と呼んでいるけれど、この呼び方は「後世」からのもので、幕末から維新の時期以前は、「長藩」とも言っていたが、それでも「萩藩」という方がふつうであった。

歴代藩主の毛利家は、もともと鎌倉幕府の初代将軍頼朝の側近、大江広元の4男を粗とする。
このひとから、「越後」や「安芸」に領地を得て、戦国時代には安芸を拠点に各地の勢力を統合した。

秀吉の時代になると、当主だった輝元は、中国地方10国を支配して、実質200万石という最大の大名になっていた。
ところが、関ヶ原で西軍が破れたら、家康から「減封処分」され、周防・長門の2か国だけの約30万石と最盛期の7分の1に落とされたのだった。

ちなみに、大名の「石高」とは、武士団を養う米の量を指すので、「兵力」を示す全国統一指標である。

さて、藩庁をどこに置くかも幕府の意向で決められて、当初の候補地(山口や防府)とはちがう「萩」が指定された。
これで、「萩藩」になったのである。

なお、当初の「萩」は、隣藩である津和野藩の出丸(砦の跡地)が放置されているような土地で、山間を抜けてポツンとあるわずかな平地である。

実際に、新幹線の「新山口駅(2003年までは「小郡:おごうり」)」から、高速バスに乗ると、すぐさま山間部となる地形である。
中国山地の終点は、とてつもなく「山」ばかりなのである。
ほんとうに田んぼで米を作っていたのか?

萩の殿様は、どうやって参勤交代していたのか?を地元のひとに聞いてみたら、いまの高速バスと同じで、陸路の山間部を通って瀬戸内海に出たのではないかという。
にわかには信じられないのは、目のまえの海から回った方がはるかに楽に思えたからである。

実際に、幕府の嫌がらせで藩庁の場所が決まったとはいえ、「人間万事塞翁が馬」のごとく、実は日本海と九州(馬関海峡)、それに瀬戸内海につながる、海上交通の要衝の地を指定されたことは、驚くほどの「富」を、その後の萩藩にもたらしたのであった。

陸地の地図を頭に描いた幕府が、その250年以上後の、「長州征伐」で敗北する遠因がここに見ることができる。
萩藩では、とっくに海路による地図を描いていたことだろう。
なにせ、戦国時代は「毛利水軍」が瀬戸内海を暴れ回っていたのだ。

すさまじき「減封」の憂き目は、お取り潰しよりはましだったとはいえ、似たような例には、上杉家がある。
室町幕府で、関東管領を務め、戦国時代には上杉謙信を出した名門が、8分の1にさせられた。120万石から15万石になったのだ。

減封で、萩藩はどうしていたのか?といえば、「検地」をやって、無理やり「石数を上げた」。
つまるところ、大増税である。
しかし、幕府への「届出の石数」を、大胆にもごまかした。

その方法がいわゆる、「特別会計制度」で「極秘」に編み出したものだ。
「撫育資金」として、城内では藩主以下一部の数しか知らないものだ。
この資金の運用をした、特別な部署が「撫育局」で、北前船のための「倉庫業」や、なんとご禁制の密貿易もやっていた。

そして、明治の元勲になる(後に言う)「長州人=長州閥」とは、「全員」がこの撫育局の局員だったのである。
一般会計を扱う主計局ではなくて、なにをやっているのかわからない、内閣府のような部署である。

また、これら全員がどうして「松下村塾」に集まっていたのか?だ。
もしや、吉田松陰とは、撫育局直属の専任講師だったのか?ということになる。
すると、「表」の上士たちが幕府指定の朱子学を学ぶのが、萩藩では「擬装」だったことがわかる。

藩内で「表」のひとたちが、いぶかって吉田松陰を「変人」と嫌っていたことの意味がわかる。撫育局員をいぶかったからにちがいない。
「下級武士」というのも、後世の「書き換え」だろう。

表の身分はあくまでも擬装で、特別会計をほしいままにしながら、藩財政の圧倒的黒字(今なら「裏金」)を捻出(実はビジネス)していた、超エリートが撫育局員だ。

英国留学前に、藩の「表」から受けとった「留学資金」を、伊藤博文らは出国前に豪遊して使い果たして悪びれないのは、撫育局からその10倍の資金を受けとる立場にあったから、「はした金」に思えたのだ。

さらにいえば、新政府の大蔵省とは、撫育局の延長だった。
それで、いまでも誰にもわからない「特別会計」があるのだ。
つまり、今現在の日本政府も本質は、長州閥がつくった「明治政府」そのものなのである。

さて、「藩財政」はそれでいい。
それに、維新のための武器やら軍艦の調達に、一般会計だと大赤字に見えた長州藩が「即金」で支払えた理由もわかった。

では、藩の住民はどうだったのか?
「検地」による大増税もあって、逃散が絶えず、とうとう江戸時代を通じて最大級の「長藩天保一揆」が起きた。
蜂起したのは13万人という。

なんだか、歴史は今を語る、の典型のような気がしてくる。

藩がよければそれでよく、その他はどうでもいい、という「思想」こそが延々と続く、日本政府の「本質」なのである。

そうやってみたら、新内閣の最初の仕事が、選挙公約で「一言もいわなかった18才以下への給付金支給」であることの意味がわかるというものだ。
これがどういう効果が期待される「経済政策」なのか?

政府の人気とりのためだけだから、「効果」なんてもう、誰にもわからないし、どうでもいい。
あるとすれば、もっとよこせ、という国民が増えて、さらに政府の奴隷にさせることができることしかないのであった。

そんなわけで、1876年(明治9)年(西南戦争の前年)に、「元勲」たちのお膝元で「萩の乱」が起きた。
これを、不平士族たちの反乱として一括処理していいものか?

萩のひとに聞いてみたかったけど、意地悪な質問だろう。
いま、その「代表」は、こないだなったばかりの外務大臣なのである。

失敗の「COP26」だから

ナポレオン戦争後の「ウィーン会議」で言われたのが、会議は踊る されど会議は進まず、という名言だった。

現代のウィーン会議とは、スコットランド・グラスゴーで開催中の「COP26」である。
主催は「国連(国際連合)」という「穀潰し」集団だ。

同じグラスゴーで、2009年に一夜にして「世界的歌手」になったのは、スーザン・ボイルだった。
そして、この年の大晦日、NHKの紅白歌合戦に出場して話題になった。

観なかったけど。

オーディション番組がすっかりなくなった日本のテレビ界は、このオーディション番組の「フォーマット」すら購入できなくなったのかは知らないが、世界中で「同じ形式」の番組が放送されているので、やっぱり「鎖国感」があるのである。

日本人だって、芸のあるひとたちは、この番組出場のために「渡航」していて、国内では無名のままである。
そして、芸のない芸人の「安易」を毎日無理やり観させられて、若者が芸のない芸人を目指すという人生破壊をさせられても「個人の責任」になった。

ありがたいことに、ユーチューブも、こうした「エンタメ」には「投稿規制」という「検閲」をしないので、なるべく各国の番組を検索して観ることにしている。
インタビューなどは、何を言っているのかわからないけど、披露される「芸のすごさ」を知らないよりはいいのである。

さてそれで、世の中は「国際金融資本」という名の、特定の人たちが牛耳っていることが、ばれてきた。
有名すぎるからあえて名指しすれば、ロスチャイルド家とかのことである。

この「とか」がどんなひとたちなのか?というと、ロックフェラー「とか」である。
それ以外が出てこないから、「とか」の中身が怪しくなって、「陰謀論」という話になっていって、「眉唾もの」の与太話になってしまう。

でも、あんがいと真面目な話なのである。

その他の「とか」は不明だけれど、こうした「一家とその他のとか」とが、とんでもない「権利」を独占的に持っていて、もちろん絶対に手放さないで「家督」として相続される。

それが、「通貨発行権」なのである。

だから、国際金融資本とは、通貨発行権を握っているごく少数の特別な「個人たち」のことを指すのである。

ふつう、通貨発行権を持っているのは、それぞれの「政府」であると認識されている。
しかし、政府が直接通貨を発行している国はない。
かならず「中央銀行」が発行体なのである。

アメリカなら、FRB(The Federal Reserve Board:連邦準備理事会)、イギリスならイングランド銀行(Bank of England)、ヨーロッパは、ヨーロッパ中央銀行(ECB:European Central Bank)、そして日本なら日本銀行(Bank of Japan)だ。

ところが、これらの中央銀行はぜんぶ、「民間会社」なのである。

日本銀行だって、「資本金1億円の上場企業」なのである。
法人番号は、3010005002599 とちゃんとある。
そして、日本銀行の場合は、日本政府が半数の株式を保有しているけれど、「その他」の株式を誰が保有しているのかを公表していない。

さらに、上場しているのに、株式を新規で発行することもない。
なので、完全に資本と出資者が「ブラックボックス」なのである。

FRBも同じく「民間企業」だ。
ただしこちらは、民間「だけ」の出資によっていて、なんとアメリカ政府は1ドルも出資していないのだ。

イングランド銀行に至っては、ほぼすべての株式が、ロスチャイルド家の保有である。
ナポレオンがワーテルローで敗北した情報を、ロスチャイルドはイギリス政府よりも2週間も早く知っていて、その間にイングランド銀行の株を徹底的に購入したのだった。

これぞ、千載一遇のチャンスを逃さなかった、当時の当主たちの末代までの功績になった。
よって、冗談でも陰謀でもなく、ポンド紙幣を発行している「発行人」の実態は、ロスチャイルド家なのである。

通貨発行権を持っている、おそらく世界で100人もいない、国際金融資本のひとたちは、「大富豪」ではあるけれど、「ふつう」の大富豪ではない。
通貨を発行して、その手間賃を「金利」として政府から受けとる立場だからだ。

なので、このひとたちは、「お金持ち」なのではない。
「お金を作り出す」ので、このひとたち自身は「お金を貯めることに興味はない」立場にある。
まさに「ただ者ではない」のだ。

過去をたどれば、戦争が彼らを潤してきた。
様々な政府や当事者たちが、武器を欲しがることにかこつけて、その「決済」のための「国際通貨」を融通するからである。
だから、彼らは「武器商人ではない」のだ。

しかも、その「融通」すら、自分たちでは直接やらない。
国際通貨を商売の手段とする、あまたの銀行が勝手に「調達」したがるから、お金を作って供給すればいいだけなのだ。
それで、発行元に「見せかけた」政府から手数料を徴収する。

この「打ち出の小槌」のようなビジネスモデルを、もっと今様に強固にするにはどうすればいいのか?
それが、「地球環境」であって、二酸化炭素削減=脱炭素への「強制投資」をさせる方法なのだった。

武器は新しい価値を作らないで、弾薬だけを消費する。
地球環境も、新しい価値をつくらない(科学的無意味は知っている)けど、科学的無意味だからこそ、各国政府をかつての銀行のように仕立てて、政府を通じて世界の国民から富を巻き上げることができる。

戦争も、地球環境も、いきつく先は「増税」なのだ。
そうやってまた、通貨を作ればいいのである。

そんなわけで、二酸化炭素の削減合意には失敗したけど、そんなものは「仕掛けの前座」であってどうでもいい。
COP26の議題は、「炭素税」へと踊り出して、いよいよ「本筋」の巨大な利益が約束されることになったのである。

つまり、世界の庶民には、永遠に収奪されるシステムができあがる「醒めることのない悪夢」がはじまるのであった。

これを熱心に推進するわが国の岸田政権とは、「血脈」をたどれば国際金融資本に行きつくのである。

すさまじきひとたちを、「選挙」で無理やり選ばされているのだった。

戦後日本人のメタファー

国民学校の生徒が「唖然」とした、終戦直後の教科書への「墨入れ」は、価値観がひっくり返る社会現象の強烈な刷りこみとなった。

100%疑いもなく信じていた、教師も親も、隣近所も、おとなたちが揃って、回れ右をするように、昨日までの言動と今日とでは「違った」し、昨日までのことは「忘れろ」とまで命じられたのだ。

今でこそ、「耳年増」ならぬ「情報過多」のおとなびた子供はいるけど、よくよく考えれば、いつの時代だって子供はおとなを観察して生きている。
むしろ、おとなの観察をしないで生きている子供なんていない。

落語に登場する生意気な子供や寺の小僧が、妙におとなの事情に詳しいのも、しっかり観察しているからで、思い当たる節がたくさんあるから観客は笑うのである。
それがまた、おとなに成長する、という意味でもある。

むかしは子だくさんだったから、兄弟姉妹がたくさんいた。
わたしの親世代は少ない方で、父方は2人、母方は5人だった。
父方が当時としても少ないのは、「夭折」という事情があったからで、生きていれば4人だが、それでも少ない。

8人とか10人とかと、二ケタだって驚くひとはいなかった。
すると、長男長女と末子との間にいる弟だか妹だか、兄だか姉だかが曖昧な子供が複数いる。
上下に何人かいるからである。

最初の子供は、近所の子供との間で関係をつくるけど、家の中では全部下になる兄弟姉妹の面倒をみないといけない。
年の差が開けば、上の子供が下の子供のおしめだって取り替えた。
それが、一生頭が上がらない関係も構築したのだ。

中間の子供は、上の兄姉の行動をみれば、年の差であと何年かしたらああなると予想できて、下の弟妹をみれば、自分もあんな時期があったものだと確認できた。
つまり、「フラット」な発想をしなかった。

いまは、ひとりっ子ばかりで、兄弟がいない時代になったから、「同学年」というフラットな環境にだけいて成人するしかない。
学年を超える活動の、子供会もボーイスカウトやガールスカウトの参加者も減っている。

そんなわけで、会社にはいっても「同期」というフラットな環境が中心にあることになったのである。

さてそれで、高度成長期のことである。
墨で教科書を消した世代の子供が、昭和30年代におとなになって実際のわが国の「科学技術」を支えたのだと改めて言われれば、「その通り」である。

これを指摘しているのは、自身のことも含めて養老孟司氏が語っている。
また、その場が「ソニー」の社内研修らしい。

「科学や技術はうそをつかない」

だから、没頭できたのだと。
世の中の価値観が1日にしてひっくり返ったトラウマが、「絶対に信じることができる」を「科学技術」に求めたのが、暗黙の了解のすべてだった、と。

やや角度を変えた発言をしているのは、武田邦彦氏である。
「科学や技術はうそをつかない」から、「うそでかためた研究は、必ずダメになる」と。

その「うそでかためた研究」とは、昨今の「環境問題」や「コロナ禍」を指している。
これを裏づけるのは、自ら国連「気候変動政府間パネル(IPCC)」に10年関わった、杉山大志氏の冷静な指摘である。

杉山氏は、IPCCの活動は、限定されていて「調査することのみ」と規定されていると断言する。
つまり、一切の政治的「提言」などは、してはいけないという既定が国連にあるというのだ。

これは、科学者の研究を支援はするが、結論の一部も政治利用しないための歯止めでもある。

ところが、「現実」はそうはなっていない。
むしろ、あたかもIPCCの提言が前提にあるがごとくの扱いにみえるのだ。

一方で、随分古い(おそらくレーガン時代)のインタビュービデオが、HARANO TIMESさんが日本語訳を付けて披露している。
話しているのは、旧ソ連のスパイで、ギリシャ → カナダ → アメリカに亡命したロシア人である。

カナダにいたのは、ソ連におもんばかったアメリカが直接の亡命を拒否したからであるとも語っている。
さまざまな「主語」を現代に入れ替えると、彼の「共産主義の説明」と、自由圏の無防備が、まったくもって「現代」にそのまま当てはまる。

いったん共産主義に染まった人間の脳は、二度と回復しない。
それは、どんな「事実」を突きつけられてもであって、身体的苦痛でしか洗脳の解除(逆洗脳)は不可能だという。

そして、カナダから念願のアメリカに入国したとき、彼は、「ソ連共産党」の「仕掛け」が、アメリカ人の日常にしっかりと浸透していることに、何よりも驚いた、という。

さて、このインタビューが放送されたとき、アメリカ人の視聴者は、何を言っているのかわからなかったという。
おそらくいまも、何を言っているのかわからないひとは多数であろう。

しかして、わが国のメタファーは消失し、杉山氏や武田氏の指摘を受けても、すっかり洗脳から醒めない状態になってしまった。

脱炭素はわが国産業を破壊する。
フラットな発想をする「凡人」が、科学技術産業のトップを務めているのに、株主はそれでいいのか?

破壊されてから気づいても、遅いのである。

政府が民間賃金を上げさせる方法

社会主義者たちの自民・公明連立政権がもくろむ、民間の賃金を上げるということの「ばかばかしさ」は、勘違いを超えて、まったく資本主義をしらない幼稚さのあらわれだ。

だから、社会主義者は共産主義者からバカにされるのである。

こうした発言に対する反応として、もっと驚くのは、いまの「財界」が、「歓迎」の表明をするか「無反応」なことだ。

高度成長期の財界なら、こんなことをいう政治家が出てきたら、すぐさま財界総理が直接面談して、面と向かって「阿呆か?」と、とくとくと解説したことだろう。

たとえば、絶対主義時代の国王が、「インフレよ静まれ」といって、インフレが収まるなんて考えるのもバカバカしい。
どんな時代でも、経済は誰かひとりの人間やらで動いているような代物ではない。

このブログでも何度か紹介している(おそらくこれからもしつこく)、ミーゼスが、とっくのとうに、「社会主義経済計算=計画経済」の不可能を証明している。
それが、ロシア革命から3年後の1920年、『社会主義共同体における経済計算』であった。

わが国は、あんがいと早くから「左傾化」していて、ミーゼスの著作はこれまでにたった4冊しか邦訳がないのである。
気分を入れ替えれば、4冊を読む「だけ」で、社会主義のまずさがわかる、としておこう。

さて、岸田政権なる社会主義政権は、トンチンカンな社会主義を目指した「アベノミクス」より、もっと「左」の政策を打ち出すことが期待されている。
にもかかわらず、党政調会長に再任された女性議員は、「保守の看板」を装っているのだ。

この「人事」は一体どういうことか?
安倍政権は、岸信介=福田赳夫の譜系「細田派:この度晴れて安倍派になった」で、岸田政権は、吉田茂=池田勇人=大平正芳の譜系「宏池会」なのだ。

総裁選での「協力」に、ただ応じたものか?
それとも、深遠なる考慮があるのか?
はっきりしないのも、岸田氏らしい。

自由競争をもってする側からの「妄想」を言えば、政府が民間に賃金を上げさせる方法は、かつての民主党・鳩山由紀夫内閣がやった、「最低賃金引上げ」という「王様の命令」ではない。
この方式を韓国の文政権が真似たのは、社会主義同士の意気通じる共通がある。

もっとも簡単な方法は、すべての公務員(地方も含む)の賃金を、1.5倍とか2倍にすればよく、さらに、中途採用の条件に、企業のリストラ対象者を指定すればいい。

「優秀な人材」は民間に、そうでないひとは公務員にさせるのが正しい。

けれども、上の方法では、優秀な人材は公務員になりたがる、という第一段階がやってくることに批判があるだろう。
しかしながら、「賃金の高さ」だけで公務員という職業人生の判断をするような人材は、じっさいに優秀だと高い評価ができるのか?

ここに、競争が発生して、優秀な人材を民間が本気で求めるなら、なにをもって公務員と競争するのか?ということになるのである。

リストラ対象者は、割増退職金をもらって、さらに「楽勝」な公務員になって、元の企業より倍数がかかる賃金を得られれば、「ラッキー」このうえない、と発想するひとたちである。
これはこれでいい。

では、企業に残るひとたちは「損」なのか?

どうしたら、この競争にうち勝つのか?を考えないといけないのだ。

つまり、この「妄想」で見えてくるのは、今の「物言わぬ財界人」とは、競争にうち勝つという気概も自信もない、という情けない姿なのである。

実際に韓国政府がやった、最低賃金の「大幅」引上げで、なにが起きたのか?
若年者層を中心にした、大失業の到来だった。
どういう根拠かしらない、政府が決める「最低賃金」が、アウトプットに見合わない、という水準になれば、どの国だって同じことが起きる。

そのアウトプットに見合わない、と判断するのが、政治家や役人がバカにしてはばからない中小零細の経営者だ。
なにも財界人だけが経営者ではない。

最初に、パートやアルバイトが解雇される。
世の中でもっとも弱い立場から、犠牲になるのである。
しかし、この社会主義的政策は、共産主義からみたら、やっぱり中途半端なので、ここで終わる。

犠牲者を救済する方策が用意されない。

そこで、共産主義者は、「ベーシックインカム」を言い出すのだ。
しかし、国民の過半がこの対象になったら、こんどは国家経済が立ちゆかない。
制御不能のインフレになったら、元も子もないのである。

いま、ほんとうに優秀な人材は、「起業」する。
学校を出たら大企業に就職する、というパターンは、すでに「古い」ばかりか、害悪になっている。

だから、本来であれば、学校における教育も「起業」に基準を置かないといけない。
しかしながら、制度設計をするおとなも、現場の教師たちも、古い発想で凝り固まっている。

これが、ほんとうの賃金引上げの源泉なのに。
すると、ますます、大企業経営者がつくる「クラブ」である、財界の「古さ」が浮き彫りになるのだ。

そして、「起業」に適した「金融」がないことが、致命的なのである。

世界で唯一、30年以上も賃金が横ばいのわが国政府がやってきた「経済政策」の、無意味を超えた、「実質マイナス」という「結果」をみれば、もういい加減に政府に依存することが、いかほどに「損」なのかを国民が気づけないままでいることが、もっと致命的なのだった。

「IWC」脱退から2年ちょい

IWC(International Whaling Commission:国際捕鯨委員会)が発足したのは、1946年に国際捕鯨取締条約が採択されて、48年に同条約の効力が発生し、翌年に第1回の年次会合が開催されたことによる。
わが国は、独立回復前の51年(昭和26年)に加盟した。

つまり、占領軍によって、加盟させられた、ともいえるから、最初から「カモ」だった。

食糧不足が深刻だったわが国では、当然に「栄養不足」という問題が社会全体を覆っていた。
特に、学校で昼食の弁当が食べられない「欠食児童」が、栄養失調で青鼻を垂らすふつうがあった。

冬場、お古のセーターの腕周りが、ぬぐった鼻水で固まってテカテカと光っていた同級生が何人もいた。

学校給食がある学校では、アメリカから緊急輸入した「脱脂粉乳」が、牛乳の代わりに提供されて、戦中は「代用食」と呼んでいたコッペパンには「人造バター」と呼んでいたマーガリンを付けていた。

アメリカで脱脂粉乳が日本への緊急援助として輸出が決まったことの報道をみて、対日戦で戦死や負傷した息子を持つ各地の主婦たちが、大反対運動を開始した。

「日本人は餓死しそうだという報道があるのに、豚の餌を大量に送るとは何事か!贅沢にも肉を食うのは未だ早い」というのが理由だった。
しかし、それが「人間の子供」の給食のためだと判って、寄付運動に変わったというエピソードがある。

アメリカ人にとって、脱脂粉乳とはあくまでも、豚の餌以外に考えられなかったのである。

そんな状態だから、学校が斡旋して『肝油ドロップ』の販売申込みを、学級単位でやっていた。
お菓子のようにおいしかったから、つい食べ過ぎて「薬なんだよ」と叱られたものだ。

クジラは給食の定番で、竜田揚げか大和煮がよく出たものだ。
なんとも硬くて、獣肉の匂いがしたから、わたしは苦手であったけど、不思議と缶詰の大和煮は、大好きだった。
いまでは、考えられないほどの高級品になってしまった。

もちろん、「クジラ」が高級品になったのは、IWCによる捕鯨の制限があったからである。
南氷洋を捕鯨船団が行く姿は、もう見ることはできない。

ナガスクジラの捕獲禁止は、1976年のことで、文楽人形のバネに使っていたクジラの「ヒゲ」は、在庫限りという状況に追いこまれたと新聞に出た。
人工の材料では代わりがない。

結局のところ、「反捕鯨」という政治運動で、にっちもさっちも行かなくなって、戦後の日本が初めて大決断したのが、「IWCからの脱退」だった。
2019年6月30日、わが国は正式に脱退した。

「全方位外交」という名の、どっちつかずという大方針を曲げなくてはならないほどに、加盟メリットがないということが理由だ。
「いい子」をやめたら途端に不良になるのかと、各国は疑念を持っていたらしいのは、「どっちつかず」がやっぱり「信用されない」ということだ。

それでも、わが国は「不良」にならずに自己規制して、世界のルールを守っている「いい子」だった。
「調査捕鯨」すら、南氷洋から撤退したけど、「調査結果」も提出しなくなったら、クジラ資源の実態が誰にもわからなくなるという事態になった。

わが国の「加盟費」という収入を失ったIWCは、資料さえも作成できなくなったのである。

ならば、わが国は次に、「WHO」からも脱退したらどうか。
ついでに、「国連」そのものからも脱退したら、なんだかスッキリするのである。

なにも、戦前の「国際連盟」ように、振られる前に振ってやるという若い男女の痴話げんかのような、これ見よがしの「脱退劇」をしなくともいい。
静かに、誰にも気づかれないように、フェードアウトするがごとく、消えていく。

どうせ、他の各国が気づくのは、「加盟費の振込がない」というタイミングでしかないだろう。
大騒ぎするのは、外務省だけだ。

国連大使のポストやら、大使館員のポストやらが不要になって、職員が余るのが困ると、国民は困らないのに「困ったふり」をするだろうからである。
ついでに各省庁からの「出向」で、国際機関の長になるポストがなくなると扇動して、これに「記者クラブ」のマスコミが加担する。

IWCのときもそうだった。
マスコミが、とにかく「脱退するな」と騒いだのである。
まさに、国民にとって、「逆神」になった。
正しさは、マスコミの「逆」にある、ということだ。

国際機関からの「脱退」は、ソ連が崩壊して大喜びした「逆」になる。

あのときは、「独立国家共同体」になって、バルト三国や中央アジアを中心に、「国」が増えたのだった。
勢い余って、ユーゴスラビアも分裂してくれた。
だから、「自動的」に、滅多にない大使のポストが増えたのである。

国民にとって、国際機関は必要なのか?というシミュレーションすら、外務省はやっていない。
やるはずもないのは、外交官試験に合格したひとたちがつくる、コミュニティになっているだけだからである。

なんとまぁ、このコミュニティは、婚姻による親戚関係ばかりが「上層部」なのである。

「第二国連」を作ってやる、という気概がない。
国民は、華やかな「国際」に欺されてはいけない。

とはいえ、戦後全方位外交の「成果」からすれば、たかが国際機関を脱退しても、外務省は胸を張って「大丈夫だぁ!」と、故志村けんのように、言ってこそ、なのである。

いまこそ、「成果」を国民に披露するときだ。

それができないのは、どっちつかずというお気軽のコミュニティであったと告白するも同然だ。
じつは、世界のどこにも「お友達」なんていないし、つくる気もない。
省内の仲間うちで楽しければそれでよかったし、そうしないと昇格できないからである。

左翼と保守が結合する?

アメリカ民主党が小さな分裂をはじめている。

ことのきっかけは、「3.5兆ドルの『分配』予算」であった。
共和党の「反対」は当然として、民主党内で意見が割れて、「1.5兆ドル」程にまで縮小された「案」になってきた。
わが国の左翼、自民党はどんな「分配」を用意するのだろうか?

さて、この「カラクリ」は複雑で、あえていえば「財源」となる「増税」に対する覚悟と嫌悪という闘いになったようである。
「覚悟」しているのは、「分配」を優先させる「社会主義者たち」で、「嫌悪」しているのは、「クリントン=オバマ派」という。

わが国の場合は、姑息なので、「分配」と「財源(=増税)」の話は、タイミングをずらすという、事実上の「欺し」を常套手段としている。
この意味で、アメリカ人はまだ「正直」だといえるけれども、日本人は鈍感すぎないか。

なぜなら、この「増税」の対象が、あからさまな「金持ち」を主たるターゲットとしているからである。
つまり、所得が少ないひとたちには関係のない増税だから、覚悟できるという言い分と、金持ちからの献金をしこたま得てきた「一派」には、すこぶる都合が悪いのである。

特に、オバマ政権で国務長官をやっていた、ヒラリー・クリントンは、元大統領の夫を下にする大豪傑だけど、彼女の在職中の「メール問題」は、国防にも関わる一大スキャンダルだった。
公職にありながら、政府が用意したメールシステムをとうとう一切無視して、自宅にサーバーを設置した「私的メール」しか使わなかったのだ。

しかも、問題発覚後、証拠隠滅として、メール記録の多くを保存ディスクごと、ハンマーで破壊して廃棄もした。
この大問題を世間の耳目からそらすために、トランプ氏への「ロシアゲート疑惑」という、でっち上げを仕組んだという。

すでに、特別検察官は、トランプ氏の無罪(無関与)を公式に認定した。
ただし、民主党の牙城、ニューヨーク州は市とともに、不動産事業者としてのトランプ氏の「不正」を、なにがなんでも暴くという目的で、社内幹部が既に逮捕されるに及んでいることは、しっておいていい。

一方、トランプ政権時代に任命した、「ロシアゲート疑惑へのでっち上げ」を捜査するための「特別検察官」は、政権交代後のいまでも活動していて、先日は「偽証」の疑いで、元英国諜報部員を逮捕した。
金の流れを追いかけると、このひとの背後には、民主党の影が見えてきている。

同じく、「クリントン財団」という団体の金の流れを追いかけると、ヒラリー氏が現職の国務長官の時にも、驚くほどの「入金」があることがわかっていて、その額は「兆円単位」なのだという。
すなわち、メール問題は公務員法に抵触するばかりか、一歩まちがえば「国家反逆罪」にもなりかねない。

余談だが、わが国政治家の逮捕にまつわる、不正の額が、あまりにも小さすぎるのが、なんだか悔しい。
ちまちましていて、でっかいことができないのも、衰退の証なのか。

話を戻すと、「3.5兆ドル法案」のゆくえが、「クリントン=オバマ派」によって、あたかも「共和党」の意図と同じであっても、その中身は「呉越同舟」という複雑がある。

こうしてこの議論は、現在の民主党の二面性をあぶり出した。
それは、真性社会主義者と、偽社会主義者=実は産軍複合体=共和党・主流派、という様相である。
共和党・主流派とは、ブッシュ親子を支えた、「ネオコン」のことだ。

このひとたちは、戦争を求める。
それが、「利益」を産むからである。
いまだに「9.11」が、ブッシュ・ジュニア政権による自作自演ではないのか?と疑われることの背景に、産軍複合体の深さがあるのだ。

もちろん、本人たちの直接的利益ではなく、支持者たちの直接的利益になって、それが、本人たちの利益になるのである。
つまり、支持者たちのために、戦争をする決断をする「スイッチ」の役割を果たすのである。

さて、その一方で、バージニア州での共和党勝利と、ニュージャージー州における、当初予想よりもはるかに共和党が善戦した理由には、「教育問題」があった。
公立高校における、「ジェンダー」にまつわる事件が引き金となったのである。

ふだんからスカートをはいている「自称女子」が、女子トイレで女子をレイプした事件で、被害者の父親が学校と教育委員会に抗議したところ、「国内テロリスト」という理由で、逮捕・拘禁されてしまった。
さらに、教育委員会は、犯人の生徒を別の公立校に、密かに転校させて、その学校でも同様の事件を起こしたが、学校側がこれを隠蔽していたことが発覚したのだ。

あろうことかこれに、連邦司法長官が「教師に逆らう親を、国内テロリストとすることを支持し、FBIに捜査を命じる」事態となった。
もちろん、連邦教育長官もこれを支持し、各地の「学校経営委員会」に「親(日本では「保護者」という)の排除」を命じたのである。

それで、ベルギー国家医療機関の長である医師が、「成長の妨げとなるので、子供にマスクを強要してはならない」とした発言を引用して、マスクを強要している小学校当局に質問したアメリカ人の母親を、「国内テロリスト認定」するという「事件」にもなった。

このことが、今度は「社会主義」に寛容な民主党支持者の「分裂」を呼んで、親として子供を守る権利の再確認を求める「怒り心頭」の運動となって、共和党・保守派支持に一気に乗り換える原動力となっているのである。

つまり、民主党は「四分五裂」をはじめたのである。

さらに、バイデン氏の長女が綴ったという「盗難にあった日記」をめぐる報道で、連邦検察官とFBIが、この日記を入手した報道機関(ここは裏取りができないとして、報道しなかった)の社長や社員の自宅を強制捜査するトンチンカンなこともやっている。

家庭内レイプの地獄を日記にしていたことの「うわさ」が、捜査対象になることで、完全に「事実」となったし、なによりも記述した本人が「ホンモノ」と認めているのである。

だとすると、現職大統領のおぞましい日常を、どうやって弁護するのか?

この一連の動きは、もはや、はなから使い捨てのバイデン氏を、民主党本部が見限った、ということだろう。
それはまた、民主党崩壊の「焦り」の表明でもある。

インド系だから黒人ではない(「全米黒人協会」は、昨年の選挙中に彼女が「黒人」を自称することに正式抗議している)し、いまもまったく不人気の副大統領が、予定より早く大統領に昇格就任して、「初の黒人女性」と嘘見出しが躍ることがみえてきた。

しかし、「新政権」になるからといって、民主党の支持が劇的に高まることを約束はしない。

ますます、「教育問題」が、アメリカ人を目覚めさせている。
それは、あらゆる面で、「人倫にあるまじき不道徳」という目覚めなのである。

人為的医療崩壊と地球環境

わかりやすい「例」がカナダで出てきた。

医療従事者にコロナ・ワクチン接種を強制して、たとえ解雇されても拒否したひとたちが多数になったら、撤回するという、カナダはケベック州とオンタリオ州での話の裏で、ブリティッシュ・コロンビア州では、人為的医療崩壊が起きている。

つまり、医療従事者が解雇され過ぎて、医療現場が人手不足となり、診療所が閉鎖されて「無医村」になったり、都市部でも診察ばかりか手術や検査を受けられなくなる、という現象が発生しているのだ。
ところが、これを命じた、州知事は自身の喉にできたポリープを摘出する手術を受けていたことが発覚して大批判を受けている。

むかし、桜島が噴火して、錦江湾対岸の周囲を走る国道の一部が陥没し、そのまま海に自動車が転落してしまったことがある。
この中の1台に、現職の鹿児島県知事が乗っていた。

漁をしていたひとたちが、すぐさま現場に向かって救助を開始したら、船縁にしがみついた知事が、他人を足で蹴落として先ずは自分だけが助かろうとしたのを、当時でもビデオ撮影したひとがいて、これが地元テレビ局で放送されたら、県民は知事の卑しさに唖然としたのだった。

まことに、人間の本性とは危機の中で現れるものだ。
すぐさま、鹿児島県人永遠の偉人、「西郷どん」と比較され、辞任しても生涯どころか後世になっても、後ろ指をさされることになったのである。
これを嗤っていたのは、当時の小中学生たちなのだ。

「偉人」の偉人たるゆえんを教育することの重要性は、こんなところにも表れるのだ。
この小中学生たちは、誰に命じられることもなく、自分から死ぬまで「教訓」として語り継ぐことになるのである。

しかし、カナダの極左政党は、「人為的医療崩壊を起こすべき」と主張している。
医療現場でのクラスター発生で、一般人が感染することの危険を阻止するには、他の病気や怪我を無視しても構わない、という。

この粗っぽい、そして、優先順位の付け方が異常に偏っている主張は、どこかで聞いたことがある。

それが、地球環境問題だ。

ロジックの構造がソックリ同じなのである。
たとえば、いま開催中の「COP26]では、世界から政治家や経済人が会場のスコットランド・グラスゴーに集まっている。
ここで、「二酸化炭素削減問題」を協議するためだ。

しかしながら、蓋を開けてみれば、このひとたちは、400機ものプライベート・ジェットでやって来た。
そうした人物たちが、「旅客機の運航規制」を議論しているのである。

自分たちは「特別」だから、プライベート・ジェットを乗りまわすのは当然だけど、「一般人」は、効率のよい大型ジェットにも乗ってはいけないと考えている。

ちなみに、昨今の商用ジェット旅客機は「亜音速」で飛行する。
音速のやや手前の速度のことだ。
陸地に対する速度は、800~900㎞/時で、速度は地球自転による上空の「ジェット気流(ストリーム)」に影響される。

「音の壁」を破るため、燃費効率が極端に悪くなる「超音速」にはもうしない。

一方で、超小型のプライベート・ジェットは、せいぜい600~700㎞/時であるから、時速にして200㎞も「遅い」だけでなく、航続距離も短い。
つまり、遅い分、長く飛んで、その分排気ガスも長く出すし、途中途中で着陸して給油を要するのである。

すなわち、公共の交通機関を使いましょう、という理屈でいえば、プライベート・ジェットではなく、最新の大型ジェットにみんなで相乗りしましょう、と叫ぶことの方がはるかに現実的な「環境対策」になる。

けれども、このひとたちは絶対に言わない。
なぜなら、「特別感」がないからである。

プライベート・ジェットの特別感は、空港で味わえる。
特別な飛行機に乗っていることを、見せびらかすことができる満足感。
何よりも、「出入国審査」は、一般人とは別棟のビルで行うのだ。
一般人と同格にされる、ファーストクラスではとうてい満足できない。

まさに、王侯貴族になった気分を味わいたいのだ。

そう、大多数の一般人こそ多少の生活上の不便があっても、地球環境のために貢献すべき、と一方的に主張して、それを命令にしようと画策しているのだ。
そう仕向けるには、「恐怖」を煽ることが効果的だ。

人間が住めない環境になったら、人生も将来も元も子もない、と。

コロナが蔓延したら、人生も将来も元も子もない、と、いうのと「同じ」なのである。

それで、一般人は医療を受けられなくとも、(支配するものたちの)心配には及ばない。
人口が多すぎるから、多少の犠牲はただの「データ」にすぎず、一般人個々人の人生や幸福なんて、自分たちには関係ない。

ましてや、地球人口は多すぎるので、まったく考慮に値しないのである。

一般人が「不安」や「心配」を訴えても、「コロナの蔓延」とか「地球環境が壊れる」とかと、科学を無視して脅迫すればそれで済む。
そのために、マスコミにカネを払っている。

もし、「革命」が起きるとしたら、左翼によるものではなくて、「シン・名誉革命」になる。
なぜなら、大富豪たちが、「コロナ」や「環境」にかこつけて、左翼の革命(全体主義革命)を引き起こしてしまったからである。

まぁ、それ以前に、不道徳極まりないのであるけれど。

選挙予想が当たらない

昨日の続きである。
大統領選挙からちょうど1年。

そして、大統領選挙後にして初の「国政選挙」たる、州知事選挙が東部2州で実施された。
ニュージャージー州とヴァージニア州だ。
アメリカは、ふつうの「国」に当たる「州」が集まってできた「連邦」国家なので、住民目線では「州知事選」こそ、国政選挙なのである。

その州が条約を締結して「連邦」を形成している。
日本人の感覚にはないから、マスコミに欺されやすい。
それに、戦後一貫してアメリカの属国にあるわが国にして、アメリカを教えないという不当な教育がされてきた。
だから、あんがいと日本人はアメリカという国をしらない。

州が独立国なので、「州知事選挙」という言い方すら正しくない。
たとえば、「大統領選挙」だって、連邦上下両院議員選挙を同時にやるから、日本的には「トリプル総選挙」なのである。
州知事選挙には、さまざまな「選挙」が同時にある。
副知事選挙、州司法長官選挙、州務長官選挙、それに州議会選挙や検事も選挙で選ぶし、西部劇でお馴染みの保安官選挙もある。

アメリカは「民主主義の国」だとは知っていても、「長」がつく公職は、ほとんどが「選挙」の対象だと気づかない。
わが国でいう、「都道府県」とは「仕組み」がぜんぜん違うのである。
それに、議会だって、かならず「二院制」である。
わが国の地方議会は、すべて「一院制」だから、これもちがう。

「独裁」になりやすいのが一院制の致命的欠陥なのだ。
それで、面倒だけど、二院制にして、議会同士で牽制しあうように「設計」されている。
これを、「民主主義のコスト」という。
わが国では、議会の権限を議論せずに、議員数を減らすことばかりを議論して「コスト削減」に熱中するけど、お門違いなのだ。

民主主義の「必要経費」として、覚悟しないといけないのが「筋」なのである。
たかだか億円単位のコスト削減の挙げ句、兆円単位の無駄遣いに賛成されたら、国民の負担としてどっちがいいのか?

さてそれで、東部13州という独立建国の時の由緒ある「州」は、いまではほとんどが「民主党」が支配している。
往時の「国境」がそのままなので、広大な北アメリカ大陸の全体地図では、細かくてよくわからない。
現職知事の圧倒的有利、と予想されていたのに、共和党候補と大接戦になったのは、ニュージャージー州知事選だった。
その他の選挙でも、圧倒的なはずの民主党候補者が軒並み「苦戦」を強いられた。

マスコミ報道では、民主党現職の「僅差の勝利」を、あたかも「事実」のごとく言いふらしているけれど、まだ「確定」していない。
それに、例によって例のごとくの「集計マシン」60台以上が、なぜだか同時に不具合となって、不思議な得票数をアウトプットしている。

さらに、日本だと参議院にあたる州議会上院の民主党ベテラン「議長」が、なんとトラック・ドライバー歴25年という新人候補に敗れた。
「敗北宣言」したので、こちらは確定した。
まさかの「大番狂わせ」になったのである。

ちなみに、日本とちがって、「上院」は「下院」より「上」という棲み分けなので、敗北した議長とは、知事に次いで二番目の立ち位置となる。

ヴァージニア州では、もっと凄いことになった。
こちらも民主党元職知事の出馬で、圧倒的民主党有利と予想された選挙だった。

ところが、民主党は「4タテ」の敗北を喰らってしまった。
知事、副知事、司法長官、下院議会(過半数)、がオセロゲームのようにぜんぶ共和党になったのだ。

こないだ終わったばかりの、わが国総選挙と似ていて、アメリカのマスコミも今回の二大選挙の予想を「はずしまくった」ことになる。

これまでと何がどう違って、かくも予想が外れるのか?
日米ともに「統計」の基本を外した、としか考えられない。
すると、マスコミ内部にある「分析機能の劣化」ということになる。
どうして、「分析機能の劣化」が生じたのか?

少なくとも、原因が「マシン」ではないだろう。
むしろ、コンピュータと統計ソフトの進化の方を考えるべきである。
すると、残るは「人間」ということになる。
「大いなるヒューマン・エラー」が、原因としてもっとも有力になるのだ。

おそらく、マスコミ内部で影響力のある人が(複数でも)、「観たいものを見せる」ように要求したのではないか?
民主党の圧倒的勝利を観たい。

しかし、もしや?事前調査に協力した「有権者」が、心にもない回答をしていたら?
「恣意的な報道」を繰り返すマスコミに、一矢報いようとする暗黙の了解が多数の有権者の心にあったとしたら。
集計したデータ自体が、統計的には「汚染されたゴミ」となる。
そして、残念ながら、「ゴミデータ」からは、どんなテクニックを用いても、ゴミしか出ない、のが統計なのだ。

そんなわけで、日米ともに、選挙予測のための調査が、崩壊している可能性がある。

おそるべし、有権者、なのである。

バイデンジャンプから1年

ようやく共和党が選挙で勝った。

しかも、民主党の牙城、バージニア州知事選挙での快挙である。
なお、バージニア州というのは、建国13州のひとつで、首都ワシントンD.C.の「ベッドタウン」として知られる。

バイデン政権の不人気から、絶対的勝利を画した民主党は、「元知事」という強力な候補者を立てた。
このひとは、クリントン夫妻のそれぞれの大統領選挙で、資金調達を担当して頭角を現した。

対する共和党は、元カーライルのCEOで、経済界では有名人だが、政界ではまったく無名の新人だ。
けれども、トランプ氏が「お墨付き」を出して、いわゆる、「共和党・保守派」の候補として党内を制し、出馬に至った人物である。

何度も書くが、アメリカにおける選挙には、民主・共和の両党とも、「党内予備選挙」という手続きを経ないと、「正式候補者」にはなれない。
党員が自腹で党費を出して、党員たる権利を行使したがるのは、党内の候補者選出に参加できることと、自身が候補者になれるかもしれないのとのどちらか一方、または両方の理由があるからである。

昨年、自民党富山県連で、歴史上初の予備選をやって、富山市長選挙の候補者を選出したのは、この意味で「快挙」であったが、この度の衆議院議員選挙では、元の木阿弥になった残念がある。

新総裁にも、新幹事長にも、「予備選挙をやる政党になる」という覚悟も気概もない。
自民党が「国民政党」になれない理由が、これなのだ。

さてそれで、今回のバージニア州知事選は、来年の中間選挙、そしてその先の2024大統領選挙をにらんだ、「前哨戦」という位置づけで注目されていた。

だからこそ、政権党の民主党は、万全を期したのである。
その効があって、選挙緒戦における支持率では、まったくもって共和党候補をものともしない、「圧倒的有利」さを誇っていた。
しかし、投票日5日前ほどになって、情勢が変わり出すのである。

その理由が、公立学校において実施されている「進歩的」教育に関して、親の関与を認めるか認めないかの大議論が湧き起こって、「認めない」とする民主党の主張に、親たちが大反発したからだった。
保守主義の共和党は、当然に親の関与を認める、という立場である。

これが、「討論会」で拡散されて、投票日直前には、攻守が逆転したのであった。
それでも、民主党が得意とする「郵便投票」のキャンペーンは、怠らなかったから、開票が進んでも容易に「敗北を認めない」状況があった。

しかし、これがまた有権者の不信を買って、とうとう「敗北宣言」を出すことになって、決着した。

おそらく、これは、民主党の上層部には相当のショックを与えたはずである。
なので、一層、どんな手を次期選挙に使うものかと、警戒心を高めているのは共和党の方である。

また、この選挙とは別に、オハイオ州では、辞任した連邦下院(衆議院)議員の「補欠選挙」があった。
辞任の詳細な理由は不明だが、共和党でも「反トランプ」の議員で、来年の中間選挙に「勝てない」ことが議員辞職の最大の理由だという。

なぜなら、トランプ氏が推薦する党内候補が、すでに「予備選」に立候補していて、現職が予備選で敗退するという「恥」を避けたのだと解説されている。
本来ならば、中間選挙でのことが、1年も前倒しになったのである。

もちろん、前回の大統領選挙での「不正」がつぎつぎと明らかになってきていて、日本人には「今さら」と写るけど、アメリカ人の怒りはおさまらない。

最近では、ウィスコンシン州で、認知症の老人たちが集団で郵便投票していたことが発覚した。
本人たちにはもう確認できない、というほどの症状があるひとたちだった。

残念だが、自分の名前も、マークシートを塗りつぶすことも、もうできないひとたちなのだ。

気がついたのは家族で、問い詰めたところ、選挙管理委員会が選挙違反をしていたと騒ぎになっている。
こうしたことが、各地で発覚していて、民主党支持者ですら「不正に怒っている」のだ。

こうしたことに小まめに、トランプ氏もコメントを発表している。

それがまた、トランプ支持を拡大している。
反トランプのひとたちが、予備選に立候補すら辞退しないといけないのは、よほどのぶ厚い支持が、わかりやすい状態になっているからにちがいない。

わが国のように、党の幹部が決めるとか、無所属で立候補したのに、当選したら「追加公認」するというのは、予備選がないことのご都合主義が、有権者を無視できるからである。

つまり、自民党もどこもかしこも、ぜんぜん「民主主義」ではないのだ。

こうしたことが、見えてきた1年であった。