「ぐみん」で『打つわ』

A.I.による自動化が、人知を超えて暴走することがある。

ふつうなら、BANされるのではないかと思えるような、「危険」をすり抜けて、どうしてか「お薦め」で登場するのである。

それとも、牧師という職業における布教活動だとして推薦されるのか?

なんであれかんであれ、HEVENESE(天国民)がまじめにパロって演奏している、テーマの「ぐみん」による『打つわ』がユーチューブに登場した。

ただし、天才的な替え歌作詞家はほかにもいて、もう1年も前にアップしていたことにようやく気がついた。
これはこれで、上の「ぐみん」のおかげでもある。

オリジナルが大ヒットすると、たいがいその替え歌も大ヒットした。
まさに、「表・裏」をなしている。

替え歌の歌詞にはかならず「毒」があって、いいにくい世相やらを皮肉っているのも共通なのである。

わたしのお気に入りは、アラブ圏に石油プラントなどを建設にやって来た日本人の悲哀を歌った、『ホルムズ海峡・砂景色』という名曲だ。
もちろん、石川さゆりのこぶしがきいたあの曲、『津軽海峡・冬景色』(1977年、作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)がオリジナルである。

成田発の夜行便を 降りたときから
アブダビ空港は砂の中
西へ帰る人の群れは 誰も無口で
風鳴りだけをきいている
私もひとり 連絡バスに乗り
眠たそうなラクダ見つめ
泣いていました。
ああ ホルムズ海峡砂景色

ごらんあれがオマーン岬 南のはずれと
見知らぬアラブ指をさす
砂でくもる窓のガラス ふいて見たけど 
はるかにかすみ見えません
さよならあなた 私は帰れません 
砂の音が胸をゆする
泣けとばかりに
ああ ホルムズ海峡砂景色

さよならあなた 私は帰れません
砂の音が胸をゆする
泣けとばかりに
ああ ホルムズ海峡砂景色

これを宴会の最後に必ず泣きながら歌っていた。
まさに、当事者たちにとっては笑えない、望郷の歌、だったのである。

しかして、砂漠ばかりで無価値と評価されていた、アブダビやドバイが大発展して、いまでは世界のセレブたちが「息抜き」ばかりかビジネス談義に花を咲かせる場所になっている。

もはやニューヨークでも東京でもない。

この半世紀もない時間でのことだから、『ホルムズ海峡・砂景色』を泣きながら歌っていたひとたちの努力の成果となっているのである。

それに比べて、「ぐみん」の歌の哀しさは、ほんとうに笑えない。

演奏しているHEVENESEは、和楽器もふんだんにあるバンドだが、なにせ本業が牧師なので、プロテスタント(キリスト教原理派でもある)なのである。

カソリックが批判されたのは、その通りのヤバさがあったからではあるが、対するカルヴァン派の過激かつ厳格度がはんぱなくて、脱落者を責め立てたのもずいぶんなことだった。

そんなことから、マックス・ヴェーバーがいう、資本主義の精神が生まれたとは、わたしには思えないし、そもそも資本主義なるものはこの世に存在するのか?という疑問すらある。

中世以来、儲かればよい、だけの世界ではないのか。

これを、「ぐみん」が皮肉っていると、とりあえず解釈することにしたい。

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