「自由納税党」と揶揄されても動じない

22日、衆議院予算委員会で、鈴木財務相が答弁したことについての、SNS「X」に投稿された絶妙な反応である。

質問者は、立憲民主党の大西健介議員で、質問は、政治資金報告書に記載がなかった収入のうち、政治活動に使わなかった残額を個人の雑所得として確定申告して、さらに、納税するのかどうか?であった。

論として、納税するのかどうか?は、確定申告によって決まるので、大西氏は自身で確定申告したことがあるのか?と軽く疑う質問ではあった。

その答弁は、「使い残しがある雑所得で、控除で引ききれない部分があるという判断の中で、納税をするという可能性としてはあると思う。疑義が持たれた政治家が政治責任を果たす、そういう観点から判断されるべきものであると思う。」とした。

これをもって、「納税は議員の判断」という記事が出回ったのである。

さらに、記事は1日遡って、21日、鈴木大臣は、確定申告が始まった税務署窓口に苦情が寄せられていることについて、「税務署等の現場で担当者が大変苦労しておるということについては、本当に私としても申し訳ない」と答弁していた、とあたかも上記の発言と関連するかのように書いている。

もちろん、「裏金問題」ということに関しては関連しているけれど、この鈴木善幸氏の息子の、親子二代にわたる頭の悪さを、悪意をもって書くから、読解力のない読者には、「憎悪を焚き付ける」役割しか果たしていない、凄まじきプロパガンダである。

また、財務官僚も、この頭の悪い大臣をスケープゴートにすべく、ぜんぜんフォローしないのも、じつにけしからんことだ。
腐っても「大臣」なのである。

当ブログは、自由主義に基づいているので、いまの我が国の政権与党や政府機能に関しては、ぜんぜん評価していないし、むしろ、反政府的立場であることを念頭に、以下、鈴木大臣の頭の悪さと、記事の悪意について書いておく。

第一に、この大臣は、国会の場を、立法機関での行政官としての発言であるとどうやら認識できていないのだ。
この点について、質問者の大西議員も怪しいから、追求が甘くなっている。

なお、国会における政府答弁は、最高裁判例と同様に、法的拘束力を持つ。
ついうっかり忘れがちなことではあるが、「国会=立法府=国権の最高機関」だから、ここで政府側が言ったことは、議決がなくともそのまま法的根拠をもつから、とんでもなくわれ我の生活に密着している。

これほど重要なものだという認識が国民にないのは、支配層が好きにできるように、国民を教育しないからである。

さて、少なくとも、予算委員長は鈴木大臣の答弁を許可する(何人も委員長の許可なく勝手に発言することは許されない)ために、「財務大臣」と委員長がコール(指名)してから、鈴木氏は答弁に立っている。

つまり、このとき、鈴木氏が最優先する立場は、あくまでも「財務大臣」としての発言だということが、「法的」に規定されているのである。

それを、あろうことか、一政治家(議場にいる議員)の立場で、自民党の同僚議員たるくだんの人達の立場について忖度した発言をしてしまったのである。
そのために、財務大臣としての「税の考え方」と混同が生じた。

それで、前段の、「使い残しがある雑所得で、控除で引ききれない部分があるという判断の中で、納税をするという可能性としてはあると思う。」になったのだろう。

しかし、もはや「事件」となっている事案なので、『マルサの女』の記憶がある国民からしたら、「マルサ」が強制査察して当然、との想いが国民にはある。

何せ、検察が断念したくらいだから、(正義の)頼みの綱はマルサしかないとの思い込みが特に本作を劇場で観た高齢者ほどあるだろう。

これを、この頭の悪い老人は、思いつかないのか、思いつかないように役人からなにか命じられているのかは知らないが、もしや、国民のガス抜きに役人が用意した「マルサの抜き打ち査察」を台無しにしてしまったのかもしれないので、役人がフォローしないのか?

それが後段の、「疑義が持たれた政治家が政治責任を果たす」という答弁で、対象となったご同僚たちに、自主的に申告せよと、「逃げ場」の大ヒントをあろうことか、「国会答弁」で与えたのである。

果たしてこれは、武士の情けなのか?

そういえば、父君の善幸氏も、政界に嫌うものがいなかった(「無能」の烙印があった)ために、「総理になっちゃった」人物であった。
ところが、これが、意外にも、当時として「長期政権」になったのは、60点内閣として、可もなく不可もなく、だったからである。

なんだか、『沈黙の艦隊』における、「竹上総理」のようなのだのだけど、よほど竹上氏の方が頼もしい。

いま、鈴木善幸内閣の業績を思い出せるひとがいかほどいるのか?
わたしには、単なる時間潰し内閣であったので、日本国民は、絶対に取り戻せない「時間資源」を浪費させられたのである。

この意味で、頭は悪いが、ひとがいい、というDNAはありそうだ。
もちろん、国民に対してではなく、目に見える範囲の人間関係だけでだけど。

そんなわけで、「納税は議員が判断」と掻き立てるマスコミの悪意に満ちたプロパガンダは、あたかも、共産党の主張が当然とするお里がしれる煽りとなっている。

なんにせよ、わが国の国家統治の体制は、とうに「金属疲労」を起こしていて、この体制を一回捨て去るしかないところにまできている。

この千載一遇のチャンスを、全体主義者たちが舌なめずりして狙っているのである。

自然崩壊では被害甚大となるので、自由主義によって計画倒産させるのが、唯一の選択肢なのである。

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