A.I.の営利企業独占に反対する

『2001年宇宙の旅』で衝撃的だった、A.I.(当時は「人工頭脳」といっていた)の完成形、「HAL9000」が、あたかも「いまのA.I.」なのだという、変な思い込みをするように仕向けられている。

残念ながら、「HAL9000」のような本物のA.I.を作れるレベルにぜんぜん到達してはいないし、この意味で、いまのA.I.は、「HAL9000」に比べて幼児レベルでもないまったく別物である。

数ある人間とコンピュータとの戦いで、この映画が描いた「HAL9000」は、あたかも、人類初の殺人「カインとアベル」のような、コンピュータによる歴史上初の殺人を、えらくリアルな映像でみせたのだった。

旧約聖書『創世記』第四章をしっていたら、上の「カインとアベル」を想像する必然があるので、欧米人たる作り手はそれを念頭においたにちがいないが、旧約聖書にも仏典にも興味がない現代日本人には、制作者の意図に構いなく、単に「何が起きたのか?」ということだけに神経が集中した。

それで、コンピュータが最大進化して人間と同等の価値基準や判断基準をもったら、もしかして怖いかも、と想像して済んだのは、制作された1968年では当然であった。

しかし、いま、ほとんどのひとがポケットにスマホをいれて歩いている状態で生きているので、もはや想像して済むということはなくなった。
なにしろ、スマホにだって、A.I.をダウンロードして利用できる時代になったからである。

しつこいが、それは、「HAL9000」とは別物なのである。

アプリによっては、無料で使えるけれど、有料で「トークン」を買わないといけないものもある。

端末代だけで、人生で70年つかうなら200万円ほどになるし、これに通信・パケット代もかかるが、さらにトークンの負担もしないといけないなら、これだけで「重税」とおなじ、可処分所得を減らす効果がある。

目に見える表面しか見ない、という安楽な生活をしていると、だんだんと脳が劣化して、ややもすると「かんがえる」という行為を脳が拒否するという状態になる。

症状としては、気分が悪くなったり、短気で面倒くささに覆われたりするのだが、これこそ自分の脳が活動することを拒否している、驚くべき状態なのである。

一方で、その物理的原因に、腸内フローラの崩壊が指摘されている。

大腸(じつは小腸も)の共生菌の構成は個人差があるというが、共生菌の活動がちゃんとしていると、脳内物質が平常通り分泌されて、脳の活動も平常を保てるが、共生菌の活動が弱まると、脳の活動も弱くなることがわかってきたからだ。

なにせ、脳内物質は、腸でだけ合成されるために、腸が「第二の脳」といわれる根拠となっている。
これらの物質が、脳内の機能性を発揮するから、不足でも過剰でも、人間の判断力を狂わすのである。

これはコンピュータでいえば、プログラムの作動機能のことである。

すると、「HAL9000」だって、誰がマシンを設計し、それにプログラミングしたのか?ということが、あの殺人のほんとうの「犯人」なのである。
これを、はるか未来の、『マトリックス』では、「アーキテクチャ」の登場で明らかにした。

そんなわけで、いま「A.I.」と呼んでいるものも、ぜんぶ「プログラム」でできている。

しかしながら、ひとつの大問題が発生したのは、オープンソースだったはずの「チャットGPT」が大手企業に買収されて、いまや「A.I.」が世界で数社だけの提供にならんとしていることなのである。

「HAL9000」とは別物とはいえ、いまのA.I.レベルでも、「独占」あるいは「寡占」されることは、多数にとって大変なリスクを負わされることは確実である。

そこで、あのイーロン・マスク氏が、A.I.の独占に反対する裁判を起こした。
彼がかんがえる深刻さは、A.I.が全人類の厄災になりかねない、という懸念なのだ。

せめて、「OS」とおなじようにしたい、ということだろう。

「ウインドウズ」、「マックOS」、「クロームOS」、「ユニックス」が、大手企業のものだけど、「リナックス」はオープンソースとして健在だ。

日本が誇る、「TRON」は、パソコンではなく、「IoT機器」で圧倒的な世界シェアとなっていて、これもオープンソースなのである。

じつは、ウィンドウズはリナックスから作られているし、マックOSはユニックスからつくられているけど、リナックスそのものもユニックスから派生している。

そんなわけで、「ウインドウズ」、「マックOS」、「クロームOS」を提供する3つの大企業は、どこもグローバル全体主義=共産主義をきっちり標榜してはばからないでいるので、A.I.をなにに用いるか?は、かなりディストピア的だと容易に想像できる。

あいもかわらず、「Line」を住民に使わせる自治体は論外として、危険を承知でも顧客に使わせる努力をする大企業が絶えないのは、グローバル全体主義の大株主に逆らえない取締役会の決定事項なのである。

ここに、「企業倫理」や「企業の社会的責任」をいっても無駄な、資本構成、という問題が発生しているのである。

ちなみに、こんなありさまを「資本主義の終焉」とかいうひとがいるけれど、「資本主義」なる用語は、マルクスが共産主義を説明するために発明した、「アンチテーゼ」だけの意味なし言葉であるから、惑わされないようにしないといけない。

資本主義の段階に、人類はまだ到達してはいない、とアイン・ランドはいったが、わたしは、江戸時代から日露戦争までの日本が唯一資本主義を体験したとかんがえている。
そんな日本人も、第一次大戦の「大戦景気」で、拝金主義がはびこって、資本主義を殺したのである。

結局、消費者が立ち上がるしかないが、腸内フローラの崩壊を目論む食品工業の化学調味料・添加物によって、かんがえることすら億劫にさせられている。

すでに、ディストピアは現実なのである。

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