宿泊業は日産・スバルを嗤えるか

自動車の「完成検査」が,無資格者によっていたことですさまじいリコールとなった日産の損失は250億円と報道されている.
宿泊業で,主力商品である客室の商品化作業である清掃の完成検査を,「インスペクション」という.また,インスペクションを行う係を「インスペクター」という.だから,宿泊業の現場責任者として,もっともお客様に近いのはこの「インスペクター」である.インスペクターが清掃作業を終えた部屋にはいって,インスペクションをおこない,合格となった部屋が「販売可能部屋(Vacant)」となる.当然だが,フロントでは,販売可能部屋しか販売しないから,お客様がチェックインして未清掃部屋に入室することはありえない.
しかし,案外と清掃についてのクレームは絶えない.つまり,お客様から「未清掃」あるいは「未整備」であると指摘されてしまうのだ.これは,インスペクターの仕事が成立していないということであるから,リコール対象になっておかしくない.さいわい,宿泊業の客室は自動車のように動かないから,お客様の生命に危険はない,とはいえない.電気器具の不具合で感電してしまうかも知れない.にもかかわらず,宿泊業界でこの問題は軽視されてはいないか?
本稿では,掘り下げて考察してみたい.

なにをもって販売可能部屋なのか?

案外と定義されていない.
販売可能部屋を考えるとき,まずは,販売不可能な状態を考えてみよう.
a.きちんと清掃できていない
b.設備・備品に不備がある
c.フロント手渡し以外の,事前荷物が搬入できていない
の三パターンである.
それでは,詳細に分析しよう.

a.きちんと清掃できていない

キーワードは,「きちんと」である.つまり,きちんと清掃できている状態とは,どんな状態なのか?ということの取り決め,すなわち作業指示が存在するという意味だ.
「それなりに」ではいけない.清掃という作業を通じて,主力商品をつくっているのだから,「きちんと」できている状態でなければ「商品」ではない.
では,作業指示とはなにか?上司が部下に作業前,「きちんと清掃してください」と言えばそれが作業指示になるのか?を考えてみよう.おおくのひとは,そんな一言だけでは作業指示とはいえない,とこたえるだろう.つまり,ここでいう作業指示とは,作業手順や作業方法などが,誰にでもわかりやすく説明した資料があるか?ということだ.
ここまでくると,案外あやしくなる宿泊施設は多いだろう.立派な日本家屋建築のばあいはなおさら,一部屋として同じ間取りがないことが普通であるから,そうなると全部屋の作業指示(書)がなくてはならない.
「そんなもん,いちいちありませんよ」という声が聞こえてくるが,ここまで読んでもそれでいいと言い切れるか?
もう一度,日産問題を振り返ってもらいたい.全車種が対象なのだ.それで「そんなもん,いちいちありませんよ」では,およそ世間に通用しない.つまり,宿泊業でも本来通用しないのだ.
それではどうすればよいだろう.
管理の対象はまず,「清掃状態」なのであるから,理想的な状態を保存することが第一歩だ.写真や画像で「保存」できる.次に,その状態にするためのうまい方法があればよい.典型的なチェックアウト状態から,理想的な状態にするためのうまい方法は,職場にいるベテランの模範作業が参考になるだろう.これは動画が役に立つ.
こうした資料を材料にして,もっとうまい方法を検討することで,作業者達の能力は格段に磨かれるにちがいない.その努力をいかに賃金に反映するかも,経営者の仕事である.

b.設備・備品に不備がある

清掃作業を通じて,お客様が滞在中の状態をつくることが第一歩である.
上記a.でもいえるが,椅子があれば椅子に座ってみる,座敷であれば座ったり寝転がってみると,目線と光線の具合から,清掃洩れ箇所を見つけることができる.
水回りや電気器具は,必ずスイッチを入れて作動確認をするのは常識であろう.このなかで,不具合があれば施設・整備班の出番である.
ところで,設備・備品の納入時期に基づく管理表を作成している宿泊施設も,中小規模になるとあやしくなる.
たとえば、蛍光灯なら一年交換.一般家庭でもおこなう年中行事ではあるまいか.一斉交換の対象と本数がわかれば,当然,年度予算化しなければならない.このような管理表は大変便利な道具になるが,ひとつ,経営者のなかで勘違いしているひとがたまにいる.それは,予算は予算(計画)であることを忘れ,必ず使おうとする.あるいは,厳しい資金繰りから,全否定してしまうことがある.この場合,資金繰り表もないことが多い.つまり,場あたりだけの対応になることだ.
もう一つ,忘れがちなことは,日本製品の品質の高さゆえに,所定の期間がすぎると,一斉に不具合を起こすのだ.上述の蛍光灯の事例も同様である.だから,切れてしまってその都度応対するより,一斉に交換するように計画したほうがコスト的にも安くなる.テレビやエアコンも,一斉に不具合になると考えたほうがよい.ましてや,水回りは高額出費となるので積立など,工夫が大切だ.

c.フロント手渡し以外の,事前荷物が搬入できていない

小さな旅館など,部屋数が少なければ問題はない.一つずつの搬入物と部屋の一致が容易だからだ.しかし,これが巨大で高級なホテルとなると,難易度はいっきに高くなる.

ここで対象となる事前手荷物とは,本人が到着前に預けた物で,ホテル気付の郵便物や宅配便,FAXや外来者が持ちこんだ預かり荷物などといった種類がある.そして,その物を預かる時期すなわち日付や時間が異なるのも特徴だ.つまり,五月雨式にバラバラで集まってくるのだ.これが第一条件である.

次の条件が,客室番号がいつ決まるのか?という問題がある.一般に,近代的ホテルの建築は鉄筋コンクリートなどのビルディングだから,各階ごとを縦にみれば,同じ構造の部屋が複数あることになる.だから,「特別室」を除けば,一つ一つの予約に部屋番号を割り振るのは,その日の予約がほぼ確定してからの作業にした方が合理的である.また,フロアーごとにメンテナンス作業をすることもあって,売れない条件の部屋もあるから,予約数と販売可能部屋の数が把握できるのは,前日やお客様到着の直前に部屋を割り当てるのが,もっとも間違いない.もちろん,事前に荷物を入れなければならない部屋は,優先して部屋番号を決めなければ係のものは搬入物を入れることができないのだが,それでも当日に部屋番号が決まることが多いだろう.

以上からわかるのは,荷物が届くステージでは,部屋番号が決まっていないから,お客様の名前と受領した日付での管理となり,当日に部屋番号が決まると,お客様の名前・日付管理から部屋番号管理に転換することになる,ということである.この「転換」がミソなのだ.つまり,受領した日付ごとに様々な荷物がある状態で,その中から当該のお客様の名前からピックアップする作業と,ホテルが受け取りごとに発行する伝票(この伝票も荷物に添付する)をつき合わせて確認する作業が発生する.こうして,「確認」ができたら,係の人間が事前に部屋へ搬入することになる.

さて,ここで客室という商品の完成検査に話を戻すと,検査員であるインスペクターは,客室に事前搬入された物品について,添付されている伝票からチェックインが予定されているお客様の名前の確認はできるが,数の確認ができないのだ.まして,搬入作業をしてから追加で荷物が届く場合もある.

このように,完成検査に穴があいている.

 

大企業の不祥事を予言したガルブレイス

不正が企業文化になるということ

2017年、日産自動車で全社をあげての完成車検査においての不正が発覚し、それからしばらくして、神戸製鋼でも品質検査における不正がグループ会社を含む全社をあげて発覚した。
さらに、この二社に共通していたのは、発覚後、企業トップすなわち社長による謝罪会見で適正化を約束したにもかかわらず、不正を継続していたことが再び発覚したことである。

マスコミは一斉に「日本のものづくりの劣化」とし、神戸製鋼の「手口」が記事となって報道されている。(*注:産経,2017.10.2)
問題なのは、手口ではない。「なぜ不正が行われたのか?」につきる。
神戸製鋼では、40年以上にわたって不正がおこなわれ、手口については先輩から後輩へ申し送りされていた、というから、まさに不正が企業文化になっていたといえよう。つまり、不正してできた製品が、社内では「正規品」になるということだ。このことは、不正がJIS規格品にまで及んでいたことからも明らかである。
日産の場合は,「社内資格者」とはどんな「資格」なのかがわからないが,組立工程ごとに品質管理されているのが日本のものづくりの常識だから,そもそも「完成車検査」とはどんな専門知識を要するのか?外部からは不明である.また,輸出向けでは問題になっていないことも不思議である.
すると,もしかしたら,機械(メカニズム)主体だった時代の尾てい骨のような義務が国内販売だけで適用し続けていることなのかもしれない.

今年の最新型アウディは,全車がネットでドイツ本社に接続されており,不具合もドイツ本社で把握できるシステムが採用されている.つまり,メカニズムも各種センサーによって監視されているということだ.すると,一体,完成車検査とは人間がなにをすることなのか?という疑問がふくらむ.
これは,役所(国土交通省)によるムダな作業の強制の例なのかも知れない.
だとすれば,神戸製鋼の事例が,文化的要素としてはより深刻だといえよう.

ガルブレイスの「新しい産業国家」

資本主義における「成熟した法人企業」の現実の支配者は、「テクノストラクチュア」である、というのは1968年にガルブレイスが『新しい産業国家』で主張したことだ。「テクノストラクチュア」とは、高度な科学知識を持った専門家という意味である。企業内技術官僚とでもいうべきか。誤解をおそれずにいえば、日本の大企業が採用する、文系・理系を問わず「総合職」あるいは「幹部候補生」のなれの果てといってもよかろう。
ガルブレイスは、資本と経営の分離が一般化したなかでの「成熟した法人企業」が追求する企業目標は、「テクノストラクチュア」自身の安全であり、そのために成長が望まれるという。利潤は「テクノストラクチュア」の安全に必要な最低限をこえるかぎり、成長に次ぐ第二義的なものでしかないから、「テクノストラクチュア」の刺激誘因は金銭的なものではなく、組織との一体感とか組織を自己の目標にあわせるという適合であるという。

これは、経営と労働の対立という伝統的概念ではもう古いから「新しい」産業国家なのでろうが、そこに「テクノストラクチュア」という社内でかたまった集団による企業簒奪が新しいのだ。つまり、新しい形での企業の「人民管理」なのである。
ところで、このような大企業の形式的な経営者は誰なのだろうか?
資本と経営の分離が一般化した社会では、経営者とは、資本家すなわち株主から経営を委嘱された人々を云う。欧米企業に比して、日本企業は企業内昇格によって経営者になるのが一般的であるから、その出自はまずまちがいなく「テクノストラクチュア」ということになる。
この点、ガルブレイスは、『新しい産業国家』の日本語序文において、この本が欧米の経済学主流派よりも、「マルクス」に基盤をおく日本の経済学主流派に、より剴切(しっくりする)だろうということの一つだろう。
しかし、議論をここでとめるわけにはいかない。
冒頭の、わが国を代表する大企業二社の事例のすべてを説明できないからだ。

なるほど、「テクノストラクチュア」による企業の簒奪は、その目的が「テクノストラクチュア」自身の安全であり、組織との一体感だとすれば、不正を実行したことの動機としてあり得る。面倒な規格を遵守しなくても、厳格な品質管理を怠っても、大事なのは組織の一体感かもしれないし、「テクノストラクチュア」としての高度な知識からすれば、そんな規格や品質基準など「過剰である」と厳密に定義してしまえば、それこそ組織を自己の目標に適合させることになる。さらに、発覚リスクをかかえれば、そこに一体感も醸成できる。また,品質水準に関与できる職務は,一般職ではあるまい.つまり,社内では管理職にあたる層だとすれば,ここに自己保身と一体感が醸成されることはむしろ自然の成り行きだろう.
そして、発覚して会社が損を被っても、利潤は「テクノストラクチュア」の安全に必要な最低限を越えればいいから、経営陣による社会への謝罪会見などどうでもいいのだ。当然に、「テクノストラクチュア」の安全とは、正社員としての身分保証である。
しかし、それでは、「テクノストラクチュア」出身の経営陣の「無知」はどうしたことか?かれらは嘘をついているのだろうか?
おそらくそうではあるまい。
これは、「身分」にかかわる「断絶」が発生しているのではあるまいか?

「身分制度」こそ現代日本の姿である

会社法に定めるように、従業員と経営者では身分がことなる。そのため、大企業では、従業員から経営者に昇格すると、「会社都合」として退職金が支払われる。そして、いったん個人となってから、改めて株主総会で取締役に就任することになる。使用人の身分から、使用者への転換である。この瞬間に、高度使用人である「テクノストラクチュア」の世界から、追放されるのだ。
もちろん、社内は「テクノストラクチュア」が支配しているから、追放された経営者は、自らが欲する経営情報を得ることができなくなる。そこで、たいがいの大企業では、「社長室」、「経営企画部」などといった、選ばれた「テクノストラクチュア」たちが、事実上の司令塔になり、経営者役員たちは、彼らの手のひらの上で踊ることになる。もし、社長が何かを命令しても、その実行計画を細部にわたって策定するのは「テクノストラクチュア」たちだから、本人の意図しない結果になることもある。また、その命令の内容が、「テクノストラクチュア」の安全に抵触するなら、おそらく、経営者がおもいもつかない理由(実は説得力がある)を指摘されて、当初からすれば骨抜き案になるだろう。
こんな内部事情があるから、不正を正常化する課程を自助努力で解決できない。なぜなら、それは「テクノストラクチュア」を最低でも二分することになるから、組織との一体感を重視する「テクノストラクチュア」は動かないのだ。もし強行すれば、社内は複数の派に分裂し、統治が困難になるだろう。そこで、日本の大企業は、外部専門家に依頼するしか方法がないということになる.

神戸製鋼の社長は、すでに体調をこわしてしまったらしいが、「テクノストラクチュア」からの追放の意味をかみしめればかみしめるほど、役員就任以来の自己の人生が虚空に満ちたものであると実感するしかない。精神的なタフさが求められる正念場だ。
日産自動車の方策は、かなり強制的で、自動システムを構築して不正をなくすらしい。この「自動システム」が内製なのか外部製なのか不明だが、外部製でなければならないと推測する。内製だと、それを開発させられる「テクノストラクチュア」部隊が、将来、派閥的いじめにあう可能性がある。自動化がアウディのような仕組みだとしても,既存の検査資格者の特権が問題になる懸念である.
ちなみに,日産がルノーの支援を受け入れざるをえなくなったとき(つまり事実上の倒産),「技術の日産」がテレビのCMで流れていた.お客様目線からすれば,これは提供者の論理になると批判されたものだ.ところが最近,このフレーズが復活していた矢先の事件発覚である.「テクノストラクチュア」の復権の象徴だったのかもしれない.