世の中「人手不足」である.
しかし,どんな人手が不足しているのかについて,あまり話題になっていない.
じつは,人手も二極化しつつある.
熟練を要しない単純労働者と,熟練の職人もしくは知的な高度な専門家である.
「しつつ」であるから,中間がある.それは,中途半端な熟練,なのだ.
中途半端になる理由も二つある.
会社都合と自己都合である.
残念なことに,会社都合で中途半端な熟練を産み出していることがある.将来も,会社都合での中途半端な熟練は一時的にでもふえる可能性があるとかんがえている.
なぜなら,「中途半端な熟練」とは,自社内でしか通用しない,という意味があるからである.
会社にとっては,使いつづけることができるというメリットがある.自社内でしか通用しないのは,いずれ本人も気がつくときがある.「転職」を希望しても,行き先がなくてできないという現実がやってくる.だから,退職しない.そのうち「転職」をかんがえることすら忘れるだろう.
これを,暗黙のうちに企業が仕掛けているのだ.従業員の囲い込みである.
もちろん,こんな企業が長く存続できるのか?となると微妙だろう.だから、一時的,とした.
会社の犠牲になる人生
なにも過労での自殺者やうつ病発症者だけが被害者ではない.もっとたくさんの「被害者」がいるのだが,本人が被害者だと気づいていないこともあるから,あんがいやっかいな問題である.
本人が気づかないのは,ぬるま湯,という環境もある.自己研鑽しようとなかろうと,なんとなく人生をすごしてしまえる「環境」があれば,とくにがんばる必要もない.中途半端な熟練,は技術系だけでなく,いわゆる事務系や営業系でもおなじである.むしろ,これらの職種のほうが,社内でしか通じないことがおおいだろう.それは,「社内文化」に精通すればするほど顕著になる.
超高齢化という現実から,政府ものがれることはできないから,そう遠くない将来に,定年の位置づけがかわると予想できる.
年金支給年齢を,とにかく先延ばしにしたい政府からすれば,65歳や70歳,はたまた75歳定年制ということもあり得るはなしである.もはや,民間の定年制度と年金支給年齢はセットである.だから,伝統的な日本企業は,かなりの長きにわたって「中途半端な熟練」をかかえこまなくてはならなくなる運命にある.
その準備が,一般社員の定年をとっくにこえて,「安全地帯」にのがれられたと一安心している現在の経営層は,怠らずにできているのだろうか?どうも,そういうふうにはみえない.
これらの伝統的な企業には,「社史」という社内文化まであるから,下手をすると,未来にわたって「社史」において汚名を負わなければならないのだが,そんな歴史観もないかもしれない.まぁ,会社が消滅すれば,「安全地帯」にいたぶん得だということか.
自己防衛という手段
そうなると,たとえ正社員であろうがなかろうが,どうやって「ちゃんとした熟練」になるのか?すなわち,いつでも転職可能な一人前,になるのか?という問題が,すでに年齢をこえて突きつけられているということだ.
若いひとほど敏感で,たとえば,有名調理師学校では,もはや優秀な生徒ほど大手ホテルへの就職を嫌っているという.一人前になるための時間が長すぎる,というのが理由だときいた.
それに気づいた学校側は,外国の「星」があるレストランや,有名料理人との間で提携し,最優秀生を留学させ,将来のオーナー・シェフへの道をバックアップするという.こうした,「実績」が,少子のなかから自校が選ばれるためのブランドとして磨いているのだ.
若者も,調理師学校も,どちらも自己防衛のためにやっている.
ふつうの「サラリーマン」こそ,どう生きのびる?が問われる時代になった.