生物進化の過程で、海(水中)から陸に棲家を増やそうとして出てきたのが、両生類であった。
もちろん、その前には、海水から淡水(河川)への適応という「画期」があった。
「浸透圧」がぜんぜんちがうからである。
鮭にしろ鰻にしろ、川と海を行き来するのは、とんでもない「身体能力」だといえる。
むかしは都会でも、ちょっとした植え込みとかには「アマガエル」がいて、梅雨時の雨降りの日は紫陽花の葉の上でじっとしていたものである。
トノサマガエルは、やっぱり珍しかったけど、見つけると男子たちには大興奮の材料になった。
それで、残酷なことが大好きな子供たちは、いろんな「実験」をやったのである。
当時のおとなならみんな喫煙者だったので、家にはタバコがあった。
それを一本失敬してカエルに咥えさせると、「吸う」ばかりで「吐く」ことをしない。
お腹がどんどん膨らんで、とうとうパンクして白い煙が立ち上がるのを、期待しながらじっと見ている。
「命は大切だからやめなさい」とか「かわいそう」という不粋なおとなもいなかった。
そこまで考えていたのかとは思うけど、あんがいと冷静で、「子供時代にどれほど生き物を殺したか」で、正気のおとなになることを知っていたのではないか?
なぜなら、子供は「痛み」を知らないからである。
他人の「痛み」を意識できるようになることを「成長」というのは、植物にせよ動物にせよ、これを食さないと生きていけないからでもある。
つまり、食べるために「殺す」ことを日常的にしているものを、どういうわけか「死とは関係ない」ことが、スマートな暮らしになって、とうとう「偽善」が横行してそれが「善」になってしまったのである。
これを、「きれいごと」といって、むかしは「蔑んだもの」だけど、いまは「きれいごと」をいわないと蔑まされるようになったのである。
「 S D G s」も「脱炭素」も、なぜかL G B Tと対立する「フェミニスト」も、同じ穴のムジナである。
このことは、「お笑い」にも現れて、さいきんの芸人に「芸がない」のではなくて、「毒」がなくなったのである。
よほどのことは許された、ヨーロッパ中世の「道化(宮廷道化師)」が、絶対君主を相手にも「本音」という「毒」を吐けたのは、君主の「気量」の証明でもあったけど、バランスが取れることのメリットもあったろう。
その意味で、身分こそ最低だったが、「気転」と「(文学や故事などの逸話を材料にした)比喩」をむねとするその頭脳は明晰でないと務まらない。
我が国には、「道化」こそいなかったけれど、「猿楽」から「狂言」になって、同じように「毒」を吐いていた。
そして、その「芸」を、為政者たちも自ら演じて楽しんだのである。
信長の「幸若舞」がどんな調子でどんな踊りだったのか?いまでは失われてしまったけれど、戦国武将たちもあんがいと「芸達者」だった。
それが秀吉の小田原征伐で、時間稼ぎの暇つぶしにかこつけた一大「隠し芸大会」になったのであった。
さて、元厚生省の役人で、医学博士の中村健二氏がネットで語るなかに、このブログで主張してきた話がたっぷりある。
P C R検査による「診断」の問題や、その検査のブラックボックス状態への危惧とか、あるいは「死亡者数政府統計」の信頼度のなさとか。
これらの多くが、WHOの「通達=事実上の命令」によるという指摘と、「新しい病気が利権になる」ことは、事実なのである。
この「利権」には2種類あって、学者にとっての「論文」が有利・不利になることの利権と、「新薬」の利権である。
たとえば、既存の薬でも、「効能」に新しい病名を入れれば、それだけで売れるからである。
時間経緯の中で、この「病気」への対処法が「臨床」で理解が進んだという指摘は重要だ。
かつてのドイツ医学が「原因追求」にこだわって、陸軍軍医総監だった森鴎外が、「脚気」の対策に失敗して万人単位の死者を出した。
対する、英国医学は「臨床」重視で、海軍軍医総監だった高木兼寛(東京慈恵医科大創立者)は、とにかく死者数を減らしたのだ。
ために、ドイツ医学を基礎とする東大医学部との対立が終わらない。
そんなわけかどうかは知らないが、慶應医学部出身の中村氏は、もう「5類」にしてもよさそうなのに、という。
「強毒」ならば、隔離が容易なので蔓延は防止できるけど、「弱毒」だと人々の行動が止まらない。
ゆえに蔓延はするけれど、「弱毒」だから死に至る病ではない。
ではなぜゆえに、政府は2類から5類にしないのか?
たった2年ではあるけれど、「前例」ができたからだと、役人の理屈を説明してくれる。
これまで通りの「ぬるま湯」が、いちばん「(役人の)居心地がいい」からである。
そうやって、「茹でガエル」になることを、心配しているのである。
政府は政府のためにあって、国民のためにあるのではなくなった。
カエルになったのである。