6日、「経済財政運営と改革の基本方針2022 新しい資本主義へ~課題解決を成長のエンジンに変え、持続可能な経済を実現~」(骨太方針2022)が閣議決定された。
小泉政権時の2001年度にはじまったので、もう22回目となった。
政権の重要課題や翌年度予算編成の方向性を示す「方針」のことで、「官邸主導」だということが、「あたしかった」けど、どこが「骨太」なのか?は、国民にはよくわからないという、特徴もある。
言いだしっぺは、「ダボス会議」で日本人理事である、当時の竹中平蔵慶応義塾大学教授だった。
このひとは、TBSテレビの日曜定番の「政治ショー番組」でレギュラーとなって、「平蔵」ではなく「構造改革」だけを訴えていた。
その舌鋒は鋭くも意味不明という、煙に巻かれたごとくの「後味」の悪さはあったけど、視聴者に出演者の人事権はないから、番組を観るものは彼の論を聞かざるを得ないように仕向けられた。
いまからすれば、典型的プロパガンダであった。
それでか忘れたが、「この手」の番組を視聴することをやめた。
ただ、彼のような経済学者がペテン師だというイメージを、日本でも一般人に植え付けた「功績」だけはあった。
彼以来、「まとも」に経済を語るひとが増えて人気を得たのは、騙されない日本人の視聴者がたくさんいたからでもあった。
その中でも、「的確な解説」をしていた、たとえば植草一秀氏の「冤罪」も、本人がいうまでもなく「怪しい事件」であった。
ちなみに、わが国のテレビ局(戦後すぐのラジオ局も)は、基本的にGHQとその配下にあったCIAのプロパガンダ機関だということは、知っていていい。
もちろん、「親会社」である新聞社は、戦後に「改造」された。
世界に類をみない、新聞社とテレビ・ラジオの「系列化」は、田中角栄がやった「政策」であった。
彼が伸してきたのと失脚したのとの間に、CIAが存在することは陰謀論ではない。
もちろん、A級戦犯で死刑を免れた「岸信介」とは、「コードネーム」があった最高ランクの「要員」だったことは、公開されている「事実」であるし、対するソ連側の最高級「要員」は、瀬島龍三氏で中曽根康弘氏のブレーンでもあった。
さてそれで、先月行われた「ダボス会議」では、「一波乱」があった。
それは、「ウクライナ」をめぐる、ジョージ・ソロス氏の主張とキッシンジャー氏の主張が、「真っ向対立」したことにある。
加えて、ビル・ゲイツ氏の「WHO条約」に関しても「なにかあった」模様だ。
このような、世界との関係から、わが国の「骨太方針」との関連はどうなっているのか?に注目すると、このような「政権と政府運営のやり方」が、とっくに「制度疲労」していることがわかるのである。
「骨太方針」の「骨太」たるゆえんは、「複数年」にわたるものだからだ。
いわゆる、「単年度主義」の転換のことを「骨太」と言い換えたのである。
このこと自体は、政策の連続性という意味で合理的ではあるけれど、政府の予算制度そのものが「単年度主義」だから、わかりにくいし、トップの内閣が交代したら、「複数年」の意味も失せるのである。
すると、ずっと「複数年」にわたって「計画」を「管理」して「実行」するのは、「官僚だけ」になる。
ここに、「与党」が影響力を行使できない構造ができている。
すなわち、竹中氏が小泉政権で導入させた「骨太方針」とは、将来の歴代内閣を縛る「絆(ほだ)し」の機能を持つだけの、官邸ではなく官僚主導の「計画経済」を具現化させる、みごとな「制度設計」であったといえる。
つまるところ、「骨太」とはいいながら、さいしょから「骨粗鬆症」を抱え込んだ、ダブルスタンダードの「ニュースピーク」だったのである。
それでもって、「今年」のは、「増税」を折り込んだことが「骨太」になっている。
財務省の頭文字「Z」をもって、「Z会内閣」といわれるゆえんだ。
自民党も一応「政党政治」をやっている風情を醸し出したい意図はあるから、「政策」については、「政務調査会:略して政調会」での「決定」がないと、「党」としての政策にはならないというルールがある。
だから、政府よりも党が「優先」されるので、絶対安定多数を衆議院(下院)で保持する自民党の決定こそが、政府を動かすことになっている。
それが、「党総裁=首相」としての「立場」をつくる構造だけど、党総裁の意向とは異なる「政策」が党内で決まれば、これを実施せざるをえないのが「首相」の立場になってしまうのだ。
そんなわけで、「Z会」に真っ向対立する「政調会長」を、党総裁が指名して「党内体制」としたから、いまの首相はさいしょから「片肺飛行」を余儀なくされることになった。
こうして、「国民不在」のままで「政策決定」されることも含め、「非近代政党」に政権を委ねること自体が、もはや国民の「不幸の種」どころか、「不幸の果実」になっている。
だから、政府の骨太方針が骨粗鬆症であることは、実行に困難を伴うので、国民の不幸を和らげる効果があるのだ。
この「機能不全」が、戦後政治の「制度疲労」であって、いったん「ご破算」にしたい要望が国民に湧いてきた。
初の国政選挙に臨む、「参政党」が全国45選挙区に候補者を立てるまでの資金を、「個人からの寄付だけ」でやり遂げたエネルギーが「これ」なのだ。
骨太もなにも吹っ飛ばす、マグマが噴火するかもしれない。