堺はザビエルを自慢していた

「歴史を忘れた国民に未来はない」といっていた韓国大統領の朴槿恵女史は、政治的な敵によって収監されてしまった。

もちろん、彼女の父は、 高木正雄こと朴正煕というひとで、第5代~第9代韓国大統領であった。
ゆえに、槿恵女史の本名は高木桜子という。

本名と「通名」が逆転したのは、届け出制だった朝鮮に対して、許可制だった台湾のちがいも逆転したからである。
同化策で優遇された朝鮮では、無届けで日本名を語ることは許されなかったが、届け出れば許された。
二等国民扱いされた台湾では、届け出るだけでは許されず、役所が審査する許可が必要だったのである。

これが、「有り難み」の重さを変えた。

朝鮮人の「横並び」に関する意識の高さは尋常ではない。
歴代朝鮮王朝の統治方法のためで、これは現代でも同様だ。
それで、近所のみんなが日本名を申請したのを、あたかもしないのは変だという同調圧力をもって、「強制された」というから、そこだけ切り取れば正しい。

コロナワクチンの同調圧力は、日本政府からだったので、将来の日本人はこれを、「強制」というのと似たようなものだ。

桜子女史の素顔がどんなに親日であろうが、政治的な同調圧力で反日を演じたのは、政治家としての判断だから、本人の決定事項だとかんがえるのは日本人の悪い癖で、朝鮮半島に生きるひとたちのすさまじい同調圧力とそれへの同調正義を無視している。
彼の地では、同調圧力にあがなうことは愚かで、同調圧力に先んじて乗っかることこそが優れた政治家の資質なのである。

そんな、桜子女史の発言だから、あなたの口から聞きたくない、という日本人が多数だった。
日本人からしたら、歴史を忘れた国民とは朝鮮人に見えたからである。

しかし、だれがいおうが、日本人は歴史を忘れた国民だというのは、真実なのである。
正確には、強制的に忘れさせられた。

日本史上最大・最強の環濠集落といえば、「堺」である。
この町の政治・行政に、ときの武将たちも歯が立たなかったし、堺を味方につけた武将こそが、「天下人」にふさわしい人物となったのである。

うっかり忘れてしまうことに、秀吉の「刀狩り」以前のわが国は、誰もがふつうに武装していたことだ。

つまるところ、天下人になりたいと願う武将たちは、こぞって「堺」に媚び、なおかつ零落を願った。
しかし、堺の町人たちは、それを見抜いてなお、有望な武将は誰かを値踏みしたのである。
そうやって、パトロンになれば、それはすなわち「政商」としての栄華を確約されたようなものだからであった。

この意味で、堺の先進性とは、武力ではなく財力が全てという哲学だったのである。
その財力と自治の都合から、「刃物」の産地となったし、鉄砲鍛冶も大量生産していたのである。
これが、「堺刃物」として現代に続く。

鉄砲は、当然だが弾薬がないと役に立たない。
「弾」と「火薬」のうち、火薬の原料になる「硝石」は輸入に依存した。
これが、「南蛮貿易」のポイントなのである。

しかるに、西洋のそれとはちがって、堺は精神性や道徳を求めた世界で類のないセレブたちが支配していた。
その「華=中心」が、千利休(田中与四郎)だった。

秀吉はなぜに利休に切腹を命じたのか?
戦国ミステリーの、未解決問題である。

その秀吉は、日本領土と日本人を奴隷売買の対象として、「輸出」までしていたバテレンを追放した。
ザビエルはなにをしに日本へやってきたのか?
当時の宣教使とは、「征服の魁け=情報収集」を努める任務を受けていたのだ。

すなわち、日本を植民地化するための手はずをとる、これが最大の来日理由だ。
スペイン王国とポルトガル王国はそれぞれ、ローマ教皇とトルデシリャス条約を結んでいた。
「新世界」のアジアを切り取るときのルールであって、両国が得た植民地たる新領土を教皇に献げる、というものだ。
もちろん、キリスト教化(=文明化)して、というお約束なのである。

彼らにとって、中南米の原住民を見る目と、日本人を含めたアジア人を見る目にちがいはなく、それは人間ではなかったのである。
だからなにをしてもいい。

しかし彼らが地球を半周して日本に来たとき、たまたま日本は「戦国時代」だったし、縄文以来の文明国だった。
鉄砲が2丁だけ伝来した数年で、世界最大の鉄砲生産国になっていた。
我々には先進技術を用いた武力があるぞ、と伝えたかったはずのザビエルからしたら、とんだ見当違いが起きたのだ。

そんなわけで、初めての「堺」は、ザビエル公園があり、市役所前の商店街入口アーケードの屋根には、南蛮人の人形が見下ろしていて、南海本線堺駅にも、おおきな南蛮人上陸図があった。

なんだか、征服者を称えるような、おそろしく自虐的なのである。

すっかりご先祖たちの頑張りを忘れてしまったようである。
環濠集落は、奈良の今井町もそうだったけど、堺がもしもかつての繁栄を目指すなら、日本からの独立を宣言するくらいの覚悟がいるのである。