手塚治虫『奇子(あやこ)』とは

漫画界の「巨匠」といえば、誰にでも名前をいう必要もなく通じる。

しかし、彼への叙勲は、亡くなった1989年(平成元年)に贈られた、「勲三等瑞宝章」だけとなっている。
なお、生前、「紫綬褒章」や「国民栄誉賞」の授与に関して、「辞退」されている。

このひとには、「医学博士」の学位があった。

それで、「生命」をさまざまな角度から追求した名作を多く残したのだろうし、たとえば『鉄腕アトム』というロボットの話にさえ、「いのち」が基盤のテーマになっている。

神奈川県が有害図書に指定したのは、『アポロの歌』(1970年)だった。

1972年から翌年にかけて発表された『奇子(あやこ)』は、横溝正史よりもドロドロの家族関係と、GHQの日本支配(征服)の闇を「下山事件」に絡めて暴いた物語を、なんと「背景」にした特異な作品だ。

松本清張の『けものみち』(1962年〜63年連載)をも彷彿させる一大スキャンダルの物語なのに、一人の少女を柱に成しているところが巨匠の巨匠たるところなのである。

しかして、物語でいきなり「CIC」が登場するも、なんの説明もない。
あたかも、「CIA」の誤植かと思わせるが、そうではない。
Counter Intelligence Corps:(アメリカ陸軍)対敵諜報部隊のことで、GHQにあっては「参謀2部:G2」の傘下に当たる。

わが国の戦後史に不可欠な、GHQによる支配の実態がどんなものであったのか?は、じつはいまだによくわかっていない。
有名なのは、ものの一週間で「日本国憲法を起草」した民政局長のホイットニーと、G2部長のウィロビー少将との内部対立があったことだ。

このことも、本作ではサラッと描かれている。

さらに、「キャノン機関」についての闇だ。
この機関は、G2直轄の秘密情報機関で、東京上野池之端にある、「旧岩崎邸」(いまは、東京都公園協会が管理する「旧岩崎庭園」)を接収して、ここを本拠地にし政財界やら何やらの人物を招いての贅沢なパーティーも開催していたのである。

ちなみに、庭園の一角が狭くなっているのは、接収解除後、本館は裁判所職員の研修所となり、庭は最高裁判所職員の「官舎」になったからである。
ただ、元にあった庭木の多くが枯れてしまったのは、キャノン中佐の趣味がピストル射撃で撃ちまくった鉛によるという。

そのキャノン氏は、帰国して晩年、癌を宣告されると自宅で愛銃による自殺をしたというが、真相は不明である。

どこまでも、闇が深いのだ。

この機関の由来は、上に書いたジャック・キャノン中佐(当初は少佐)の名前からだというが、それは「日本での名称」で、GHQ内で正規にはなんと呼ばれていたのか?はわからない。

また、なぜに「日本名」があるかと言えば、この機関には日本人工作員組織を多数傘下に置いていたからである。
その工作員たちが、これまた元軍人や戦犯免除を条件として引き込まれたというから、そのリクルート方法も闇なのである。

なんの落ち度もないのに、題名となっている「奇子」は、20数年間も土蔵の地下の闇に放り込まれて奇跡的に生き残った設定になっている。

彼女の中にある「闇」の意味は、世間と隔離されたが故の安全地帯でもあり、孤独への耐性をもたらした「光明」でもあるというのは、現実世界で跳梁跋扈する闇の者どもとの悲しい対比なのである。

結局のところ、権力のために身を売るはめになる日本人を描きあげた。
大の男や女たちの生きざまを、利用するだけ利用する悪魔がいるのである。

ところで、4日、ベラルーシの国営放送が伝えた、日本人スパイ(ゴメリ国立大日本語教師)のことが気になるのである。
この方、質問に正直に答えているというがほんとうなのか?予定どおりなのか?収集した情報の提供先は、「国家公安委員会」だといっているのである。

その情報提供ルートに、在ベラルーシ日本大使館がある、とも。

気になるのは、国家公安委員会の先のことなのだが、闇が待っているのだろうなぁ。

なにがなんだかわからない。

「税」とは罰金のことである

前に、『「ばっきん」ガム宮殿』というタイトルで書いた。

さいきん、「観光税」が話題なのであらためて書いておこうとおもう。

どうやら、われわれは、「国家は税収で運営されている」と思いこまされている。
いったん、こうした常識をクリアして、白紙からかんがえるとどうなのか?は、都市開発シミュレーションゲームの元祖、『シムシティ』を参考にすればいいだろう。

このゲームは、プレイヤーに最初から「資金」が与えられている。

それは、「最小額」なので、プレイヤーは広大な更地をこの資金から「開発」し、とにかく住人を増やすことをしないといけない。
それで、増えた人口から「税」を取って、「街」を拡大するというゲームである。

人口しか税収計算されないので、「人頭税」一本のゲームなのだ。

しかし、もうひとつ重要な指標に、「満足度」があって、住民たちが満足ならどこかから人口流入して増加するけど、不満が蓄積しようものなら、人口流出してしまい、場合によってはゴーストタウン化し予算的に破綻したらゲームオーバーとなる。

まったくもって、アメリカ的なゲームなのである。

それに比べて、わが国の実態は、なにせ地方分権だった江戸時代の長期安定が、なんとなく記憶として残されている。
地方都市に未だ残る、かつての繁栄の跡は、あんがいと幕藩体制のなかでの「文化遺産」なのだ。

アメリカの州は相変わらず「独立国家」とおなじような権限があるので、善政競争をしないと人口が流出するから、まさに『シムシティ』のごとくである。
極左政策が実施されている、カリフォルニア州やニューヨーク州の人口が減って、テキサスなどの人口が増えている。

10年に一回の「国勢調査」で、厳密な人口を調べ、それが連邦下院議員の議席数割り当てとして機械的適用となるのが選挙制度の根幹にある。
ために、いまのままの状態が続くと、極左民主党はアメリカ大統領選挙で永久に共和党に勝てない状況にもなり得るのだ。

それで、不法移民を大量に流入させて、共和党が有利な州に送り込み、選挙権を与えることで、民主党の永久政権を目論んでいるのである。

「廃藩置県」で、強力な中央集権国家になったわが明治政府は、「文明開化」のアメをたっぷり国民にみせながら、きっちりと全国に「学制」を強いた。
江戸幕府が放置していたものに、手をつけたのは、国民教育による洗脳が目的である。

また、統治の手段として、納税者を限定したのは、庶民に優しかったのではなくて、特権階級をつくるためだった。
納税義務者しか、選挙権がないとは、被選挙権もなかったからである。

これが、まさに『シムシティ』でいう、国民の不満になったのである。

仕方なくシブシブ「普通選挙制」になったのは、今度は税が罰金と化したのだ。
選挙権を与える代わりに納税せよ、だけでなく、政府が広く国民から収奪する、という意味にかわった。

「日露戦争」の戦費負担で、国家破綻寸前まで追いつめられた政府は、高橋是清の個人人脈でロスチャイルドから借金できたが、完済したのは1986年のことである。
また、戦後、「赤字国債」を出したのは、「経済の福田」を自負していた福田赳夫政権のときである。

もちろん、通貨発行利益は、日銀が独占したままで、日銀の巨大利益は「国庫」に入る。

そんなわけで、現代は税収の比率は減って、政府財政は別の収入源にシスとしている。
つまり、「税」はいよいよ「罰金」の意味合いを深め、とうとう国民を貧困化させて、エリート層による全体主義体制を目指すようになったのである。

これが、何人出ようが歴史的候補者数といわれようが、自民党総裁候補の主張に変わりはなく、誰がなっても国民を奴隷化する「党の基本方針」に変更はないことの証左となっている。

やらせているのは、アメリカ民主党政権から派遣されている、日本総督=在日大使である。

つまり、カリフォルニア州やらと日本をおなじにしたいという意向の忠実な実行が、自民党総裁の職務なのである。

だから、カマラ・ハリスを一方的に持ち上げるのとおなじく、高市やら上川やら、小泉やら河野といった、指令に忠実な「犬」を総裁にさせるためのプロパガンダがさかんになっている。

そんなわけで、あからさまに税を罰金として強化した小泉純一郎・竹中平蔵政権を皮切りに、安倍晋三政権から現在まで、まったくもってアメリカのポチなのは、吉田茂のコードネームが「Pochi」だったからだけでなく、たとえば正力松太郎は「podam」(英:我、通報す)及び「pojacpot-1」が与えられ、組織としての読売新聞社、そして日本テレビ放送網を示すコードネームは「podalton」であったように、戦後史の要人たちの多くは「ポチ」だったのだ。

自民党員(約109万人)ではない一般日本人に、自民党総裁選への選挙権もないのは、まったく明治期とおなじだが、しかし、税が罰金なのはあまりにも一方的だ。
しかして、日本人にまったく選挙権がない、宗主国アメリカの大統領選挙をみれば、なんだか戦前・戦中の朝鮮や台湾から東京を眺めるのとおなじだ。

減税を基調として、一貫して各国ファーストをとなえるトランプ勝利に期待するのは、そんな被支配者からのわずかなる光明だからである。

トランプは「寸止め」したのか?

10日(日本時間だと11日)の、ABCニュース主催の「大統領候補者討論会」は、終わってみたら評価が真っ二つに割れる、微妙な放送だった。

日本の放送法で、わが国の潔癖症的な「公正・中立」を標榜するのとはちがって、人種とは関係なくアメリカ人は『肉食の思想』をするひとたちだから、論理的に困難を極める「中立」という立場を捨てて、ちゃんと事前に「カマラ・ハリス支持」を表明しているのが、ABCニュースである。

これをいうと、「トランプ支持」を事前に表明しているのは、大紀元メディアグループぐらいしかなく、2020年にFOXニュースが主催した、「大統領候補者討論会」では、バイデン寄りの司会で大ブーイングが起きて、その後「保守系だった」という枕が評価につくようになった。

その後、あの、タッカー・カールソンを解雇したので、いよいよFOXニュースのお里もしれたのである。

それでも、反トランプの代表は、なんといってもCNN(「クリントン・ニュース・ネットワーク」と揶揄されている)であるが、あまりの偏向ぶりで、視聴契約が激減し倒産の危機にまで発展した。

これに、ネット界隈のビッグテックも「反トランプ」で団結していて、「X(旧Twitter)」が一抜けした後、7月のトランプ氏暗殺未遂事件を受けて、フェースブックのオーナー、ザッカーバーグが、ホワイトハウスからの圧力に屈した経緯を連邦下院にて証言し、二抜け状態になった。

また、ザッカーバーグは、前回500億円!の私財を民主党に寄付していたが、今回は一切の寄付をしないと明言もしている。
もしや、トランプ氏がラリー(政治集会)で、「逮捕して監獄に入れてやる」と名指ししたからではないか?ともいわれているのは、トランプ氏支持になったのではなく、トランプ氏が優勢とみているからではないか?との疑いもある。

ただし、GAFAの中で、Google、Amazon、Appleは抜けていないばかりか、GoogleとAmazonは、音声認識A.I.やら、ネット検索において、カマラ・ハリス有利、トランプ不利のアルゴリズムを用いていることも発覚している。

しょせん、AIとは、人間が書くプログラムによって作動するだけのものだ。
だから、洗脳装置としてあるので、依存するとバカになるから利用にはよほどの注意がいる。

ちなみに、Google創業者の妻だったひとは、民主党への多額献金どころか自ら政治活動もして、とうとうケネディ.Jrの副大統領候補にもなった挙げ句に、「民主党の実態に失望した」と述べて、選挙戦から撤退したのだった。

とはいえ、この人物がケネディ.Jrとおなじく、トランプ支持を表明したとの情報はない。

そのケネディ.Jrは、この討論会を評して、「パフォーマンスではカマラ・ハリスの勝ち、内容ではトランプの勝ち」としたが、これぞ、「仕込み」ではないか?
案の定、メディアは前段だけを切り取って報じている。

ケネディ.Jrは、こうしたやり方を熟知しているから、あえて仕向けたと推察する。

さてそれで、10日の討論会は、事前の期待を裏切って、トランプ氏がカマラ・ハリスを完膚なきまでにやり込めることはなかった。

このことが、熱狂的トランプファンから「不調」との評価にもなっている。
つまり、不完全燃焼だ、と。

一回だけの討論会で、バイデンを撃沈させたのとは様子がちがう、というわけだ。

しかし、バイデンはこれ以来目立った姿を見せないでいて、「大統領はどこ?」状態になっているし、だからといって、現職副大統領のカマラ・ハリスが政権のフォローをしているのでもない。

かんたんにいうと、いま、誰がアメリカ国家を運営しているのか?責任者がわからない状態にあるのだ。

これをトランプ氏は、最後の2分間でみごとに指摘して終えた。
まったく、日本人(とくに関西人)なら、「ぼやき漫才」で人気を博した、人生幸朗・生恵幸子の決め台詞を思い出させてくれた。

ならば、この不完全燃焼の理由はなにか?

この後に及んで(投票日まであと2ヶ月もない)、カマラ・ハリスを完膚なきまでにノックアウトしたら、もしや面倒な「ミッシェル・オバマ」が担ぎ出されるやもしれぬ。

さすれば、こんなもんでやめとく、というのがアゥエーでのABCテレビ出演ということではないか?と推測するのだ。
それで、ケネディ.Jrも連携して発言したとかんがえるのである。

なにしろ、問題なのは6州しかない、スイング・ステートにおける勝敗なのだ。

いまや「全米」での得票は関係ない。

カマラ・ハリスには、しっかり党からの演出プロが指導にあたったというけれど、共和党側の演出とは、「適度なマイルドさ」にあったとおもわれる。

それがまた、ABCニュースの「偏向」をあぶり出して、アメリカ人の正義感に訴えたのなら、まっ先に大恥をかいたのはABCニュースで、二番にカマラ・ハリスのポンコツぶりだった。

技あり!といったところである。

そんなわけで、10日のロイターによれば、「この勝利」に気を良くしたカマラ・ハリス陣営は、10月にFOXニュースで2回目の討論会をやる意向を表明した。

これはもう、トラン陣営は笑いが止まらないだろう。
次回は、容赦ないことになるはずなのだ。

にもかかわらず、トランプ氏はポーカーフェイスで、カマラ・ハリス陣営からの誘いに、いまのところ、「応じない」と表明し、参加したくない風情をだしている「役者」なのだ。
笑いを押し殺して、だだをこねながら投票日直前のこのタイミングで、瞬殺・轟沈させることを狙うにちがいない。

だが、その前の10月1日に今度はCBSで、副大統領候補による討論会もある。

ここでJ.D.ヴァンス氏によるタンポン・ティムを「撃沈」させるのか?それとも「寸止め」とするのか?

いやいやヴァンス氏には、意図せざる結果として、タンポン・ティムが自爆・自沈するかもしれない。

なんだかもう、プロレスの「3本勝負」みたいになっていて、目が離せないのである。

「恐怖政治」の前提には人間の恐怖心がある

民主国家の国民必読書といえば、『1984年』がまっ先に挙げられる。

この恐怖小説は、全体主義の恐怖を描いたもので、残念ながら救いようがない世界となっている。

もちろん、作者のジョージ・オーウェルは英国人だから、「英国の未来」をイメージしながら書いたにちがいない。

わたしは、彼の発想の根底に、おなじ英国人のケインズが、いわゆる「ケインズ経済学」をもって、「ケインズ革命」とまで世間にいわしめたことの恐怖があったのではないか?と邪推している。

ケインズ経済学=社会主義、と真っ向から批判したのは、ハイエクだった。

有名な、ケインズとハイエクの論争は、あたかもケインズが勝利した、と喧伝されているが、はたしてほんとうか?

じっさい、ケインズに「ケインズ理論の政策における実践には、不景気下の経済に限る」との条件付けをいわしめたところでのハイエクの撤退は、「もういいでしょう」というハイエク的な論敵への配慮だと読めるのである。

こういう「寸止め」ができず、徹底的にぐうの音も出ないほど論破する態度が流行っていて、そこまでやらないと勝者がわからないのは、観客の眼力も落ちたということだ。
まさに、空手でいう名人技と、本当に相手の鼻骨やらを粉砕する暴力との次元のちがいであるが、現代人はおよそ暴力的になったのである。

さてハイエクが引いたのにケインズの敗北を意味するのは、いかなる政府も、「ケインズ政策を不景気下だけ採用すべきといったって、限定的運用なんてしっこない」ことを、ケインズ自身も熟知していたはずだからである。
なにせ、ケインズはもともと英国大蔵省の官僚だった。

つまるところ、どんな経済状況下でも(不景気でも好景気でも)、温度差こそ意図的に調整はしても、とにかくケインズ政策が実施され続ける。

その、「なんとかのひとつ覚え」で一切の政策変更をしない典型が、日本政府と日銀なのである。

こうして、その国家なり社会は、確実に社会主義(=全体主義体制)へと邁進し、国民から観たらそれが、ハイエクのいう『隷属への道』になる。

社会主義を肯定するはずのないアメリカで、なぜに社会主義が蔓延したのか?は、「本国」の英国が先行したとおり、社会正義の政策を政府がとり続け、国民が慣らされてしまったことにある。

しかし、その社会正義とは、考えぬかれた「革命思想」からの選択だったから、これを総じて「計画的=むかしなら「計画経済」と非難された」というのである。

いったん慣れされてしまったひとたちに、これらをやめる、ということは、そのまま「恐怖」になるのである。
そして、人間は自身への不利(補助金カットとか)を回避しようとする。

これがまた、政治運動として煽られれば、ひとびとの正義心に火がついて、おおいに利用されてしまうのである。

それが、100年前にドイツで起きたことであり、現代のアメリカや日本で起きている。

たとえば、自民党総裁選に立候補して、大手マスコミがイチオシしている、小泉進次郎(すんずろう・レジぶくろう)が、突如、年金は80歳から、といいだして話題にするがごとくである。

アメリカには、「ワードサラダ(意味不明)」の名手、カマラ・ハリスがやっとのことで10日、トランプ氏との討論会を乗り切ったが、まったく「すんずろう構文」なる用語でおなじタイプが日本に出現したのは偶然ではない。

乱れきった生活がある、アメリカ人には中絶の禁止が、一方で、とにかく個体の生命だけを伸ばしたい日本人には、流行病予防のはずの注射が、感染の恐怖を前提とした社会正義から強制されるのである。

乱れきった生活をやめるように道徳教育や性犯罪に対処することと、病原体からの免疫力をあげるための方策の両方ともが、目に見える結果(たとえば臨まない妊娠)だけを繕うための方策だけに議論が集中するのも、そういった「そもそも論」が、利権のカネにならないためである。

そうやって、多数の恐怖がある一定の思想や行動としてまとまると、味をしめた政府は、どんな理由であれ、なんでも強制をして、国民を圧する。

これが「圧政」の正体で、従わない者は個体としての恐怖(暴力)を味わうことになる。

つまり、恐怖が恐怖を呼ぶのであるが、ぜんぜんレベルのちがう恐怖となるのだ。

世界の大富豪たちがなぜに社会主義=全体主義体制を支持して、資金提供に奔走するのか?といえば、彼らの未来永劫・子々孫々・末代まで、支配する側に居座りたい欲望を、カネで買うことができるようになったからである。

そのためのロボット人形が、カマラ・ハリスであって、自民党総裁なのである。

「足袋」を履く

まだ半世紀前とはいえないが、高校時代に「和弓」のクラブに入会した。

残念ながら、わたしが通った県立高校には「弓道部」がなかったので、社会人のクラブに入会したら、自動的にわたしが最年少会員になったので皆さんから可愛がれたラッキーもあった。

小学校のときの運動会では、まだ裸足や足袋でいる同級生は多数いた。
わが家では、なぜか母が足袋を買ってきて履かされたものだったけど、周辺にも足袋の友達が多数いたから妙に特別な気分になって張り切った思い出がある。

おかげで、三位入賞の折り紙セットをゲットした。

むかしは、小学校の運動会でもいろいろとご褒美がもらえたのである。
今様の、変な平等主義はなかった。
折り紙セットといえば、「皆勤賞」や「精勤賞」でももらったことがある。

スニーカーなる履き物が存在しない時代、ここ一番で履くのが足袋だったのは、子供でも自分が日本人だと思ったものだ。
靴下で校庭を走っても、様にならないどころか走りにくいだろう。

新品の足袋が、家に帰る頃には穴があいていたものだ。
それでも、子供の柔らかい足を保護していたのは間違いない。

かんがえてみたら、むかしは「草履」もよく履いていたし、大人は「下駄」をカランコロンさせていた。
素足であっても、指の股はなぜか痛くなかった。

これはどうやら「歩き方」によるらしい。

「靴」にすっかり慣れてしまった、洋風の楽な歩き方では、「鼻緒」が指の股に食い込むのである。
「弥次喜多道中」では、江戸まで草履を一足しか交換しない(履きつぶさない)という武士が登場して、二人を驚かせる場面がある。

よほど鍛錬された歩き方だと、すなわち「お主できるのう」ということなのだ。

弓道の主流、小笠原流では、「射法」以前に、立ち方、座り方、歩き方を習うが、椅子の生活ではありえない筋力(普段使わない筋肉)を用いるために、数回繰り返すだけでも震えがやってくる。

日本舞踊も同様で、たとえば座った状態から「スッ」と立つのはインナーマッスルを駆使しないとできない技なのだ。

それで、「ナンバ歩き」が、いま注目されている。
手と足の出し方がおなじ、というのは誤解を生む。
むしろ、体内の筋肉である「体幹」を中心にした上下運動をイメージした方がいい。

この歩き方を、かつての日本人は誰でもふつうにしていたのである。

日本橋を早朝に出発して、一泊目が、遅い人で神奈川、ふつうで保土ヶ谷、達者で戸塚っだったというが、じつはすごいスピードなのである。
京浜急行の駅名が、「仲木戸」から「京急東神奈川」に変わったのが残念で仕方ない。

いまはどこだったか不明とはいえ、徳川将軍の休憩所「神奈川御殿」の入り口があった名残の地名が「仲木戸」なのである。
しかして、江戸を経った将軍の一泊目が、まさに神奈川だったとは、相当の遅い到着だったにちがいない。

いま、お江戸には数軒ほどの「足袋専門店」がある。
東銀座の「むさしや」さんは、白足袋以外、たとえば武士の常用「紺キャラコ」もある。
この布地は、もう日本で(=世界で)一カ所しか製造していないという貴重品だ。

一足は、約6000円ほど。

これを履けば、ちゃんとした「日本人」になれる?かもしれない。

足袋は、きつくピッタリさせて皺ができないのが美であって、それが「サイズ感」なので、靴下に慣れた足が締め付けられて、留め金のこはぜがなかなか入らなかったりする。

けれどもこれが、指の股を刺激するので、なんだか頭が冴えるのである。

現代の日本人が、ボーッと生きて「チコちゃんに叱られる!」のは、もしや足袋を棄てた生活をしているからかもしれない。
呆け防止になるのでは?ともおもえるのである。

ならば、安いもの、と価値観を改めた方がいいのである。


世界最高の「規制」エリアEUの自動車

高度成長期と同期して、憧れの「マイカー」だった時代は、半世紀前に終わり、「大衆車」がほんとうに普及して、一家に一台の時代すらすでに越えている。

都市部では、高齢世代と貧困化する若者世代の「マイカー離れ」が顕著で、都市近郊では人口減少下でも工場や大きな駐車場が住宅になっている。

民主国によるさまざまな「規制」は、国民のため、が大原則なので、議会の議決を伴う「法律」にすることが当然である。
なので、国民のためにならない、と評価されるものは、法の「改正」あるいは「廃止」の対象になるのも当然である。

トランプ政権「1.0」でもっとも評価できる政策は、「2対1ルール」の徹底であった。

これは、あらたに規制をひとつ設けるなら、過去の規制をふたつ減らす、というもので、提案者は過去のふたつも一緒にして吟味しないといけないルールである。
このために、トランプ時代のアメリカ経済は絶好調だったのである。

しかしながら、日本とヨーロッパ(EU)の政権は、この政策を無視するばかりか、国民に知らせないように仕向けたのである。
既得権益者の保護が目的である。

なお、EUの政権とは、選挙で選ばれない官僚機構たるEU委員会を指すし、日本の場合もしかり、である。

そうはいっても、EUは、食品についてはあんがいとちゃんとしていて、添加物だけでなく、大本にあたる農業でも、使用できる薬剤(農薬や化学肥料)に対する規制はしっかりしている、いい意味での不思議があった。

逆に、こと環境規制ともなれば、世界一厳しいことも有名で、結局EUの基準が、デファクトスタンダードになっている。

この結果の産物が、「EV(電気自動車)へのシフト」で、2035年までにEU域内における新車販売で、EVしか許可しない、という強力なものである。

しかし、これが破綻した。

もっとも積極的に取り組んでいたドイツ・フォルクスワーゲン(ナチス政権下に設立された国営企業「国民自動車」)が、とうとう国内工場の閉鎖にまで追い込まれてしまったのである。
これによって、直下で数万人、裾野の中・小・零細企業を含めたら途方もない数のドイツ人が失業する。

「肉食の思想」をもった、典型的なおバカ経営者が、トヨタに叶わないあきらめから求めた「ルール変更」が、大ブーメランになって戻ってきたのである。
もちろん、そのきっかけは、「ディーゼルエンジンのデータ不正」をしてまでの、トヨタ・ハイブリッドとの競争だった。

これがバレての最終手段が、陰謀的ルール変更だったのだ。

これから、過去販売された純粋の「ドイツ製」の中古車が価値をつけるだろう。
なにせいまは、「中国製」だからで、技術も技能もドイツから流出したからある。

日本では、日産とホンダが、このEU規制にまるまる乗っかったが、すでに悲惨なことになっている。
ホンダについては、全車をEV化すると宣言し、内燃エンジンの開発を全面的にやめる判断をしてしまったから、残った手はいいだしっぺの社長解任ぐらいしか路線変更の方法がない。

株主も、株価で大損するかもしれないが、それがこの社長を選任したことのコストなのである。

わたしがいまでも残念なのは、トヨタグループにあって独自を貫くようにとトヨタ本社から指示されているという、スバルが、2017年に主にヨーロッパ市場向けの「高性能新型ディーゼルエンジン」の開発を断念したことだ。

こうして、スバルは独自技術だった「ディーゼル・ボクサー(水平対向)エンジン」を棄てたのだが、ルールがまた元に戻るのである。

これも、当時の「EVシフト」風潮が理由にあったのは、上述したEUの法律のためだった。
まことに、政府が自由経済に介入するとロクなことにはならない。

これを、典型的な「政府の失敗」という。

まだ7,8年前のことだから、なんとか技術陣が残っているうちに「再開」できないものか?とひそかに期待しているのである。

前に書いた通り、一度途絶えた技術は、それが高度であるほど再開・再現するには、「技能」を伴うから、技術は記録にあっても技能を継ぐひとがいないと永遠に失われてしまうのだ。
それが、たとえば、25年ぶりとなった川崎重工の「ジョットフォイル」生産再開での冷や汗となったのである。

ヨーロッパは、良質の「ディーゼル・ガソリン精製技術」をもっている。
燃料は、日本の「軽油」」よりはるかに高品質なのだ。

これにスバルの新型エンジンがあれば、最強ではないか?
高度成長期の日本人経営者なら、迷うことはない決断となるだろうに。

わかりやすい「色分け」の選挙応援

トランプ氏のいい回しなら「ワシントンの沼の水を抜く」効果があらわれたということだろう。

8日、共和党の元副大統領(ブッシュ息子大統領時代)だった、チェイニー氏が、いよいよ娘のリズ・チェイニーとともに、民主党「カマラ・ハリス支持」を表明して、その軍産複合体の代理人としての立場が揺るぎないものであることを世界に示したのである。

もちろん、世界の主要メディアは、あたかも英雄の登場のごとくチェーニー氏を祀りあげている。

「党派心よりも国を優先し、憲法を守る義務がある」という発言は、ロバート・ケネディ・Jr氏が、トランプ支持を表明したときの「真意」であったのだから、カマラ・ハリスと同じく、見事にパクっていることが笑えるのである。

けれどもその真意は、「トランプ氏以上にわが国にとって脅威となる人物はいない」の一言に集約されている。

つまり、絶対的に戦争が嫌いで、軍産複合体(=DS:Deep State)の解体を明言するトランプ氏が、彼ら軍産複合体にとってあり得ないほどの脅威である、という一方的ご都合を申し立てたに過ぎない。

すると、チェイニー親娘がいう、「国」とは、合衆国のことではなくて、「DS:Deep State」の「state」なのだし、「憲法」とは、おそらく彼らの仲間内にある「掟」のことであろう。

いまでは、ブッシュ息子政権の実態は、チェイニー政権だったことが広くしられている。
彼と、国防長官だったラムズフェルドが、大量に武器を消費する戦争をやりまくったのである。

この仲間が、民主党のクリントン夫妻、オバマ、バイデンなので、まさに「正体あらわれたり!」になった。
もちろん、背後には、あの「世界経済フォーラム」がいる。

なお、「9.11」でさえも、ブッシュ政権の自作自演だったのではないか?という「噂」のベールが急速に剥がされつつある。

トランプが、ケネディ.Jrと共闘するにあたって盟約した、「F.F.K暗殺の機密ファイル解除」ばかりか、「9.11」まで明かされたら、共和党のRINOは壊滅することまちがいない。

これにたとえば日本なら、「キャノン機関」がやったことからの、「下山事件」に「ロッキード事件」などの機密資料が出てきたら、自民党ばかりか野党も潰れることになるだろう。

よって、自民党総裁選でも、立憲民主党の党首選挙でも、アメリカ大統領選挙のことは無視するのである。
「他国のことは関係ない」という理由を信じてはいけない。

本当は、全員の内心は「ドキドキ」であろう。

すなわち、劣勢にあるカマラ・ハリスをなんとかするのは、本当は同じ穴のムジナである戦争屋の民主党とRINOが、とうとう追い詰められた上での「御大登場」とあいなったのだとおもわれるのである。

しかも、全世界注目のトランプとのテレビ討論会は10日(日本時間は11日)だから、まさに「直前」のタイミングでのチェイニー氏登場なのである。

バイデンは、トランプとの討論会一回だけで引きずり降ろされた。

はたして、この検察官上がりの人物は、どこまで議論できるのか?
世界は、「できない」ことに期待して、どんなコケ方をするのかに注目しているのである。

残念ながら、日本の総理総裁が先に決まっても、11月の行方によっては吹き飛ぶから、国民としては第一優先順位はあくまでもこの討論会の結果に注目するしかないのである。

一応、念のため、「レジぶくろう」こと、小泉進次郎が「優勢」だというプロパガンダは、世界経済フォーラムからの指令だと思われるのは、かんがえすぎなのだろうか?

南海トラフ地震が起きない可能性

地震・雷・火事・親父。

怖いのものの筆頭が「地震」なのは、人間の事情とはぜんぜん関係なく突如やってくるからだし、その被害規模も他の怖いものを圧倒する。
これに「台風」がないのは、「雷」に含まれるからであろうか?

それにしても、今年の「台風11号」は、わが国には影響がなかったとはいえ強烈だった。
6日の気圧は、915hpsで、最大風速55m/秒、最大瞬間風速は75m/秒で、このまま海南島を直撃したのち大陸へ上陸した。

その動画ががネットにあるが、あまりの凄まじさに撮影する方も命がけだったにちがいない。
まずは、被害に遭われた方々へお見舞い申し上げる。

風速の表示は、いつも「秒速」なので、時速に変換するには、3600を掛ければいい。
すると、秒速55m=時速198Km、秒速75m=時速270Kmとなる。
これは、ジャンボジェット(B747-400)の離陸速度とおなじなのだ。

太陽活動によるエネルギー(熱)が地球に届いて、これが海水を温めて水蒸気をつくる。
さらに、上昇気流の低気圧が海面との温度差で発達すれば「台風」に成長し、自転から生じる気流と高気圧(下降気流)に阻まれるのとあわさって移動してくるのだ。

一方、地球内部で発生する、地震のメカニズムは、じつはよくわかっていない。

なにもいまさら、小松左京に文句をいいたいのではないが、あのSF傑作『日本沈没』(小説は1973年3月、映画は同年12月)での、「プレートテクトニクス」が見事に日本人の脳に焼き付けれらたのである。

それでもって、大正12年(1923年)の「関東大震災」は、「直下型」だとして、当時はプレートテクトニクスからは別物扱いされる不思議があった。
さらに、研究が進んだいまでは、「震源地」についても確定していないという不思議もある。

いわゆる「直下型」の場合の特徴は、いきなり「縦揺れ」がくる。

関東大震災の地震では、約300~400Gal(ガル)の加速度(1秒間に1Cmの動きを1Galという)だったと推定されている。
ようは、瞬間にかかる「力」のことである。

そこで、過去の震災級の地震で観測・推定される加速度を調べてみたら、
1995年、阪神淡路大震災:800Gal
2011年、東日本大震災:2933Gal
2024年、能登半島地震:2828Gal

ちなみに、阪神淡路大震災で被災した神戸在住の知人の話では、自宅にあったグランドピアノが飛び跳ねて30Cm移動した、という。
床面に、一切の傷がないので、一回だけで30Cm飛んだのは間違いないといっていた。

これが、800Galの威力なのである。

しかしこのことは、地下での「地滑り」というよりも、なにかの爆発の衝撃ではないのか?
東日本大震災のあと、ネット動画で「水蒸気爆発説」を唱え、「プレートテクトニクス説を否定」するひと(「理学博士」だと自己紹介していた)がいたのが印象的であった。

なぜかというと、縦揺れの瞬間的に大きな加速度の発生は、爆発以外かんがえられないからだとの主張に説得力があったからである。

この5日付けで、『南海トラフM9地震は起きない』が発刊された。

わたしが気になるのは、こないだの「宮崎地震」からの日本政府の態度で、政府がなにかと国民を脅しつける宣伝をしていることなのである。
つまり、政府が「逆神」だと認識すれば、上記の書籍がいう、「熱移動説」による「爆発」がもっともらしいし、だから、「起きない」のだ。

なにせ、地球がまだ熱い星であることぐらいは素人でもしっている。

まったくもって政府の脅しは、政治的に国民を恐怖で支配しようとする企みとしかおもえない。
これに、南紀白浜をはじめとした各地の海水浴場が「自主閉鎖」したのは、まさに「コロナ禍の過剰」を彷彿とさせた。

その本意は、なにがなんでも責任回避するという、無責任思想にある。

素朴で素直だと好印象だった、西伊豆の土肥では、役場がはりきって「津波避難所」なる施設を計画どおりの数が設置できるまで、海水浴場を閉鎖すると発表しことに、まったく絶望的な文系の脳味噌の劣化を感じるばかりで、文句もいわない住民たち(当然議員も)の家畜化が残念でならない。

この計画数の科学的根拠は、たんに共産化した役人の妄想であろう。

そもそもをいえば、プレートだって、マントルの対流による表面上を移動することからはじまるのだ。
しかしながら、肝心のフィリピンプレートが海底から隆起して発生している現場がみつかっていないという指摘は事件に匹敵するのではないのか?

もともと、なにがなんだかわからないから、地震学会はこの本を無視するにちがいない。

ところが、反響がおおきく真実味が高まるとすれば、次に「責任論」となる。
さすれば、学会の歴代会長を取り巻く腰ぎんちゃくたちが、親分に責任を負わせない政治力を用いるにちがいない。

まさに、トップの無謬性=神格化がされる、全体主義の特性をあらわにする。

すると最後に、どなたかわからないが研究者でも弱いひとが「生け贄」になるのだろう。
なんだか、『白い巨塔』で、財前教授の医療ミスの責任を押しつけられた、受持医の柳原医師のごとくである。

そうやって、国からの研究予算だけは「死守」するのが、組織行動の原理だからである。

南海トラフ地震は起きないが、ひそかに、地震学会に激震が起きているのではいか?と妄想しているのである。

ブラジルの言論統制

ブラジル最高裁判事が、8月30日に「X(旧Twitter)」の即時禁止を命じて、大騒ぎになっている。

X社主の、イーロン・マスク氏は、早速反発の記事を自ら載せたが、すでにブラジルでは閲覧も投稿もできなくなっているという。

これに、左翼メディアは、ブラジル世論の賛成・反対の拮抗がある、などということを書き立てていて、あたかも裁判官にとっても苦渋の選択のように見せているのは、まさに、言論統制のための援護射撃だといえよう。

逆に、アメリカ大統領候補のカマラ・ハリスが、この裁判官に賛成表明している(「言論統制」すべきと積極的)ことをぜんぜん報じないのである。
彼女は、言論の自由を「特権」と定義している。
だから、「特権」は剥奪されるべきもので、「平等」にしないといけない、と。

しかしこれで、困ったのは、「BRICs」の結束である。

いまや、「G7」よりもはるかに大きな経済規模になっているし、さまざまな国が、加盟申請をしていることに水を差しているからだ。

そもそもが、「BRICs」とは、経済アナリストが、たまたま新興国の中でも注目の成長力を誇示している国として単純にリストアップしたに過ぎなかったのが、どういうわけか「連盟」のような組織化がされ、事務局までつくられるようになった「悪ノリ」ともいえる。

それは、改めて国名を見ればわかる。
ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカである。

ようは、地理的にも文化的にも歴史的にも、どこにも共通性がないのだ。
むしろ、バラバラである。

トランプ氏が負けたように、ブラジルの大統領選挙でも不可解なことが起きて、右派の現職が追放され、左派の元大統領が返り咲き、いよいよブラジルは「社会主義国」になった。
これは、中国にとっては喜ばしいのかもしれないが、その他の3カ国にとってはどうなのか?

ただし、習氏は毛沢東を信奉するナショナリストで、鄧小平やらのグローバリストとは一線を画していた。
今年の、「北戴河」でなにがあったのかしらないが、グローバリストたちに追いつめられたという「噂」がある。

わが国の「逆神」マスコミがこの「噂」を躍起になって否定しているから、いよいよ怪しいのである。

それで、ナショナリストのプーチン氏は、中国についての「はないちもんめ」をはじめて、「本音」をさぐる行動(国家副主席と会談し、10月に中露首脳会談をする)をしているし、「BRICsの結束強化」も行っているのだろう。

なお、露・中の国境における巨大な緩衝地帯、モンゴルは、ロシア支持を打ち出している。

そのプーチン氏は先日、初めて公に「カマラ・ハリス支持」を明言した。

その理由は、政策決定行動が予測しやすいことでのロシアにとっての都合の良さ、を強調したのである。
トランプ氏は、予測不可能というリスクがあるのだ、と。

これは、アメリカ国民には逆にうつる。

カマラ・ハリス政権では、ロシアの手のひらの上で踊らされるに等しい。
なんのことはない、言葉とは裏腹に、プーチン氏は気心がしれたトランプ氏の再選を望んでいるのだ。

しかし、ブラジルの方は、まさにカマラ・ハリス政権の誕生を心待ちにしているにちがいないし、それはグローバリストに主導権が移った?中国もおなじだろう。

すると、いよいよBRICsの分裂が始まるのか?

なにせ、言論統制をはじめたのはEUもしかりだからである。
もちろん、EUも足元では崩壊の萌芽がはじまっていて、加盟各国の内政では、ナショナリズムが台頭している。

これに、左傾化(グローバリズム)に歯止めが効かなくなっているのが、労働党政権になったばかりの英国なのだ。
労働党は、当然にブラジルでの言論統制を支持している。

英国の没落は、もはや決定的なのである。

すると、自由を求めて日系人を中心に、ブラジル人たちがわが国を目指して大挙してやってくる可能性があり、日本政府もこぞって言論統制をやる可能性が高まるのである。

せっかくはるばる自由の国、日本来てこれ(言論統制)かよ!と、わが国で熱い暴動が発生するのも、間も無くのことになってきた、と妄想するのであった。

「メチル」を飲んでいた時代

わが家は、「酒呑み=呑兵衛」の家系ゆえ、遠い親戚には酒屋もあったという。

むかしの酒屋は、造り酒屋ではない販売店でも「量り売り」が基本だったから、自分で入れ物(一升瓶やヒモの付いた陶器の瓶)を持って買いに行った。
冬の名物だった屋台の「夜鳴きラーメン」でも、住宅街なら鍋をもっていって買っているひとはふつうだった。

瓶の口まであふれんばかりのギリギリまでいれるか、肩のあたりでやめるか?を、買い手はジッと観察していて、そそぎ手が「ケチい」と顧客にはならなかったのは、いまの居酒屋で皿にこぼすまでコップ酒を注いでくれる店が繁盛するのとおなじだ。

しかし、容量がわかっている瓶ならまだしも、居酒屋のコップの大きさはよくわからないので、皿にこぼしてくれるのを無条件で歓ぶのはいかがなものか?と思うのも呑兵衛ゆえの細かさである。

とはいえ、コップの代わりにビーカーが出てきたら、理科の実験のようで興ざめだ。
どこかの店では、大きなメスシリンダーにはいった酒が、「デカンタ売り」だったけど。

父は海軍だったので、終戦時には、戦闘機の高度計をはずして、そこにある「純粋アルコール」を、アンプルを呑むようにヤスリでこすってパチッと割って、一気に口に入れ、すぐさま水を流し込んだという。

これがまだ安全だったのは、「エチル・アルコール」だったからで、陸軍に大量在庫があった、燃料用「メチル・アルコール」とは別物である。

高校の化学の授業で、「メチル」と「エチル」の違いは、「メチルは目が散る」とだけ習ったのをいまだに記憶しており、その化学式でのちがいはすっかり忘れている。
そこで念のため化学式は、
メチル・アルコール:CH₃OH エチル・アルコール:C₂H₆O となっている。

どちらにも「C:炭素」がある。
やっぱり、「脱炭素」とは、笑止なのだ。

とにかく、メチル・アルコールを人間が飲むと、中毒症状がでて、嘔吐や腹痛ぐらいならまだしも、失明したり死亡までする毒物だ。

陸軍の「メチル・アルコール」の在庫とは、正確にいうと「燃料用メチル」に、飲用の焼酎を混ぜたものである。
コロナ禍の最中の消毒用アルコール不足で、焼酎も不足したのは、焼酎メーカーが消毒用アルコール(エチル)に生産シフトしたのが原因だった。

しかして、陸軍では、これを飲用すると危険なので、液体を赤く染めたり独特の匂いをつけてあくまでも「燃料用」としていたのである。
もちろん、石油からつくる「メチル」が貴重だから、焼酎を混ぜたのだった。

しかして、会田雄次が『アーロン収容所』で書いた、陸軍司令部のなかにいた「主計」たちの無計画(とにかくなんでも「備蓄」する習性)で、おおくの兵隊の体力がムダに失われ、結果的に戦闘以外で「戦死」してしまったことの責任を糾弾している。

たとえば、「軍靴」のことで、えらく長い行軍(典型的なのは「インパール作戦」)が作戦計画にあるのに、靴の支給がぜんぜんなく裸足どうぜんで熱帯のジャングルを歩かされて衰弱したとか。

日露戦争で、ロシア軍のマシンガンの餌食なった日本兵の肉弾戦は有名だが、じつは日露戦争の戦死者のうち、半分以上が「脚気」に罹患して亡くなっていた。
このことよりも悲惨な、「組織犯罪」が南方戦線での「主計」による目的合理性を欠く「管理」であったことは、いまの世の中でも通じる組織運営上の問題なのである。

なぜなら、会田雄次は、終戦後、主計たちがため込んでいた軍靴からなにから(米や缶詰などの食糧も)の大量在庫に唖然とし、しかもこれを現地でヤミ販売し私腹を肥やしていたのである。

まさに、ソ連が崩壊したときの共産党幹部が、失ったはずの「職権」で国家資産たる物資を私物化したのとまったくおなじ構造なのである。
ただし、こんなことは世界中でおこなわれた。
たとえば、問題作となった映画、『バチカンの嵐』(1982年)がある。

そんなわけで、敗戦後の日本の混乱期、これらの「飲用ではないアルコール」が、大量に闇市に流れ(だれかが陸軍の在庫を私物化した)て、呑兵衛だけでなくすさんだ精神のひとたちの気付け剤として「愛飲」されて、大量の失明者と死者を出す始末であった。

しかも、どうやったかはしらないが、「赤色」を抜き、「臭み」をとって売っていたという。これを、「ばくだん」と呼んでいた。

戦後の焼酎が、「飲用」としてでたのは、「カストリ」を嚆矢とするが、これはこれで劣悪であったから、「ばくだん」と「カストリ」のイメージ効果で、焼酎が日本におけるアルコール飲料の主流になるには、1979年に新発売された『いいちこ』まで待たねばならなかったのである。

わたしには、エジプトから帰国し、就職した1986年になって、同期の仲間と呑んだ『いいちこ』が人生初の焼酎であったからその記憶も味も鮮烈に覚えている。

焼酎って、こんなにうまかったのか?と。

父はもっぱらウイスキー派だったけど、『いいちこ』を呑ませたときは、やはり衝撃があったようだ。

まさか?と。

「ばくだん」と「カストリ」が擦り込まれていたようだから、なかなか口にしなかったときの最初のひと言である。

さて、昨年の「米の作況指数は101」だから、「平年並み」だったのに、なぜか「天候不順」ということになっていてスーパーの棚から米が消えたが、どこかでだれかが、「主計」の習性を発揮して、無意味に貯め込んでいるか、貯め込ますように仕向けているとしかかんがえられない。

それで、「新米」の価格は倍になっている。

メチルならぬ、カリフォルニア米を買わされるなら、それはそれで、なるほど、なのである。