4日(日本時間5日午前~)、連邦合同議会はトランプ大統領の議会演説で盛り上がった。
期待していた、「NATO脱退」はなかったが、同盟国とはいえ外国の議会におけるトップの演説が、自国のトップのものとはまったく「次元がちがう」ことの哀しさは、どう表現すればいいのかさえもわからない。
また、その構成・演出の「自由度」もぜんぜんちがう。
わが国における歴史的名演説ならば、斉藤隆夫が有名だ。
今回のものが、「施政方針演説」と呼ばれているのは、就任して1年以内に内政・外交政策について、向こう4年間の方針を示すためだからという。
それで、2年目以降の「一般教書演説」と区別するらしいが、初代ワシントン、2代アダムズと続いたこの演説は「君主的」とあのジェファーソンが批判して一旦途絶えている。
それで、1913年にウィルソンが復活させるまでは、文書を議会に提出するだけであった。
ようは、アメリカの近代史は、なにかと(FRB創設や所得税のはじまりなど)この、ウッドロウ・ウィルソンというDSの手先を起点とすることがおおい。
なので、トランプ大統領は、この詐欺的民主党大統領以来の伝統を放棄することも選択にあっただろうが、国民へのメッセージ浸透の効果を考慮して絶やさなかったとかんがえられる。
そのためか、公式の議会演説なのに、よくこなした選挙ラリーのような演出が光った。
たとえば、不法移民に陵辱されて殺害された女性の家族を傍聴席に招待し、演説の途中で紹介したり、それが殉職した警察官の遺族であったり、はたまた、暗殺地未遂事件の時に流れ弾によって亡くなった消防士の家族であったり、と。
日本では首相の「施政方針演説」について、事前に「テーマ」が発表されることはないが、今回は、「アメリカンドリームの再生」というテーマだと事前に発表されていた。
これは、大袈裟ではなく、事実上の「第二次アメリカ独立宣言」なのである。
そして、話のなかに含まれている「数々の(選挙)公約」実現を、指名・承認された各大臣の名前を示しながら、その「施政方針」を命ずるという方法は、まったく斬新で、あたかも企業における優れた社長が、各担当役員に明確なミッションを伝達・指示するような風情であった。
なんとなく、派閥やらの力学と当選回数で組閣・入閣し、なんとなく各大臣がそれぞれの役所の官僚によってコントロールされ、不祥事があれば解任されるだけのわが国とは、根本的に異質な体制なのだとよくわかったが、この指示の適確さ・まっとうさが聞くものの感動を呼んだのである。
CNNにしても、この演説をポジティブ評価するしかなかった。
だが、議場の半分にまとまった、民主党議員団のシラケた反応も、全世界が観ていた。
なかには、Stand up and applaud. するわずかな議員と、立ちはしないがパラパラと拍手をする議員と、圧倒的多数のただ憮然としている議員との区別がついた。
議会先進国である英国の例を真似て、わが国でも「党議拘束」をふつうとしている自民党のような政党とはちがって、アメリカの政党には党議拘束はなく、議員の自由が保障されている。
なので、民主党であれ共和党であれ、議員は自身と自身を選んだ有権者に忠実であれ、という原則が優先される。
この意味で、多数の民主党議員がトランプ政権2.0と敵対するのは、ついこないだまでバイデン政権を支えてきた過去があるからだ。
そのために、トランプ氏のこの演説では、徹底的にバイデン政権を批判した。
事前に軍幹部も一新したので、軍人席が比較的穏当であったのも、世界は目撃したのである。
そうして、バイデン時代に欠員した米軍の採用が、急速に応募の復活がみられる状況を説明した。
これは、警察も同様で、重い病で余命を宣告された少年の夢が警察官になることだという本人を招いて、その場でシークレットサービス長官から直接「身分証」を交付させたのは、世界の警察官にとっても自信を深める場面だったろう。
それにしても、就任してまだ1ヶ月半あまりで、信じられぬ成果をすでに出していることを強調したのは、当然だ。
いよいよわが国にも、「関税の嵐」がやってくるのだろうけど、馬耳東風の国内ローカル予算案さえ通ればいい、という井の中の蛙状態では身動きが取れなくなること必定である。
なにせ、この演説の1週間前に、連邦予算を司る連邦下院は、超大型670兆円の減税案を可決している。
この「財源」が、「関税」と「政府の縮小」なのである。
さらに、国防総省の高官は、このトランプ演説に合わせたタイミングで、わが国の国防費をGDPの3%とするように求めた、と報道された。
しかし、この演説ではなく、予算案が衆議院を通過したタイミングであると認識すべきではないか?
つまり、余波どころか大津波が日本も襲うと簡単に予測できるのだが、それがわが国で昨日4日に衆議院を通過した来年度予算案にないからである。
トランプ施政方針演説の前日に、よくもまぁ、と呆れるし、石破訪米を「100点満点」と一斉に評価したことの「つけ」なのである。
よくこれで、経団連も連合も黙っていられるものだと、その鈍感ぶりに感心する。
まさに将来予測ができないので、お答えできませんという子供でもできる理屈で通る、ジャパニーズ・エリートの目先の対応しかできない絶望的劣化を証明している。
ウクライナの戦後すら見えないのは、外務大臣がロシア入国拒否リストに挙げられても、まだわからないのだった。