むかし、『誰がケインズを殺したか』(1990年)という本があった。
むろん、ジョン・メイナード・ケインズは、1946年に心臓発作で亡くなっているから、ここで話題にしているのはケインズの経済理論のことである。
ケインズが唱えた経済理論体系を、「ケインズ経済学」と呼んでいる。
この要諦は、「有効需要」の創造と「乗数効果」にある。
経済学にもやってきた相対化は、1970年代の終わりから80年代にかけて、あまりの国民経済の悪化から、「供給サイド経済学」というものを生んだ。
いわば、ケインズの需要サイドに対抗するはずで、レーガノミクスに採用された感があったが、とうとう主流にはならなかった。
このブログでは、一貫して「アベノミクス」を批判してきた。
初出は、2017年12月に書いた「求人倍率」というタイトルだった。
アベノミクスの理論的支柱を築いたのは誰か?がいまだにハッキリしない「変」がある。
一応、政権の経済顧問だったのは、浜田宏一イェール大学名誉教授がいたけれど、ムニャムニャ述べるひとで、なにがいいたいのかよくわからず、そのうちフェードアウトしてしまった。
これに元大蔵省の本多悦郎が加えたふたりが、アベノミクス立案者だと菅義偉官房長官が明言したというが、本当か?
ほんとうなのは、誰だか出所が分からない「理論」だったことの確かさなのである。
当初から批判的なのは、なにもわたしだけでなく、投資家で有名な、ジム・ロジャーズもそうである。
ロジャーズ氏の指摘はより厳しく、安倍氏の名前は日本(経済)を崩壊させた人物として歴史に名を残すと当初から断言していた。
具体的には、黒田日銀にやらせた「異次元の緩和策」という名の、「円の印刷」だったけれども、通貨価値を下げて経済を回復させることの不可能を突いていた。
だが、安倍時代は総じて「円高」だったのである。
別にいえば、「ドル安」で「ユーロ安」だった。
ようは、西側世界は、通貨安競争をやって、日本がひとり負けした結果の「円高」だったともいえる。
をちなみに、日銀がどんなに通貨を発行しても、市中に通貨が溢れる(=インフレになる)ことはなかった。
国内金融機関に強制的に国債を購入させて余分なおカネを金融機関から吸い上げて、日銀の株式投資原資になっていたから、株価が上昇してプチバブルを形成したのである。
しかし、この余分なおカネとは、本来ならば金融機関が民間に貸し付けるためのものである。
これに、金融庁が「不動産担保」をきつく条件としたので、新ビジネスのための「起業家」へ廻るカネがなくなったから、経済の新陳代謝がとまってオールド企業群だけが残ることになった。
しかも、それらの「上場企業」は、外国資本に株式を買われて、いまでは「日本企業」の定義が揺らぐほどになったのである。
それをまた、経済のグローバル化だと歓ぶ阿呆がいる。
それもこれも、先に準備された「国際会計基準」なる、買収有利の仕組みがあってのことだった。
あたかも、「大坂冬の陣」で、外堀が埋められたのと似ている。
なんにせよ、どう生き残る・生き延びるのか?が、個人の生涯戦略のテーマになったのである。
ロジャーズ氏は、日本人の若者は外国語を習得するように強く主張している。
英語、中国語、その他複数の言語だという。
わたしには、その他がロシア語に聞こえるが、生きるために外国語を習得しないといけない国になったのである。
すると、現在の強制的な学校教育体系からどうやって離脱するのか?が、深刻なテーマになる。
これは、「新卒」採用の公務員系やら既存企業への就職をはなから放棄することを意味するし、言葉ができるだけ、ではビジネスはできない。
むかしの経済力のある商家では、(旧制)中学までで学校教育を終わらせて、その後は、家庭教師による「帝王学」の修得をさせて、家業を引き継がせたものだ。
せれで、事務員の従業員には、帝大卒やらを採用して主人の脇を固めさせたのである。
これが、まもなく一般化する可能性がある。
高校にも大学にもいかずに、どうやって一流をつくるのか?は、教育界を刺激するにちがいない。
こないだ、東横線日吉駅前を自動車で通過した際、赤信号で駅と慶応義塾大学の横断歩道前で停車した。
学生たちのチャラい服装と、全員がスマホを観ている光景を目撃して、これがわが国を代表するエリートとは思えない残念さがあった。
ただの無教養な若者たちが、あたかも受験という枠にはまっているだけである。
安倍氏(組織として「自・公」政権)が壊した日本は、この程度だったのだから、むしろ壊れた方がよかったといえる世の中になることを期待したいのである。