税込み200円という値段に驚きながら、他の作家のシリーズもポチったが、そちらにいついけるかわからない、芥川龍之介の山脈=全4193ページに挑んでいる。
目次を観てはて?とおもうのは、作品が50音順で並んでいることである。
発表の年代順ではない。
ただし、この圧縮された生であった作家の短い生涯からしたら、これもありなのだろう。
さて、記念すべき「あ」からの最初は、『愛読書の印象』(1920年:大正8年)である。
芥川龍之介は、1892年:明治25年3月1日生まれ、1927年:昭和2年7月24日に35歳で没している。
なので、28歳のときの作品である。
「電子版」だから、目次が、発表順の降順と昇順もあったら、とはおもう。
冒頭、「子供の時の愛読書は「西遊記」が第一である。これ等は今日でも僕の愛読書である。比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。」とある。
『西遊記』がいきなり登場した。
岩波文庫版で、全10巻もある、長大な物語である。
しかし、子供用の短縮版か、日中国交正常化と開局25年を記念して製作された、日本テレビのドラマ(1978年10月1日~1979年4月1日まで全26話)を先に思い出すのである。
孫悟空が堺正章、三蔵法師が夏目雅子、猪八戒が西田敏行、沙悟浄が岸部シローという、見事なキャストだった。
なお、1979年11月11日~1980年5月4日までの第二シリーズでは、西田敏行に代わって左とん平が猪八戒役をやっている。
生存者は、なんと堺正章ひとりとなった。
『ロビンソン・クルーソー』もそうだが、子供用だとばかりおもっている作品には、オリジナルが長大な物語なのは多数ある。
東洋文庫の『千夜一夜物語』を途中で挫折したことを思い出したので、いつか読破したいものだし、『カンタベリー物語』もしかり。
『西遊記』は、その長大さに加えて、仏教用語が混じった決してバカにできないものだが、奇妙奇天烈な想像力の爆発が凄いのだ。
なるほど、これも、読破目標に定まった。
ときに、『グレート・ノベルズ-世界を変えた小説』という巨大カタログがある。
人類初の長編小説として、その記念すべき一冊は、『源氏物語』で、次に『西遊記』が、その次にあるのが『ドン・キホーテ』という順で紹介されている。
この本をみて愕然とするのは、これらのカタログに登場する作品のごく僅かしか読んでいない、きわめて貧弱な読書体験をビジュアルで実感することだ。
しかも、ここに芥川龍之介の名も、作品も紹介されていない。
その芥川龍之介は、遺稿で、自身の作品が広く読まれるようになるのは、「著作権が切れてから」と書いている。
なるほど、それで電子版とはいえ「200円」なのであろう。
すると、わたしはここでも、作家の書いたとおりの行動で、著作権が切れてから読んでいる広い読者のひとりになっている。
溶けてなくなることはないだろうが、「紅ひょうたん」のなかにいるようなのであるし、あるいはまた、孫悟空が如来の掌から逃れられない設定そのもののようではある。
10月末で終わった、神奈川近代文学館での「坂口安吾展」に立ち寄ってみたら、平日なのに多くの来館者がいて、その人気ぶりが衰えていないことを実感したが、芥川の死に直面したショックで、この戦後を代表した敏感すぎる作家の生来の反骨と破天荒がより強化されることになったとの解説が記憶にのこる。
ヒロポンと睡眠薬アドルムの大量摂取で、享年48歳。
「あ」で散々でてくる(たとえば『或阿呆の一生』やら)芥川が研究した死に方ではない、だが、坂口は自身をつかった実験で、ある意味「計画的」だが、その突然の死は、やっぱり芥川龍之介に通じるとおもわれる。
それにしても、むかしのひとは、本を読んでいた。
なので、作家の死後も読者は人生を語れるのである。

