20億人の「薬害」

世界で一躍有名アナリストに躍り出たのは、ピーター・ハリガンという人物である。

彼が計算根拠にしたのは、各国政府発表のワクチン薬害データにほかならないから、一気に話題が世界に拡散しているのだが、わが国の情報統制はしっかりしているために、国民はいつも通りのボンヤリとした安逸の中で暮らしている「幸せ」がある。

詳しくは、16日付け「トッポ」さんの「X」記事を検索・参照されたい。

参政党の公約にあった、「新型コロナ・mRNAワクチン検証委員会設置法」は、昨年12月9日に参議院で発議されている。

ハリガン氏も参政党も、実態把握という、もっとも基本的な行動をとっているに過ぎない。
産業界(製造業)では常識の「科学的アプローチ」でいう、6段階の基礎要素だからである。
1 目的を明らかにする
2 事実をつかむ
3 事実についてかんがえる
4 実施方法を決める
5 実施する
6 確かめる

当然ながら、「目的」は、史上最大にして地球規模の薬害への疑問解消である。

そのために、事実をつかむひつようがある。

だが、これだけでも反発するひとたちがいる。
それは製薬会社の利権云々とは別に、政府の宣伝と世の中の同調圧力とで接種を繰り返してしまったひとたちがいう、「なにをいまさら」なのである。

ここで、事実についてかんがえる、段階で予想されることは、「毒抜き方法」のことであろう。
ようは、ほんとうに「薬害」ならば、その「害毒」をどうしたら体外へ排出できるのか?ということであって、優先順位として次点になるのは、「政府や製薬会社の責任」となろう。

しかし、不思議なことに、「なにをいまさら」と発想するするひとたちは、自分の体内にあるはずの害毒の抜き方や、政府や製薬会社の責任追及にもあまり興味がない。
なにしろ、「いま」が楽しければいい、という犬のような発想をしているのである。

これは、前頭葉の発達がないので思考できない動物としてもっとも身近にいる動物のトップである「犬」が、人間を主人として認識し、その精神状態を本能的に理解する能力とは別のことなのである。

すると、現代人の多数は、犬以下、になっているのではないか?

ハリガン氏は、世界での死者数が2000万人にのぼり、心臓発作、脳卒中、肺塞栓などの事象が約20億件だと推計している。
なお、以上の数値は「起きたこと」であって、将来予測を含んでいない。

政府が、高齢者を最優先にした理由は、「お迎え」が近いひとたちならば寿命だとして薬害に気づきにくいこともあるし、年金支給負担の軽減という理由もあったやもしれぬ。
特筆すべきは、医療関係者に最優先させたことで、わざと医療崩壊を招き、よりいっそうのパニックを演出したかったからかもしれないのである。

それで、「なにをいまさら」なのに、なんで「いまごろ」になっての話題なのか?といえば、RFK.Jr厚生長官の仕事が、就任から1年ほど経って実ってきているからであろう。

そんなアメリカの実態すら、わが国のマスコミで報じられることはない。

たしかに「なにをいまさら」ではあるが、毒抜き方法についても興味がないのは残念なのである。

この世の楽園ニッポン

毎日ボンヤリしていても生きていける。

これぞ「楽園」なのである。

気がつけば、みんなボンヤリしながら生きていて、わたしが孤立無援の孤独になっている気がするのは、楽園を楽園としてみていなかったからではないか?と気がついた。
芥川龍之介が、昭和2年に「ぼんやりとした不安」と表現したことの、真逆なのでカタカナ表記がふさわしい。

いわば、おおくが「一年中こたつのなかで暮らしている」ようなものなのだ。

だから、気を入れて、それこそ発憤しないと、こたつからでることができない。
それだから、ずっとこたつの中にいて、精神も身体も、なにもかもが吸い取られ腐るので、これを「ブラックホール」ともいうのだけれど、そこにいる本人には自分が腐りきっていることも気がつかないのである。

「スマホ歩き」が老若男女を問わないのも、延々と続く快楽の刺激に脳が腐ってしまっているから、中途で目を離すことができないのだと科学の証明がある。
いま、電車のなかでおおくの乗客が読書に没頭している光景をみるのは、モスクワであって、日本ではなくなった。

日本は過去の遺産で食いつなぐ状態になっている。

むろん、こうしたことをまともに指摘したとたんに大衆化した人物からえらく叱られるのだが、興奮して叱った方は、時間差があっても、やっぱりそれが適切な指摘なのだと気づくこともないのである。
それでまた、ボンヤリした快楽の「こたつ=ブラックホール」環境に身を置くことしかかんがえない。

生ける屍か?妖怪か?

いつ放送があったのかもしらぬが、ドリフの集大成番組があって、これを訪ねた先の古い友人が録画しているからと観せてくれた。
生存している加藤茶と高木ブーが、コメンテーター席に、リアルな放送を観たこともないだろう若いタレントたちと一緒に座っている。

この友人は、ずっと前からの一戸建ての家にとうとう一人暮らしとなって久しいのである。

それで、この録画を観ると思わず涙が出てくるというのである。
かつてのこの家の中の賑わいとドリフのお笑いが交叉するからであろうけれども、高齢者がひとりこれを観て泣いている光景を想像して怖くなった。

これはノスタルジーなのではない。

妖怪化しているのである。

それで、「孤独」についてのショーペンハウアーやら空海の話をしたら、興味をひくどころか怒りだしたのである。

そんなものに興味はないと。

しつこくも、なぜかと聞けば、これ以上の(深い=あたらしい)知識は必要ないというから、やっぱり妖怪化しているのである。

クリエーターとしての視点でも分析して鑑賞しているのでもない。
このアドリブのようなコント群が、おそろしくも計算されたリハーサルの結果だとしっていることとは関係ない。

それよりも、半世紀から前のドリフのコントで、いま笑うことがこの人物の「心の糧」になっていることに寒々とした自分がいる。
まともな話し相手を失っている寂しさを感じつつ、静かにお暇したのである。

彼が孤独なのではなく、わたしが孤独なのだ。

しらぬ間に、このニッポンの世は楽園だったのである。

しかして、青山学院大学の福井義高教授は、外国人が殺到しているニッポンがこの世の楽園だと証明していると喝破している。
しかも、本人たちが、ニッポンは楽園だと動画にアップしてくれていると証拠を示す。

教授は、100年後、世界の中で社会秩序が保たれている先進国は日本だけだと断言する。
他国はぜんぶ、ドカンと自滅する、と。
緩やかに衰退する日本が、相対的に、かつ、自覚なく、気がつけば唯一の先進国としての生き残るのだという。

残念ながらヨーロッパはもう間に合わない。

しかし、そうした日本の条件は、鎖国なき江戸時代への回帰だ、と。

なるほど、回帰。

いつの時代も、ニッポンは楽園だったのである。

たしかに、温暖帯に位置する島国は、地球上に日本列島しかない。
地球儀をみれば納得できる。

日本人の精神的余裕は、地上の楽園だからであろう。

だからこそ、いろいろと興味深いことがあるために、わたしはひとりで、むろん、自己満足もあって、図書館に通っているのである。

これも妖怪化しているのであろう。

イランはどうなるのか?

1978年の1月からはじまったのが、イラン革命である。

中東で、「SONY革命」と呼ばれていたのは、パリにいたホメイニ師なる宗教指導者の「声」を録音したカセットテープが、当時世界を席巻していた「ソニーのラジカセ」を通してイラン国内に拡散されたからである。

なので、1982年当時、わたしがはじめてエジプトに入国したときのカイロ空港の手荷物検査では、申告していないカセットテープがないか詳しく調べられた記憶がある。
むろん、申告しても没収になる時代だったのは、前年にサダト大統領が暗殺されたことの警戒が解けていなかったこともあった。

ようは、搭乗するはるか前に、カセットテープを持参してはならない、というのが「旅の基本知識」であった。
ただし、現地で購入した音楽テープの持ち出しは自由であった。

そのイランの「パフラヴィー朝」第二代の「皇帝」が、俗にいう「パーレビ国王」で、テヘランからカイロに逃れた後の80年に、カイロで帰らぬ人となり、市内イスラム地区の「リファーイーモスク」にいまも眠っている。

国を追われて、「癌治療」のためにアメリカへの入国が許可されたことが原因で、テヘランの「アメリカ大使館人質事件」が起きて、館員の救出作戦に失敗したことで、民主党カーター政権は1期で終わることとなる。

それで、現在、イスラム教は実質的に世界最大の宗教になっている。

公式にはキリスト教徒の数が上回ることになっているが、信仰の深さでは比較しようがないほど弱いキリスト教を圧倒しているのがイスラム教なのである。
だが、約9割のスンニ派と約1割のシーア派とに分かれていて、スンニ派の擁護者としてサウジアラビア王家がある。

シーア派は、預言者ムハンマドの血統を重視しているために、イマーム(宗教指導者)は基本的に血縁関係にあってその系統は12ある。
ムハンマドの後継者、第4代カリフだった「アリーの党派=シーア・アリー」だから、「シーア派」なのである。

それで、いまの最高指導者「ハメネイ師」の名前は、アリー・ハーメネイー、である。

革命前のイランは、当時としては斬新的なアメリカ文化が主流であったために、同時代の東京よりもあか抜けていた。
つまり、「イケていた」のであるが、それが伝統保守派からしたら社会の乱れとして嘆かわしくも見えたのである。

社会における「振り子」の振り幅がやたらおおきい。

そのために、まじめさが嵩じて「革命」にまで達すると、こんどは「革命防衛隊」なる武装組織ができて、一般国民生活の中にまで監視の目が光ることとなった。
宗教は「心」を扱うので、全体主義にいきやすいのは中世の魔女狩りも同然である。
ナチスの「親衛隊」を彷彿させるのは、人間のかんがえつくことに限界があるからだろう。

しかして、「革命政府」を名乗るために、やめられない、のである。

この意味で半世紀もの時間を、よく耐えた、ということか?

当時の「イケていた」世代は、70代以上になっている。
昨年末よりはじまった大規模反政府デモが、とうとう全国に拡散しただけでなく、とうとう軍が発砲するに至っている。

トランプ政権2.0は、一般国民に銃口を向けることがないように忠告していたが、それが破られた。
一方で、ベネズエラのイラン製防空網が機能しなかったこととあわせてかんがえると、マドゥーロ夫婦をアメリカに移送して安全地帯に保護したこととの順番が重要になる。

つまり、昨年末からのイランでの反政府デモ発生 ⇒ マドゥーロ夫婦拉致 ⇒ イランで政府側が国民に発砲 という順のことである。
これに、イランの支援を受けているイエメンのフーシ派が弱る事態となって、イランとイエメンに挟まれて対峙するサウジアラビアはジッと事態の推移を観察していることだろう。

トランプ政権1.0からの中東政策「アブラハム合意」の要は、サウジアラビアのイスラエル承認という大目標があることを念頭におくと、「風が吹けば桶屋が儲かる」状態を構築している可能性が高い。

おそらく、昨年、トランプ政権2.0がやったというが人的被害の報告がない「核施設へのバンカーバスターによる空爆」は、北部砂漠地帯のどこかだれもいない地域に事前協議の上で実行したものだとおもわれるが、今度はそうはいかない。

すると、トランプ政権2.0は、イランに影響力があるロシアと、いったいどんな協議をしているのか?
もはや終わったも同然のウクライナ戦争は優先順位トップから落ちて、中東とアフリカに話題が移っているのではないかとかんがえる。

ここで、アフリカが登場するのは、フランス植民地の親露化によって、フランスGDPの3割にもなる「セーファー(CFA)フラン」と「ウラン鉱石」の利権が途絶えたら、フランス経済は自立不可能になるからで、マクロン政権にトドメを刺すどころの騒ぎではなく、弱ったドイツに加えてEUそのものの経済的基盤が崩壊するからである。

そんなわけで、ベネズエラ暫定政権のロドリゲス(副大統領からの昇格)は、マドゥーロ夫婦拉致に賛意を表明したマクロンに対抗して、フランス外交団への帰国命令を発して、断交状態をつくりだしている。

トランプ政権2.0が仕掛けた立体を超える四次元パズルに、とうてい、日本外交も追いつかないのは、もはや知能(IQ)の格差があるからではないのか?

その中核を、ラトクリフCIA長官が担っていることだけは確かなようである。

1月6日事件の時効

パム・ボンディ司法長官を解任せよ!との投稿が多数ある。

2021年1月6日におきた、「国会議事堂襲撃事件」の首謀者を逮捕する動きが見あたらないためであるし、5年の時効が迫っているためでもある。

確かに、この事件だけをみると時効が気になるのではあるが、トランプ氏をはじめとしたトランプ政権2.0内で、司法長官更迭の声がきこえてこないのは何故か?

もっと巨大な「山」を追及しているからではないか?としかかんがえられない。

とにかく、クリントン政権からずっと、とくにオバマ政権の闇は深く、バイデンの犯罪的な政権は、4年にわたってしっかりと「売国」をやめなかったのも、その裏にオバマの存在があったからである。

活動資金は、ソロス財団やビル・ゲイツ財団だけでなく、DOGEによって政府組織のUSAID(アメリカ国際開発庁:1961年にケネディ政権によって創設)が、CIAの財布として数々の活動資金に利用されていたことが判明した。

そのケネディ氏暗殺の犯人探しに、CIAが編み出したプロパガンダ用語が「陰謀論:Conspiracy theory)であったし、政権に都合が悪い論には、この用語をあてることで「噴飯物」として世の中が相手にしないように仕向けてきたのであった。

さらに、カーター政権が高度成長で絶好調の日本を真似て創設した高級官僚制(SES)を、大拡大して、アイビーリーグの学生を千人単位で増員をかけたのがオバマであったから、これら大量採用の官僚を、「オバマ・チルドレン」と呼ぶようになっている。

むろん、軍もポリコレの士官を養成すべく命じられたので、此度のベネズエラ作戦(作戦名:Operation Absolute Resolve:断固たる決意)にあたって、南米方面司令官の女性アメリカ陸軍大将は、「X」に狙いはベネズエラの石油資源利権であると投稿してしまったが、これも作戦のうちなのか?それとも勇み足の余計なことなのか?

タイミング的に、あるいは、マドゥーロがどこにいるのか?を明確にする役割を果たしたのは、中国からの特別代表団であったし、彼らも空港の閉鎖で帰国できないでいる。
不思議なのは、イランから導入した自慢のはずの防空システムも作動せず、本作戦は数時間で成功裡に終了しているのである。

はたして、マドゥーロ夫婦は、事前に投降することに同意していたのか?が疑われるし、最低でも政権内に内通者が組織的にいたと解釈しないとおかしいのである。

では、トランプ政権2.0が目論む目的はなにか?であるが、当然に複数あるであろう。

だから、石油利権だという将軍の指摘はまちがってはいない。
だが、「1月6日事件」につながる重大事は、なんといっても「バイデンジャンプ」にみられる大規模選挙不正の解明にほかならないはずである。

昨年末には、ジョージア州フルトン郡(州都アトランタを含む州内の最大選挙区)の2020年大統領選挙での開票状況について、裁判所への証拠提出命令がでていてなんとまだあの選挙は終わっていないのである。

ちなみに、アメリカ大統領選挙は、州ごとの選挙人争奪戦なので、単純な得票数では決まらない。
それで、トランプ氏とバイデンの選挙人の数を決定づける票差は、わずか数万票なのであって、その一つがジョージア州の結果が影響する。

ときに、問題となって世界的に有名になったのが、自動投票機「ドミニオン」のあり得ない、ネット接続とか、作動プログラムの更新ミス、さらに、複数回スキャニングなど、ありとあらゆる疑惑がわいたことが記憶にのこる。

その「ドミニオン」の製造故郷が、ベネズエラなのである。

むろん、マドゥーロも、最有力候補者を立候補禁止にするやらの政治的妨害をやってはいるが、やはり決め手は、「ドミニオン」への依存だったことは有名だ。

すると、トランプ政権2.0は、いかなる条件を提示して、マドゥーロ夫婦と「ディール」するのか?が気になるのだが、「芋づる式」でとんでもないことが明らかになれば、むしろ本作戦は、マドゥーロ夫婦の生命の安全にとって「保護」となる可能性もでてくる。

なにせ、オバマは在職中に世界中の数千人を指定して暗殺指令を発したことでも有名なのである。

昨年中に、トランプ政権2.0ナンバー2の天才、スティーブン・ミラー氏が一連の「逮捕予告」を発しているのは、伊達ではないのである。

【緊急コメント】ベネズエラが踏み絵

3日のアメリカ軍による「ベネズエラのマドゥーロ夫婦拘束&アメリカへの移送」について、4日、わが国の外務省は報道官談話を発表した。

本稿では、この談話についての考察をしたい。

4項目の談話のはじめは、「関係国と緊密に連携して情報収集を含めた対応に努めています」とあるから、日本政府に事前通告がなかったことがわかるし、その後も連絡がとれないことを示唆している。

そこで、2項目には、邦人保護、を強調しているけれども、アメリカ軍は拘束作戦後に、全部隊が退去しているとの報道がある。
つまり、米軍が「侵攻した」のではないから、邦人保護の要請について現地の日本企業がどこまで求めているのかも不明な談話なのである。

南米の主だった報道では、「(国家の癌摘出の)外科手術が成功した」とある。

3項目目は、「日本政府としてはこれまでも、一刻も早くベネズエラにおける民主主義が回復されることの重要性を訴えてきています」だけで終わっているので、今回のアメリカの措置についての論評はない状態である。

おそらく、外務大臣も「なんのこっちゃ?」レベルなのだろうし、首相もノーマークだったのではないか?と推測する。
おどろくほどの、世界情勢音痴ぶりである。

そんな状況だから、お花畑の論を最後の4項目でぶちまけているのは、わが国外務官僚の限界を示す前例となった。
つまり、国益ではなく省益優先がこれほどまでにあからさまになったことの、恥ずべき例、としてである。

なんと、「国際法の原則の尊重を重視してきた」と、暗にアメリカを批難するギリギリの表現を駆使して、官庁文学の真髄を発揮しているばかりか、あろうことか「G7」やら「地域諸国」を含む関係国と緊密に連携し、といった世迷い言をかまして、さらに、「ベネズエラにおける民主主義の回復及び情勢の安定化に向けた外交努力を進めてまいります」と、意味不明な文章で終わっている。

わが国が、ベネズエラにおける民主主義の回復及び情勢の安定化にどのような貢献ができるか?といえば、なにもない、からである。
それにはやく「G7(アメリカと日本を除けば、G5)」なる、悪いトモダチ関係を断たねばならない。

むしろ、アメリカ側の予告は、これまでにもたくさんあって、これらについても日・米の連携なんてなんにもないし、そもそも、アメリカはバイデン政権からしても、ベネズエラのマドゥーロ政権を承認していない外交的事実がある。

よって、国家元首は不可侵であるといった「国際法」を、アメリカは破っていないという法理すなわち外交的にも国際法的にも筋を通しているのである。
ために、アメリカ民主党が、今回の措置を国内的にも批難するなら、バイデン時代へのブーメランとなる論理矛盾になるのである。

さらに、アメリカはマドゥーロ夫婦を、とっくに麻薬カルテルの首謀者として指名手配していて、今回の作戦にはFBI捜査官も参加し、そのまま「逮捕執行者」となっている。
そうやって、アメリカの裁判にかける、ということの前例(パナマのノエリガ将軍)も、かつて最高裁判所も認めているのである。

むろん、「国家主権」を引き合いに出せば、アメリカの傍若無人ぶりは問題だが、そもそもアメリカという国は傍若無人だし、そんなアメリカの属国のわが国が、「国家主権」をいいだすのは、国際的な「お笑い種」であることすら、外務官僚が理解していないことのほうが深刻なのである。

しかも、アメリカはマドゥーロ政権の転覆ではなく、「現職副大統領の昇格」を暗に認めている。

ノーベル平和賞をトランプ氏に献げた、野党のマチャド女史にまだお呼びはかかっていない。

民主党が得意の「政権転覆」をすぐさまやらないところが、トランプ政権2.0なのである。

そんなわけで、わが国の高市政権は、いきなり「踏み絵」を試されている。
けれども、これがキツいのは、議院内閣制の限界をも示唆する事態だからである。
外交オンチだろうが、経済オンチだろうが、国会議員をながくやれば大臣になれる体制の限界ともいえる。

それでこれまでは、官僚から議員になって、古巣の大臣になるという「出世」街道があったけれども、先輩やらの事務次官とかが組織全体を牛耳る中では、「そこそこ」で通じたのである。

しかし、外部専門家をいかに使うのか?という「適材適所」が実現できない議院内閣制には限界があるとしれたのである。

この点で、トランプ政権2.0は、国務省の官僚(組織)を信用していないことが明らかで、重要な交渉に職業外交官を起用していない。

これはこれで、ちなみに、わが国では平成12年(2000年)をもって「外交官試験」は廃止され、「国家総合職試験」に統合されて人材が平準化している。

これはこれで、悪名高い「科挙」なのだ。

麻薬カルテルの撲滅という視点でみたら、コロンビア、メキシコ、カナダが次の相手である。

これに、ベネズエラの石油利権がからむけれども、マドゥーロが選挙にあの「ドミニオン」を使っていることも、トランプ政権2.0が一掃したいことであろう。

なんにせよ、日本は同盟国としての踏み絵テストをクリアできていないのが現状なのである。

参政党の共産主義を容認する

新自由主義(本来なら「グローバリズム」というべき)から、世界の経済潮流は「市場ではなく政治が一番わかっている=共産主義」へとシフトしている。

この重要な時期に、こんな大変革の本質をとうとう理解できずに12月30日に逝ったのが、不破哲三(本名:上田健二郎)であった。

「市場ではなく政治が一番わかっている」と主張しているのが、共産主義が大嫌いなはずのトランプでありプーチンで、むしろ共産主義に親和性があるマクロンやスターマー、メルツ、それにフォン・デア・ライエンの面々は「お呼びでない」のだ。

これはいったいどういうことか?

かつて、自らの企業活動を成功させた政治家は皆無だったのに、トランプの異色は別格で、加えて当然の組織づくりをしっている。
プーチンは、伊藤貫氏が評価するように、400〜500年に一度の逸材が突如として出てきたのだが、この人物は「歴史家(哲学者)」なのである。

ゆえに、成功の方程式を経済面と歴史面から心得ている人物がペアを組む、これまた歴史上滅多にないことが起きていているといえる。
それゆえに、このふたりとは比較にならない甘い認識でも、学校エリートで生きてきたヨーロッパの凡庸な指導者たちが、ぜんぜんついて行けないのである。

凡庸さの代表が天才を憎む、『アマデウス』でのサリエリのような世界が、いまのヨーロッパでウクライナを材料に死闘を繰り広げているとみればわかりやすいだろう。
3日、ベネズエラのマドゥーロ夫婦を拘束したという、トランプ政権2.0のやり方を「民主主義でない」と批難するのは、凡庸、の発露なのである。

「保守(政党)ではない」と明言しているのが、「参政党」である。

このブログでもたびたび書いているように、「保守」の概念とは相対的なものなので、なにをもって「保守」というのか?は、基盤となる思想に左右される。
たとえば、共産国でいう保守派とは、「教条主義的極左」のことである。
逆に、自由圏での保守派とは、「歴史的伝統主義」を基盤としている。

なので、対抗する勢力としての「改革派」の意味も、それぞれで真逆になる。

わが国のばあい、「昭和末期」から延々と続く「(政治)改革」のために、歴史的伝統主義を保守する勢力が衰退し、進歩主義=社会主義計画経済体制への変換(ことに「アベノミクス」)が実施されて、いまやノスタルジーに変化した「昭和の高度成長」は、遠い過去のおとぎ話のようになったのである。

それもたったの30年でこうなったのは、国民の政治への無関心をつくった昭和という時代での準備=人為の徹底があったから、選挙で選ばれた政治家が盲目的にアメリカ民主党の計画したとおりにつくりあげた現在があるのだ。

その日本側最終世代が、高市政権だと認識している国民がどれほど少数か?でわかるのである。
逆に、多くの国民が記録的な高市政権支持をしていることに、わが国の「残念」がある。

ただし、そんな数字もマスコミの操作(プロパガンダ)かもしれない。

まじめにわが国の将来をかんがえたとき、最大にして最も基本的な大問題は、少子化による人口減少に尽きる。
なお、これは高齢化の結果ではなく、これ自体独立した問題であることに注意がいる。

国家の構成要素の最たる、「人口」に「減少」の歯止めができないことは、これ以上の国内問題はないからである。
その減少レベルは、まさに「亡国」を予感させる数学となっている。

特殊出生率の最新世界ランキングをみると、現在の人口が維持できる「2.1」以上の国は、102カ国あって、ほぼすべてが途上国ばかりである。
そのはるか97も下の199位にわが国(1.20)があるけれど、同率にイタリアがあるし、ロシアすら176位(1.41)にすぎない。

ウクライナは212位(0.98)で、すぐ上の211位(1.00)に中国が、213位(0.97)にはシンガポール、215位(0.87)に台湾、最下位に韓国の驚愕的0.72となっている。

2024年大晦日の『紅白歌合戦』における韓国からの出場歌手にまつわる批難話があるようだけれど、NHKがわが国の「歌合戦」に韓国人を常在させるようにしているのは、近い将来韓国を「併合」したいからか?と疑いたくなるほどの、亡国が時間の問題になっているのだ。

つまり、わが国の人口減少よりも、ずっと高速で人口を失う国が、アジアに集中しているのである。
とはいえ、他国がどうするのか?ではなく、絶対値的な対応をしないと、人口減少は「時間の問題」だけに放置は許されない。

そこで、参政党は、子供ひとりあたり月額10万円の給付(15歳まで)という政策案を掲げている。
3人なら、月額30万円(不課税も)となって、あえて書けば「専業主婦」への賃金収入的な位置づけをしているのである。

ここで、つまらない財源問題をいいたいのではなく、国家が子供を育成するという、あたかも共産主義を進めたいことへの容認論なのである。
人口減少への対処は、あくまでも「数学」による冷酷さがある。
とにかく、特殊出生率が2.1を上回ることがなければ、「減る」からである。

1億2千万の人口が、幕末とかのレベル(34百万人)になっても大丈夫、という論をいうひともいるが、たとえ実数で8000万人になっても、特殊出生率が改善しないなら、そのまま底が抜けるまで減り続けるのであるし、8000万人になったのだからといきなりスイッチを入れて特殊出生率を急速に上げるような方策はないのである。

まさに、『ボッコちゃん』の世界だ。

だから、いまの1.20をたとえばロシア並みの1.41に大改善したところで、滅亡レベルの到達時間が延びるにすぎない。
ちなみに、プーチン氏のロシアではわが国よりも積極的に、あたかも参政党案を強力に推進しているのが現状なのである。

これはこれで、かつて共産国だったことの有利さがあるかもしれない。

だが、隣の大国は、共産党支配なのに、1.00という深刻さで、とっくに「一人っ子政策」をやめたのに、特殊出生率は低下し続けている。
国家統計が怪しい国でのこの数字は、「余程のこと」だともかんがえられる。

ただし、分母が巨大なので、あたかも外国への移住を推進させる余裕があるともいえるが、「数学」的には、そんな余裕をかましていていいのか?という疑問はのこる。

分母が大きい分、減る数も凄まじいからである。

おそらく、今後の東アジア(シンガポールを含む)は、人口減少のスピード競争になっていくことはまちがいない。
なかでも、韓国や台湾の数字は、いまや「待ったなし」を超えてしまっている。

これも、自由主義が効かず、地政学の圧が効いているということか?

数百年後の世界地図における東アジアは、現状の国境も国も維持することはできないであろう。

国家予算の大胆な「組換え」をやらないと、ロシアがやっている方式もできずに、肝心の時間だけが過ぎ去っていくのである。

「子供は国の宝」とは、もはや文学表現ではない。

「麻薬撲滅」が日本で意味すること

トランプ政権2.0が、ベネズエラやコロンビア、あるいはメキシコやカナダに対して仕掛けている、「麻薬カルテルへの攻撃」を、日本人はまったくの他人事のように感じている。

むろん、フェンタニルについては、名古屋港が中継地だったこともあって、貿易管理という面で大恥をかいたのではあるけれど、マスコミが大騒ぎしないので「関係者」は助かっているのだろう。

さて、問題の核心を先に書けば、わが国が「医薬品の超消費大国」であることだ。

世界の消費量の7.2%を、日本(人)だけで使い切っている。
つまり、購入しているのである。
その金額は、毎年約10兆円。

ようは、日本人は「薬漬け」なのであるけれど、一方で「薬好き」なのだ。

このことは、一般薬があたかも「麻薬化」して、やめられない、状態を示している。
つまるところ、「薬依存=中毒」なのである。

いつからこんなに薬が好きな国民になったのか?

それは、薬が「漢方」から「西洋薬」に切り替わってから、とかんがえるのが妥当であろう。
それゆえに、明治史からよくよく歴史トピックをみて気がつくのは、戊辰戦争からいろいろな「乱」を経て、日清・日露の大戦をもって明治が終わることだ。

大正には、第一次大戦の青島攻略に参加して、さらにシベリア出兵、それから昭和になってからは誰もがしっている通りである。
ざっと、幕末から昭和20年の敗戦までの70年余で、戦争ばかりやっていたのが「近代日本」の実情なのである。

戦争につきものなのは、「麻薬」である。

兵士たちに勇気を与えるために、各国の軍隊はこれを使用した。
ことに、ベトナム戦争におけるアメリカ軍のベトコンとの闘いにおける恐怖からの解放に使われたため、深刻な中毒者たちが大量に帰還して、若者文化の象徴だった「ヒッピー」で蔓延したこととの相乗効果となった。

正規軍対便衣兵の悲惨が、南京事件なるものを引きだしたが、ベトナムでも、当時最強を誇るアメリカ正規軍がゲリラ戦を仕掛けられたことの厄介は、結局、アメリカ軍の敗北という点で世界史に残った。

ここに、「ハーグ陸戦協定」の有効性がウソだとしれるのである。

逆に、捕虜を規定した「ジュネーブ条約」を一般国民の常識にしないといけないが、日本政府はみごとに条約違反をおかしても平気の平左なのは、野党のおおくが「お花畑思考」なので、思考停止をよしとして余計なことにしているからである。

これが、フクシマの爆発になったのである。

置いてきぼりになっているのが国民なのだが、その国民もお花畑に住んでいる。

近代戦争の勝敗は、科学力と生産力にかかっているので、子供から国民への科学教育が重視されるのは当然である。
そのなかで、科学万能主義が刷り込まれた。

日本における代表は、『鉄腕アトム』に相違ないが、御茶の水博士とアトムの悩みは、メアリー・シェリーが書いたあの『フランケンシュタイン』を引き合いに出したくなる。

以来、「メカニクス」と「エレクトロニクス」が結合して、「メカトロニクス」になった。
これにA.I.が加わっての「創薬」がおこなわれている。
これで、より安全な薬が日本で売れる、と製薬会社は踏んでいるらしいが、これをまた推しているのが厚労省なる官民癒着なのである。

ところが、A.I.に対応するデータセンター建設のために、メモリチップが深刻な品不足となり、パソコンの生産ができなくなったのである。

風が吹けば桶屋が儲かる。

落語の世界は、笑えない現実になっているのである。

「和式」の復活

2026年がはじまったが、昨年から日本復活の吉兆がみえるようになってきた。

あらゆる点で、「和式」がトレンドになるにちがいない。

新年早々、話題としてトイレは除きたいおもいがあるけれど、トイレなくして生活はできないので、かならず「(ミニ)鏡餅」を置いて三が日は「トイレの参拝」からはじめている。
わたしの人生では20代のはじめまで、「和式便所」が一般的で、「洋式」の普及はまだまだの状態であった。

「伝統的な日本(文化)」というと、工芸品たる「モノ」に話題が集約される傾向がまだまだあるのも実態で、「無形の文化」についての評価が低いのが残念である。

それが、こないだ書いた「歩き方」が代表する。

しかし、よくよく観察すると、たとえば、サッカーのスーパースター、アルゼンチン代表のリオネル・メッシの歩き方が、「和式」なのである。
彼はどうやって修得したかしらないが、身体をコントロールするのに自然と「和式」になったとかしかおもえない。

かんたんにいうと、「かかとで着地しない」のが、和式のポイントなのである。
「足裏全体」あるいは、足指の手前の「丘」部分で着地して、つま先で蹴る動作ではなく、着地した足の反動で次の足を出す、という方式である。

なので、見た目は「すり足」になる。

これを、フリー狂言師の茂山千三郎氏は、人間国宝だった父の四世茂山千作が口にしていた「土踏まずで歩け」を、足裏全体で着地することを意味したのだと解釈しているという。
これは、道具としての草履、あるいは、下駄を履くと自然にそうなるようになっていると気づく。

鼻緒(さいきんでは「花緒」というらしい)でしか接触しない履物なので、かかとから着地すると脱げてしまうし、そもそもこれらの履物は足のかかとが2センチ程度はみ出すのが正しいサイズ感なので、かかとからの着地はありえないのである。

裸足になればなおさらに、人間はかかとからの着地はしない。

単純に、痛い、からであるし、長く続けると確実に足首や膝、股関節を痛めるばかりか、背骨までゆがんでしまう。
まったく、かかと着地は不健康なのである。

「洋靴」と「草履・下駄」の販売も、むかしから分離していて、「靴屋」と「履物屋」は別だった。
ここに、西洋を受け入れる文化と、そうでない文化の区分がみえるのである。

思想でいえば、西周と福沢諭吉の西洋と、もっと過激なジャン・ジャック・ルソーの社会契約論を翻訳して自由民権運動に多大なる影響をあたえながら、じつは批判的にみていた中江兆民とのちがいのように、である。

つまり、「靴屋」と「下駄屋」は別の店であったが、客は両方を用いていたろう。
だが店=業界では、それが大変なライバル関係にあって、大正期には拮抗し、昭和初期に靴屋の優位となる。

ところが、昭和8年に、科学が解明した「足の不具合原因」についての論文が新聞各紙に掲載されて、がぜん「下駄と草履」が売れ出したことがある。

当時すでに患者が続出していた「外反母趾と内反小趾」の原因が「洋靴」で、草履と下駄の愛用者はこれらにならない、という結論がウケたばかりか、改善と治療には草履と下駄が適切だとの指摘があったのである。

草履と下駄は、無意識に足の指が動いて、鼻緒をつまむ動きだけでなく、つま先表面をつかむ動きをすることで、土踏まずが形成される。
つまり、足に筋肉と筋(すじ)がつくばかりか、それで骨格が矯正されるのである。

とはいえ、いまや「履物」=「靴」であるから、西洋に席巻されたのは疑いようもない。

ドイツ式の靴が整形外科の知見からできているので愛用してきたが、まさか草履と下駄がかくなる効果を内蔵した逸品だったとはしらなかった。

それで登場するのが、「和式」の「歩き方」なのである。

『真田太平記』に登場する「草の者=忍者」たちは、一晩で数百キロを走破したとの記述が繰り返されて、あたかも作家の「眉唾」だとおもっていたが、そうではなく、まったくの現実だったのである。

日本人は「和式」の歩き方を失って、洋式の「ウォーキング」をすることで、かえって不健康になっている。

和式そのものにも異変はあった。

大正期、蕎麦屋が「機械」を導入したところ、「手打ちより機械打ちが断然うまい」との評判がたって、「手打ちの蕎麦屋」が古いとされた。

いまや、インバンド観光客が、「Soba(「Buckwheat」よりも通じる?)」にはまって、ラーメンか蕎麦かの好みがわかれる時代になっている。
自国に帰っても、ラーメンはなんとか食べることができても、蕎麦は日常的ではない。
乾麺はあっても「出汁」とともに「つゆ」が入手困難なのである。

ために、日本通は、蕎麦屋に夢中になる。

ところで、中央アジア、とくにウズベキスタン(首都はタシケント)やアゼルバイジャン(首都はバクー)では、空前の日本語学習ブームになっている。
アゼルバイジャンは、初代大統領が「日本のような国にしたい」と演説して火がついた。
ウズベキスタンは、仏教国でもある。

日本語が普及するとは、現代の西洋化した日本人にはかんがえにくいが、さにあらず。

言葉が思想・文化の基本だから、「和式」が普及するのも必然なのである。

【2026年頭】時代の転換がはじまる

謹賀新年。

わが国の「失われた30年」が40年になりそうななか、世界情勢は勝手にわが国に有利な方向へ動きだしている。

むろんこれもアメリカ合衆国の意向が原因なのだけれども、「失われた30年を選択したのは日本自身だ」という説もある。
しかも、皮肉にもこの贅沢な時代解釈は、過去の昭和の繁栄の遺産で食いつなぐ事ができた点で、周辺の豊かさに依存できた、という理由なのである。

その遺産とは、「個人資産の食い潰し」もさることながら、じつは、「解雇しない・できない」日本独自の価値観による雇用条件があったために、上野千鶴子がいうとおり、だが彼女の発言とは関係なく、「みんなで貧乏になった」のだった。

それもこれも、要素価格均等化定理がまともに機能して、海外移転による産業の空洞化がおきても、従業員を解雇しないためにおきた賃金下落の我慢大会であった。
しかも、それでも従業員が辞めないのは、わが国に「労働市場がない」からなのである。

むろん、いまだに「終身雇用」が設計の基本になっている公的年金制度も放置されたままなので、中途退社する前提が最初から社会にない。
つまり、「労働市場がない」ことが、原因と結果になっている。

この30年以上、自公政権と途中の民主党政権が、みごとになにもしなかったことがよくわかるのだが、自分たちも終身雇用のなかに棲んでいるのが政策を立案する立場の官僚だから、部分対処しかしないのではなくて、ぜんぜん世間の実態をしらないのである。
なにせ、新卒で官僚になるのがエリートのコースになっている。

これがこれまでの、日本政治&(官僚)政府の本質であった。

ところが、昨年1月20日に発足した「トランプ政権2.0」(まだ1年に満たない)で、事情変更の原則が発動して、いやでも反応せざるをえないように仕向けられている。
それがまた、ラッキーなことに、新・冷戦構造で再び「勝ち組」への編入機会を与えられている現状なのである。

この意味でも、わが国の衰退による貧困の蔓延で、はては共産化させたいとたくらむ偏向マスコミ人たちが、トランプ政権2.0を「敵意」をもって扱うのは、自白も同然なのである。

しかし、そんなことに目もくれず、トランプ政権2.0は、わが国のポジションを最も有利においてくれている。
しかも、その思想は、かつての「自由主義」ではなくて、あろうことか「政府介入主義」なのである。

このことに、愚か者たちが仕切るEUはぜんぜん気づいていないし、むろん、自民党政権も気づいてはいない。
だが、対中共、という一点で、わが国は地政学的なプレイヤーとしてのポジションを久しぶりに与えられている。

なお、実質GDPでは、とっくに中共に抜かれたアメリカは第二位にあって、稀代の指導者プーチンのロシアは、いつの間にかになんと四位に位置する経済大国なのである。
わが国は、ここでも挟撃されているものの、あろうことかドイツは経済的に自滅中で虫の息にある。

戦略をまちがえると、とんでもないことになるとかつての同盟国が身を以て教えてくれている。
現体制では、おそらくドイツは復活できない。

不動産業で成功したトランプ氏にある経験は、産業界が儲かる方法をしっているがために、なんと「政府介入主義」を採用している。
つまり、ふつう社会主義を意味する政府の介入が、トランプ風に別物として現れてきているのだ。

すると、わが国に伝統的に存在する、民間との癒着体質が、ここで効果を発揮すると期待できるが、怪しいのは「(発想が)古い」経団連と自民党の思考停止なのである。

過去の伝説的な経済官僚の優秀さを強調するものではなくて、表面的には、むしろもっと屈辱的にアメリカ(民主党ではなくてトランプ政権2.0)からの指示に従う、という側面での優位さであるから、一歩まちがうと「(民主党への拝米)保守」からの反発となろう。

問題なのは、高市内閣への驚異的な支持率が、いつ崩壊するか?にある。

この政権も、しょせん、旧来となんらかわらぬ自民党政権なのであって、高市氏の偽装した仮面がもう剥がれだしている。
それゆえに、総選挙はあんがい早いのではないか?と期待したいが、多数の国民が気づくようにトランプ政権2.0がどう仕向けるのか?興味深い。

アメリカ自身の産業復活に、わが国が上手に利用されることでわが国の産業も助かるだろう。
そのための、人材育成をどうするか?は、喫緊の課題である。

このところ、教育省廃止を目標にして就任したリンダ・マクマホン女史の動向が報じられず不明だが、教育省を廃止しても技術者養成のためのシステムを強化するにちがいなく、それがまたわが国に波及するにちがいない。

今年は、トランプ政権2.0が描くシナリオの本格的実行の年になる。
中間選挙があるからではあるけれど、それがもたらすパワーの発揮を期待したい。


「トランプ級」戦艦建造計画

2025年最後の話題は「戦艦」である。

22日、トランプ大統領は、自らの名を冠した2艦の戦艦建造を発表した。

とりあえず2艦を建造するも、将来は20艦以上の保有を目するという。
このとき、マルコ・ルビオ国務長官とピート・ヘグセス戦争長官が同席していた。

ふつう、大統領の名をつけるのは「航空母艦」としているのがアメリカ海軍のきまりだが、トランプ大統領は異例にも「戦艦」の「級」とした。

現在の空母の排水量はだいたい10万トンであるけれど、トランプ級戦艦は6〜7万トンを想定しているようである。
ちなみに、「戦艦大和」は、基準6万2千トン、満載時7万3千トン弱であったので、ほぼ「大和級」に匹敵するといえる。

なお、わが国の最新護衛艦「もがみ型」の最終12番艦「よしい」が22日に進水して、来年度中に配属される予定になっている。
この艦の基準排水量は3千900トンという小ぶりさ、だし、乗員も90名といった少数運用が設計の基礎にある。

わが国の思想は、小ぶりな艦を多数保有することでの「分散型」なのである。

これは、覇権国ではない、あくまでも自主防衛という視点からの武装としたら正解であろう。
一方、アメリカ合衆国なるバリバリの覇権国にとっての目的は、対抗する覇権国家へ格上げチャレンジャーの存立を許さない、という思想がある。

戦略的に、こうしたチャレンジャーの「封じ込め」を画策するのがその典型的な外交態度となるし、その外交力を担保するための武装計画が連動する当然がある。

しかして、アメリカ合衆国が封じ込めを画策する相手とは、中共、だしそのための連携相手としてロシアとインドへ秋波を送っているのである。
それで、ウクライナ和平に熱心なのだし、ロシアから石油をコッソリ買っていたインドへのおとがめがないのである。

では、わが国はどうなのか?

むろん、「同盟国」としての位置づけから、アメリカの「戦艦構想」は心強い、といえるのだが、なぜにいまさら戦艦なのか?を問うと、あんがいとそこに潜む意図は、シビアだという現実も見え隠れする。

第一に、いまから建造しようという「戦艦」に、大砲は装備しない。
最大限の長距離ミサイル発射装置をもつ、巨大ミサイルフリゲート艦ともいえるが、これに加えて、最新のレーザー砲や電子粒子砲をも配置して、ドローンによる飽和攻撃にも対抗するのが設計思想にある。

こうした兵器群を運用するに、海中、海上、空中、宇宙といった3次元情報管理能力が要求されるのは、いまどき、ならではなのである。
しかして、その要は、大陸に配置されている「(戦術)核」の「足」よりも長い射程のミサイルを海上から制御することにある。

つまり、すっかり大陸側の射程内にある、わが国は、とうに「不沈空母」ではない。

だから、既存の巨大空母を旗艦とする最強といわれた「第七艦隊」でさえも、台湾やらの「第一列島線」より西に侵入できない現実から、それよりもずっと「外からの」攻撃力を要する戦艦が必要だというわけである。

これは、第四次中東戦争における、エジプト空軍の発想とおなじだ。

このときの空軍司令官が、ホスニ・ムバラク空軍大将だった。
ソ連製の短距離ミサイルの傘から抜けてはならぬ、とした基本戦略を、なんとエジプト陸軍は愚かにも、イスラエルの作戦に誘導されて、あたかも「勝ち馬」のごとく砂漠を驀進して、一瞬の勝利を味わった後、傘がないことでのイスラエル機からの空爆で全滅した。

それで、陸軍国のエジプトから、空軍出身の大統領が誕生したのである。

つまり、トランプ級戦艦とは、ミサイルの傘を洋上から構築するものではあるが、わが国の安全は、この「時代遅れ」と嗤われる戦艦の威力に依存することとなっている。
むろん、アメリカには原子力潜水艦があるので、水中と洋上の先制攻撃強化なのである。

しかして、わが国の技術が最新兵器群の最先端なので、アメリカ海軍はわが国の技術に依存しているのが実情なのである。

つまり、アメリカにとっての日本防衛とは、自国軍事力の基盤を守ることとイコールになっている。

そこへもっての「戦艦」とは、心理戦のスタートでもある。

弱い日本、というイメージが剥がれだすとはこのことで、来年以降、よりハッキリしてくることだろう。

よい新年を。