明治以前の江戸時代から、官庁の真似をしたのが民間(商家=企業)であった。
武家の制度を商家も庄屋も真似ていたは、貧困化する武家が養子をだしたからである。
しかも、家(武家にとっては「企業」と同じく「ゴーイングコンサーン」を第一とする)を継がせるための兄弟がおおいのはふつうだったので、地領の庄屋に養子を受け入れさせるだけでなく、その配下の小作人にもさせて「血」をつなげていた。
明治の「近代」がはじまれば、たとえば、「予算(制度)」も、はじまりは官庁の「経費予算」からはじまって、それが「売上予算」として範囲を拡大した経緯がある。
それで、「売上予算」は未達でも、「経費予算」は100%使い切ることがふつうに民間企業でも行われるのは、元が官庁の業務管理のための「予算」という仕組みだからである。
収入予算が米の出来高に依存した江戸期、武士社会が「俸禄=家制度」を基盤としたから、これを商家も真似て、「分家=新家」を「暖簾分け」とした。
ただし、地領制の武家の方が先に行き詰まって、上で触れたように次男以下は長子(兄)相続にあっての夭逝対策(掛け捨て)保険扱いでしかないために、長子が成人したらその後の次男以下は養子に出るか生涯独身で嫁をとらず子孫を絶やすしかなかった。
「食い扶持」に厳しかったのである。
それで、武士同士の縁組に漏れた次男以下が自家の知行地の庄屋の養子にでもなればまだましで、そうでなければあっさりと小作人になるか出家の身となったのである。
ここが、ヨーロッパにおける「農奴(serf)」と決定的にことなるが、修道僧と似ていて出生の身分としての絶対が保証もされないのは、なかなかに厳しい社会であったともいえる。
だが、そこは実家の知行地でのことだから、小作人になってもそれなりの減免措置があったという。
それで、代が進むと実家との疎遠も進み、本格的な小作になるか、本家の男子がいないときに「血統」だけで呼び戻されることもあった。
皇統というところの、継体天皇、のごとくである。
こうして、元武士の小作人でも「学問」をして、もしもに備えていたのが、農村全体の教育普及に役立ったのであるし、それだけ「血統」を厳密に庄屋(田畑貸出帳簿)と菩提寺(過去帳)の二面から管理していたといえるのである。
なんにせよ、それぞれが皆貧しかったので、子供は早い時期から奉公にだされた。
この意味で、幕府が整備した「街道」と「宿場」における、雇用需要は、奉公人からしても有益だったといえる。
ただし、いまのような雇用形態ではないし、「口利きの親分」という地元に顔が利く有力者が君臨していたのである。
むろん、そういう人物は、奉行所やらと関係があるのがふつうだから、ときには十手を授かっていたろうし、天領(代官)ばかりか各藩にもコピーされた制度となっていたはずである。
それでもっとも単純な労働力をほしがるのが、「宿=旅籠」であったとは容易に想像できる。
男子は力仕事を伴う雑用、女子は文字どおりの女中であったが、場合によっては「飯盛り女=売春」も引き受けて稼いでいた。
それが盛んだったのは、武州の西端に位置した保土ケ谷宿(標準的に日本橋からの最初の宿泊地)で、主たる女中の供給源は隣の相模の国で募集されたので、「相模女は淫ら」との評が江戸で立つ。
昭和の終わりころまで、保土ケ谷宿には岡場所っぽい古い家がまとまっていくつか残っていた。
しかし、こうした「風習」は、街道伝いであっという間に伝播するものなのである。
そうやって、江戸から明治、そして昭和になっても、こうした仕組みは残っていて、旅館に雇われるひとたちの複雑な人生はそのまま尾てい骨のように残ったのである。
それでバブルが崩壊すると、たくさんの旅館やホテルの経営破たんがあったけれども、その際に複数の女将から、従業員のことはどうでもいいからわが家族だけは助けてくれ、といわれた経験がある。
これこそが、見栄の仮面が破れた瞬間だったろう。
しかし、現代は、経営に失敗した一家よりも、残る従業員の方が貴重な経営資源であるから、経営再生には従業員を再教育することが不可欠かつ最重要なのである。
その意味で、『駅前旅館』の文学性はかえって格調高いのである。
しかも、井伏鱒二が書いた『駅前旅館』の主人公が、万年番頭を社会的には「恥」だとする実情を表現し、なお、公的社会保障制度がなかった時代ゆえの将来不安と身の振り方を自ら模索するのは、漫然として生きていけるいまよりもずっと厳しいが人間らしさがあったことだとおもわせる「名作」になっている。
ようは、むかしは緊迫した自分の人生だったのである。
ちなみに、「駅前旅館」が収録されている、『井伏鱒二自選全集第五巻』には、「掛持ち」と「ある草案」の二作が、「旅館もの」の実験的作品となっている。
しかして、わが国を代表する誰もがしっている大手ホテルだって、戦後昭和の半ばまで、「従業員」を「雇員」といっていたし、それらの扱いはまるで「身分制」によっていたものであるから、上に書いた女将たちを決して嗤えない。
この意味で、豊かになった時代は、複雑な人生を完全否定して、なかったものにして無視するので、かえって行き場をうしなったひとたちには、はるかむかしより厳しい社会になっているはずである。
それでも、多様性が重要という綺麗事をいうのは、ずいぶんな人間の劣化なのだ。
武士が「家」単位の俸禄を失って、給料取りになっても、宿の番頭は歩合制で客引きをやっていたけれど、「名人」ともなれば基本給の10倍も稼いだというから、いまではありえないほどの実力主義である。
ために、評判の番頭は希望する条件で転社できたのだが、いつまで番頭稼業をやるのか?が切実な問題になるのである。
これはこれで、ボーナスを加えた年収も退職金も減ったいま、いったんは従業員になったものの、身の振り方をかんがえることがふつうになった現代は、よほど昭和の戦前社会にまで巻き戻されているといえるのである。
新年度がはじまって二週間。
いまや、「4時間退職」なる、超短期で、しかも「退職代行」をつかっての手続が流行っている。
そこまで個人が見切る企業組織とは何なのか?
少子による若者需要が企業存続のために必須であるはずなのに、あたかも使い捨てにできるのは、これはこれでずいぶんと「強気」ではあるが、業界として「選ばれない」ことが決定的常識ともなれば、やはりゴーイングコンサーンの達成は困難になるものを。

