国家を運営するために「つかうカネ」のことである。
基本的に国家(「公」部門)には、民間企業が絶対に必要とする「売上・利益」を無視することが常識だが、「手数料」とかの「国庫や自治体収入」が意外とあるものだ。
とはいえ、国家は、「カネをつかう」ことしかできない。
企業はひとにカネがつくけれど、国家はカネにひとがつく。
わたしが「経営企画」で、ホテル企業として全社の予算担当をやっていたころ、サービス料売上とか電話収入とかいうものにもどれほどかの予算(皮算用)を立てた。
これらは、利用客数との相関関係なので、最小二乗法とかを用いれば、あんがいと予定通りになったのは、利用客の利用方法がパターン化されていたからである。
しかし、従業員の「慶弔」については、あえて予算化しなかった。
だれがいつ結婚して出産があって、家族の不幸があるかなどは、その都度対応で十分だったからである。
だが、「国」レベルとなると、計算は大変そうだが、過去何十年だかのパターンから見積もれば、それなりの数字になるのは想像がつく。
ために、人口動態調査がある。
しかし、たとえば、携帯電話が普及したら、過去の電話利用が皆無となってしまうのは分かりやすい事例だ。
なので、過去のパターンからの線型代数的なグラフをイメージして予算化するだけでは、時代の変化に対応できないことを認めることになるのである。
それが、19日の日銀発表で、「アベノミクス」による「異次元の金融緩和」についての、厳しい批判・自己反省であった。
ただし、日銀という組織も、読売新聞やらの一般企業と同じで、トップの意向に逆らうことはできない、「官僚制」が基本にあるのは、半官半民の組織としては当然である。
だから、この反省やら批判は、いまの総裁がかんがえていることであって、当時の総裁ならこんなことはよほどの失敗が明らかにならない限りでてこない。
このブログでは、なんどもアベノミクスについては、その社会主義性(国富を国家が分配する=集めて配る)をもって批判してきた。
こうした「日銀の反省」に、異議を唱えたのが、極左の高市早苗氏だから、なんだかわかりやすい。
いまになって「減税」がいわれているのに、このひとはひと言も口をはさまない。
「減税」は、集めて配る手間を省く、集めなければよい、というシンプルさの万人に対するメリットに国民はとっくに気がついたのか?
いや、ただ国民が貧乏になったので、払いたくない、だけになったのだろう。
もう、ひとりあたりGDPで、台湾に抜かれ、かつての宗主国としての面影もなくなった。
この原因が、社会主義をやると貧乏になるという「経済法則」が働いていることに尽きるのだが、「自・公」どころか立憲も巻きこんだ政権に、社会主義をやめる意志などとうてい期待できない。
もちろん、「国民民主」も、お里は社会主義政党だし、「維新」も「れいわ」も同じ。
予算を組むのは、平時においては、国民生活向上のための国づくりを安定的におこなえるようにするためだから、国の役割として国民生活向上にどんなことをするのか?が先に立つ。
それで、安逸なるひとたちは、国家にいろんな役割を持たせることでその「肥大化」を促すのだが、こうした安逸が意図されたのも、社会主義によるから、思想とはおそろしい。
一方で、徹底的に国家の機能を絞り込んで、「夜警国家」でいいという議論から、もっと過激化したら、無政府国家が理想だというひともでてくる。
これらの主張が実現したら、国家予算は限りなくゼロに近づくのか?
あんがいそうでもないのは、国民のモラルが高ければ、という条件が必要だからである。
そんなわけで、社会主義化を成功させ、ついには共産国家の実現をめざす、「自・公・立憲」政権は、国民のモラルを壊す政策を急ぐのである。
そのための「こども家庭庁」だし、いまさかんな、戸籍にかかわる政策やら、LGBT法案の成立だった。
そうしてこれらに、多額の予算が計上されているのである。
ひるがえって、あと一ヶ月で政権交代するアメリカでは、まずは無事に「選挙人投票」が実施されて、年明け6日の連邦合同議会による「投票の確認=当選者承認」が行われる。
ところが、政府予算が切れるだけでなく、来年度予算も決まっていない状態だから、予算権限をもつ連邦下院が大揺れに揺れている。
トランプ派のはずの共和党の下院議長が、日和ってしまって、トランプ派から糾弾され、もしや「解任」ともなれば、6日はどうなるのか?という心配にまでなっている。
いわゆる「つなぎ予算」の承認ができないのは、政府機関の閉鎖を阻止するだけの「運転資金」ではなくて、誰がどうしてこんな「案」を作成したのか?莫大な額の「本予算で組むべき」ものがたくさん入っているのである。
アメリカは財務省が予算案策定をするのではない。
議会が予算案を策定し、大統領は、議会に「お願い」をする立場にある。
だから、国務長官がなにをどうウクライナ支援をしようと言おうが、議会の承認なくして、1セントも支出できないのだ。
これを、あたかもすぐに実行するような誤解をあたえる報道をするのが、読売新聞やらの日本メディアなのである。
そんなこんなで、いつ崩壊するともしれないウクライナの大臣が来日して、とうとう財務省に乗り込んで、「顧問」やらと支援についての協議をした、というのは、どんな了見なのか?と外国人を非難する前に、なんで行政府がかってに外国の大臣と話を進めて、開催中の国会を無視できるのか?が大問題なのである。
いったん、日本政府をリセットしないといけない時期になっている。
カネでしか問題解決できないのが、政府というものなのだと、国民が気づきはじめたのは、よいことだけど。