世に「グルテンフリー」が流行る傾向にあるのは、日本人の消化機能にグルテンが向かないからだといわれている。
それが嵩じて、腸に炎症を起こすと、全身に不調があらわれる。
数千年間、米や雑穀を食べてきた日本人に、小麦のグルテンが悪さをする。
逆に、ヨーロッパでは、おおむね寒冷地にあたるために米ではなく麦が栽培され、それも「三圃農業」へと発達し、肉食のための酪農との合流があった。
彼らの農業は、ほとんど「放置」をもってする大規模栽培なので、日本の米作りを「農業」とはいわずに、「園芸」として解釈している。
むかしは、「スパゲッティ」としてしかしらなかった「パスタ」であるけれど、とくに戦後の普及には「スパゲッティ・ナポリタン」と、「スパゲッティ・ミートソース」あるいは、これに挽肉ダンゴをのせた「スパゲッティ・ミートボール」が街の喫茶店で提供されたことが大貢献している。
これに別物として、「マカロニ・グラタン」や「マドレーヌ」が流行って、これらを子供に食べさせるために、ガスオーブンが一般家庭に普及したのである。
わたしは、横浜駅ビルの地下にあった喫茶店「ロータリー」がだいすきで、とにかく「お出かけ」の際に寄ることを楽しみにしていた。
ホイップバターで提供される「ホットケーキ」も絶品だったが、なんといっても「スパゲッティ・ミートボール」がうまかったのである。
けれども、本格的な「お出かけ」だと、まだ伊勢佐木町がメインであった。
それで、「不二家レストラン」で食べるスパゲッティ・ナポリタンと、食後のプリン アラモードが、絶対的に条件付けされたお約束のパターンだったのである。
いま、不二家の伊勢佐木町店は、建て替え工事の最中で仮設店舗はあるが、往年のメニューを食べることはお預けとなっている。
来日したイタリア人は、「スパゲッティ・ナポリタン」をバカにしながらも、そのうまさにドップリはまるものだが、だいたいの感想は、イタリア料理とは別の、「日本料理」と認識するようである。
なので、日本におけるパスタ専門店も、二極化していて、一方は「イタリア料理店系」、一方は「喫茶店文化系」となる。
子供の時分に植え付けられた味覚は怖ろしいもので、わたしはいまでも圧倒的に後者を選択する。
約40年前にイタリアはミラノの北にあるスイス国境の町、コモに住むイタリア人の家にお世話になったときに、作ってくれたトマトソースのスパゲッティが忘れられない。
なんとも、日本的な味付けであったが、なにを加えたのかわからないワンポイントの「ちがい」が、以来いままで日本で味わったことのない特別であった。
だが、あのときのパスタは、高級品ではなかったと記憶している。
パスタの材料として常識の「ディラムセモリナ」とは、ディラム小麦の粗挽きのことで、グルテンがたっぷり含まれている。
練った材料を高圧に金口から押し出すことで、さまざまな形状にするのだが、この金口にはおおきく2種類がある。
高級パスタは、ザラザラした表面になるようにできている一方、普及品パスタはツルツルの表面になるし、これを乾燥させるのに要する時間も高級品と普及品とではぜんぜんちがう。
日本でも、一般的なものはツルツルタイプであるけれど、激安店で購入できるおおくはトルコ産のパスタで、こちらは本場物よりグルテンの含有量が少ないのである。
それは、ディラム小麦そのものの品質のちがいであるけれど、表示義務がないためにどの程度安い粉を用いているのかを確認することはできない。
むろん、こうした値段のちがいの理由に「材料と工程の品質」があるから、高級品がうまいにちがいない、とならないのがミソなのである。
ようは、高級品は「イタリア料理店系」のためのものだからである。
すると、日本料理と化したスパゲッティ・ナポリタンなどには、かえってトルコ産のパスタが向くという皮肉な結果となって、ツルツルののどごしだけでなくグルテンが少ないので日本人の腸にいい、ということにもなる。
余談だが、国産小麦が珍重される風潮もずいぶんなはなしで、世界最低品質と自虐できる国産小麦の闇について、あんがいとしられていない。
「讃岐うどん用」の小麦が、ほぼオーストラリア産なのは、讃岐うどん用の小麦に品種改良したからである。
蕎麦粉もほぼ中国産になって、日本の麺文化は外国依存になっているのである。

