【2026年頭】時代の転換がはじまる

謹賀新年。

わが国の「失われた30年」が40年になりそうななか、世界情勢は勝手にわが国に有利な方向へ動きだしている。

むろんこれもアメリカ合衆国の意向が原因なのだけれども、「失われた30年を選択したのは日本自身だ」という説もある。
しかも、皮肉にもこの贅沢な時代解釈は、過去の昭和の繁栄の遺産で食いつなぐ事ができた点で、周辺の豊かさに依存できた、という理由なのである。

その遺産とは、「個人資産の食い潰し」もさることながら、じつは、「解雇しない・できない」日本独自の価値観による雇用条件があったために、上野千鶴子がいうとおり、だが彼女の発言とは関係なく、「みんなで貧乏になった」のだった。

それもこれも、要素価格均等化定理がまともに機能して、海外移転による産業の空洞化がおきても、従業員を解雇しないためにおきた賃金下落の我慢大会であった。
しかも、それでも従業員が辞めないのは、わが国に「労働市場がない」からなのである。

むろん、いまだに「終身雇用」が設計の基本になっている公的年金制度も放置されたままなので、中途退社する前提が最初から社会にない。
つまり、「労働市場がない」ことが、原因と結果になっている。

この30年以上、自公政権と途中の民主党政権が、みごとになにもしなかったことがよくわかるのだが、自分たちも終身雇用のなかに棲んでいるのが政策を立案する立場の官僚だから、部分対処しかしないのではなくて、ぜんぜん世間の実態をしらないのである。
なにせ、新卒で官僚になるのがエリートのコースになっている。

これがこれまでの、日本政治&(官僚)政府の本質であった。

ところが、昨年1月20日に発足した「トランプ政権2.0」(まだ1年に満たない)で、事情変更の原則が発動して、いやでも反応せざるをえないように仕向けられている。
それがまた、ラッキーなことに、新・冷戦構造で再び「勝ち組」への編入機会を与えられている現状なのである。

この意味でも、わが国の衰退による貧困の蔓延で、はては共産化させたいとたくらむ偏向マスコミ人たちが、トランプ政権2.0を「敵意」をもって扱うのは、自白も同然なのである。

しかし、そんなことに目もくれず、トランプ政権2.0は、わが国のポジションを最も有利においてくれている。
しかも、その思想は、かつての「自由主義」ではなくて、あろうことか「政府介入主義」なのである。

このことに、愚か者たちが仕切るEUはぜんぜん気づいていないし、むろん、自民党政権も気づいてはいない。
だが、対中共、という一点で、わが国は地政学的なプレイヤーとしてのポジションを久しぶりに与えられている。

なお、実質GDPでは、とっくに中共に抜かれたアメリカは第二位にあって、稀代の指導者プーチンのロシアは、いつの間にかになんと四位に位置する経済大国なのである。
わが国は、ここでも挟撃されているものの、あろうことかドイツは経済的に自滅中で虫の息にある。

戦略をまちがえると、とんでもないことになるとかつての同盟国が身を以て教えてくれている。
現体制では、おそらくドイツは復活できない。

不動産業で成功したトランプ氏にある経験は、産業界が儲かる方法をしっているがために、なんと「政府介入主義」を採用している。
つまり、ふつう社会主義を意味する政府の介入が、トランプ風に別物として現れてきているのだ。

すると、わが国に伝統的に存在する、民間との癒着体質が、ここで効果を発揮すると期待できるが、怪しいのは「(発想が)古い」経団連と自民党の思考停止なのである。

過去の伝説的な経済官僚の優秀さを強調するものではなくて、表面的には、むしろもっと屈辱的にアメリカ(民主党ではなくてトランプ政権2.0)からの指示に従う、という側面での優位さであるから、一歩まちがうと「(民主党への拝米)保守」からの反発となろう。

問題なのは、高市内閣への驚異的な支持率が、いつ崩壊するか?にある。

この政権も、しょせん、旧来となんらかわらぬ自民党政権なのであって、高市氏の偽装した仮面がもう剥がれだしている。
それゆえに、総選挙はあんがい早いのではないか?と期待したいが、多数の国民が気づくようにトランプ政権2.0がどう仕向けるのか?興味深い。

アメリカ自身の産業復活に、わが国が上手に利用されることでわが国の産業も助かるだろう。
そのための、人材育成をどうするか?は、喫緊の課題である。

このところ、教育省廃止を目標にして就任したリンダ・マクマホン女史の動向が報じられず不明だが、教育省を廃止しても技術者養成のためのシステムを強化するにちがいなく、それがまたわが国に波及するにちがいない。

今年は、トランプ政権2.0が描くシナリオの本格的実行の年になる。
中間選挙があるからではあるけれど、それがもたらすパワーの発揮を期待したい。


「トランプ級」戦艦建造計画

2025年最後の話題は「戦艦」である。

22日、トランプ大統領は、自らの名を冠した2艦の戦艦建造を発表した。

とりあえず2艦を建造するも、将来は20艦以上の保有を目するという。
このとき、マルコ・ルビオ国務長官とピート・ヘグセス戦争長官が同席していた。

ふつう、大統領の名をつけるのは「航空母艦」としているのがアメリカ海軍のきまりだが、トランプ大統領は異例にも「戦艦」の「級」とした。

現在の空母の排水量はだいたい10万トンであるけれど、トランプ級戦艦は6〜7万トンを想定しているようである。
ちなみに、「戦艦大和」は、基準6万2千トン、満載時7万3千トン弱であったので、ほぼ「大和級」に匹敵するといえる。

なお、わが国の最新護衛艦「もがみ型」の最終12番艦「よしい」が22日に進水して、来年度中に配属される予定になっている。
この艦の基準排水量は3千900トンという小ぶりさ、だし、乗員も90名といった少数運用が設計の基礎にある。

わが国の思想は、小ぶりな艦を多数保有することでの「分散型」なのである。

これは、覇権国ではない、あくまでも自主防衛という視点からの武装としたら正解であろう。
一方、アメリカ合衆国なるバリバリの覇権国にとっての目的は、対抗する覇権国家へ格上げチャレンジャーの存立を許さない、という思想がある。

戦略的に、こうしたチャレンジャーの「封じ込め」を画策するのがその典型的な外交態度となるし、その外交力を担保するための武装計画が連動する当然がある。

しかして、アメリカ合衆国が封じ込めを画策する相手とは、中共、だしそのための連携相手としてロシアとインドへ秋波を送っているのである。
それで、ウクライナ和平に熱心なのだし、ロシアから石油をコッソリ買っていたインドへのおとがめがないのである。

では、わが国はどうなのか?

むろん、「同盟国」としての位置づけから、アメリカの「戦艦構想」は心強い、といえるのだが、なぜにいまさら戦艦なのか?を問うと、あんがいとそこに潜む意図は、シビアだという現実も見え隠れする。

第一に、いまから建造しようという「戦艦」に、大砲は装備しない。
最大限の長距離ミサイル発射装置をもつ、巨大ミサイルフリゲート艦ともいえるが、これに加えて、最新のレーザー砲や電子粒子砲をも配置して、ドローンによる飽和攻撃にも対抗するのが設計思想にある。

こうした兵器群を運用するに、海中、海上、空中、宇宙といった3次元情報管理能力が要求されるのは、いまどき、ならではなのである。
しかして、その要は、大陸に配置されている「(戦術)核」の「足」よりも長い射程のミサイルを海上から制御することにある。

つまり、すっかり大陸側の射程内にある、わが国は、とうに「不沈空母」ではない。

だから、既存の巨大空母を旗艦とする最強といわれた「第七艦隊」でさえも、台湾やらの「第一列島線」より西に侵入できない現実から、それよりもずっと「外からの」攻撃力を要する戦艦が必要だというわけである。

これは、第四次中東戦争における、エジプト空軍の発想とおなじだ。

このときの空軍司令官が、ホスニ・ムバラク空軍大将だった。
ソ連製の短距離ミサイルの傘から抜けてはならぬ、とした基本戦略を、なんとエジプト陸軍は愚かにも、イスラエルの作戦に誘導されて、あたかも「勝ち馬」のごとく砂漠を驀進して、一瞬の勝利を味わった後、傘がないことでのイスラエル機からの空爆で全滅した。

それで、陸軍国のエジプトから、空軍出身の大統領が誕生したのである。

つまり、トランプ級戦艦とは、ミサイルの傘を洋上から構築するものではあるが、わが国の安全は、この「時代遅れ」と嗤われる戦艦の威力に依存することとなっている。
むろん、アメリカには原子力潜水艦があるので、水中と洋上の先制攻撃強化なのである。

しかして、わが国の技術が最新兵器群の最先端なので、アメリカ海軍はわが国の技術に依存しているのが実情なのである。

つまり、アメリカにとっての日本防衛とは、自国軍事力の基盤を守ることとイコールになっている。

そこへもっての「戦艦」とは、心理戦のスタートでもある。

弱い日本、というイメージが剥がれだすとはこのことで、来年以降、よりハッキリしてくることだろう。

よい新年を。

ウクライナが壊した相互依存主義

ソ連が崩壊して、冷戦に勝利した美酒にへべれけに酔ったアメリカが、自ら「一極超大国」を自覚したときにできたのが、無邪気な幻想としての、もっといえばリアリズムから乖離した狂気ともいえる「理論」に自分からはまり込んだことである。
しかし、30年以上やってみて気づいたのは以下の点だった。

・経済相互依存が高まると、戦争は起きない、ことはなかった。

・経済相互依存が高まると、全体主義は緩み自由化がすすむ、ことはなかった。

・そして、市場経済よりも地政学が復活した。

アメリカは、再度、強い日本を望むばかりか、この半世紀で自らの産業生産力を減衰させて、強い日本にアメリカが依存するようになってしまったのである。

その一つの例が半導体だし、産業生産力を縮小させたのは「金融帝国」の構築に邁進して、机上で儲けることばかりに熱心になったら、若者が手を油まみれにして働くことをバカにする常識になってしまったからである。

自由主義で起きた、「産業の空洞化」がいよいよ末期の悲惨な状況になったのである。

それで気がついたら、「経済安全保障」という概念が生まれて、とうとう政府が半導体生産にも介入する時代となって、同盟国相手でもあからさまな政府間調整が行われている。

つまり、自由経済ではなく国際間での統制経済化しているのである。

それが、わが国でも2022年の「経済安全保障推進法(正式には「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律」)となったのである。
具体的には、次の4点が対象である。

・重要物資の安定供給
・基幹インフラの安全確保
・先端技術の開発支援
・特許出願の非公開

かんたんにいえば、経済活動への国家の介入を「法制化」したことにある。
これは、自由経済を金科玉条としてきたことの大転換なのである。

むろん、日本が自らすすんで発想した、のではなくて、弱ったアメリカからの要請であろう。

だが、経産官僚などは、これをおおいに歓迎したはずで、大好きな介入が自由に出来ると大喜びしたにちがいない。
これに乞食化した産業界(経団連)は、補助金争奪戦になるとして、いかに国庫からカネを引き出すか?が経営のおおきなテーマになったはずである。

いまや経団連は、乞食組合と化した。
ちなみに、エジプトに「乞食組合」は実存する組織で、組合員だけが現場配置を許されるために、各所にいる乞食の得た「喜拾」をピンハネして、組合長はベンツに乗っているのである。
これを大衆演劇で新喜劇のごとく「お笑い」にしているのが、エジプト人である。

経団連のお偉方が高級社用車にふんぞり返る姿こそ、乞食組合の幹部らしいのではあるが、昭和なら「お笑い」にしただろうに、もうその気力もないために、いまの日本社会を「管理社会」というのだろう。

それもこれも、わが国に「グランドストラテジー」がないからだ。

アメリカ合衆国が「腐っても鯛」なのは、建国当初からある「憲法」と、時代の都度に書き換えられる「グランドストラテジー」を両輪として動かすことが「癖」となっているのに対して、わが国はずっと「対処療法」でなんとかする、癖、がある。

明治の泰明期、西周と福沢諭吉が、国家存亡の緊急事態として説いた「脱亜入欧」の主張は、当時の正解ではあろうけれど、それが永遠であることもない。
これを、儒学者たる中江兆民が批判したのはいまさらに評価する価値がある。

マスコミが世論誘導しないのも、価値がある、ことの証拠なのである。

プーチン氏は、19日、4時間半の生放送で、「トランプ和平案に合意した」と明言したことも、西側マスコミは報じない。

ようは、米・露はもう、ウクライナの出口を決めていて、すでに「次のステージ」にはいっているのだ。

EU=NATOと日本は、置いてきぼりを喰らっている。

次は、東アジアの覇権をかけた闘争となることは必定で、それはなにも台湾だけの問題ではない。
アメリカのトランプ政権2.0と「タイアップ:Tie-up」できる日本の政権を生むべく、来年は確実に動きだすことも必定なのである。

むろん、アメリカが望むのは、自民党単独政権ではない、であろう。

13日に来日した、国際政治の世界的権威、シカゴ大学のミアシャイマー教授にとっての真の目的は、「講演会」ではなくて、日本における政治状況の調査にあったとみる。
当然ながら、ホワイトハウスに報告されていることだろう。

ようは、アメリカ国務省においてGHQ以来伝統的に引き継がれていた「ジャパンハンドラー」を排するのがマルコ・ルビオ国務長官の仕事であって、トランプ大統領がいう「国防費増額要求」の真意が、教授の「攻撃的現実主義」の具現化なのである。

このために、自由主義から地政学優先の時代になったのである。

それは、日本を味方につけたい国同士の引っ張り合い、であって、日本は「痛いよー!」と子供のように泣いて済むはなしでもない。

アメリカにとって幸いなことに、大陸の国が日本人に嫌われるばかりの「圧力」をかけてくれているので、来年は早々に動きだすはずなのである。

日本国民には朗報であろう。

ルールを作るものの圧倒的強さ

オリンピックであろうが、世界選手権であろうが、白人以外のどこかの国が「強い」となると、ルールを変更してくるのが白人たちの常套手段であった。

だから単純すぎてルールを変えようのない競技、たとえば、陸上における「100m走」やらの場合は、おとなしくして他人種の勝利を容認し、「オリンピック憲章」で禁止したはずの「国別対抗」の意識を高揚させて、勝者に自国の国旗をマントにさせて会場を盛り上げるのである。

それもこれも、白人の都合による。

「背伸び」ならまだしも、「下駄を履かせる(Give someone a boost)」ことでどんなに優勢を誇示しても、しょせん誰によって有利になれたのか?を手品のタネ明かしのようにかんがえないと、単純とか単細胞とかと蔑まれるのがオチである。

これは、国家の経済力、でもいえる。

たとえば、ドイツは、第二次大戦後の荒廃したヨーロッパの復興に利用された。
爆撃で焼け野原になったドイツを、最新工場投資で復興させたのは「マーシャルプラン」があったからだ。

おなじく、米ソ冷戦のためのアジア側不沈空母として日本が復興援助の対象になった。

しかし、両国とも、とくに日本が80年代に「ジャパンアズNo.1」になったことからの警戒と、90年代のロシア・東欧圏の崩壊で、92年にアメリカのグランドストラテジーが変更されたことでの凋落がはじまる。

いま、となりの大国がおなじパターンに落とされ、なお、わが国は5日に発表となったトランプ政権2.0の「新国家安全保障戦略」によって再び上昇傾向のための下駄を履かせられることになったのである。

おおきくいえば、これが戦後三度目にあたる「節目」である。

なので、来年以降、わが国へのアメリカからのさまざまなイチャモンにみえる介入が本格化するだろう。
だが、旧来の思考からしたら「イチャモンにみえる介入」でも、真意は、この30年ばかりの、つまり92年のグランドストラテジーの大転換だから悪いことばかりではない。

その目醒めの冷水を、アメリカ自身もまるで「禊ぎ」のように準備している。

おそらく、年初、アダム・シフ上院議員やらオバマやらの「逮捕」からはじまるショックが走るだろう。
合衆国建国初の大統領経験者の逮捕・起訴は、世界史的な意味をもっている。

いまさらジョージア州フルトン郡の2020年大統領選挙における「不正疑惑」の再調査が裁判所命令で実施されているのも、オバマ・バイデン・民主党の三位一体の不正を国民に知らしめるための内政イベントなのである。

むろん、こうした「小さな話」から、ウクライナの国家的な汚職を通じて巨大なEU幹部に波及するとおもわれ、それを契機に戦争も終結するシナリオであろう。
このとき、オデッサをロシア軍が占領するのか?がひとつのボーナスだともかんがえられる。

さすれば、トランプ政権2.0容認の上での「戦争裁判」がロシアによってはじまり、驚愕の戦争犯罪事実が米・露共同で世界に公表されることになるはずだ。
あくまでもEUのウクライナ支援の側にいるわが国の歴代政権も、この一撃で吹っ飛ぶことになっていて、いかにもトランプ大統領に泣きついたとて容赦はない。

これぞ、「いけず」の発揮であって、どんなに媚びへつらっても奈良を基盤とする高市首相が気づかないのは大ボケとしかいいようがない。

ときに、この動きの最下層にある基盤が少しも動かないことに注意がいる。

ルールをつくるのは、それでもアメリカだということである。

あくまでもローカルなロシアよりも、レベルがちがう「おそろしあ」とは、アメリカ合衆国のことなのである。

組織を「中」から変革できるか?

昨日から正月休みのひとはおおいのであろう。
1年どころか、日常をあらためて反省する意味で、よくいわれる「組織を中から変革できるか?」についてかんがえてみたい。

結論から先に書けば、「トップ」がやること、あるは「トップ次第」である。

つまり、組織の中にいる一般職や中間管理職には不可能とはいわないが、相応にハードルが高いといえるし、「トップ」の能力を組織は超えない、名言の理由でもある。
逆に、トップを無視して、現場が組織を支えている例は山ほどあるが、肝心要の決定ができないので、いずれ限界点を迎える当然があってそれには組織崩壊という現象がともなうものだ。

40年前、鉄壁と思われていたソ連と東欧衛星国の体制崩壊は、歴史的な巨大さだったが誰にもとめることができないものだった。

人心が離れるからである。

たとえば、李登輝こと岩里政男氏は、中国国民党の副主席として長年の間、トップである蒋経国(蒋介石の息子)総統を支える役割を負っていたが、蒋経国亡き後になって初めて「反国民党」の本音を語り、ついには自らの国民党政権での大変革を行ったものの、結局は外に出ることとなった。

トップではないうちは、偉大な「スリーパー」だったのである。

だが、そうやって、偉大なる李登輝を追い出した国民党は、元の木阿弥になっていまにいたる。
これは、トップを無視できる現場の完成された利権の巨大さが動じないためであろう。

この点で、ジョー・バイデンはバラク・オバマの傀儡として、ずっとトップではなく、民主党の幹部とオバマの命に従いながら、その報酬として私腹を肥やすことを容認されていたにちがいない。

この連中の犯罪が、トランプ政権2.0によって明かされて、いよいよ歴史に残る大量逮捕・起訴・有罪の初期段階にきている。

アメリカのトップが、あたかも韓国のお家芸のごとく裁かれる時代になった。

一方で、プーチンとメドヴェージェフの関係も「しかり」ではあるが、李登輝亡き後の世界で「哲人」政治家は、プーチンひとりだけになった皮肉が歴史の転換点をつくっていることはまちがいない。

ワシントン住人たる、伊藤貫氏によれば、プーチンは400から500年にひとりの「逸材」との評価なのだ。
なので、世界の問題は、プーチン「後」のロシアを誰が牽引するのか?にかかっている。

それにしても、李登輝のような「哲人」といわれた傑出した人物でさえも、そして、そんな人物がトップになっても、「国民党」なる一党独裁体制の大組織を変革することは困難なのだ。
シンガポールをつくりあげたリ−・クアンユーは超優秀ではあったが、やっぱり一党独裁体制を築いたので、豊かな北朝鮮=自由なきシンガポール、となっている。

EUのフォン・デア・ライエンが、あからさまに目指している全体主義化に、とうとうアメリカが「価値観をおなじくしない」と宣言して、「検閲」責任者たち5人をアメリカ入国禁止にしたのは、ヨーロッパ一般人への「クリスマス・プレゼント」になったとベートーベンの第九のように「歓喜」の話題になった。

マルコ・ルビオ国務長官は、今回の措置は網羅的ではない、と発言したので、もっと多数の制裁をすべく準備中だと示唆している。

言論統制を推進する自民党の誰か?もアメリカ入国禁止になるやもしれぬと期待している。

農家へのEUの攻撃に、農業が盛んなフランス・ムーズ県やらの役所から「EU旗」が撤去されるムーヴが起きて、どうやら全ヨーロッパに拡大しているという。
足元の地方首長や議会が、「反EU」で旗を撤去しないと、選挙に勝てない、地殻変動が起きているのではないか?とおもわれる。

これに、大統領やら首相職にある国のトップが気づかないのは、プーチン氏が皮肉ったごとく、「子豚ども」なる歴史的マヌケの複数名がいる。
そのプーチン氏は19日、年末恒例の、4時間半の休憩なし連続テレビ生放送で国民対話を行って「実力」を世界にみせつけている。

昨今の国内例なら、高市自民党総裁が総理大臣として推進すると明言した、「国旗損壊罪の立法」に、なんと自民党の地方議員たちが堂々と反対を表明する、組織論としてはあってはならない事態が起きている。
まるで国民党のようなのである。

ここで、誤解のないようにしたいのは、「反対者を口止めしろ」といいたいのではない。

なんであれ「法案」を通す、というトップの発言が、なんと組織内の承認がないままである可能性の驚きなのである。
これを、トップの総裁たる人物が一存でなにがなんでも「通す」としたら、まさに「独裁」となるからである。

高市氏は、安倍政権時に政調会長を経験している。

すると、当該法案についての党内手続はどうなっているのか?という問題と、「国」と「地方」における、「政党としてのガバナンス」というふたつの問題が生じるのである。
前者は「政調会」での決定(基本的に全会一致)が必要だし、後者は、「政党の政治主張の一貫性」に対する曖昧さがあると指摘できる。

政調会での決定は、そのまま内閣に伝達されるので、内閣は行政におけるボードとしてこれを実行に移すのが仕組みだ。
つまり、政策決定において政調会は内閣の上に存在する建て付けになっている。

一方、政党の政治主張の一貫性が曖昧なのは、自民党は一般に「自分党」と揶揄されるがごとく、議員は自身の「後援会」組織によって支えられていて、地方議員にいたっては国会議員で構成される党本部とのちがいがあっても、「自由」という名目の下に、あんがいと好き勝手ができるようになっているからだ。

これに、明治からの藩閥体制の延長で、「都道府県連」というそれぞれの行政区画別に現職の国会議員団が会長を選出し、その都道府県内の議員を引き連れる体制としているが、存立理由は「選挙」のためのもので、選挙区毎の国会議員⇒都道府県議会議員⇒市区町村議会議員というピラミッド構造ばりの親分子分関係が、そのまま選挙での活動力となっている。

つまり、個々の議員の後援会自体がヒエラルキーを構成しているのである。

すると、自民党という政党における「組織」とは、上にいう後援会組織のことであって、党本部との統一的政治主張においての調製をになう会議体もないことがわかる。

「勝手連」なのだ。

よくもこんな政党を「政党扱い」してきたものだが、こうしてみると、自民党は政党とは呼べないヘンな集団である。

30年以上の悪政によって国家が衰退する局面になって、ようやく顕在化してきた。

この組織とも呼べない政党を「中から変革する」のは、不可能であることがわかる。
組織ではないからである。

ならばいかなる方法があるのかといえば、選挙で敗退させて、政界から追放するに尽きるのである。

これがまた、来年の希望の光になっている。

パリは燃えていないが牛糞だらけ

大規模な農民一揆がパリに集結し、マクロンが住まう住宅の壁に牛の糞が塗りたくられている動画が「ニコラ 葉山のフランス人」さんによってアップされた。

ことの発端は、2022年のオランダでの農民一揆とおおきくはかわらない。

世界経済フォーラムとそれに命じられるままのEU委員会とマクロンをはじめとする、クラウス・シュワブが認定した「若手リーダー」の悪政が原因である。
この「若手リーダー」には、コオロギ食を推奨した河野太郎も含まれているし、日本人で評議員なのは竹中平蔵だ。

オランダでは最長を誇っていたルッテ政権が倒れ、ルッテはNATO事務総長へ昇格した。
選挙をしたら負けるのがわかっている、いまのマクロンは、EU委員会委員長の座を狙っていると噂されているが、EU自体が継続できるのか?はなはだ疑問な情勢である。

結局、アメリカの支援がなくてはEUもNATOも存続できないことが、ウクライナで明らかになったし、アメリカの国家安全保障戦略ではEUを見棄てているのである。
これに、J.D.ヴァンス副大統領を筆頭に、EU内の言論統制をもって、「価値観をおなじくしない」と明言して突き放している。

ブッシュ父からバイデンまでの戦争屋たちが仕切った40年が終わったことに気づかない「甘え」と「貴族社会の奢り」が、致命的なのである。

オランダのときとちがうのは、外国からの農産物輸入を「解禁する」という条件が加わったことにある。
「解禁=ほぼ無条件」というのは、農薬もなにも安全性について輸入規制の対象外、というあり得ない条件なのである。

ただし、EU域内の農家は、従前からの規制の対象がはずされることはないばかりか、アフリカからの牛の伝染病に対して、「鳥インフルエンザ」と同様の処分を適応すると定めてしまった。

つまり、オランダのときの「農家潰しの目的」はおなじだが、手段がより厳しくなった。

なぜにこれまでして農家を潰したいのか?
それは、人類の個別(栄養)管理=全体主義の徹底、のためであるし、破たんした農家からの農地を資産運用会社が格安で購入して、現場職員として自由農民や不法移民を採用し、安価な労働力として「農奴」の地位に転落させることも意図しているとみられていることにある。

日本政府の悪辣さとはレベルがちがうが、わが国の「農政」における方向性は、EUとかわりがない50歩100歩だから、「米不足」の本質がヨーロッパの農政からも理解できるというものだ。

そういえば、「若手リーダー」には、小泉進次郎の名も、高市早苗の名前もある。

その高市政権は、驚異的な70%越の支持率を維持しているとの「世論調査結果」がマスコミ各社から発表されているけれど、まったく信じるに値しない。
もし信じるならば、日本人はヨーロッパの「元農奴」たちよりも悲惨な知的問題をかかえているといえる。

はたしてマクロンは、ドイツのメルツがいいだしてフォン・デア・ライエンがその気になった、ロシア凍結資産の無断使い込み(所有権の侵害)をちゃぶ台返しして、恨みを買っている。

メルツは、資産運用会社で世界最大の「ブラックロック社」におけるヨーロッパ本部会長だった人物だ。
それと、メルケルに見出された医者がフォン・デア・ライエンだから、ドイツ人のふたりが揃ってフランスにしてやられたのである。

この手柄で、モスクワに乗り込んでプーチン氏との単独会談を画策し、アメリカ和平案を潰せたらナポレオンのごとく英雄になれるとでもおもっているとしら、プーチンにどんな言葉を浴びせられるかも現代史に残る「おマヌケ」となるだろう。

すでに、プーチン氏はこれらヨーロッパのおマヌケたちを「子豚ども」と呼んでいる。

ロシア語でいう「子豚」とは、やっぱり「おマヌケ」のことなのである。

「お花畑」と「リアリスト」の平行線

ふつうは「水と油」という。

セパレート型ドレッシングが「新発売」されたのは、キューピーの歴史によると1973年のことである。
どんなに振って混ぜても、元の分離状態になるのが面白くて一生懸命に振っていた記憶がある。

それまでマヨネーズが主流だったが、これを境に液体ドレッシングという「油」が主流になった。
ちなみに、インバウンドの外国人がはまる日本のマヨネーズは、「卵黄だけ」が原料でこれにうまみ調味料が加わる独自仕様だから、外国で主流の「全卵」とは別物なのである。

先日、横浜のJR桜木町駅前で、混声コーラスの歌が聞こえたのでなんだとおもったが、「核廃絶」を訴える元全共闘とおもわれる幸せそうな老人の皆さんの演奏だった。
いつかみた、「安倍政治を許さない」とあるステッカーをリュックにつけて歩いていた集団をおもいださせる不気味さの共通がある。

この独善はどこからやってくるのか?

ちょうどセパレート型ドレッシングが発売になったころ、「ウーマンリブ」運動の榎美沙子というひとがテレビのワイドショーによくでていて、子供心にどんな生い立ちのひとなのかを疑う違和感を拡散していた。

そういえば、アメリカでかならず政治問題=選挙での投票行動に直接影響するのが、「中絶問題」であるけれど、逆神の民主党が「女性の権利」をいうところがもう怪しいのである。

それよりも、レイプがふつうになっている社会が先にある。

かならず10年以上の「遅れ」でこうした問題も日本に輸入されるが、小・中学校の校内に仕掛けられた「盗聴器・盗撮カメラ」をどうやってみつけるかの研修が実施されるまでの被害がでていて、捕まる犯人が現職教師という無様であるばかりか、実の父親たちがネットワークをつくって、実の娘を撮影した児童ポルノを回し観していたことも暴かれる時代となった。

ローマの廃頽ここにあり。

一方、共和党は共和党で、「道徳社会の実現」なる対策をもって掲げるが、これはこれで「お花畑」なのである。
それで、リアリストのトランプ政権2.0は、レイプに厳しい対応をしていて、「中絶」については「女性の権利」とはしないで、「柔軟な対応」としているのも宗教絡みなのである。

すると、日本における「新興宗教」としての榎美沙子という教祖がいたとわかるし、その系統の布教活動の一派が全共闘なる運動だったのか?
彼らは、みごとに体制側のサラリーマンになったものの、退職後に、あらためて活動を再開したとかんがえられる。

それに、元が勉強エリートだから思想信条の自由がある公務員になって、行政から議会を牛耳る方法で実現させ、よって社会改変をするという方法が有効になったのである。

18日、首相官邸の役人が語ったという「核保有」発言が、セパレート型ドレッシングの様相をしめしている。

女性初の副大統領だったカマラ・ハリスの発言を「ワード・サラダ」といって、「意味不明」の代名詞としたが、わが国ではセパレート型ドレッシングの意味不明となっているとみる。

マスコミや野党政治家だけでなく、与党で防衛大臣を何度もやって、自身も防大出身という中谷衆議院議員も、なんだか「反発」するかつてからの「慣性の法則」に従っているところが興味深い。

防大はリアリストを養成することに失敗しているのか?

それはさておき、見事な「昭和」感覚が生きていることに驚くのである。
最も重要な視点は、「事情変更」の有・無である。

いま、昭和となにが事情変更されたのか?といえば、
・アメリカ軍の衰退(装備の劣化と人員不足)
・仮想敵国が大量保有する核と、中距離ミサイル群の圧倒による第一列島線の制御不能
・仮想敵国が東南アジア珊瑚礁に築いた「基地」によるシーレーン封鎖の危険 などだ。

むろん、これに、当ブログでも触れている5日発表の新たな「アメリカ国家安全保障戦略」も、じゅうぶんに事情変更と認めることができる。
アメリカは、かつての世界の警察官的行動はしない、と宣言しているだけでも、わが国にはおおいに「昭和」とはぜんぜんちがう事情変更なのである。

さてそれで、「犯人探し」という愚劣に血まなこを挙げるのだろうが、発言者本人の意図は、「核武装させない」ための「核武装論」だったともかんがえられるから、セパレート型ドレッシングだといいたいのである。

なにせ、勉強エリートしか高級役人になれないのだから、その思想背景は「左翼」にきまっているといっても差し支えないほど、わが国のエリート養成大学は「左傾化」している。

つまり、成績優秀なほどその国家観は「お花畑」で怪しいのである。

とすると、マスコミやらの「お花畑」チームが騒いで犯人探しをしている相手は、これらの仲間である可能性があって、その場合、暗視カメラもない中での「同士討ち」にもなるマヌケとなるのである。

これぞ「お花畑」チームの「お花畑」たるゆえんである。

なんとなれば、「お花畑」な脳は、どんなに事情変更の事実があろうが、ずっと「お花畑」でしかないので、かならずやセパレート型ドレッシングのように分かれる。

これをふつう、平行線というのである。


悲惨の平等な分配

むかしからいわれてきたのが、「平等」についての議論である。

入口と出口という区分から、「機会(チャンス)の平等」と「結果の平等」とがあって、とかく外国社会は前者、わが国は後者だという指摘である。

それで、小学校の運動会で、みんなで手をつないでゴールすることが美徳になるようなことがおきた。

わたしが小学生だったころの昭和40年代、高度成長期とはいえまだまだ貧しかった時代、小学校の運動会でも、ゴール順に「ご褒美」がもらえたし、新学期とかの節目には「紅白饅頭」が配られたものだ。

この費用はどこからでていたのか?

もらってくる小学生本人たちはかんがえることもしなかったが、家族もよろこんでいたので不明なままなのである。
それで、わたしはだいたい2着か3着で、折り紙をゲットしたが、1着の子がなにをもらったとか、ビリの子がどうしていたかのはっきりした記憶がない。

ただ、一着と2番手3番手それにビリとでは、中身がちがっていたのは覚えているし、ビリだとなにももらえなかったかともおもう。
それで、6年生になると過去5回の経験から、運動会だけ張り切る子とそうでもない子がいたが、いつもビリだからといって悲惨だったわけでもない。

それもこれもだんだん贅沢になっていたので、べつに折り紙が欲しい、と強くおもわなくなっていたからである。
むろん、学校も工夫していて、低学年では名前の順で組を決めていたが、高学年になると実力順のようになって、けっこうレースとしての意味があったのである。

ただし、公的な学校教育(いまは「私学」すら公的である)では、明治からずっと「よき兵隊」になるための集団主義をたたき込まれる。

これが、ウクライナの場合、集団主義教育に失敗したとおもわれるのが、「脱走兵」の数でわかる。
それが都合の悪い情報になると気づいたゼレンスキー氏は、裁判所に被告となる脱走兵の数を公表しないように命じたことがニュースになった。

アメリカの和平案のオリジナルはウクライナ軍60万人だったのに、EUのちょっかいで80万人に修正されたけれども、この数がそのまま脱走兵の数とおなじなのである。
それで、いつものようにウクライナが、ロシア軍の脱走兵が悲惨な数になっているとの偽情報を発しているのは、自分のことだからである。

気がふれたEUは、ロシアからの戦後賠償金を本気で期待している。

どうして戦勝国が敗戦国に賠償金を支払うのか?前代未聞だ。

ときに、わが国は「失われた40年」になろうとしているけれど、これは、結果の平等を追及するあまり、雇用を損切りの対象とする決断をしないできたためのコスト負担(デフレになる)が原因であると、斉藤ジン氏が『世界秩序が変わるとき』で明言している。

手をつないでゴールするように、みんなで雇用を維持したかわりにみんなの賃金が減ったので、貨幣価値があがってデフレになったというわけだ。

結論は支持できても、アプローチに不満があるのは、斉藤氏は政治家も国民の要請を受けて雇用維持につとめた、というが、わたしはそんな意思や意識をもつ政治家が与党(じっさいは「自・公・立憲共産」政権)にいたとはおもえず、むしろ、学校秀才ゆえに結果平等を擦り込まれた官僚が政策立案する制度的欠陥に原因があったとかんがえている。

はたして、議院内閣制は機能するのか?を再考すると、世界初の議院内閣制をしいた英国の悲惨は、ケインズが大蔵官僚だったこともふくめて、官僚が政策立案にあたることの欠点をどうするか?にある。

この点で、アメリカの大統領制は議会との二元制であることに注目したい。

もっといえば、わが国の「地方自治=首長と議会の二元制」の体制が、アメリカ合衆国の体制に近いのであるけれど、わが国のばあいは首長(行政)が予算案を策定することに、骨抜きの欠陥があるとかんがえる。

アメリカ大統領(行政府)は、予算策定権限をもっていない。

ようは、結果平等の悲惨な分配は、議会主導であることとは関係なく、むしろ、行政官僚に輪をかけて無能な議会が、「追認機関」に成り下がっていることに問題の根源がある。
これは、制度的な欠陥であって、それゆえに無能でも議員が務められ、選択肢のない住民は選挙に行かないという選択をしているのである。

そうやって、選挙とは無縁の官僚主導がいよいよまかり通ることでの「悲惨」が、あまねく平等に分配されるばかりか、政府が肥大化して自滅の道となるのは、『隷属(隷従)への道』のシナリオのとおりである。

ようは、共産化だ。

これはこれで、歴史の必然なのは、なにも唯物史観=マルクスが正しいのではなく(かならずまちがっている)て、制度設計上の欠陥なる単純さにある。

この点で、わが国は「明治体制」のままなのである。

明治体制は昭和に破たんをきたしたが、これを温存したGHQの先見の明とは、わが国にある「自爆装置」を意識的に放置した、悪魔的研究の成果、であろう。

これを「知日家」と呼ぶことの悲惨もまた、自虐的に過ぎるのであった。

『チ。』は欧州を逆転させるか?

サブカル世界のなかで、日本の地位は圧倒的だと評価されている。

サブカル=サブカルチャーの対義語は、メインカルチャーである。
それで、おおいに影響された外国人が、メインカルチャーの扉を開けて、日本文化の深層に迫ろうと、まずは日本語を学ぶことになっているし、日本食のお手軽入門としてラーメンとカレーが世界各地でヒットしているのも、「マンガ」にこれらを食べるシーンがあるからだ。

当然だが、いまはインバウンドの旅行客がこうしたカルチャーを実体験し、それをSNSにアップしてどれもおなじではあるが、「絶賛」しているのである。

衝撃的なのは、「I教」の国からやってきた人物が、トンカツ定食やカツ丼、あるいは豚肉入りのカレーを頬張って、「(豚肉が)こんなにうまいとはしらなかった!」と破戒の動画まで出している。
帰国して無事でいられるのか?観ている方が心配になるのである。

これもひとつのグローバル化で、日本文化が世界文化に混じりだしている。

言語とは、思考に必須の基礎条件なので、日本語を学ぶこととは、そのまま日本思想を学ぶことにも通じる。
こうして、日本人の宗教観が一般的に「無宗教」といわれていたことの安易さのベールが剥がれて、あらゆるところに神が宿る宗教思想の深さも外国人にバレだしているのである。

薄れたとはいえ、キリスト教のいう「絶対神」との究極的対岸にある日本の八百万神を識れば知るほどに、はまり込むようにできている。
なぜなら、「十戒」をわざわざ書き出さなくとも、日本思想における当然が「不文律」で通じることの方が、「J教・C教・I教」徒にとっての驚きとなるからである。

この意味で、「不思議の国ニッポン」は、うそではない。
逆に、日本人が欧米の価値観を識れば知るほどに、泥沼の文化に嫌悪するようになるのも驚きではない。

「鬼畜米英」には、真理がある。

それだから、欧米に生まれて自国文化に違和感を覚えさせる日本発のサブカルが、最強といわれるゆえんがある。
つまり、目醒めさせてしまう、のである。

その最強中の最強が、「マンガ=コミック」の膨大な作品群である。

たとえば、『ベルサイユのばら』は、とっくにひと世代を超えてフランス人のフランス革命の教科書になっている。
超複雑な革命に至るまでの経緯と、その後の超複雑を、かくも視覚化した成功例はないからで、池田理代子氏がレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)を受賞した理由がここにある。

良くも悪くも、「ベルばら」は、フランスの「旧農奴」階級たちの役に立っている。
この圧倒的多数の支持に、エリート層が屈服したそれ自体が「革命的作品」なのである。

すると、中世ポーランドを舞台とした『チ。地球の運動について』の影響はいかに?が気になるのである。

ポーランドは、基本的にカソリックの国だし、なんといっても史上最年少にして史上初のポーランド人教皇「ヨハネパウロ二世」を産んだ国である。
そのヨハネパウロ二世(本名:カロル・ヴォイティワ神学博士)は、旧都クラクフ(17世紀までポーランド王国の首都だった)近郊の出身で、クラクフの司教から大司教、そして枢機卿となって教皇となった人物である。

なので、クラクフの教会には、日曜日にいつもそこから説教していたという窓に等身大の写真を置いて、あたかも見あげる大衆をいまも照らしているのである。
しかも、この旧都は、ポーランド国内では「珍しく」、第二次大戦における破壊から免れた街で、完全破壊されたワルシャワなどの都市とはまったくちがう。

しかして、ポーランド人は、執念でワルシャワの旧市街を「復元」した
あらゆる資料(写真や絵画だけでなく文書)と住人の証言から、石材の欠けや鉄門扉のサビまで細部にわたっての復元は、この街観光の目玉なのである。

ところで、そのクラクフにある、「クラクフ大学」に、あのコペルニクスが学んでいる。

よって、『チ。』のポーランド語版は、確実に衝撃的な内容として広がるだろうけれども、一方で、教会が厳しい態度をとるやもしれない。
ならば、フランス語版、ドイツ語版、英語版はどうか?

邪悪なEU委員会が、かつての教会にかわって「言論弾圧」をしているいま、この作品をどのように扱うのか?は、興味深い。

そのEU委員会を支えているのが、英・仏・独の現政権なのであるが、この3国とも歴史的な不支持がひろがっている。

一方で、バチカンを抱えるイタリアはどうか?

微妙なのである。

試金石とはこのことなのである。

異端として火あぶりにされたヤン・フスや、ガリレオ・ガリレイの「地動説裁判」における名誉回復などを公式に発表したのがヨハネパウロ二世だったのである。

それは1992年のことで、教会が地動説を認めてまだ33年しか経っていない世の中にわれわれは生きているのである。

「C教」が滅んで「I教」が残るわけ

大本は「J教」だが、こちらは血の繋がりなくして拡大しないことになっているから、世界に散らばった民族ではあるけれど、「世界宗教」にはなれなかった。

そのJ教の中から出ると信じられた「救世主」が、なんと、自分の名をかざす新しい宗教を立ち上げた、ことになっている。
むろん、これはその人物の死後のことであって、最初の「新訳聖書」が成立したのは100年後以降のことである。

なんにせよ、いろいろな確執もあって、初期の頃からの血生臭い対立の歴史は、そのまま「肉食の思想」を基盤としている。
たとえば、『ダヴィンチコード』で蒸し返された、「グノーシス派」とかの複雑は日本人には難解である。

これがまた、陰謀論の傑作『20世紀のファウスト-黒い貴族がつくる欺瞞の歴史』となってまとめられている。
もちろん、「陰謀論(Conspiracy theory)」とは、JFK暗殺後にCIAが発明したプロパガンダ用語である。

『チ。』における、「C教」の支配がその後の衰退につながっていることはまちがいない。
しかし、『チ。』以前のイスラム世界は、はるかに進んだ文化・文明下にあったことも事実である。

それで、「I教」の文化圏は、「C教」の支配下に置かれるという逆転となったばかりか、「石油」利権による虐待的な状況にも置かれたのである。

たとえば、ついこないだまでのサウジアラビアは、およそ観光収入を目論むことなどなかったばかりか、I教徒以外には滅多に「観光ビザ」での入国もできなかった。

この点からすると、「石油後」を意識するサウジアラビアの現体制は、まったくもって過去のサウジアラビアではない。
むしろ、本当に「石油後」をかんがえる必要があるのか?と疑うのである。

おそらく、西側(C教)からの洗脳に嵌っていないか?

ここでいいたいのは、イスラム圏の「(C教圏に比べて発展の)遅れ」が、かえって現代最強の世界宗教になった理由かとおもわれる。

つまり、「天国」を信じるものが支えているのである。

「I教」における「天国」とは、経典にあるように、「酒池肉林」のイメージである。
ために、現世においては、「酒」も「(豚)肉」も、さらに「肉欲」も禁忌の対象となっている。

預言者ムハンマドが「妻を4人まで認めた」のは、聖戦(ジハード)の結果、未亡人となった人口割合からの女性救済策であったが、「平等に愛する」ことが条件のために、現代では高所得者ほど4人も妻帯することは厳しくなっている。
なお、ここでいう「平等」とは、日本人が大好きな「結果の平等」をさす。

なんにせよ、「天国」を信じていることが重大なのである。

しかして、現代の最先端科学では、「アカシックレコード」の存在が物理学の事実として認識されている。
個々人の「生」のすべてが、宇宙の彼方にある壁に書き込まれ記録されている。

つまり、ここが現代物理学でいう「天国」なのだ。

「I教」として、これを認めるか認めないか?は、「C教」にとっての「地動説」と同じく、重大なインパクトがあるだろう。

日本人にとっては、「お天道様が見ている」が、本当だった、という意味となる。
「アカシックレコード」の解読に成功したら、わたしの人生もすべて、他人に晒されるのである。

神との契約が、「死」をもって終了する「C教」には、ますます厳しい。

研究者がこぞって、「仏教」へ帰依するというのも頷けるものの、日本の仏教は仏教ではない、という大問題がある。

崩壊の闇から、ヨーロッパで「神社」が流行りだしているのは、決してブームではなく、行き着く先の合理性なのである。

つまり、「I教」は「C教」よりも残る宗教とされるものの、日本の「日本教」が世界最強なのである。

来年からは、アメリカの都合からも、日本(経済)の復活があると予想できるのは、「心」の面でも最強だからであるけれど、これを自虐して否定したい向きとの闘争になるのも必定で、選挙での決着が求められているのはこのことをいう。