国家予算とはなにか?

国家を運営するために「つかうカネ」のことである。

基本的に国家(「公」部門)には、民間企業が絶対に必要とする「売上・利益」を無視することが常識だが、「手数料」とかの「国庫や自治体収入」が意外とあるものだ。

とはいえ、国家は、「カネをつかう」ことしかできない。
企業はひとにカネがつくけれど、国家はカネにひとがつく。

わたしが「経営企画」で、ホテル企業として全社の予算担当をやっていたころ、サービス料売上とか電話収入とかいうものにもどれほどかの予算(皮算用)を立てた。
これらは、利用客数との相関関係なので、最小二乗法とかを用いれば、あんがいと予定通りになったのは、利用客の利用方法がパターン化されていたからである。

しかし、従業員の「慶弔」については、あえて予算化しなかった。
だれがいつ結婚して出産があって、家族の不幸があるかなどは、その都度対応で十分だったからである。

だが、「国」レベルとなると、計算は大変そうだが、過去何十年だかのパターンから見積もれば、それなりの数字になるのは想像がつく。
ために、人口動態調査がある。

しかし、たとえば、携帯電話が普及したら、過去の電話利用が皆無となってしまうのは分かりやすい事例だ。
なので、過去のパターンからの線型代数的なグラフをイメージして予算化するだけでは、時代の変化に対応できないことを認めることになるのである。

それが、19日の日銀発表で、「アベノミクス」による「異次元の金融緩和」についての、厳しい批判・自己反省であった。

ただし、日銀という組織も、読売新聞やらの一般企業と同じで、トップの意向に逆らうことはできない、「官僚制」が基本にあるのは、半官半民の組織としては当然である。
だから、この反省やら批判は、いまの総裁がかんがえていることであって、当時の総裁ならこんなことはよほどの失敗が明らかにならない限りでてこない。

このブログでは、なんどもアベノミクスについては、その社会主義性(国富を国家が分配する=集めて配る)をもって批判してきた。
こうした「日銀の反省」に、異議を唱えたのが、極左の高市早苗氏だから、なんだかわかりやすい。

いまになって「減税」がいわれているのに、このひとはひと言も口をはさまない。

「減税」は、集めて配る手間を省く、集めなければよい、というシンプルさの万人に対するメリットに国民はとっくに気がついたのか?
いや、ただ国民が貧乏になったので、払いたくない、だけになったのだろう。

もう、ひとりあたりGDPで、台湾に抜かれ、かつての宗主国としての面影もなくなった。

この原因が、社会主義をやると貧乏になるという「経済法則」が働いていることに尽きるのだが、「自・公」どころか立憲も巻きこんだ政権に、社会主義をやめる意志などとうてい期待できない。
もちろん、「国民民主」も、お里は社会主義政党だし、「維新」も「れいわ」も同じ。

予算を組むのは、平時においては、国民生活向上のための国づくりを安定的におこなえるようにするためだから、国の役割として国民生活向上にどんなことをするのか?が先に立つ。
それで、安逸なるひとたちは、国家にいろんな役割を持たせることでその「肥大化」を促すのだが、こうした安逸が意図されたのも、社会主義によるから、思想とはおそろしい。

一方で、徹底的に国家の機能を絞り込んで、「夜警国家」でいいという議論から、もっと過激化したら、無政府国家が理想だというひともでてくる。
これらの主張が実現したら、国家予算は限りなくゼロに近づくのか?

あんがいそうでもないのは、国民のモラルが高ければ、という条件が必要だからである。

そんなわけで、社会主義化を成功させ、ついには共産国家の実現をめざす、「自・公・立憲」政権は、国民のモラルを壊す政策を急ぐのである。

そのための「こども家庭庁」だし、いまさかんな、戸籍にかかわる政策やら、LGBT法案の成立だった。
そうしてこれらに、多額の予算が計上されているのである。

ひるがえって、あと一ヶ月で政権交代するアメリカでは、まずは無事に「選挙人投票」が実施されて、年明け6日の連邦合同議会による「投票の確認=当選者承認」が行われる。
ところが、政府予算が切れるだけでなく、来年度予算も決まっていない状態だから、予算権限をもつ連邦下院が大揺れに揺れている。

トランプ派のはずの共和党の下院議長が、日和ってしまって、トランプ派から糾弾され、もしや「解任」ともなれば、6日はどうなるのか?という心配にまでなっている。

いわゆる「つなぎ予算」の承認ができないのは、政府機関の閉鎖を阻止するだけの「運転資金」ではなくて、誰がどうしてこんな「案」を作成したのか?莫大な額の「本予算で組むべき」ものがたくさん入っているのである。

アメリカは財務省が予算案策定をするのではない。

議会が予算案を策定し、大統領は、議会に「お願い」をする立場にある。
だから、国務長官がなにをどうウクライナ支援をしようと言おうが、議会の承認なくして、1セントも支出できないのだ。

これを、あたかもすぐに実行するような誤解をあたえる報道をするのが、読売新聞やらの日本メディアなのである。

そんなこんなで、いつ崩壊するともしれないウクライナの大臣が来日して、とうとう財務省に乗り込んで、「顧問」やらと支援についての協議をした、というのは、どんな了見なのか?と外国人を非難する前に、なんで行政府がかってに外国の大臣と話を進めて、開催中の国会を無視できるのか?が大問題なのである。

いったん、日本政府をリセットしないといけない時期になっている。

カネでしか問題解決できないのが、政府というものなのだと、国民が気づきはじめたのは、よいことだけど。

ナベツネの死と彼の時代

19日、読売新聞グループの総裁、渡辺恒雄氏(98歳)が肺炎で亡くなったとの報があった。

ずいぶん前に、東大の学生時代に共産党員だったことをカミングアウトして、辞めた理由を同窓の宮本顕治が嫌いだったからだとあっさり述べたのを記憶している。
もっといえば、自分が共産党のトップだったら辞めずにいた、ともとれる権力志向をあからさまにしても意に介さない御仁だった。

それが、ついこの間の、大リーグで活躍する選手への過剰なプライバシー侵害を伴う取材で、チームからの「出禁処分」を食らったことに関連して、相手側に謝罪しない理由を、「たかが野球選手」としたことでもあからさまになった。

つまり、現地・現場の社員が、たとえ「謝罪すべき事案」としても、東京でふんぞりかえるこの老人の裁可がなければ何もできない組織だと世に知らしめたのである。

もちろんチーム側や、現地のファンにも、こうした思考から強引な取材を命じたろうことが伝わったに違いなく、その文化の断絶に驚いたことだろうが、日本で詳細を報じるものがいないのも、「ナベツネ」の名前が出ることを恐れたからかもしれない。

なんにせよ、東京の大手町を歩いて、読売新聞社の大ビルディングや、近所の経団連会館とか、サンケイに日経新聞といったなぜか全部が「白い巨頭」を眺めるだけで、怪しいカネの流れと滞留がわかれば、社会勉強になること請け合いだから、地方の子供だけでなく都会の子供も是非とも一度歩いて観察するといいだろう。

そこに巣くう、権威と権力とカネの匂いでクラクラしてしまえば、「まとも」である。

日本を征服した連合国のおおくは、自国が戦災によって復興を優先させたのに、無傷だったアメリカ(民主党)が、ここ一番で張り切って、自己撞着(ナルシスト)するマッカーサーを利用した。

もしもヨーロッパを支配した陽気なアイゼンハワーとマッカーサーが逆の担当だったら、日本の戦後はどうなっていたものか?
これは偶然ではなくて、ルーズヴェルト政権の意図した人事だったに相違ない。

そんななか、CIAのエージェントに成り下がった正力松太郎の後任に、渡辺恒雄を見出したのは、やっぱりCIAなのだろうか?

トランプ2.0が公開を約束した政府機密文書から、日本がらみで意外な発見があるやもしれないけれど、トランプ自身がCIAを敵視しているのが現状だから、これからさまざまな「劇」がはじまる。
日本人の若い研究者には、是非とも渡米して猟步してもらいたい。

さてそれで、重石が取れた読売新聞は、これからどうするのか?

黙っていても、トランプ2.0になればCIAの方針も変わるので、これまでの戦争屋を擁護する記事を量産するわけにもいかず、方針転換をなんとかするには絶好のタイミングになった。

もちろんわたし個人が、いまさら新聞を購読する予定もつもりも全然ないし、あらたにテレビジョンを電気屋で買ってきて自宅で地上波テレビを観るつもりもない。

ようは他人事ではあるけれど、売れない新聞の経営やら、10代が誰も観ないテレビは、事業として生き残れるのか?を考えると、とうとう台湾にも抜かれた「一人当たりGDP」の落ち込みよりも深刻であろう。

EVシフトした日産がルノーから切り離されて、中国メーカーに売られるかもしれないし、内燃エンジン開発を辞めると宣言したホンダとの提携も、どうなるか?
それもこれも、売国の経産省がうごめいていることだとも書かない新聞というもの自体、なにも「読売」だけでなく、ご近所の新聞だってただの「紙クズ」なのである。

そんな堕落で、自分たちで散々恐怖を煽ったがために、在宅勤務が普及して、都心の事業用不動産にも入居者がいないのに、どういう訳か知らないが、鉄骨が足りないほどの建設ラッシュとなっている。

ニューヨークもロンドンも、商業ビル不動産の低稼働率が大問題になっている。

それゆえに、「トランプタワー」がどうなのか?も伝えないのは、不動産業化した新聞社の苦しい台所状況がバレるのをおそれるからか?

子会社の「日本テレビ」と、巨人だった「電通」本社がある、汐留のゴーストタウン化が、大手町に起きないと信じていたかもしれない老人の死が、残された者たちに多大なる負債を負わせるのかと思うと、こころからの哀悼の念が沸き起こるのである。

御愁傷様でした。

合掌。

「失政」ではない「悪政」

グローバル全体主義者たちが仕掛けてつくった、民主党バイデン政権があと一月ほどで終わりを告げる。

残された牙城は、EU委員会とカナダ(「CHINADA」と揶揄される)それに日本政府となった。

だが、EUは16日、筆頭のドイツがとうとう20年ぶりの「議会解散・総選挙」となった。
シュルツ政権への「不信任案」が予想通り可決されたからで、来年2月23日になりそうだ。

今年のフランス総選挙で、ル・ペンに対抗して無理くり「左派連合」をやってはみたが、2ヶ月ほどで崩壊し、まだ新内閣が組閣もできないでいるけれど、ドイツでは、「AfD」に対抗して、いまの野党が「野合」する動きになっている。

また、カナダでは、トランプ「関税」で脅迫されたトルドー政権が、いつ崩壊するかわからない状態になっている。
とうぜんに、カナダで総選挙があれば、「保守党」に政権交代すること確実といわれている。

ついでにEUから出た英国では、労働党政権に嫌忌した国民が、「総選挙要求署名」を多数集めてはいるけれど、極左・グローバル全体主義を奉じる労働党政権に届くはずもない抵抗になっている。

「保守党」は、日本の自民党のようにグダグダになったうえでの労働政権だが、「名誉革命」をやった国なので、予断は許さない。

こうしたことが、あちらこちらで起きているのは、どちら様の政権も「失政」をしたからではなくて、意図した「悪政」をやったことの「成果」なのだ。

やらせたのは、本稿冒頭のグローバル全体主義者たちである。

いつでも「周回遅れ」の感があるわが国では、「自・公」政権が過半数割れしたので、はなから仲間の「立憲」を取り込んで、「自・公・立憲」政権をつくって、かえって盤石にした。
だから、いま世界で、もっとも苛烈なグローバル全体主義という「悪政」を実行しているのが、日本政府なのである。

もちろん、これに既存野党の、「国民」、「維新」、「れいわ」、「社民」、「共産」も加担して、あたかも「減税」を踏み絵の分岐点に見せかけている。
かんたんに分ければ、老舗のグローバル全体主義である「社民」、「共産」は議論の余地なく、「国民」も「立憲」も、元は社民と同じ「日本社会党」だった。

日本社会党の右派が、「民社」となって、いまの「国民」になったのである。
「維新」は、単純に中国利権追及のための集団だし、「れいわ」はいわずと知れた「中核派」なので、「共産」と対峙する。
もっとも、「公明」も、その似たもの同士ゆえに「共産」と対峙してきた。

こうして分類すると、既存政党でアンチ・グローバル全体主義を掲げているのは、「参政」だけで、こないだ国政政党になった「保守」は、はやくも存亡の危機となっている。
「保守」がはじめて国政選挙に立てた、飯山陽女史(博士)が、その内輪のグダグダを曝露して、呆れるばかりの内情に支持者離れが著しいようなのだ。

残念だが、飯山女史はどうして立候補の前に、この政党の本質を見抜けなかったのか?

似たようなグダグダは、「NHK党」もおなじだ。

かつて、自民党とこれに対抗する野党が、共産党だけは外す、としていたことの、似たような外しの対象が「参政党」になっているのは、唯一のアンチ・グローバル全体主義という性格からのもので、ル・ペンの「国民連合」やドイツの「AfD」ともおなじ「嫌われぶり」なのだ。

しかし、アメリカにできるトランプ政権2.0は、徹底したアンチ・グローバル全体主義なので、世界潮流の「潮目」が変わりつつある。

意図をもった「悪政」を、意図をもって退治するという看板が、就任前から効いている。

日本の首相が望んでもトランプ氏に会えないでいるなか、安倍昭恵氏がプライベートで夕食会に招待され、次に、孫正義氏が大金のアメリカ直接投資を表明しに会談したら、ついに、就任前でも石破氏と会談してもいいという話に展開している。

はじめてトランプ政権2.0で発表された、大統領主席補佐官は、スーザン・ワイルズ女史で、これらのアレンジをやっているはずなのだ。
ただし、安倍昭恵氏は、メラニア夫人が招待した、ということで表向きでは、政治抜き、とはなっている。

だから昭恵氏とは別に、日本の「政商」となった孫氏の行動から、あたかも、日本政府の意向を背負っての出資話で、かつ、この時期にトランプ氏との会談を意図したのではないかと邪推するのは、今後の国内における彼の会社がどんな扱いを政府から受けるのか?で予想できるだろう。

けれども、こうした行動は、アメリカにおいて「ロビー活動」とみなされるから、出資後の孫氏がトランプ政権2.0のスタッフと接触するには、法的な措置をしないといけないことになるのではないか?

そうでないと、外国政府のための「スパイ活動」だと疑われかねないからだが、この孫氏の行動を日本側で問題にする政治家はいるのか?は、意外とだれも気にしていない変がある。

さてそれで、かくも世界的な潮流が、ふたつある(「グローバル全体主義」とその「アンチ」)ことの根源はなにか?

これを、予備校講師の茂木誠先生が図解しているのが、『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』である。

その解説動画(約18分)は、必見だ。

いわゆる「リバタリアン」の思想が、ついに「グローバリズム」に行き着くという論理は、逆説的に見えるが、そうではない説得力がある。

このブログで書いてきた、「アイン・ランド」が、なぜにアメリカ保守陣営から否定されたのか?がいまいち不明だったが、この一本の解説で氷解した。

キーとなるのは、「ベンサム」だった。

果たして、この一本前の動画『そもそも社会科学に「真理」はない』も、味わい深いのである。

人類初の啓典宗教、ゾロアスター教のいう明と暗の二元論こそが、その一方である明(正義)を信奉する「宗教」になったことを意識せずにはいられない。
もちろん、暗(邪悪)を信奉すれば、悪魔崇拝となるのである。

リバタリアニズムから、グローバリズムが生成されるメカニズムとは、「正義=自由の強制」という宗教化という反応によって発生する毒ガスのようなものだが、破壊力がすさまじい。

中庸を旨とするには、酸いも甘いもかみ分ける余裕が必要だということなのである。

「X」をみるとうんざりする症候群

集中型=大手メディアに対抗する、分散型=個人発信メディア=「X」という構造変化が、まさに「地滑り的:Landslide」効果を発揮したのが、今年のアメリカ大統領選挙に象徴されたといわれている。

オーナーのイーロン・マスク氏も、あたらしいメディアの誕生に胸を張っている。

しかし、だからといって「いいことずくめ」ではないのは、「個人の感想」なのである。
この「ぼやき」を書いておこうとおもう。

当然ながら、「自由投稿」なので、「X」の投稿も「玉石混交」である。

結論からいえば、このことから生じる「不愉快」が、「うんざり」の主たる理由だ。
なにせ、不愉快が波状的に続くことがあるからである。

では、もっと深く「うんざり」の原因を掘ってみると、それこそが、「多様性」であると気づくのである。
誤解をおそれずにいえば、「ズレた意見」が多数ある、ということだ。

もちろん、全員がおなじ、を「気持ちいい」といいたいのではない。

なにがどうズレているのか?を問えば、たとえば「国家観」とか「思想の汚染度」といっていい。

国家観については、国境がないことの礼賛=グローバル全体主義のことだし、この「全体主義」を無意識でも受け入れようという「思想」が、すでに汚染されている、とかんがえていいからである。

また、政党についての意見でも、「保守」という用語あるいは概念がかなり幅広く使われているので、論理が破綻しているのにそうは思いもしない自信に充ちた投稿がある。
これに、やっぱり「うんざり」になるのだ。

そもそも、なんで「X」が世界最大のニュース媒体になったのか?を問えば、既存メディアが自殺したからである。

たとえば、「abcNEWS」は、1500万ドルと訴訟費用100万ドルの支払いで、トランプ氏と和解した、と「X」では速報があった。

これは、同局キャスターのジョージ・ステファノブロス氏(民主党クリントン政権で広報担当大統領補佐官)が放送で、「トランプ氏は強姦犯だ」という発言を繰り返したことへの裁判でのことであり、ステファノブロス氏は別途公式にトランプ氏へ「謝罪」することも余儀なくされたのである。

日本円にしたらザッと24億円の支払いであるが、アメリカで狂った裁判も「正常化」に向かっているとおもわれる。
それが、すべての「トランプ裁判の終わり」にも現れている。

結局は、大統領選挙での、民主党バイデン政権による「ネガティブ・キャンペーン」だったし、政権に日和った裁判所も「正常化」をはじめたようだ。

ひるがえって、わが国では、一般に報道されない「ニュース」も、「X」では大きな話題になる。
とくに、司法に関しては、行政の「検察」が寝ていることに連動して、「裁判所」も、なにやら不可思議な判決を出していて、まるでアメリカ民主党政権そのものの様相なのである。

これもまた、「うんざり」の原因になっている。

そんななか、トランプ政権2.0は、ようやく「日本大使」の指名を発表した。
もちろん、連邦上院での承認がないといけないが、現職の大使は、来年早々に帰国すると発表していたので、とにかく誰かに交代することは確実である。

あたかも、現職とは真反対の人材なので、来年にはわたしの「うんざり」は、やや質がちがって、アメリカ大使による溜飲を下げる話題と、どうにもならない「自・公・立憲」政権の、「うんざり」が交差することになるのだろうと覚悟している。

CIA日本支部が、こうした大使の配下として活動を開始したら、腐った日本のマスコミやら大手広告会社はどういった対応をはじめるのか?も、「うんざり」になるか?ならないか?を決める要素なので、「X」ウォッチに力が入るのである。

それにしても、大手メディアが伝えないことが多すぎるし、その内容がぜんぜん信用できないことが、なによりの「うんざり」なのである。

横浜交響楽団「第九」の刹那

15日昼、14時開演のコンサートに出かけてきた。

『横浜交響楽団』は、昭和7年(1932年)に結成された「老舗」で、アマチュア・オーケストラとしての立ち位置をまもっている。

わたしが、はじめてこのオーケストラを聴いたのは、中学生の頃で、県立音楽堂まで自転車で向かい、料金は当時100円であった。
「神奈川奉行所」があった、「紅葉坂」の上にあるので、行きは苦しくて帰りは坂を下りればよいのだが、開演に間に合わないようなときには「心臓破り」だったのを覚えている。

いまでも、定期公演は県立音楽堂だというが、年末の「第九」だけは、「神奈川県民ホール」の大ホールが舞台だ。
市民合唱団の数が、370人越えという規模なので、音楽堂ではおさまらない。

日本が豊かになったのか?貧しくなったのか?という議論において、「遅効」的なのが文化の分野だろう。
一定のレベルに達するまでの、練習・訓練に時間を要するからである。

つまり、豊かだった時代をいまこそ反映している、という意味となる。

こうしてかんがえると、あと何年間かいまのレベルを維持してから、ゆっくりと堕ちていくのだろうという予感は、瞬間的に消えていく芸術たる音楽においては、その意味が重なって、妙な郷愁すら感じたのである。

コロナ前には、都内有名大学のオーケストラによる「第九」を、「みなとみらいホール」で聴いた。
このときの驚きは、『のだめカンタービレ』を彷彿とさせられながらも、そのレベルの高さに驚いたのである。

音楽大学でもない学生たちが奏でたのは、幼少時からの「育ちのよさ」であった。

これを機に、アマチュアが限りなくプロに近づくさまを意識するようになったし、プロがプロとして生活できることが、なんだかんだと豊かさを表すものだとおもったのである。

合唱団は、各区の地区センターで平日の日中に練習しているのか?とおもうほどの高齢者が目立ったが、これは予想通りのことで、どこまで「ノイズ」を出すのか?と余計な心配をしたが、あっさりとよい意味で裏切られた。

指導法もさることながら、やっぱり過去の豊かさを「遅効」して表現しているとおもえたのである。

30代の若い指揮者が、マイクを握って、「このメンバーによる演奏はこれっきり」という、まさに「のだめ」のような話に、仏教思想としての「刹那」をおもわざるを得なかった。

いったん話がかわって、7日にパリ・ノートルダム大聖堂の再開式で、マクロン大統領が行った演説内容が、ようやく伝わってきた。
なんと、「フリーメーソンを賛美した」といい、儀式での衣装も、この組織を踏襲したデザインであったことがヨーロッパやアメリカで話題になっているという。

かんたんにいえば、本来、カソリックの大寺院であるはずの「ノートルダム(「我らが貴婦人=聖母マリア」という意味)」が、アンチ・カソリックのフリーメーソンに乗っ取られた、ということである。

だがしかし、フランス革命がカソリックを否定し、大弾圧をしたことは史実なのである。

すなわち、革命派の「グローバル全体主義」の正体がここにある。

『歓喜の歌』を作詞したシラーも、ヴェートーベンも、共にフリーメーソンの会員だったことは、やっぱり史実であるし、ヴェートーベンの先輩にあたるモーツァルトもそうだった。
この時期に演奏される、『魔笛』は、ゾロアスター教を描いていると書いた。

つまり、この世俗世界にあって、『第九』は、意味深なのである。

さてそれで、「横響名物のお見送りソング」は、『蛍の光』である。
合唱団とともに観客も歌いつつ、ハミングになると合唱団も徐々に退場し、観客も自由に席をたつという趣向だ。

日本でかつて「四番」まであったこの歌の歌詞が「不適切」として、いまや「一番」しか歌わないので、念のために書いておく。

1.蛍の光 窓の雪 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
  いつしか年も 杉の戸を あけてぞ 今朝は 別れゆく

2.止まるもゆくも 限りとて 互(かたみ)に思う 千万(ちよろず)の
  心の端(はし)を 一言に 幸(さき)くとばかり 歌(うた)うなり

3.筑紫(つくし)のきわみ 陸の奥(みちのおく) 海山遠く 隔(へだ)つとも
  その真心は 隔てなく 一つに尽くせ 国のため

4.千島の奥も 沖縄も 八洲(やしま)の内の 護(まも)りなり
  至らん国に 勲(いさお)しく 努めよ我が兄(せ) つつがなく

この歌にも「刹那」があるのであった。

沖縄からの海兵隊撤退開始

14日の共同通信の報じたところによると、中谷防衛相(防衛大卒:二等陸尉で退官)は、沖縄で武豊市の市長に、アメリカ海兵隊のグアム島移転の第一弾として、後方支援部隊100人の移転が開始されたことを伝えた、とある。

これが決まったのは、2006年のブッシュ政権(第二期)時のことだから、実施まで18年かかったことになる。
在沖縄海兵隊19000人のうち、9000人の移転(グアム島が4000人以上、その他はハワイなど)計画で、沖縄の海兵隊は約10000人に縮小されることになる。

名目は、「沖縄の負担を減らす」ということになっている。

なお、第一弾は、来年中に完了し、その後の第二弾以降の計画については海兵隊が決めていないので未定だ、とのこと。

年明け1月20日までのトランプ政権2.0がはじまる直前になって、世界では様々な動きが見られる。
本件も、その一環として眺めると、なかなかに意味深なのである。
それには、地球儀による目線が必要で、見なれたメルカトル図法はいったん忘れた方がよい。

・ウクライナ支援を表明し親EUのモルドバ大統領が、「ジャンプ」して再選された
・ウクライナの終戦について、ゼレンスキー氏がはじめて言及した
・シリアのアサド政権が、あっけなく崩壊した
・ジョージアの大統領選挙で、元フランス外交官だった現職は立候補せず勝手に留任を自称
・ウクライナが、モルドバに供給していたロシアからのガスを年内で停止決定
・韓国は大統領弾劾が成立
・トランプが大統領就任式に招待した習氏がこれを辞退した
・沖縄の海兵隊を半減させる移転を決定から18年して開始した

これら一見してバラバラな事象が、どのようにつながっているのか?あるいはつながってはいないのか?が興味深い。
わたしは、つながっていると観ているが、広い意味では「陰謀論」になるかもしれない。

まず前提となるのは、民主党バイデン政権(戦争屋)の最後っ屁である。

ところで、その「最後っ屁」は、17日(火曜日)の、「選挙人投票日」に投票がきっちり実施されるのか?という心配にもつながっていることは、現時点(現地時間15日)では重要なのだ。

「民主主義の手続き」として、アメリカ大統領選挙は、一般投票による直接選挙「ではなく」選挙人投票という方式であって、17日の投票の後、年明け6日には、この投票結果を上・下合同議会(議長はカマラ・ハリス副大統領)が承認しないといけない。

そして、議会での承認を経て、はじめて20日の就任式を迎えることができる。

以上から、本来であれば、次期大統領は、就任日までの外交はできないはずだ。
だから、石破首相が就任前のトランプ氏との「会談を控える」としたのは、アメリカの法に合致している。

これは、ヒラリーが勝つ(負けるはずがない)とした、外務省が、2016年の選挙期間中に安倍晋三首相をヒラリー・クリントンにだけ会談させて、トランプ氏からは拒否された失敗を相当に意識している可能性が高いが、そのトランプ氏も初当選後に側近がロシア大使と面談したことで、でっち上げの「ロシア疑惑」の材料にされた苦い経験があることから、従来型の「次期大統領」なら、決してやらないことだともいえる。

だが今回は、あまりのバイデンとカマラ・ハリスのフニャフニャぶりに呆れて、「もういいだろう」ということでの、就任前外交を堂々とやっているのである。
それゆえに、邪悪な民主党が黙って見ているとはいいがたい、なにをしでかすのか?という疑いの目で見たくなるのである。

だから、上に挙げたそれぞれの出来事について、バイデン政権の「最後っ屁」なのか?、トランプ政権2.0の影響なのか?が入り交じるのである。

ウクライナとシリアについては、トランプ氏とプーチン氏が「ディールした」という「噂」がある。
具体的には、トランプ氏が就任前に「ウクライナの終戦」を世界に見せること、つまり「ロシアの勝利」と、シリアでの「アサド政権の見限り」をプーチン氏にさせて、手柄を「交換」したのではないか?という話だ。

しかし、ロシアは、いまもシリア国内にある「軍事基地」は、通常業務中であって、ダマスカスを陥落させた勢力とは、とっくに話をつけている。
逆にいえば、これら武装勢力との話し合いができてから、一気にダマスカスが陥落したのである。

プーチン=ラブロフの外交は、とうてい日本外務省ごとき御殿女中たちの敵ではないことがわかるのである。
なので、プーチンの「痛手」も、西側の偏向メディアがいうほどはなく、実質的には少ない。

それでもって、対EU(=NATO)を意識したら、親EUを世界に知らしめたモルドバの大統領を苦境におとしめるガス供給の停止を、なぜに仲間のはずのゼレンスキーがやるのか?は、パリでのマクロンを挟んだ会談で、トランプ氏が仕掛けたのか?なんのか?が気になる。

モルドバのエネルギーは、ロシア・ウクライナからのガスに8割依存しているので、この冬、1月からの供給停止は、モルドバにおける「酷寒の冬」を約束させるものだ。
追い詰められたゼレンスキーは、モルドバを見棄ててでも保身を選択したとみることができる。

当然ながら、当事国のモルドバは、「親露派」が息を吹き返すことになるし、未承認国家の「沿ドニエストル・モルドバ共和国(親露)」との統合すら、今後はあり得る話になる可能性がでてくるだろう。

これには、ルーマニアの大統領選挙が7日に無効になったこととも絡む。
やっぱり、「親露派」の台頭を阻止する動きとなったが、旧ソ連圏における「親EUの劣勢」がくすぶっているのである。

それでジョージア(グルジア)ではバイデン政権がワンパターンで仕込んだ、「マイダン2.0」が、現政権に見破られて、マクロンのイヌが親EUの大統領になっていたものの、これにも、パリでトランプ氏が「物言い」をつけた可能性もある。

ジョージアで選出された元サッカー選手の新大統領は、元フランス外交官の居座りを許さず、国外追放をするのではないか?
逃げる先は、マクロンのフランスしかないが、そのマクロン政権も新内閣ができない苦境にあるから、まさかの首相にすることでトランプと手打ちしたのか?どうなのか?

グローバリズムによる「多重国籍」が、各国で都合よく首脳になれるという前例を作っている。

極東では、はなから「アチソンライン」がある、韓国は、バイデン政権の「最後っ屁」で、アジアにおける「マイダン2.0」を成功させた。
だが、トランプ政権2.0が、就任式をもっとも強力な「踏み絵」に使ったことで、韓国に極左政権ができても、中国は一定の距離をおくしかなく、北はプーチン氏の配下にある。

なんにせよ、韓国は世界最低の特殊出生率(0.6から0.8台)を誇るので、数学的には長く存在できない。
これは、台湾も同様であるが、じつは中国も、なのだ。

そんなわけで、「日本独立」をいう、トランプ政権2.0では、どんな方法で「日本ファースト」を仕向けてくるのか?があるし、これを受け入れる基盤がないことを、どうやって構築させるのか?が来年のテーマになることは「無事選挙人投票」があれば、確実なのである。

こういった世界情勢にあって、やっと「新駐日大使」の指名があった。
本人の資質もさることながら、トランプ政権2.0の目的合理性が、いよいよ物を言うのであろう。

「1月6日事件」の議会捜査は続く

ナンシー・ペロシ(84歳)という、現代の魔女のひとりが画策したという、「1月6日事件」を、自分から隠蔽しつつトランプ氏への責任転嫁を図った、一石二鳥の「妙案」が、じつはこの魔女による「陰謀」だったと明らかになってきた。

そのご本人は、13日、ロイターが伝えたところによると、ルクセンブルクでの「バルジの戦い80周年」行事に参加するために訪問した、大公宮殿の階段から転倒し、股関節を骨折したという。

この年齢で、股関節骨折=歩行困難になったのは、さぞや、ということで、いよいよ魔女の最後の時間となるか?と、憶測を呼んでいる。

また、RINOの親分だった、ミッチ・マコーネル(82歳)も、ときたま「固まる」ようになって、なんだかわが国の自民党副総裁たる、すが義偉氏(76歳)が「固まる」のと同じくしている。

よく転倒するようになったこの老人について、わが国の大手メディアは、「最長記録の上院院内総務を退任」とだけ伝えて、「(来年からの)次期上院規則委員会委員長」という、重職に就くことを報道しない。

なぜ「重職」かといえば、大統領の決定について、「待った!」をかけることができる権限をもつ委員会だからである。

いま、わが国の「知事職」が、あたかも「独裁的」な権限を振るっているかのようにしているが、それは「(県やら市・町・村)議会」が死んでいることにほかならない。
たとえば、奈良県知事が「韓国出張して勝手に決めてきた、Kポップのコンサート企画」も、なぜに知事だけの意向で推進できるのか?の議論が欠如しているのである。

さて、民主党にとって困ったことに、トランプ政権1.0からはじまった、民主党政権の横暴に関する批判的行動が、とうとうトランプ政権2.0では、強力に「逆転」をはじめることへの国民の期待が高まっているからだ。

このことは、連邦上院も下院もトランプ派が多数をなすということでの「実現性」が、期待されているからである。

つまり、アメリカの民主主義は、あくまでも「議会主義=議会主導」なのであって、行政府を代表する大統領 がどんなに目立っても、議会承認がなければなにもできない。

そんなわけで、ペロシが仕掛けて注目は集めたものの、あまりも内容がないので、なんなんだ?という結果になった、民主党が支配した当時の連邦下院議会にあった、「1月6日委員会」の活動を、共和党トランプ派が多数となったいまでは、この委員会活動を「捜査」する、議会内委員会が発足して、その結果発表が下院議会で行われているのである。

こうした、スリリングなことが、わが国の国会で皆無なのは、それがすでに死んでいるからである。

つまり、わが国は「議会主義でも何でもない」、なんだかわからない「形式的民主主義」という、幻影だけで政治(国府の分配)が行われている、という体たらくなのである。

それで、バイデン政権は、「事前に包括的な恩赦」を発布するという、メチャクチャをまずは息子に出して、これから多数の人物を同様に「恩赦」するという。
これを、全世界がみている中でやる、というのも、もう他にトランプ政権2.0の追及から逃れる手段がないからだろう。

ようは、起訴もされていない状況で、先に「恩赦」を発布するのは、もう、「容疑者です」と自白したも同然なのだ。

しかしながら、世の中には「得と損のバランス」があって、「恩赦」を受けた者は、偽証罪が問われる議会証言を一生拒否できない、というルールがある。

昨今、わが国の国会ではびこる、大臣職の者が、議員からの質問に「答弁拒否」することは、アメリカではあり得ない「暴挙」となるが、わが国でこれをいう議員がいないのは、国会が「国権の最高機関」であることを、国会議員すら理解していないという驚きなのだ。

なので、もっともトランプ氏への弾圧を指導した、民主党議員(連邦下院から上院へ移った)は、みずからこうした恩赦を拒否する声明を出したのも、まさに究極の選択の結果からであろう。

つまり、日本の国会議員より、これでもずっと「まとも」な認識をもっているということである。

こうしてみると、わが国の場合の「国会改革」は、いつも、議員定数の削減とかという、大勢に影響のない話にばかり向くけれど、「本筋」を書けば、国会機能の復活、一点にある。

これには、内閣が法案を提出することを禁じ、議員立法だけしかできないようにすることがもっともシンプルで、議員の選挙公報には、現職ならどんな法案に何本の関与をしたのかの記載義務をさせるべきだ。

もちろん、財務省から予算編成権を奪うことは当然だし、行政組織が予算案をつくること自体が、もうどうかしていると日本人はよくよくかんがえた方がいい。

すると、在任中に、一本の法案提出も、質問主意書の提出もしなかった=ただ議場にいた、だけの議員をあぶり出すことが容易になる。
こうした場合、機械的かつ自動的に、議員辞職勧告がでて、任期中の回数制限によって、強制辞職=除名の他に、公民権の剥奪=被選挙権の停止があっていいのである。

こうして、「1月6日事件」という、あたかもわが国には関係のないことも、けっこうな関係があることがわかるのである。

トランプの情報公開戦略に期待する

不気味な静けさから、「選挙人投票」に何か起きるのか?と心配したが、17日、無事投票が終わってトランプ氏とカマラ・ハリスの得票数が確定した。

これで、年明け6日の連邦合同議会(上下両院)での、集計承認で正式に「当選」が認定される。

今回の選挙後が異例なのは、「次期大統領」のはずの人物の影響力が多大で、まったく現政権が無視されたかのようになっていることだ。

けれども、これはなにせ2020年の不思議な選挙の記憶が人々にあるばかりか、落選した現職が中一期で復帰するという史上2度目の椿事なのだ。

司法を武器化してまでトランプ氏を貶めた民主党のやり方が非難されているけれど、お先棒を担いだ大手メディアにも、トランプ氏の逆襲がはじまった。

偏向報道とフェイク情報を垂れ流し、言論統制・弾圧をやったものを糾弾すると宣言した。

もちろんこれにイーロン・マスク氏も大賛同している。

マスク氏は、14日、航空機大手のボーイング社を買収した。
これには、彼の本業たるスターリンクや宇宙事業のためという名目ではあるが、軍事産業への介入とも目されている。

一方で、MSNBCやCNNを買収するのではないかという、希望からの噂が絶えない。
同時に、「日本愛」を発信していることもあって、もしやNHKとかフジテレビを買うかも、という夢のような話になっている。

もちろんこれが実現不可能な「夢」に過ぎないのは、放送事業者には20%までの外資規制があるからだ。
ただしフジテレビは、規制を超えてしまった分の株式には、議決権がないことでの言い逃れをしている。

ならば、放送局の親会社である新聞社を買収したらどうなるのか?

新聞社にテレビ局を子会社にさせたのは、田中角栄であった。

となれば、渡辺恒雄なき読売新聞は、「買い」にならないか?

戦争は麻薬と覚醒剤を必要とする

人類最古の麻薬は、ケシからとれる「アヘン」であった。

この植物の効能を、人類はどうやって発見したのか?は、ふるすぎてよくわかっていない。

しかし、その精製方法を確立したインドでは、サトウキビのエキスを同じ方法で精製し、「白い砂糖」を作って、これをヨーロッパ人がローマに運んで教会に献じた。
こうして、キリスト教の坊主たちは、この物質を「習慣性がある」と認め、「クスリ」として扱った。

ようは、「白い砂糖」は、当初「麻薬」であった。
そうして、「砂糖中毒」になると、糖尿病を発症したのである。

「アヘン」は、軟膏状のそれをまた、キセルにつめて喫煙摂取しようとかんがえたのも、これまた不思議である。
なぜにアジア大陸のひとびとが、かくも多数の中毒者になったのか?は、政治体制からの生活習慣とか虚無的な人生論をふくむ民族性からの理由付けがされている。

そして、もっと酷いのは、「肉食の思想」によって、ヨーロッパ人たちがアジア人を家畜化するのにアヘンを用いたことであった。

なんにせよ、有効成分が脳を支配してかもし出す幸福感から、筋肉が弛緩・脱力して暴れることなく確実に廃人にさせるのだ。
いったんこの薬の濫用をしたものは、その快楽を脳が記憶し、二度と逃れることはできない。

近代化学は、アヘンの有効成分を抽出することに成功し、これを「ヘロイン」と名付けた。
また、南米のコカの葉から抽出した、「コカイン」との二大系統ができたのである。

ヘロインが戦時につかわれた人類初は、白衣の天使、ナイチンゲールが活躍した「クリミア戦争」だった。
そのつぎが、アメリカの南北戦争で、南軍の兵士の戦死者のうち大多数が、戦傷の痛み止めに利用されたヘロインの連続・大量投与によるものだった。

弾にあたって命を落とすよりも被害が多かったのは、日本では「脚気」で、日露戦争の肉弾戦よりもはるかに「白米」の大量消費による死者があったのは、まだ「ビタミン」が発見される前だったのである。 

戦後、生き残った帰還兵のおおくが、ヘロイン中毒に苦しんでいて、薬欲しさの犯罪に手を染める事態にもなったのである。

はるか後世の、ベトナム帰還兵を思い出されるが、おなじ70年代の「ベトナム反戦運動」では、兵士とはちがって、「LSD」がヒッピーたちのあいだに蔓延し、サイケデリックな体験が芸術にまで昇華した。

このひとたちは、いま、70代から80歳代になっている。

一方では、興奮剤としての覚醒剤があらたな「軍需品」になったのは、陸軍では突撃の恐怖を排除し、海軍と空軍では、長時間の緊張に耐えるためにつかわれた。
たとえば、敵船の見張りや、空軍パイロットの集中力をたかめるためである。

第二次世界大戦で、ドイツ軍の快進撃は覚醒剤の効用だったとしられているし、悪辣極まりないナチス親衛隊の所業にも、麻薬と覚醒剤の存在は欠かせないのである。
ために、対抗する連合軍もソ連軍をのぞいてこれらのドラッグに依存した。
錠剤の製造技術がなかったソ連軍は、もっぱらウォッカを兵に支給していたという。

ならば日本軍は?

明治維新以来の実質的な宗主国だった英国がやった、アヘンの三角貿易(インド産アヘンを清に売りつけ銀を得て、インドにはインド産綿からつくったアパレルで紅茶の赤字を消していた)をまねて、満州や朝鮮でケシを栽培・専売し、満州国・関東軍の独立採算を可能としていた。

内地では、和歌山県と大阪・茨木がケシの産地だったが、全国展開を試みるも失敗したのは、食べるための食料が最優先だったからである。

なお、これらのドラッグが軍に渡ったのは、民間で『ヒロポン』が流行ってからのことだというから、軍がなにより先取りの外国とは順番がちがう事情があって、なんだか日本らしいのである。

そんなわけで、ウクライナ兵がドラッグ漬けになっていることは、前から指摘されていて、ゼレンスキー氏のむくんだ顔も、コメディアンだったころとはおおちがいになっている。

さすが、正統ナチスだけに、ドラッグ漬け中毒患者ヒトラーにソックリそのままではある。

アメリカは、アヘン戦争の意趣返しか、中国原産のアヘンからつくるメキシコ産フェンタミルが蔓延し、若者たちがゾンビ化しているけれども、バイデン=カマラ・ハリス民主党政権はこれを放置している。

トランプが、「国境の壁」をいうのは、人間の流入だけでなく「麻薬」を止める狙いがあるのは当然だろう。

サダム・フセイン時代のイラクに医薬品輸出禁止の制裁をして、極度の薬品不足から感染症やらに冒された子供が60万人以上死亡したのを、ときのクリントン政権で国務長官のオルブライトは、「アラブ人の子供がどうなろうと関係ない」と言い放ったことがおもいだされる。

「他人の物を盗むなかれ」と『十戒』で神が告げたことを、ユダヤ・キリスト教を信じぬ、イエレン元FRB議長・現財務長官は、10日、ロシアの凍結資産から200億ドル(約3兆円)をウクライナに渡したと発表し、「他人の物を自分のもの」にした。

所有権の絶対を破るのは、資本主義を棄てたことを意味するが、こうした人物たちは、はなから中世の「山賊」や「海賊」とおなじなのであって、それがドレスアップしているにすぎない。

オルブライトの発言は、いまわが国の年間出生数に匹敵する人数とおなじにして、もう人間の仮面をかぶった悪魔としかいいようがないが、まさに「肉食の思想」をむき出しにしている現代の「魔女」のひとりである。

かつてからの「軍産複合体」には、「製薬」もふくまれるのである。

日本人も他人事でないのは、わが国の伝統ある製薬会社のおおくがすでに「外資」になっているからである。

そんなわけで、とうとう、国家の中枢やトップ・エリート層が、「麻薬」に染まっているのは、「カネと権力」も、麻薬に含まれるからであろう。

これには、「学閥」も「学歴」もなにも関係なく、たんに「道徳」の問題なのであるけれど、「悪魔」や「魔女」には通じない。

「寝具」をどうするのか?

堰を切ったように宿泊料金が値上がりしているから、おいそれと国内旅行もままならなくなってきた。

大手旅行会社による調査によると、この正月休暇における旅行をかんがえているひとと、そうでないひととが二分している、という。
もちろん、この「調査」の信憑性に関しては、ここでは議論しない。

日本における「農業放棄促進」をやっている、与党の恐るべき政策によって、「コメ」ばかりか、「野菜」の値上がりがはげしく、スーパーではキャベツの前でため息をついて購入をあきらめるひとの姿が、ひとつの風物詩を醸し出している。

師走になって、これからの「正月用品」をかんがえると、悪寒が走るのは、もう条件反射にさせられている。

貧しくなった日本人のおおくは、気軽に旅行にいくような生活状況にない。

原材料を輸入して、これを加工し、輸出して外貨を稼ぎ、その外貨の一部が再び原材料の輸入にあてて、残りの稼ぎを「アメリカ国債」として貯蓄していたら、世界一の債権者になっていた。

だがむしろ、これはアメリカの借金を肩代わりさせられてきた、という意味だとわかってきた。
永遠に返済のない、じつは「永久国債」にひとしいからである。

もちろん、そうやって購入させられたアメリカ国債を管理しているのも日本国政府なのであるが、これを取り崩して国民の生産原資に当てることもできないで、ひたすらに「増税」しているのは、「ばか」だからではなくて、国民を貧困化させて最大限の政府依存を達成しようという、共産主義革命をねらっているからである。

だから、一泊二食付きのパターンが壊れたのは、「素泊まり」のメリットが泊まり客にとっておおきいからである。
なにも、お仕着せの料理を食べずとも、どこでも食べることができる「街づくり」が行われてきたのだ。

この意味で先進的だったのは、千年の都たる京都で、この街の旅館は基本的に「仕出し」であった。
自家で料理をするのではなく、近所の仕出し屋から運んでもらう。

「Uber」が、「出前」サービスをお店から切り離したのは、どういう文化的な意味があるのか?を考えると、あんがいと「破壊的」な側面をみると、「便利さの向こう側」にあるものがボンヤリとでもみえてくる。

江戸がまだ登場しない、安土桃山時代の賑わいをイメージすると、外食がしたいなら、客は好きな店にいけばいい、という割り切りは、やっぱり都会だからの合理性にあふれていた。
ただし、都たる京都は、応仁の乱の焼け跡だらけの街だった。

そうなると、便利な立地にあるだけなのか?不便なら不便なりにどうやって料金をよりおおくとれるものか?と思案するのは、「いけず」の京都人ならふつうにおもうことであったろう。

この発想は、じっさいに「スイス人」と似ている。
合理的思考が強すぎることで、ヨーロッパの嫌われ者になって久しいスイス人は、「儲けること」についても、クールなのである。

そうなると、公家とその頂点にあった朝廷のトップ、天皇家にあやかる製品が一般化(コモディティ化)するのは時間の問題である。
その材料が、「絹」になって、それがまた「真綿の布団」を生んだのだろう。

ときに、布団の良し悪しがすぐにわかるのは、「敷蒲団」である。

ベッドであろうがおなじで、スプリングがへたったベッドなら、一晩で腰を痛める「効果」がある。
ならばいっそのこと「せんべい布団」のほうがまだマシなことがあるが、この場合の組合せだとたいがい「枕」があわずに首筋を痛めるか肩こりにべきなのになる。

とにかく、古代から中世までの、雨露がしのげるだけでよい、というなら別だが、それなりの金銭負担をもって泊まるなら、寝具の中でも「枕」と「敷蒲団」について、どんな品質ならリピートしてもらえるものか?を研究すべきなのに、これをやる宿が皆無なのであった。

はたして富裕層は、どんな寝具で一日の3分の1の時間をすごしているのか?

「高単価」をいうなら、「神は細部に宿る」ことまでの気配りが重要だと、だれもが口にはするけれど、寝具の「高単価」に腰が引ける、というのは、受け入れる客数分の用意がひつようだからである。

わが国に、世界的な「富裕層(おおむね年収が30億円以上)」が来なくなったのは、寝具があわない、ことも原因のひとつではないか?と疑うのは、いちど「最高級」に慣れてしまうと、それ以外はかんがえられなくなるからだ。

だが、資金のない、この国の宿は、かんがえたくないことになっている。