万能な梅

梅は咲いたか 桜はまだかいな
江戸時代に流行した、端唄(はうた)である。

新暦の2月頃に咲く梅は、冬から春への移行を確実に感じさせるが、まだまだ寒い時期に咲く。
それが、たった3ヶ月ほどで立派な実をつける。

年に一回だけのこの時期にしか手に入らない貴重品だ。
ことしは、紀州の梅が雹の被害でほぼ傷物となり、小田原の梅も二年連続の不作である。

そんな「生の梅」には、「青酸(シアン化水素)配糖体」という毒がある。
そのまま食べると、中毒を起こす。
そこで、毒抜きのために「塩漬け」や「天日干し」、あるいは、「砂糖漬け」や「加熱」するなどの「手間」をかけるのである。

すると、あら不思議、毒は消えてなくなる。
これを、梅仕事、という。

ただ、「梅干し」と「梅酒」だけが梅の利用法ではない。

まず、梅干しを漬けるとかならず出てくる「副産物」が、「梅酢」だ。
梅の実にある水分が、塩に浸かることでの浸透圧から排出されることが原因だが、同時に梅の実の成分も混じるから、「液体になった梅干し」といえるのが、「梅酢」なのである。

だから、塩分濃度もできあがる梅干しとおなじになるし、常温保存がきくのも梅干しとおなじである。
基本的に、腐敗することはない。

梅干しの酸っぱさの主成分は、クエン酸だ。

この「酸」は、人体内でアルカリ性に変化する性質がある。
正確をきさずに大雑把に書けば、腸内で分泌される重曹(炭酸水素ナトリウム)と反応して、「クエン酸ソーダ=クエン酸ナトリウム」になるからだ。

この、クエン酸ナトリウムは、弱アルカリ性なのである。

つまるところ、抗酸化、なのである。
抗酸化とは、酸化に抵抗するというだけでなく、「錆落とし」という意味もある。
人間も長年生きていると、「錆びる」のである。

その錆のひとつが、「癌」だといわれている。
だから、癌予防には梅干しや梅酢は効果的だということの根拠が「抗酸化」にある。

梅を加熱すると発生するのが、「ムメフラール」と「バニリン」という物質である。
これは、梅の実にあるクエン酸と糖が熱反応してできる物質で、「ムメフラール」は血栓を防止する効果が認められているし、「バニリン」は脂肪細胞を燃焼させるという。
なので、ダイエットに効く。

梅干しを焼いた「焼き梅」が、むかしから薬代わりに重宝されていたことの科学的理由が判明したのである。

傷がある二級品以下の青梅(完熟でもおなじ)の実ならタネを取って、無水で皮のまま焦げないようにじっくり火を通してペースト状になるまで煮ると、「梅ペースト」ができあがる。
甘いジャムとちがって、なにも加えずにただ実だけを煮るこれも、「万能選手」である。

これで、ムメフラールとバニリンが摂取できる。

青梅のタネのとり方は、板などで押しつぶすことだ。
これがあんがい力仕事の単純作業である。
タネの周りにも果肉が付いているので、わたしは捨てずにタネごと味醂煮にする。
なお、生梅の「毒」は、このタネ周辺の果肉とタネ自体におおくある。

かならず「本」味醂を半分量まで煮切って、そこに投入して煮込むと、ちょっとした「おしゃぶり」になる。

もちろん、ソーダで割れば十分おいしいドリンクになる。

あるいは、味噌に蜂蜜を混ぜたものに、生梅を漬け込むだけで、一週間もすれば「梅味噌」ができる。
梅200g、味噌200g、蜂蜜130gという比率でつくれる。
同じ分量の味噌で、二回、梅は漬けることができるというから、節約にいい。

蜂蜜をいれないでもできる。

「減塩」が叫ばれて久しいけれど、「減塩」した商品のおおくは、「保存料」なしに保存ができないという矛盾をかかえて、その保存料が健康不安の元になっているのだから、なにをやっているのか?という問題になった。

「減塩梅干し」も同様だが、減塩梅干しをつくるには「塩抜き」をする余分な工程がある。
それで出てきた「梅酢もどき」は全量が産業廃棄物となる。
もっとも、ちゃんとした「梅酢」自体も、こんどは減塩ではないからと売れないことになって、おおくは産業廃棄物として処分されてきた。

もったいないはなしである。

ときに、とある若者が「むかしながらの塩分」で梅干しをつくって売り始めた。
はじめはぜんぜん売れなかったというが、いつしか「知る人ぞ知る」になったのは、「減塩」の不健康に気づいたからである。

いまでは数十人の従業員を雇うまでになったのは、ご同慶のいたりである。

さてそれで、「塩」にまつわるはなしが興味深い。
梅干しの原料は、ほんらい、梅と塩だけだから、どんな塩で漬けるのか?で味が決まる。
いまようなら、「天然塩」に決まっている。

しかし、問題は「塩化ナトリウム」以外の「不純物」になにが含まれているのか?がある。
なかには、「ヒ素」やら「水銀」、「鉛」もあるからで、あんがいと「天然塩ならなんでも安全」とはならない。

だったら、塩は「精製塩」にして、不純物にあたる「ミネラル」は別途とるようにするのが、いちばん安全だということにもなる。
すると、天然塩の含有物に関する情報(表記)が、すくないという問題にもなる。

ここにも、産業優先国家として、消費者に提供する情報量が制限されるわが国の特性がある。

日本は島国だから、「海水塩」をむかしから採取してきたけれども、原料のはずの「海」が汚染されたので、外国の天然塩(海水塩と岩塩の両方)を輸入して、これをいったん水に溶かして再度結晶化させる工程でつくっている。

なお、「岩塩」が陸地でとれるのは、そこがかつて「海」だったからだ。
人類はまだ地上に存在しない億年単位前の「古代」に干上がって「塩の鉱山」になったのである。

ヒマラヤの岩塩は、インド島の衝突で海だったエリアが持ち上がって干上がり、世界最大のポーランドの岩塩鉱山は、元は古代地中海だった場所にある。

「塩」もややこしい時代になっているし、梅ペーストと相性がいい「蜂蜜」に至っては、「本物」を探すのが手間になっている。

俄然6月14日

ロサンゼルスの「反乱」が、全米に飛び火しそうな様相である。

カリフォルニア州のニューサム知事は、正式に「連邦政府への不服従」を訴えた。
明らかに、「国家反逆」を指揮しているため、逮捕もありうる状況になってきた。
さらに、カリフォルニア州を基盤とする、ペロシ元連邦下院議長や、カマラ・ハリス前副大統領も、さっそく舞台に登場して暴動を「平和的」だと扇動している。

まさに、ジョージ・オーウェルのいう、ダブルスタンダードから発する「ニュースピーク」だ。

「戦争」を「平和」と表現するのとひとしい。

一方、トランプ大統領は、司法省にこの反乱の資金源の捜査を開始させたと発表した。
どうやら計画的な反乱準備もあったようだ。

それは、6月14日、をピークにするための日程だともいえる。

では、この日はなんの日なのか?
第一に、アメリカ陸軍の創設記念日なのである。
独立戦争前のこの日、13州は連合して「大陸軍」をつくり、総指揮はジョージ・ワシントンが担当した。

それが今年、「250年記念」となるために、早くもバイデン政権が「祝典と軍事パレード」の計画を立案していたものを、トランプ政権が引き継ぎ、さらに、トランプ氏が「私費」を投じることで、なお一層の大規模な計画へと変更させている。

DOGEで削減しまくった連邦予算の建前上でも、全額をトランプ氏個人が拠出するとして、バイデン政権の国費対応を中止させている。

これには、ひとつ訳があって、この日がトランプ氏の誕生日でもあるからだ。
現職大統領自身の誕生日に、軍事パレードを全額自費でやらせる、といえば、果たして、それがまた賛否両論を巻き起こした。

いったい、日本でここまでできる富豪がいるのか?ばかりか、そんな富豪が首相として国会議員たちを仕切る、という場面が想像もつかない。
筒井康隆の『富豪刑事』という発想は、あんがいとアメリカナイズされたものなのである。

つまるところ、反トランプの勢力は、なんとしても14日の国家的イベントに泥を塗りたい、ことが見え見えになっている。

それで、どうやら「不法移民」を利用した「反乱」を計画した模様なのである。

一応、今回の取締対象だった不法移民のメインは、メキシコからの組織暴力勢力(マフィア:主に麻薬密売と人身売買)で、なんとメキシコは国としてこれら移民からの「仕送り」収入が、今年になって前年比で12%も激減(メキシコ中央銀行の2日発表値)し、国家経済にも、移民たちの実家にも打撃を与えている。

アメリカ側の送金ルート捜査で、住所やらがICE(移民関税執行局)にしれることをおそれて、組織的に送金をやめたという。

これら闇の勢力と繋がっていると噂が絶えない、メキシコ大統領などの左派勢力が、横からトランプ政権を牽制するのは、どうやらその「噂」が「まんま」だったことを示して、世界を呆れさせている。
なお左派のお仲間、AFPによると本人は、10日、これを否定している。

わたしには、メキシコのクラウディア・シェインバウム大統領、EU外相のカヤ・カラス(元エストニア首相)、モルドバのマイヤ・サンドゥ大統領といったひとたちの顔が似てみえる。
どれも、メフィスト・フェレスに魂を売った邪悪に染まっているからだろうか?

そのメキシコは、親中でもあることがひとつのメッセージにもなっていて、「習政権の終焉」との関係も「焦り」になっているようなのである。
加えて、フェンタニルの製造・密輸もからむし、自国に建設・稼働中の自動車工場が、「関税」によって立地の優位差を失うことになった。

そこで、他人を利用する、という手を好むグローバル全体主義者の勢力は、もちろん「イスラム」も対象とする。
活動費を得たひとたちは、「ジハード」をいいつつも、自分では何もしないで教唆をし、善良なる信者を道具にする。

これこそ、ロシア革命における「ボルシェビキ」がやった手法そのものだ。

まさか、そんな古典的な手法が、21世紀のアメリカで適用されようとは!

トランプ政権2.0は、国内の海兵隊を現地に向かわせて、暴徒には厳しい対応をするとヘグセス国防長官は明言している。
ホワイトハウスのナンバー2である法務戦略官、スティーブン・ミラー氏も意味深な発言・発信の頻度を上げている。

このことから、双方が「計画的」におもえるのである。

何度も書くが、トランプ政権2.0は、「場あたり対応」をすることはあまりなく、慎重に練った行動をして、プランBだけでなく複数の代案を用意している。
つまりこちらも、6月14日を利用して、「あぶり出し」の仕掛けをしたのではないか?

それが、まさに、資金源の捜査開始指示、というひと言にある。

ターゲットはおそらくあの大富豪も含めた、民主党(グローバル全体主義)の巨大ドナー(寄付者)たちなのだろう。
ちなみに、トランプ政権2.0は、すでに民主党の最大政治資金団体=マネロン機関「アクトブルー」を不正行為の摘発で事実上壊滅させている。

追い詰められてあたかも「最終戦」的な民主党は、全米は当然に、ヨーロッパ各地ばかりか、アフリカでも「デモ」を計画しているというので、捜査当局からしたら「一網打尽」の絶好のチャンスとなるが、「一網打尽」を仕掛けたのはトランプ政権2.0の方だとおもわれる。

これも、ワシントンの沼の水を抜く、浄化作戦の一端なのだろう。
イーロン・マスク氏が外れたとはいえ、DOGEは健在であるから、A.I.を駆使した「捜査」で、送金ルートを探索しているにちがいない。

それもこれも、計画によるスケジュール通りか?

70年代のわが国でおきた、「学生運動=学園紛争」がその後どうなったのか?をかんがえれば、完全制圧の「前例」は日本だという成果があるのだ。
いまさらだが、KGBから活動資金が流れたことはわかっているし、CIA(=東京地検特捜部)が絡んでいたことは「歴史」なのである。

そのソックリな前哨戦が、ハーバード大学やコロンビア大学へのトランプ政権2.0による、留学生問題やらに端を発した巨額補助金のカットだったり、大学設置基準における否認だったりと状況を盛り上げるための手を打っていたのだとおもわれる。

ようは、トランプ政権2.0が追い詰められているのではなく、トランプ政権2.0が「狩っている」のである。

それに、自分の誕生日をつかう。

さてどんなことが、14日以降に起きるのか?

カリフォルニア州の独立戦争

不法移民を逮捕すべくやってきた、「移民関税執行局:ICE(United States Immigration and Customs Enforcement)の職員に対する集団での暴行や監禁の事象に、カリフォルニア州知事も、現地ロスアンゼルス市長=市警も、なんらの手当をしないために、トランプ大統領は、州兵の出動と米軍の待期を命じた。

当然ながら、左派マスコミとこれを翻訳して報じるだけのわが国では、あたかもトランプ氏が「独裁権限」を振り回しているとの意図的な「誤報」をたれながしている。
なんでも、そんな報道によればデモ隊は、「平和的活動をしている」らしいのだが、かつての「ANTIFA」たちの破壊活動をおもいださせるから始末が悪い。

この騒ぎに民主党の連邦議員は、あっさりと、民主党による政治活動だと認めたので、日本でいうなら「国政政党」が暴動をやっていることになる。
さらに隣国、左派のメキシコ大統領は、取締対象がメキシコ系不法移民だったことを受けて、こうした暴動を煽る発言をしたことも収束どころかこじらせる要因になっている。

もはやアメリカは、グローバル全体主義と反グローバル全体主義(ナショナリズム)との「内戦=Civil War」状態になっている。
まったく、かつての「近未来映画」のような展開が現実化した。

長細い形状のカリフォルニア州は、2024年選挙ではこれを真っ二つに縦にスライスするような格好で、海岸側が民主党支持、山側が共和党支持に割れた。
そもそもが、70年代までのカリフォルニア州は、圧倒的な共和党支持の鉄板州であったのを、レーガン大統領が移民への選挙権を容認したことで転覆したのである。

爾来、東海岸のニューヨーク州などと鉄壁の民主党支持州になったのである。

ようは、貿易・都市部と田園地帯との対立にみえる。
どこの国も、このような構造になっているのは、似たような経緯での教育・宣伝がおこなわれたことの成果なのである。

バイデン政権時には、テキサス州が連邦から離脱するのではないか?との憶測が広まった。
なにせテキサス州は、元は独立国だった。
それが、「条約」によって、アメリカとの併合の道を選んだのであるけれど、一度離脱して、再度連邦に加わっている特殊がある。

いま、カリフォルニア州は、あたかもテキサス州のやり方を逆用している。

しかし、これはこれで、次期大統領を目指すニューサム知事の焦りだともおもわれるのは、アメリカにおける「善政競争」で、カリフォルニア州の人口流出がとまらないのである。
流入先は、テキサス州とフロリダ州である。

わが国も、徳川幕藩体制では、善政競争があたりまえだった。
農民は、欧州の「農奴(serf)」とちがって、土地をすてる「逃散」を最後の手段とし、近接する「藩」に逃げて耕作放棄したのである。

農業経済で成り立つ「藩政」にとって、もっとも「痛い」のがこれだ。
それで、藩主たちは善政競争をして、「名産品」の奨励で、現金収入を農民にももたらしたのである。

しかし、明治維新という中央集権体制は、これを許さないで200年にならんとしている。

10年に1回の、アメリカの国勢調査は、2020年の次は2030年である。
国勢調査の集計結果によって、連邦下院議員の議席配分が変わる。
アメリカでは、数式が法律になっているので、わが国のように与党の恣意的な選挙区=議席配分ではなく、単純計算なのだ。

すると、選挙人票を競う大統領選挙では、その選挙人の数を決める連邦上・下両院議員の州ごとの数がどうなるか?は、自動的に大統領選挙に影響を与える仕組みなのである。
上院議員は、各州2人という憲法規定があるので、圧倒的に、人口比できまる下院議員数がカギを握る。

つまり、カリフォルニア州やらニューヨーク州からの人口流出(日本的な「逃散」)は、民主党にとって「痛い」どころのはなしではなく、ひょっとすると永久に民主党から大統領がでることはないことになりかねない状況に追いこまれているのである。

つまるところ、「善政競争」に、民主党はあきらかに敗北している。

その鬱憤の爆発が、とうとう開き直りになっていきたのである。
だから、いまのカリフォルニア州民主党は、もう独立するしかないところまで追い詰められている、といえる。

しかしながら、背水の陣にならないのは、正義がそこにないからであって、あるのは「グローバル全体主義=共産主義」である。
しかも、この単純脳に教育・訓練されたひとたちは、「ソ連」と崩壊後の「ロシア」のちがいについて理解できない。

それが、「プーチン独裁体制」を嫌う最大要因なのである。

しかし、民主党の暴力志向はレーニンのそれとおなじであることをかんがえもしない。
一方で、CNNやらの既存マスコミは、この暴動の原因を「トランプ政権2.0の移民排除策」だと断定して、批判を強めている。

つまり、彼らは、「不法移民で犯罪者(今回の逮捕執行劇は、メキシコ系マフィアが対象だった)」を、カリフォルニア州にずっと住まわせることを主張しているのである。

これは、言論テロ、ではないのか?

トランプ大統領は、厳しく既存マスコミを直接批判し、「停波」も警告しているのである。

それが、SNSで発信した、「唾を吐いた者は殴る」である。

参政党・鹿児島の「いい仕事」

3年に一回の参議院通常選挙が来月に迫ってきて、だんだんと街が騒がしくなってきている。

ネット界隈では、「参政党」の支持率が、「公明党を超えた」ことが話題になっただけでなく、とうとうこれを機に地上波テレビが報道をはじめたので騒然としているのである。
これまでの、「無視」から、一転しての報道は、持ち上げて落とす、というシナリオのはじまりともとれるからである。

全国比例で8人、地方区には全選挙区に候補者を立てると発表し、既存政党でこれと匹敵するのは、なんと自民党だけ、という状況になっている。

ときに、地上波テレビ、なかんづく「公共放送」を自負しているNHKは、『日曜討論』に登場できるのは、国会における「全政党」という建前があったけれども、参政党が1人の国会(参議院)議員を出した途端にルールを変えて、衆参あわせて5人以上の議員がいないと出られない、というおよそ公共放送とは思えない政治的な嫌がらせをやった。

それで、老舗の「社民党」の議員もテレビから消えたのである。

だが、不思議なことに、社民党がこれに不満の大声をあげているとはおもえない。
つまり、NHKも社民党も、さては、他の野党も、こうした処置を黙視して「言論の自由」を語る噴飯がある。

USAIDから、なにがしかのカネをもらっていたから?と邪推したくなる。

その参政党は、当初5人のメンバーからはじまったが、オリジナルとして残存するのは、党首の神谷宗幣参議院議員と、元党首で元衆議院議員の松田学氏のふたりである。

松田氏は、元大蔵官僚で、石原慎太郎氏に近い関係から、自民党から距離を置く、官僚出身としては珍しい議員歴がある人物である。
わたしは、石原慎太郎氏を「保守」とはみなしていないけれども、世間一般的には、彼を「保守」という欺瞞が苦々しい。

それが、危険思想としての「保守」だからである。

さて、そんな松田氏の経済政策を、「松田プラン」と称して、結党当初から語っていたのが、「国債を政府発行通貨に変換する」という、一見すると「MMT:現代貨幣理論」のような怪しさなのだが、これをさいきんになってやっと、同党県支部のひとつ「鹿児島」から、詳細解説が発信された。

コーディネートしたのは、医師で同選挙区から今夏立候補予定の、牧野俊一氏である。

この解説がこれまででもっともわかりやすいのは、アニメ付き「図解」だからである。
通貨=おカネ=マネーが、どのような仕組みになっているのか?が、銀行のもっとも重要な「信用創造」機能とあわせ基本知識としてもよくわかる。

あえてこの解説に補足すれば、銀行が儲からない、ことの意味する現代日本経済の歪みがある。
これは、おそろしいほどの共産化(政府依存)の結果なのである。

「解説」ではまず、牧野氏からの一般論があって、それから松田氏からの補講があるのだが、ここで、あっさりと「BIS規制Ⅲ(「バーゼル3」ともいう)」についての影響に触れている。

わが国経済をおとしめているのが、この闇深いBIS(国際決済銀行)なのであって、逆らえない金融庁は奴隷のように従順なのである。
ちなみに、大著として『BIS隠された歴史』があるので、参考になる。

ところで、トランプ政権が国際金融の既存システムに対抗していることを、日本のメディアは一切日本人に伝えない。
じつは、まともなアメリカ人からみても、BISはヤバイ存在なのである。

なぜならば、各国の中央銀行のそのまた中央銀行がBISだからで、しかもこれらはぜんぶ「民間銀行」だという驚きの真実がある。
公的な、世界銀行や国際通貨基金(IMF)のそのまた上位に君臨しているのがBISなのである。

トランプ政権2.0が、自国のFRB(連邦準備制度理事会)を目の敵にしているのは、民間にこの組織が誕生したことと「セット」で、アメリカ建国史上はじめて「連邦所得税」の課税がはじまったつながりをしっているからである。

ここに、「トランプ関税」の意志があって、それが、「所得税廃止(論)」という選挙公約の基礎になっているのである。

そんなわけで、トランプ政権2.0はすでに、「FRB廃止」に向けた戦闘を開始しているが、彼の最終構想は、BISの廃止にいたる既存国際金融システムの破壊なのである。
なぜならば、これらの「特権階級」が、人類を支配することの弊害そのものの原因だからという、壮大な世直し、を意図しているからである。

よって、「松田プラン」とは、この文脈の先端的な具体策だという位置付けにある。

その手段が、ブロックチェーン技術を用いた「政府発行デジタル・マネー」のことで、トランプ政権2.0も、これを意図していることは、アメリカで喧伝されているのに、マスコミは伝えない。

何度も書くが、ハイエクの『貨幣発行自由化論』が、理論的背景にあるのだ。

肝心要の難しいことを易しく伝える。
これが、はじまったのである。

計画的な「茶番」

5月28日、DOGEを率いたイーロン・マスク氏が、退任すると発表した。

逆神のマスコミは、トランプ政権に痛手のように書いているが、はなから「任期は130日間だと決まっていた」ことを書かない。
その期日は、5月30日なのである。
しかも、それは「連邦法(特別政府職員の任期制限)」によって決まっていることだ。

このブログで何回か指摘していることに、トランプ政権には、「マインドマップ(思考整理とガントチャート型スケジュール管理)」の遣い手がいるはずだ、がある。
そうでなければ、かくも複雑な内外の現状を適確に予測し、かつ、瞬時の判断やら事前の準備ができるわけがないからである。

すると、イーロン・マスク氏の退任スケジュールとなにをからめるのか?という発想になるのは、ただ予定通り退任する、だけではつまらないことになるし、「ディール好き」のトランプ氏らしくない。

そこで、史上最大の「トランプ減税法案」をかませることにしたのだろう。

しかしながら、連邦下院議長はこの法案についての忠誠をあらかじめ大統領に示していた。
すると、連邦議会内でなにがおきているのか?ということになって、いわゆる「守旧派」つぶしをどうするのか?となる必定がある。

じつは、この「法案」が守旧派によって「肥大化」しているのである。

この議会の習性による修正のことは、選挙公約の時点に戻ることができる「予想どおり」だから、もしやイーロン・マスク氏の就任前からシナリオが用意されていた可能性があるとにらむ。

そこで、シナリオ執筆者は、単細胞で阿呆ばかりのマスコミをどうやって「踊らせるか?」も組み込んだのだろう。
それで、まんまと踊らされたのが、トランプ・イーロンの決裂、という「茶番」である。

この「茶番」の目的は、トランプ減税反対派を撃沈させることにある。

その前に、DOGEは、「省」と日本語翻訳されたが、あくまでもオバマ政権で大統領府のなかにつくった、「USDS(合衆国デジタルサービス)」の「改編」にすぎない。
したがって、DOGEは、すべての省庁のムダを発見してこれを大統領に「報告」はするが、それでどうするか?は、大統領と議会に委ねられている。

アメリカ合衆国憲法で、大統領を独裁者にさせないためにさまざまなカセをはめており、あくまでも既存法を根拠とする「大統領令」は認められるが、新規に立法がひつようなら、議会で決議しなければならない、ように制度設計されている。

つまり、DOGEは、あの「土光臨調」のような、大統領諮問機関なのである。

そうすると、イーロン・マスク氏の「不満」とは、限界のある大統領にではなく、DOGEが指摘したムダの削減を徹底実施するための法案を通さない議会に向かうのは当然だ。
そこで、このふたりが、「共謀」して「茶番」をやって議会に仕掛けることをやったのだ、とかんがえるのは、あまりにも単純すぎるのだが、これをマスコミは見抜けないかわざと書かない。

ときに、この「ケンカ」は、ドイツのメルツ新首相が初のホワイトハウス訪門中にはじまったのである。
このタイミングこそは、なんとウクライナ和平における戦争屋に支配されたドイツの油断までも計画していないか?

メルツ氏は、「ブラックロック・欧州」の会長だった。

なので、「ケンカ」シナリオの策定に、ヘッジファンドの大御所たるベッセント財務長官も一枚噛んでいるとにらむのである。

なんだか1974年にアカデミー賞をとった、『スティング』(1973年)のような、「騙しの仕掛け」にみえるのである。

マスク氏は自身の「X」に投稿し、トランプ大統領は自身の、「Truth Social」に投稿する、というルールで、互いに互いを罵倒し合う「茶番」をやった。

それで、議会の反対勢力がいう主張をこれ以上ない罵詈雑言で撃破してみせたら、あっというまに「和解」に至るのであろう。

なお、マスク氏の盟友が、NASAの長官に指名され、上院の承認を通過していながら、指名解除されたことも「ケンカの原因」とする説もあるが、この人物が民主党支持者であることがいまさらの理由になるのは無理だ。
「仕掛け」のひとつだったのではいか?

しかも、NASAの無駄遣いは、DOGEが暴いたことでもある。

残念だが、日本政府もマスコミのレベル、あるいはそれ以下にあるので、自分でやっている「茶番」が、なんだか本当になる異常がある。
5回も訪米して、何の成果もない「関税交渉」が、何の成果も出さないことが目的だったはずなのに、「航空運賃がもったいない」というチンケな批判にさらされて揺れている。

残念ながら、電話でいいじゃん、という批判の方に軍配があがる程度の「交渉」だといえるのは、「消費税撤廃」を絶対にテーマにしない日本側の「反トランプ」を、ここでもヘッジファンドの遣り手だったベッセント財務長官が、もてあそんでいる構図がみえみえだからである。

トランプ大統領の、「京都風いけず」な発言をまねているのは、そのためだろう。
ついでに、新任の日本大使もこれにならっている。

わたしには、赤沢氏がピエロにしかみえないが、やがてあたかもホラー映画のごとく、「最凶」の存在に化けるかもしれない。

これはこれで、やっぱり「茶番」なのであるけれど。

誠意のかけらもない和平交渉

1日、ウクライナはドローンを積んだトラックでロシア空軍基地の近くまで移動させ、そこから駐機中の軍用機を破壊する「テロ」を実施した。
ロシアの被害額は1兆円規模だという。

これを、「蜘蛛の巣作戦」と、ウクライナ保安庁は発表した。

トルコでの和平交渉中の「作戦実行」であるから、ウクライナ(=EU=NATO)の戦争継続意思表示=挑発であることはまちがいない。
当然ながら、ドイツの外相(緑の党党首)はこの作戦の成功を「絶賛」したし、ドイツの首相はヒトラーがやった「ロシアへの直接攻撃」を模索していると公言している。

つまり、EU=NATOの主流派(戦争屋)は、第三次世界大戦を勃発させたいのである。

一方で、交渉のテーブルでは、双方の戦死者の遺体交換もロシア側から提案された。
遺族への返還と葬儀をきちんとやりたい、というのがロシア正教の信者たるプーチン氏の意向だというが、ウクライナ側には困った提案だったようだ。

ロシア側が保存しているウクライナ兵とはことなり、ウクライナ側はぞんざいな扱いをしているからだという。
これも、両国の「性格のちがい」をあらわす一例となっている。

「蜘蛛の巣作戦」について、トランプ大統領は、「しらなかった」と発言した。

ようは、アメリカ抜き、があからさまになっている。
けれども、それは、EU=NATOの焦り、ともとれるほどの強引さである。
これで、平和勢力の色分けがいよいよハッキリしてきたのだが、マスコミを信じるととんでもないことになるのは「大本営発表」レベルにあるからだ。

さらに、トランプ政権2.0が、中国との関税交渉をあんがいあっさり切り上げたのは、習氏失脚の「噂」についてなんらかの確信があったためではないか?といわれだした。
経済開発・維持の、旧江沢民派の巻き返しによる「習氏排除」の動きは、さいきんの「人民日報」から習氏の記事がないことで証明されようとしている。

そんななか、わが国は、ロシアの凍結資産から30億ドルを勝手につかう、ウクライナとJICAの協定が締結されたと、5日、「スプートニク日本版」が伝えている。
なくなったUSAIDの機能を、本格的にそのコピーたるJICAが受け持つことになって、トランプ政権2.0と真っ向対立しているのが「自・公・立憲」政権なのだ。

こんなことをしながら、赤沢氏を特使とする関税交渉とはなにか?

たんなる、ダミーである。

日本政府は、日本経済を破壊し、日本人を奴隷化する命令に従っている。
命じているのは、「戦争屋」である。
それゆえに、根幹たる自動車産業が「関税」によって壊滅的となることを望んでいるのである。

しかも、無謀な「トランプ関税」のせい、だと、愚民に主張できる。

愚かな「蜘蛛の巣作戦」によって、トランプ政権2.0は、ますますウクライナから手を引いて、さっさとロシアとのディール(=米露同盟関係の構築)を開始する可能性がでてきた。

韓国では、「予定通り」、重犯罪者が大統領職を射止めたようにみえるが、わが国政府が気にもしないのは、同じ穴のムジナ、だからである。
強烈な反日政策が飛んでこようが、そもそもいまの日本政府が強烈な反日なのである。

そんなわけで、トランプ政権2.0が、あたかも「孤立」しているように宣伝されてはいるが、そうはかんたんなはなしではない。
世界潮流は、親トランプ政権2.0であり、親ロシアが実際のところなのである。
1日、対ウクライナの要であるポーランドでは、親トランプ政権の大統領が誕生した。

だから、焦っているのは、EU=NATO主流派なのである。

マスコミが報じない、ロシアが突きつきた和平条件に、「ウクライナからのナチスの排除」がある。
これは、当初からの「目的」にある項目で、ロシアは一切のブレがない。

西側が「ナチス支援」をしていることのおぞましさ、なのである。

さてそれで、プーチン氏はどうするのか?
「蜘蛛の巣作戦」が突きつけたのは、おそろしく面倒なパズルである。
ゼレンスキー政権への直接攻撃開始、をトランプ政権2.0と協議している可能性がある。

それと同時に、イランとのディールの仲介もプーチン氏に依頼していることだろう。

賽を振ったのは、EU=NATO(含む日本)の側なのだ。

地元密着の観光難易度

前回の続きである。
「街中華」がはやっている。

個人商店がおおむね苦戦を強いられる時代になったのは、いまでは人為の計画的であった疑いが濃い「コロナ禍」が最大の試練だったろう。

モノを販売する「お店」としては、「大店法の規制緩和」が大きかった。
これで、街の中心部にあった「商店街」が著しく衰退の憂き目を見ながらいまに至っている。

一方で、「利便性」という側面では、圧倒的に「大店」がまさるから、消費者にとってのメリットは「大店」に軍配があがる。
とはいえ、「商店街」を放置していいのか?という議論になると、急にノスタルジックな議論となって、埒があかないのである。

それで、責任を取りたくない行政は、かつての店舗を「商業用不動産」として優遇税制の中に置いたままにするので、全国にシャッター街を生産するという結果が生まれている。

こうした商店街のなかや、周辺の住宅地に点在したのが、おなじく個人商としての飲食店で、日本そば・うどん、寿司、中華料理が3大ジャンルとなっている。

そもそも自家用車の普及がなかった時代、徒歩圏やせいぜい自転車で移動した「生活圏」にあった店たちなので、はなから「地元密着」になる当然がある。

いま世間を賑わしている「米」だって、むかしは町内に一軒必ず「米屋」があったのは、「食糧管理」の都合上からの強制でもあったし、新規開業を許可しない方式での「権利」であった。

なので、スーパーで買えるようになったら途端に絶滅危惧種になったのともちがう「地域密着」なのだ。
この「米屋」とおなじ分類にあたるのが、「たばこ屋」と「酒屋」で、「権利」を台頭するコンビニに売ったのである。

そんなわけで、「自由営業」の分野に、「街中華」もはいる。

神奈川県相模原市の住宅街に、街中華の名店がある。
創業者の父は「広東料理」、息子は横浜中華街で修行した「四川料理」の父子鷹である。

JR相模線の最寄りの駅からは徒歩で15分ほど、接地する道路にはバスも走るが、1時間に一本程度というアクセスの悪さも特徴なのである。

よって、ほぼ「地元密着」でしかない。

だが、それがまた「味」を出している。
とにかく、観光客がフラっと入店するような場所柄ではないのである。

それでいて、開業から半世紀近くも営業できてきたのは、まさに「名店」にふさわしい。

いまどき、こんな店もある。

それで、片道2時間半ほどをかけても通っているのは、その居心地の良さと気の利かせかたが、まったくもって「むかしながら」だからである。

近所にこういう店がほしい、というのは、いまどきの奇跡的存在だからでもある。

わが家では、この店への道中を含めて「観光化」しているが、まったく他に観光客をみないのも価値があるのである。

しかしながら、店主たちからしたら、ふつうのことを続けてきた、だけなので、なにが特別かをぜんぜん意識していない。
ここに、ガラパゴス的な隔絶がある。

あえて書けば、この店の客は、ほぼ全員が「目的客」なのである。

周辺に他の飲食店がないので、もしも満席なら待つしかない。
「臨時休業」のがっかりをする可能性も高い。
わが家は、「本日貸し切り」という肩透かしを食らって、途方に暮れたこともある。

しかして、全国にはこのような店がたんとあるだろう。

知らぬは「よそ者=観光客」ばかりなのである。
なので、観光地を歩く場合でもなるたけ「地元密着店」はどこか?を意識して歩くのである。
そのために、路地や路地裏に気をつけるし、古びた店構えを発見するとがぜん興味がわくのである。

むかしは、「酒屋」が情報源だった。

町内の飲食店に飲料を提供するから、店の内部事情に詳しかったのである。
ビールなどを買いに立ち寄って、店主お薦め店を聞き出すことはヒット率を高めた。

ネット社会のいま、残念だが「グルメ情報」サイトはほとんど役に立たない。
申し訳ないが、投降者の感性レベルが低いのである。
たんなるノイズになるので、わたしはほとんどチェックしない。

そのために、自分の感性が頼りとなるスリリングさが、またひとつの「味」となる観光をするばかりなのである。

気がつけば、「観光ガイド」とは、効率的(=時短)に観光地をまわるのには意味があるが、非効率からうまれる「発見」を期待することはできない。
すると、「地元密着店」を発掘することは、非効率こその効果なのである。

だからそれが難易度が高いのは、今どきの「なんでも合理的」との反対があってのことなので、意識しないと行動にならないからである。
つまり、偶然を求める旅や観光ではなく、確実性の方が優先されているから、きまった店だけによそ者の客が殺到することになったのである。

なにもかんがえないですむマニュアル的な生き方の象徴がここにある。

「味の変化」をかんがえる

老舗料理店の「味」が、変わったか変わらないかが議論になることで、それがそのまま「店の評価」になっていることがある。

結論から先に書けば、おおむね「店側は味を変えている」のに、「客側が変わらない」と信じていることでの「高評価」がある。
これは、ふだんの食生活の変化を感じとった店側が、ほんのわずかな対応をしているために、「客側」をいい意味で騙しているのである。

もっといえば、洋風の味に染まっている客の食生活に合わせる努力をしたら、「むかしから変わらない味」という勘違いを引き出して、それが知れ渡るとできる「ブランド効果」であるともいえる。

では、味は変えるべきものか?それとも変えているのに変わらないという評価に向かうべきであるか?どうなのだろう?という議論である。

神奈川県の相模原に、父と息子の親子で営む「街中華」がある。

父は、日本人が好む典型的な「広東(風)料理」の担当で、息子は、横浜中華街にて修行した、本格的「四川料理」の腕をもっている。

創業者の父の味こそ、これぞ「街中華」なのではあるが、そのレベルはそんじょそこらの店とはちがう、なるほどの料理なのである。
だから、横浜中華街にもあるあるの料理ともいえるし、庶民的なメニューとはいえひと工夫もひと手間もかけているのがうれしい。

一方で、息子の四川は、これもまったく手間を惜しまぬ仕込みをしているので、「麻」と「辣」とが、はっきりしている。
こんな「本格」が、街中華で手軽な値段で楽しめるのである。

つまるところ、広東料理と四川料理が、同じ店にあるのであって、かなり珍しいといえるだろう。

わが家からはかなり移動の手間がかかる場所ではあるが、意を決して向かうにふさわしい店なのである。

先日、一駅離れた隣町のホテルをとって、いよいよ堪能しに久しぶりに出かけたら、お父上の姿が見えない。
聞けば訳あって入院中という。

二人でやっていた店の料理を、ひとりでこなすため「出前」は中断しているとのことであった。

さてそこで、息子の広東料理をはじめて食べた。

なるほど、父とは味がちがうのである。
だが、まずい、というのではない。
まさに息子の味であって、奇しくも父の味との比較ができたのである。

なによりも、元気で退院されての復帰を願うが、とはいえ息子は覚悟をもって父の味を継いで欲しいとおもったのである。

なぜか?

メニューに、おなじ料理でも、父バージョンと息子バージョンを載せて欲しいとおもったからである。
これを機に、あくまでも前向きに、息子には父の味と自分の味の両刀使いをマスターしてほしいのである。

なんとわがままで贅沢なことか!
厨房に復帰した親父さんに伝えておきたい正直なリクエストなのである。

とはいえ、以上が本音ではあるけれど、ふと『マトリックス』を思い出した。

量子論によれば、いよいよ我々が見て感じている「現実」が、じつは「幻」であることのややこしさがある。
脳(量子コンピュータ)によってつくられている「マトリックス」の世界のほうが、本当の現実に近い。

まぁ、グダグダいわずに、親父さんの復帰を願うばかりなのである。

やっぱり違和感のMET

本稿は『フィデリオ』で書いたことの繰り返しだとあらかじめ書いておく。

それで今回は、5月30日から6月5日まで上映の、『フィガロの結婚』である。
作品に関係なく、冒頭からMET(メトロポリタンオペラ)はやらかしてくれた。

なんと、開演前に出演者が総出して観客とが、「ウクライナ国家」の斉唱をした場面からはじまった。
テロップには、「ウクライナ全面支援のおことわり」が表示されたのである。

撮影された客席は、ほぼ全員が起立して歌っているのである。

このおぞましい光景を見せつけられて、いきなり鑑賞の気分が削がれたのはもちろん、気分が悪くなったのである。
事ここに至ってなお、和平への努力をしないでロシア領への攻撃をしたウクライナの戦争屋の手先たちを支援するとは、とにかく戦争の継続を画策している態度に唖然とする。

国歌を斉唱するなら、「アメリカ国家」でなくてはならないのではないか?
なにしろ、世界都市ニューヨークなのだから。

しかし、グローバル全体主義=民主党の庇護者たちがスポンサーの劇場だから、きっと彼らの「意向」に逆らえないにちがいない。
その彼らとは、もちろん「戦争屋」のことである。

「映画公演:HD(High Definition:高解像度映像)」の公式スポンサーは、「ブルームバーグ」と「ROLEX」それに、「Neubauer Family Foundation」なる慈善団体だが、おおくの民主党系寄付者からの支えが、とうとう政治的ににっちもさっちもいかなくなったにちがいない。

とにかく自分たちの利益のために、現地人が何人死のうが関係なく、この劇場で「オペラ」にうつつをぬかそうというやからたちなのだ。

自分がこのような不道徳なものたちと同じだということに唖然とする。
共犯者のようで、気分が悪くなったのである。

ハーバード大学へのトランプ政権による「弾圧」の原因について、伊藤貫氏が明確に「偽善」だと述べている。
トランプ政権のことではなく、ハーバードを乗っ取った民主党員たちを「偽善者」と呼んでいるのである。

本音には、自分たちほど頭のいいものは世界にいないという思い上がりの裏返しだと分析してる。

もっともな主張である。

それで、日本の国立大学が、アメリカから追放された留学生を「無償=税金と自主的稼ぎ」で受け入れようという「偽善」を発表したが、おそらく「受け皿」として本人たちから認知もされていないことに気づかない間抜けさがある。

日本国内で、自分たちほど頭がいいものはいない、という思いがりが、なんと肩透かしをくらって滑っている「ざまぁ」がある現実に、日本の大学教授たちは何をおもうのか?

政治的立場をハッキリさせるのは、潔い、かもしれないが、それを観客に押し付けないでもらいたい。

本作、『フィガロの結婚』の主役、フィガロは例に漏れず黒人歌手だった。
前作の、『フィデリオ』に出演した上海出身の歌手も本作に登場したのは、「アカデミー賞」選考基準の準用なのか?それとも別の政治的意図があってのことか?といらぬ興味がわくのである。

なんにせよ、『魔笛』をつくったコンビによるこのオペラの反骨は、「初夜権」への反発が基礎にある。
まさに、「肉食の思想」が具現された、ローマ皇帝やら封建領主の「法的権限」であったものを風刺しているのである。

つまるところ、民主党的な「反キリスト教」からしたら、やけに「保守的」な演目なのだ。
もっとも、モーツァルトはフリーメーソンだった。

だが、幕間における「次作予告」は、あの問題作『サロメ』の新演出だ。
虐待を受けてから異常性愛へと変貌するサロメの狂気こそ、社会主義者オスカー・ワイルドの原作にしていまのMETにふさわしいだろう。

そんな作品を観るのは、こちらから御免被るのである。

ディズニーすら、SDGsやらのアジェンダから離脱したのに、METはまさにサロメのごとく異常な行動をひた走っている。

今シーズンは、『サロメ』の次に、『フィガロの結婚』の前作にあたる『セヴィリアの理髪師』で締める。
予告によれば、なんだか「古風」にして「正統」なのは、政治アジェンダの頂点を『サロメ』に置いているからかもしれないと邪推する。

発表されている『セヴィリアの理髪師』の「フィガロ役」はおろか、全員が「白人歌手」のようだからである。

しょせん、オペラはヨーロッパ白人社会の支配者=王侯貴族の暇つぶしにつくられ上演されてきたもので、徐々に一般人(紳士淑女)にも席が開放されたものだ。
はなから日本の芸能とはぜんぜんちがう。

もちろん、王侯貴族の暇つぶしから「近代オリンピック」すら生まれたのだ。

さてそれで、『セヴィリアの理髪師』がどんな「進化」を遂げたものか、また文句を書くチャンスがあるかもしれない。

2027国際園芸博覧会のデジタル・タトゥー

横浜開港記念日の2日、横浜市議会の常任委員会で市が報告という記事があったので、これをデジタル・タトゥーとして保存しておきたい。

内容は、
運営主体の国際園芸博覧会協会が「輸送実施計画」の初版をまとめた。
1日の来場者を最大10万5千人と想定し、会場周辺の4駅から最大計820便のシャトルバスを走らせるとした、とある。

じつは、会場(旧「米軍上瀨谷通信隊」跡地)から最寄りの駅は、相鉄線の瀨谷駅で、当初はここから新交通システムを敷設して運送するという計画であった。
これは、万博後の用地を、相鉄と三菱地所とがテーマパークにするという構想にもつながるものだったが、ここから相鉄が撤退したことがおおきいのだろう。

また、広大な敷地内に駐車場計画がない、ことから、県立高校が廃校となって駐車場にあてられることになっており、付近の農地を駐車場にすべく地主との交渉をしているが協力が得られていないという噂も耳にしていることは前に書いた。

つまり、「シャトルバス」しか交通手段がない、というのは結果論ではなくて、当初からの「計画」なのである。

大阪万博について、あえてここでは話題にしないが、どうして「横浜」といっても、この辺境が万博会場に選ばれたのか?ということがやくわからない。

ずっと、返還運動があったのに、本当に返還(日米合意は2004年で、返還は2015年)されたら利用方法が決まらないという事態になったのである。

わたしは、市と地主との間における「地代」の調製がつかなかったのではないかと疑っているが、詳しいことはわからない。

そもそもこの土地は、日本海軍が倉庫施設として用いており、「海軍道路」という軍専用の道路が瀨谷駅から約3Kmの直線上にあった。
終戦直後に米軍に接収されるモ、47年に接収解除となり、その後、1951年に再接収されて、「海軍道路」も一時は米軍専用道路だったのである。

なお、瀨谷駅からは「引き込み線」も敷設されていた。

個人的には、わたしの父が海軍のレーダー兵であったことに関係して、戦後、この上瀨谷通信隊に勤務していて、幼稚園生の頃、7月4日の独立記念日には基地内での豪華なイベントに2年続けて行ったのを覚えている。

みたこともないステーキやソーセージをバーベキューで楽しんで、たっぷり炭酸飲料だか珍しかったジュースを好きなだけ口にできた。
広場ではアメリカ人の子供と一緒に遊んだが、翌年は、それが誰だったかもう互いに記憶がなかったし、どうやってコミュニケーションをとったのかも覚えていない。

戦後の日本人は、徹底的に軍事から目を逸らされて、「忌諱すること」だけを擦り込まれた。
それで、「国防」というと、すぐに「軍事衝突」をイメージする単純脳にさせられた。
「情報戦」とかという、平時おける危険な活動について、驚くほどの無頓着になったのである。

上瀨谷通信隊が世界規模でどんな存在であったのか?を詳しく説明するものもいないなかで、歴史の消し込み作業が行われることの意味は、あんがいと罪深いのではないか?

ウィキペディアによれば、本通信隊は「アメリカ国家安全保障局」の隷下にあったというから、「軍」よりも上位だといえる。

そんななかで、一日あたり10万人程度という万博の入場者予測は、ショボい、のひとことなのである。
かつて横浜中華街は、平日10万人、週末なら一日あたり40万人という人出であった。
この時期の平日は、それでも閑散としてみえたものだった。

会場面積でかんがえたら、ひとがいないようにみえるだろう。

なんにせよ、シャトルバスに乗り込んでまでして行く価値があるのか?

もう35年も前になる、1990年の「大阪花博」は、総来場者数は2312万6934名であったことも念のため書いておく。