米・英は仲が悪い

アメリカと英国が仲良しだとおもっている日本人はおおい。

この両国は連合国としての敵だったから、たしかに米・英がセットであるというイメージになるのはしかたがないことではある。

だが、そもそも英国を追い出された人たちが移民して住み着いたのが「新大陸」であったし、最初の13州ができた経緯もそれぞれの物語がある。
もちろん、アメリカが建国したのは、英国との「独立戦争」に勝ち抜いたからで、そのきっかけとなったのが、「茶への課税問題」だったことは有名だ。

日本には理不尽な税金が山ほどあって、国民があんまり文句をいわないでいたら、とうとう奴隷扱いされるまでになったのに、昨今やっと気づきはじめたのとは格段の差がある。

「自由貿易」が有利なのは、リカードの「比較優位説」とはちがって、英国と同じ「貿易立国」のための政治が優先したからである。
その英国は、「インド・モデル」を植民地アメリカに持ち込んで、とうとう「南北戦争(内戦:Civil War)」になったのだった。

幕末・維新から同じ島国の英国に学んだわが国は、東アジアの大陸とアメリカそのものを、「インド・モデル」に見立てて外貨を稼ごうとした。
それが、「絹」だった時代は許されたが、「重工業製品」になったら、軋轢がおおきくなったのである。

これは、アメリカでは奴隷を使って「プランテーション(農業)」をやるアイルランドからの移民が貴族化した南部と、鉱工業の北部とでは儲け方がことなって、あくまで英国目線からしたらライバルの北部工業地帯を潰したいし、南部の「インド・モデル」こそ利益の源泉だという構造だったのと似ている。

これが理由で英国は、南北戦争の南部にたっぷりと一方的な支援(たとえば軍艦の供与も)をしたのは、いまのウクライナ支援と話の根幹構造も似ているのである。

こうした「当事者ではない第三国からの徹底支援」のために、かえって戦争の期間が長引いて当事者の若者の犠牲者が増えるという、当事者たるアメリカ側の悲惨になったが、こういうことにぜんぜん責任感のないのが英国という国の支配者たちなのである。

ただし、ウクライナにおける英国の野望は、ロシアを疲弊させたうえでのロシア天然資源を強奪することだから、現在の価値観的には妄想が過ぎるが、エリツィン時代の「おいしさよもう一度」という意味で、薬物中毒の禁断症状のような「欲にまみれた」妄想なのである。

これに、アメリカ民主党が乗ったのは、同じ穴のムジナ同士だからである。

つまり、アメリカと英国が仲がいいというときの「アメリカ」とは、アメリカ民主党のことで、この党と対抗するアメリカの「旧ホイッグ党」=「現共和党トランプ派」とは、ぜんぜんウマが合わないのは道理だ。

もちろん、リンカーンは共和党だし。

すると、日本の立ち位置が困った。
1985年の「プラザ合意」からの円高で、日本の鉱工業は見事な空洞化をきたし、海外生産に転じ、そのために貿易収支の黒字ではなくて、資本収支の黒字という「構造転換」を強いられてしまったので、成功の「インド・モデル」が古くなったのである。

ところが、もっと悲惨なのが英国で、ロンドンのシティを中心とする「金融立国」部分だけが残ったために、ポンド安が認められない。
しかし、これで国内産業は壊滅したから、失業者があふれても、就業先がなく、とうとう「福祉国家依存」という悪夢が現実化した。

それが、スターマー労働党政権である。

英国政治史からしたら「超短命」だった、トラス政権が「産業立国」へと軌道修正を試みたが、「金融立国(シティ)」の妨害で、政権まで潰されたことを、最近はトラス女史自身が「DS」の仕業だったと証言し、トランプ政権2.0への期待を発信している。

ようは、日本も英国に追随して、東京をアジア金融の中心にするという英国型に失敗したおかげで、まだ円安の効用があるかに見える。
しかし、トランプ政権2.0の「保護主義化」で、ドル安を容認するはずなので、再び円高の時代がやってくるだろう。

日本人にとって、円安がいいのか?円高がいいのか?

製造大企業の見解は、為替に関係なく「海外進出」することだった。
それで、自社製品を直接現地人の購買力を高めることで販売したい、という思惑である。
つまり、リカードの比較優位説ではなくて、ヘクシャー・オリーンの「要素価格均等化定理」の方がだんぜん重いのである。

突きつめれば、日本資本は日本を棄てたのである。

それで、アメリカで利益を得るには、トランプ政権2.0下ではアメリカに工場をつくらないといけないけれど、それでどう採算をとるのか?
まったくもって、「要素価格均等化定理」の時代が続くのである。

すると、先月15日に英国が正式加盟した、TTPが「ブロック経済」としての意味を持つ。

これが、EU離脱後の英国にとって、つまり、スターマー政権の強気の源泉かもしれない。
ならば、「TPPはアメリカの陰謀だ」としていた日本の論客のトンチンカンはなんだったのか?と同時に、それでどうする?になっている。

バイデンのすかしっ屁とイーロン・マスク

新年早々に入ってきたのは、アメリカにおける二件のテロと、バイデンのリズ・チェイニーへの叙勲、そして、イーロン・マスク氏の英国総選挙のすすめのニュースである。

テロのひとつは、トランプ氏が所有するホテル入り口における、イーロン・マスク氏が所有するテスラ社製トラックによる爆弾騒ぎである。
犯人とみられる運転手は爆死したというが、なぜかIDカードが無傷で発見されて、どういうわけか退役軍人のトランプ支持者だと判明した。

もう一件のテロも、犯人は退役軍人だった。

これらは、政権移行への警告なのかなんなのか?
国民からの信用を失っているFBIが早くも、この二件の関連性はないと発表しているから、アメリカ人のおおくはより関連性を怪しむことになった。

一方で、バイデン政権は、あのリズ・チェイニーに国家として上から二番目の勲章を授与すると発表し、「爺さんのすかしっ屁」として失笑を買っている。
これをいつものように、大手メディアは称賛しつつも、「1月6日委員会」の副委員長だったことへのトランプ政権2.0からの報復を防御するため、という余計な解説も加えている。

残念ながら、民主党ペロシ下院議長時代のこの委員会のレポートのすべてにわたって、「欺瞞と捏造」がとっくに指摘されており、リズ・チェイニー自身も、地元共和党から「除名」され、先の中間選挙にすら立候補できないまでに失脚したのである。

これには、ブッシュ息子時代の事実上の大統領といわれた、戦争屋を代表するチェイニー副大統領の長女だから、という因縁もある。
「トランプ氏の政敵」という大手マスコミだが、トランプ氏からしたら、もう民間人であり、二度と政界には戻れないか、戻るなら民主党員になるしかないと判断しているだろうに。

とにかく、アメリカは「民主主義」のために、世界で反対勢力と戦争をして、地上をアメリカ型民主主義にする、という大義名分での武器商人の利益を優先させる伝統的な政策に、当のアメリカ人が嫌忌してトランプ政権を支持しているのである。

なので、まったくアメリカ人から支持されない人物への叙勲が意味するのは、失笑しかない。

いまや、フロリダのトランプ邸に住み込み中の、世界一の大富豪たるイーロン・マスク氏は、ドイツに次いで英国政権へのちょっかいをくりだした。
トランプ氏は基本的に、「モンロー主義」のひとだけど、こうしたイーロン・マスク氏の発言を事前に承知しているにちがいない。

昨年、圧倒的な勝利で政権交代した英国は、議会でも労働党が過半を占めるので、よほどのことがないかぎり、改めて総選挙をおこなう理由はない。
だから、「ちょっかい」なのであるが、反トランプ政権2.0を標榜する英国労働党は、日本の自民党と組んで対抗しようとしている。

その自民党政権は、親中ぶりを世界にアピールして、アメリカ離れという離れ業をやっている。

それでもって、イーロン・マスク氏は、昨年から「親日」ぶりを表明しているので、どこかのタイミングで「反自民」をいいだすにちがいなく、そのチャンスを計算していることだろう。

トランプ氏もイーロン・マスク氏も、けっして侮れないのは、「経営者の役割」をしっているからである。
いまの世界で、これを熟知している企業トップは稀有な存在だし、ましてや政界には皆無といえる。

大晦日でもって、ロシアからのガス供給が止まった欧州では、いよいよ寒い冬となったわけだが、止めたのはロシアではなく、ウクライナのゼレンスキー政権だというわけわからんがある。

パイプラインの使用許可延長契約を、ウクライナが拒否したことが原因ではあるが、大晦日まで契約が履行されていたこと自体が、「?」なのである。
それもこれも、バイデン政権のすかしっ屁だし、これを支援した英国政権のすかしっ屁だろう。

誰にかがせたのかといえば、反ウクライナのスロバキアがターゲットだろうに、親ウクライナのモルドバを巻きこんで犠牲にしても平気の平左なのだ。
そのモルドバの、親EU大統領のハシゴ外しについての情報がぜんぜんない。

こんな世界情勢のなかで、予算を人質にした石破政権は、春に総選挙を打つ可能性が高く、イーロン・マスク氏がどんなことを「X」でつぶやき、どういう介入(ちょっかい)をするのか?が興味深い。

いきなり、日本の新聞社を買収するかもしれないからのである。

お節に飽きたらカレー、という時代

レトルトカレーが世にでたのは、1968年(昭和43年)のことであった。

湯煎して「3分」で食べられることのメリットがあったのは、まだ電子レンジが世の中になかったこともある。

ちなみに、電子レンジを発明・開発したのは、アメリカの「レイセオン社」で、1950年の新製品名称は、「レーダーレンジ」だった。
これは、レイセオン社がいま、いま世界最大の軍事企業であることを思い出させる。

ちなみに、バイデン政権現職の国防長官にして、陸軍大将だったオースティン氏は、退役後この会社の役員に就任していた。
なお、ボーイングは第二位にあたるから、レイセオン社の巨大さがわかる。

日本の一般家庭に電子レンジが普及したのは、70年代だが、初期の超高価だった機種には暖めムラができるので、「ターンテーブル式」の工夫があってのことであった。
それでも、当時の月給からしたら高価な「家電」だったので、「月賦」払いがふつうだった。

この前に、子供といっしょに楽しむケーキ作りが流行って、日本人には馴染みのない「オーブン」が普及しだした。
最初は「電気炊飯器」で作れる蒸しケーキを、とにかく小麦を売りたいアメリカは開発・普及をはかったが、ご飯に匂いがつくことを主婦たちが嫌って大失敗した経緯がある。

わが家にはじめてきたオーブンは、なんと「ガス・オーブン」だった。

これは、単純な構造なので安価であったが、庫内の温度ムラがはげしく、思うような焼き加減が難しいという欠点があったが、作るのがもっぱら「マカロニグラタン」と「焼きプリン」だったので、気にならないという利点があった。

ローストビーフとか、高級な料理は、そもそも高級な食材を買う余裕がなかったし、オーブン料理のバリエーションに関する知識もなかったのである。

それからずいぶん経って、電子レンジと合体した「オーブン・レンジ」と交代したが、めっきり電子レンジとしての「チン」がメインになって、オーブンとしての機能は「魚焼き」程度になっていた。

ところで、ソ連では、ゴルバチョフの「ペレストロイカ」がはじまる前まで、なんと電子レンジは「禁止」されていたという。

その理由が、「健康被害」への懸念である。

ここで問題視されているのは調理中に発する「電磁波」が人体に危険ということよりも、調理対象の食品の細胞あるいは分子に関与して、栄養品質を悪化させることにあった。

調理法のちがいによる野菜の栄養素(フラボノイド)の破壊率は、
蒸す:11%
圧力鍋:47%
茹でる:66% であるのに対し、電子レンジの場合は、97%となっている。

これが、肥満や発がんの原因となるのではないか?というソ連科学者たちの研究があるのだという。
なお、電子レンジでいったん暖めた「水」を、動物は口にしないという実験結果もあるようだ。

この10年余りで、欧米ではあきらかに「癌」は減少している病気だが、日本では依然として増加していることの理由のひとつに挙げられていることはしっていていい。
もちろん、日本が世界最大の食品添加物や、欧米では製造すら禁止されている農薬の使用・販売を認可している「大国」だということもしっていていい。

とうぜんながら、食品をながく保存できるようにする工夫はむかしからあった。

冷蔵庫もない時代なら、切実な問題だったけれど、常温で長持ちさせるにはどんな方法が考案されたのか?は興味深い。
西洋でも、「ジャム」や「シロップ漬け」をかんがえたように、「砂糖」が一般に普及したらもっとも効果がある「防腐剤」のひとつになった。

むろん、古来「はちみつ」が防腐剤になっていたのは、エジプトのミイラにもつかわれていたことでしられる。
「糖」だけでなく、「殺菌効果」が、数千年の時を超えても有効だからである。

なので、「お節料理」も、砂糖を使うものがおおい。

しかし、むかしながらをそのままに調理すると、「糖分の摂りすぎ」になるので、科学的な添加物が重宝されるようになって、これらがほとんどの商品に含まれている。
せいぜい、「七草」までか、ながくとも「鏡開き」まで持たせるとなれば、一週間から二週間ほどでいいのだが、それではさすがに「飽き」てくる。

そんなわけで、国民食の「カレー」が、お節の「サブ・カルチャー」になったのであろう。

健康に気をつかう時代のいま、あるいは、超核家族化と貧困化で、そもそも「お節料理」を用意もしないのは、防腐剤を摂らないという意味では合理的になってしまったのである。

それならば、最初から「カレー」でも作り置きすれば、鍋で温め直すだけの手間で、十分に「寝正月」が楽しめるということになったのである。

三分待つレトルトカレーすら、今は昔になった。

正月はYouTubeで『釈迦』を観た

1961年の大映作品で、わが国初の70mmシネスコープ作品だという。

「三週間限定」という期限付きなので、さっそく視聴したが、この時期にピッタリの大作であった。

明治の「文明開化」以来、西洋が一番だと思いこまされ、その西洋に敗戦の苦渋を舐めさせられた記憶がしっかり残る時代の作品で、しかも、このような「大作」ができたのは、資金面でも高度成長下の自信であったのだろう。

戦後16年目なので、同じ時間をいまから遡れば2009年(平成21年)となる。
この年の7月、麻生太郎政権が打って出た総選挙で、あの民主党政権が誕生したのである。

さて、当時のオールスターの面々が、古代インド人に扮して共演していることの意義をあらためて感じさせてくれた。

なにせ、釈迦は実在の人物だが、イエス・キリストは、その実在が確認されてはいないというちがいがあるし、その生存した時期はイエス・キリストの時期より少なくとも500年早い。

人類最古のゾロアスター教との関係では、一応、ゾロアスター教から仏陀の思想へ影響したことになっているが、古代ペルシャと北インドの距離はあんがいと近いために、ゾロアスター教の成立時期と仏陀の生存時期との関係からすれば、それぞれが影響し合った可能性もある。

なお、「北インド」と上に書いたが、釈迦の生誕地ルンビニは、いまの地図だとネパールになる。

もちろん、仏教よりもっと早いヒンドゥー教のカースト制度があるために、仏陀がこの制度を否定したことの意味は、現代の感覚とはちがった重さがあったろう。
とはいえ、仏教はヒンドゥー教の現代インドでも2%程度の少数派ではある。

インド亜大陸に呑み込まれたくないスリランカは、逆に仏教徒が人口の8割を占める「仏教国」だが、なにせ全人口が2000万人の小国だから、2%のインドよりも信者数が少ないうらみがある。

とはいえ、世界遺産の「仏歯寺(仏陀の歯が保存されている)」への巡礼が、インド洋の対岸にあたるタイから押し寄せるのも、仏教国だと思いこんでいる日本人にはしらない世界である。

はたして、日本は仏教国で、日本人は仏教徒だといえるのか?

映画製作としては、1956年に公開された『十戒』の影響を強く受けているスペクタクルだろう。

聖徳太子(いまは「厩戸皇子」という)の時代に伝来したという、「仏教」であるが、イエスが「厩」で誕生したという逸話との関連性から、キリスト教の方が早かったかもしれないし、その前の古墳時代の「埴輪」には、あきらかに正統派ユダヤ人を模したものが多数発掘されている。

いわゆる、「ユダヤ界隈」では、「日ユ同祖論」があるし、縄文時代を代表する「三内丸山遺跡」がある青森県にはピラミッド状の「キリストの墓」もある。

そうやって想像を巡らせば、なんだか「仏教伝来」の時期が聖徳太子の時代だったという常識は、妙に「遅すぎる」のではないのか?

もしや初めは、「哲学」として伝来し、ゆっくりとその思想が浸透してから「宗教」という祈りの対象となったとすれば、日本的な「大乗仏教」に変容したことの理由が分かる気がするのである。

ちなみに、平城京の遺跡から、大量のペルシャ人官吏がいたことの証拠となる木簡が発見されているために、インドを通り越した交流があったことは確実で、「平家ペルシャ人説」だってある。

万葉集にあって有名な、
あをによし 奈良の都は 咲く花の、にほふがごとく 今盛りなり
派手派手の平城京は、飛鳥時代からの極彩色が引き継がれて、後世の「詫び寂び」とはぜんぜんちがう「原色」の世界なのである。

これは中国風なのか?なんなのか?とにかく、染色する技術があっただけでなく、染料の原料もあったことがわかる。

初代「東大寺大仏殿」は、いまよりもおおきく、江戸期に再建された三代目のいまある「唐破風」は、前の二代にはない残念がある。
ちなみに、大仏殿内に、推定復元模型が設置されているので、失われた過去の傑作を偲ぶことができる。

わたしは「観光立国」をいうなら、学術的に瑕疵のない「復元」をすべきだとかんがえている。

ときに、「インド」とはなにか?

じつは、よくわからない国で、かくも広大な地域がひとつにまとまっていることの方が、もっとわからない。
だいたい、われわれがしっていると思いこんでいる「インド」とは、東インド会社によってさんざんな目にあったイメージを原点としている。

だから、紀元前500年とかの「インド」がどんな状態であったのか?を想像することは、かなり困難なのである。
なにせ、この時期のわが国は「弥生時代」なのである。

つまり、DNAの観点でいえば、縄文人がゆっくりと僻地に追いやられ、渡来系の弥生人によって、あたらしい農耕文化ができた時代のことをいう。
この時期に、「移民」による住民たちの入れ替えがあったのであるが、それは、暴力的な方法ではなく、「血」による交わりだったから、現代人のDNAに両方の遺伝子があるのだ。

これを、「交雑」という。

すると、かくも多数の移民たちが、「仏教哲学」を持ち込んで、縄文からの文化と混合すれば、なにが起きたのか?というはなしになる。

そうやってかんがえれば、「世界宗教」も、ひとつのグローバリズムである。

だが、「仏教伝来」の飛鳥時代からはじまったという「檀家制度」が、とうとう一向一揆に手を焼いた経験から、一般人に強制させた江戸幕府によって、「葬式仏教」になって、寺と宗教が、「信仰」の世界から経済団体になったのである。

そのために、人口減少と経済との衰退は、神社仏閣の土地建物を、経済価値だけで取引する「無宗教」にまで成り下げたし、これをまた外国人が購入し、別用途に変えるということも日常的になった。

これは、「あたらしい弥生時代」の到来なのか?

それで、仏陀の教えはふたたび復活するのか?どうなのか?難しい時代になっている。

古代人たる「仏陀」が悟ったグローバル(普遍的)な倫理と宇宙の真理をいう宗教観は、最先端科学たる量子力学の知識と通じる驚異があるのに対して、残りわずかな任期中でも、邪悪を実行するバイデン政権のグローバリズムとは、まったくことなる。

グローバリズムにも、区別が必要な時代なのである。

ことしも、具体と抽象の行き来をなんどもしないといけないのは、こうした思考をしないと、邪悪に堕ちるからである。

もはや僧侶が教えてくれない「仏教」を、個人があらためて研究しないといけないともいえるのである。

英国と日本の「凋落同盟」

世界帝国を築きながら、なぜに英国は極東の弱小国家・日本に優しかったのか?

あたらしい植民地経営の方法を、日本で見出したからとかんがえるのが合理的で、国力の差がありすぎなのに、あたかも対等な、「日英同盟」とは、いまさらながらに笑止なのである。

では、英国がおもいついた「あたらしい植民地経営の方法」とはなにか?

おそらく、英国流の教育を日本人の若者にさせて、「洗脳する」ことでの時間をかけた方法と、金融の力による「借金漬け」の両方からコントロールすることではないのか?
一見スマートだが、下心は邪悪な儲け主義である。

経済学の父である、アダム・スミスの主張が「切り取られた」ことも、当時の英国人がフェアではなかった証拠だ。

彼の生涯に二冊しか出版されなかった、『道徳感情論』と『国富論』のうち、『国富論』の中でも「見えざる手」(しかも「神の」はつかない)しか引用せず、その論の前提になる『道徳感情論』を無視するのは、明らかに恣意的なのである。

そんな英国に留学した最初の被害者が、夏目漱石ではなかったか?

彼に「神経症」を発症させて重くしたのがロンドンでの生活だったことは、もっと日本人が気づいていいものだが、なんだかいまだに「個人の資質」の話にして、あたかも漱石の人格問題にしている。

だが、夏目漱石の英国嫌いは生涯にわたったのである。

その逆が、日本で暮らした英国人の生活における「快適」が多数残っている。
たとえば、英国外交官夫人、キャサリン・サンソムの『東京に暮らす:1928~1936』がある。

夏目漱石と対比すれば、あまりにもギャップがおおきいのである。

英国留学の嚆矢といえば、「長州ファイブ(五傑)」である。
・ 井上聞多(馨)、
・遠藤謹助、
・山尾庸三、
・伊藤俊輔(博文)、
・野村弥吉(井上勝)

彼らの面倒をみたのが、アヘン商人のジャーディン・マセソン商会で、さらに横浜の日本人支店長の吉田健三こそが、吉田茂の義父というつながりがある。
これらはみな、英国の代理人となるのだが、その後の米国つながりも、やはり、「留学」によって培われるのである。

米・英の両国で人脈を築いたのが、密航に失敗し船長の奴隷として売却された経験をもつ、高橋是清である。
それで、彼は、日露戦争の戦費調達で英国のロスチャイルドを頼り、この借金を日本が完済するのは1986年(昭和61年)のことだった。

けっきょくのところ、英・米の大学に留学して、学位と卒業学校名を買う行為とは、向こう側の洗脳の「代償」となるから、なんとアダム・スミス的ないいことはひとつも学ばない「大損」なのであるけれど、これを「ブランド力」という一般人への洗脳で、あたかも「優秀さ」のレッテルを買っているのである。

そんなわけで、英国人だろうが、米国人であろうが、はたまた日本人であろうが、彼らの「主流派=邪悪な学問=社会主義礼賛」を擦り込まれるので、国家運営者になったら、その凋落が止まらないばかりか、凋落を推進することが職業的倫理へと変容したのである。

アメリカは、トランプ政権2.0によって、先んじて脱退を試みるが、英・日の凋落は、いまや競争的な状態になっている。

少しばかり、英国の方が悲惨だが、しっかりわが国も追随している。

こればかりは、「寝正月」とはいかないのである。

【2025年頭】自由革命についていけるか?

謹賀新年。

第二次大戦に至るまでの、日・独・伊の三国同盟は、「旧世界秩序:自由経済体制」から、「新世界秩序:全体主義計画経済体制」への転換を目指したものだったと、『ナチス叢書』にあると書いた。

これには、「大恐慌」を横目にした、スターリンの「5ヵ年計画」の大成功のプロパガンダ(ウソ)が大成功し、世界の高学歴官僚なかんずく軍事官僚(職業軍人)を魅了した。

日本の「軍部」は、上の世界観を基に戦争を不可避としていたが、不可解のなのはやっぱりわが国の中途半端さで、なにがしたかったのかよくわからない「日華(支那)事変」の泥沼がとにかく足を引っぱったのである。

用語としての「事変」とは、宣戦布告を伴わないけれど軍の出動を要する「騒乱」のことである。
なので、日本側はあくまで「事変」だが、別の見方からは「日中戦争」と呼ぶ。

ただし、当時の大陸を誰が支配していたのか?といえば、軍閥やら馬賊やらが入り乱れていて、統一国家ではなかったからややこしいのである。

ロシアがウクライナに侵攻したことを「特別軍事作戦」といい、西側が「ウクライナ戦争」というのとソックリ似ているが、これはプーチン氏の「歴史認識」が、かつて連合国にあったのにかえって冷戦下で歪められていないことにあると、いまいちど日本人も認識を改めた方がよいだろう。

もちろん、ここで「ソ連の正当性」をいいたいのではない。

だから、蒋介石の軍隊と戦っていたのに、蒋介石を相手にしないとか、戦後は、台湾を蒋介石に乗っ取られたのに、日本でたちまち蒋介石が「偉人」になったことも、「変」なのである。
これを、故岩里政男(通名:李登輝)氏が、台湾の帰属は日本にあると主張しても、賛同する日本の「保守政治家」が皆無だったのは、プーチン氏からみても摩訶不思議なことだろう。

私事だが、もう四半世紀も初詣に出かける、横浜一宮「伊勢山皇大神宮」の参道には、その蒋介石を顕彰する大きな石碑がいまもそびえ立っている。
一口に「台湾」といっても、蒋介石が支配した台湾と、日本が支配した台湾では、ぜんぜんちがうことを、岩里政男氏が『台湾の主張』で教えてくれたのにである。

さて、戦後復興における、日・独の奇跡的な経済発展は、70年代になると「旧世界秩序:自由経済体制」での優等生になったかのごとくであった。
また、それなりに努力した感があるための「成功」だから、両国民は「奇跡」と自称しつつも、本音ではまったく「当然」のことだと思いこまされたのである。

しかし、「世界経済フォーラム」がいう、「新世界秩序:NEW WORLD ORDER」とは、まさに旧三国同盟の「新世界秩序:全体主義計画経済体制」への転換とおなじものだから、この意味で、かつての「理念」はいまだに死んではいない。

ただし、その実行者が、「国家」ではなくて、世界の「富裕層の集合体」になったのである。

なぜか連合国入りした計画経済のソ連は、まったく不思議なことに「旧世界秩序:自由経済体制」の仲間となって、日・独と戦火を交えたが、日・独の敗北後はたちまちにして「冷戦」になって、日・独の旧領(東南アジアや東ヨーロッパ)がソ連圏に組み込まれ、「新世界秩序:全体主義計画経済体制」として世界を二分し、かえってこれで世界は安定化した。

このように、日本が欧米列強の植民地から「解放した」という東および東南アジアは、ほぼ「共産圏」になったのだから、戦後の建国後に毛沢東が「日本(軍)に感謝する」といったことは、まちがっていない。

そのソ連が自滅的に崩壊し、アメリカが唯一の超大国となった1992年にあたかもとっくに準備していたごとく、「国家戦略(グランドストラテジー)の書き換え」をし、同盟国の日・独(旧秩序に偏向させたはず)を新世界秩序からみた仮想敵国とすることにしたのである。

それで、日本では「選挙制度改革」の名による「改悪」が実施されてできたのが、「小選挙区比例代表並立制」なのである。
これによって、自民党は盤石になった分、国民と乖離する傲慢さを発揮することができるようになり、アメリカ民主党(戦争屋:新秩序)への盲目的追従へと分かりやすい変貌をした。

なお、ここでいう「アメリカ」とは、あくまでも「戦争屋が支配するアメリカ」のことで、さいきんでは「DS:ディープステート」と呼ぶことが陰謀論ではなくなった。
トランプ氏が選挙中に繰り返したことで、いまではアメリカ人の多数がDSの存在を認識するようになった。

このように、日本政府自体が「反日」となり、国民生活を困窮化させることでの「新世界秩序:全体主義計画経済体制」の確立を急いでいる。
それが、一人当たりGDPの30年間以上にわたる「低下」という効果になっているから、まことに日本政府の政策監理と事務は見事に作動しているのである。

しかし、とうとうトランプ政権2.0によるちゃぶ台返し的「自由主義革命」がはじまる。

これに、「新世界秩序:全体主義計画経済体制」を続ける自民党はついていけないのではなく、NEW WORLD ORDERを続ける「意志」をもって対峙することになった。

つまり、戦後初の「反米政権」が日本にある、ということなのである。

ならば、「政界」が地殻変動を起こしてもおかしくない、圧力がトランプ政権2.0かかって、あたかも本州が弓なりに曲がったのとおなじような「政変」が想起されるのが、まさに今年の「あるべき姿」なのである。

まことにおめでたい年になる期待が高まった正月だといえる。

結局ここに行き着くのか?

原口一博・元総務大臣が訴えられたことのラッキーとは、訴えたお菓子屋さん側がまもられるべきことを証明しないといけないことが重要だからである。
つまり、その核心は「安全性」に尽きる。

一方で、アメリカでは、連邦議会証言での「偽証」の疑いで、ファウチ博士を逮捕させようとする動きがある。
しかし、彼が機能獲得実験をさせた研究所から、ウィルスが漏れた、という説を採用していることの問題もある。

はたして、あの病気の蔓延の原因ウィルスは、本当に存在したのか?

この件に関して、上の根本的な疑念を発信しているのが、徳島大学名誉教授の大橋眞博士(細菌免疫学)であると書いてきた。
なお、徳島大学は大橋名誉教授への「アンチ」が湧き出たことについて、逃げの説明文をHPに挙げていた。

ありもしない病気を、ものすごく流行しているようにみせかけたのかもしれないという疑念は、いまさら高まるばかりなのである。
だから、どこであれ「起源説」は、どれも怪しい。

これを、「プランデミック」と、「計画行為」という意味をこめて造語した。

大ベストセラーになった、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』では、生きていることとはエネルギーの流れであると定義した。
そこで、大橋博士がいう、エネルギーが波であることからの「波動」を重視するのは、理にかなっている。

またそれを、日本の古武道である、柳生流に見出すとは、また驚くのであるし、それが徳島に残っていることも不思議なのである。

一方で、首都圏にも入る山梨県は、昨年、人口減少・流出の「日本一」となった。
その前には、空き家率の日本一もあった。

これを、交通・地理系のユーチューバーが、『山梨県の発展は絶望的』という動画をアップしている。
関西圏で似たような立ち位置の、「奈良県」を比較の対象にしているのも興味深い。

また、国際的な目線だと、サウジアラビアが脱石油戦略として、「観光立国」を目指すということの暴挙を、「モハPチャンネル」さんがアップした。

サウジアラビアに観光に行く?とだれかに誘われてふつうに「行こう!」とはならないのは、観るべきものの想像がつかないからである。
もちろん、イスラム教徒なら、「メッカ」や「メジナ」に一生で一回でも巡礼したいというのはあるだろうけど。

当然ながら、サウジアラビア政府も、巡礼者の安全性を確保するために、いまでは「許可制」となって、人数制限をしているのである。
これは、世界のイスラム教徒が、巡礼したいと思えば実現できる経済力を持ってきたことも、おおきな原因だ。

逆に、イスラム教徒以外で観光するなら、アラブ首長国連邦のドバイまでがいいところではないのか?

山梨県には、富士山も身延山もあるから、なんだかすこしサウジアラビアと似ているが、地場に根づいた主だった産業がないという自然の摂理から抜け出せないのも、「物質的」な観光資源に固執するからではないのか?

もっといえば、サウジアラビアと似ているのが、「国家依存」な点に集約されるのである。

ドバイが成功して、サウジが遅れを取った理由は、ここにある。
つまり、「自由経済」という視点が抜けている。

計画経済がダメで、自由経済が発展するのは、そこに向かうエネルギーのちがいが決定的だからなのである。
すなわち、大橋博士のいう「波動」を強くするか弱くするかの差のことだ。

国家依存した山梨県は、コロナの規制も厳しかった。

アメリカに依存せよといいたいわけではないが、来年のトランプ政権2.0による革命的な変化の本質を山梨県民が理解できるのか?という、根源的な能力が試される、と上から目線が空しいのは、日本全体に「政府依存」があるからである。

この根源的な理解力とは、哲学的なレベルでの興味という意味である。

抽象的なものと具体的なものとの、行ったり来たり、を思考することが、戦後の「受験教育」では壊滅的になったので、おおくの日本人が「具体」のなかだけで思考するようにさせられて、一向に根源的なはなしについていけなくなったのである。

そんな日本人を代表して、石破氏が二度も、みごとに「予算が通過しなければ(国会を)解散する」といったので、まさか来年は春早々に「総選挙」があるやもしれず、さらに夏の参議院通常選挙とダブル選挙になって、「憲政史上初」の、1年で三回もの総選挙が挙行される可能性を否定できなくなっている。

その背後に、トランプ政権2.0がそびえ立つ。

ドイツでは、2月の総選挙前に「AfD禁止法」を可決する動きがあって、あたかもフランスの「左派連合」とおなじ過ちをしたいらしい。
カナダでは、来年秋までに総選挙があって、こちらは政権交代が確実だ。

反トランプの権化と化した英国労働党政権は、日本の自民党と共闘しながら、「トランプ氏を国賓で招く」と発表し、まさかの暗殺も想像させる不気味さがある。

いよいよグローバリズムと反グローバリズム(ナショナリズム)の対決の年がはじまるけれど、反グローバリズムが標榜する「リバタリアニズム=経済自由主義」が、じつはグローバリズムに向かうことのメカニズムをしれば、「波動」のブレが致命的かもしれない懸念がある。

この混沌は、思想の整理ができていないことに原因がある。

個人の「幸せ」とはなにか?
『青い鳥』を探す旅がはじまったのである。

よい新年をお迎え下さい。

「世論創作調査」というお仕事

社会調査のウソについてこれまで何度か書いてきた。

「統計」を30年間も学校で教えなかった国(2017~2019年改訂学習指導要領で再開)なので、1987年でいったんやめていることがわかる。

つまり、現代日本人の中堅層世代は、なんと「統計」をしらない。

国力の衰退理由にはさまざまな説(理由)が挙げられているが、その中のひとつにこれすなわち「統計の無知」があることはまちがいなく、その責は文科省と中央教育審議会にある。
だが、もっと根幹的な問題に、教育を国家の独占状態にしていることが、もっとも重いとかんがえるべきなのである。

レーガン政権で経済顧問になった、ミルトン・フリードマン(1976年ノーベル経済学賞)の大ベストセラー『選択の自由』(1980年)には、その後レーガン政権が採用した「教育クーポン」のアイデアと解説も書いてあった。

これは、たとえ公立学校でも、生徒とその親に通う学校を自ら選択できるという制度のことで、わが国でもごく一部に採用されている方式だ。
ようは、ふつうならないはずの、公立学校間の「品質競争」をうながしたもので、ために「教育効果」についての情報提供も学校側に義務づけたのである。

ときのわが国、中曽根首相は、アメリカ人の教育水準の低さを批判して物議を醸したが、このクーポン制を採用した州では、見違えるような効果がでたのであったし、国家が公教育を独占しているわが国の凋落は、いまや救いようがない惨状なのである。

それゆえに、トランプ政権2.0がいう、連邦教育省の廃止=各州に任せる、というひとつの改善方法が実施されることは、わが国でもおおいに議論されるべき事例なのである。

もちろん、この制度導入には、強力な守旧派抵抗勢力としてGHQがわが国で設立した、日教組が反対しているし、保身を旨とする管理職とその管理職を監理する教育委員会も積極的ではないという現実がある。

だが、最低でも「公教育」は、自治体レベルに任せることがあっていいし、そのための国家からの補助はあってはならないことをトランプ政権2.0は主張しているのである。

もっといえば、「公教育」は必要なのか?という議論をすべきだとおもう。

それがまた、大学入学などの「受験(問題設問)の自由化」に直結して、各校の「教育理念」と、「教授陣」、そして「教育内容(シラバス)」の一般公開がもっと強くされていい。
いわゆる「いい学校」の基準を、偏差値から解放することが、もっとも重要なことになるのである。

さてそれで、「世論創作調査」とはなにか?といえば、クライアントからのカネを得て、そのクライアントに都合がいい「世論調査」の結果を「創作する」というビジネスをいう。
もちろん、この情報の受け手である一般社会に、「信じ込ませる」というサービスも付随するから、大がかりな仕掛けも同時に提供することになる。

よって、大金を投じることができる「大手企業だけ」が、クライアントになり得る、というビジネス・モデルであるし、自身の側も「力のある企業」でなければできない。

この「力」には、政治力もあるし、マスコミへの影響力という意味もある。

ところが、何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」であって、やり過ぎたら、世論誘導を担当するはずのマスコミが、まず社会からの信用をなくしてしまった。

今年のアメリカ大統領選挙の結果分析で、大勝した共和党支持者たちの圧倒的多数が、マスコミが発表する「支持率」やそれにまつわる候補者へのイメージ操作を信じておらず、反対に、大敗した民主党支持者たちの多数が、これらマスコミ報道を信じていることが判明したのである。

つまり、いわゆる「意識高い系」ほど、外部情報操作を信じる単純脳(むかしなら「単細胞」といった)であることがバレてしまった。

それで、マスコミ報道とは別の「X」に登録したら、さまざまな情報に触れることになって、マスコミからの呪縛が解けるひとと、自分で判断することが面倒くさいのでいよいよマスコミ情報に依存するひととに分化したのである。

ところが、「意識高い系」とは、他人の目を極端に気にする、いわば「日和った人物」のなれの果てなので、自分が単純脳だと他人にバレることを避けたいという、進化も何もないおなじ思考からの延長で、一気に「反・意識高い系」へと変貌している。

いまや、ニューヨークやカリフォルニア州でさえ、「民主党支持」をいうと、阿呆だとおもわれるかもしれないから、「隠れ民主党支持者」という、ついこないだまでの「隠れトランプ支持者」との逆転がおきている。

それもこれも、アメリカ人やらヨーロッパ人が基本的に学校で「統計」を習うことの影響(トレンドに敏感)なのである。

なので、上に書いた「トランプ現象」のようなことが、日本で起きないのは、やっぱり「自分のかんえではなくマスコミ報道に依存する」=「B層」の圧倒的多数(日本国民の約8割)が、まさに岩盤・鉄板化しているからだとかんがえることができる。

そして、その「B層」をターゲットに、今日も「世論創作調査=いかさま」が行われているのである。

しかして、「B層」はどのように形成されるのか?

わたしは、幼稚園・小学校からの「軍隊教育」だとかんがえている。
これは、明治政府がやった、分権的「藩」から「中央」への統一をテーマとした、同一化=兵卒化が、他人とのちがいを「いけないもの」として扱うことでの、「脱個性」が大成功している事実からの演繹である。

だから、「個性の重視」という意味なし用語が意味をなす。

「個性を無視」するための、ニュースピーク=二重基準用語こそがこれだ。
もう何年も前に、大手人材・広告企業からの依頼で、茨城県で実施の「就職セミナー講師」として講演したことがある。

このときの講師側から見えた光景こそが、「脱個性」のみごとなリクルート・スーツ群の異様さだった。

若い男女が、全く同じ服を着て、全く同じ姿で椅子に座っていながら、参加企業のブースで自己アピールするというイベントの意味不明が、じつに気持ち悪かったのである。
そうかと思えば、ホテルの採用面接に、金髪・ピアスどころか鼻に金属の輪を下げた人物まで複数やってきたことの「個性」とはなにか?

TPO(Time、 Place、Occasion)もわきまえないでやって来るのは、これはこれで世論操作の犠牲者なのであろう。

そんな今年は、元ジャニーズ事務所の大看板、「SMAP」のメンバーのひとりによるスキャンダルで暮れようとしている。

これは、上で指摘した、「世論創作調査」を長くやって来たテレビ局が、自らつくりだした視聴率の大低迷で起きた自身の影響力の減衰から、かつてなら漏れるはずのない情報が漏れだして「いかさま組織」だったことが世間に知れ渡ることによる現象だと理解できる。

しかして、問われるのはやっぱり「倫理」なのである。

このブログでは、2021年頭2022年頭に挙げたのだが、永遠のテーマになりそうだ。

今日は「晦日」の30日で、明日から旧暦の「師走:12月1日」がはじまる。
さては、新暦では明後日になる、来年の年頭にはなにを書こうかと思案中なのである。

危機感あふれる親からの相談

このところ複数の、またそれぞれにつながりのないひとたちから、まったくおなじ相談を受けている。

個人的な相談なので、べつに相談料をもらえることもないし、聴きようによればただの世間話にもなる。

ただし、掘り下げると、巨大な社会問題がみえてくる、解決困難な相談なのである。

それが、「子供の将来への不安」だ。

相談者によって「子供」といっても年齢に幅がある。
まだ幼児だったり、小中学生、あるいは高校生だったり、はたまた社会人になったばかりという具合なのだ。

共通の事情として、どちらさまも親として「現役の職業人」であるから、職場を通じての生活感とそれが子供世代にどうなるのか?という漠然とした不安だったものが、このところだんだんとハッキリ見えてきて、すっかり絶望的な「将来不安」になったために、他人への言葉にしての「相談」にまでなったようだ。

もちろん統計データでも、わが国の40歳までの死因のトップが自殺であることからもわかるし、自殺者の総数で世界トップレベルだという不名誉どころか不幸が数字にもある。

すなわち、わが国は世界一「不幸になる国」になっている。

これは一種の「設計された社会」として捉えれば、『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』で指摘されたことの意味が、ようやく身にしみてわかってきた、ということなのである。

このような状態から、いかにして抜けるのか?が、重大にして最優先されるべき問題解決のテーマなのである。
けれども、こした「問題の所在」を訴える政治家すらごく少数で、そのような政治家を支持する国民もごく少数だという当然の連鎖がある。

もちろん、こないだの衆議院議員総選挙で多数の議席を得た政党で、この問題提起をしたところも人物もおらず、少数政党が訴えてもこんどは「ブランド力」がないという状態なのである。

つまり、多数の国民は、問題意識もないという不思議があるのである。

たとえば、こんなに得票するという想定もしなかった(これを「マーケティング」の失敗という指摘もない)ので、比例票が他の政党に按分されてしまったのが国民民主党だ。
この政党は、何気に「所得の壁」を上げる政策を主張したことが、予想外に大受けしたのである。

そしてこれが選挙後に視聴率で苦しむワイドショーが話題をつくって、いつも通りの「エセ専門家」による、なんだか細かい議論をしている風情がある。
それでもって、過半数割れした与党との協議になったが、どんどん「骨抜き」にされて、わけわからん、という状態に陥ったのである。

国民民主の党首が不倫していたこととのグチャグチャも加味したようにみえるが、はなから「国家戦略的」な問題提起ではなく、「選挙対策」だったことのメッキが剥げたのである。

しかし、アメリカの大統領選挙では、トランプ氏が「所得税廃止」をとっくに公約にしていたのだ。
しかも、これは思いつきの「軽口」ではなくて、いつものように「裏付け」がある発言なのである

トランプ氏をディすることが、日本メディアのトレンドとして定着してきたが、「経営者」として成功し、ビジネスを通じて大富豪になった彼の言説に、唐突感はあっても、戦略的ではない、という話はほとんどないので注意がいる。

たとえば、グリーンランドとパナマ運河の件もしかり、なのである。

さてそれで、アメリカ合衆国に初めて「所得税」が導入されたのは、南北戦争の戦時中で、戦後、「憲法違反」が問われていったん廃止されている歴史がある。
「租庸調」から習う、日本人の税についての常識が、アメリカ合衆国という「人造国家」には適用されないことも、日本人はしっていていい。

つまり、合衆国憲法に従うことを明言しているトランプ氏の公約は、所得税が憲法違反だと主張しているのとおなじで、わが国の憲法に照らしても重大な疑義が生じることを、とにかく議論しないで些末な議論へのすりかえで隠し、そうやって日本国民を騙すのが政府のプロパガンダ機関となったマスコミならではの活動となって、徴税側の有利さを宣伝しているのだ。

だが、トランプ革命とは、ことほど左様に、あらゆる社会制度が見直しの対象になっておかしくないことを示し、アメリカだけでなく「民主」を標榜する各国民にも促しているのである。

そんな目で日本をみれば、たとえば、むかしは子供を連れて飲酒のための「居酒屋」に入店するものなどいなかったが、いまでは「子供連れ歓迎」となっていて、未就学児童からなにからが席に座って酔っ払いを眺めている。

戦後であっても、まだ日本人が荒っぽかった時代、酒を飲ませる店に子供を連れて行かなかったのは、どんな因縁をつけられるかわからなかったからである。
だがしかし、すっかり「腑抜け」に改造されて、トラブルに巻きこまれることはなくなった。

これは、果たして「いいことなのか?」とあえて問いたい。

こうしたむかしの日本人の最後の姿を、野坂昭如と大島渚がみせてくれている。
日本人にとって、「殴る」、「殴られる」という行為は、日常であったのである。

それで、いまでは居酒屋でも、食事に飽きた子供は、ひとりひとりに与えられた端末を片手に、それぞれが好みのゲームに興じている。
もはや「家族の団らん」さえも遠い過去の記憶になった。

この子たちは、成人してどんな目に遭うのだろうと想像したら、気の毒でならないけれど、そのために「家庭をつくる」こともないのだろう。
むかしの女の子は、将来何になりたいかを聞けば、たいがいが「お嫁さん」といったものだが、おそらくいまのジェンダー教育ではありえない回答にちがいない。

それで、「少子化対策」と称して兆円単位の予算を組む与党は、「少子化を推進」させて、「移民」という名の「奴隷貿易」をはじめ、韓国やら香港やらでは多数の日本人女性が「売春(新からゆきさん)」で逮捕される時代になったのである。

学校教育はとっくに崩壊していて、なにを学んで将来の収入源とするのかさえも、過去からの延長線では間に合わないだろうから、いっそのこと、早い時期から職人を目指した方がよほど充実した人生を送れるのではないか?

それには、社会にどれほどの種類の職人がいるのか?をしらねばならぬが、足りないとずっといっている職人側が情報を提供していないのも不思議なのである。

いまどき、じぶんで作った物の値段を自分で決められるとはえらく貴重なのである。

実家が伝統工芸士だという相談者は、このことを意識していなかった。
ただあまり売れていないぼやきを聞いて育ったことが「仇」となっているようだ。
売りかたも含めた工夫もあっていいことを話したら、国内需要だけの目線なのに驚いたのはこちらである。

ざっと50年後を見据えたら、今までのままでいまの子供世代が、いまの水準で暮らせることはないと断言できる。

ならば、どこの部分にある「今まで」を変えるのか?

おそらく、社会設計を政府がする、という政府の役目を変えることだろう。

ウクライナの敗戦は日本人の敗戦

御用納めも終わって、9日間の「長期」正月休暇に突入したひとたちもおおいことだろう。

日本の「寝正月」という文化のおかげで、さまざまな活動が一旦止まるのが、リセットの意味を込めた「元旦(元日の「旦」は日の出の意味)」の清めの気分である。
その精神的・物質的「清め」に、前日までの大掃除の風習と「初詣」の風習がセットで残っている。

ために、商店といえども「休業」するのは、商家としての清めのためのことだったし、奉公人を実家に帰す、「藪入り」(盆と正月に暇が与えられた)なのである。
それで、女将さんがボーナス代わりに丁稚に持たせたのが、日持ちする甘い羊羹だったから、大阪で奉公した福井のひとは、これを鍋で「伸ばして」水羊羹にして食べた風習も残っている。

そんなこんなで、社会が「停止」する日本人の感覚とはちがって、世界は「クリスマス(冬至の祭り)」を重視するから、日本人には意外にも止まる時期がズレるのである。
もちろん、新暦のいま、旧暦だとちょうど一ヶ月のズレがあるので来月が「師走」にあたるから、「旧正月」がいつも通り2月初めになるのである。

なので、ウクライナを巡って、様々な動きがでてきたのも、クリスマス休暇の前後という意味と、トランプ政権2.0が発足する前までに、戦争の拡大をしたい戦争屋たちの思惑が見え透いているのである。

第一に、狂った民主党バイデン政権とその配下にあるNATOは、いまさらロシア国内へのミサイル攻撃を認め、報復としてプーチンが核弾頭なしと事前通告してから、極超音速ミサイルでウクライナ国内の砲弾工場を地下100mまでの深度で爆撃・破壊して見せつけ、アメリカとNATOを震撼させた。

すると、進攻当初にヌーランドも連邦議会で認めた、ウクライナに20カ所以上もアメリカがつくった「生物化学研究所」でなにをやっていたのか?を暴いていた、ロシア軍少将をモスクワの自宅入り口で爆殺するというテロも実行した。

しかしながら、大局での「戦況」にこれらは関係なく、一方的なロシア軍の攻勢が続き、事実上、ウクライナ軍は崩壊の危機にあるといころまでやってきた。
南部戦線ではロシア軍が、あと少しで黒海の大港湾都市オデーサまで到達する。

もしも、ウクライナがこの都市を失えば、内陸部に封じ込められた農業国として生きるしかなくなる。
だが、一方、黒海の出口はボスポラス海峡だけなので、ここをNATO加盟のトルコが押さえている。

ちなみに、ヨーロッパ中央を横断する大河「ドナウ川」は黒海に河口があるが、なんと近年では「寒冷化」で、この大河が冬季に氷結する事態になって流通の大問題が発生している。

いよいよゼレンスキー氏も、到底戦闘による勝ち目がないことを認め、「交渉」による停戦を目指すとしたが、この元コメディ俳優は、国内法で「ロシアとの停戦交渉禁止」を決議したことを忘れたのか?

順番として、彼はこの法を無効にさせないと、彼自身が「無法者」になるのである。

ところで、「戦争には目的がある」と以前書いた。

ロシアが一方的にウクライナに攻め入ったとことが、「悪」だとして日本人のおおくも洗脳されているが、ロシア側の「特別軍事作戦」にも、ちゃんと目的がある。

1.ウクライナによるロシア系住民の殺戮阻止と東部独立
2.ウクライナの「ナチス政権打倒」
3.ウクライナ国内の「生物化学兵器研究所」の破壊あるいは、危険物質の安全な廃棄

もちろん、この目的達成を「停戦交渉」では、勝者であるロシアは譲りそうもない。

しかし、問題なのは、「復興」に関する、EUと日本の役割なのだ。
おそらく、「肉食の思想」によって、白人国家は日本にそのほとんどの負担を強いるはずだ。
「自・公」政権の岸田時代から、わが国は、ウクライナ支援にのめり込んだが、それは、勝ち馬に乗るという「肉食の思想」からかけ離れた、政治判断(経済政策)であった。

つまり、単純に国民にとっては、「ATM」にされたのだが、経団連に加盟する企業群は、事実上の巨大な「無償援助」に群がることになる。
なんと、日本企業の業績改善の根拠が、日本国民が負担するこの巨大プロジェクトのことなのだ。

つまり、「戦後」にすぐ、日本企業はウクライナ支店を設立することになる。

しかしながら、欧米企業は、さらにウクライナの資源を奪うことに専念するだろう。
ただし、ゼレンスキー政権が続くとは思えないので、「皮算用」になるのでは?と思う。
なぜなら、その手法を、ソ連崩壊でやられたプーチン氏は熟知しているからである。

そんなわけで、ウクライナの敗戦が決まってしまえば、日本では「ウクライナ支援増税」もあるかもしれない。
いまだに、ロシア軍の劣勢を言い続けている愚か者は、デジタル・タトゥーによって、将来もずっと「愚か者の消印」が残ることをリスクとしない愚か者なのである。

ようは、ウクライナの敗戦とは、日本政府ではなくて、日本人の敗戦だからである。

これを、とにかく「増税」しかしない、「自・公・立憲」政権というわかりやすさで、やっと日本国民も気づくかもしれない可能性がでてきた。

そのことの行き詰まりのひとつが、新しく開発した注射の実施者が予定の2%しかないことでの「赤字」で、原口一博・元総務大臣が老舗のお菓子屋(チョコレートで有名)さんから「暴言の名誉毀損」訴えられるという、八つ当たりという状況ができたのである。

幸か不幸か、日本の裁判は時間がかかるので、単純にトランプ政権2.0がはじまるし、RFK.Jrが上院の承認を得れば、日本にも飛び火すること確実である。
そのために、アメリカでは「軍産複合体+製薬会社」が、最大のロビー活動をもって、RFK.Jrの否認活動をやっている。

当然ながら、トランプ氏は、これらの活動を阻止するためのディールを業界人と直談判しているのであるし、いまやトランプ邸に居候して「司令塔化」しているのが、世界最大の富豪、イーロン・マスク氏だ。

日本好きのイーロン・マスク氏は、日本政府ではなくて「日本人向け」にメッセージを送ってきていることが、日本人のいまのところ最後の希望となったのも、自己覚醒できない「黒船」として、まずは受け入れるしかないのが来年の決まりごとになったのである。