1988年(昭和63年)、和田アキ子のシングルである。
この歌には、替え歌があって、『だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん』(吉村明宏&真由美)が重なるのである。
どちらにしても、「サビ」は、題名のとおりを歌いあげる。
さてそれで、いま世界はもちろん日本でも、様々な対立構図がみえてきている。
そのおおきな軸が、「グローバリズム」対「反グローバリズム」だ。
グローバリズムとは、グローバル=地球を覆う、という意味から、地球一体化の全体主義のことで、古い政治用語、「国際共産主義」が言葉を換えて登場したにすぎない。
よく、ナチスやファシスト党を、「極右」と呼んで、「右の端」にあるとイメージさせることでの洗脳をおこなっていて、あたかも「左の端」にある「極左」と別物扱いにする誤魔化しが一般化している。
しかし、これらは、「全体主義」という点で一致(まったく同じ)しているのである。
つまり、グローバリズムが台頭して、さまざまな強制を人々に、あたかも「善意」をもって押しつけるのに成功したら、やさしい仮面をみずから取り払って、出てきたのは「餓鬼の亡者」であった。
なんだか、仏法の物語そのものだが、仏教が著しく衰退したわが国では、それにも気づかないで安穏と「自分は無宗教です」というノー天気が増殖している。
無宗教とは、共産主義者をさす世界常識も認識できないのは、まったく残念の極みである。
それで仏教団体を標榜する、創価学会のなかから、グローバル全体主義に落ちた公明党を糾弾する、内部分裂が公然となって信濃町界隈を蒼然とさせている。
公明党から、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」が、空耳のごとく聞こえてくる昨今なのだ。
自民党の方は、もう、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」の大合唱がおきていて、個別の議員、たとえば稲田朋美氏は、わたしには福島瑞穂氏とだんだん区別がつかなくなってきているけど、もう彼女のオーラのごとくに、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」が鳴り響いているように聞こえるのである。
残念だが、経団連も同様で、このところの会長職のトンチンカンぶりも、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」でしかない。
これははたして、「共鳴」なのか?
そうではなくて、グローバル全体主義に脳を冒されたひとから響き出す、一種の「波長」が、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」に行き着いて、波の干渉のように拡大増幅している物理現象に相違ない。
そんな発狂状態を冷静に見ている、「反グローバリズム」の一般人が、EU議会で大躍進し、あせったフランス大統領は、急遽フランス議会を解散してしまった。
5年の任期がまだ3年も残っているのに、だ。
EUは、「EU議会」の権限がほとんどないガス抜き機関なのであるが、各国の議会は別である。
ただし、「情勢」のリトマス紙にはなっている。
マクロン氏のこの判断は、どうなって結果につながるのか?今月末に様子がわかる。
マクロン氏からも、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」が響いているのが聞こえるのである。