BGMの「だってしょうがないじゃない」

1988年(昭和63年)、和田アキ子のシングルである。

この歌には、替え歌があって、『だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん』(吉村明宏&真由美)が重なるのである。

どちらにしても、「サビ」は、題名のとおりを歌いあげる。

さてそれで、いま世界はもちろん日本でも、様々な対立構図がみえてきている。
そのおおきな軸が、「グローバリズム」対「反グローバリズム」だ。

グローバリズムとは、グローバル=地球を覆う、という意味から、地球一体化の全体主義のことで、古い政治用語、「国際共産主義」が言葉を換えて登場したにすぎない。

よく、ナチスやファシスト党を、「極右」と呼んで、「右の端」にあるとイメージさせることでの洗脳をおこなっていて、あたかも「左の端」にある「極左」と別物扱いにする誤魔化しが一般化している。

しかし、これらは、「全体主義」という点で一致(まったく同じ)しているのである。

つまり、グローバリズムが台頭して、さまざまな強制を人々に、あたかも「善意」をもって押しつけるのに成功したら、やさしい仮面をみずから取り払って、出てきたのは「餓鬼の亡者」であった。

なんだか、仏法の物語そのものだが、仏教が著しく衰退したわが国では、それにも気づかないで安穏と「自分は無宗教です」というノー天気が増殖している。
無宗教とは、共産主義者をさす世界常識も認識できないのは、まったく残念の極みである。

それで仏教団体を標榜する、創価学会のなかから、グローバル全体主義に落ちた公明党を糾弾する、内部分裂が公然となって信濃町界隈を蒼然とさせている。

公明党から、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」が、空耳のごとく聞こえてくる昨今なのだ。

自民党の方は、もう、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」の大合唱がおきていて、個別の議員、たとえば稲田朋美氏は、わたしには福島瑞穂氏とだんだん区別がつかなくなってきているけど、もう彼女のオーラのごとくに、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」が鳴り響いているように聞こえるのである。

残念だが、経団連も同様で、このところの会長職のトンチンカンぶりも、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」でしかない。

これははたして、「共鳴」なのか?

そうではなくて、グローバル全体主義に脳を冒されたひとから響き出す、一種の「波長」が、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」に行き着いて、波の干渉のように拡大増幅している物理現象に相違ない。

そんな発狂状態を冷静に見ている、「反グローバリズム」の一般人が、EU議会で大躍進し、あせったフランス大統領は、急遽フランス議会を解散してしまった。
5年の任期がまだ3年も残っているのに、だ。

EUは、「EU議会」の権限がほとんどないガス抜き機関なのであるが、各国の議会は別である。
ただし、「情勢」のリトマス紙にはなっている。
マクロン氏のこの判断は、どうなって結果につながるのか?今月末に様子がわかる。

マクロン氏からも、「だってしょうがないじゃない~いろいろあんだもん」が響いているのが聞こえるのである。

「ワクチン」を巡る攻防戦

近代文明国というのは「法治ができている」ことを条件とする。
「できている」状態とは、国民全員がこれを認識していることをさす。

だから、一部にでも法治の否定⇒法を守らないことを優先させる者がいたら、法治とはいえなくなるのだが、だからといっていきなり逮捕・拘束することができるはずもないのは、逮捕・拘束するために想定した法をまもるからである。

無理やりでも逮捕・拘束したいなら、新しい法を正当化させる。

こうして、20世紀には、全体主義も法治の一角を得たのである。
しかしながら、全体主義の恐ろしさをしった、ご本家、ドイツでは、その後ナチスは禁止される法を作ったのである。

わが国の場合は、占領(征服)軍の一週間ほどのインスタントな起案によって、新しい憲法が作られて、明治憲法改正案として成立した。
ここに、基本的人権の保障が国民主権とともに明記されたのである。

そのインスタントな起案をしたひとたちのアメリカ合衆国憲法とは、似ても似つかぬのが日本国憲法ではあるけれど、アメリカ合衆(州)国憲法とは、各州と連邦政府が結んだ「条約」という側面もあるので似ても似つかないのでる。

ただし、この起案者たちはときの民主党政権から送られてきたので、トロツキー派が多数だったために、「ソ連憲法」を原本にコピーしたから一週間で完成したのである。

そんなわけで、わが国が将来「ソ連になる」DNAワクチンとして打たれたのが、日本国憲法なのである。
与党案が、さらなる政府の権限を強化して、基本的人権の保障を削除するようになっているのは、「仕上げ」という意味なのだ。

さてそれで、アメリカの混沌は、民主党政権による司法の武器化が進んだことに、自由を標榜するまともなアメリカ国民を愕然とさせている。

有罪評決が出てから、トランプ氏への寄付金が史上最高額に達した背景に、これまで民主党への大口寄付者が、共和党へ寝返っているからである。
政府・与党にたてつくと、自分もトランプ氏のような「弾圧」の対象にされかねない、というリアルな恐怖からの行動だ。

そのトランプ政権は、ひとつ重大な過ちを犯した。

それが、「ワープ」と自画自賛した、コロナ対策ワクチンの超絶スピード認可だった。
トランプ氏は自分の功績だと、大自慢していたのである。

ところが、これが「何の薬なのか?」が、ようやく議論の対象になってきた。

4日の連邦下院議会公聴会での、ファウチに対するMTG議員の厳しい質問で、一気にファウチ氏は刑務所の壁に手が届く状態に追いつめられたのであった。

一方、司法の側は、8日、第9巡回控訴裁判所(カリフォルニア州:日本でいう連邦高等裁判所)が、「mRNA COVID-19ワクチンは従来の医学的定義ではワクチンではない」と判決がでたのである。

原告は、健康自由防衛基金で、被告で防戦に回ったのは、ロサンゼルス統一学区であった。
ようは、学校当局が接種義務化したことに、職員側が反発したのである。

報道情報と解説がない中、勝手に解釈する。

まず、当該地域は、完全なる民主党が支配するエリアであるから、民主党支持者内での「内紛」ともとれることが起点である。
ワクチンが効くのか?あるいは、健康被害への不安が第一義ではあろうけど、反トランプでは一致するひとたちだろうかである。

つまり、この「ワクチン」を最初に認可したトランプ政権への批判的攻撃だとみなすこともできるのである。

それが、連邦議会での攻防ともつながっている。

議会と判決、この両方をぜんぜん報じない、わが国の状況は続いて、国民は情報鎖国の中にある。

一方、7日に国立長崎大学が女子学生全員を対象に「子宮頸がんワクチン(すでに「薬害」で裁判中)」の無料接種(当局は任意と説明)すると発表したごとく、まだいろんな「接種奨励」が止まらないのである。

この春から、さまざまな自治体で、小学校「男子」児童に、この子宮頸がんワクチン接種がはじまっているのも、親馬鹿なのか?馬鹿親なのか?

三浦海岸の海の家がなくなる

江の島と三浦海岸で、かつては1日で100万人の海水浴客を集めていたものだが、とうとう海の家の営業応募者ゼロの実態から、三浦海岸からの消滅が決まった。

わたしが子供時分、もっぱら江の島に連れて行かれたので、実は三浦海岸で海水浴を楽しんだのは二回だけだったと記憶している。

当時は、ヘドロが浮いていて、子供ながらに身体を浮かせる勇気がなかった。
横浜市で最後に残った富岡の海岸も埋め立てが決まっていて、その最後のシーズンに泳ぎに行ったが、浮遊物がイヤで楽しい思い出はない。

思い返せば、本牧の海岸もみんな埋め立てられて、埋立地の衰退を今見ると、元に帰りようのない無惨な光景こそ、自然破壊なのだと実感するのである。

産業優先の一直線とは、愚かな人智そのものである。
いま流行の、大規模太陽光発電パネルをを並べる自然破壊も、取り返しのつかないことになろうが、「おバカ遺産」として後世に残ることだけはわかっている。

ただし、純血の日本人が消滅するので、かつての状態に価値を見出す国民がいなくなるのだろうけど。

さて近年、江ノ島にも盛夏に滅多に行かなくったのは、もう海水浴を楽しむ年齢でなくなったけれども、「海の家建築」というわが国独自の貧しい建物群をみるにつけ、寂しくなるのであった。

せいぜい2ヶ月しか営業しないから、簡易な構造なのはわかるが、半世紀前と大差ないのはどうしてなのか?
これを「昭和ノスタルジー」というのは、いただけないのである。

70年代の若者たちは、「サンオイル」なる商品に飛びついて、肌がこんがり焼けることを優先価値としていた。
ほとんどオリーブオイルに香料を混ぜただけだったけど、そもそも、オリーブオイルが珍しかったのである。

なにせ、当時は「サラダ油」の全盛期で、お中元やお歳暮の定番だったし、揚げ物の残りは、へいきで流しから下水に棄てていた。
オイルならなんでもよかろうと、サラダ油をコッソリ塗ってサンオイルの代替にしていたひともいたにちがいない。

そんなわけで、海の家の機能は、更衣室とトイレ、それに温水シャワーがあることが絶対条件で、冷たい飲み物と食事は後回しでもよかったが、なにせコンビニがない時代だから、定番のコーヒー牛乳とラーメンの味がいまだにインプットされている。

さすがにトイレはタンクを埋めていた(まだ「汲み取り式」がふつうだった)かと思うけど、シャワーの水はそのまま砂浜に吸収させていたので、夕方になるとサンオイルの匂いと石鹸の泡が、吸収できなくなった砂浜を濡らしていた。

もちろん、海も、ときたまサンオイルが浮いていたものだが、「食品」だからか誰も気にしていなかった。

さて、海の家はなくとも、海水浴客はやってくる。

地元、三浦市はライフセーバーの配置や、レジャーボートとの棲み分けで事故防止に努めるとしているが、問題はそれだけではないのは容易に想像がつく。
たいがいの「夏の風景」は、青春映画にもあるように、ひとを開放的にさせるからである。

いまは、みせびらかしの消費として、キャンピングカーも一役買っており、駐車場はそのままのオートキャンプ場になる。

個々人は気を遣っていても、集団となるとそうはいかない状態になる。

もちろん、こういったひとたちが地元に落とすおカネは、最小の努力がされるから、いわゆる地元経済の向上にはならないし、どこに住んでいるのかわからない外国人が、意外にも日本式海水浴を勝手気ままに楽しむのは目に見えている。

こんなカオスを想像するだけで、年寄りには行ってはいけないエリアとなるのである。

最後に、「海の家」がなくなる経済的要因に、さまざまな権利金やら負担金の請求があって、これが「割に合わない」ことの最大の理由なのである。

昭和の利権構造が、自重で自己崩壊したのは、まさに、超新星爆発の原理だが、これがあたらしいシステムを作り出すのかどうかは、人間の知恵にかかっている。

まぁ、当分、海の家はどこの海岸でも消滅して、利益収奪の旨みをしったひとたちがこの世を去ってからの「新生」となるのだろうに、日本人が小数派になる現実から、この古い建築は半永久的になくなるとかんがえられる。

そうやってかんがえると、かつての懐かしい「海の家」での写真は、かなりの貴重品になることは間違いなのである。

日本の重商主義はどうなるのか?

ピューリタンがメイフラワー号で英国を脱出して、新大陸へと渡ったのは、王政と重商主義による経済の行き詰まりに嫌気がさして、生きるための新天地を求めたからであった。

当時の英国は、王家 ⇒ 大貴族 ⇒ (新興)貴族 という三層一体の経済利益の独占的な支配の構造があったから、一般庶民が新規にビジネスを起こすことが困難になったからである。

しかして、これが、「重商主義」の実態なのである。

この構造は、じつは現在のわが国の経済構造になっている。
上部構造が、「政権与党+大企業=経団連」と一括りになっているだけで、よりシンプルなのである。

まさに、大正期から昭和初期の、「腐敗した政党政治」が再現されている。

昭和所期には、軍がこれを排除せんとした勢力となって、海軍による「5.15」から陸軍の「2.26」になったのである。
なぜか、戦後になって、陸軍潰しのためかしらぬが、「5.15」は軽視されて、ファシズムは「2.16」からとなっていいる。

たしかに、「2.26」は、陸軍内の政治派閥「皇道派」が決起して、一網打尽になったので、対峙していた「統制派」の天下になった。
これに連なる文官たちは、「革新官僚」といわれた、「共産主義者たち」であったから、「左右の対立」という見方をすると、さっぱりわからなくなるのである。

なので、さっぱりわからなくしたい勢力は、文部省(日教組もつるんで)をつかって、さっぱりわからないことで日本人一般を洗脳し続けた(思考停止させる)ら、自分たちもさっぱりわからなくなったのである。

これで、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」のかんがえ方になるように、「受験戦争」を仕掛けて制度化したから、日本のエリートが入れ替わってしまった。
明治期に教育を受けたひとたちが、公職追放になったり、高度成長を成し遂げて引退すると、一気に矮小な人物たちが国の上層を担うようになってしまった。

念のために書けば、「受験戦争」がいやらしいのは、「国定教科書制度」とセットにして、これを宗教的バイブルとさせたので、教科書から外れる余計なことを子供にかんがえさせないことなのである。

それゆえに、「個性の重視」なるダブルスタンダード用語を用いて、「全体主義」を押しつけるから、まともに育った子供ほど本能的に危険視して不登校になるのである。

つまり、不登校の子供がまともで、そうでない子供が異常だが多数だという、恐ろしいことになっている。
そのわざと異常にされた者たちが、次世代のエリートになるので、不登校のまともな子供は、あくまでも彼らの支配の対象に置かれ、救いようがない構造をつくりだしたのだ。

現代のわが国には、軍隊もないので、空想的に『皇帝のいない八月』が生まれたのではないか?

すると、ピューリタンが逃げた「新天地」はどこにあるのか?

4日、岸田氏は、国民の逃げる先を先回りして、自由の大地・北海道を、「金融資産・運用特区」に指定してしまった。
売国に熱心な北海道知事が歓ぶ様は、道民にこの「特区」の意味を不安にさせる象徴になっているだろう。

もちろん、道内メディアも一斉に「歓迎」しているので、真意が透けて見えるのである。

アメリカで国民作家と評された、アイン・ランドは、『肩をすくめるアトラス』で、経済的自由を失ったアメリカに絶望したひとたちが、コロラドの山中に自由圏をつくるという物語を書いた。

日本は、日本政府によって「閉塞状態」がつくられている。

いま、アメリカやヨーロッパから、ロシアへの移住者が増えているのは、知る人ぞ知る事実なのである。

とうとう、かつての共産地域が、自由圏になった。

こんなことは、どんな空想家でも書いたことがない、まさに、事実は小説より奇なりなのである。

国交省の「厳しい」検査基準

3日夕刻、突如、豊田、マツダ、ホンダのトップが同時間に別々で記者会見する事態に驚いた。

またか!という「不正の発覚」ではあったけれども、これまでとは様相がちがっているので書いておく。

ちなみに、わが家の愛車はずっとスバルである。
ここも不正をやらかして、過去に社長が引責辞任することになったけど、なんだか変だとはおもっていた。

今回は、まったくもってお粗末なのである。
またもいつもの国交省が。

そのもっともわかりやすい話は、国交省が求める「国内基準」と、メーカーが行っている「海外基準」とのギャップにある。

たとえば、後方からの衝突実験による強度については、ガソリンタンクの損傷などの二次的被害も想定してのものだ。
国内基準では、1.1トンの台車を衝突させるが、アメリカやEUなどでは、大型車が多数走行しているために、1.8トンが衝突試験の基準なのである。

それで、いまや輸出を主とするメーカーは、より厳しいアメリカ基準の試験でクリアしたものをもって合格としていたのである。
しかし、国交省は、それが「不正」だと指摘し、あくまでも国交省が指定した、1.1トンでの試験でないのは認めないとしたのである。

つまり、メーカーは二重の試験をやらないといけないが、そのコスト(開発の時間コストもある)を誰が負担するのか?が欠如している。
ユーザーのための安全ではなく、自分たちの立場の安全を最優先させると、公明党の大臣も言い切ったも同然だ。

ようは、日本車の製造コストを高くするように実質的な命令をしたのが今回なのである。

それで、さしもの地上波も、スポンサーである自動車会社に寄り添ったのか?一部の局が、ちゃんとした報道をしている珍しい例にもなった。
もちろん、NHKは、公共放送(プロパガンダ機関)として政府側の立場しか伝えていないようである。

一方で、ことの発端は、メーカーの技術陣が国交省に現行の検査方法の曖昧さについてお伺いをしたことも原因になったようだ。
たとえば、騒音試験の測定方法が、コンピュータシミュレーションなのか実走なのか、それとも国内テスト場でのものなのか?で、ぜんぜんちがうレベルのデータとなるからだ。

全社でつくる自動車工業会を通じてのデータ提出では、各社の独自情報が他社に漏れる心配もあるために、個別で国交省とやり取りするかも議論のあるところだと現場に詳しいひとが語っている。

そんなお伺いが、省内で「伝言ゲーム」になったのか?いきなり「不正発覚」となって、ぶった切られた様相なのである。

ようは、国交省がマッチポンプで「不正」だといいだした元凶なのである。

残念ながら、わが国の専業で国際競争に勝ち残っているのは、いまや自動車産業だけとなってしまった。

つまり、あらゆる方面から「反日」政策を実行している、自公政権の政策から生まれた不正事件なのである。

なるほど、豊田章男会長がいう、「これからも不正は起きる」ことの真意とは、国交省の「厳しい」現状を皮肉ってのことなのだ。

企業も自由に「本社所在地」を変更することができる。

激しい競争への生き残りに躍起な業界が、こんな国家行政に嫌気をさして、もしや外国に移転したらどうなるのか?
あるいは、日本弱体化が日本政府(自公政権)の狙いならば、その目的がかなったらどうなるのか?

主たる産業が国内から消えたら、あとは貧困しか待っていない。

それもこれも、アメリカ民主党(親玉は「世界経済フォーラム」)の、「グレートリセット」なる世界共産革命のための破壊工作なのである。

ドンドン出てくる不都合なニュース

アメリカ合衆国大統領の衛生顧問を長きにわたって務め、公務員として大統領職より多い最高の報酬を得ていた、「Mr.衛生」ともいわれた、Dr.ファウチが、とうとう白状をはじめて、聞くものを唖然とさせている。

連邦下院議員のマージョリー・テイラー・グリーン(MTG)女史は、議会の公聴会でファウチ氏に面と向かって、「あなたは収監されるべき」とまでいわしめた。

なお、安易に信用してはいけない、「ウィキペディア」の、グリーン女史の説明には、「陰謀論者」と明記されているのが嗤えるのである。
この「辞典」の執筆者たちの多くが、左翼の陰謀論者(敵対するものなら誰にでも「陰謀論者」とレッテルを貼る)だと自己紹介しているからである。

もちろん、「ファクトチェック」を自称する者たちが勝手に書いていることも、いまではそのまま信じる者は皆無となっている。

さてファウチが証言したその内容は、
・一般に販売されているマスクが感染防止の役に立たないことは当然である
・「ソーシャルディスタンス」は適当に言ってみた(科学的根拠はどこにもない)
・カネ(製薬会社から100億円)ならもらった
・私の家族は、誹謗中傷を受けている被害者だ というものである。

こんなはなしはすぐさま英語圏に拡散されて、英国でも大手メディアが「ワクチン」についての真実を書き始めた。
あたかも、わが国の月刊『文芸春秋』のようだが、あちらは「新聞」で、こちらの「新聞」には一切載らない。

ただし、CIAの日刊広報紙、『読売新聞』は、その子会社にあたる『福島民報』では、チラリズム的な書き方で様子を伺っている。
この点で、経団連の日刊広報紙、『日本経済新聞』は、NHKと同様に何もなかったとして、子会社のテレ東も「右へならえ」をしている。

いつまで国内での情報統制ができると思っているのかしらないが、とうにネットで世界に拡散されているから、時間の問題だ。
「速く国家(日本政府)が情報統制できる決議」をしてほしいと願っているにちがいない。

さらに、アメリカ連邦下院議会は、「国際刑事裁判所を制裁する」決議をした。
イスラエルのネタニヤフ首相以下に、「逮捕状」を出したことへの制裁、である。
ただし、上院で可決されるかは不透明で、バイデン政権は「反対」を表明している。

このことが、また、2024大統領選挙に影響して、民主党への常連だった大口献金者たちが、共和党へ鞍替えする事態となっている。

国際刑事裁判所といえば、日本人裁判官が、プーチン氏への逮捕状を出したこともあった。
この裁判官を制裁するのは、アメリカなのか?日本なのか?どこなのか?気になるところである。

今回の制裁案は、アメリカへの入国禁止と、アメリカ国内の個人資産凍結である。

ちなみに、アメリカ合衆国は、「国際刑事裁判所条約」に署名も加盟(議会の批准)もしていない。

一方のロシアでは、サンクト・ペテルブルクで5日「国際経済フォーラム」が開催されている。
あの、「世界経済フォーラム」に当てつけた名称であるが、こちらはロシアへの投資を促すものである。

これに招待参加する予定のアメリカ人、スコット・リッター氏(元国連大量破壊兵器廃棄特別委員会主任査察官)を、搭乗した機内でパスポートを没収するという事件も起きている。
アメリカ政府が、国民の渡航の自由を奪った、として注目されているのだ。

われわれは、西側こそが自由圏だと思いこんでいるが、いまや、西側が「逆・鉄のカーテン」状態にあって、収容所化しているのである。

すでにBRICsへの参加は、西側同盟国の数を小数派にしたし、GDPの総額でも西側はBRICsに及ばないのである。

そのなかのインドとメキシコで、選挙があった。

インドの混沌は理解が困難なままで、メキシコは共産化するであろう。
アメリカは、キューバ以外にメキシコとも継続して対峙することが決まったのである。

しかし、いまもっとも混沌としているのは、わが国だ。

自民党はご覧のとおりだが、とうとう公明党解体を創価学会幹部がいいだした。
過去半世紀からの常識が、大崩壊する歴史の転換を目撃しているのである。

道義国家とはロシアのことだ

日本では、右派、すなわち保守を表明するのに、「道義国家」を口にする政治家がいた。

その典型は、安倍晋三氏であったし、かつての稲田朋美氏もそうだった。
稲田氏はその後、しっかりカミングアウトして、共産党議員と間違えるほどの言動が、落選運動につながっているようだ。

安倍氏は、暗殺という手段をもって世を去った。

不可思議なのは、犯人として逮捕された容疑者のいまだに裁判がはじまらないことで、国民の関心が薄れてからこっそり始めようという魂胆ではないか?と疑うのである。
あの手製の「銃」が、はたして殺傷力があるのか?もあるし、週刊誌が伝えたように、安倍氏の銃創は別の角度から飛んできているとしか説明できない。

このブログでは、一貫してアベノミクスを批判してきた。

なにせ、強烈な社会主義経済政策のセットだったからである。
そして、この政策をやればやるほど、日本経済は萎縮・衰退したのも、社会主義による衰退の絵に描いたような姿であった。

日本の大学には、たいがい「経済学部」があるけれど、アベノミクスの本質がなにかを教えないので、経済学部を卒業してもアベノミクスの批判すらできない卒業生を輩出している無惨がある。

このことは、たいへん重要で、官僚上がりの政治家のほとんどが法学部出なので、安倍氏自身も、アベノミクスを理解していなかったのではないか?とやっぱり疑うのである。

もちろん、大学の数年間で「エコノミスト」になれるほど甘い学問ではないが、かといって、はなから辛い学問である。
日本経済の分析をアメリカ・ヨーロッパ由来の手法でできるのか?という問題があるからである。

さてそれで、ロシアである。

共産主義政権の時代が70年ほど続いて、国民は生命の危険にさらされて生きのびてきた。
なにせ、スターリン時代の「粛正」は、ソルジェニーツィンが書いたとおりだったし、だからといって、その後の指導者がこうした手法を用いなかった、ということでもない。

批判者は、ロシアが資本主義を経験していないのに共産化したことの失敗、といって、真の共産主義ではないといっていたものだ。

そのソ連の崩壊が意味したものは、西側の貪欲なハイエナたちの餌食になったことだった。
生きたまま、自身の体を食わせたのはエリツィン政権で、このアル中指導者は、「自由放任主義」が「経済立て直しの切る札」だと盲信していたのである。

なぜなら、共産主義しかしらなかったからである。

ところが、汚職にまみれていた旧共産党幹部たちが、国家資産を私物化して「新興財閥(オルガルヒ)」に変身し、カネで今度は政治家を操ろうとしたのである。
エリツィンに信頼されたプーチン氏が、ここで登場し、一気に「民主化」をはかるのは、よく勉強したからだといわれている。

とにかく政治的な報道で、ことごとく逆神のマスコミを信じてはいけないが、プーチン氏を貶める報道も、その多くが真逆こそ真実なのである、

なにせ、彼がやった「国有化」は、社会主義・共産主義によるものではなく、盗人のオルガルヒたち(=西側投資家たちからの投資・支援)から国家資産を取り戻し、その利益を国民に還元させるためのものだった。

エリツィン政権を含め、ソ連崩壊後のたった10年で、ロシア人の平均寿命は10歳も縮んだ悲惨があったからである。

そのまた奪い返しを狙ったのが、ウクライナを利用したロシア弱対策なのである。

さらに、アフリカにおける大航海時代からの伝統的西ヨーロッパ利権を、現地の国々に返そう!というのが、プーチン氏の戦略で、これがまた西ヨーロッパ各国の利権をうばうものだから、ウクライナ支援をかこつけてロシアと対峙している理由なのである。

こんな連中に、なぜに日本がつき合わないといけないのか?

敗戦によって征服された属国の奴隷国家だからである。

「道議」ならずっとロシアにあって、そのロシアと連携する中国に道議も移った。
これが、世界から「気の毒な国」といま日本がいわれる理由で、大東亜戦争の意義をしっている各国から、憐愍の目でみられるようになってしまったのである。

あたらしい『貧乏物語』

わたしのしる『貧乏物語』には、河上肇版(1917年)と、大河内一男版(1959年)の二冊がある。

河上肇はいわずとしれた共産主義者であるが、はじめは京都帝国大学の経済学教授職にあって、これを自ら辞して「党員」となり活動を開始したら獄中のひととなってしまった人物である。

東京帝国大学にいた、近衛文麿が、河上肇に師事すべく退学・編入(京都帝国大学法科大学)し、学生にあって翻訳出版した、オスカー・ワイルドの『社会主義下における人間の魂』は、掲載紙が発禁処分となったことで有名になったものである。

大河内一男は、東大紛争のときの総長だったひとだ。
飼い犬たちに全身を噛まれた様相の悲惨があったのは、このひとも共産主義者であったからだった。

とくに、「手厚い社会福祉」とか、「福祉国家」を口にするものは、自己認識していなくともかならず共産主義にからめ捕られることになるので注意がいるのである。

この意味で、昭和36年に社会保障制度が完成したわが国は、とっくに社会主義国になって、いまの自民党・公明党が、強権政治をやるための「憲法改正」に熱心なのは、共産主義政党だからである。

ために、大河内一男のごとき立場になった共産党の陰がうすい。

戦後すぐの日本映画は、GHQの検閲を受けているけど、これらを観ることを勧めたいのは、どうしても拭いきれない「貧乏」がそこに描かれているからである。
対照的なのは、昭和の初めの銀座を闊歩していた、「モボ」や「モガ」と呼ばれたひとたちで、モダン・ボーイ、モダン・ガールの略である。

これはこれで当然なのは、日本の国力(経済力を含む)が大戦争で衰退し、退化したからである。

圧倒的な連合軍(対日戦線の主力はアメリカ軍)の物量だけでなく、徹底的なジェノサイドを意図されて、トルーマンにおいては「日本人=猿」扱いを公然と発言して、その人種差別主義がいまもアメリカ民主党の伝統になっている。

それで、「何があっても戦争だけはやってはいけない」という、(敗戦国=保護領)独特の、「新しい平和論」を常識にするようプロパガンダされたのである。

「何があっても抵抗しない奴隷として生きる」宣言である。

それもこれも、「報道の自由度世界70位」という、不自由のおかげであるのに、日本人は報道の自由が世界一あると信じて疑わない。

とっくに奴隷化が完成している。

さてそれで、「戦争」とはなにか?
定義の問題を改めてかんがえれば、クラウゼヴィッツが説いた、「外交の延長に戦争がある」ということも理解していないのが日本人なのである。

日本人は、(平和)外交と戦争との間に断絶があって、まったく別物と捉えるように調教・訓練されれてしまった。

ゆえに、平時において、戦争が準備されていることにも気づかない、阿呆の奴隷集団になったのである。

この点で、日本人の調教を担当(看守長のように)している、竹中平蔵氏がいう、雇用主からの解雇を自由化して、90歳まで働け、というのは、まったくもってわが国の労働市場を奴隷市場化して、買い取った奴隷を死ぬまでこき使うことが、「経済的」だという、子供でも忌み嫌うことをいって、経済学者(慶應義塾大学名誉教授)を装っている。

ただし、わが国にはとっくに「労働市場」そのものがないことも、日本人は気づかない。

そんなわけで、自公政権によってどんどん衰退しているばかりではなく、衰退する仕組みが組み込まれた社会システムが出来上がっているのである。

そのほんの一部の抵抗が、パンデミック条約反対集会であった。

世界がどうしてこの大規模デモに注目したのか?

奴隷たちの反乱に見えたからである。

組み込まれている社会システムとは、共産主義のことなので、抜けるためには「反共・反全体主義」の強い意志がないと不可能なのである。

それを防止するために、「新自由主義」を悪とするプロパガンダが、とうの先に成されたことも日本人はしらないが、竹中平蔵氏が何をどう発言したかが、「答え」である。

言葉をすり替える。

それで、自由を求める運動を、なんと国家が潰すことに正義を与えているのである。

トランプ裁判・有罪評決の恐怖

前回からの続きである。

東京・日比谷公園で31日に開催された大規模集会と同時刻、地球の裏側のニューヨーク(まだ現地は30日)では、アメリカ史上初となる、大統領経験者に対する、「有罪評決」がなされた。

なお、この評決を受けて裁判長による「判決(量刑も含む)」の言い渡しは、7月11日となっている。

34もある「罪状」すべてにわたる「有罪評決」というのも、アメリカでは極めて稀な評決なのは、罪状ごとに陪審員全員一致、の原則が破られたからで、この裁判がむちゃくちゃなものだったことの方が「歴史的」なのである。

日比谷公園での大規模集会を一切報道しなかった(世の中で起きていないものとした)、わが国のマスコミは、この「有罪評決」は熱心に伝えているが、やっぱり肝心なことには一切触れないから、みごとなプロパガンダとなっている。

その本家本元に落ち込んだ、BBCは、「トランプの恐怖」を大々的に伝えて、これぞ「プロパガンダ」のお手本を示している。
やっぱり、ナチスのウクライナを全面支援するだけはあって、いつの間にかBBCもゲッペルス信者に成り果てたのである。

もちろんそのBBCをライバル視して真似っこをするのが、わがNHKである。

公共放送を自称するこの放送局は、アメリカの裁判制度とわが国の裁判制度のちがいについて、一切を日本国民には伝えない努力がされている。
そうれで、1日、この放送局は日比谷の大規模デモをあたかも「誤情報」に基づくと決めつけた。

なんで「アメリカ合衆国」で、「合州国」でないのか?という恣意的な訳も、だれも教えてくれない。
自由と民主主義を標榜する、民衆によって建国された国だから「合衆」なのだ、というのは意訳である。

United States of America

United とは、あの邪悪な「国連:United Nations」の United で、意味は、集まってひとつになることだ。
States とは、「州」というのも本来なら違和感のあるところだ。

日本の県とはぜんぜんちがって、「独立国」なのでである。
これが、条約によって「連邦」を形成している。
つまり、あくまでもアメリカは States の集合体としての連邦国家なのである。

ちなみに、英国は、「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland 」なので、略して「UK:連合王国」と呼ぶのが国際的常識なのである。

さてそれで、今回トランプ氏が起訴されたのは、ニューヨーク州地方裁判所だ。

くれぐれも、連邦裁判所ではないし、裁きの基本になる法体系も、ローカルなニューヨーク州法だけという限定になっている。

しかも、起訴がなにを根拠にされたのか?もわからない、まったく不思議な裁判なのである。

日本のメディアは、「不倫裁判」だとさんざん日本人の倫理観に訴えかけることをしているが、先に訴えてきた相手の女性は、「関係はなかった」と法廷で証言している。
それで、「口止め料」を払ったことが、あたかも問題なのだ、という報道に変更したが、これも、倫理観がずっと日本より低いアメリカでは、「合法」なのである。

トランプ氏の弁護士だった人物(この裁判では検察側証人)が、トランプ氏の指示により選挙資金から口止め料を支払ったことが、「帳簿記帳すなわち企業会計規則違反」にはなる。
ところが、これはニューヨーク州法では軽犯罪でしかも時効3年であるので、とっくに時効が成立している。

そこで、時効が5年の、別の犯罪をするための帳簿記載違反だったことが、唯一の起訴理由なのである。

しかし、過去、州検察官は二度にわたっての起訴を断念しており、今回の検事(なんと連邦特別検察官)もいったんムリと判断したら、バイデン司法省はナンバー3を辞職させてまで本件で起訴するように「立憲幇助」をしている。

日本でいえば、法務事務次官(一般職の最高位)⇒検事長⇒次長検事⇒検事総長(これらは特別職)なので、検事長級がニューヨークに派遣されたというイメージになる。 

ついでに、連邦特別検察官は、連邦上院での認証がいるが、こたびの検察官は認証手続きを経ていないので、身分不明な人物が担っていることも裁判の争点として弁護側は突っ込んでいる。。

ニューヨークは民主党の牙城だから、陪審員を選ぶにも、バリバリの民主党支持者ばかりが住民なので、はなからトランプ氏には不利である。
しかし、裁判官はそうはいかず、州法でも特定政党への関わりは禁止されているのだが、この裁判の裁判長は、民主党に個人献金をしている人物が就任したのである。

こうしたこと、すべてにトランプ弁護団は訴え、不当裁判だと証明したが、ぜんぶ却下されたばかりか、トランプ氏には裁判長から箝口令が出され、自己弁護も禁止された。

さしものニューヨーカーも、この評決には驚いて、数千人がトランプタワーに集結し、「がんばれトランプ」とシュプレヒコールを送り、小口寄付でしられる共和党のネット入金システムが一事パンクするほどのアクセスで、なんと一晩で65億円の寄付があつまった。

「こんな裁判はありえない」が、「いつ自分もトランプ氏のような立場にたたされるか?」の恐怖に変化したのである。

トロツキー派が牛耳る民主党は、ルビコン川を渡ってしまった。

大統領職にあった人物でも、政治的に起訴されて有罪となる、歴史上の「前例」をつくってしまったのである。

とうとうアメリカが韓国化(「バナナ共和国」ともいう)して、政敵を起訴できるブーメランをつくりだしたのである。

日本にも波及するのは間違いない。

歴代首相や大臣が、有罪になる、これはこれで期待したい。

5月31日の日比谷公園4万人

俗にいう、「パンデミック条約反対集会・デモ行進」のことである。

4万人ものひとが集まったという「事件」を、現場から生報道したのは、ロシアの「スプートニク日本」であった。
そして、わが国のマスコミは、この大規模イベントの報道を、完全スルーしたのである。

メディアとして、この姿勢のちがいは、参加者とネット中継を観ているもっと多数(ネット中継はライブだけで10万人単位の視聴数だった)が、このことを体感・認識した。
しかも、このイベントは海外ともネット中継されている。

民間人が、手作りでもここまでのイベントができる時代になったのである。

夜8時までという予定であったから、「プロ野球」のナイター放送とかぶるのだが、まさしく「3S政策」の雄、プロ野球は、この日も通常モードで「巨人軍90周年」のマークが光っている。

デモに参加したひとたちと、スタジアムに足を運ぶひとたちの二極がある。

わたしは、川崎時代からの「大洋ホエールズ」ファンで、まさかのリーグ優勝と日本一(1998年:38年ぶり)、それに翌年の連続優勝か?をもって、プロ野球観戦から引退した。
優勝した年は、めったに買わないスポーツ紙を毎日買って、いまでも棄てずにとってあるけど。

ときのうつろいとは残酷なもので、どんな組織も新陳代謝する。
プロ野球もメンバーからスタッフ、全員が入れ替わる。
毎年連続して観ていれば気づかないけど、たまに観て、だれもしらないひとたちがチームを形成しているのに驚くのである。

ただ、時間が止まっているのは中継映像の作り方と、音声を形成するアナウンサーと解説者の、「いつも通り」で、これに愕然とする自分がいる。
変わらないではなくて、変えない、という作り手の意志を感じるからで、視聴者に「永遠なる世界」という夢を届けているといえばかっこいいが、思考停止の安寧ともいえる。

そんなわけで、スポーツ観戦を熱心にすると、思考停止の安寧とその快感に浸ることができるのは、そのようにプログラミングされて仕向けられているからだと気づくのである。

まさに、映画『マトリックス』の世界だ。

さてそれで、WHOの事務局長(エチオピア政府からテロリスト指名されている)は、「パンデミック条約」の不調に、「敵は反ワク活動家だ」と明言し、言論上の宣戦布告をした。
なお、国家の主権放棄となるこの条約の推進にもっとも熱心だったのが、日本政府であると判明している。

小委員会の委員長を日本人(もちろん役人)がやっており、その強引な決議をとりかたが、エジプトやらサウジやらの代表からクレームがついたのを、横から法務顧問が問題なしと発言して紛糾している動画が残っている。

厚労省が仕切っての無惨を、外務省は「ざまぁ」といって見物しているにちがいない。
この縦割りが、あんがいとわが国を救っているのである。
べつだん、外務省が会議のやり方を心得ているからではなくて、過去にたっぷりエサをまいた、エジプトやサウジを黙らせる根回しを思いつくぐらいしかないけれど。

さて、「会議の進め方」は、中学校の国語副読本にあったけれど、この強引なシナリオを書いたのが、上の法務顧問と横に同席のWHO事務局(副委員長)だと、あからさまにしれる状況となっている。

町内会でもちゃんとやる総会成立要件の厳密(加盟国数と会議出席数の比率から、会議そのもの成立の有効・無効を問う)を無視したからだ。
おそらく、えらく出席数が少なかったのは、会議自体の成立要件を満たさないように、加盟各国が「欠席」を自国委員に指示したからだろう。

追いつめられると、権威主義を発して強引になるのはよくある光景だ。

この意味でWHOも、追いつめられているのだろうけど、とっくにこの機関は、「公的国際機関」と呼ぶには値しないほどに、民間からのカネ(予算の半分以上)で支配されている。
出しているのは、ビルゲイツ財団とビッグファーマ(巨大製薬会社)各社である。

WHOが追いつめられているもうひとつの要因が、「もしトラ」から「ほぼトラ」への変化で、トランプ氏がアメリカ大統領に返り咲いたら、すぐさま再び「脱退」を決めることであろう。

もしや、プーチン氏と連携して、「国連」そのものから脱退し、第二国連を創設する可能性もある。

それでもって、英国では7月4日のアメリカ独立記念日に、わざわざ木曜日にもかかわらず、総選挙を実施するのは、だれがオーナー(DS)なのかを思い出せと、アメリカ人にいっているのである。

もちろん英国は、英国王室のものでも、英国民のものでもない。
ロスチャイルドを筆頭にした、大財閥がオーナーなのである。
いまさらながら、中央銀行のイングランド銀行は、100%ロスチャイルドが真の株主である。

それで、アメリカ下院共和党(トランプ派)が、FRB廃止法案を提出して対抗しているのである。

次回、混沌のトランプ裁判有罪評決に続く。