見えてきた自民党後の再構築

8日の自民党両院議員総会の体たらくから察するに、明らかに自民党は自己崩壊過程に入り込んだ。

過去からのしきたり・しがらみのような人文学的「慣性の法則」に内部集団が催眠術にかかったごとく支配されて、現状についていけない。
すなわち現実対応ができないという思考停止の内部矛盾の力がはたらいて、自己統制が作動しなくなったことが外部の誰にでも観察できるからである。

つまり、自己修正能力が失われた。

さらに、トランプ政権は、あたかもケネディ暗殺にまつわる機密資料の公開にあたって、自民党がCIAから資金を得ていた証拠文書も紛らわせてシラっと公開し、太平洋を越えて暗黙の攻撃を仕掛けたのである。

これは、アメリカの党派を問わない「(外国)政権転覆」のこなれた手法の実行ではないか?

そのリアルとして、自民党結党後初めて、総裁でありながら総理になれなかった河野洋平外務大臣のちの官房長官による、このことの機密扱いをアメリカに懇願する発言もここには一緒に記録されていた。

河野洋平は存命だが、本件について河野(太郎)事務所は「高齢」を理由にコメントを拒否している。
アメリカ政府の機密公文書にあったことの事実を、否定しようもないからであろう。

しかし、ここに重大な疑問がある。

いまの自民党は、誰の指示で動いているのか?だ。

トランプ大統領が指名した大使が上院も通過してとっくに東京へ着任しているが、東京のCIAのコントロールは、ラトクリフ長官の指示に従っているのか?という問題にもなる。

つまり、なぜにいまも自民党が民主党の政策を続けているのか?という疑問なのだ。

果たして、石破政権は先の参議院選挙でほんとうに敗北したのか?もからむ問題なのである。
この選挙を通じて、自民党で昨年の裏金問題からの安倍派の非公認・潰し衆議院選挙で落選した「保守派」の復活もなく、むしろ全滅に近い事態となったのは、あらかじめの計略による結果でしかなかったのではないか?

「肉を切らせて骨を断つ」結果になっているからである。
議席を減らしても、面倒な保守派を党から追い落とすことに成功した、という意味だ。

自民党が腐ってもずっと与党でいられたのは、党に忠実なだけのどうしようもない候補でも当選させる組織力と、選挙のプロである党幹部の力量とがあってこそのことなのである。

さらに追い打ちをかけるように、森山幹事長は、現執行部に逆らう言動の議員には、次期総選挙における公認を出さない、と宣言した。

だが、これはある意味、政党組織としては正常なことではある。

党内文化としての「派閥」が実質的に解消するまでのアプローチを経ての姿だからである。
それで、主だった派閥のリーダーと目されてきた有力議員の神通力も効かなくなった。

このことの意味は、自民党はかなり共産党や公明党に似た組織となったのである。
派閥とは、党内における別組織(入れ子)であったから、これがなくなったという事態は党内組織がフラット化して統制系統が(森山)幹事長に一本化された、ということだ。

逆に、幹事長の職にありながら十分な党内統制ができたとはいえなかった茂木敏充氏の人間的力量のなさが、かえって目立つ。

個人的には観ないと決めているNHKが、支持政党別の年齢構成を発表したという。
それによると、上の3つの政党(自民、共産、公明)に立憲民主党を加えた4政党が、高齢者による支持が多数であると判明し、消滅まで「時間の問題」との評価が決まった。

逆に、いまの人口構成では少ないが10代の低年齢層から40代の中堅層に支持が多いのは、際立って、国民民主党と参政党なのである。
つまり、このことは両党の「息の長さ」を暗示している。

いま、国民民主党が議席数において新興の参政党より優勢ではあるが、将来については微妙だとかんがえるのは、所詮は労組が背景にある社会主義政党が国民民主党だからである。

あえていえば、かつて中道右派とされた旧民社党(ベルンシュタインの「民主社会主義」=ソ連共産党から「修正主義」と批判された思想を根拠とし、ドイツ「SPD」と類似する)、の進化形なのではあるが、わたしのイメージでは旧民社のまともさの方がまだ記憶に残っている。

国民民主がフラフラと主張を変えるのは、自民党(じつはCIAが出本だった)からのカネで動いた過去の物語のままだともいえる、この党の伝統芸なのだ。

つまり、そう遠くない将来、好むと好まざるに関係なく、この国は参政党が単独与党の時代となるのは、アメリカ・トランプ政権2.0との相性がいいからだ。
9月にはトランプ政権2.0を誕生させた立役者のチャーリー・カーク氏が、参政党の招きで初来日することが決まっている。

では、アメリカは?ととえば、国勢調査が正しく実施されれば、民主党が政権をとる可能性が5年後の2030年には消滅する。
民主党の州から共和党の州への「大量移民」で、きっちり人口割当される連邦下院議員の各州ごとの定数が、共和党有利に大変化しているからである。

その前哨戦が、いま真っ最中のテキサス州を中心とした「選挙区割り」の攻防なのであるけれど、これ自体がバイデン政権中の連邦最高裁の決定を根拠とするものであり、いまや共和党の勝利は、ほぼまちがいない状況にある。

すると、30年から前倒しして28年の大統領選挙ではもう民主党は今後永久に政権の座につくことはできない選挙体制が共和党トランプ派によって完成するのである。
これを、トランプの4年間だけ臥薪嘗胆で乗り切れればいい、とする外務省のとぼけた寝言はなにを根拠にしているのか?となって、「外務省解体論」がそのうちでてくるだろう。

さらに、同時に、クリントン夫妻をはじめとする、民主党の大統領・大臣経験者たちが連邦下院政府監視委員会に召喚状をくらい、この秋、かれらの悪行がアメリカ人のもとに晒されることも決定している。

まもなく、共和党トランプ派の後継者と、日米関係が再構築されることが確実なのである。

2025年秋の召喚状祭り!

アメリカ連邦下院の政府監視委員会(委員長はジェームズ・コマー、共和党)は、5日、エプスタインとの関係について、クリントン夫妻にそれぞれ「召喚状」を発したと発表した。

アメリカ議会における「召喚状」は、宣誓議会証言を求めるもので、証言を拒めば議会侮辱罪、うそを述べたら偽証罪に問われるきわめて厳しいものである。
しかし、ビル・クリントン氏は大統領経験者なので、「大統領免責特権」をたてにすることができる慣例が壊れる可能性も秘めている。

各自の日程は次の通り。

 8月18日 ビル・バー元司法長官
 9月 2日 ロバート・ミュラー元FBI長官&連邦特別検察官
10月 2日 メリック・ガーランド元司法長官
10月 7日 ジェームズ・コミー元FBI長官
10月 9日 ヒラリー・クリントン元国務長官
10月14日 ビル・クリントン元大統領

この他、アルベルト・ゴンザレス、ジェフ・セッションズ、ロレッタ・リンチ、エリック・ホルダーの各元司法長官も含まれ、現職のパム・ボンディ司法省には、司法省が保管する全文書の提出を求めている。

あたかも、政権発足当時に全面公開するといっていたのに、先般の司法省によるエプスタイン文書非公開決定を受けて、という体裁をとってはいるが、民主・共和両党の政権を越えたこれらDSたちによる「犯罪」を一気に暴く魂胆ではないか?と期待が集まっている。

「別件」として、ヒラリーやら彼女の子分たちがしでかした、「ロシア疑惑」が本丸だろうし、国務長官時代にやらかしたヒラリーの個人メールサーバーを介しての各国からの賄賂受け取りといった疑惑にも切り込む可能性がある。

むろん、「1月6日事件」についても、関連事案としてからむかもしれない。

なんにせよ、「ロシア疑惑捏造」は、オバマもからむとされる「国家安全保障問題=国家反逆罪」になり得る重罪なので、これを議会が操作することの意味は海よりも深い。

こんな大事の一方で、テキサス州の民主党州議員たちが大挙して議事妨害のために他州へと旅行をしている問題が、根本的な民主党の凋落として注目されている。
それが、「選挙区割り」への抵抗なのである。

この攻防は、「カナダ人ニュース」さんが何度かに分けて詳細を報じてくれている。

テキサス州における「選挙区割り」の議論がいまになって盛んなのは、連邦最高裁判決をへての司法省からの通達・指示によることがきっかけである。
選挙区を人種構成による区割りとすることが、「違憲」となったことによる。

つまり、テキサス州の民主党議員団は、「違憲状態」を続けたい、という活動をしているのだ。
しかし、その深刻度は全米に影響して、人種による区割りが正常化すると、今後、民主党は連邦下院での多数を得ることが不可能になるのである。

その間隙をついて、共和党が支配する政府監視委員会が司法省と連携(シナリオ作り)しながら動いている、とかんがえられる。
さらに10日には、バイデン氏の認知症状態からオートペンによる大統領令の無効と、それに関する恩赦の無効も具体的議論がはじまった。

まさにワシントンの沼の水を抜く大掃除。

この30年あまり、歴代の政権がやってきた「特権」が暴かれることで、一般アメリカ人のための政府にならんとする、トランプ政権2.0の「常識革命」が、ギロチンではない法をもって、名実共にあくどい支配者たちを裁くことになったのである。

「デマ太郎」の系譜

外務大臣を皮切りに、ワクチン担当とかデジタル担当とかの無任所大臣を拝命しながら、自民党の広報本部長なる閑職に追いやられたというマスコミのデマに乗せられた情弱国民のなんと多かったことか。

しかし、本稿では特定の人物を指して論じたいわけではない。

いわゆる「西側世界」という、広く「自由社会」と定義されてきた地域における恣意的な政権とこれを支えるマスコミ各社の創り出す「デマ」による世論操作のことをいいたいのである。

こうした連中の常套句が、「エビデンス」とか、「ファクトチェック」で、それがまた「科学的」であるかそうでないかというフィルターをかけたがることにある。

おそらくこの原点に、ルネ・デカルトが存在する。

啓蒙時代を築いたのは、なにも「文系」のジャン=ジャック・ルソーを嚆矢とするのではなく、「理系」のデカルトの位置付けが決定的なその後の「科学万能主義」へと成長した始まりなのであった。

そうやって、科学が専門家の領域に特化してどんどん高度化したら、科学とエセ科学の境界が一般人には見分けがつかなくなった。
しかも、そのエセ科学に、スピリチャルな分野も加えられるという「政治的解釈」が行われ、いよいよ伝統主義との確執となったのである。

つまり、たとえば柳田國男の「民俗」にまつわる研究成果が、単に昔の日本人の原始性をいうだけの解釈にされる理由となったことでも見えてくる。

これはなにも日本だけのことではなく、たとえば北欧神話の「森の妖精」が、キリスト教によって森の中に追いやられたのと似ている。
ただ、キリスト教は布教の都合で、妖精を曖昧なままにしているだけである。

ときに、現代の日本人政治評論家の中でもずば抜けている、アメリカ在住40年の観察者、伊藤貫氏のプーチン評が興味深い。
過去300年で最高のロシア指導者という評価の意味は、哲学をマスターしたプーチン氏の稀有な教養に基づく政治の実践だというのだ。

それは、昨年クレムリンでのタッカー・カールソン氏との直接インタビューでも、彼が1時間にわたってロシアの歴史を太古から現代まで一気に語った姿は、まさに「歴史学教授」のそれであった。

そこで彼がいいたかったのは、ロシア人とは何者か?というプーチン氏なりの結論であったのだ。

ロシア人は、決して西洋人の価値観(自由主義や民主主義)をもっていない。

ゆえに、彼は、ロシア的な政治姿勢をもって現代ロシアを統治しているのだ。
だが、西側メディアとそれを金科玉条として再利用する、西側のグローバル全体主義者たる政治家は、こぞってプーチンを「独裁者」と決めつけて攻撃している。

これこそが、グローバル全体主義というひとつの到達点としての西洋的価値観からしたら、(プーチンの)ロシアを許せない、破壊の対象としての嫌悪感の源泉なのである。
ひらたくいえば、「ロシアらしさ」とか、「フランスらしさ」や「ドイツらしさ」も、グローバル全体主義からしたらあってはならないものだからである。

あるべきは、「地球市民」である。

さすれば、プーチンのロシア解釈を日本にあてはめると、まったく似た構造での西洋との違いが日本にあって、もちろんロシアとも違うが妙な親和性があるのは、ウラル山脈から東にある広大なシベリアや南の中央アジアがまさにアジア的だからであろう。

これを、プーチン氏は「ユーロ+ロシア=ユーラシア発想」と呼んでいる。

つまり、明治期を境にして、日本人の西洋化が限界点にきているのが「今」なのだとすると、日本が日本への回帰を始め出したことへの西洋発想(=グローバル全体主義)からの攻撃も「今」激しくなっているといえる。

それが、昨今の「デマ」の源流なのだとかんがえるのである。

なるほど「デマ太郎」の知的水準のことではなく、価値観が、完全に「日本的」から乖離していることの本質がここにあると思えば、さまざまな発言の意図に納得がいく。

その蔓延の裾野の広さ。

これが、「デマの系譜」なのである。

グルメサイトの信用度

もう何年前かも忘れたのが、グルメサイトを利用した時期のことである。
ほとんど気にしないのは、コメント欄と評価ポイントだ。
せいぜい参考にするのは、場所と定休日と営業時間だ。

簡単にいえば、信用ならない、という理由が最大の欠点だからである。

情報として信用ならないというのは「終わった」も同然なので、自動的に使わない、のが結論である。

残念ながら、それもこれも「サイト運営者のせい」ではなくて、「投稿者のせい」だから始末が悪い。
要は、投稿者の「お気軽さ」が信用喪失の最大の理由なのである。

ところが、そんな投稿者の評価からだけでは、実態がわからないので痛い目に遭う。

味覚が問題なのか?見た目がよければそれでよいのか?といった価値観の基準が、人それぞれことなるのは当然としてもその落差が大きすぎる。
だから、ある人には絶賛でもわたしにはガッカリだって、またその逆もあり得るのである。

それゆえに、「インスタ映え」も気に入らないので、そもそも「インスタ」なるものを利用しない。

第一、うまければいい、というものでもない。

単価が安かろうが、ちゃんとしたサービスがない店にはそもそも行きたくない。
むかしの横浜中華街で、そんな酷い店は行列ができる有名店ほど多かった。

グルメサイトの信用できない点に、店舗の歴史やらを無視した投稿も多いからである。
個人経営だったのに、店ごと買収されて、わからないうちに経営者ごと入れ替わっていることもある。

居抜きで看板を替えるならまだしも、おなじ看板のままだとちょっとやそっとで気がつかないことがある。
それでも、グルメサイトに載せるなら、気をつけろと言いたいが、情報源がそれだけなら気づくわけもないのである。

なので、わたしはグルメサイトに投稿したこともない。

たとえが悪いが、渡辺淳一の『化身』という小説のごとく、自分の気に入っている店が、大繁盛店になって自分が簡単に利用できなくなる経験を何度かしている。

むかしヨーロッパあたりで「日本人天使説」というのがあった。
天使(日本人)は黙ってやってきて、店が繁盛し、知らないうちに去っていき、閉店に追い込まれるという事例における、気がつけば日本人がいた頃と去ってからの浮沈なのだ、と。

ではなぜに日本人がその店を利用したのか?をかんがえれば、きっと居心地の良さ、だったにちがいないが、それに気づかないでいる店主が調子にのって、いつしか儲け主義にはしると、いつの間にか日本人がいなくなり、とうとう閉店に追い込まれるという道順である。

そこへいくと、サイトではカネをかけて掲載ページの順位を上げるとか、評価ポイントを上げるなどといったことを商売にする輩が横行し、ただでさえも素人投稿で荒れているのが、さらに破壊的なガセネタが隠されていることになる。

すると、グルメサイトは店の経営にも役に立たない。

とりあえず、検索もしないことが最もよいことなのである。

そんなわけで、手を替え品を替える大手は、自社のマップに目をつけて、ここに店舗情報をからませている。
だが、これとてもおなじムジナなので、定休日と営業時間だけが有用なのにかわりはない。

すると、店主側は、定休日と営業時間の正確な情報提供を怠らないこと、という手間が増えるわけだが、個人経営ではこれが徹底できない難がある。

それで、名店を嗅ぎ分けるのは、経験と勘ということに尽きるのである。

アシモフの『停滞空間』

文豪がその実力を発揮するのは、「短編」にあるといわれる。

その究極が、日本の「俳句」だともいえるので、長編小説で売れた夏目漱石が俳人になったのも頷けるのである。

江戸の商人たちが、「連歌」を趣味として夜な夜な会合していたのも、ラジオやテレビがない時代だからこその「教養遊び」で、そこに「狂歌」のエッセンスを加えたら、それこそ即興による粋な楽しさ満開であったろう。

なので、十返舎一九の旅行ガイドにして大ベストセラー『東海道中膝栗毛』でのお決まり、「ここで一句」が挿入されているのは、文化的な高度さの証拠なのである。
いまの旅行ガイドに、「ここで一句」を示しても、読者が理解できない恨みがあるのは、ラジオとテレビに破壊された感性の退化の証拠になっている。

SFの大家のひとりが、アイザック・アシモフである。
このひとはその名前のとおりユダヤ人だが、生まれは「ソ連」で3歳のときにアメリカ・ニューヨークに移住している。

これだけでどんな複雑な人生なのだろうと思わせるが、こんな複雑な経歴のひとが山のようにいるのがあちらだから、海によって隔絶されることができていた日本人の幸せ度は、生まれながらにしてのアドバンテージであることにちがいはない。

長じてその後、生化学者となり、ボストン大学の教授職にもなるが、作家としての名声の方が高くなる。

1958年に発表された『停滞空間』は、短編にして傑作との評価が高い作品である。

その作品集に『最後の質問』という、これまた傑作がある。

これらは是非とも本文を味わってもらうことにして、そのまま題名だけでいまの世界やわが国の状況をいえるのが、後出しじゃんけんにしても偶然なのだろうか?と疑いたくなるのである。

8日の自民党の両院議員総会が、まさに「停滞空間」そのもので、秋の臨時国会までの停滞が決定した。

目を覚ますような「最後の質問」とはなにか?をかんがえたくなる。

底知れぬ社会的なエネルギーの蓄積がはじまっているのは、妙にフランス革命前夜のような気分がする。

そのためか、フランスではふたたび、あの伝説の日本アニメ『ベルサイユのばら』がリバイバル・ヒットしているらしい。

この作品を産んだ戦後急速に経済成長した日本が、黙っていても成長する、という神話が壊れた。
「貧困化」という逆転が、現実になって、中学校の数よりも「子供食堂」が多くなったのである。

さてそれで、子供食堂への直接支援をしようという自民党と、子供が町の食堂で食べられるクーポンを配布すべきという「最後の質問」が議論をよんでいる。

タッカー・カールソンは、そんな日本の凋落原因が、アメリカ(グローバル全体主義)とその僕たる日銀が仕組んだものだとインタビューで証明しているが、その内容が日本で報道されることがない停滞空間をマスコミがつくっている。

参政党の「外交」がはじまった

5日、参議院議員会館に移民排斥の極右政党とマスコミに喧伝されている「ドイツのための選択肢:AfD」の共同代表である、ティノ・クルパラ氏が表敬訪問したとの報道があった。

報道各社は一斉に「極右」と報じて、個人発信の一部には参政党を公安の監視対象にすべきとの主張もあるようだ。

しかし、参政党は1議席時代のはじまり時期に神谷氏がドイツにおもむき、AfD幹部との接触をしていたので、今回の来日は、大躍進の成果を祝いにやってきたのだおもわれる。
このときのAfD側の対応は軽く、まぁお互いにがんばりましょう、程度だったかと記憶している。

神谷氏はすでに今月には、アメリカ共和党幹部を訪問する予定が発表されたが、来月には欧州にむかって、AfD以外の各国保守政党幹部にも面会し、それぞれに協力関係を深める予定だという。

グローバリズムに対抗する反グローバリズムも、じつはグローバリズムの一種なのである。

ときに、参政党の支持拡大法則について、既存マスコミの学習効果がみられない、という皮肉がある。
それは、参政党をディすればディするほどに、支持が拡大するという法則なのである。

こないだの参議院通常選挙における、参政党の得票についての詳細な分析がではじめている。

これによると、地域によるまだら模様があって、どうやら西高東低の傾向がはっきりしている。
とくに、九州における濃さが注目され、東北地方の薄さが目立つのである。

一方のAfDは、ほぼベルリンを除く旧東ドイツだけが濃いという特徴がある。
彼らの党勢拡大には、旧西ドイツでの支持をいかに得るか?が大課題なのだ。
だが、政権与党と他の野党は、「AfD禁止法案」を通そうとしているので、旧東ドイツでは連邦離脱の議論まである。

ここまで分断の谷が深いのは、共産主義を経験した旧東ドイツのひとびとが、自由の価値をしっているからで、一方、貧困からの救済で旧西ドイツが負担した経済的な支援の恩義に報いないことに腹立たしいという感情がある。

この点で、わが国は敗戦してもまだドイツよりは恵まれた環境で生きてきたことがわかる。

今回来日した、ティノ・クルパラ氏は、中卒の職人であった人物である。
学歴という点でも、職業に貴賎があるヨーロッパでの社会環境をおもうと、日本人には想像も出来ない苦労があるはずだ。

ばあいによっては、この人が話すドイツ語が標準ドイツ語とはちがうかもしれない。

隣国のポーランドで自由化後大統領になった、ワレサ氏も、標準ポーランド語を話さずに労働者階級独特のポーランド語話者であったために、来日時の通訳は外務省の貴族階級のポーランド語を修得した役人では役に立たず、『平家物語』のポーランド訳をなしとげたワルシャワ大学教授が、天皇との謁見時に日本側通訳を請け負ったことがあった。

「(職業的)身分」によって、話す言葉もちがう。

これがヨーロッパなのである。
だから、『マイ・フェア・レディ』が成り立った。
オードリー・ヘップバーンの美貌が見どころの映画ではない。

さて、参政党の快進撃は続く。

いまや無敵状態なのは、支持母体が国民にある、というわが国初の本格的近代政党ゆえの必然だからである。

つまり、叩く側とは、民主主義を憎む者たち、という実態をさらすだけのことだから、法則が作動する。
国民を叩いている、という構造に気がつかないか、グローバル全体主義の手先だという化けの皮が剥がれてきたからである。

来週にはプーチン・トランプ会談が予定されているが、互いの経済特使が濃密な予備会談をやっていると欧米メディアは熱気をもって伝えている。

ロシアがとのパイプをどう持つのか?さえも、参政党に期待が集まる。

さては、神谷氏訪問先の日本大使館はどんな待遇をするのか?よりも、岩屋外相が仕切る本省からの訓令で冷遇せざるを得ない状況に困惑しているにちがいない。

昭和の「悪書」を読んでみる

共産思想の啓蒙をやった図書で、あんがいと売れたのが、柳田謙十郎『労働者の哲学』(青春出版社、1962年10月)だ。

手元にあるのは、発刊から3年も経たない1965年7月時点で、「第18刷」となっているから、かなりの売れ行きだったろう。

前書きに「日本でもっともやさしい哲学書」と自負していて、巻末には『共産党宣言』からはじまる、次に読むべき資料のリストが丁寧にある。
懇切丁寧に初心者読者の成長を促す、よき(悪しき)アドバイスをしていることも、売れた理由なのだろう。

かんたんにいえば、ふつうのひとを共産主義者に改造するための啓蒙書であるから、これを読んで感銘などしようものなら、なんだか『マグマ大使』にでてくる「人間モドキ」のようにされてしまうのである。

この番組を観た当時のわたしは、豆腐屋の「がんもどき」と重なって、おでんにでてくるがんもどきはいっさい口にしなかった時期がある。

それにしても、「普茶料理」の数々の「モドキ」は、修行僧たちの異常なまでの食欲の裏返しを見せつけられる逸品たちだ。
京都宇治市の黄檗山・萬福寺でいただくものは、芸術的な「モドキ」である。

がんもどきは、どうやっても「がん(雁)の肉」にはならないが、共産主義に脳を侵された人間もどきには、解毒剤としての読書が効く。

そのひとつが、『学者先生戦前戦後言質集』(全貌社、1944年)である。
ここには31人が実名で挙げられていて、11番目に本書の著者、柳田謙十郎の名前がある。

なお、6番目に清水幾太郎があるが、このひとは最晩年にまた転向して、左右双方からの信用を失った。

清水の戦前と最晩年を「回帰」と評価するひともいれば、これらの中間期を「放蕩」というひともいる。
まるでハンバーガーのような評価だ。

役人の世界では川崎一郎アルゼンチン大使が書いた『素顔の日本』(二見書房、1969年)が「悪書」になっている。
それは、この本の「日本人そのものズバリ」の項冒頭に、「日本人の体型がひどい」と書いたことが原因で、なんと大使を解任されたというからである。

ときの外務大臣とは、愛知揆一(池田派から佐藤派に移る)のことで、佐藤栄作内閣であった。

川崎の本は、原著が英文なので翻訳書を読むことになる。

わたしが邪推するのは、日本人の体型がひどいことが大使解任の理由ではなく、真の理由はGHQを「征服者」だと批判したからであろう。

なお、退官後の著作には、『素顔の日本外交』(新潮社、1970年)、『サヨナラ日本 小説・裸の商社マン』(徳間書店、1973年)、『国際感覚入門 外国との差をつめるセンス』(徳間書店、1974年)などがある。

「悪書のおふれ」が国からあったのか?『素顔の日本外交』は、横浜市立図書館にも、神奈川県立図書館にも蔵書がない。
大手出版社の「新潮社」からの本なのに。

わたしの興味は、悪書の悪書たる所以であって、一世を風靡した柳田を、いまいかほどのひとが記憶しているのか?があるし、役所を追われた元大使の主張の中身を自分なりに評価してみたいのである。

なお、むかしの大使は天皇陛下の名代としての「偉さ」があった。

いまはかんたんに「大使」というが、正式には、特命全権大使(特別職国家公務員)である。
外務大臣が申し出て、内閣が任免し、天皇が認証するので、「認証官」ともいう。

そんなわけで、川崎一郎大使が解任されるには、上の手続きをもう一度踏むことにもなるのである。

いまなら、任命責任が国会で問われることになろう。

この意味で、川崎氏が残した書籍は、「悪書」という名誉がつきまとうのである。

こういった芯のあるひとが絶えたのは、学校教育ではいっさいふれないために、「国家観」を持たない学業エリートたちが国家運営をしていることにある。

それに、60年前にして失業の憂き目をもって、ますます「バカを見ない」ための国家間の欠如を「良」とする社会になったから、加速度が加わったようなものである。

一方の柳田は、1983年に物故した。

ソ連崩壊を見ずに旅立ったのは、本人にはラッキーであろうが、読者に大迷惑だけを残したのは罪深い。

わが国の労働運動が低迷していることには、柳田のような輩が書いたり吹聴した「思想の傷」が深いので、解毒に失敗したひとがたくさんいるからだろう。

新規加入がないのは、そんな毒に冒されたくないという自己防衛があるのだと推測できる。
しかして、これがまた、経営者を増長させる理由になるので、じつは柳田らの言動は、経営者のためになったのであった。

なるほど、ロシア革命の資金スポンサーが、ロスチャイルドやロックフェラーだったことの意味がわかるというものだ。

小沢一郎の立憲消滅予言

2025年参議院通常選挙が終わっても、自民党は「総括」できないままに、1日の臨時国会を迎えた。

しかし、大敗を期したのは自民党だけでなく、野党第一党を自負していた立憲民主党も散々な結果であったのだ。
なんと前回の得票数比較では、自民党よりも減らし、総得票数の実数なら野党で参政党、国民民主に次いで3位に甘んじるという無残であった。

自民党幹事長として、総理候補を自ら面談するという権力の絶頂にあった小沢氏は、衆議院選挙制度改革でいまの「小選挙区・比例代表並立制」を設計した人物としても知られる、選挙(制度)のプロである。

その小沢氏が、此度の参議院選挙の結果を受けて、次期衆議院総選挙で自党である立憲民主党の消滅を予測することを公言するまでの事態になっているから笑えない。

御歳83歳とはいえ、かつて「政局の小沢」といわれたことは、伊達ではない。

果たしてわたしは、この御仁が何をしたかったのか?いまだに理解不明なのであるけれど、それはあくまで「政策」のことで、「政局」のことではない。

なにしろ、「グローバリズム」やら「グローバリスト」という言葉がなかった時代に、自衛隊を国連指揮下に差し出すといいだした、国連信奉主義者=グローバリストのさきがけであった。

この本性が、いまも一切曲がっていないことは、それなりの評価に値するのだろうが、わたしはまったく評価できないただの国家観が欠如した左翼である。

しかし、このひとの動物的ともいえる政局の嗅覚から導かれる「消滅」の懸念は、十分に理屈が立っている。

おそらく、小沢氏も経験したことのない「地殻変動」を今回の参議院選挙で感じたのであろう。
それが、最大の層だった「無党派層」の急速な消滅すなわち「保守回帰」といわれる雪崩をうったような現象なのである。

いわゆる、山が動いた、のである。

もちろんこの現象は、一過性のブームではないことも小沢氏は読み取っていることだろう。
それが、上に挙げた参政党と国民民主への票の流れで理解できる。

つまるところ、戦後政治の終焉を意味する激変が起きているのである。

これまで自・公に対抗するのが立憲民主「だけ」だったというお決まりのパターンから、仕方なく得票することができていたものを、自党の実力だと勘違い(自己欺瞞)してきてはみたが、とうとう全選挙区に参政党が候補を立ったことで、真の選択肢を得た国民は、あっさりと嫌悪する立憲を捨てたのである。

しかも、文学表現ではなくて、本当に共産党と選挙協力するにいたって、名実共に「立憲共産党」になったことの政治判断が、まったくナンセンスと国民は解釈した。

その投票行動が、参政党の大躍進となって、これを国民が「成功体験」として実感したことの学習効果が、次期衆議院総選挙でも繰り返されることは必定なのである。

国民に、「選挙はおもしろい」と体験させたことの意味はおおきい。

しかも、国民は、自民党や公明党よりも、より厳しい忌避行動を立憲民主党に向けたのだった。
もちろん、双生児兄弟党の国民民主も、公認候補の選択に失敗して大ブレーキとなったが、まだマスコミが応援する効果で「躍進」することにはなった。

だが、選挙中にひと言も主張しなかった「選択的夫婦別姓制度=強制的家族別姓=戸籍制度破壊=家族解体」という共産化政策を、国会が開会するやさっそく主張する「だまし」に、国民は再び学習するにいたったのである。

こうして、次期衆議院議員総選挙における国民不満の「マグマだまり」が形成されている。

立憲民主党(国民民主も)はこのような自身の失策を打ち消そうとしようにも、「政策のタマ」がないという薄ら寒い現実が両党のアキレス腱なのだと誰の目にも明らかになったが、だからといってタマになる政策をすぐさま打ち出せるような党組織(共に連合が支持母体)でもない絶望がある。

これをもって、絶滅危惧をいう小沢氏にも起死回生の政策がないのは、あくまでも政局のひとだからである。

参政党の神谷氏が選挙中の街頭演説で繰り返したように、他党が参政党の政策に接近あるいはパクってくるとの予想が、おそらく正解であろう。

それで、参政党が「よし」とするのは、政策の実現が早まるという一点の理由だからだ。

すでに瀕死の石破自公政権が、このとおりのことをはじめている。

海水浴という昔ばなし

夏といえば海水浴だったのは、いまはむかしとなったようである。

かつて1日で100万人が集まった、三浦海岸や湘南江ノ島海岸は、三浦海岸で海の家が営業中止となって、江ノ島では海の家風の海浜バーの風情になっている。

少子化もさることながら、さいきんの若者たちは日焼けや潮水のベタ付きあるいは砂にまみれてスマホが使えないなどの理由で、かなり海水浴を嫌厭し、いるのはかつての若者たる中高年ばかりだという。

それで、4日、この暑い最中に我が家のテリトリーだった片瀬江ノ島西浜に行ってみた。

月曜ということもあるが、まばらな状態が予想通りだったけれど、客引きで声かけしてきた若者との会話で、世代のちがいを実感した。
ここ数年の体験で、「これがふつうの人出」だというのである。

そこで、上の昔ばなしをしたら、逆に驚かれたのである。

一日で100万人!?ありえない、という。
砂浜も海の中も、ひとで埋まっていた光景が想像できないらしい。
まさにイモ洗い状態だった。

いまは、子供がチラホラいるが、母親は波にさらわれるのをおそれて、服を着たまま波打ち際までにしかいかせない。
それに、砂浜で甲羅干しをしているのが、あんがいと白人女性だという発見もあった。
ただ、引き潮ではあったが、なんだか砂浜から海までの距離が縮んだような気がする。

これも相模川のダムの影響か?

もっとも、わたしが子供時分にはなかった、境川沿いに長く堤防が張り出した「片瀬漁港」ができたために、泳いでいけた江の島大橋が遠くなって、もちろんその分砂浜の海岸線も短くなったのである。

片瀬西浜の海の家は、陸側の間口も開かれている構造で、これは昔ながらではあるけれど、江の島大橋の鎌倉側に展開する東浜は、道路とフラットに作った小屋が点在してバーになっているだけでなく、浜に建つ海の家も陸側が閉じられている構造だった。

これは、風が運ぶ砂を入れないための工夫なのか?
海に対しての角度が変わる江の島に近い側のそれは、西浜と同じ構造なのである。

歩きやすい陸側から海の家を覗きながらぶらぶらしていたら、上で書いた若者に声をかけられた。
バーカウンターが空いていたからここでモヒートでもやろうとおもったが、冷房がない空間がむかしとちがって耐えられそうもないことに気づいた。

せいぜい30度から32度だった昔が、40度近くなるとキツい。

なるほど海が嫌われるのは、暑すぎる、という異常が通常になってしまったからか?

それで、せっかく来たからと江の島島内のむかしから世話になっている食堂にむかった。

島の入り口広場はひとでごった返していて、海水浴客ではないひとたちで溢れていたが、その多くは外国人、なかでも中国人が目立った。
大不況というのは嘘なのか?それとも、日本への移住者なのか?判然としないが、食堂の客の半分以上が彼らだった。

これも、昔にはなかった光景である。

しかし、食堂の女将さんやらすっかり高齢になった店員さんたちは、ぜんぜん平常で接客しているから、これもなんだか今様なのである。
写真付きのメニューだから言語対応はできなくとも、おそらく注文はかなり限定されるのだろう。

もちろん、客側がスマホの音声翻訳アプリを駆使して、日本語で話す練習をしてから注文をするという、われわれも外国でやることをしていた。

それにしても、この暑い江の島に、なにを観光しにきているのか?を聴いてみたくなる。

海水浴でないことだけは確かなのであった。

女帝マリア・テレジアの第9子

少子化時代に多産をいうのは、なぜか憚れる時代になった。

マリア・テレジアといえば、オーストリア・ハプスブルク帝国の女帝で有名だが、その第9子こそが、マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュである。

1976年(昭和51年)に世にでた池田理代子の『ベルサイユのばら』は、あまりにも有名で、その多くが史実に基づく(ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を参考としたという)とされる歴史絵巻のオリジナルフィクションとの混み合わせが秀逸なのはいうまでもなく、作家はフランス政府から「レジオン・ドヌール勲章(第五等:シュヴァリエ)」が2009年に授与されている。

もちろん、伝記の大家ツヴァイクも、あんがいと「講釈師みてきたような嘘をいい」の記述があるから、別途、最低でももう一冊ぐらいは読んでおいた方がいい。

とくに刺激的な、「パンが無いならお菓子を食べればいい」という歴史的なセリフとされる一言のデマがいまでも信じられている背景に、マリア・テレジアが按じたマリー・アントワネットの「深くかんがえない」性格についての不吉な予感が適中し、フランス宮廷での放蕩・贅沢三昧があったことは確かであるからだ。

原典はジャン・ジャック・ルソーの著述だというが、これが発表されたのはマリー・アントワネットがまだ8歳のウィーン暮らし中だから、誰が言ったのかを書かなかったルソーの創作だったかもしれない。

ときに、高価だったとはいえ、フランスはいまに続くアフリカやらの植民地化で、砂糖が一般化して、たしかに砂糖をふんだんにつかったお菓子が身近になっていた時代背景もある。
その典型が、西アフリカの奴隷労働から得られるカカオをつかったチョコレートだと、何回か書いてきた。

太陽王ルイ14世が絶対王政を築き、ブルボン王朝の最盛期をむかえることとなったが、その死を扱った映画『ルイ14世の死』は、絶頂から次は転落しかないことを暗示する名作だった。
そのルイ14世からルイ15世、それからルイ16世という曾孫と孫への王位継承は、この意味で慣性の法則が作動するだけの歴史なのである。

ここで、『ベルサイユのばら』文庫版第1巻から、その社会的慣性の法則をみてみよう。

P.223 王族にケガをさせて首がとばなかったのはおまえくらいだぞアンドレ むかしならやきごてと煮え湯で拷問のうえ車裂きだからな

P.240 1774年5月10日午後3時15分…ものすごい臨終の苦しみは終わった…… 黒々とふくれあがりくさりはてて顔もみわけがつかぬほどになったフランス国王ルイ15世の逝去であった

P.245 いまや古い時代は去った 若々しい19歳の国王と18歳の王妃……! フランス国民は熱狂し期待に胸をはずませてふたりをむかえた

このふたりが、断頭台の露と消える運命を読者はしっている。

そのフランスで、いま、王党派の復活があり、もしや「王政復古」だって?という状況がうまれているという。
これを、「もぎせかチャンネル」の茂木誠先生が対談動画をアップしている。

お相手は、日・仏(白百合と菊Lys et Chrysanthème)国体研究家にして「王党派」のポール・ド・ラクビビエ先生である。

ここで「国体」とは、日本なら天皇家(菊)、フランスならブルボン王朝(白百合)をいう。

じっさいにブルボン家ゆかりの貴族の血統を多少とも受け継いでいるラクビビエ氏は、フランス革命に逃れた王統がいまもスペインに存在し、数えれば「ルイ20世」になるという。

これが、マリーヌ・ル・ペンの政党との親密性で、「もしや」という。

フランスにおける「保守」とは、「王党派」のことだからで、実の娘たる「国民連合」党首のマリーヌ・ル・ペンに追放された父、ジャン=マリー・ル・ペンが創設した「国民戦線」は、もっとも王党派と親密だったという。

しかし、それでは支持者の範囲がせまく限定的だからとして、政権奪取のために実父を追放したのが娘だった。

これは、日本でぼーっとして生きていたらわからない情報である。

しかして、フランスは王党派が復活するのか?
そこで、どのような王朝が樹立されるのか?

まさか放蕩を繰り返すことにはならないだろうけれども、これを支える「貴族」たちがしっかり生き残っていることも、ヨーロッパなのである。

いまだに名前で身分をわけるのがまたヨーロッパで、ドイツの貴族には、「フォン:Von」または新興のそれには、「ツー:Zu」がつくし、ポーランドなら語尾に「スキー:-ski」がつく。

フランスでは「ド:de」なのだが、名前の管理が甘く庶民が勝手に自分の名前につけたから、やや眉唾の感がある。
本稿冒頭のマリー・アントワネットのオーストリーでの本名にも、「de」がある。

こうして、日本人には想像も出来ない中世以来の身分社会が続いているのである。