関東人で、「京都府木津川市」と聞いて、地図が思い浮かぶひとはかなりの関西通であろう。
京都府最南にして、東に隣接するのは奈良市である。
いわゆる「山城国」で、北東にはお茶で有名な和束町があり、南には名刹の浄瑠璃寺や岩船寺がある。
高校の現代国語の教科書に、堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』というエッセイがあって、修学旅行の際には、グループ自由行動で実際に訪ねたが、宿の京都三条から公共交通機関と徒歩とでは、ほとんど一日がかりであった。
やっとたどり着いて庭を散策した後に入った本堂では、たまたまか日常なのか不明だが、住職による「九体阿弥陀仏」の楽しい解説を聞いていたら、仲間が「バスがなくなる!」と叫ぶや、慌てて飛び出したことを覚えている。
「(話の盛り上がりは)ここからやのにどうなすった?」と聞かれ、「すみません、最終バスがなくなると帰れません」と答えるや、「どこまで帰るん?」「京都です」「あっ、それなら急ぎや、またいつか来るんやで」「はいきっと来ます」が最後の会話であった。
時計は確か、まだ陽が高い午後3時台であったか4時台のはじめであったかと記憶している。
こんな時間で「最終」なのが、まったくわからなかったが、再訪したのはそれから20年ほど後のことで、その二度目以来いまだに三度目はない。
一生に一回と、やっぱり文学がらみで『城崎にて』の城崎温泉の旅については、シリーズで書いた。
この帰り、丹波から一気に京都市内を南に抜けて、さらにたまたま木津川市を東に抜けて伊賀を目指したことがある。
どうしてこのコースにしたかは、土地勘がない中での適当なコースどりであったことは間違いない。
通過するだけであっても、なるべくマイナーな地域の雰囲気を味わいたかったからである。
それでももう一つちょっとした理由があって、たまたま東京の秋葉原から御徒町へ抜けるのに、JR線のガード下にある「日本デパート」を散策していたときに見つけた、「柿渋グッズ」(このとき購入したのは「枕カバー」)の製造元が木津川市にあるからだった。
わざわざ柿渋を採取するための専用種たる「渋柿」の栽培から自家でおこなっていて、そのクオリティが素晴らしく、洗濯せずとも何年使っても「匂わない」という驚きがあるのだ。
それで、高価だがシーツを思い切って購入しようと、久々にHPを検索したら、全商品が「売り切れ」になっている。
嫌な予感がしてダメ元で直接電話をしてみたら、先月末で「無期限休業(事実上の廃業)」したという。
もう最終処分のセールも終了し、電話の相手も今週の金曜日(本日)で退職して、店は無人になるというのだった。
念のために購入した「枕カバー」の逸話もしたら、売れ残っている商品がまだ少しあるとのことで、内容を聞くと、シーツに代用できそうな布があり、また、マスクなら数があるという。
説明では、シーツだと染め上げて商品にするのに、なんと3年から5年かけて何度も繰り返して染めては乾かして、さらに寝かせていることを初めて聞いた。
後継者が絶えたのは、今の3倍以上の価格設定にしないと手間賃が出ないことにあるという。
これを90歳越えの3代目ご主人が柿渋染の魅力を伝えるために、一人で作業をしていたが、もう体力的に限界になったということだった。
この店の商品の特徴である、「深い色」は、ご主人の献身的かつ完璧主義があってのことで、他店ではもっと染めが薄いのをもって商品としているのは、一種当然なのである。
つまり、こんな深い色の柿渋染は、この最終在庫をもっておそらく二度と手に入ることはない、ウルトラ希少品になってしまっているのである。
もしも後継者が再開するとしても、商品になるまでに3年から5年かかるため、「次回」手に入るとしてもざっと10年後とかとなって、そのときの価格は想像できない。
染めに入る前に、柿の栽培も再開しないといけないが、渋柿も実をつけるまで時間がかかり、なお、植えたうちの何割かほどしか育たない「効率の悪さ」だというのは、「桃栗三年柿八年」のとおりらしい。
それゆえに、柿畑は、予備の木の栽培のために、収穫量の数倍の面積も要する。
そんなわけで、処分品であれなんであれ買わずにはいられなくなって、ご退職・完全閉店前に滑り込み注文することにした。
翌日、届いてみたら「おまけ」に、「柿渋液」をいただいた。
こちらは、親類の方がやっている商品なので今後も手に入るという。
ご親戚は、柿渋液専門で、手間だけかかる染め物は販売していない。
もう自分で染めるしかない、というわけだ。
木綿のTシャツなら、半年は染めては乾かすことを繰り返し、さらに半年ほど畳んで「寝かせる」と出来上がるという。
今から仕込んでも、着ることができるのは来年だ。
ただし、柿渋液には独特の匂いがあるので、乾かすときにご近所には気をつかうことになるとかで、できれば戸建ての家の庭先が望ましいらしい。
できあがれば染め物自体にも匂いはなく、汗をかいても匂わない強烈な消臭力は、雑菌を繁殖させない強烈な殺菌力があるからで、さらに柿のタンニンは生地の繊維自体を強化もする。
大型の染め物となる、シーツやらともなれば、桶の中で足で何度も踏んでやらないと、繊維の奥に染み込まないというから、集合住宅住まいには不可能な作業だ。
それでもなんだか、いろいろと小物の染めに挑戦してみたくなった。