昨年暮れにアメリカへ注文した、「ロジクールMXキーボードミニ」がやっと届いた。
購入後の画面では、2週間ほども「国内配送中」であったのが、集配拠点に到着してすぐに、空港に届くやいなや「通関中」に変わり、そのまま飛行機が離陸した。
「飛行中」が1日あって、それからはものの数日で届いたのであった。
広さを密集にしてかんがえると、アメリカのサービス密度が薄いのは、空港までで、それからのスピード感は、あんがいと日本での通関よりも速いのかもしれないが、今度は、わが国の面積が狭く密度が高いので、到着のフィニッシュには加速度的なものを感じたのである。
まさか、いかに「ガジェット」とはいえ、電子機器でも外国から個人輸入ができるように、生きている内にふつうになるとはかんがえていなかった。
小学生のころ、祖父が生まれた群馬の田舎に、「マグロの册」を氷で満たしたアイスボックスに入れて、兄弟姉妹たちの家に配って歩いたことがある。
そのたびに各家で、却って御馳走になったものだが、兄弟姉妹の爺さんや婆さんが、全員揃って、泣きながらマグロの刺身を食べていたのを見ていたのである。
そして、これまた揃って全員が、「生きている内にこんなうまい刺身を口にできるとはおもわなかった」と、見事におなじことをいっていた。
さほどに、流通が未発達で、刺身にする魚の冷凍技術も稚拙だったにちがいない。
これがほぼ半世紀前のことである。
いまでは、群馬の山奥の旅館で、沼津から運ばれた魚の刺身がメインディッシュになっている。
山梨県民の、マグロ好きは、とうとう1人あたり日本一の消費になっているけれど、それもこれも、「珍しくて食べられなかった」時代の反動なのだろう。
これを嗤えないのは、漁港にいけば「安くてうまい魚が食える」という、刷りこみが解けないことも同様なのである。
いまや、わが国近海で獲れる魚はドンドン減って、冷凍魚の輸入拠点が「漁港」といわれるようになっている。
さてそれで、ロジクールMXキーボードミニをなぜにアメリカに注文したかといえば、「国内正規品」は、ぜんぶ「日本語キーボード(「仮名入力キーボード」)」で、わたしが好む「ローマ字入力キーボード(通称「英語キーボード」)を売っていないからである。
通称、「日本語キーボード」の各キーに印字されている「平仮名」をそのまま打つためのキーボードを、わたしはつかうことができなくて、できるのはローマ字入力だけだから、が決定的な理由である。
売っていないから、売っているところで買うしかない。
アメリカ国内送料が無料で、米・日の通関手数料と航空貨物運賃と日本国内配送料が加算されるのだけれども、日本国内正規品を消費税込みで買うのと総額では余り変わらず、やや安いかもしれないのは、元が半額に近く安いからである。
もちろん、アメリカ人が「仮名入力キーボード」を愛用しているはずもなく、アメリカ人の年収からしたら、かなりお安いガジェットといえる代物が、日本人にはもう「高級キーボード」の部類になっている。
これも、「ビッグマック指数」とおなじなのである。
「英語キーボード」というので、あたかも「日本語入力」をどうやってするのか?に不安を感じるひとが多数いるらしいが、本質的には「ローマ字入力キーボード」だから、検索すれば出てくる方法は、ぜんぜん面倒なことはなく、Windowsユーザーなら、左・右の「Alt」キーを「英数字」・「日本語」に割り当てる無料ソフトまであるから、あたかも「無変換」・「変換」とおなじ機能になるのである。
Wordで、「Alt」を押しながらタブ設定したいなら、このソフトを一時的に解除すればそれで済む。
このキーボードの長所であり短所は、電源が「内蔵充電式バッテリー」であることだ。
なので、見た目よりも重量がある。
電池容量をたっぷりとったからだろう。
ロジクールには、「ワイヤレスキーボードK380」という、4000円程度の「名機」がある。
こちらには、「英語キーボード」も販売しているけれど、「乾電池式」で長く使えそうのが、「帯に短し襷に長し」となって悩ましいのである。
富士通がリコーに会社ごと売却した、「PFU」の静電容量無接点式「HHKB」シリーズは、ハイブリッド機ならどれも、「乾電池式」だったのは、内蔵バッテリー寿命を意識しないで長く使えるというこだわりだった。
もちろん、エネループなどのニッケル水素電池もつかえる。
そんなわけで、本当はキーボードなしのPCがあればいいとおもうのだが、タブレット型のWindowsPCがあまりに低機能なので、残念だった。
販売不振のアップルは、iPadの新型を3月に投入するらしいけど、そのうちiPadでWindowsが動くようになるのだろうか?
超過剰スペックで高級品になっているのを、お手ごろにしてくれたらいいなと、おそらく永遠に思わせられるのだろう。
決定版をつくる能力も根性も、日本にはなくなってしまったのが恨めしい。