「MXキーボードミニ」が届いた

昨年暮れにアメリカへ注文した、「ロジクールMXキーボードミニ」がやっと届いた。

購入後の画面では、2週間ほども「国内配送中」であったのが、集配拠点に到着してすぐに、空港に届くやいなや「通関中」に変わり、そのまま飛行機が離陸した。
「飛行中」が1日あって、それからはものの数日で届いたのであった。

広さを密集にしてかんがえると、アメリカのサービス密度が薄いのは、空港までで、それからのスピード感は、あんがいと日本での通関よりも速いのかもしれないが、今度は、わが国の面積が狭く密度が高いので、到着のフィニッシュには加速度的なものを感じたのである。

まさか、いかに「ガジェット」とはいえ、電子機器でも外国から個人輸入ができるように、生きている内にふつうになるとはかんがえていなかった。
小学生のころ、祖父が生まれた群馬の田舎に、「マグロの册」を氷で満たしたアイスボックスに入れて、兄弟姉妹たちの家に配って歩いたことがある。

そのたびに各家で、却って御馳走になったものだが、兄弟姉妹の爺さんや婆さんが、全員揃って、泣きながらマグロの刺身を食べていたのを見ていたのである。

そして、これまた揃って全員が、「生きている内にこんなうまい刺身を口にできるとはおもわなかった」と、見事におなじことをいっていた。

さほどに、流通が未発達で、刺身にする魚の冷凍技術も稚拙だったにちがいない。
これがほぼ半世紀前のことである。

いまでは、群馬の山奥の旅館で、沼津から運ばれた魚の刺身がメインディッシュになっている。
山梨県民の、マグロ好きは、とうとう1人あたり日本一の消費になっているけれど、それもこれも、「珍しくて食べられなかった」時代の反動なのだろう。

これを嗤えないのは、漁港にいけば「安くてうまい魚が食える」という、刷りこみが解けないことも同様なのである。
いまや、わが国近海で獲れる魚はドンドン減って、冷凍魚の輸入拠点が「漁港」といわれるようになっている。

さてそれで、ロジクールMXキーボードミニをなぜにアメリカに注文したかといえば、「国内正規品」は、ぜんぶ「日本語キーボード(「仮名入力キーボード」)」で、わたしが好む「ローマ字入力キーボード(通称「英語キーボード」)を売っていないからである。

通称、「日本語キーボード」の各キーに印字されている「平仮名」をそのまま打つためのキーボードを、わたしはつかうことができなくて、できるのはローマ字入力だけだから、が決定的な理由である。

売っていないから、売っているところで買うしかない。

アメリカ国内送料が無料で、米・日の通関手数料と航空貨物運賃と日本国内配送料が加算されるのだけれども、日本国内正規品を消費税込みで買うのと総額では余り変わらず、やや安いかもしれないのは、元が半額に近く安いからである。

もちろん、アメリカ人が「仮名入力キーボード」を愛用しているはずもなく、アメリカ人の年収からしたら、かなりお安いガジェットといえる代物が、日本人にはもう「高級キーボード」の部類になっている。

これも、「ビッグマック指数」とおなじなのである。

「英語キーボード」というので、あたかも「日本語入力」をどうやってするのか?に不安を感じるひとが多数いるらしいが、本質的には「ローマ字入力キーボード」だから、検索すれば出てくる方法は、ぜんぜん面倒なことはなく、Windowsユーザーなら、左・右の「Alt」キーを「英数字」・「日本語」に割り当てる無料ソフトまであるから、あたかも「無変換」・「変換」とおなじ機能になるのである。

Wordで、「Alt」を押しながらタブ設定したいなら、このソフトを一時的に解除すればそれで済む。

このキーボードの長所であり短所は、電源が「内蔵充電式バッテリー」であることだ。
なので、見た目よりも重量がある。
電池容量をたっぷりとったからだろう。

ロジクールには、「ワイヤレスキーボードK380」という、4000円程度の「名機」がある。
こちらには、「英語キーボード」も販売しているけれど、「乾電池式」で長く使えそうのが、「帯に短し襷に長し」となって悩ましいのである。

富士通がリコーに会社ごと売却した、「PFU」の静電容量無接点式「HHKB」シリーズは、ハイブリッド機ならどれも、「乾電池式」だったのは、内蔵バッテリー寿命を意識しないで長く使えるというこだわりだった。

もちろん、エネループなどのニッケル水素電池もつかえる。

そんなわけで、本当はキーボードなしのPCがあればいいとおもうのだが、タブレット型のWindowsPCがあまりに低機能なので、残念だった。

販売不振のアップルは、iPadの新型を3月に投入するらしいけど、そのうちiPadでWindowsが動くようになるのだろうか?
超過剰スペックで高級品になっているのを、お手ごろにしてくれたらいいなと、おそらく永遠に思わせられるのだろう。

決定版をつくる能力も根性も、日本にはなくなってしまったのが恨めしい。

非常時給水情報の噴飯

自然災害は、だれでも被災者になる可能性があるので、他人事ではない。

ことしの元日の地震による被害は、想像以上に多大なようで、被災者にはお見舞いの言葉もない。
ましてや冬の北陸だから、さぞかし寒さがきつかろう。

こうした自然災害は、生活インフラを痛めつける。
なので、こないだは「通信」のことを書いた。

今回は、生存に必須の、「水」のことである。

テレビの全国放送で、細かな地域の給水情報を流す意味がどこまであるのかしらないが、アナウンサーは、どこで何時からの次に、「水がなくなるまで」という言葉を地区単位の都度、繰り返すので、だんだん不安になるのである。

給水車の水がなくなったら、給水を終えます、というのは、いちいちいわないといけないことなのか?

しかし、それから少し違う場所が対象になったら、どこで何時からの次に、「何時まで」とアナウンスするようになった。

つまり、「水がなくなるまで」と「何時まで」が、使い分けられているのである。

すると、「何時まで」とアナウンスされた地区での給水は、かなりふんだんな台数の給水車が用意されているという意味なのか?
それとも、想定被災人数あたりの想定量がある、ということなのか?
その時間までなら、給水を保障するかのようにとれるのである。

コミュニケーションは、「双方向」なので、「卵が先か、鶏が先か」という相互関係があるものだ。

なので、ここまで「水がなくなるまで」を全国放送で繰り返すのは、横入りもせずにちゃんと並んでいても、目の前で、「水がなくなった」という状況に我慢ならないひとたちがいた、ということを怖れるのか?を疑うのである。

「だから、水がなくなるまで」っていったでしょ、というわけである。

はたして、給水車はぜんぶで何台あって、どこで水を補給しているのか?
給水車の「水源」のことだ。
もちろん、給水車も燃料がないと動けないから、どこで燃料も補給しているのか?

近代水道が日本で最初にできたのが、横浜だったのは、船への給水需要からであったので、これも「外圧」だといえばそうなる。
幕府が作らせた、「玉川上水」をどうして近代水道といわないのか?の方が気になるけれど、能登における「水」は、水道ができる前にはどうしていたのだろう?

余談だが、帝都東京への水道網より、台湾で先に完成させた当時の日本政府は、なにをかんがえていたのか?

そんなわけで、水道水に頼らないで済む地区なりがどう分布しているのか?
あるいは、そうした水脈が地震で切れてしまった地区がどう分布しているのか?

とはいえ、ひとびとは、給水してもらうのに、どんな容器を持っていくのか?

いわゆる「一斗缶」の容量の、18Lポリタンクは「灯油用」としてあるけれど、ふだんから「飲料水」を入れるためにふつうは保管してはいない。
となると、バケツか?

地方のひとは、生活に自動車を保有している。
能登半島がどうだかしらないが、富山県はたしか、家族の人数分の自動車普及率で日本一だったから、それに近いのか?

また、日本独自規格の、「軽トラ」が地方では「足」だから、重い水を受け取りに重労働をしなくともいいかもしれないけれど、ガソリンに余裕がないといけないし、道路の陥没とかという障害も発生するのが、自然災害の厄介な点である。

これを、地区ごとに「代表」を買って出て、隣近所に配るということをしているひとは、どれほどいるのか?

この意味で、テレビ局は、自力で飲料水を受け取りに来い、といっているわけであるけれど、ひとりとか一軒につき「何L」かのアナウンスがないのは、持てるだけ与えるということなのだろう。

すると、ふだんから防災意識が高い人はたえず自動車の燃料を「満タン」にしているのが「よかった」になるのだろうし、飲料用空きタンクを保有していることの「先見性」もあるはずだ。

しかし、これが都市部だとそうはいかない。

むかしから、「災害列島」ではあるけれど、役所も、放送局も、役に立たないのは、いつの時代もおなじなのである。

これは、被災者目線での問題整理をやらずに、あいかわらず「プロダクトアウト(与える側)」の目線でしかないのが、こうした「業界」の常識で固まっているからなのだろう。

そんなわけで、都市部用のマニュアルと地方のマニュアルがあっていいけど、被災者が情報提供してくれるとありがたいのである。

衝突防止予算請願署名をしよう!

先日書いた、深田萌絵女史が、本件の請願を取り仕切っている。

ご賛同いただける方には、是非ご協力をお願いしたい。

それにしても、このような「請願」をしないと、動かない国になったことを、誰に請願すればいいのか?がわからなくなった。

女史による「事故原因」とみられる、複合的な問題の指摘は、次の5点に集約できる。

⑴ 海保側の管制マニュアルが更新されていない可能性
⑵ 最新のトラスポンダ(位置識別装置)が、予算不足で海保機に搭載されていなかった
⑶ 管制官が、聞き間違い防止のための「Hold short of」という用語を用いていない
⑷ 常時レーダー監視する専門員が予算不足で不在だった
⑸ 事故待機場所、「34R」にストップ・バー・ライト(非常時警告灯)が故障のままだった

ようは、これら5つの問題が、同時に発生したことが、事故原因だと考えられると、女史は発信しているのである。

しかし、これらは「安全管理」上、ぜんぶが、「ありえない」部類になって、その管轄は、ぜんぶ、国土交通省に集約できるものなのである。

海上保安庁も、航空管制も、さらに、羽田空港施設の設置も、国土交通省の管轄なのである。

事故というものは、たいがいが、「まさか」から発生するので、その「まさか」を事前に想定して現実化しないように予防する措置をするのが、「安全対策」である。

すなわち、国土交通省は、省をあげて、「安全対策を怠った」という、もはや業務上過失致死を、「組織」として適用されてもおかしくないのである。
それを、唯一生存した海保機長ひとりに責任をおしつけるのは、もはや組織的な隠蔽で、その罪深さは、もっとこの役所への刑事罰をどうするのか?に発展しないといけないレベルだ。

こんなこにとなったのが、今回の事故であって、「被害者遺族」からの目線なら、国土交通省の職員たる海上保安庁の5名もの職員が、殉職してしまったのを、せめて「労災」にすべきではないのか?

JAL機側に死者がなかったのは、国土交通省が指導している安全基準を守ったからで、まことに、国土交通省のお粗末は、他人に厳しく自分に甘い、およそ「行政指導」も今後バカにされるような失態を犯したのに、責任者が空とぼけているのは、国民として怒りを通り越してしまった。

悪い予感がする、東京都知事の警視庁への介入疑惑が、公明党への支持取り付けとバーターなら、もっと酷いことが、サイコパスを選んだ都民の前で行われていることになる。

とはいえ、これらへの怒りと不安を飲み込んで、事故防止という現実に立ち返れば、いつ自分も羽田だかどこだかの飛行場で、似たような事故に遭遇するともかぎらない。

この意味で、深田萌絵女史の「請願運動」の開始行動は、あっぱれなのである。

次は、何人の署名を集めて、それを国会議員の誰が受理して現実の予算化を果たすのか?という順でのチェックとなる。

それもこれも、国民が個人がチェックすべきことではあるが、深田萌絵女史が発信してくれるだろうけど、マスコミが無視するのも「見もの」となった。

むかし、カンボジアだかの「選挙監視」で、国際協調したことがあったけど、残念ながら日本人民間ボランティアのひとがお亡くなりになるという、激しい選挙という名のテロがあった。

このとき、日本政府の高官が、「(犠牲者が)民間人で良かった」と失言して、問題になったことを覚えている。
もしも役人(あるいは自衛隊員)だったらもっと責任が重くなる、という、鬼畜の発想をしたのであった。

このときは、あたかもこの高官の人格的問題だとして片づけられたが、いまや、組織が絡みで、そのトップが、選挙で選ばれた国会議員が複数人も務めているのである。

すると、わが国の「議員内閣制」は、本家英国でもおかしくなっているように、どうにもならないところまで腐っているとしかいいようがない。

もはや国会で機能しているのは、国会図書館だけになってしまったけれど、議員の数の多寡を議論するのではなくて、国会の機能不全をなくすための議論をしてほしいものだけど、与党はこれに乗らないのは、いまのままが都合がいいからだ。

あゝ、選挙が待ち遠しい。

江戸深川七福神巡り

何年前からやっているのか?お正月の風物詩となったのが、七福神巡りである。

このブログにおける、「七福神」の初見は、2018年であるから、かなり古い。

今年は、タイトル通りの江戸深川七福神巡りである。

巡り方での出発点をどこにするかも自由だから、人の流れも交差する。
東京の地下鉄公共交通網は素晴らしく、東京メトロなら、「門前仲町」と、「清澄白河」、都営地下鉄なら、「門前仲町」、「清澄白河」、「森下」の各駅が、それぞれに「交差」している。

矢島正雄原作、弘兼憲史作画の、『人間交差点 -HUMAN SCRAMBLE-』は、1980年から90年まで、小学館の『ビッグコミックオリジナル』に連載された漫画で、全部で232話あったのを思い出した。

一話読み切りは、見事な短編小説を読むようで、漫画をあまりみないわたしでも、感心した作品群である。
「青年漫画」と呼ぶらしいが、「成人漫画」とすると意味がちがってしまうのも、「交差」している。

隅田川を渡った対岸の狭いエリアに、深川七福神は点在しているけれど、何度も繰り返した江戸の大火で、お寺も引っ越してきて、広大な寺院がひしめく寺町を形成しているのも、「はかが行かないお寺の引っ越し」という言葉ができた原因だろう。

「はかどらない」ことを、「お墓」とかけてつくった文句だけど、これも「連歌」の粋な風習があってのことである。

そういえば、『東海道中膝栗毛』でも、事件のたびに「ここで一句」でひねり出しては、大笑いしている。
江戸庶民は、いまとちがって「クリエイティブ」さが誰にでも浸透していた。

そんなわけで、わが一行は、門前仲町駅をスタートして、富岡八幡宮の境内にある、恵比寿様をもって一番とした。
それで、「仙台堀川」を挟んだエリアにある、弁天様と大黒様、毘沙門天と福禄寿で、門前仲町駅まで一回りして、「深川東京モダン館」なる、江東区の観光拠点で一服した。

ここには、デロンギ製(じつはルーマニア製)のコーヒーマシンがあって、地元コーヒー店に特注した、「モダン館ブレンド」を、一杯100円でいただけるのである。

ついでにレギュラー・コーヒーとしても袋詰めで販売していて、「七福神巡りのお客」をターゲットにしているらしかったが、どこまで「モダン館の存在」が知れ渡っているのか?については、あんがい無頓着なようであった。

いま、どちらの自治体も、「観光戦略」なるムダ仕事に熱中しているのは、むろん、観光庁なるムダな役所が、ムダな予算を財務省から得て、ムダにばらまいているからで、もらった側の自治体は、ムダを承知で「使い切り」を画策するのは、官公庁予算というものの性(さが)なのである。

そもそも、この文化財建築の「モダン館」とは、公営食堂であったのである。

なんで「公営」なのかといえば、「安く食事を提供した」というけど、「安く提供しないといけない」社会事情があったのであって、その原因は、大正7年に発生した、「米騒動」であった、と「来歴」に書いてある。

つまり、いまでいう「暴動」が、全国展開して、「やばい」と感じた政府役人が発想したのが、これ、だったというわけである。

「公営食堂」としては、昭和12年に廃止となるが、その後も「深川栄養食配給所」といって存続したという。
この、「存続理由」についての説明文はみあたらない。
それでも、よくぞ焼け残ったということなのであるが、戦後は完全に食堂機能を停止した。

こうした古い建築の妙は、「手間を惜しまぬ仕事」がみてとれることで、いまでは再現も困難なタイルの美しさが印象深い。

「公営」だからといって、無機質な「ポスト・モダン」なる妙なものとちがって、「モダン」とは、丁寧な仕事を普通としたのだったのだとよくわかるのである。

こうやって納得してから、小名木川を挟んだエリアの、布袋様と寿老人で満願である。

しかして、わが一行は、元祖カレーパンのカトレアさんに立ち寄り、昨年3月にリニューアルした「常磐湯」で一風呂浴びて、もつ煮の名店「三徳」が、この小旅行のゴールなのである。

横浜では味わえない、粋な江戸は、やっぱり大都会なのである。

学校対抗の意味

ずいぶん前に、「愛校精神がない国」として、ポーランドの事情を書いた。

社会主義が徹底されて、大学はぜんぶが国立となって、私立を認めなかった。
入学には、わが国の、「大検」のような、全国一律の試験があって、その合格者なら、どこの大学にも進学できた。

それだけでなく、教授陣の配置も、「まんべんなく」したので、高校生はどの大学の何教授に教わりたい、ということが、自宅に近いことと二分する学校選択のポイントになったのである。

ただし、入学後に気がつけば、すきに学校を変えることもできるのは、取得単位が全国共通であるからだ。

また、ポーランド国立大学の特徴に、学費が無料、ということもある。

しかし、ただほど高いものはない、の諺通り、学生は勉学が本業なので、履修届を出した講座を一つでも落第すると、たちまち「退学=放校」処分となるのである。
だから、「留年」という概念もない。

その試練は、入学してすぐの期末試験からはじまって、教授連は「学生の将来のために」という親心から、なるべく早く「落第」の結論を出して、専門職への転向を促すという。

人生における若い時期の貴重な時間を、ムダな勉強に費やすのは本人のためにはならないから、という共通認識のようである。

そんなわけで、ポーランドでは、大学卒業は「国家資格」であって、どの学校を卒業したのか?ということはぜんぜん意識されない。
ために、学内のスポーツクラブにおける、大学対抗試合も、あまり盛り上がらないという。

これは、社会主義体制から自由主義に転換されても、国立大学卒=国家資格の制度に変更がなかったからだ。
ために、いまだにポーランドには、私立大学は存在しない。

首都にあるワルシャワ大学を、「ポーランドの東大」と紹介して、変な権威づけをするのがわが国のマスコミの悪いところで、まったく現地事情を無視している紹介の仕方である。

あえて「東大」を引き合いに出すなら、ポーランドの大学は全部が「東大」なのである。

地名があるのは、「校舎名」として、「駒場東大」とかとおなじだ。
だが、留年はできない。

こうしてかんがえてみると、高校の無償化とか大学の無償化が叫ばれるのは、日本もポーランド化するのか?という問題提起に見えるのである。

もちろん、かつてポーランド人たちは、共産主義教育を強制されたから、『共産党宣言』に教育の無償化があるのを知っているはずなのに、自由主義になってもこれを継続している不思議がある。

とはいえ、大卒の若者が、国内ではなく外国へ渡ってしまうか、よしんば国内に留まっても外国企業に就職する実態ばかりとなったので、ポーランド人も大学の無償状態にようやく「おかしい」と思いはじめたようではある。

一方で、日本人の大半は、まともに『共産党宣言』を読んでもいないし、興味もないから、「ただになる」ことを単に歓ぶ乞食と、ただほど高いものはないと警戒するひととに別れて、なお、子供がいないひとには、どうしてそんなことに自分が払った税金が使われるのだ?というひとが混じるのである。

私学助成金を最後まで受け取らなかった慶應義塾が陥落して久しくなったら、事実上、わが国の大学はぜんぶ国営化されたも同然なのだ。
しかし、これを誤魔化すのに、「国立大学」を、「国立大学法人法」なるへんてこりんで、運営予算を大幅カットする挙に出たのが、文部科学省という腐った組織である。

つまり、国立だろうが私学だろうが、困窮化経営にさせて、とにかく全部の大学を、カネで牛耳ろうという利権構造を完成させた。

ここには、若者の人生をどうするのか?の親心は微塵もなく、中高年の役人天国を構築したから、見事に公金チューチューする、吸血鬼たちなのである。

そんなわけで、学校対抗の主にスポーツは、オリンピック選手とおなじで、吸血鬼たちの娯楽に貢献する、哀れな奴隷が頑張る姿なのである。
ローマのコロッセオで、腹を空かしたライオンと素手の奴隷を闘わせたごとくの野蛮が、テレビ中継されている。

そんな日本は、ポーランドに一周遅れで、外国か外国企業しか就職先がなくなるのに、無償化というのは、やっぱり誰のためかを忘れたためなので、哀れも何もない、ただただ外国企業が歓ぶ愚策なのである。

さては、「学校対抗」は、全部が「私学」になっての「華」だといえる。

もちろん、私学助成金は必要ないので廃止して、ついでに文部科学省なるムダも排除する。

すると、学費をどうするのか?が問題になるけれど、学校におカネを入れるのではなくて、家庭におカネ(教育クーポン券)を渡して学費負担を軽減させればいいのである。
単価×数量が、すべての売上の計算式だから、学校経営は数量(生徒や学生数)をどうするのか?に集中させると、特徴ある教育方針・教育内容・教育品質がなければ集まらない。

これが、秘訣なのである。

高価で贅沢品になったファストフード

お節(料理)に飽きたら、(レトルト)カレー、という、刷りこみがすっかりできていたのが、いまでは、「ファストフード」になった感がある。
これはこれで、脳が欲して、無性に食べたくなる、のだと思いこんでいたら、じつは「腸(内悪玉細菌)」が出す物質に、脳が冒されているからだという。

購買力平価で最も有名なのが、「ビッグマック指数」だ。

世界の通貨価値を比較するのに、「ビッグマック」を基準にしようというもので、わたしの記憶では当初は、シンプルに「ハンバーガー」であった。

むかしは、マクドナルドのハンバーガーといえば、100円だったので、日本円を基準に比較するにはわかりやすかった。

残念なことに、わたしがエジプト・カイロに住んでいた頃の83年から85年には、まだマクドナルドは進出していなくて、ケンタッキーフライドチキンが出店したのが衝撃的だった。

世界統一規格の店舗設計なので、ここはどこか?と思わせてくれたものだが、当時のエジプトには巨大な養鶏場がなかったので、そのチキンの味は、日本よりもうまかった。
わたしの味覚がおかしくなっているかもしれないので、新しく東京から着任したひとを数日内に「連行」して、「あれ?なんだかおいしい!」を確認していた。

しかし、店内がガラガラだったのは、日本よりやや安かったものの、エジプト人にはあり得ない高価で贅沢な食べ物だったのである。
ケンタッキーフライドチキンは、富裕層がドヤ顔で食べるものとなっていたのである。

いまやマクドナルドには、ずいぶんと旨くなったコーヒーだけでしか利用しないので、何かを食べるということはここ十年来記憶がない。
なので、注文カウンターから、ハンバーガーの記載がなくなって、いま販売しているのか?もしらない。

「インフレ目標2%」を掲げて、なんとかのひとつ覚えを10年も続けた、黒田総裁の日銀は、この意味で「異次元の緩和」しかオプションがない、気の毒な状況にあった。

経済政策を日銀に丸投げした、「アベノミクス」のインチキを、どういうわけか「支持する」論を張っているのが、右派で、どうかんがえても左派から批判される筋合いはないのに、左派の高齢者たちの、「アベ政治を許さない」が、わたしにはいまだに理解できないでいる。

こうした高齢者(おそらくかつての全共闘とか全学連)は、立憲民主とか共産党の政権がまったくおなじ政策を掲げたら、大拍手するのに、「なんで安倍なんだ?」ということで、「許さない」と叫んだとしかおもえないのである。

つまり、嫉妬である。

もちろん、沸騰した景気に水をさすために中央銀行がやる「金利を上げる誘導」は、それなりの効果があるったのだろうけど、冷え込んだ景気を中央銀行が「金利を下げたら熱くなる」ような単純なものに、経済はできていない。

それに、経済構造自体がデリバティブとかの金融工学の複雑化によって、通貨価値を中央銀行がコントロールすることは、もう困難になっている。
サブの通貨、たとえば証券・債券とかがそれ自体だけで流通しているのである。

この意味で、大蔵省証券局と銀行局が、「現場部局」としてあったのは、合理的だ。
これらを支配する、「管理部局:大臣官房」の高圧的な態度こそ、官僚の官僚たるゆえんなのである。

こうした構造は、民間企業もおなじで、やっぱり「管理部局」が企業組織の要となっている。

どちらにせよ、アベノミクスは、日本経済の衰退を止めることに失敗した。
いや、むしろ、衰退させるためにやっていたのではないか?

完全に、アメリカ民主党のATMに成り下がって、国富を外国にばらまいているのである。

もはや、アダム・スミスの『国富論』『道徳感情論』は、高校生に読ませるぐらいのことをやった方がいい。
本当は、『武士道』とか『葉隠』あるいは、水戸学の会沢正志斎の『新論』に、頼山陽のベストセラー、『日本外交』といいたいところだけれど。

そうやって免疫力をつけたら、大学に進んでも、サヨク崩れの二流教授からの洗脳に耐性をもつというものだ。
いまの大学は、一流と二流が反比例して、難関有名校に一流教授が減って、それなりの大学に一流の教授がいるのは、サヨク教授会が仕切る「お仲間人事」の効果がそうさせている。

そんなわけで、円安(国力減衰)もあって、本稿冒頭のリンクを観たら昨年7月のデータよりも厳しいことになっている。
「ビッグマック」は、世界トップのスイスで1000円ほどであったが、いまは1500円ほどとなっている。

なお、このデータでは、日本の450円も古くなって、いまは500円だ。
二倍少々の差だったのが、三倍に拡大した。

わたしがエジプト・カイロにいた時期に休暇でスイスを旅したときは、スイスフランは98円(≒100円)で換算していた。

もはや、わが国が別の国になったのである。
今のレートは、167円/スイスフランで、円の価値は6割も減ったのだ。

ところで、ケンタッキーフライドチキンはどうなのか?
いま、たかが6ピースセットで2190円(税込み)となっている。

余談だが、「消費税は価格に含まれる」、という東京地裁の判決があるので、「税込み」とわざわざ書かず、「総額表示」とするのが、やっぱりお国の意向に合致する。

日本人がエジプト化しているのは、これも、要素価格均等化定理が効いているからであろう。

もっとも、日本人の寿命も縮みだした。
ファストフードが高くて食べられないのは、一生涯の健康をかんがえたら悪いことでもない。

お母さんの手料理が、やっぱり本当の贅沢なのである。

一応、明日は早くも「七草」である。

陰謀論ではなく真実でした

ニュースの重みとして、アメリカでは3日にニューヨーク連邦地裁で発表された、「名簿:エプスタイン・リストとか文書」が新年早々の大騒ぎになっている。

ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所のロレッタ・プレスカ判事は昨年12月18日に、ジェフリー・エプスタイン元被告(故人)をめぐる性的人身売買と児童買春疑惑のことで、元被告側を手助けした仲間170人以上の名前を公表するよう求める命令を出したことの結果である。

これは、「エプスタイン島」への搭乗者名簿のことである。
プライベート機であれ、搭乗者名簿は作成される。

公表されたくないひとは、1月1日までに申請せよとのことであったので、いつ公開されるか(新年2日か?)と待ちわびることになっていたのが、1日延びて3日になったのである。

あちらは、クリスマス休暇として二週間ほど休むけど、それは昨年内のことで、日本のように「松が開けるまで」という概念はなく、新年いきなりビジネス開始となるのだ。

なお、公開を拒否申請したひとがいなかったのは、「島に行っただけ」とする方が、拒否を表明するよりも弁護に都合がいいという判断ではないかという。

この島での信じられない「接待」は、あたかも古代帝政ローマ第二代皇帝、ティベリウスの「カプリ島」での実話を彷彿とさせる。

衣食住に足りて、なお、時間を持てあますと、人間はかくも堕落するものか?

富豪となったエプスタインは、自己の性癖を他人と共有するという、見事な堕落で、「類は友を呼んだ」のである。

その筆頭が、ビル・クリントンで、その妻ヒラリーの名前もあるという。
このご夫婦は、とにかく(変態を)否定しているのが、なんだか痛々しい。

さらに、いったん和解している英王室のアンドリュー王子の名前もあるし、アメリカ人が驚愕した、連邦最高裁長官の名もある。
とにかく各界の著名人たちが、「搭乗」して入島していたのである。

これらは、ぜんぶ「陰謀論」として扱われてきた。

なお、著名人の中でも、超有名人たちの何人かが、アメリカを離れて「移住」しているのは、逮捕を免れるためだともいわれている。

そして、珍しくもニューヨーク州にあって、共和党の判事、ロレッタ・プレスカ女史には、おどろおどろしいまでの圧力と脅迫(命の危険)があったという。

しかし、とうとう「本物」が公開されて、陰謀論は吹き飛び、「真実」として、中心的な民主党員(大半がオバマ派)やその支持者たち(もちろんRINO:Republican In Name Onlyも)が、大慌てしているのである。

最近、トランプ氏の選挙名簿からの抹消について、民主党内からも批判があるのは、却って民主党の「民主主義が偽物」であることの宣伝になるとしているのは、この名簿の公表が決まってからのことなのである。

ウソとでっち上げばかりをしてきた民主党の仮面が剥がれ、真実をもって対抗するのが共和党トランプ派なのだ、ということが、もはや陰謀論ではなくなった。

前に書いた、ニューヨークタイムズの「トランプしかいない」という驚きの記事も、この発表直前のことで、サヨクが蜘蛛の子を散らすごとくの逃亡をはじめたのである。

彼らの発想からしたら、トランプ派が権力を取り戻したら、彼らがやった汚いやり方をもって、自分たちがやられる、と思いこんでいるに違いない。
はたして、トランプ派は、そんな愚か者ではないだろうから、あくまでもこの邪悪に満ちたひとたちは、トランプ派を理解していない。

おそらく、もっとちゃんとしたでっち上げではない証拠をもっての方法で、「排除」するだろう。
たしかに、逃れようがない、という意味では「逃げるが勝ち」になっている。

とはいえ、トランプ派とて、絶対神のような完璧さはありようがないけれど。

ところで、羽田の事故も、この名簿発表を日本で報道させないためではないか?とか、能登半島地震に、アメリカ(民主党)からの援助は受ける(エマニュエル総督から当日に言われた)が、台湾からの支援を岸田政権が断ったのは、どういう魂胆か?とかと、新しい陰謀論が出てきている。

じっさいに、羽田の事故に関しては、どういうわけかアメリカなど海外の報道(たとえばCNNとか)と、日本国内の報道に「齟齬」がある。
詳しくは、深田萌絵女史がYouTubeで解説してくれていて、おそらく「結論」になっているとおもわれる。

関連して、「123便」をずっと追及している、ワタナベケンタロウ氏の動画も、わかりやすい。

なお、123便に関しては、相変わらず「陰謀論」扱いされているけれど、2022年10月13日、東京地裁は遺族がボイスレコーダーなどのデータの開示を求めた裁判で、請求を棄却する判決を出しているのを何とみるか?

ようは、われわれは、航空機事故の最大資料の内容の確認が許されないままにあるのである。
しかも、史上最大の事故の、ボイスレコーダーの記録が隠されているのに、もう誰も気にもしなくなっている。

アメリカ人が羽田の事故原因にこだわるのは、航空機が日常の移動手段であるアメリカ人にとって、たとえ日本でのことでも、「自分事」になる可能性があるからである。

この点で、国土交通省は、まったく信用できない、と「あの」CNNが英語で放送しているのを、日本人は英語がわからないのをいいことに、日本語シャワーで別の原因にすり替える努力がされている。

まことに、文部科学省が仕切る「英語教育」が、「英語嫌い大量生産活動」として、政府に都合がいいのである。

こんな隠蔽があるのに、「陰謀論」とするひとたちの根拠はなにか?を問えば、「政府は常に正しい」という、信仰でしかないのである。

それでもって、台湾からの支援を断ったのは、表面的には大陸におもねったことであろうが、一方では、今年中に実施するはずの、「憲法改正国民投票」における、「緊急事態」の必要性を支持させるため、政府が混乱を作っている、という「陰謀論」である。

けだし、論理的な陰謀論なのである。

陰謀論です

仕事始めの今日は、きっと、地震のことや羽田のこと、それに北九州の大火災のことが話題になっていることだろう。

国際空港で、飛行機どうしの衝突事故が起きるのは、どのくらいの確率なのだろうか?

まっ先に、管制官のミスを疑うが、報道は燃えた飛行機を、「上空から」映すばかりなのである。

上空からといえば、能登半島地震での初動におけるドローンを飛ばさないことの責任を指摘しているのは、立憲民主の原口一博代議士である。

一方で、民間人がドローンを飛ばすことはちゃんと「禁止」した。
熊本地震の際、マスコミ各社がドローンを飛ばしまくって、救援ヘリが飛べなくなったのを防ぐため、らしいけど。

また、このひとは、民主党政権で総務大臣だったこともあって、自衛隊の緊急出動についても、岸田総理がサッサと命じるべきで、県知事の専権事項ではないとの見解を述べている。

どうして立憲民主に党籍があるのか?とっくにやめた自民党よりはましだから?では、国民にはわかりにくい。

わたしの感想をいえば、総理といえども官邸詰めの官僚からの指示がなかったから、何もしなかったし、何もできなかったのではないかと疑っている。
もちろん、肝心なことは、という意味であって、やらないで欲しい余計なことはドンドン実行する、すごい政権なのである。

とはいえいまや、わが国の政権は、だれがやろうが安定を優先させる、「第九代将軍・家重」からの、幕閣官僚制になったとおなじなのだ。

徳川家の政権がこれ以降も六代、15代までずっと続いたのは、トップの将軍が利権を貪らなかったからである。
将軍家は、この意味で、いまとちがって、「高貴」なのである。

だから、たとえ田沼意次がでてきても、結局は失脚して悲惨な目にあったのだった。
それでも田沼を老中にした人事の責任を将軍は負わないので、妙な「耐性」が日本人にできたのは罪深い。

さて今回の事故である。
犠牲者と負傷された方々には、お悔やみとお見舞いを申し上げます。

しかして、本稿ではまじめに読む価値のない「陰謀論」を、まじめに書いておこうと思うのは、情報がないからいい加減なことがいえるのだ、という意味もあるし、ひょっとしたら真実にアプローチしていないか?と自賛できたらいいなぁという甘い気持があるからである。

どちらにせよ、犠牲者と負傷者の慰めにもならないので、気分が悪くなる方々には、これ以上読み進んで頂くことはない。

さて、不幸中の幸いなのは、旅客機の乗客乗員の方々が、負傷はあっても全員まずは生きていてよかった。
亡くなったのは、能登に支援物資を運ぶ予定の海上保安庁の機体(ボンバルディア)の搭乗者であった。

つまり、公務中の殉職なのである。

ボンバルディアといえば、カナダのモントリオールに本社がある航空機メーカーで、三菱重工の開発失敗機のライバル企業である。
ただし、わが国の「悪い癖」である、官民一体による大プロジェクトの大失敗を、民だけが倒産しそうな負債を負わされたのだが、国民の鈍感な「耐性」はビクともしなかった。

一方で、JAL側は、今月24日に就航予定のエアバスA350-1000の一大キャンペーン中の出来事である。

ところで、JALは、早々に、謎の「謝罪」を記者会見で発表している。
今回は、国交省が当事者(管制官も海上保安庁も)なので、だんまりを決め込んでいる最中なのに、JALのどこが悪かったのか?もはや「謝ることが癖になった」企業だからか?

やっぱ、幕府とおなじで、無条件にお国が恐ろしいのかもしれない。

事故機は、エアバスA350-900である。
だから、当然ながら、エアバス社は早速調査員をパリから日本に派遣すると発表している。

さてそれで、JALがエアバス機を導入すると決めたのは、2013年のことで、2019年からの就航を目指していたのである。

飛行機の操縦には、機種ごとにライセンスが必要だから、パイロットはどんなにベテランでも、新規導入の機材を操縦するには、新たに免許を取得しないといけない。
納入されたらすぐに操縦できる、という自動車のような代物ではないのである。

ここで問題となるのは、これまでJALの機材は、ぜんぶ、ボーイング社製であったことだ。

つまり、全面依存のアメリカからヨーロッパに乗り換えたのである。
初期の受注額は、ざっと1兆円のお買い物である。

さては、破綻したJALにとっては、この乗り換えを、「お国」の承諾なしには到底出来ない相談なので、しっかり、日本政府のお墨付きを得てのビジネス契約なのである。
破綻したかは本当は関係ないのは、「ロッキード事件」でもわかることだ。

ここに、「大人の事情」がからむから、「陰謀論」となるのだ。

ボーイングといえば、ネオコン=軍産複合体の中核企業である。
いま、アメリカ大統領選挙で、とうとうロン・デサンティス、フロリダ州知事を支持率で抜いて二位に付けた、元国連大使のニッキー・ヘイリー氏が、大使退任時には100万ドル以上あるといわれた借金を、ボーイングの取締役に就任して富豪にまでなったのだ。

6割以上の圧倒的支持率があるトランプ氏を、さんざんディスってきた、あの民主党の広報紙、ニューヨークタイムズ(昨年12月26日付け)が、とうとう「トランプしかいない」という、驚きの記事をたっぷり載せたのである。

いまや、だれを副大統領候補として選挙パートナーに選ぶかに、とっくに関心が移っているなか、素性が怪しいニッキー・ヘイリー氏の名前があるのは、とにかく選挙でトランプ氏が勝つことが最優先だからという理由になっている。

そうなると、民主党の支店長たる駐日アメリカ大使(日本総督)からなにからが、エアバスに舵を取ったJALと日本政府に、その邪悪さをもってなにを企んでいることか?
やっぱり暮れのどさくさに、岸田政権はアメリカへ「日本製(三菱重工製!ちゃんと飛ぶのか?)」パトリオットを逆輸出すると驚きの決定をした。

同時にこの日は、「漫才師のスキャンダル」で、日本人にこの件を伝えなかった誤魔化しの手法は、ハイデン息子の事件発覚のたびに、トランプ氏が起訴されたのとソックリだ。
エマニュエル君が仕切っているのは、軍産複合体の代弁者の功績で日本大使になったからで、じつにわかりやすい人事なのである。

ちなみに、パトリオットはロッキード・マーティンの商品で、ウクライナにこれが渡れば、ロシアは日本をどうするか?と、完璧な「戦時国際法」の適用をするというこれ以上ない重大な警告をロシア外務省は発表したが、こんなヤバイ情報よりも、「耐性」がある日本人は、漫才師のスキャンダルにしか興味がないのは、もう狂っている。

管制官のヒューマン・エラーが疑われるのは当然でも、ひとりの管制官だけにそんな権限があるのか?
二重三重のチェック体制があるのが、安全を仕事にすれば普通ではないか?

飛んでいれば、所沢の管制センターがみているだろうに、滑走路上(陸上)の事故だったことが、羽田の現場管制の話になっている。
もしや、管制塔から暗くて海保の機体がどこにあるのか目視できなかったというのなら、空港の照明に死角があるという、これまた国交省の手抜きが見え隠れすることになる。

もちろん、いまどきの空港には、しっかりセンサーが設置されていて、滑走路に無断やら手違いで入れば、管制塔にも対象機材にも無線で警報が鳴るはずになっていないか?
それが作動していなかったとしたら、なんでやねん!になる。

疑わしいのは、飛行場設備にある、安全装置の作動状態になるのだが、当事者の国交省はどういう説明をするのか?しないのか?
年始の過密ラッシュだからと、まさか安全警報装置の電源スイッチを切っていなかったか?

言った言わない、聴いた聞こえない論争にして、この肝心をうやむやにする魂胆か?
大仕掛けの専門家をカネやら権力で釣って、ヘンテコな論でおしまいにする可能性が高いとにらむ。

ただし、警視庁が捜査本部を設置したから、こちらに期待が向くのだが、警視庁を押さえ込むのは都知事だから、あのサイコパスの人物はここで公明党に貸しを押しつける政治戦略で、自身が初の女性総理になる夢を、これまた初夢にして画策するやもしれぬ。

とにかく、原因はなにか?一番疑われるのが、公明党が仕切ってきた国土交通省そのものなのである。

管制官たちと海保の言い分がちがうことになって、責任のなすりあいとなるにちがいないけど、公明党は党利党略しか頭にないから、エマニュエル君に相談するという「最悪」を平気の平左でやるのだろ。

ここに、キッシー(最長の外務大臣)の出番はあるのか?

軍産複合体からの命令を受け取る窓口として、官房長官(元外務大臣)が現職の外務大臣(アメリカの軍産複合体にいた)に指示を飛ばすかも。
ついでに、どこが保守なのかわからない、高市早苗氏も、ちゃっかり軍産複合体のお世話になっているから、平然と売国政策(例えば総務副大臣のときとか)をやる御仁なのだ。

なんで、有名な言論人やら有名だが自称ジャーナリストたちが、このひとを「次期総理候補の筆頭」というのかは、あたかも河野太郎を一押しするというのとおなじかそれ以上に悪質なのに。

なんにせよ、幕府が将軍に火の粉が飛ばない、誰かを犯人にして血祭りにすれば、「耐性」のある国民(はなから思考停止している)は、国際ニュースになっていることも忘れたバカ国家だと、お笑いネタとして世界に知らしめられるから、ずいぶんな話なのである。

これが厄災続きの新年早々の、「初笑い」なのである。

アリバイだけの災害放送

元日の大地震に被災された皆様に、先ずはお悔やみとお見舞いを申し上げます。

これから書くことは、被災者を云々するのではなく、あくまでも情報提供者に対しての文句なので念のため。

2024年1月1日、午後4時10分ごろの地震報道が、とにかく役に立たないので、横浜にいるわたしには、イライラが募るばかりだったのである。

テレビはいったん全局が緊急に地震報道になったようだが、最初に「復旧した」のは、どうやらテレビ東京だった。

この手の事態では、NHKという習性が身についている。

しかし、この膨大な予算をもっているはずの巨大放送局の放送が、笑いたくなるほど稚拙なのである。

地震発生から5時間が経過しても、生の人間アナウンサーの伝えることは、壊れたテープレコーダーのように単調な情報の繰り返しに過ぎず、正月に呼び出された東大教授のネジが外れた解説は、ただの乞食がカネを欲しがるための言い訳を解説しているのであった。

地震予知は難しいから、もっと予算を!だけしか言っていない。

あたかも、地震のメカニズムを解説しているようにみせて、被災者にはぜんぜんどうでもいいことなのだ。
なお念のため、北陸電力は、399.3ガルが観測されたと発表した。
原発の耐震基準は最大で約600~1,000ガルの揺れを前提としている。

ちなみに、一般住宅の耐震基準は、耐震等級1:400ガル、耐震等級2:500ガル、耐震等級3:600ガルとなっているが、「共振」がもっともヤバイことぐらいはしっておきたい。

原発の安全性は、大丈夫なのか?も当然に。

さてわが家にテレビはないので、知人宅で観ていたわけだが、こんなクソ放送のどこが役に立つのか?のわたしの独り言に、この知人は、「NHK信者」として、重要な情報だというから呆れたのである。

さっきから、ずっと同じことしかやっていないことが、重要だからだ、という論法がもう理解できない。

すると、気の毒な被災者を想定して、わたしの「その言い方はないだろう」というから、気の毒な被災者は、こんなゴミのような情報にかじりついてずっと観ているのか?とおもうのである。

こんなやり取りの同じ時刻、21時15分に、総務省は、「第7報」として、そのHPに、石川県能登地方の「通信インフラ被害状況」を公開している。

固定電話での被害は、NTT東日本はなし、NTT西日本の10450回線に影響と、ソフトバンク149回線に支障とある。
携帯電話等では、それぞれが市町村レベルで支障があるとして、その自治体名(七尾市、輪島市、珠洲市など)を挙げている。

さらに、わたしが注目したいのは、「放送関係」に被害情報なしと記載されていることである。

NHKには、「NHK能登報道室」が七尾市にある。

ここがどんな状況におかれているのか?について、わたしが観たかぎりでは、NHKは報道していない。
通信インフラが途絶えたのなら、そう報道すればいいのである。

この総務省の発表だって、ネットがつながっていないなら、被災地では確認できない。

能登半島には行ったことがないから、不明を恥じるが、NTTの東・西がどういう回線を持っているのかわからない。
ただし、固定回線とは、電電公社から引き継いだ国民資産のはずなので、それなりに無傷に近いのはよかったけれど、西日本の回線にNHKも加入しているのか?すらわからない。

東日本大震災のとき、東京圏と関西圏の通信は、東海道から北陸を迂回して確保できたと記憶している。
わたしは、あのとき、会社の通信担当だったから覚えている。

ただ今回は、厄介な「半島」なので、どうなっているかは重要情報である。

一般人が一斉に無線回線に集中したらどうなるかは、過去何度もあった大晦日のパンク経験でしらない者はいないだろうが、いまどき固定回線を契約している一般家庭の方が珍しいのかもしれない。

しかも、この1日より、従来のアナログ固定回線は、インターネット回線を用いたIP網に移行したその日のことなのである。

すると、NTT西日本の10450回線に影響とは、IP網としてどんな状況なのか?は、地域住民にとって、重要な情報ではないか?
総務省のHPでは、このことについて教えてくれていないのである。

水道、電気、ガス、それに通信は、まったくの生活インフラだ。
NHKはこれを伝えないで、いったい災害放送をどのように普段から準備しているのか?

公共放送とは笑止だと、自分から証明しているのである。

この腐った放送局は、民営化だ国営だとの延々とした議論が何十年もあるけれど、「廃止」がもっとも国民の福祉に合致する。

総務省はNHKを監督する立場とはいえ、実態はその逆になっている。
放送内容のチェックを国家行政がやるのはどうかという問題があるけれど、それもこれも、国会が死んでいるからこうなるのである。

それをまた、新年早々から見せつけられた。

プーチンという大戦略家

柔道の達人だから、心・技・体が完成度を上げたのか?それとも性格とか性質がそうなのか?はわからないけど、恐るべき人物が同時代に存在していることぐらい、我々も知っていていい。

オリンピックでメダルを何個とろうが、不敗の記録を持っていようが、柔道の強者がそのまま立派な人間であるとは限らないことは、日本人の元大選手を何人か引き合いに出しただけで納得できるのである。

この点で、彗星のごとく現れて、ずっと留まっているウラジーミル・プーチンという人物は何者なのか?がよくわからないのである。

しかも、彼は笑っている姿を他人に見せないし、休暇で引きこもれば、読書に没頭し外界との接触を拒否する。
その読書の質と量も、世界の世俗的指導者では類をみないレベルというから、どうなっているのか?

対抗するはずのアメリカやヨーロッパが、彼に適わないのは、軍事力の前に、まさに「教養」においてだけでも既に勝負はついているのである。

ここに、わが国を含む「先進国」という自負が、じつは怪しい国家の教育で自滅していることが認められるのである。
古典を重視していはずのヨーロッパの教育は、とっくに自壊し、アメリカに学問の重心も移ったかにみえたが、もはやアメリカの大学も左翼によって全壊した。

驕り高ぶっている戦争屋のアメリカ人は、公開情報をもって宣伝工作をしているけれど、ここで漏らす本音が、プーチン氏のもとに届かないと本気でかんがえているのだろうか?

あたかも、昭和の初めにニューヨーク日本総領事館の窓際にふんぞり返って、解読後の日本語暗号電報を読んでいた高級外交官が、アメリカ人には日本語が読めないと思いこんだごとくである。

反対側のビルから望遠鏡で覗いて、アメリカ側はわが国の最高機密暗号の解読に成功し、それか十数年も知らない振りをして、真珠湾作戦すら解読済みであったのは、もはや歴史の真実である。

アメリカ人は、日本に暗号解読成功の真実がバレるのが困るので、自国軍に被害がでてもこれを容認し、政治的に「リメンバー・パール・ハーバー:だまし討ち」としてプロパガンダに利用されてしまった。

昨年暮れに発表された、「外交評議会」のレポートは、あたかもドイツのメルケルとフランスのオランドの証言、二度の「ミンスク合意」はどちらもロシアを欺く時間稼ぎだった、ことの焼き直しで、早くウクライナは停戦して、その後、国力を回復して後、再びロシアに挑む、という荒唐無稽を書き綴っている。

こんなのが「公開情報」になって、知らないはずのないプーチンは、当然に停戦などに応じるはずもなく、おそらくオデッサを取ってからどうするかになるであろう。
あるいは、西ウクライナだけを「ウクライナ」と名乗らせることで手を打つかもしれぬ。

今年3月のロシア大統領選挙で、併合したドンバス地域四州にも選挙権を与えることに、EUは反発しているというけれど、もうどうすることもEUやNATOにはできない。

さらに、とっくにプーチンは、東西を横に見る伝統的な「ユーラシア大陸」という概念を捨てると発表し、彼が示した、新発想とは、南北にユーラシア大陸を縦に統治するブロック構想なのである。

ロシアと中東・イラン、ロシアとインド、ロシアと中国、というものである。

いまさらながら、マッキンダーの「ハートランドを制するものは世界を制する」を、じっくりと確実に実現させているのがプーチン氏なのである。

そのための原資は、石油やガスを中心とした豊富な資源だ。

結局のところ、石油は燃やしてエネルー源にするだけでなく、プラスチックの原材料なのである。
なので、現代文明にはぜったいに不可欠なのだ。

イスラエルがガザを占領したい本音は、ガザ沖に発見された石油・天然ガスの巨大な海底地下資源の掘削利権の奪取だし、同じことが、南米のベネズエラとガイアナ間で紛争の火種になっている。

ボロボロの貧乏国の英国が、なけなしの海軍をガイアナ支援に向かわせたのは、かつての宗主国としての意地に見せかけたエクソン・モービルなどの掘削利権の確保ではあろうが、だからといって何かの効果があるかはわからない。

あたかも石油から自然発電に切り替えようという、変なキャンペーンでその英国はむちゃくちゃになったけど、英国人の知性がこれほど落ちたのも、サッチャー亡き後に「落とされた」からなのである。

昨年12月、世界をアッと驚かせたのは、モスクワからサウジとUAEを訪問した際、プーチン氏が搭乗した旅客機をずっと警護したロシア製戦闘機が、なんとこの往復で一度も給油をしなかったのであった。

アメリカにはこんなに長い航続距離の戦闘機は存在しない。

「テトリス」を開発したソ連時代、コンピュータの性能に劣っても、ゲームとしての世界的大ヒットになったけど、もはや、世界一のレベルはアメリカではなくなっている。

西側から経済制裁を受けているはずのロシア経済は好調で、逆に自爆的になっている西側とはぜんぜんちがう。

その根拠が、ロシアは自由経済だからである。

体制転換で国名が「ロシア」になったとき、英米資本がロシアの資源企業を好き放題に貪った。
なんとロシアは、平均寿命が10年で10年短くなったのである。

見えない虐殺をやったのが、英米の戦争屋とそのスポンサーたちだった。

プーチンは戦争屋たちを10年かけて排除に成功して、自由経済を「自力で」取り戻したのである。

何度も書くが、わが国も自力で自由経済にしないといけないのだ。