高速道路のサービスエリアやパーキングエリアに設置されている,カップで提供されるホットコーヒーの自動販売機が話題になったことがある.
注文ボタンをおすと,コーヒー豆をミルで挽くところからはじまって,内部でくり広げられるコーヒー製造工程のすべてがモニター画面にでるというものだ.
そのなかで,お湯からコーヒーを抽出するとき,ハート型のマークがはいった手作りっぽいカードに,「あなたのために」と書かれたものが映しだされる.
このセンスが,話題をよんだのだとおもう.
だれに対しても,まったくおなじ工程なのだから,リアルで見せなくても,ビデオでもわからない.ましてや,「あなたのために」と書かれても,意味があるのか?といえば,たしかに「?」なのである.
しかし,この画面をながめていると,ほんとうに「わたしのために」機械がうごいているのだと錯覚し,それが「癒やし」になるのだ.
みごとなものである.
これを思いついたひとは,きっとこころねのやさしいひとにちがいない,と想わずにはいられない.それで,いつもコインを入れてしまうのだ.
ほんとうにコーヒーがほしいのか?
おもうのだが,このコーヒーはそれなりのお値段である.おおきいカップを選ぶと,300円はする.だったら,最近は高速道路でもあちこちに全国ブランドのコンビニが併設されているので,コンビニの100円コーヒーを購入したほうが安くすむ.
つまり,この機械からコーヒーを買うひとは,第一優先順位がコーヒーではないのだ.
それは,機械が自動的にいれる動きが画面をつうじて確認できるのがおもしろい,というひともいるだろうが,リピーターはおそらく,このちょっとした「センス」を確認したい,つまり,「癒やされたい」というのがほんとうのところではないか?
すると,コーヒーの自動販売機でありながら,じつは「癒やし」の自動販売機なのであって,もれなくコーヒーがついてくる,というものに変化する.
だったら,多言語対応に進化させて,あの場面だけ,それぞれの国の「あなただけ」を表現できるように映像を差し替えれば,おそらく外国人客も驚喜するだろう.
すると,かならずこの光景を撮影して,ネット上にアップするひとがでてくるから,なんと,この機械は立派な観光資源に変身してしまうだろう.
なにを買っているのか?をかんがえる
物がない時代,ひとびとは「物」そのものをもとめたが,いまは「物」は「媒体」に変化した.
飲み物ひとつとっても,「水」では満足しないのだ.
「水」しかなかった時代でも,日本人は「茶」をたしなんだ.そして,その「茶」を媒介に「精神」までもやしなったから,世界が驚嘆する.
それなりの料金を支払う覚悟をもつとき,購入者はそのものの価値ではないものをみている.にもかかわらず,提供者は,相変わらずそのものの価値しかみていないことがある.それで,「売れない」と嘆くのだが,それは,自分がなにを売っているのかをしらないからである.
300円の自販機のコーヒーですら,コンビニのコーヒーと競合しているようにみえながら,じつはまったくちがう価値観を提供しているのだ.