江戸幕府がどうして「倒れた」のか?
あるいは、どうして薩長による明治維新が成功したのか?
第一に、「経済戦争」に「自覚なく」負けたのだった。
当時の日本人がしらなかった、世界一の金・銀保有国だったのに、幕府の「軍需」によって大量流失した。
それで、国内は「大インフレ」になったのである。
それが、「お陰参り」と「ええじゃないか」という、モラル崩壊にあらわれて、自暴自棄になったのである。
なんと、相手はこの時点ですでに、国際金融資本だったのである。
いまでいう「長州ファイブ:井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)の5人」が、大英帝国はロンドンに留学したのは、国際金融資本の「手先」としての「訓練」が目的だった。
われわれは、学校で、幕末のゴタゴタを習うことは習うけど、なんだかよくわからないうちに、「大政奉還」となって、明治新政府ができる。
それでも、いろんな反乱と政変があって、とうとう西郷隆盛が討ち死にするけど、実弟の西郷従道は偉くなる。
むかしからあった「連座制」が通じない不思議が、明治政府の「あたらしさ」をいうのか?という細かい疑問は、庶民の暮らしに目線をやれば、その「貧乏さ」に唖然とするほどの貧乏なのである。
このどうしようもない「ギャップ」をどうみるのか?
そのたまったエネルギーが、米騒動の「打ち壊し」になったりする。
あくどい商家が襲われるという、物騒なことが全国で起きる「ふつう」も、現代日本では「異次元の世界」になっている。
すると、現代日本の方が「異常」なのかも?ということになってしまうが、「世界標準」が大好きなひとたちは、この異常を「日本的美徳」という。
いまの世界も、暴動が「ふつう」なのだ。
つまり、「日本的美徳」という「むかしから」は、こと暴動についていえば、まちがいなく「戦後」の価値観なのである。
少なくとも、100年前の「大正」までは、江戸期からの「打ち壊し」は「ふつう」だったからである。
江戸期なら、幕府(お上)は、「喧嘩両成敗」をもって裁いた。
打ち壊しの実行犯も、打ち壊された商家も、両方が罰せられたのである。
これができたのは、お上が「経済的無力」だったからである。
つまり、「他人事=第三者」でいられたのだ。
それが、近代ヨーロッパの「所有権の絶対」が輸入されて、明治政府(お上)に、「経済的優位」ができて、納税する余力がある商家のあくどさを免罪するように変化した。
江戸期になかった、「全国規模」の打ち壊しになった理由である。
裁判官も、庶民の暮らしとは別世界の暮らしになったのである。
しかして、打ち壊しの決定的理由は、どうにもこうにもならない「貧乏さ=貧困」だったから、殖産興業が重要政策になったのではあった。
また、ロシア革命が、理論的に「打ち壊し」を支えたので、そんな政府にとって「アカ」が「悪」にもなった。
大学は、別の意味での「権威主義」があったので、教授も学生もロシア革命の「大義名分」に引き込まれた。
それが、「軍」にも伝染して、とうとう、海軍の「5.15」、陸軍の「2.26」になって「破たん」の双子山ピークができたのである。
発展途上国なら、余剰人員(失業者)を吸い込む「働き先」(口減らし先)として、「軍」がある。
軍には指揮をする役割の「将」、命令を実行する役割の「兵」がいて、農業国なら農民の長男を除く男子が兵となる。
就学できないほどの貧乏ならば、陸軍の「兵隊」になって、「肉弾戦」をするための「消耗品」とされた。
読み書き算盤ができたら、海軍の「水兵」になった。
こちらは、艦ごと運命共同体なので、「資産」扱いされたのである。
ゆえに、陸・海軍とは、性格がことなる組織になる。
よって、陸軍の「兵隊」募集での最大特記事項とは、「白米が腹いっぱい食える」ことだった。
海軍の、「世界を股にかける技能集団」とはちがうのである。
けれども、発展途上国・日本の軍隊における「兵力消耗」の最大の敵が、「脚気」になった。
ビタミンが発見される「前」でのことである。
「弱肉強食」の世界で、生き残るための闘いは、本当の戦争だったから、人間の命が軽んじられたのではなくて、ほんとうに「命がけ」だったのである。
それが、「戦後」、もっけの幸いだったのは、強大なアメリカの保護国(属国)として、本当の戦争を回避できたことであった。
それは、戦争が「技術的に」も、「核の傘」という論理で、わが国に「降ってこなかった」からでもあった。
しかし、この「技術」が、おどろくほどに「進歩して」、それに、バイデン政権の「わざと」で、とうとう「核抑止」という論理が、「核保有国」だけのローカル・ルールになってしまった。
だから、即座にわが国も核武装せよといいたいのではない。
わが国は、核武装することで目的が機能する、指揮命令系統ばかりか、「国防」のコンセンサスさえとれない状況にある。
この空恐ろしい「現実」の状況が、「霧が晴れる」ように、ウクライナの問題から見えてきた。
資源高騰時の円安とは、経済戦争の敗北を意味する。
これを、日銀がやっていて、それを政権与党がやらせている。
明治維新と敗戦に加えて、三度目の「売国」が、はじまっている。