「シン・ガリレオ裁判」が始まった

それでも地球は回っている。
「有罪判決」後にこう言い残したガリレオ・ガリレイは、カソリック教会の定める「天動説」を否定し、自らの観測による「地動説」を捨てはしなかった。

ガリレオの死後、350年後にあたる1992年に、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。

しかし、2003年には、かつての「異端審問官」にあたる大司教が、ガリレオを裁いた時の教皇は、ガリレオを迫害はしなかったと発言して物議を醸した。
ベネディクト16世が改めて「地動説を公式に認めた」のは2008年のことである。

92年の「謝罪」から16年の時間を経て、「地動説」が落ち着いたのではなくて、1633年の有罪判決から、375年かかっているのである。

これを、ふつう「宗教裁判」として評価して、「現代の裁判とは別」という見かたをするのは安易だといいたい。
何故なら、法の根拠となる「法理」そのものが、その時代の社会の常識を基に形成されるものだからである。

当時のローマ・カトリック教会が示したのは、社会の常識として捉えられたのである。
だから、現代法が教会にとり替わったからといって、その法理が社会の常識とかけ離れたものであれば、そもそも法として存在できないのは、民主主義であればなおさらである。

「民選」を経て議員となった者たちでつくる立法府の立法であることが、最大の法的根拠となる源泉だからである。
すなわち、「政府」という「行政府」が、勝手に立法してはならないことの根拠でもある。

また、立法府が立法した法についての厳密なる運用(行政)を監視するのが「司法府」の役割だから、もちろん、「司法府」が勝手に立法してはならない。
ただし、司法府の解釈は法についての意味合いを決定するから、立法府を牽制することになるのだ。

こうしたことを「三権分立」というけれど、なぜにこのようなまどろっこしいことをするのかといえば、それぞれの暴走を防止するためである。
つまり、「国家権力は性悪だ」という本質的な前提があるのだ。

ことに、民主主義は「ポピュリズム」に汚染される危険性がはじめから想定されている。
そのために、「三権分立」をさせておく。
要するに、面倒だけど「安全装置」をはじめから用意してあるということだ。

さて、7月30日に東京地裁に提訴された、「コロナワクチン特例承認取消」は、構造がガリレオ裁判に酷似しているのである。
原告は、科学的知見に基づいているのは当然で、被告の国は、法的には科学的知見に基づいた立法をしたけれど、行政は法の執行に瑕疵がある、と主張しているのである。

具体的には、流行している病気を「新型コロナウィルス感染症」と命名しながらも、予防接種法における「病原体を特定していない」ことを挙げている。

これは、「正しい法理」だ。
何故なら、新型コロナウィルスを「特定した」り、「分離した」事例が、いまだに世界でひとつも「確認されていない」からである。
つまり、「病原体を確認できていない」という科学的知見に基づいた、法になっている。

ここで注意したいのは、外国の事例と異なることだ。
欧米諸国をはじめ、多くの国は、WHOが示した病原体名「COVID-19」をそのまま適用しているのである。
しかし、わが国の科学的知見に基づく法理では、だれも特定も分離もしていない「COVID-19」を病原体として認めていないのである。

文明国家として、当然すぎることではあるが、ようやく気がついた外国人は「大規模デモ」で抗議している。

ちなみに、「COVID-19」の由来は、昨年1月に上海の研究グループがWHOに提出した1本の論文によっている。
世界は、この1本の論文しか根拠にないものを、科学的知見に基づく法理としたのであった。

もちろん、この論文の再現実験もできないのは、論文紙上にある「COVID-19」の情報は、すべて「ゲノム情報」として記述されている「だけ」だからである。つまり、「現物」がない。
すると、通常の論文のように「査読」に耐えられるのか?といえば、そうはいくまい。

となると、「COVID-19」とは何か?
「現物」がどこにもないのだから、今言われている「中国起源」とは、論文起源のことでしかない。
よって、ただの「幻」になってしまうのである。

「幻」を見つけたと騒ぐのが「PCR検査陽性」という、なにを検査しているのかわからない欺瞞だし、ましてや病原体が確認されていないのに「ワクチン」とは。

こんな「与太話」を、わが国は拒否して立法しているのだ。
にもかかわらず、国民の健康を司る政府は、法で拒否した「COVID-19=幻」をターゲットとした「ワクチン」を国民に接種するという。
これは、せっかく拒否した「予防接種法」の法理を超えた「暴走」である。

大筋では、以上のような主張で提訴された。

さて、それでは現代の「教会」は何者がこれにあたるのか?
第一に、このような重大な提訴を一切報道しない(世界の)マスコミだ。
少なくとも、外電が報道したという記事をわたしはまだ見ていない。

第二に、ワクチン大臣だ。
接種後の副反応で苦しむひとたちを、どうやって救済するのか?
死亡者がいる現実を「デマ」と言い放ったこの人は、議員引退では済まない責任をどうするのか?私財をもって、でも足りない。

そして、世界がまるごとひっくり返るような判決を出す勇気と根性が、わが国裁判官に残っているのか?
あたかも、「大津事件」の大審院のごとく。

最後に、もしや原告が敗訴したとき、どのくらいの年月で真実の謝罪が国家からあるものか?
100年後?200年後?はたまた500年後?

「シン・ガリレオ裁判」にならないことを、まずは祈念するばかりである。

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