「戦後史」はいつ書き換わるのか?

戦後生まれは当然として、もう90歳代に突入した「戦中(生まれ)派」も、物心がついたときには、とっぷりと「戦後教育」を受けている。

昭和20年9月以降の小学生はもとより、「新学制」がはじまった昭和22年の新学期からは、完全に「戦後教育」に移行した。
だから、昭和15年生まれだけでなく、昭和フタケタ生まれならば、自分が「戦後教育」を受けていることもわからなかったろう。

なので、現在、この世に生きている日本人は、ほぼ全員が戦後教育の洗脳をされているとかんがえて差し支えない。

明治の教育も、かなりの変遷を経ている。

しかし、明治の教育の変遷とは、初等教育における変遷がドラスティックなのではなく、学制における頂点の大学教育が主にドラスティックに変わったのである。

幕府が定めた、「昌平坂学問所」の土地を引き継いだのは、今の、「東京医科歯科大学」だけど、一般には、「東京大学」へとつながっているというのが定説である。
それで、「官立東京大学」は、1877年(明治10年)に設立された。

しかしながら、まだ「東京」ともいわれていなかった、1858年(安政4年)に福沢諭吉は江戸に慶應義塾を設立していて、その主たる教育方針が、「実学」であったことを特徴とする。

「近代化」という最高水準の要請は、1839年から42年までの、「アヘン戦争」による、清国の無惨があったためだ。

これは、清国がやっていた伝統の「科挙」の価値を吹っ飛ばした。

6世紀の「隋」の文帝から始まる、約1300年やってきた、「科挙」の真髄とは、「古典の教養試験」であったが、ヨーロッパ近代をつくった、「科学」と「技術」に歯が立たないことを、あまりにもわかりやすい形で露呈してしまったのである。

なお、官僚を2タイプに分けたのがマックス・ウェーバーで、「家産官僚」と「依法官僚」がある。
中華帝国は、皇帝のもの、という原則だから、政府たる朝廷に仕える官僚とは、皇帝個人のための「家産官僚」採用のための「科挙」だった。

それで世は、明治維新という政変で、科挙を一度も実施したことがなかったわが国で、腸捻転のようにねじれた科挙(高等公務員試験:欧米では、「中国式試験」という)を採用していまに至るものを、誰も「ねじれている」といわないねじれになったのである。

ついでに、わが国の官僚は、あたかも、「法衣官僚」だというけれど、ほんとうか?
皇室をものともしない、「家産官僚」に落ちていないか?

さてそれで、アヘン戦争の衝撃は、儒学とか、古典なんか役に立つはずがない、となった。

それで、中途半端にヨーロッパの伝統「リベラルアーツ」をとりあえず真似て、「教養課程」なる珍奇を編み出した。
いわゆる欧米の大学は、4年間を全部リベラルアーツにあてて、専門課程とか高等職業教育は「大学院教育」と相場が決まっている。

貴族がいまでもいるヨーロッパは当然に、アメリカでも富裕層の子供は、「学位(修士・博士号のこと)」を取得するのが、ふつうなのである。

逆にいえば、これら「学位」がないと、政府や企業でも絶対に幹部になれないから、日本以上の「学歴社会」を構築して、支配層と被支配層の身分制を維持することに執心しても、支配層は平然としているのだ。

それで、アメリカの大学は、日本の数倍の学費を州立大学でも徴収して、貧乏学生は学生ローンを抱え込んでいる。
あたかも好好爺のようなバイデン政権は、学生ローンへの「徳政令」を出そうとして、若い有権者を買収しようとしたが、共和党の下院議会がこれを拒否した。

大学当局が、国からの援助分をそっくり「学費値上げ」で巻き上げること確実で、より苦学生の学業継続を困難にさせると予想したからである。

わが国もあわてて、「法科大学院」なる高等職業教育制度の真似っこをしたけれど、立法爆発をさせたわが国の膨大なる法体系には、A.I.がもっとも向いている状況になっている。
わが国では、新法を起案するのに、過去の法律との整合制をとるが、たとえばアメリカならば、新法が優先されるというルールがある。

このために、やたら古い忘れられた法律が、突如として効力を発揮して、まるで地雷のように関係者が呆然とすることもあるのだ。

そんなわけで、慶應義塾の人気に「官立学校」たる東京大学が日和って真似て、学問よりも「科学」と「技術」の習得に力点を置いて150年ほどになったら、思想も哲学もない、「不思議の国:産業優先社会:社会主義計画経済体制」になったのである。

これを、東宝の稲垣浩監督が、すっとぼけて皮肉ったのが、森繁久彌と原節子に演じさせた、『ふんどし医者』(1960年)である。

将来夢見て長崎での医学留学を終えて江戸に戻る途中、川止めにあったことで、あたかも本人の人生が曲がったようにみえるけど、曲がったのは世間の方だった。

いま、ようやく「その筋」で、明治維新の怪しさが取り沙汰されて、いわゆる純粋国内問題にしてきた従来の島国根性的な狭い範囲の解釈は否定され、英・米・露・仏・蘭の攻防戦のひとつの舞台としての視線が提供されている。

そのひとつの力作が、学者ではない歴史家(ビジネスマン)の渡辺惣樹『日本開国』(草思社、2016年)がある。

明治維新にして「これ」だし、国家予算の裏金(特別会計)で贅沢をした長州(萩藩)閥より、ずっとあくどい薩摩閥の私服のこやし方(アヘン戦争を仕掛けた「ジャーディン・マセソン商会」からの裏金)も、「ご維新」を原点としている。

すると、「戦後史」なるもののほとんどが、GHQ擁護の「嘘八百:プロパガンダ:嘘の一般情報」だとわかるのである。

たとえば、戦後・占領中の大事件にして未解決になったままで放置された、下山事件は、その闇の深さ(ドン深闇)から風化させられないのは、ジャーディン・マセソン商会の初代日本人「番頭:支配人」だった、吉田健三(吉田茂の養父)からあふれ出る「人(血)脈」の不可解が、GHQ内の派閥争い(民政局:Government Section:GS:社会主義者、対、参謀第2部:G2:自由主義者)と化学反応してできた「澱」にみえるからである。

マスコミが無視し、あるいは、賛美する「戦後」こそ、日本人が、歴史を忘れた民族にさせられているのである。

   

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