体制転換の立法爆発

世界でわが国「だけ」が、やたらと低い経済成長率しか達成できないのはなぜか?
所説あるものの、またまたデービッド・アトキンソンさんが、「中小企業基本法」が諸悪の根源だと指摘して議論をさかんにしている。

このブログでは、経産省や財務省といったところの官僚による国家の簒奪を訴えてきたから、おおきな風呂桶の栓を指摘されたごとくでもある。

ちなみに、中小企業を「管轄する」中小企業庁は経産省の外局で設置は1948年だから占領中で、話題の中小企業基本法は1963年にできた。

江戸幕府の体制をささえた末端の制度に「岡っ引き」がいたが、近代日本国政府にもたくさんの「岡っ引き」がいて、今日もいたるところで活躍している。

それで、中小企業庁の岡っ引きは、中小企業診断士というひとたちだから、中小企業基本法に噛みつけば、このひとたちから「ご意見」ならぬ「ご異見」がでてくるにちがいない。

もちろん、中小企業診断士にだって立派なひとはいるから、一般論ではあるけれど、法律や政府(中小企業庁)がきめた枠組みからはずれることを嫌う議論が「異論」としてでてくるだろうという予測である。

「その枠組みのなかで」、という制約こそが、岡っ引きの活動範囲だからである。
なので、ここでははなしをすすめる。

経済発展について、すこし前なら「西ドイツ」と「東ドイツ」という比較があった。
いまは、新進気鋭の政治アナリスト、渡瀬裕哉氏の指摘である朝鮮半島の二国家を比較すればよい。

どちらも日本だった終戦時、じつは北側が経済発展していた。満州につながるからだけでなく、農業も工業も南側よりもすぐれていたのである。
それから、分断されてこの関係は完全に逆転したのはなぜか?

南側が「自由主義経済体制」になったからである。

だから、わが国が昭和のおわりから平成時代の30年をつうじて、ぜんぜん経済発展しない理由はかんたんで、「自由主義経済体制」をやめたからである。

1990年代から顕著になるのが、「立法爆発」だ。
従来から比較すると、「倍以上」の法律が制定されつづける。
これが各種業界への「規制法」ばかりなのであって、まさに箸の上げ下げまで役人の指示を仰がねばならなくなったのである。

それでひさしく「規制緩和」が政治のテーマになるのだが、ことばおおくして具体的成果がほとんどない。
もしかしたら、規制緩和したつもり、という気分が先行しているだけになっているのではないか?

よく指摘され、もっともわかりやすい例が「uberTAXI」の導入が「できない」ことだ。
それで、タクシー業界は国内でしか通用しない「タクシー・アプリ」を開発するという手間をかけた。

ムダである。

しかし、このことがしめすムダは、たんにアプリの開発だけではない。
既存業界の温存というムダ。
その業界に、役所が料金やあろうことか運行できるタクシーの台数までもきめる役人仕事のムダ。

料金と数量をきめられたら、売上がきまる。
すなわち、わが国のタクシー業界は、とっくに「国営」になっているが、民間企業ががんばっているようにみせかけているムダまである。

プロ・ドライバーだから、利用者だって安心なのだというのは、かつて、ガソリンスタンドがセルフになるまえ、素人が揮発油をあつかったら火災事故が頻発するというはなしに似ている。
寡聞にして客が原因のガソリンスタンド爆発事故を聞かないが、これを主張したひとはどうやって責任をとっているのかさえも聞かない。

アトキンソンさんがいいたいことは、こうして「保護」された業界がムダに存在する不効率だろう。
すなわち、利用者が保護されていないのだ。
日本は民主主義国家ではない。

これは地方自治もおなじだ。
退職後の「移住」がブームではあるけれど、どちらの自治体も若い移住者をもとめて、リタイヤ組には冷たいのは「社会保障負担」があるからである。

けれども、移住検討者からすれば、全国津々浦々住民税率がおなじなのである。
これは、中央集権が強固に確立されてしまったことから、もはや自治体が自分で税率をきめることすらできないという意味だ。

すなわち、ここにも「競争」が存在しないのである。
自治体の競争を、アメリカ人は「善政競争」という。
いまの日本に無い概念なのは、日本だからが理由ではない。

むしろ、幕藩体制下のほうがよほど選択肢があって、あんまりひどければ住民が他藩へ「逃散」してしまった。これを公儀にばれでもしたら、お取り潰しの危機に直結したから、ちゃんと「善政競争」をしていたのである。

ようするに、わが国は30年かけて社会主義国に体制転換したのである。
なんでもわが国にまねっこしたい隣国が、気がついたら先を越しているのがいまの状況ではないかとおもえば、首肯できるではないか。

それで?
どうしたら経済成長できるのか?
ふたたび自由主義経済体制へ体制転換をするしかないのである。

ところが、わが国も隣国も、その手本に中国を選んでしまった。

なるほど、社会主義下で自由主義っぽい経済体制にしたいから、アメリカをけっして手本にはしないのだ。
それで、香港のひとたちをがっかりさせる「国家主席」の「国賓」招待が堂々と予定されるのだ。

わが国の暗い将来が、だんだんとみえてきたような気がする。

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