旧東ドイツでのAfD躍進

ずっと自由主義圏でいた、「西側」が共産主義(グローバル全体主義)に冒されて、フラフラしているのを横目に、共産主義・全体主義で酷い目にあってきた「東側」では、確固たる自由主義の判断基準が国民的合意としてできている。

これを、脳が腐った西側メディアは、「極右」と呼ぶのである。

それで、用語の定義をわざとしないで、「ファシズム」とか「ナチス」を連想させるいやらしさがある。

何度も書くが、ファシスト党の創設者、ムッソリーニは、イタリア社会党の急進左派で、あまりにも危険だから除名になったのだし、ナチスとは、「国家社会主義ドイツ労働者党」のことで、共産党のスターリンと支持者を奪い合う「同類」のことを指すのだ。

わが国でいえば、公明党と共産党の支持者争奪戦のことである。

それでいま、「アンチ」として、とくに旧東ドイツで台頭してきているのが、AfD(ドイツのための選択肢: Alternative für Deutschland:AfD:アーエフデー)なのである。

メローニの、「イタリア社会運動・国民右翼(MSI)」と、マリーヌ・ルペンのフランス、「国民連合」それに、オランダの、「農民・市民・ムーブメント党(BBB)」などが台頭してきている。

AfDについては、ドイツ政府も「警戒を強める」と公式発表したように、あたかも「ナチス扱い」して、マスコミもこれに同調しているのである。
日本でいうと、「公安調査庁」による調査対象だと政府が発表したも同然だが、もっと強力な国内諜報部隊が監視するというから、「テロリスト」並みの対応なのである。

もちろん、支持者たちは反発していて、「どっちがテロリストなのだ?」と反論している。
それでまた、政府側が緊張するスパイラルになっているのは、反論が「図星」だからだ。

徹底的にナチスを批判してきたのが、戦後の「西ドイツ」だった。
いちおう、「西ベルリン」が長崎の出島のようにあったけど、これを東ドイツが囲っていた。

ドイツ人がどこまで「反省したのか?」については、百家争鳴の感があるけれど、「特亜(特定アジアの国)」から日本への政治的圧力では、西ドイツが理想として引き合いに出されるのが常だった。

しかし、肝心の「ナチス本部」は、戦争末期に、西ウクライナへ「疎開・移転」したのである。
このことを、現代ドイツ人はしらないのだろうか?

そんなはずはない。

いや、日本人だってもう、パラオに「南洋庁」があったのをしらないし、英国の、「植民地省」のごとく、「拓務省」(昭和4年)があって、それが、「大東亜省」(昭和17年)になっていたことをしらない。

台湾総督府や朝鮮総督府は、これらの「省」の現地事務所であって、拓務大臣や大東亜大臣が内閣にいたのだ。

もしも、ドイツ人がいまの日本人のように、「戦前は悪」とか、「軍国主義」を言葉だけ習うのと同様に、「ナチスは悪」とだけ教わって、ナチスとは何だったのか?とか、ナチス本部がどうなったのか?をしらない、としたら、やっぱりアメリカの占領政策がそうさせた、という点では、日独両国とも一致する。

すると、鉄のカーテンの向こう側であった、「東ドイツ」では、「ナチス」をどんなふうに教えていたのだろうか?が疑問となるが、これをまた教えてくれる学者もいない。

もしや、教えていないかもしれない、のだが、国家体制として、社会主義を学ばせることに専念したのは当然だから、スターリンとヒトラーが、支持者たる「顧客獲得」で争ったように、その本質はおなじなわけなので、詳細を教えると、「やぶ蛇」になる。

だから、東ドイツ側で、歴史的アンチテーゼの「AfD」が台頭するのは、むしろ理にかなっているのだ。

このことは、東西冷戦の「後遺症」ともいえる、「ねじれ」となったのは、軍産複合体のアメリカ民主党が仕掛けたことだったからである。

自由圏の西には、社会主義・共産主義・グローバル全体主義が、かつての親東側のひとたちによって浸透し、東側に押し込められて、自由を恋い焦がれて生きのびてきたひとたちは、体制転換でつかんだこの千載一遇のチャンスを、ぜったいに手放したくないとかんがえている。

ちなみに、ドイツとロシアにやられまくったポーランドには、現在、旧ベトナム人が20万人ほど居住しているのは、体制転換当時、3万人いたベトナム人留学生が、ひとり残らず全員、共産主義・全体主義の故国に帰るのを拒否して、その子孫として増えたからである。

この留学生たちの心情を、ポーランド人はすぐさま理解したし、故国にいる親兄弟・親類・縁者たちがベトナム政府からどういう目にあうかも含めて、ポーランド人たちは同情したので共存(ポーランド社会への受け入れ)に異論がなかったのである。

つまり、3万人の留学生がそのまま、政治亡命したのだった。

それでもって、ドイツでも、日本でも、あたかも戦争前の体制に逆戻りして、既存政党が「ナチス化」してしまったのは、ソ連型の社会主義に「大きい✕」がついたから、同類のナチスに先祖返りしたのである。

だから、選挙で台頭してきている政党を、平気でナチス化した政府が弾圧できるのである。

その理由が、「極右」だという、定義が不明な用語をもってすることが、もうとっくにナチスなのだ。

ゆえに、ウクライナのゼレンスキー政権なる、ナチス政権を全面支援してることが、「西側」で正義になるのは、国際化に成功したナチスの同類になったからである。

いよいよほころびが隠せなくなって、戦時中なのに、復興支援の話がかまびすしい不思議も、戦闘ではロシアにかなわないからだ。
プーチンの戦争目的には、ウクライナの「ナチス政権打倒」があった。

もはや、大詰めになっているけど、EU域内も、アメリカ合衆国内も、「ナチス排除」がすすんでいる。
それが、「逆神」マスコミのいう、「極右」の台頭なのであった。

日本でも、ナチス化した自民党と、はなからそっち系の公明党の悪政が顕著になって、小さいながら参政党が支持を拡大してきたのも、世界潮流のひとつの帰結なのだ。

これはもう、世界的なムーヴメントなのである。

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