フランス大統領選挙のゆくえ

4月10日が一回目投票日の、フランス大統領選挙だけど、あんがいと日本で話題になっていない。
もう、あと2ヶ月を切っている。
なお、一回目で過半数の得票者がないばあいは、24日に上位二名の決選投票となる。

アメリカの軍産複合体が仕掛ける、怪しげな「ウクライナ危機」という「目先」の問題だって、NATOをどうするのか?に直接関係する。
なにしろ、フランス人の「へそ曲がり」は、加盟したり脱退したり、再加盟したりと、忙しいのである。

NATOが設立された1949年に加盟した「原加盟国」で「本部」もパリだったけど、第二次大戦の英雄、ド・ゴール大統領が「アメリカ主導」にへそを曲げて、1966年に「脱退」した。
以来、何回か「復帰」を画策する大統領はいたけれど、2009年、親米だったサルコジ氏のときにやっとこさ「再加盟」していまに至っている。

だから、「もしや再脱退?」はあり得るのだ。

それに、ブレグジットならぬ「フ」レグジットも議論されているのは、軍事分野のNATOに対して、政治・経済分野が「EU」なのだから、当然すぎる。
この点、イギリスは、NATOに留まって、「それとこれ」を分けたけど。

イギリス人の野蛮と、フランス人の異様なストイックさが分けるものなのだろう。

日本人は当事者だから、あんがいと理解できないのだけれども、「フランス人は日本がお好き」なのである。
よくいわれるのが、「ジャポニズム」で、100年以上前の19世紀後半に現れた絵画などでの「日本趣味」がある。

これに、「アニメ」や「コミック」のサブカルが、見事に「ネオ・ジャポニズム」をつくりだしたのは、日本の出版社による「努力」だろう。
フランスには「BD:バンデシネ:bande dessinée」という「漫画」があったのも重要な共通の文化基盤だ。

漫画は子供がみるものでおとなは興味を示さない、を壊したのは、マクドナルド式に、子供へのアプローチに成功して、一生の「顧客」に変えたのだった。
そうやって、日本以外でフランスが世界一「コミック」を購入する国になった。

人口6700万人の国で、年間4700万冊の販売実績がある。
日本で出版される「単行本」のほとんどが、フランス語訳がついて売られているので、その「マニア」ぶりがわかるというものだ。

それなのに、情報ギャップがいまだにあるのは、伝統的日本とサブカルという「特定ジャンルしか」発信していない、というわが国側の「無作為」があってのことである。
観光庁がやるべきは、「ここだけ」で、あとは「やってはならない」と決めるべきだ。

つまり、現代フランス人も、自己中というフランスの伝統において、日本を勝手に解釈して、自己満足しているのである。

ネットでは、「ボンソワールTV」をやっている、驚くほど上手な日本語を話すフランス人女性が、「日本大好き」目線から、日本向けに情報発信しているのが、たいへん参考になる。(上述コミック情報も)
しかも、彼女を撮影する側にいるのが、日本人の夫なのだから、めったに「大ズレの変なこと」は言わない。

けれども、ちょっとずつの「変」が、この動画の魅力ではある。

たとえば、高校からの日本留学での経験から、日本人女子への憧れを語る回では、「制服」があることの珍しさだけでなく、その「着こなし」のかわいさや、「部活」がないフランスでの学園生活のつまらなさを指摘するばかりか、日本人の「かわいい鼻」や「白い肌」について熱く語っているのだ。

「高くて大きい鼻」は、彼女の美意識では「過剰」で、不細工なのだ。
それに、白人の荒れた肌を疎んで、どうしたら日本人女性のようにきめ細かくて白いきれいな肌になれるのか?ということを、真剣に研究したいという。

そしてそれが、生まれ変わったら絶対に日本人になって生まれたい、とまで高揚するのだ。
コロナがおさまれば、日本に「帰国する」計画があるという。
きっと、細かい点までの「情報ギャップ」を埋めることになるだろう。

そのとき、心境にどんな変化が生じるのか?それとも確信を深めるのか?

彼女の夫が日本人だという生活環境は、きっと「ふつうじゃない」ので、ふつうのフランス人がどこまでの「日本趣味」なのかは、残念ながらわからない。

さて、マスコミがいう「極右」の候補で、5年前の前回に決選まで「善戦」したマリーヌ・ルペン氏とは一線を画す、もうひとりの「極右候補」が、エリック・ゼムール氏だ。

ここで、マスコミが「極右」というときは、「保守派」と解釈するのが妥当だ。
ついでに「左派」といったら、「極左=共産主義者」のことを指す、それぞれが、「用語」になっている。

もちろん、フランスのマスコミも基本的には、「左派」だ。

このゼムール氏は、アルジェリア・ユダヤ系移民の二世であるから、生粋のフランス人ではない。
しかしながら、成績優秀で、パリ政治学院の卒業生だ。
それから新聞記者になって、評論家になったひとである。

ちなみに、旧植民地アルジェリアの支配利権を維持したい側と、ド・ゴールとの話を、サスペンス小説にしてセンセーションを巻きおこしたのが、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』(映画は1973年)であった。

 

フランスは革命以来、その「政治の混沌」がずっと続いて、もうすっかり「お国柄」にまでになっている。

ついでに、「ここは地の果てアルジェリア」の一節で有名な、懐メロ『カスバの女』(1955年)でいう「カスバ」とは、首都アルジェの「城壁」(アラビア語で「カスル」、英語で「キャッスル」)を指して、壁に囲われた典型的な城壁都市のことである。

日本も同様だけど、「優秀」といわれることの判断を、「入学や卒業した学校名」に求めることに、ほとんど意味がないばかりか、それらの学校出身者ばかりが、官界・政界にいることが、ずっと「混沌」の原因と結果ともいえるのである。

そんな事情は横にして、ゼムール氏は選挙演説で、フランスが見習うべきは「日本」だと明言しているのである。
移民を受け入れない、失業率の低さ、貿易黒字、わずかばかりのインフレ。
これに支持者たちが、「熱狂的声援」を送っているのだ。

日本人には、エスプリが効きすぎた「褒め殺し」にも聞こえるけれど、相対的に「まだまし」というのも事実なのだろう。

現実路線を採用して、過激さが薄くなったと却って支持者の不満を得ているものの、相変わらず人気のルペン氏とゼムール氏の支持をあわせると、半数に迫るので、左派で独裁色を出した若き現職にとっては「楽勝」の選挙ではない。

まずは、日本に生まれてよかった。
いや、「おフランス」に生まれないでよかった?

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