現代の「禊ぎ」が選挙なんだけど

怪しいことをやって、スキャンダルになったら、議員辞職して、再選されれば、それが「禊ぎ」だといったのは、元海軍主計少佐だった、松野頼三氏だったと記憶している。

松野氏は早生まれなので、学年では二つ下になる中曽根康弘氏も、同じく終戦時に海軍主計少佐であった。

海軍青年将校の5.15事件(昭和7年:1932年)につづいて、陸軍青年将校の2.26事件(昭和11年:1936年)があったけど、教科書にあるような話ではなくて、背後には、「赤:社会主義・共産主義」への傾倒があった。

とくに2.26事件は、軍組織にあった、3系統の派閥のうち、「皇道派:じつはリアリスト」が自滅(全滅)して、これより「統制派:国家総動員体制推進」が実権を握ったのは、もう一派が、「ノンポリ:軍務にだけ従う」の大集団だったからである。

いつの世も、ノンポリが支配される側になるのは、文字通り、ポリシーがないからである。

軍(武官)では「統制派」と呼ぶけれど、文官の世界では、「革新官僚」といって、これらを統率したのが、近衛文麿をシャッポに据えた岸信介やら、東條英機だった。

昭和天皇が、(敗戦後東條は悪の根源だから、意外にも)東條を信頼していたのは、「東條は嘘をつかない」こと一点で、いかに嘘つきばかりに囲まれていたか(わたしは宮内大臣で天皇最側近だった牧野伸顕:大久保利通の次男、吉田茂は娘婿、を疑っている)がわかるし、背任のシベリア抑留をやった、ソ連最大の日本人スパイ、瀬島龍三に至っては、彼を重用しあたかも右翼を装った中曽根康弘とともに信用しなかったにちがいない。

敗戦によって、軍は解体されたけど、間接統治を採用したマッカーサーのGHQは、都合よく革新官僚たちを温存したから、彼らは公職追放の対象者にもならなかった。

いま、「吉田ドクトリン」として、ありもしないものをあるとするなかで、吉田茂が怖れ、抵抗し、唯一の功績になったのは、日本軍の復活(警察予備隊の新設)のGHQ指令に対して、あくまでも旧軍人の管理職採用を拒否したように、旧軍内部(陸海軍とも)が、「真っ赤」だったからである。

つまり、吉田は、日本における共産革命を、武装した警察予備隊あるいは自衛隊が蜂起することを最も警戒したのであって、統制派に与しないために戦争中のロンドン大使という閑職に甘んじたのである。

けだし、そんな吉田は、しっかりアメリカの犬になったのではあるけれど、それは彼の生い立ちが、アヘン商人ジャーディン・マセソン商会日本支店の初代日本人支配人が、彼の里親(吉田健三)だったからで、実父は板垣退助の腹心で投獄された、元土佐藩士の竹内綱なのである。

ちなみに、この店舗跡が、横浜観光名所のひとつ、大桟橋のたもとにある、「英壱番館跡地」で、日本初の外貨での貿易決済を手掛けたのであるけれども、長崎のグラバー氏が元々代理人であったし、その相方の坂本龍馬が生きていたら、彼が初代支配人に就任して、三菱の岩崎弥太郎と土佐の同郷同士で対抗したろう。

この意味で、龍馬の妻、お龍が、神奈川宿にいまもある料亭、田中屋に女中奉公をしていた理由もわかるのである。歌川広重の浮世絵『神奈川宿』に残るこの田中屋の坂を下ればすぐに、最初のアメリカ領事館となった、本覚寺があるのである。

そんなわけで、神奈川知事選挙が、呆れる様相になって、有権者として選択肢のなさに怒りさえ沸き起こる。

「四選」を目指す、現職、黒岩祐治氏のへんてこりんなスキャンダルが飛び出してみたものの、対抗者が存在しない体たらくで、愛知県知事選挙(36.43%)に負けない、史上最低の投票率(前回は、40.28%)になるのではないか?

もうどうでもよいことになったけど、昨夏の参議院選挙に参政党から出た、藤村晃子氏がむらっ気を起こさずにいたら、と思うひとがさぞや多かろうに。

横浜市在住の吉野敏明氏が大阪府知事選に出馬したのは、「維新の会」との因縁もあろうけど、「投票したい政党がないから自分たちでつくった」ことの参政党結党理由を、神奈川県民に強制的にしらしめる、強烈な実地教育ともなっている。

憲法は、国民から政府への命令書だと思い起こせば、国民を縛る「緊急事態条項」ではなくて、「最低投票率」を定めるのが妥当だ。それが例えば、40%とすれば、割り込んだら再選挙だし、知事選挙やらの「首長」が対象ならば、有効投票数の過半数を得なければ、決選投票にしていいい。

少なくとも、「二元制(「首長」と「議会」)」を採用しているのだから、この程度の設計がされてしかるべきである。もちろん、ギネス登録レベルの供託金の大幅引き下げも重要だ。県知事レベルでは、300万円で、得票率は10%でないと没収される。

ちなみに、前回の黒岩知事の得票率は、76.28%だから、投票率と掛ければ、彼を承認したのは全有権者の30.72%という、3分の1にもならないで、「知事」になれるのである。

だったら、「官選知事」とか「県令」でよくないか?じっさい、総務省(旧自治省=旧内務省)出身の知事は多いし、実務の実権を握る「副知事」ともなると、選挙の意味がわからなくなるほど「ふつう」になっているのがこの国の実態なのだ。

逆に、我が国の現行体制をつくったアメリカ方式を徹底するなら、副知事から選管委員長、警察署長、地方検事も、みんな公職選挙の対象にしないといけない。

困るひとと、舌舐めズリするひとに分かれてしまうだろうけど、そのアメリカの民主党による汚染状態をみれば、統治方式をどうするのか?は、もう人類の重大問題になっているのである。

「日本モデル」がどうせ「禊ぎ」なら、公職者を自動的に「神職」にしてしまうのも、一手なのである。このとき、信教の自由を主張してはならないけど、「経典・教典がない」神社は宗教なのか?という定義の問題だってある。

日本人公職者たるものの、自己抑制には、心の中に「鳥居」が必要だからなのである。

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