群馬のブラジル

もう6年ぶりほどにもなるけれど、群馬県大泉町を訪問した。
群馬県といっても、すぐに県境の利根川を渡ってしまえば、埼玉県は熊谷市である。

この小さな自治体が、わが国における、「ブラジル」なのである。

スバルとパナソニック、あるいは味の素やマルハニチロなどの工場群があって、とっくにはじまっていた人手不足から、日系ブラジル人の逆受入をはじめたら、だんだんと本家のブラジル人たちもやってきて、とうとう人口の1割がブラジル人になったのである。

他国のひとたちを加えると、この「町(市町村でいう)」は、人口の2割が外国人になった。

しかし、圧倒的なシェアは、ブラジル人なので、町にはポルトガル語の看板がふつうにあって、そのデザインも他では見ることができない、異国情緒にあふれている。

まったくもって、かつての横浜や、まだ現役で踏ん張っている横須賀のようなのだ。
ただ、横浜や横須賀は、米軍によっていた時代しかわたしはしらない。
「世界に開かれていた」往年の繁栄は、おそらく戦前までのことだったろう。

すると、開港(1859年)から国家総動員法(1938年)までの、ざっと80年余りということになる。

「江戸っ子」に対抗して、「ハマっ子」といっていたけど、江戸っ子が3代江戸に住んでいると定義づけたら、ハマっ子はせいぜい2代ということになって、元気を失っていた。

それがあるから、「ハイカラ」をとにかく「売り」にして、銀座の店に並ぶよりはるかに早い横浜のファッションは、東京からの買い物客を呼んでいたのである。

それが、わたしの高校時代に、「ハマトラ(横浜トラディショナル)」が突如流行りだして、雑誌の表紙を飾っていた。

最先端だったヨコハマが、トラディショナルになってしまったのに、売れればいい、に堕落した横浜の商売人は、最先端への挑戦をやめたのである。
それでもって、ハマトラ・ブームが去ったら、そのまま元町商店街も衰退がとまらない。

コモディティ化がはやかった、伊勢佐木町の衰退は、シャッター街になっていないだけまだマシかもしれないが、かつての繁栄は見る影もない。

商店街の立地という観点からしたら、元町が有利だったのは、山の手の外国人貿易商たちも健在で、日本人の生活水準とはかけ離れた生活をしていたひとたちが常連客として支えていたからだ。

その山の手地区も、すっかりふつうの高級住宅街になって、外国人の姿をみるのも稀になった。
だから同時に、商店街も衰退したのである。

いわゆる、「商店街振興」に、「商店街振興組合法」(1962年、通産省)とかで、商店街そのものを振興させようという魂胆が、全国一律、まったく機能しないのは、商店街で買い物をするのは誰か?という肝心要に触れない、いってみれば、「臭いものに蓋をする」だけの愚策だからである。

自分たちが「臭いもの」にされているのに、補助金やらを貰って愚策に歓ぶことが、さらなる衰退を呼び込んで、シャッター街になったのは、自然現象ではなくて人為によるものだとかんがえないから、同情できないのである。

そうやってみたら、この大泉町も、日系ブラジル移民の子孫を呼び込もうと目をつけた、人為によるブラジル化である。

いま、「海外移住」について情報提供しているのは、国際協力機構(かつての「国際協力事業団」だが、略号は、「JICA」のままである)なのは、外務省唯一の外局だからで、昭和30年に、「移住局」が設置された流れをくんでいる。

それで、横浜みなとみらい地区には、「海外移住資料館」なるものがある。
大桟橋から、移住専用シャトル船「ぶらじるまる」で移住するひとに別れをつげる出航の銅鑼の音と紙テープの嵐は、なんども目撃したものだ。

よくよく冷静にかんがえたら、明治から国が推奨した「海外移住」とは、結局は、「棄民」のことだった。

なので、「海外棄民資料館」として見学すると、見えないものや隠したいものがみえてくる、貴重な資料館なのである。

さてそれで、ブラジル側は大泉町をどうみているのか?だが、残念ながら詳細はわからない。
第一に、大泉町には、ブラジル領事館がない。

東京・五反田にブラジル連邦共和国総領事館がある。
また名古屋にも総領事館が設置されている。
なお、大使館は北青山だ。

だから、大泉町在住のブラジル人は、パスポートやらの手続きには、五反田まで出張る必要があるだろう。
しかしながら、大泉町多文化共生コミュニティセンターでは、「移動ブラジル領事館」というものを開催(2020年8月)している。

その後が不明だが、ブラジル側は、棄民したのではない、ということだろう。

それにしても、「多文化共生」のための箱物が、全国展開しているので、大泉町が特別ではない。
けれども、やっぱり、ブラジルそのもののスーパー、「キオスケ・シブラジル」を目指せば、その一角が、ぜんぶブラジルだ。

駐車場には、ブラジルのケーキ屋さんと、ブラジル人の主食キャッサバ芋が土つきでキロ400円で移動販売されていた。

どちらもひとだかりで、大量の芋を買うブラジル人たちを眺めるだけでなく、わが家でも購入してみた。

そのままだと3日でダメになるというから、はやめに火にかけることを勧められた。

独特の皮を剥いてゆでると、黄色に変化するが、食感はサツマイモとジャガイモの中間ぐらいで、かすかに甘い。

棄民されたかつての移民になった気分で、味わっている。

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