マッカーサーが帰国して、連邦上院外交委員会の公聴会で述べた「日本人とは何者か?」との質問の回答である。
ようは、昨日の敵は今日、権力者に媚びへつらうことしかしない12歳の少年程度の思考能力しかなかった、といい切ったのである。
ちなみに、マッカーサーは『ポツダム宣言』を大幅逸脱(=違反)して、「日本国憲法」をつくらせたが、できあがったものはまったく「合衆国憲法」とは別物で、なんと下敷きはソ連の「スターリン憲法」だった。
しかし、一介の軍人がかような無謀ができたのは、一に本国政府の了承か意向があってのことで、はなから白人たちは「国際法」の適用範囲を、白人国家間だけだと限定している。
当然ここに、人種差別があるが、彼らは白人以外は人間だと意識してはいないから、こうなるのである。
なので、非白人の日本人が、あるいは外務省が、「国際法の遵守」をいうのは、ちゃんちゃらおかしいのであるけれど、これが敗戦で手懐けられた結果だし、また、日本人のまじめさの付随的結果なのである。
けだし、奴隷扱いされる便利な原因にもなっている。
さて、アメリカ議会には役割分担があって、下院は予算、上院は外交と政府幹部職員の人事承認がそれぞれに優先議決権がある。
だからもし、日本で「国会改革」を真剣にいうなら、「憲法改正」議論で、下院(衆議院)と上院(参議院)の役割分担を決めるのが筋で、議員数の削減とかは二の次だし、自民党案の基本的人権を削除する全体主義的憲法改正など、論外なのである。
しかし、80年以上前から日本人は、12歳の少年程度の思考力しかないことに変わりはなく、むしろ昨今はもっと退化しているように感じる。
何度も書くが、これが起きたのは、明治の「教育=文部省設置」による、江戸期までの教養教育の廃止が第一の原因である。
なので、江戸期最後の教育を受けた人々がこの世を去ると同時に、より12歳度を高めたのは当然の結果である。
それが、大正期になって、薄い「大正デモクラシー」になったし、それゆえに、大正・昭和前期のグダグダになったのである。
たとえば、松方正義は、天保生まれで大正13年に死去した(享年89歳)し、高橋是清は安政年間に生まれて、昭和11年の「2.26」で果てている(享年81歳)。
文化面では、わたしが「明治三部作」だと思う、どれも原文が英語の名作、岡倉天心『茶の本』、新渡戸稲造『武士道』、内村鑑三『代表的日本人』は、全員が江戸期の生まれだ。
吉田茂は明治11年、岸信介は明治29年の生まれで、ちょっとだけ江戸の匂いを受け継いではいたろうけれど、この後は皆、12歳で思考が止まるように訓練されて、それが日本的エリートとなったのである。
なお、軍人でいえば、山下奉文大将は、吉田と岸の中間、明治18年生まれで、満60歳で死刑が執行された。
この人物は、参謀本部勤務からスイス・ドイツ・オーストリアにも派遣されていて、昭和9年に将官へ昇進して陸軍省(「軍政」を司どる)の「軍事調査部長」になっている。
しかしながら、「2.26」で反乱軍を擁護したのを機に、陸軍の主流から外されていらい、外地、ばかりとなったのである。
天皇が「反乱」と評価して、軍組織内の「空気」が決定したからである。
つまり、あくまでも「本流」は、内地にいて指揮をする者たちであって、これが「軍事官僚」としての「官僚」たるゆえんなのである。
それゆえに、「遺書」は激烈なる反省文となっている。
怖いのは敵からの砲弾ではなくて、足を引っ張る味方からの妨害行為なのであって、これが組織的となれば、どんなに優秀な個人でもどうにもならなくなるのは、組織自体がもつ特性なのである。
さてそれで、12歳児程度しかない自分の思考力を、多くの日本人は自覚しておらず、むしろ、そんな批判に耳を傾けることもなくなっている。
驚くべくは、退職して現役ではない者たちが、かえって「自己保身」に熱心なことである。
ところが、なにから保身したいのか?もない。
「保身行動」が、長年勤め上げた「習慣」になっているから、ぜんぜん抜けないのである。
そんなわけでわが国の戦後史では、「DS:Deep State」に気づいたアイゼンハワーを牛耳ったのは、ダレス兄弟(兄ジョン・フォスター国務長官、弟アレンCIA長官)で、この兄弟がが間接統治したのであった。
当時の日本側カウンター・パートは、CIAのエージョントになることで死刑を免れ釈放された岸信介が首相だったという妙がある。
これから幾星霜、いまや『バトル・ロワイヤル』そのものの様相となって、日本政府が日本人の全滅を画策することとなってしまったのである。
どちらも12歳程度以下の知力しかないのであった。