続・国家社会主義

2025年参議院通常選挙公示日の3日、倉山満氏が前回の動画に対しての質問に答える形式で再度「国家社会主義」の定義についての短い解説をしているので書いておく。

まず、この動画では国家社会主義の9つの特徴を挙げている。
最後に、それらはナチスの特徴だとも加えている。

1 社会主義:じつは定義がない → 資本主義と共産主義の中間、という了解
2 愛国心の絶叫
3 排外主義をあおる
4 上記、2+3で、じつは極右&保守とは親和性がない
5 経済政策はバラマキ → 支持がえられれば何でもいい → ポピュリズムにみえる
6 健康と環境にやさしい+スピリチュアル(目に見えない精神性)
7 政権獲得後、自由の制限を開始する
8 国家=政府が権力を行使して、国民生活の統制&経済に移行する
9 じつは偽装保守の左翼
おまけ 狂気はひとを引きつける

それで、倉山満氏は、2025年参議院通常選挙の参考になるといっているので、おそらく参政党のことを指しているかとおもわれる。

じっさいに、五人目の国会議員が加わったことで、日本記者クラブの党首討論会に呼ばれたことを契機に、民放各社の同企画にも参加できることになって、「あたらしい保守勢力」との記者の指摘に、党首の神谷氏は「われわれは保守ではない」とこたえていることも、「なるほど」ととれるのである。

だから、参政党をいったん「国家社会主義政党」だと定義することは、国民にとって安全性の担保になるだろう。

一方で、わが国の「自・公・立憲共産」政権をふくむ西側諸国の左翼政権は、ウクライナのゼレンスキー政権を全面的に支援してきたが、何度も書くが、この政権は「真性ナチス」であることを絶対にいわないで、支援自体の目的を「正義」として自国民を煽ったのである。

たとえば、ウクライナ国内のロシア語圏(東部ドンバス地域など)を、ウクライナ軍(当初は私兵集団の「アゾフ大隊」がその後ウクライナ軍に合流した)が攻撃して、ひろく民間人を虐殺したこともいわないのである。

つまり、ゼレンスキー政権は、上記7&8をやったし、それは、偽装保守の左翼だから、西側の左翼政権がこれを強力に支援したのは、国際共産主義=グローバル全体主義の推進にほかならないからだった。

すると、参政党が結党時から曲げていない「反グローバリズム」をどうみるのか?という問題が、この議論に決定的に欠けている。

それに、「ドイツ」は、はなからドイツではなく、ゲルマン人はさまざまな国家に分かれていたし、ヒトラーはゲルマン人を「アーリア人種」という架空の人種として持ち上げて、ユダヤ民族と対峙したのである。

たしかにナチスは「健康帝国」を謳い、ナチス党員のパン屋は当時から健康に悪いとしられていた精製した白い小麦ではなく、健康によい「黒パン」しか焼かなかったし、タバコ嫌いのヒトラーのために、徹底した禁煙運動をやったのである。

しかしてこれは、トランプ政権2.0の保健福祉長官、RFK.Jrの政策をどうみるのか?となるし、参政党は、10人以上の議席を得ることでの参議院における「法案提出権」をもって、「コロナ対策検証法」ばかりか、世界にあってわが国にはない「スパイ防止法」の提案も公約にしている。

こうしたことを、他党はどこもいわないなかでの、「党議・党是」としているところが、かつて倉山氏やその仲間の渡瀬裕哉氏が参与してできた参政党の「近代政党」たるゆえんなのである。

すると、参政党側からしたら、生みの親からの非難にみえるだろう。

しからば、「ナチス」についての研究成果を、ひろく日本国民の常識にするための社会的な「教育」が必要であることがわかる。

それには、ドイツ人とは何者か?とか、ドイツの歴史を基盤として、なぜに当時のドイツでナチスが受け入れられたのか?というだけでなく、現代のネオ・ナチについての基本的な知見が必要なのである。

だから、ウクライナのゼレンスキー政権の評価もまともではない、いまの「常識」の方が危ういといえるだろう。

「祭り」のイベント化

わが国の「ソ連化」がわかるひとつの典型例が、「祭り」のイベント化、である。

そもそも「祭り」とは、隣近所の一般人たちが「氏神様」でつながって主催するものときまっていた。
それで、地元の神社仏閣の宮司やら和尚が、香具師(てきや)の親分と縄張りのはなしをつけて、賑わいを演出したのだった。

ときに、神奈川県を代表する「祭り」に進化したのが、平塚の七夕まつり、である。

第1回目は、1951年(昭和26年)のことで、「仙台の七夕まつり」を真似て、地元商店主たちが主催して、飾りも商店主が独自性を競っていたものだ。
その仙台の方は、伊達政宗が発案して、「婦女子の文化向上」という名目があった歴史的なものである。

わたしも、子供時分に平塚まで「湘南電車」に揺られて、七夕まつりを何度か観に連れて行かれた思い出がある。
横浜にはなかった、「長崎屋」とか「十字屋」、「梅屋」といったデパートが珍しかった。

オリジナルの仙台は「旧暦」のまま、新参の平塚は「新暦」を採用していたが、いまでは、7月7日とは関係なく、7月の第一木曜日から最終日が日曜日となるように日程が設定されている。
これは、「平塚市」が、事実上の「乗っ取り」をやったからでもある。

江戸期の「祭り」には、ガス抜きの機能があった。
それで、幕府も各藩も、町民たちに好きなように企画させて、数日間のエネルギー爆発で施政へのうっぷんを晴らさせていた。
だから、下賜金として費用の援助はしても「主催」はしなかった。

いまは、これが逆転して、地元行政が「主催」をしたがる。

民主主義の世の中だから、行政が主催するのも民主的なのだ、という理屈になっている。
たいがいが、「観光課」の役人が担当するのも、「観光行政」のなかにふくまれるからである。
それゆえに、民間主催の「同趣旨の祭り」を許さない。
もしもそのような事態となったら、徹底的に弾圧するのが、民主的な役所の体質である。

つまり、むかしの幕府や藩主よりも厳しいのが、「民主」なのである。

平塚の例にもどると、元が商工会などからの気運でできたものだから、神社仏閣は関係ない。
なので、役所が主催になったら、「香具師」をどうするのか?となって、飾り付けをした通りから排除して近隣の公園に出店を集中させた。

すると、なんと、通りは閑散として、「香具師」のいる公園にひとびとが殺到したのである。

七夕飾りをみにくるひとがいないのには、もうひとつ理由があって、過去には商店主たちが身銭を切って自慢の飾りを競ったのに、いまはその財力も衰えて、役所の予算に依存したら、おなじデザインの飾りが連続する「単調」になったのである。

はなから、「祭り」とは称しても、商店街の「イベント」だったのものが、いまでは「社会主義のイベント」になったので、だれも見向かないのである。

こんな平塚にだれがした?と恨み節のひとつでもいいたくなるのは人情だろうが、駅ビルに地元商店がテナント入店できないことも含めて、東京の「コピー」だけの街づくりをやっている「成果」なのである。

おっと、七夕まつりなら、仙台のコピーだった。

今週は、テレ東の『アド街ック天国』で、横浜の「野毛」が18年ぶり2度目として登場した。
山田五郎氏のコメントに、「きれいなビルを建てることが再開発ではなくて、家賃が安いこと」との名言があった。

地方政府が直接手を出すことは、「きれいなビルを建てる」にひとしい。

しょせん、政府=行政は「予算手当」というカネでしか参与できないのである。
ならば、地元商工会でもなくて、直接に商店への飾り製作目的限定補助をするだけで済むはなしではないか?

これをやらない、市長も議会も、やっているだけ感というアリバイが欲しいのである。

そうやってかんがえたら、なるほど市民がこの「社会主義のイベント」をやらせている、民主主義なのではある。

そんなわけで、2025年の開催は、7月4日から6日までとなっている。
7日を、平塚市の休日にもできない根性なしに、6月2日を市立学校の休校日にする横浜市からの冷たい目線で眺めるのであった。


国家社会主義を克服できるか?

社会主義と国家主義が結合した、全体主義を「国家社会主義」という。

それぞれの「主義」である、社会主義だけ、国家主義だけ、でも全体主義になるのだから、国家社会主義はかなり強力な全体主義である。
あの、ファシスト党の「ファシズム」も、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の「ナチズム」も、それぞれに強力な全体主義だった。

だから、将棋でいう「歩」のような、ゆるやかな全体主義である社会主義が発展すると「成る」という、共産主義も、社会主義よりずっと強力な全体主義である。
共産主義を、人類普遍の価値として普及することを主眼に置く一派を、国際共産主義(運動)というのは、共産主義のさらなる平面的拡大という意味では当然がある。

これを、最近では「グローバリズム」と呼んで、国際共産主義といわずに隠している。

世界最大の共産党は、中共、であるけれど、あえて二分すれば、江沢民派と習近平派になる。
江派は、国際色があって、カネもうけが大好きな一派であり、そのカネで人心をコントロールして全体主義を完遂させる思想である。

一方の習派は、毛沢東主義を信奉するから、ナショナリズムに重点を置き、個人の権力極限化=神格化をもって全体主義を行うことを旨としている。
いわば、平面拡大の江派とちがって、垂直拡大を図ることが特徴ので、この両派は相容れないことになる。

つまり、グローバル全体主義を目指すのは、江沢民派なのである。
そのために、欧米のネオコンとの親和性が高いのが江派であった。

ロシアのプーチン大統領も、アメリカのトランプ大統領も、アンチ・グローバル全体主義を標榜しているので、この一点だけの結節点で、習派とつながるのである。
習近平は、無能を装いながら江沢民・胡錦濤に取り入り、彼らの引退で権力を掌握すると「掌返し」したのは、どことなく李登輝(本名は岩里政男)に通じるものがある。

絶対に懲りないグローバリストたちは、その習近平を失脚させて江派復活をやっており、これとつるむのが、わが国の「自・公・立憲」政権の社会主義者たちという構図である。

これが、2025年参議院通常選挙の、根にあってみえない選択なのである。

さて、このブログで肩入れしている「参政党」の躍進が、その支持率調査においても顕著であると書いてきた。
しかしながら、この政党の本質的な思想のバックボーンはなにか?を問えば、あんがいと「国家社会主義」の側面が見え隠れしている。

これを、倉山満氏がズバリ指摘しているので注目したい。

もちろん、わたしは反対する「自由主義」を推したいのだが、じつは自由主義もグローバリズムといっていい人類の普遍的な価値観であるといえる。
つまり、「よいグローバリズム」と「悪いグローバリズム」がある。

この国の現状ばかりか、世界の現状で自由主義を実現することは、かなり難しいし、その前に「崩壊」の危険が高いための「つなぎ」として承知しながら、参政党に期待している。

いまこの瞬間の地球上で、自由主義を目指して行動しているのは、アルゼンチンのミレイ氏だけなのである。
その’アルゼンチンは、およそ100年前には、GDPで世界10位にある「先進国」だった事実がある。

「自・公・立憲」政権の社会主義で、アルゼンチンのように「最悪」にまで落ち込んで、いよいよ気づいた国民が「自由主義」を選択する、というシナリオはある。
しかし、「自・公・立憲」政権の社会主義は、みごとに隠蔽されて「ステルス化」しているので、肝心の日本国民のおおくが、「社会主義」であることに気づいていない、という難がある。

ちまり、日本人は「主義」を理解できなくされている。

そのために、「自由主義」の理解は、超難関で、実現困難だとおもわれる。
それで、いったん参政党の国家社会主義が、「自・公・立憲」政権の社会主義よりわかりやすいのではないか?とおもうのである。

参政党が「公約」に掲げる国家社会主義的政策は、概ね次のとおりである。
・国家非常事態の少子化対策として、子供一人に10万円/月・非課税の手当を15歳まで支払う(3人なら30万円/月)
・上に加えて、税と社会保障の国民負担率を35%までとするための財源は、国債の増発(日銀引受)と、政府発行デジタル通貨(ブロックチェーン式)
・郵政とJR再公営化&整備新幹線の全国開通
・本州運河(日本海・琵琶湖・伊勢湾)の国民投資 など

政府は基本的に「完全消費者」なので、予算によって「カネ」を配ることしかできない。

そのために、日本国民が消滅する危機が現実化しそうな人口減少の現段階で「国家非常事態」を宣言することは、妥当であるばかりか、やや遅い、ともいえるから、思い切って10万円、は重要な施策であろう。

たしかに、「制度」を残しても、「国民」が消滅していなければ、元も子もない。

一方で、集めて配る、というのは、典型的な「大きな政府=社会主義」であるから、アベノミクスも社会主義経済政策であったと書いてきた。
しかるに、これをやめる、ことで国民負担率を35%までとするのには、DOGEがやったような「おおなた=政府の縮小」を加えるべきである。

その他の、巨大国家プロジェクトは、ナチスのアウトバーン建設と同様で、典型的なケインズ政策である。
だが、「民営化さえすれば良くなる」という偽りの自由主義が成功したとは言い難く、JRは5社体制や経営理念レベルからの修正が必要だろうし、郵政の困窮化は国民生活にも耐え難い状況にある。

つまり、国民は、この処方は国家社会主義的=毒もあるのだと承知して、これらの優先事項への対処をみないといけないのである。

さもなくば、ファシストやナチ、という自由を殺す全体主義の悪夢がやってくるかもしれないからである。

なにせ「マスク警察」なるものが自然発生するような、「善意の強制=全体主義を好む」をやる国民性は変わっていないからである。

トランプ関税で与党を敗北に導く

2日、エアフォースワンの機内インタビューで、トランプ大統領は日本への関税30%に言及しながら、決着の見通しがついていないことも表明した。

これはあきらかに日本政府がいう発表とことなる。

1日、林官房長官は、「(日本は)米不足なのに、アメリカの米を買わない」とした、トランプ発言に、困惑し「(国内)農業は犠牲にしない」との発言にとどめたことがニュースになっていた。

このブログで書いたように、本当は、農水大臣を「予定通り」交代させて、郵政を売った小泉純一郎の息子・進次郎に、農協ごと売り飛ばす手筈を準備していたろうが、トランプ発言に先を越され、さすがに本音をそのまま言うことはできなかったのだろう。

なにせ、参議院通常選挙の公示日は、今日、3日なのである。

また、交渉担当官の赤沢亮正大臣は、米問題についてのアメリカ大統領発言にも、関税交渉内容についても現時点での「ノーコメント」を貫いた。

それはそうだろう、なにも進展していないことを正直に語るものなぞいない。

むしろ、1987年来のベストセラー『The Art of the Deal(取引の技術)』がいまだに売れている。
アメリカを往復する機内で、英語が得意だという赤沢氏がこれを読んでいないのか?

トランプ氏の手のひらで翻弄されるのは、最初から分かりきったことである。
何度も書くが、交渉のキーは「消費税廃止要求」に対する回答に尽きるからである。

グローバル化した世界では、アメリカのような(超)大国に、「アメリカ(自国民)ファースト」を貫く政権が誕生したことで、彼らにとってはわずかな余波であっても、日本への影響が出るのは、そのまま「日本国民ファースト」になってしまうので、日本国民を蔑ろにする日本政府・与党には困った皮肉となる。

わが国の「アメリカ依存」は、かつて「アメリカがくしゃみをしたら、日本は風邪をひく」と言う比喩からぜんぜん変わっていないどころか、より「深化」してきたからである。
しかしながら、ここでいう「アメリカ」とは、民主党+共和党主流派(ネオコン)=戦争屋、のことである。

世論調査では、下落するばかりが目立つ与党の支持率である。

もちろん、これには世論調査の正確さを前提とするが、それでもまだ3割ほどの支持が与党にあるのは、「利権」がらみだとかんがえることができる。
すると、この選挙直前のトランプ大統領の発言は、与党支持者「剥がし」を狙ったものといえるだろう。

それがまた、マインドマップを駆使して、スケジュール管理もやっているトランプ政権2.0「らしさ」というものだ。

すると、選挙期間中に、もっと日本政府に打撃を与える爆弾発言をして、これをマスコミに書かせ、最低でも石破政権を崩壊させるほどの敗北を狙うのだろう。

なにせ、9日には、90日間とした関税猶予期限が満了する。

ために「消費税廃止」をいう、れいわと参政党が、選挙後の「消費税廃止」にコミットできるように仕向けるともいえる。
それで、すでに「猶予期間の延長もある」という「交渉術」を発揮して、日本政府を揺さぶっているのである。

当然に、駐日アメリカ大使館はフル回転する。

アメリカでは1日に、2020大統領選挙における中共の関与が、トランプ政権になってから「発見」されたFBI資料の「機密解除」がされて「陰謀の事実」として大騒ぎになっている。

かたや、先月22日の東京都議会議員選挙における八王子市での「不正」について、SNSに投稿された「証拠」が、選管発表とちがうことでの話題になっていることをアメリカから援護する状態になった。

もちろん、名古屋や横浜から輸出された「フェンタニル」について、ワシントンのトランプ政権は、いまだ沈黙したままなのであるが、アメリカ大使のグラス氏は「X」に、背後に「中共」がいると名指ししている。

おそらく、これらの件が複合的・計画的に、選挙中に爆裂するにちがいない。

フェンタニルについては、参政党の神谷参議院議員が昨年3月29日の「財政金融委員会」で質問し、政府は、「(財務省管轄の)税関においてフェンタニルの密輸入を摘発した事実はない」と答弁したことが、いまさらに当局の無能を証明する痛いタトゥーになっているのだ。

本来ならば、野党第一党たる立憲民主党の存在がここぞとばかりに目立つはずなのに、与党に懐柔されて、衆議院の予算委員会・委員長ポストなどを得たがために、事実上与党化したことが、戦略的な大失敗となった。

それもこれも、幹部の合議制における「ずさん」さと「安易」さの結果なのである。

なので、トランプ政権2.0は、アメリカ民主党を叩くごとく、「自・公・立憲」政権の社会主義を叩きまくるのは、当然といえば当然なのである。

それもこれも、2001年に外交官試験を廃止して、国家総合職が外交官になることでのトンチンカンな外務省キャリアが、一期入省から24年も経ってみたら、手抜きと保身でマスコミ報道を信じるばかりの「レポート」を書きまくって、東京の幹部がこれらガセ情報を見抜けずに政治家たちへ「トランプ短命政権」を上申したにちがいないことでの、結果、なのだろう。

もちろん、それ以前から、トンチンカンな者共が局長級以上になっていることにも国民は気づいた方がいい。

そんなわけで、太平洋をはさむ「最重要同盟国」たる日本の大掃除まで、哀しいかなトランプ政権2.0がやってくれているのである。

「政権選択」になる参議院通常選挙

明日3日が、いよいよ2025年参議院通常選挙の公示日である。

一院制か?二院制か?という議論について、このブログではずいぶん前に「二院制を確保せよ」というタイトルで書いた。

衆議院(「下院」や「庶民院」ともいう)のチェック機構として、参議院(「上院」や「貴族院」ともいう)があるのは、「効率」ではなくて、決議の「確実性」を担保するためである。

英国やその仲間のカナダなどは、「貴族院」に選挙がなく、わが国においても敗戦まではそうだったのは、「貴族=伝統派の代表」としての社会的立場(ノーブレスオブリージュ)を担保としての「信頼」に基づくことができたからだった。

「八月革命説」をいいだして、いまにつづく戦後の立ち位置をつくったのは、GHQに媚びを売りまくった東大法学部教授、宮澤俊義であったが、GHQは「参議」の院を国会に残した。
ちなみに、「参議」とは、「大宝律令」とのからみで731年に生まれたので、ざっと1300年ほどの歴史がある。

明治の王政復古では、参議は閣僚より上位だった。

だが、「参議」とは、「議論」の場に参加はするが、意見を述べることはないひとをいうようになる。
それで参議にも正規の官職を与えよ、と正論を主張して嫌われ左遷されたのが菅原道真だったのである。

そんなこんなを経て、GHQは衆議院のコピーとしての参議院を置いたのだが、アメリカの「連邦上院」とは別の歴史的経緯があるために、「良識の府」としての緩い立ち位置を、選挙制度でも担保しようとしたのが、いまの「参議院」なのである。

アメリカは2年に一回三分の一が改選され6年で一巡するけれど、わが国は手抜きして、3年に一回半分が改選されて、6年で一巡する。

むかしあった「全国区」が、カネがかかるとして、「全国比例」となっても、衆議院での悪名高い「比例復活」はない、あんがいと厳しいルールになっている。
そのかわり、新規政党やらの登竜門としての機能となったのは、せめてもの良識というものだ。

「サラリーマン新党」(1983年~2010年)とか、「日本新党」(1992年~94年に解散「新進党」へ:1993年には「細川護熙内閣発足」)、とかという「新党ブーム」があったのは、参議院の「全国比例」のおかげで、これを橋頭堡として衆議院に議席を得るのが常套手段になったからである。

これまでは、衆議院の優位性が強固なために、参議院の「どうでもよさ」が目立ったので、どうでもいいタレント候補も当選するようなことが「話題性」としてあるような体たらくにもなっていた。

しかし、今年の会期末にひとつの象徴的なドラマがあった。

それが、「ガソリン減税」法案の衆議院可決(一応野党が多数)の際に、国会内与党のはずの立憲民主党が裏切って、常任委員長の解任決議を通してもやったのに、なんと参議院では、最悪でも次期国会への「継続審議」になるはずが、「休憩」をもってそのまま会期を終えて、みごと「廃案」となったことである。

法案を通したい野党としては、参議院の「否決」をもって、衆議院での再審議となれば、「いける」と踏んでいたことの、与党による「無血クーデター」が成立したのだった。
これによって、7月1日からのガソリン税25円/Lがゼロになる目論見が、露と消えたのだった。

とにかく、衆議院が「少数与党」で、参議院が「多数与党」という、「逆ねじれ」のために、もしも与党が参議院でも「少数与党」に転落すれば、自動的に政権の維持は困難となる。
ために、現与党と野党第一党たる立憲民主党との「大連立」が、水面下で画策されているという。

しかし、選挙の際に、当事者たる政党がこれをいわないならば、「だまし討ち」に匹敵するし、前提にある立憲民主党の参議院議席数すらも足りなくなるような結果となれば、この大連立構想もすっ飛ぶのである。

つまり、お膳立てとして、歴史的にも、2025年参議院通常選挙、は、過去にみない「政権選択選挙」となっているのである。

そんな緊張感があるなか、29日、共同通信が世論調査結果として、自民、立憲、参政、国民、という順の「支持率」を発表した。
なんと、新興政党の参政党が、3位に浮上するのも「異常事態」なのである。

なんとなれば、この春には1%にも満たなかったからで、あきらかに支持率が「膨張」している。
「拡大」ではなく「膨張」がふさわしい。

これを「線形代数」のようにとらえると、選挙期間中(7月19日まで)に、どうなるか?は、おおげさではなく「革命的」になる可能性がある。

わが国は、国会が「内閣立法」という、行政府による侵略をうけて事実上陥落している。

制度としての「議員立法」はあるが、「議員立法しかない」アメリカのような状態ではまったくないのである。
それが、立法府の議員なのに、1人では「法案」を提出することすらできないことである。

参議院では10人以上、衆議院では20人以上が必要なだけでなく、「予算案」になると、参議院で20人以上、衆議院で50人以上という「人数制限」があるのである。

これ自体、憲法違反の疑いをもつが、こんな「数」の制限があるために、どんなに無能でも、有名人を当選させることが有利になるという、制度の悪用を誘発するのであろう。

金権政治の原点なのか?金権政治の結果なのか?は横にしても、衆議院での参政多数がなければならぬものの、「発議すること」にも意義はある。

なるほど、この夏、熱い選挙になる理由がこれなのである。

日本経済を殺したのは誰か?

むかし、『誰がケインズを殺したか』(1990年)という本があった。

むろん、ジョン・メイナード・ケインズは、1946年に心臓発作で亡くなっているから、ここで話題にしているのはケインズの経済理論のことである。

ケインズが唱えた経済理論体系を、「ケインズ経済学」と呼んでいる。
この要諦は、「有効需要」の創造と「乗数効果」にある。
経済学にもやってきた相対化は、1970年代の終わりから80年代にかけて、あまりの国民経済の悪化から、「供給サイド経済学」というものを生んだ。

いわば、ケインズの需要サイドに対抗するはずで、レーガノミクスに採用された感があったが、とうとう主流にはならなかった。

このブログでは、一貫して「アベノミクス」を批判してきた。
初出は、2017年12月に書いた「求人倍率」というタイトルだった。

アベノミクスの理論的支柱を築いたのは誰か?がいまだにハッキリしない「変」がある。
一応、政権の経済顧問だったのは、浜田宏一イェール大学名誉教授がいたけれど、ムニャムニャ述べるひとで、なにがいいたいのかよくわからず、そのうちフェードアウトしてしまった。

これに元大蔵省の本多悦郎が加えたふたりが、アベノミクス立案者だと菅義偉官房長官が明言したというが、本当か?
ほんとうなのは、誰だか出所が分からない「理論」だったことの確かさなのである。

当初から批判的なのは、なにもわたしだけでなく、投資家で有名な、ジム・ロジャーズもそうである。
ロジャーズ氏の指摘はより厳しく、安倍氏の名前は日本(経済)を崩壊させた人物として歴史に名を残すと当初から断言していた。

具体的には、黒田日銀にやらせた「異次元の緩和策」という名の、「円の印刷」だったけれども、通貨価値を下げて経済を回復させることの不可能を突いていた。
だが、安倍時代は総じて「円高」だったのである。
別にいえば、「ドル安」で「ユーロ安」だった。

ようは、西側世界は、通貨安競争をやって、日本がひとり負けした結果の「円高」だったともいえる。

をちなみに、日銀がどんなに通貨を発行しても、市中に通貨が溢れる(=インフレになる)ことはなかった。
国内金融機関に強制的に国債を購入させて余分なおカネを金融機関から吸い上げて、日銀の株式投資原資になっていたから、株価が上昇してプチバブルを形成したのである。

しかし、この余分なおカネとは、本来ならば金融機関が民間に貸し付けるためのものである。

これに、金融庁が「不動産担保」をきつく条件としたので、新ビジネスのための「起業家」へ廻るカネがなくなったから、経済の新陳代謝がとまってオールド企業群だけが残ることになった。

しかも、それらの「上場企業」は、外国資本に株式を買われて、いまでは「日本企業」の定義が揺らぐほどになったのである。
それをまた、経済のグローバル化だと歓ぶ阿呆がいる。

それもこれも、先に準備された「国際会計基準」なる、買収有利の仕組みがあってのことだった。
あたかも、「大坂冬の陣」で、外堀が埋められたのと似ている。

なんにせよ、どう生き残る・生き延びるのか?が、個人の生涯戦略のテーマになったのである。

ロジャーズ氏は、日本人の若者は外国語を習得するように強く主張している。
英語、中国語、その他複数の言語だという。
わたしには、その他がロシア語に聞こえるが、生きるために外国語を習得しないといけない国になったのである。

すると、現在の強制的な学校教育体系からどうやって離脱するのか?が、深刻なテーマになる。
これは、「新卒」採用の公務員系やら既存企業への就職をはなから放棄することを意味するし、言葉ができるだけ、ではビジネスはできない。

むかしの経済力のある商家では、(旧制)中学までで学校教育を終わらせて、その後は、家庭教師による「帝王学」の修得をさせて、家業を引き継がせたものだ。
せれで、事務員の従業員には、帝大卒やらを採用して主人の脇を固めさせたのである。

これが、まもなく一般化する可能性がある。

高校にも大学にもいかずに、どうやって一流をつくるのか?は、教育界を刺激するにちがいない。

こないだ、東横線日吉駅前を自動車で通過した際、赤信号で駅と慶応義塾大学の横断歩道前で停車した。
学生たちのチャラい服装と、全員がスマホを観ている光景を目撃して、これがわが国を代表するエリートとは思えない残念さがあった。

ただの無教養な若者たちが、あたかも受験という枠にはまっているだけである。

安倍氏(組織として「自・公」政権)が壊した日本は、この程度だったのだから、むしろ壊れた方がよかったといえる世の中になることを期待したいのである。

世界平均所得の東京というガッカリ

26日付け「読売新聞オンライン」のロンドン=中西梓、の記事が話題になっている。

ソースは、ドイツ銀行リサーチ・インスティテュートが発表した報告書である。
世界の主要69都市を対象に、「税引後の月給をドル換算」したもので、東京が2592ドルで38位だという。
7位のニューヨークは、5128ドルだから、約半分という結果である。

2012年のおなじ調査では、東京は、4023ドルでニューヨークの4170ドルと遜色ないレベルだった。

つまり、「東京のひとり負け」状態なのであるが、日本最高の稼げる都市でこれなら、地方都市は世界平均以下が確定し、よくも「G7」にいられるものだと逆に感心する。

かつての栄光の「慣性の法則」がまだ有効だというもの、なんだかなぁ、なのである。

しかし、あえていえば、「ドル換算」だということと、「税引後」のふたつの計算条件が気になる。
なにせ、2012年の年平均ドル・円レートは、1ドル=79.843円だったのである。
さらに、「税」には、社会保障料が含まれるのか?も記事からは不明である。

まぁ、為替レートが強く影響している、ことは否めない。

なので、さすが「読売」と感じる、あらっぽい記事なのである。
だが、為替がどうしてかくも「円高から円安」になったのか?も、政府の経済政策と日銀の無能の成果ともいえる。

「日本経済を殺したのは誰か?」でも書いたが、超円高で(製造)産業を空洞化させておきながら、押っ取り刀で駆けつけた風情で、遅ればせの輸出企業に有利な円安誘導は、はたして国民生活にとってよかったのか?

マッチポンプ、なのであるけれど、ほぼ全焼になるまで放置して、火消しに廻るのはどういうことか?が議論されない。

これに、「国力」としての根本である、「人口」が減る状況は、2012年の比ではないほど悪化・スピードアップしており、予測通りあと200年もすると日本人は地球から消滅する。

つまり、この数学的な結論を回避するには、いまのうちに「大転換」をしないと間に合わない。
それには、「慣性の法則」によっている場合ではないのである。

参政党「(記者クラブの)政党要件」を突破する

法でいう「政党要件」の法とは、政党助成法、政治資金規正法、公職選挙法の三つで定められている。

これら三法で共通しているのは、現職の国会議員が5人以上いること、と、さらに、政治資金規正法、公職選挙法では、前回の衆議院議員選挙か、前回か前々回の参議院通常選挙での得票率が2%以上、があり、政党助成法ではこれに加えて国会議員が1人以上所属していることの「いずれか」を満たすことが条件となっている。

この条件を満たした政党を、「国政政党(単に「政党」)」と呼んで、満たさない政治団体を「諸派」として区別する。

重要なのは、「いずれか」ということだから、参政党は「2%以上」の条件を満たす、「国政政党」である。
念のため、前回3年前の参議院通常選挙でも、昨年の衆議院総選挙でも、2%以上の得票率を満たしているために、法的に「国政政党」だといえるのである。

しかし、「日本記者クラブ」は、昨年から「いずれか」ではなくて、「どちらも満たす」ことを、同クラブ主催の「党首討論会参加条件」とし、今夏の参議院通常選挙における党首討論でもおなじ条件を提示した。

これによって、「排除」の対象になったのは、老舗の「社民党」と、新参の「参政党」となったのである。

ときに、NHKも、参政党の登場で、『日曜討論』への出演基準を変更し、過去からあった、「いずれか」から、「どちらも満たす」にしたので、常連だった社民党が出演できなくなったばかりか、新参の参政党も出たり出なかったりという状況が生まれた。

しかしながら、先の22日にあった、東京都議会議員選挙の結果、参政党の3人が当選したことを受けて、NHKは29日以降の同番組への参政党の出演をオファーしていた。

こうした「恣意的」な対応が、公共放送としてもっとも重要な、「政治討論会」の言論を制御することは、はたして妥当なのか?という問題に、「放送法」を所管する総務省はなんらの対応もしていない。

わが国の「言論の自由度」が、国際比較で低い評価であることを、家畜化した日本国民からしたら「不思議」な状態も、よくよくかんがえたら「かなりヤバイ」ことに気づくのがふつうだが、家畜だから、よくよくかんがえることもしない。

当然だが、社民党は強く抗議しているし、これを援護する共産党も異議をとなえている。

わたしはこれら政党の政策だけでなく思想も支持することはないけれど、放送局や日本記者クラブといった「公益社団法人」が、「機械的」ではなく「恣意的」であっていいのか?という疑問にこたえない態度は、結果的に「自傷」になるとかんがえる。

それで、NHKが勝手に折れた後にも、日本記者クラブがかたくなに「どちらも満たす」を曲げないなか、28日、元日本維新の会所属だった、梅村みずほ参議院議員が参政党に入党し、全国比例で再選を目指すことが「臨時ニュース」になったのである。

これで参政党は、現職の国会議員が5人以上在籍、という条件をクリアした。

創設者で党首の神谷宗幣氏は、大阪府知事だった橋下徹氏と組んで、「日本教育維新の会」を発足させるも、主義主張の隔絶に気づき離脱、その後、松井一郎氏らが「維新の会」とした経緯を街頭演説で何度も発信していた。

こうした因縁のある政党から、このたび梅村氏が合流する経緯もまた、「維新の会」という組織のガバナンスに対抗したことでの結果だから、人間は感情がある動物なのだ、と再確認することができるし、梅村氏を事実上排除した組織が、その先、をぜんぜん読んで(予測)いないことの愚をドラマのようにみせつけられたのである。

そういえば、維新は、2月にあの竹中平蔵を「ガバナンス委員会」に据えたばかりであったから、妙に「ざまぁ」という感情がほとばしるのである。
なにせ、4月に梅村氏が批判した「ガバナンス不全」の当事者だからである。

そんなわけで、公益社団法人日本記者クラブは、どうするのか?

「参政党外し」を、あたかも「トランプ外し」をやったがごとく真似をして、とうとう「地滑り的勝利」をトランプ氏にもたらした「故事」からも、なにも学んでいないのも、きっと組織ガバナンスに問題があるにちがいない。

参政党はトランプ政権2.0と連絡していることも、話題になっている。

マスコミを信じないひとが多数派になって、「地滑り的勝利」をもたらすことになるのでは?と期待している。

トランプ礼賛のNATO首脳会議

24日からの2日間にわたるNATO首脳会議は、「トランプ礼賛」ではじまり、そのまま終わった。

フェイクニュースメディアの最高峰、BBCは、「トランプ・サミット」と呼んでからかっている。
オランダの首相だったルッテ氏が、NATO事務総長になれたのは、「お世辞がいえる人物だから」として、じっさいルッテ氏は「ダディー(お父さん)」と呼びかけたのである。

これには、ホワイトハウスがつくった映像が影響している。

『DADDY`s HOME』という歌詞付きの曲までつけて、会場のオランダに到着し、王宮へ向かう映像を一緒に流していたからだ。
トランプ大統領の宿舎が、「王宮」であり、翌朝にはウィレム=アレクサンダー国王夫妻と一緒に写真撮影をしている。

このとき、トランプ氏は、「これが欲しかった写真だ」と発言している。

つまり、例によって、このホワイトハウスがつくった動画は、その場での状況を説明したようなものではなくて、事前に十分に計画されて「製作」されているのである。

それは、トランプ大統領が掲げる最大の公約、「アメリカファースト」のためのもっとも重要な「敵地」が、オランダだからである。

世界経済フォーラムの親玉として君臨する、「ビルダーバーグ倶楽部」の創設者こそが、オランダのベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト王配(ユリアナ女王)殿下(ベアトリクス女王の父)であったのだ。

すなわち、ルッテなる人物は、かれらの僕(しもべ)にすぎない。

だから、迎え入れる側も、十分こうした背景を承知のうえで、トランプ氏を「褒め殺し」しようと画策したのであろう。

この点で、直前に参加を見送った石破首相は、偶然かなにかはしらないが、うまいこと「逃げた」ともいえるけれ、NATO準加盟国をやめないままなので、単純にトランプ氏へのおべっかをするのが嫌だっただけかもしれないとみられていた。

しかし、25日、あの日経新聞が、「名古屋からフェンタニルは輸出」との調査報道を出したので、事前に政権に予告していたとすれば、「この件」しか急遽キャンセルの理由がない。
代理出席の岩屋外相も、晩餐会に出なかったのは、トランプ大統領と接触したくないからにちがいない。

けれども、トランプ政権2.0はかならずチェックをいれているので、今後も逃げようにも逃げられないのは、例の「関税」交渉である。
日本経済新聞は、「向こう側(戦争屋)の媒体」なのに、こんな暴露記事をだしたのは、誰かから「出せ」といわれた可能性だってある。

誰が書かせたのか?

その前日の24日、参政党から全国比例で出馬予定の在米経験がながい、空手家兼実業家の山中泉氏が「X」で、トランプ政権1.0の安全保障首席補佐官とヘリテージ財団経験者のふたりの要人と意見交換したと報告している。

つまり、参政党は、トランプ政権2.0との連係も模索していると述べていて、先方はかならず「現職」へ伝えるにちがいないけれども、山中泉氏は「候補予定者」であって、現職の議員ではない民間人だ。

よって、この「会談」も、トランプ政権2.0側からの仕掛けともとれる。

なお、元東京新聞でいまは独立系ジャーナリストの長谷川幸洋氏は、いまニューヨーク滞在中で日経のこの記事を絶賛し、「新聞協会賞」級だと明言している。
だが、ほぼ40年間読者だったわたしからしたら、「ありえない」で済むはなしで、決してこの「新聞社モドキ」の意志で掲載したとはおもえない。

さて、とにかくアメリカをNATOにとどまらせること、が唯一の目標になった現在のNATOは、今回の「会議」で、その無能を世界に示してしまったのである。
ぜったいにできっこない「加盟国への防衛費5%」をのんだのは、先ずは目先の合意だけでいいとするヨーロッパの浅はかさで、トランプ氏の今後のツッコミどころを与えてしまった。

それに、プーチン氏のロシアと組めば、もう、「大手」どころか、まもなく「詰む」こと請けあいで、世界の絵図は「反グローバリズム」に書き換わったも同然となったのである。

しかるにわが国をみれば、都議会議員選挙の「不正」が、TikTokの投稿にも出現してしまう事態になった。
都知事は本件の質問に、いつものように「まとも」な回答はしていない。

ジワジワと、トランプ礼賛しか方法がなくなるようになっている。

家畜化実験の結果

結論から書けば、「自己家畜化」現象の発見であった。

当初、この実験対象の最終候補だったのは、キツネと人間だった。
しかし、人間をして世代を超えた実験対象にすることはできないから、家畜とはいえないキツネが対象として選定されたのである。

ゲージにいれて飼育するのだが、エサを与えるときに「だけ」人間と接触する実験で、文字どおり「瞬間的に頭をなでる」ことを繰り返す。
すると、なついてくる個体と攻撃的な個体とに分類できるようになって、なついてくる個体同士を交配させて次世代をつくる。

これを、数世代にわたって繰り返すと、とんがった顔ではなくて丸味を帯びた顔つきのキツネとなるし、性格も温和となるのだが、脳にある興奮物質の供給も少ないことがわかったのである。

ところが、こうしたキツネの変化から、ある仮説がとなえられるようになった。

それが、人類の、もとが野蛮な性質から現代人の温和さの変化についてのもので、「自己家畜化」説となったのである。

人間の場合、集団生活をしないと生き残れない、ために、いかにして「社会化」するか?が生存の条件になる、とかんがえた。
そうやって、自己家畜化、をもって周辺のひとたちと協調しあうことが、DNAレベルでも書き込まれるようになったとする「説」である。

さらに、あのレヴィ・ストロースのコペルニクス的転換があった名著、『野生の思考』も意識している。

さて、キツネを用いたこの実験は、ソ連時代のロシアでのことである。

ここで、気になることは、「白人」のイメージが強いことである。
レヴィ・ストロースの「野生」とは、「野蛮」とはことなる。
しかし、白人の「野蛮」こそ、彼らのDNAレベルに埋め込まれていないか?とおもえるふしが多分にある。

信長も、秀吉、家康も、「南蛮人」と呼んだのには、それらのひとたちの人間性に「野蛮」をみたからであろう。
当然だが、ザビエルは宣教師としての顔の裏に、征服者の欺瞞があったのをこの当時の日本人は即座に感じとることができたのである。

すると、縄文遺跡から一切の武具が出土しないことの意味が深くなる。

狩猟道具はみつかるが、戦闘用の武具・武器がないことの、平和主義は、自己家畜化のレベルを超えているとかんがえられるからである。

その不思議のひとつに、律令制の「租庸調」が、中央からの「お達し」だけで成り立っていて、「防人の歌」にある程度で、おおきな反抗・反乱がなく施行されていたことがある。
従わなかったのは、「蝦夷(えみし)」と呼ばれたひとたちばかりの東北以北の地域しか話題にならない。

それで、中央の貴族たちの私腹を肥やす、「荘園」の管理人から武士が出現するのは、えらく悠長なはなしなのである。
しかも、武士たちが言葉たくみ(「和歌」の名手たち)だけの貴族を武力で従えるには、これまた数世代を要している。

その武士たちも、言葉たくみとなって、影響は町人に及び、「連歌」や「俳句」に昇華していく。

まことに、「言霊」や、「穢れ」と「禊ぎ」、そして「怨霊」への信仰心が強かったことがうかがえるのである。
貴族を相手に荒くれ者のはずの武士たちが、おっかなびっくり、なのは、武力以上の「なにか」に怯えていたとしかおもえない。

逆に、貴族たちが武力をもつ武士たちを徹底的に見下していた、自信、の根拠が、「清涼」なる血を根拠にしていたのか?

まさに、日本神話の威力、なのである。

だから、戦争のはるか前の大正期にあたる時点で、日本征服研究を本格化させ、GHQがそそくさと計画どおり実施したなかに、「神話」(教育)の否定があるのだろう。
この研究のきっかけが、ベルサイユ会議における「人種差別撤廃」を日本が主張した「罪」により、すぐさま「黄禍論」がはやりだしたのである。

あたかも、人口が巨大な中国を対象にしているかのようにみせるが、じつは本丸は日本人を対象にして、とうとう戦時中のアメリカ民主党は、正規移民した日系人を強制収容所に収容=社会からの隔離をするナチスと同じことをやったし、二世、三世をアメリカ兵に志願させ、祖国を裏切る行為を自発的(自己家畜化)にするよう仕向けたのである。

そのまた継続による自己家畜化効果として、日系人の連邦議会議員たちが総じて民主党左派(反日極左)だったことでも理解できる。
それがまた、ハワイ州における岩盤民主党支持層を形成しているのである。

だから、ハワイ州からの唯一のサモア系連邦下院議員だった、トゥルシー・ギャバード女史が共和党トランプ政権2.0へ「寝返った」ことの意義は、日系社会では不快であるだろうが、深いのである。

つまるところ、白人・貴族社会は、人種差別撤廃に断固反対していたのである。

ゆえに、アメリカ民主党が、「肌の色」にいまでも固執するのは、この差別意識が強いからで、当初だれもいなかった黒人と南米インディオ系(ヒスパニック)のトランプ支持者が、24年選挙で爆増したのには「気づき」があったからである。

それが、民主党の「偽善・欺瞞」を見抜いたことである。

民族から神話を奪うことの効果は、外部からの日本人家畜化計画の成功をもって常識化した。
永遠に家畜管理人という「上級国民」でい続けたい既存与野党の思惑とは別に、脱家畜に気づくひとたちが爆増しているのは、アメリカの事例と同じく、「偽善・欺瞞」に気づいたひとが多数になっているからで、ヨーロッパでもおなじことが起きているのである。

それで、こうした「反乱」を阻止したい守旧派は、あらゆる野蛮な手段をもちいても弾圧することをはばからない。
それが、元来野蛮な白人(貴族)社会からスタートし、準野蛮人の支配になった日本でも起きているのであろう。

すると、より鮮明に自己家畜化したのは、じつは貴族層だった、ということなのである。