39歳のJ・D・ヴァンス

13日の暗殺未遂から、たった二日後の、15日、ウィスコンシン州ミルウォーキーで予定通りはじまったのが、「共和党全国大会」である。
最終日は、18日。

ここで、トランプ氏の大統領候補「受諾」演説がある。
日本のマスコミは、顔を見せるだけで出番がない、などと世迷い言をいって、視聴者を煽動しているが、はなから出番は最終日の大トリ、「受諾演説」を盛り上げるための大会なのである。

事件後、大会の「延期?」とのはなしもあったようだが、トランプ氏からの「通常どおり」の希望があったという。

初日の目玉は、「副」大統領候補者の指名であった。

なお、アメリカ大統領選挙とは、ひとりの大統領候補への投票ではなくて、正・副大統領候補のペアをセットで投票する仕組みになっている。
なので、有権者からしたら、「Ticket」ともいうのである。

さて、副大統領候補者に指名されたのは、2年前に連邦上院議員(オハイオ州)に初当選した人物で、ときの年齢は37歳、いまは39歳(来月、満40歳になる)である。
このときの党内予備選は激戦で、本選にあたっては、トランプ氏が直接応援に入った、という。

2016年当時、彼は「反トランプ」であったが、18年には「見直し」がはじまって、20年には「反トランプだったことをトランプ氏に謝罪して」それからは、「トランプの申し子:クローン」的な存在となっている。

じつは、「自伝」である、『ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~』で無名の弁護士から一躍、ベストセラー作家になった人物だ。
このとき、31歳。

いわゆる「ラストベルト:Rust Belt:さび付いた工業地帯」出身の、白人労働者(貧困)家庭の生活実態をあらわした本で、アメリカ人もしらない話が報告されていることが、後世の「資料」としての価値もあると評されている。

「さび付いた工業地帯」とは、かつての重工業(鉄鋼と自動車)の中心地のことで、アメリカを「世界の工場」へと押し上げた地域のことである。
大西洋側北部のボストンからワシントンD.C.をとおり中西部までの地域を指す。

夢を失った白人貧困地域出身というのは、アメリカではとくにエリート層からの蔑視の対象になるというが、ほんのわずかなチャンスから、とうとう名門イエール大学から弁護士となった「エリート」でしかも、彼の妻は同級生ながらさらに優秀で、連邦最高裁長官と判事のふたりから「補助スタッフ」に選ばれている。

鼻持ちならぬ民主党のエリートたちは、とかく「学歴」をもって相手を制圧しようとする、じつはヘイト体質があるけれど、ヴァンス氏夫妻にはぐうの音も出ないと、ワシントンD.C.在住の伊藤貫氏が嬉しそうに語っている。

トランプ氏は、忠誠心と共に、選挙戦における「ラストベルト攻略」という大戦略のため、この若い人物を選んだとかんがえられる。
なぜなら、上の事情から、ラストベルトこそが、選挙の決め手となる「スィングステート:民主党と共和党に揺れ動く州」が集中しているからだ。

アメリカの大統領選挙は、州ごとの選挙人票(連邦下院議員数と上院2をあわせた数)の総取りによる集計方法なので、じつは「全米」での支持率とは別の、州ごとの情勢分析をしないといけないかなり高度な選挙戦略が要求されるものなのである。

さて、ヴァンス氏は、1年生議員(選挙で一回だけの当選)のくせして、共和党上院議員団からの「嫌われ者」だという。
いわゆる、「RINO:Republican In Name Only:見せかけの共和党員」である、ミッチ・マコーネル(ケンタッキー州)が親分の上院では、「反トランプ」が主流なのである。

しかし、下院がそうであるように、いまや「トランプ派」が主流を成す流れの中で、6年に一回の上院議員選に勝つには、トランプ氏の指示表明(endorsement)がないと落選の憂き目をみることが明確になっているので、上院もおおきく変化しているし、次回の大統領選で同時に行われる改選では、民主党の議席をトランプ派が奪還し、上院でも多数派を形成しようと狙っている。

その意味で、今回の党大会における党内主流派が、「トランプ派」になったことを証明した。
連邦上・下院銀選挙でも、RINOが生き残ることはできないだろう。

「DSをぶっ潰す!」と明言している第二次トランプ政権の鍵は、政府幹部の人事を担う連邦上院での多数をとることで、それが公約達成のための条件だからだである。

これまで共和党といえば、「お金持ちの党」というイメージがあったが、トランプ氏の支持層が一気に「労働者層」と「有色人種層」にシフトして、これを白人貧困層出身のヴァンス氏が強力に後押ししている。

ために、少し前ならあり得ない、労働組合の一部が共和党支持に回り始めているのである。
逆に、民主党から労働組合が離反しているのは、バイデン政権発足初日の「裏切り」に象徴される。

これは驚くべきことで、「金持ちのための政党」だった共和党が、このわずか6・7年で、衰退する中間層のための「庶民政党」に大変化した。
「(外国の)金持ちのためだけの政党」に大変化した自民党とは真逆なのである。

民主党のバイデンを激推しした、カナダとの石油パイプライン会社の労組が、「パイプライン運用中止の大統領令」によって、万人単位の失業者をだしたからである。
この労組委員長は、「支持政党を間違えた」と声明をだしたが、あとの祭りである。
だがいまは当然に、トランプ派を推しているのである。

日本でいえば、労組が自民党支持になるなんて「生易しい」程度のことではなく、もっとドラスティックな変化が起きているのである。
社会主義的な政策ではない、労働者の生活を改善するための「再教育」が主柱になっていて、これが支持されているのだ。

この意味で、『ヒルビリー・エレジー』の「解説」はいただけない。
日本的社会主義に毒された人物が、批判的に「解説」しているからである。
この解説者は、「本文」を読んでいないのではないか?と疑う。

ときに、第二次トランプ政権が発足しても、任期は4年しかない。
なので、今回の「副大統領候補」の意味とは、後継の大統領候補だという意味でもある。
そうなると、ヴァンス氏は44歳の大統領となって、あのケネディ大統領(43歳で就任)につぐ若き指導者となる可能性もあるのだ。

トランプ氏とそのスタッフによる、深遠なる「仕込み」が行われている。

3月14日の大予言

牧師さんが語っている話が、いまや「大予言」としてバズっている。

予言といえば、マンガの『シンプソンズ』が有名であるが、「棺桶に眠るトランプ氏の絵」がいまのところはずれているのは結構なことだ。

安倍氏の事件ではなかった「詳細な解説」が、すでにネットでは多数あって、信憑性のあるものを自分でチョイスできるかが問われるほどの状態にある。

わかりやすいのは、トランプ氏と犯人との位置関係図である。
「銃社会」のアメリカとして、このような説明がないと一般人も納得しないからだろう。

逆に、政治に関心を失う訓練を施された日本人は、安倍氏の暗殺がどのようにされたのかに興味も失っている。
「自分事」に発想を転換できない、愚の骨頂がある。

狙撃のその瞬間、トランプ氏が聴衆後方の大画面にグラフを示す(バイデン政権による不法移民の数)ために右を向いたまさにそのときに、弾丸が飛んできたのである。
それで、もしもトランプ氏が正面を向いたままだったら、彼の右後頭部は吹き飛んでいた。

ケガをしたひとと亡くなったひとの位置関係が図に示されて、生々しいのだ。

犯行に使用された銃は、いまも現役の軍用ライフルの原型といわれているもので、取り扱いのしやすさで定評があるという。
唯一の欠点は、使用する弾が軽量なので、「風に流されやすい」ことだとも解説されている。

じっさいに、現場には風もあった。

それゆえに、銃の性能からしたら、トランプ氏を外したのは「上手くなかった」からといえるが、犠牲者を出したことの外し方としては、まさに「紙一重」といえる。

ここからも、自作自演などという暴論はあり得ない。
犯人の手元の誤差は、数ミリどころではない微妙さであって、ほぼ正確な狙いだったといえる。

さらに、右耳を貫通した、という「説」にも疑問がある。

使用された弾丸は、5.8ミリの小口径だと思われるが、威力は別である。
スピードは、マッハ2.5ほどもあるだろう。
なので、周辺の圧縮された空気が、トランプ氏の耳と頬を切り裂いたとかんがえるのが妥当で、直接あたっていたら彼の右耳はすっ飛んでいる。

むしろ、鼓膜も破れたのではないか?との疑問もあるが、そのような素振りも見せないトランプ氏の精神力こそ、驚きなのだ。

冒頭の「大予言動画」を、16日の『カナダ人ニュース』さんが手短に解説している。

もともと、トランプ氏はキリスト教長老派の熱心な信者で、彼の「ラリー(演説集会)」とは、彼にとって「ミサ」なのだと書いた。
ようは、このひとは、英国から逃れた「清教徒(ピューリタン)」の流れをくむという意味でも、アメリカ的正統の「保守派」なのである。

共和党は、そういうひとたちの政党で、いまや無神論(共産主義)の民主党とは水と油なのである。

ところで、トランプ氏は事あるごとにレーガン大統領を意識している節がある。
今回の暗殺未遂から遡ると、前回は、やはりレーガン氏の暗殺未遂事件にあたる。

彼は、強力なレッド・ウェーブをもたらして、なんと、全米50州で落としたのは、ミネソタ州とワシントンDCだけだった。
ニューヨーク州もカリフォルニア州も、共和党が勝ったのである。

もしや、神がかったトランプ氏は、レーガン大統領の記録を上書きするやもしれぬ。

トランプ裁判「崩壊」の責任論

暗殺未遂の後の大ニュースである。
結論から先にいえば、民主党バイデン政権による「司法の武器化」が失敗した。

大きな理由に、7月はじめにでた連邦最高裁の判決(「大統領免責特権」に関する新解釈)が効いてきたけれども、ぜんぶで4本の裁判うち、2本の裁判で起訴を担当した、連邦特別検察官の、ジャック・スミス氏の「身分」を今回の連邦地方裁判所が否定したことで、「機密文書持ち出し事件」が吹っ飛んだのと、おそらく同じ理由で「1月6日を首謀した事件」も消滅するはずである。

この連邦特別検察官の任命「人事」にあたって、裁判長は、「不適格」の理由に、「彼を特別検察官に任命するのに合法な、連邦司法長官の権限はない」という痛烈なものである。

この権限なしの判断根拠には、反トランプで有名な法律家の意見(政治信条とは別けて)が先にあって、さらに、保守派連邦最高裁判事も「意見書」として支持していたことが挙げられる。

なので、左派は裁判官を非難しているが、該当する法律がないことは事実なのだ。

アメリカの官僚制は、上級職と下級職とに分類できて、連邦特別検察官という上級職の場合は、大統領による指名と、それを受けた連邦上院議会の承認を要するのに、ジャック・スミス氏は、連邦司法長官による任命でしかないのに職務を遂行したことが違法とされたのだ。

ちなみに、下級職の場合は、上級職(大統領を含む行政官)が任意に任命する権限をもつ。
なので、すでに共和党の政権移行チームは、「政権交代」をみすえて、猟官制の上級職だけでなく、組織の手足となる下級職員の募集も開始している。

なお、終身制の高級官僚(SES=DS)について、共和党はどのように対処するのか?報道はまだない。

さて、今回の判決を、組織の「人事」としてかんがえたら、本人の責任よりも、その上位者にある者たちが責任を負うことになる「事件」なのである。
大統領とその政権にある司法長官の、重大な「チョンボ」について、法的に裁判所が認定したことの意味が重すぎる。

当然だが、これはアメリカ民主党のチョンボでもあり、民主党内の法務関係者が「知らなかった」で済まされるような話ではない。

なにせ、「政敵」の選挙活動を司法の権力で押さえ込もうとした、卑劣が、より鮮明になったのである。
ようは、この人事そのものが、司法の武器化であった。

また、こうした判決が、暗殺未遂事件の直後に出てきたのも因縁深く、トランプ氏への「神がかり」論の根拠にもなっている。

このブログでも書いてきたが、今回の判決で2本が消える(起訴した検事が無資格者だったことによる)から、残りの2本の方はどうなのか?を確認すれば、まず、有罪評決がでた「政治資金の帳簿誤記載裁判(いわゆる「元ポルノ女優への口止め料裁判」)」にまつわる「量刑」の言い渡しは、今月11日の予定から9月に変更されていることが挙げられる。

これには、担当裁判官(ニューヨーク州地裁)自身の違法な政治的活動問題が絡んでいて、また、この裁判官の指導した本裁判における「評決方法」に違法性があると指摘されているためである。

その違法性とは、陪審員裁判における評決は、「罪状ごとに」全員一致が要件なのに、本裁判では34もの罪状を「一括」してしまったのだ。
当然ながら、トランプ氏側はこれを上級審に問いただして、量刑の言い渡し日が延期された経緯となっている。

裁判官による違法な陪審員への介入(「一括評決」させたこと)だと、上級審が判断したら、裁判自体がすっ飛んで、別の裁判官と陪審員とによる、「やり直し」となる。
なお、当該裁判官の違法な政治的な行動(民主党への寄付)は、この裁判官の解雇も検討されることとなる重罪なのである。

もう1本の方は、州検事が自身の不倫相手を補佐官にして、不当な利益(州予算)を流用・共有した疑いから、検事自身の適格性と横領事件の立件がここでも争われているのだ。

ようは、トランプ氏を訴えた側の検察からして、グズグズなのが明らかになって、民主党支持者たちをも呆れさせているばかりか、こんなグズグズをひた隠してきたマスコミへの不信と批判が巻き起こっているのである。

暗殺未遂後の会場では、退場する参加者たちが取材に来ていたマスコミに、「お前たちのせいだ!どうしてくれる!」との大合唱になったことも、マスコミは伝えていないのが、SNSの映像で明らかになっている。

これはもう、バイデン政権の崩壊状態を晒しているのである。

なので、もう「バイデン降ろし」もなくなると予想できるのは、誰も負け戦に挑まないからで、連邦下院の民主党議員の一部には、「トランプ政権を受け入れる」発言すらでてきている始末なのである。

そんなわけで、小さなところでは、ガーランド司法長官の責任論が辞任へとつながる可能性は高いだろうし、お粗末な警護をやったシークレットサービスを管轄する、国土安全保障省のマヨルカス長官(2月の連邦下院で、2票差で弾劾否決された)が耐えられるのか?も含め、もはや火の車の状態にちがいない。

この事態に、16日から南シナ海では、ロシア海軍と中国海軍の共同軍事演習がはじまっているのに、日本のマスコミは無視して平気の平左なのだ。
そのロシアは一方でまた、プーチン氏が訪問したベトナムとあたらしい軍事協定を結んでいる。

もう、小学生以下の日本外務省の敵ではない高度さで、わが国周辺の状況も変化しているのである。

これも、第二次トランプ政権誕生の「確実さ」がさせている、各国がそれぞれ先手を打っていることのひとつだろう。

慈恵を正義に混ぜると混乱する理由

アダム・スミスの『道徳感情論』(1759年)を、どれほどのひとが読んでいるのか?と問えば、ほとんどいないのだろう。

関ヶ原の合戦を経験した武士から出家して、曹洞宗の僧になった鈴木正三(しょうさん)の『万民徳用』(1661:寛文元年※没後の刊行)が、仏教の側面から「職業倫理」を説いた初である。

それから、「石門心学」の祖、石田梅岩(ばいがん)の『都鄙(とひ)問答』(1739:元文4年)が、いわゆる「企業の社会的責任:CSR:Corporate Social Responsibility」を論じた最初となっている。

アダム・スミスどころか、その前に書かれたこれら日本人の著作を読んでいる日本人こそ、また少数なのだろう。
世に出された年代を改めて見たら、スミスの方がずっとあたらしいことも、日本人はもっと自慢していい。

これに50年代、アメリカで国民作家と評されたアイン・ランドがいう、「道徳的でないと資本主義は成立しない」ことの意味が、こうした古典からも理解できるのだが、道徳が地に落ちて、「剥き出しの欲望」が現れたら、もうそれは資本主義ではなく、ただの「帝国主義」に堕ちるのである。

そうやってかんがえると、資本主義の祖国のはずの英国は、おそらく資本主義が成立する間も無く、あっという間に帝国主義に堕ちていったと思われる。
これは、スミスの『道徳感情論』すら、専門書の扱いであって、決して英国人全体の道徳になったとはいえないからである。

現代日本人が、正三も、梅岩も読んでいないのと同様に、現代英国人もアダム・スミスを読んでいないのがわかるのである。

しかし、一層興味深いことに、われわれ日本人の歴史には正三を起点にした江戸中期から明治中期(日清戦争前)まで、「道徳の民」であったことは明らかなので、世界で唯一、資本主義を経験した民族といえるのである。

もちろん、この議論には「資本主義の定義」が重要となる。

ところが、「株式」を発行する「株式会社」の始まりが資本主義だとすると、始祖は英国ではなくてオランダになってしまう。

植民地インドネシアで設立した、オランダの「東インド会社」が、世界史初の株式発行会社であるからだ。
わが国に株式会社はなかったけれど、内国為替の発達はヨーロッパにおける小切手の発達に匹敵するかそれ以上だった。

十返舎一九のベストセラー、『東海道中膝栗毛』(1802〜14)で、弥次・喜多のコンビが三島宿で「ゴマの灰」にあってあり金を盗まれる事件が発生するが、府中(静岡)にいる友人に金を借りて落ち着くのである。

しかし、伊勢参拝を無事に終えたコンビは、京・大阪見物で無一文になり、なんらかの助け(詳細の記述はない)を受けて、なんと、木曽路から善光寺、妙義山を廻って江戸に帰るとして、第一編を終えている。

果たしてどんな助けがあって、帰路とはいえ徒歩での大旅行ができたものか?おおいに気になるところである。

時代想定はこれよりはるかにむかしとなる、『水戸黄門』は、時代考証におおいに疑問があるドラマだが、水戸に手紙を送って為替をもって旅先の両替商での現金化をする話が出てくる。
これが、いわゆる「旅為替」である。
旅の出立前に用意するのが「普通」という解説が別途ある。

そんなわけで、毒をもって日本人を滅亡せんとした「西側」の欧米人も、自らの毒に犯されてしまって同じく滅亡の危機に陥ったのである。

皮肉なことに、ソ連によるパワー・プレイに首をひそめて生きてきた東欧のひとたちが、同じくプーチン氏による共産主義の排除で蘇ったロシアと共に、西側の毒から逃れて「まともさ」を保っているのである。

アダム・スミスは、慈恵は個々の自然な感情によるとしたが、正義だけは厳罰を伴う「法」によるとした。
これが、18世紀まであった英国人の社会を見る常識メカニズムの解明だったのである。

いま、アダム・スミスを読んだ邪悪の者たちが、このメカニズムを悪用して、慈恵(寛容、人間愛、親切、同情、友情などの諸感情)を逆手にとって、これらの感情をあろうことか正義に振り替えているのである。

すると、「法」による正義の秩序を、「正義」の定義の内部から崩壊させることができる。

これが、国家やらによる「親切心の強要」となって、他人のためにも注射を打つことを「正義」にすり替えることに成功したし、LGBTQも同様で、先進国のアメリカでは、小学生が教師の誘導によって性転換手術を受け、保護者はこれを阻止することも反対意見を述べることさえ禁じられたのである。

なんと、学校の指導方針に反対する保護者は、「国内テロリスト認定」されて、FBIに逮捕・有罪・収監される時代になってしまった。

それもこれも、スミスは、「社会を支える土台は正義であって慈恵ではないと考えた」ことの悪用なのである。
だが、誤解してはならないのは、スミスのこのかんがえは、よく読めば真っ当なものだ。

慈恵を強制させる社会の方が、持続できない。

これが、移民によるさまざまな問題として顕在化したのである。
さらに、慈恵の正義化で、移民は犯罪を免除される不公正も正当化されている。

その目的が、秩序の破壊だからで、最大の邪魔者がトランプ氏なのである。

一方で、いまわかったようなことをいっているバイデンやら民主党の一味は、数日前の選挙資金集めパーティーで、「So,we`er done talking about the debate, it`s time to put Trump in a bull’seye.」(いまはもう討論なんかしている時ではなく、トランプを狙い撃ちにするときだ)といつものように「失言」したことが、犯人の青年の背中を押したのでは?と批判が起きていると、「黒森ミネオチャンネル」さんが伝えている。

ために、わが国のテレビはこれを一切報じず、むしろ「トランプがチャンスとばかりに事件を利用する」などという、視聴者に「憎悪」をあおることをやっていて、まことに道徳的ではないのである。

トランプ氏をかすめ、右耳を裂いた銃弾は、あと数センチで彼の頭部を撃破していたはずだし、死亡したり重体になった聴衆は、このはずれた弾にあたってしまったのである。

道徳が地に堕ちると、人々は不幸になると、アダム・スミスはいっている。

トランプ銃撃

13日、米ペンシルバニア州バトラーで開催したラリーで、トランプ氏が銃撃された。

AP通信の報道によると、犯人は死亡、なお、会場にいたひとで少なくとも一人が死亡したという。

映像によると、トランプ氏は何度目かの銃声の後、おそらく音のする右に向いたとき、一瞬顔を歪め、右耳に手を当ててそのまましゃがみ込むように演壇の後に隠れた。
警護が翔んできて囲む。

しばらくして、立ち上がると、抱える警護の合間から拳を上げて無事をアピールした。
このとき、右耳上部から出血しているようにみえたが、じっさいに耳の上部を貫通したという。

シークレットサービスの発表したところによると、トランプ氏は無事とのことだが、詳細はあきらかにされてはいない。

なお、この事件の前日、メタ(Facebook、と、Instagram)は、「1月6日事件」時から凍結していた、トランプ氏のアカウントを完全解除し、この理由に、「公平な大統領選挙候補者の発信を保証するため」と、いけしゃーしゃーと発表している。

その前に、トランプ氏は、大統領に再選されたあかつきには、ザッカーバーグ氏への捜査と有罪・収監を、公約発表したのである。

犯人がどうして死亡したのか?についての詳細も、ラリー参加者が死亡したことの詳細も、現時点ではわかっていない。

アメリカ人の多くは、ケネディ暗殺にまつわる「単独犯」についての公式発表にモヤモヤ感を抱いているはずだし、無所属立候補している、ロバート・ケネディ・Jrも、トランプ氏も、ケネディ暗殺事件の機密資料の全面公開を公約しているのである。

ただし、この話には不可解な点があって、ウォーレン委員会(大統領直属の特別調査委員会で、委員長のウォーレン氏はときの連邦最高裁判所長官)は、オズワルドの単独犯行だとしたが、1964年、機密文書の一部を2039年まで75年間封印することを決めたのである。

このときの、大統領は、ケネディ政権の副大統領から昇格した、リンドン・ジョンソン(民主党)だった。
ちなみに、あまりにも人気がなく、ジョンソンは二期目の候補を辞退する羽目になり、結局、共和党のニクソンに政権交代している。

いまの、「バイデン降ろし」の状況と似ているのである。

ちなみに、バイデンおよび民主党幹部(上院・下院の民主党院内総務)は早速に、「あってはならないこと」と声明を発しているのに、国土安全保障省が管轄するシークレットサービスの「現場」からは、警備強化の要請をしていたのに、本部がこれを拒否したとのニュースも流れている。

そんなか、演壇から120mしか離れていない会場外の学校の屋上に、銃を持った人物がいるとの通報があったにもかかわらず、警察とシークレットサービスは事前に何もしていなかったのである。

今回、死亡(シークレットサービスによる射殺)した犯人(中国人?と報道)は「単独犯」という方向になると現時点では邪推する。
また、マイクが拾った銃声の軽さと、トランプ氏の怪我の度合いから、それなりの「小経口ライフル」ではないか?とも、あるいはサイレンサーを用いた?ことも推察できる。

大口径ライフルの発射音は、腹に響くほどのものだ。

ほんとうにトランプ氏は軽症なのか?という疑問もあるが、「小経口」ほど、プロ愛用ではないのか?
耳の上部への着弾なら、こめかみと数㎝の誤差だからである。

しかも、最前列にいた上院議員候補者デビッド・マコーミック氏は米FOXニュースの取材に「銃声が7、8回、たて続けに聞こえた。私の後ろの人もけがをして、血を流していた」と答えたというから、どんな銃なのか?気になる。

すると、安倍晋三氏との共通をイメージしてしまうのである。
ただし、安倍氏の場合は、最低でも二方向からの同時銃撃だったとおもわれるのは、『週刊文春』で発表された記事を信じれば、の結論だ。

いずれにせよ、屋外で実施されるラリー会場の警備は、銃の国アメリカにあって厳重なはずで、たとえ場外であっても狙撃を阻止するために厳しい想定弾道のチェックをするのは当然としているはずである。

まさか、ロシアのスナイパー?という説がでてきたら、もうマンガである。

とにかくトランプ氏の無事を祈るが、波紋は大きくふくらんで、バイデン降ろしも早まるかもしれない。

それにしても、「自作自演」とか、上から目線の見苦しいコメントがネットに流れているのを残念に思う。

犯人だけでなく、ただ集会にやってきた一般人も現実に亡くなっているテロ事件なのだ。
トランプ氏の退院後最初のコメントを素直に読めば、そのまともさがわかる。

しかして邪悪な民主党バイデン政権は、シラッとこの事件の担当を近年悪名高き「FBI」だと発表し、まさに隠蔽をはじめたかに見える。

日本人にも、道徳感情が希薄な地に堕ちた恥知らずが多数いるとしれた。

どうする?やめられない民主主義

統治方法として、民主主義をいったんやめる平和的方法がない。

日本だと、江戸幕府が崩壊したのは、いちおう「自主的」な、「大政奉還」という方法をかんがえついた。
それなのに、逆上した薩長が戊辰戦争を起こしたのは、なんだか腑に落ちないのである。

「錦の御旗」にごまかされてはならない。

それでも、戊辰戦争は、まだちゃんとした「戦争」で、身分制の中の武士だけを殺戮の相手としていた。
なので、子供が犠牲なった「白虎隊」も、武士の子という限定された範囲での悲惨である。

嫌らしいのは、その後の「転封」で、会津藩は下北半島旧南部藩から切り取った「斗南(となみ)」へ追いやられた。
これは、明治政府が幕府の真似事をやったのであって、会津からは、藩との付き合いがあった商家も一緒に移転している。

いまは、いわゆる「ジェノサイド」の時代となって、無差別攻撃を平気でするようになったのである。

兵隊同士の闘いだから、武器のことを「兵器」といったのは、兵隊だけを対象に使用する器具だからである。
なので、いまの武器は、「兵器」とはいえず、たんなる「無差別大量破壊道具」になった。

そんな道具を相手につかうのが、民主主義国なのだ。

「ブチャの虐殺」から、ロシア軍の大きな動き、すなわち、ウクライナ側から観たら「不利」な事態になると、ロシア軍がウクライナの民間人を殺めるケチをつけるのが、ひとつのパターン(ワンパターン)になっている。

プーチン氏は、軍事施設などへの空爆はするが、民間人をターゲットにした攻撃の許可はしていないと明言しているし、早い時期にいったんキエフを包囲しながら撤退させた妙な作戦のにとも、最近になって理由を説明している。

和平交渉を実施するにあたって、ウクライナ側から、キエフ包囲はあたかも銃を突きつけられた状態で交渉に応じろ、といわれているにひとしい、との指摘に対応した、というのである。

それで、なるほどごもっとも、ということでの「撤退命令」をだしたのだ、と。

そんなわけで、撤退の腹いせにブチャで民間人を殺めることの理由は、ロシアにとってのなんらメリットがなく、ぜんぜん理由にならない。
もちろん、国際社会(西側諸国)は、犯人探しの調査はせずに、一方的にロシア軍の仕業だと決めつけて、こんにちまで放置している。

いよいよ戦況が不利のウクライナ側が、なぜに和平交渉をしないのか?の理由に、和平成立となったら「戦時戒厳令の解除」を要するからで、この場合、すみやかに任期切れした大統領選挙を実施しないといけない。

しかし、ゼレンスキー氏が再選される見込みがぜんぜんないのである。
つまるところ、現政権の意地のために、戦争をやっている、という奇妙なことがおきている。

それでまた、子供病院へのミサイル攻撃をやったと、例によってウクライナ側がロシア非難をしているけれど、今回はそのミサイルが撮影されてネット上に、デジタル・タトゥーとなったのである。

形状から、ロシア製のタイプに該当せず、ヨーロッパから提供された、地対空ミサイルに酷似している。
破壊力も小さかったのは、「地対空」だからで、ロシア軍のものなら、この病院全部を吹き飛ばす威力がある。

つまり、ロシアがいう「ウクライナからの攻撃にさらされている、東部ウクライナ4州のロシア語話者たちの救助」という名目通り、ウクライナ軍がウクライナ民間人を攻撃しているのである。

困ったことに、こんな邪悪でひたすら居座るナチス政権を平和的に排除する仕組みがないのは、それが選挙で選ばれたから、という理由で、イコール、「ウクライナ人の民意」だと解されるからだ。

戒厳令下、ウクライナ人は、政府に反対意見もいえない。

このことが深刻なのは、「民主主義を標榜している西側(自由圏)の国家群が、こんなウクライナの民主政権をまもるために、ロシアが滅ぶまで絶対に戦争をやめさせない、と決めていることで、まずは戦闘をやめさせて、なにがなんでも交渉のテーブルに着け!という、指導者が、ハンガリーのオルバン首相だけ、という事態になっている。

なお、ハンガリーは7月から半年間、EUの議長国であるが、EU官僚側の同格者は、オルバン氏の行動を、さっそくに「裏切り」と非難した。
しかし、当のオルバン氏は、EU議長なんてちっぽけな立場ではなく、人類の立場から和平交渉を進めるのだ(このバカ者)と、短歌をきったのである。

本来ならば、「平和国家」を自認する、わが国の首相が、この役を引き受けるべきところだが、あたかもNATOに加盟するのではないか?という勢いで、北海道での空軍共同演習をやって、ロシアを牽制するという愚挙をやっているし、護衛艦に中国領海航行もさせている。

それもこれも、海自のトップ以下200人以上も処分された、情報漏洩事件を同時に起こしていることの意味が、なんだか透けて見えるが、かなり「やばい」ことはまちがいない。

まことに、岸田政権の実行力はすさまじいけど、アメリカ大使の命令が凄まじいにちがいない。

日本三分割のシナリオが動きだしている?

危うし!バイデン?

アメリカ民主党という、国際共産主義者たちのトロツキー派に乗っ取られた全体主義政党の内部で、「バイデン降ろし」が活発化している。

日本だと、首相と自民党総裁が同一人物なので、「降ろし」が成功すると、現職はかならず辞職・辞任することになっている。
しかし、アメリカの政党(共和党も)には、「党首がいない」という設計になっているので、「降ろし」が成功することの意味が日本とはちがう。

ようは、今回の「バイデン降ろし」とは、二期目の大統領候補としての「降ろし」であって、現職の任期内辞任を要求していないという特徴がある。
ここが、重要なポイントなのである。

つまり、政権は維持しつつ、次期政権のトップはすげ換えたい、というのが、「党」の意向となっているのだ。

これを、「(アメリカ型)民主主義」を、何が何でも外国にも、ときには武力を使ってでも押しつけるのが、歴代の民主党政権の基本政策なので、じつはぜんぜん「民主主義」ではない。
これはこれで、「戦争屋」との連携がハッキリしている政党だから不思議ではなく、ならば党名も変えるべきだとはおもう。

それに、もう一点で日本とは事情がことなるのは、日本の政党の内規にある、「党議拘束」が、アメリカの政党にはないことである。
日本がかつて全体主義のまね事をやった時代の名残がここにあって、GHQも都合がいいからこれを廃止させなかった。

この意味で、アメリカの議員たちは、たとえ党の方針に反しても自由の身分でいられるので、有権者から「ひと=人物」として選ばれているという原点(建前)にもどることができる。
しかし、日本の議員は、「党」が優先するから、個人内部と党の意見がちがったら、つまり、党議に反したら「裏切り者」としての扱いを受けるのである。

自民党で、党議決定をするのは、「総務会」なので、総務会長の権限・権力は首相より上なのがわが国の「体制」なのである。

ただし、首相は、自民党総裁という立場もあるから、あたかも幹事長や総務会長、政調会長(各役所を仕切る)に指示を出すことで、「独裁」のようにもできているけど、なかなかいうことをきかないのが常であった。

しかし、岸田氏の指導力=権力は、過去にないほど強化されている。
強力な後ろ盾(命令権者)が、民主党が送り込んだいまのアメリカ大使だからであろう。

何度も書くが、アメリカ大使=日本総督、なのである。

さて、一介の議員が自分の政治信念にしたがって党議拘束を無視したら、次の選挙で党公認を選らないばかりか、刺客を立てられることもあって、落選させられる。
まったくもって、やくざ社会とよく似ているのである。

もちろん、わたしは選挙管理委員会も党に従うと疑っている。

しかし、このところの自民党候補の「落選ラッシュ」は、もはや「不正」が間に合わない状態になっていて、さしもの選管も「これ以上できない」ということなのだろうと邪推している。

昨今、自民党の候補が負け続けているのも、「党」の看板に票が入らないという現象だと解すれば、日本の有権者は「ひと」で選んではいないということと合致する。
なので、議員たちも、有権者のためではなくて、党のための議決に賛成する構造になるのは当然なのであるが、アメリカのご意向が睨みをきかせているにちがいない。

さて、バイデン氏は家族の強い意向もあって、二期目もやる気満々だし、とにかく個人としてもトランプ氏を押さえ込みたい。
これには、家長としての事情があって、バイデン一族がこれまで外国から稼いだ汚いカネを暴かれることが一家の破滅を意味するからである。

トランプ氏は、大統領に返り咲いたら即座に、特別検察官を指名してバイデン一家の犯罪を捜査すると公約に掲げてプレッシャーをかけている。

そのためにも、連邦上院施挙における共和党逆転優位をつくりたい。

大統領選挙と同時に、連邦下院は総選挙、連邦上院は3分の1が改選される。
民主党が色めき立っているのは、大統領職だけでなく、上・下両院を共和党に制されることの「恐怖」なのだ。

その恐怖の原因は、これまでの民主党がやった様々なポリコレ愚策がちゃぶ台返しされて、世界全体主義化の野望(世界経済フォーラムのアジェンダ;行動計画)が打ち砕かれることにある。

そんな中、バイデン氏の痴呆状態の原因が、「パーキンソン病」ではないかとの左派メディアによる一斉キャンペーンがはじまっている。

「パーキンソン病」の悪化は、寝ている間に死亡する、という結果もある。
これは、バイデン氏の家族とって、なんらかの方法による暗殺の危機でもある。

アメリカでは、大統領は銃撃による暗殺が主流だけれど、病気を装うことに国民は慣れていないから、仕掛ける側からしたら魅力的かもしれない。

すると、バイデン氏は命を賭けて大統領選挙に臨んでいるといえるのである。

危うし!バイデン。
だがしかし、バイデン候補のままなら、トランプ氏の勝利の確率は高まるので、共和党支持者からしたら、バイデン氏にはここ一番がんばって欲しいという構図ができあがっている。

ちなみに、選挙妨害(司法の武器化)として民主党が仕掛けた、トランプ氏が抱えていた4つの裁判は、4つとも全部が選挙後の公判に日程変更され、トランプ氏は身軽になって選挙運動に集中できることとなった。

身から出た錆とはいえ、現職のバイデン氏を「降ろし」たら、もっと酷いカマラ・ハリスが大統領に昇格する。
驕れる民主党が自ら蒔いたタネは、猛毒の実をつける皮肉がある。

まさに、予期せぬ結果、すなわち、付随的結果がここにあらわれている。

しかもいまや、無能さが光るだけのカマラ・ハリスは、バイデン再選を支持していない。
この浅はかな態度がまた、民主党から支持者を流出させているのである。

「冷たい飲み物」を飲む習慣

梅雨が遅くはじまって、まだ「盛夏」とはいえないけれど、「立秋」は、8月7日なので「秋」まであと一ヶ月を切っている。
だから、連日の猛暑は、もう「盛夏」といっていい。

わが家の周辺では、9日に「初あぶらセミ」のこえがした。

それに40度の日もあって、冷たい飲み物が欲しくなるのは当然だし、キンキンに冷えたビールを飲みたくなるのも、コマーシャルのせいだけでなくふつうに夏の風物詩となっている。

ただし、横浜を代表する飲み屋街の野毛でさえ、あんまりの暑さで帰宅するひとが増えて、お店はガラガラになっている。

冷たい飲み物を飲む習慣は、あんがいと日本人の文化で、水が悪い世界標準からすると、かなり特殊である。
山ばかりのわが国では、川に浸けておけば冷えるし、都会では井戸でもおなじ効果があった。

しかし、漢方でも、体を冷やすことは推奨されないので、夏の麦茶も「麦湯」と呼んで、ぬるま湯状態で呑むことを良しとした。
この意味で、現代の冷たいペットボトル飲料は、ナノ・プラスチックもそうだが体にはいいわけないのである。

保守的なヨーロッパでは、アイス・コーヒーやアイス・ティーはめったにお目にかかれず、そもそもコップに氷をいれた飲料は、水の安全性から忌避される。
「生水」は危険だと日本人でもあったのは、近代水道がない時代の常識で、旅先で「水があわない」ために腹痛を起こすのもよくあるはなしだった。

なので、白湯か茶を好んだのは、いったん沸かして消毒するからである。

醸造酒で製法上、煮沸を伴うのは「ビール」である。
麦芽を煮出すための工程だが、これが「ペスト」の感染を抑えるとなって、ワインではなくビールが人気になった経緯もある。

もちろん、ビールの大産地にして大消費地のドイツにあっては、葡萄の栽培が麦より困難だという高緯度の事情もあるが、いちおう、ドイツワインだってある。
そのドイツでは、「ビール」と表記できるのは、原材料に麦芽とホップだけしか認められない。

EUでの規格統一で、すったもんだしたのは、キャンデー(砂糖)をいれるベルギービールとの大論争になったからだが、ドイツビールは「ピルスナー」、ベルギービールは「エール」という、別々の発酵方法のちがいでの妥協がはかられたのである。

この基準からしたら、日本の一般的ビールにはコーンスターチが入っているから、ドイツ基準では「ビール風飲料」にあたる。
それで、高級なビールは、ドイツ式の麦とホップだけを原材料とする、日本的な妥協がされた。

しかし、問題なのは、原材料だけでなく、提供されるときの「温度」がまた問題になるのである。
ドイツ式は、日本のようにキンキンには冷やさないからである。

味が分からなくなる。

ここがまた日本的で、味がない「スーパードライ」なるビールの席巻で、日本人は「のどごしだけ」でビールを飲むひとが多数いることが判明したのである。
だから、キンキンに冷やして味がなくっても、最初から味がないのでそれでいい、のである。

ベルギービールの最高峰にして、スーパードライと評価されている、オルバル修道院謹製の『オルバル』は、香から味から、見事に芳醇であるので、スーパードライが味がないといいたいのではない。

さてそれで、酒税法に対応するため、という極めて不純な理由から、ビール風やらカクテル風やら、いろんな味付けのアルコール飲料が出てきている。

これらは、ぜんぶ「化学製品」なので、わたしは「軽化学食品・飲料工業」と呼んでいる。

冷たくしようがなかろうが、体に悪いにちがいないからである。
なお、家内は、これらのとある新製品を呑んだら、口唇が腫れてマンガのようになって、とうとう数回目で「自己規制製品」として、一切口にしていない。

おそろしくなったわたしも、合成された飲料は飲まないようにした。

むかしは、日本酒でも「本醸造」ではない、「合成酒」という安酒があって、いまでは飲用としてはめったにみなくなったようでも、「料理酒」として販売されているし、「プリン体」が「本醸造清酒」より少ない、という別の意味の特徴がある。

日本酒で合成酒を好んで飲むものはいないだろうが、その他の炭酸系アルコール飲料では好まれるのは、あえて「合成酒」と書いていないだけなのだろう。

やっぱり夏はヤカンで煮出した麦茶(麦湯)が、体には優しいのである。

SNSで自治体観光宣伝すると2000円

民間でよくある「サクラ(詐欺)」のことである。

この言葉の語源は、歌舞伎関連の逸話からだという。
タダで入館・観劇できるかわりに、掛け声をしたり場を客席から盛り上げるのだが、桜の花見は「タダ」だということと、その場かぎりのパフォーマンスが桜の短い散り際とに掛け合わせた言葉だという。

舞台での演技がイマイチであっても、「客」の一部でも盛り上がっているのを通じて、会場の雰囲気を意図的に変えることができるから、主宰者はコストをかける意味がある。
ただし、あんまり「サクラ」が頑張りすぎるとかえって「やらせ」だとバレてシラケるリスクはある、

「タダ」といえば、むかしのひとは「薩摩守」と言っていた。
これは、『平家物語』の一ノ谷の合戦で散った、平忠度(たいらの「ただのり」=無賃乗車)の官職が、薩摩守だったことにちなんでいる。

「掛詞(かけことば)」とは、和歌の伝統でもあるから、なんだか優美な感じがするけど、いわば言葉遊びでもある。
こうしたことが、庶民にも理解できたし、江戸の庶民なら「連歌」だって楽しんでいる。

弥次さん喜多さんの珍道中で大ヒットした、『東海道中膝栗毛』でも、事あるごとに連歌趣味からの狂歌を捻り出しては笑っている文章を、読者は笑いながら読んでいたのだろう。

また、『平家物語』にしても、一般庶民がしっていたのだから、むかしの日本人の教養は、学校がなかったのにいまよりもずっと高い。

それもこれもラジオやテレビがなかったことのおかげであろう。

しかし、いまの10代から20代の若者たちは、ほとんどテレビを観ていない、という調査結果がある。
「Z世代」があんがいと優秀である,という評価は、テレビを観ていないことが要因になっているのかもしれない。

とはいえ、テレビを観ない時間を勉強にあてているということでもなさそうで、SNSのためにスマホを手放すことがないのである。
それで、短い文章による「会話」を楽しんでいる。

これはこれで「狂歌」の伝統回帰、といえなくもないが、コミュニケーション力が高まっているというほどでもなく、かえって誤解が誤解を生んで、対面するのが鬱陶しいらしい。

こんなトレンドに目をつけた、自治体が、観光宣伝のために補助金予算をあてて、ひとり1本の投稿で、2000円の宿泊補助をくれるところがある。

「サクラ」を引き受ける客はひとりあたり2000円も安くなるが、宿側は客に「サクラ」を依頼する手間がかかるので、役所からの補助金の実態は、2000円だけなのかどうかは客にはわからない。

宿の経営として、自店の「サクラ記事」をSNSにカキコしたらお土産がもらえるとか、ネット通販で、高い評価点をつけてくれたらキャッシュバックがあるとか、業者と客との間での「サクラ」は、企業倫理の問題であってもそこまでのことだ、と割り切ることもできるが、本当の評価ではなくウソの強要なら、これはこれで「詐欺の教唆」となる。

だが、自治体が予算(公費)をつけてこれをやるのは、言論の自由を阻害する「憲法違反」が疑われないか?

ちなみに、客は「投稿」だけでなく、役所への「補助金申請署」の提出もさせられるのである。

これは赤の他人を騙す罪なことだと、客も思わない社会は、弥次さん喜多さんの時代より、やっぱり退化しているとかんがえていい。

フランス左派連合と都知事選の始末

7月7日の「七夕」、パリと東京の選挙結果にある意味の衝撃が走った。
ただし、旧暦では6月2日だから、本来の七夕ならことしは8月10日である。

フランスでは、「極右」ル・ペンの快進撃が、「左派連合」によって止められたようにみえ、東京では、「案の定」小池百合子の三選が決まったかにみえる。

どちらも、「みえる」けど、これからどうなるのか?は、どちらも、「未知数」なのである。

とにかく「左派」ならなんでもよく、もっといえば「グローバル政党」ならどこでも応援するのが、世界のマスコミの潮流である。
なので、わが国のマスコミも、笑いを押し殺して実は「狂喜乱舞」したいのはやまやまだけど、じっとこらえているかに「みえる」のだ。

報道の荒っぽさ、という点で、とにかく表面に「みえる」ことしか伝えない。

とにかく、マリーヌ・ル・ペンの「極右」さえ抑えることができればいい、という「一点だけ」で、一週間しかない決選投票に臨むべく超短期の時間内で「談合」したのが、このたび「左派連合勝利」だと伝えられているけれど、じっさいは「烏合の衆」である。

いまやレームダックのはずの、マクロン派とは、「中道」とのレッテルをマスコミは眉唾つけて報じ立てているけれど、この政権がやってきた政策はぜんぶ「世界経済フォーラムのアジェンダ」に従っている、グローバル全体主義に過ぎないことぐらい、もうフランス人だってわかっている。

なので、左派連合にマクロン派が「結合する」のは、ほとんど物理学なのである。

しかし、元来がグローバリストたちといっても、急遽あわてて連合したこれらはみんな「温度差」がちがいすぎるのである。
だから、一回目の投票までは、「連合」なんかしていなかった。

いまや「マイルドな左派」といっていい、社会党から「極左=共産主義」あるいは「環境ファッショ」まで飲み込んで連合したのだから、いつまでも仲良くするひとたちではない。

たとえば、マクロン政権が受給年齢を引き上げる「年金改革」をやろうとしているのに、極左は、受給年齢を引き下げる公約で選挙戦を戦ってきている真逆がある。

「数」では、あたかも議会の過半を制覇したかに「みえる」が、単に「反ル・ペン」だけの集合体で、内実はバラバラなのである。
「単独」で過半数を制した政党がないことで、だれが首相になるのか?すら分からなくなった。

今後のフランスは、より一層、「多数派」のヨレヨレが目立ち、ル・ペンの鋭い攻撃は休むところがないだろう。

それで、東京だが、さっそく小池氏リコールが話題にのぼり出している。

しかし、小池氏への公職選挙法違反問題は、すでに検察が「受理」したので、今後の捜査がどうなるのか?がある。

容疑は、半世紀にわたる学歴詐称問題と、公務員の地位利用の二点だ。
「デジタル・タトゥー(公開された証拠)」がある後者の方がより深刻で、検察が逮捕・起訴まで追い込む可能性は高いと、検察OBの弁護士が指摘しているし、告発したのも検察OBの弁護士である。

「辞職」の前に、「選挙無効・失職」の可能性があるということだ。

なお、次点の候補、三位の候補にも公職選挙法違反の疑いとして何れにもデジタル・タトゥーがあるから、都知事選のゆくえはこれからが「本番」なのである。

また、小池氏に翻弄され続けている、「都庁」では、すっかりお通夜状態だという噂もあって、今後、内部告発のラッシュがあるかもしれない。
このなかで、兵庫県知事のパワハラを告発した県庁幹部が、100条委員会での証言前日に自死したという不可思議が都庁職員を萎縮させているだろう。

わが国の闇は深い。

これを、「夜明け前」だというひともいるけれど、わたしには「夕闇」におもえてならない。

そんなわけで、ロンドンでの労働党勝利も、投票行動の分析が進んで、なんと労働党は得票数を前回よりも減らしての「大勝利」だったことが判明した。
パリでも、得票数ではル・ペンの極右が第一党になるのである。

一方で、アメリカでは、討論会で露呈した「老い」が、空前の8000万票を得たはずの「バイデンおろし」に拍車がかかっている。

どこもかしこも、大勝したはずが、そうではない。

これがいまの世界潮流なのである。