「ジョージア」といっても、コーヒー・ドリンクのブランドでもないし、アメリカのジョージア州のことでもない。
ロシア語的発音では、「グルジア」と呼ばれてきた、旧ロシア帝国、ソ連邦、そして独立国家共同体の構成国だった。
「面従腹背」の屈辱から、ソ連という相手の勢力が衰えたのを契機に、一気にその独立精神を発揮して、いまや「反ロシア」を国是とする国家として、EUとNATOにちかく、イスラエルと共同軍事訓練をするほである。
オバマ氏が民主党大統領候補になったとき、なぜか福井県の小浜市が、その発音上の一致から、市をあげて応援する、という意味不明があったけれど、おなじように、ジョージアとジョージア州には姉妹都市協定があり、ジョージア軍とジョージア州軍にも相互協力協定が締結されている。
あのスターリンを産んだ国として、これを反動というのか進歩というのかはしらないが、とにかくロシアが大嫌いなのである。それで、ロシアとは国交を断絶している。
今般、そのロシアから国会議員がジョージアを訪問した。その目的は、キリスト教東方教会に関係する各国議員の会合がジョージア国会で開催されたことによる。はたして、議長を務めたロシア共産党の議員が、ジョージア国会議長席に「座った」ことから、群衆1万人が国会に押し寄せて、一大抗議行動となったのである。
なぜ我々の権威ある国会議長席に、ロシア人が座ったのか?と。
これは、ふたたび「占領される」のではないかという恐怖からでもある。
さほどに、ロシア帝国とソ連の支配は激烈だったということだ。
さいわいかな、我々日本人は、唯一の占領時代を、そんなに苦にしなかった。むしろ、支配者だったマッカーサーが離日するとき、大新聞は「マッカーサー元帥ありがとう」という大見出しを一面いっぱいにつけたという、世界的にも珍しい「事件」があった。
およそ被支配者は支配者に対して、そのような態度はとらず、唾やたまごを投げつけて溜飲を下げるのが、ふつうであるからだ。
この意味で、わが日本国は、特殊な国である。
なお、アメリカ合衆国陸軍の階級に「元帥」は存在しない。
マッカーサーは、日本軍に追い出されるまで、当時アメリカが支配していたフィリピンから「元帥」の称号を贈られ、その称号を連合国最高司令官の階級にしてしまったペテン師だった。
歴史に「もし」は云々いわれるが、アメリカ合衆国陸軍の「人事」で、アイゼンハワーとマッカーサーがそれぞれ交換して着任していたら、ヨーロッパと日本はどうなったのだろうか?
想像力と文才ある人物に、小説を書き下ろしてもらいたいものだ。
さて、それで、わが国では、予定どおり札幌市議会は「ピエロ」を除名した。正式の理由は、「品位を損なう」だった。
そういえば、2002年に、横浜市でも議会に掲揚される「日の丸」を引きずりおろそうとして議長席を占有した議員二人が「除名」されている。
これに対して共産党が発した声明は、『懲罰の内容については「公開の議場での陳謝」が妥当との立場を表明』という、しごく妥当なものだ。
共産党がまともにみえる、ということの危険性に注意したいものの、いわゆる「与党」のファッショ化は、ありえないほどまずい。
政治的立場はどうであれ、選挙で当選した人物への処分としては、共産党の主張はただしい。
すると、こんどは埼玉県の上尾市で、元市長の私有地の工事が公費でまかなわれたという。しかも、市議会議長がこの工事を役人にはたらきかけて、なんと受注したのは議長の息子の会社だった。
ちいさな話で、しかも「せこい」。
市がおこなった道路改良工事の結果、隣接する元市長の私有地の塀が傾いたのを補償しろという理屈だ。すなわち、改良工事の内容が問われるはなしだが、その因果関係はいかがだったのか?が不明だ。
しばらく、地元は大騒ぎになるだろうが、なんという体たらくか。
当事者の元市長や議長とその息子、だけではない。
市民の体たらくである。
とうとう民衆デモの要求がとおった香港では、3月に中国の習近平国家主席らを国際刑事裁判所に、南シナ海での人工島建設をすすめるのは「人道に対する罪」だと告発したフィリピンの元外相が、入国拒否されたという。
その理由は「安全上の脅威」だというからあきれる。
どちらが「安全上の脅威」なのか?例によってのダブルスタンダードだ。
もはや香港に自由はない、と、これまたアメリカ議会を刺戟する愚挙である。
われわれにはとおい国かもしれないところで、あるいは、半日でいけるような近隣で、「おいおい」という事件が起きている。
それにくらべて、わが国の平和は、なんの根拠もなく当たり前だとおもっている。
この緊張感のなさ。
ラグビーとオリンピックのチケット入手にかかわる騒ぎ。
年金よこせの騒ぎ。
まさに、「パンとサーカス」のはなしなのだ。
。。。我々民衆は、投票権を失って票の売買ができなくなって以来、国政に対する関心を失って久しい。
かつては政治と軍事の全てにおいて権威の源泉だった民衆は、
今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている―
すなわちパンと見世物。。。
ユウェナリス『風刺詩集』第10篇77-81行