スシローが放つ「チップ文化」破壊

3日、フード&ライフカンパニーズは、10月にニューヨークに傘下の「スシロー」をアメリカ進出第1号店として開業すると発表した。

この発表に沸くニューヨーカーたちの話題に、「チップ不要に歓声」という記事がまぎれている。

飲食店などでの「チップ」は、欧米の文化として定着しているが、近年その批判も高まってきている。
それは、「セルフ」あるいは「ほとんどセルフ」なのに、堂々とチップを要求されるばかりか、自動精算機で料率を強制選択させられる高機能会計機が普及していることもおおいに影響しているからである。

ようは、利用客はチップ支払いを拒否できない。

トランプ政権2.0の選挙公約で、連邦チップ税の廃止、を実行に移したが、それはチップを受け取る側への減税であって、そもそもチップの意義そのものが問われているのである。

わが国で販売価格に革命をもたらしたのは、江戸日本橋の三井越後屋(現三越)が掲げた「現金掛け値なし=定価販売」であったことは小学校の授業で習う。

それまでは、客は気に入った商品価格についての値段交渉をするのがふつうだったので、掛け値なしの安さばかりか、時間と精神的な負担の軽減で大ヒットした。

いまではディスカウント販売がふつうになったばかりか、専門が細かくなったので、定価販売でなんでもござれの「百貨店」が廃れてしまっている。

江戸期にも、宿場の宿では「枕ゼニ」の文化、すなわち「心づけ」としての「チップ制度」はわが国にもあった。
これが、昭和のバブル頃にも残っていたものだ。

しかし、高度成長の東京オリンピックを契機として、大手ホテルが率先してチップ制から「サービス料金制」へと移行したのである。

これは、施設の大型化で、大量採用した従業員個人が得るチップの職場管理が困難となり、従業員間のトラブルにまで発展したことも要因になっている。

しかも、会社は、「サービス料売り上げ」として計上することで、いったんとはいえ、名目上も実質上も、「会社のもの」としたのである。

それで、各従業員には勤務評価としての「再配分」をしているとした。
しかし、この問題は奥が深く、接客現場に関与しない間接部門の従業員給与にも反映される「平等」のために、そもそも論をいえば現場の不満はくすぶったままなのである。

よって、なるたけ会社は話題にしたくない。

こうした日本の事情はさておいて、今回のスシローによる「チップなし宣言」は、アメリカ社会に何をもたらすのか?注目したい。

それには、従来、どのようにしてサービス担当従業員にチップが渡っているのか?と、会社がどこまで関与しているのか?の双方に波紋を生むからで、この点で利用客が負担するチップがなくなる、という単純さではないからである。

つまり、まずはスシローニューヨーク店に就職希望する現地人は、チップ収入をはなから期待できないことが採用条件となることからはじまる。

これをスシロー経営側は、どのように説明し納得を得て雇用するのか?となって、現地の飲食サービス業事業者はしっかり観察していることだろう。

ましてや、現在のニューヨーク市およびニューヨーク州は、民主党政権下にあるので、いかなる行政からの(社会主義・共産主義的)介入があるのか?も予想できない。

こうしたリスクを、フード&ライフカンパニーズはどのようにかんがえているのかも気になるところである。

さては上のような各種問題を突破したとき、アメリカに「チップ不要文化」が形成されることとなり、それは巨大な文化破壊となって世界を覆うことだろう。

イコールアース図法と地球儀

4日、「国連の決議」という怪しさに注意がいる中で、世界地図表記法が、これまでのメルカトル図法からイコールアース図法に変更されることになった。

アメリカが唯一反対する中、わが国は賛成(164カ国)したという。
ちなみに、棄権は6カ国であった。

球体である「地球」を、平面の「地図」にしようとすると、それぞれの特徴からさまざまな「図法」が考案されてきた。

それでもって、「学校教育が変わる」という議論があるらしい。

端的にいえば、教室に大きな「地球儀」を置けばいいのである。

むかし、小学校に入るお祝いに、誰だかに「地球儀」をもらった。
バレーボールほどの大きさだったので、小さめではあるがこれを眺めているのは楽しかった。

しかし、軸が固定されていたので、南半球をみるには台を無視して転がすようにしないといけない難点があった。

なぜか当時のデパートの「おもちゃ売り場」にさまざまな地球儀があって、月とセットになっているタイプもあったのを記憶している。
それで、月と地球の関係も、月の裏側が見えないこともわかったものだったけれども壊れやすい感じがしておねだりはしなかった。

家の建て替え時にこの地球儀を処分の対象にしてしまったのが、いまさらに悔やまれる。

最新のハイテク地球儀は、一家に一つあると便利だろうに、購入のきっかけがないのである。

しかして、いま、「デジタル地球儀」なるアプリがある。

パソコンやタブレットで使えるから、やっぱり国連は怪しいのだ。
しかも、いまの学校は、子供に一台ずつの端末貸与まであるから、何をいまさら「イコールアース図法」なのか?さっぱりわからない。

だが、面積表示がメルカトル図法よりも実際に近くなるので、「日本は極東の小さな島国である」という恣意的な教育はできなくなるし、排他的経済水域も領海に含めると、わが国は世界6位の面積となる「海洋大国」だとしれてしまうのである。

だから、領土、領海をいかにして防衛するのか?という問題がすぐさま出てくるようになるのは、「ふつうの国」として十分意味のある教育となる。

また、「海洋資源」という観点からは、漁業だけでなく海底の鉱物資源についての知識も重要な教育課題となろう。

これらが総合的にわかる地球儀はまだ見たことがない。

その点で、教材企業には重要な商品開発のチャンスとなろう。

なので、子供には地球儀を見せてから各種の地図を参考にさせることが、おとなの務めとなるのであった。

地方が中央を刺す

現代の世界潮流として、地方選挙の結果が中央政府の転覆原因となっていることがある。

盤石な議席を確保し、PSYCHO-PASSの典型であった英国の労働党スターマー政権さえ、地方選挙における大敗北に耐えられなかった。
けれども、PSYCHO-PASSな組織である労働党は、懲りずにもっと過激な人物を首相に据えたから、いったん放出されたマグマが再び煮えくり返っていることだろう。

これよりはやく、2023年、オランダで最長だったルッテ政権(マスコミは「保守」と書く)を倒したのも、やっぱり地方選挙における与党敗北からのことだった。

英国には「保守党」があるが、この国の近代史では、「福祉国家建設競争」という愚策で、労働党と保守党が先を争って、両党がその社会主義性を保守していることが、現代の衰退の原因だとまだ気づかない。

ドイツで6日に決定的な敗北を喫したメルツ(連邦政府)首相は、これまた懲りずに「抜本的な改革が必要」と発言し、AfD排除=抜本的な改革、という、これまた民意をぜんぜん読めないPSYCHO-PASSの自滅をやっている。

もしも、ほんとうにメルツ政権が基本法第21条の発動を裁判所に要請したばあい、ドイツ人たちは蜂起するかもしれない愚策である。

それでか、かの極左マスコミの代表格たるニューヨークタイムズ紙すら、「AfDへの(排除)攻撃は逆効果だ」と主張しはじめて、「極右」なる誤表記もやめるべきだとの論陣をはりだした。

これはこれで、正解、ではある。

だが、愚かなメルツは、20日にある、ベルリン州とメクレンブルク・フォアポンメルン州でのダブル選挙を控えるなかで、有権者に怒りの爆弾を投げてしまった。
なにせ、今回連邦政府与党が大敗北したザクセン・アンハルト州議会選挙の投票率は、統一後初の「高さ」たる、8割弱を記録したのである。

ようは、無党派層が動いた、結果なのである。

この投票率の高さを左翼マスコミは書かない。
「民意」だとしれるのを恐れていることの「編集方針」なのだろう。

それでも過半数に3議席足りないAfDは、政権樹立のためにどうするのか?となっているが、はじめて5議席を得た新興政党が、来月招集の初議会で「AfD首相任命に投じる」と発表し、もはや初のAfD政権誕生が確実となった。

これが、20日の選挙に影響しないわけがない。

わが国では8日、なんだかわからない「中道改革連合」が自滅した。
この一連の騒動の隠れた原因に、政党幹部たちの独りよがり的な、つまり、PSYCHO-PASSな世論を理解できない独善があったといえるだろう。

かつての政権党からの没落を、マスコミが「野党第一党」だとおだてて支えたのも、国民向けのプロパガンダのはずが、政治家へのプロパガンダとなった。

なんだか、メルツ的なのである。

奇しくも、いま、わが国おける地方選挙として、沖縄県知事選がおこなわれている。
そして、来年の春には二期にわたる「統一地方選挙」があるので、これらはまったく、世界規模の「今様」なのである。

むろん、あと二ヶ月ない、アメリカの中間選挙が、さらなるショックを世界に与えることは確実なのである。

ときに、アメリカの大統領選挙も中間選挙も、じつは、大規模な地方選挙だともいえる。
ふつうの国の首相に相当する州知事ばかりか、両院制の州議会選挙だけでなく、もっと小さな自治体の選挙も同時にあるから、あまりの選ぶべき種類のおおさに、有権者は投票に20分ほども要するのである。

わが国のように、数枚の投票(数分で)をすれば済む、というレベルではない。

ために、トランプ氏は「推薦状」を大量にだしているばかりか、「X」にも細かく投稿して、国会ばかりか地方候補の当選を促している。

いったん流動化をはじめた流れを、そうはかんたんに止められない。

物理、だからである。

「全とっかえ」の妄想

熊本(県)や横浜(市)の事例は、おそらく全国に燎原の火の如く広がる可能性がある。
わが国の統治機構設計が全国一律の思想下で行われてきた150年があるからである。

ただし、熊本県では先に議会がやらかし、県職員出身の知事がこれに抗えずにかえって協力した構図であるが、横浜は先に市長がやらかしていたのに議会各党が「相乗り」してこれを支えたら、両者とも手のひら返しの逃げをうっている共通なのである。

なんにせよ、「二元制(首長と議会)」の設計思想は、その対立軸上の相互牽制による統制の修正を目論んだのもであろうけれど、両者がポンコツだとこうなる、という、政治史上の大コケ事例となっているのである。

そこでわが国における「二元制」の発祥は?と問えば、やっぱりGHQが登場してくる。

けれども、民主党が死んでも離さない「民主主義の世界普及」という真性グローバリズムでGHQを動かしたのは、自分たちの国でやっていることのコピーであるので、ぜんぜん違う「憲法」を押し付けたのとはわけが違う。

ただし、アメリカの「州」と日本の「都道府県」とでは、あまりにも役割がちがうので、議会も「二院制」とはしなかった。
この点で、ドイツの方が、「連邦国家」としてアメリカに近いが、歴史的に無理やり統一した経緯からのことである。

ちなみに、ビスマルクによってドイツが建国されたのは、1871年のことで、1776年のアメリカ建国よりざっと100年あたらしい。

この意味で、徳川幕府とは、全国を徳川家も含めた諸侯が治める連邦国家であったし、連邦政府としての朝廷の権力がなかったことの極限的「小さな政府」を実現していたといえる。

すると、権威を持っている朝廷側は、徳川家だけに連邦政府の役割と負担を押し付けた、ともいえるから、「バランスシート」で発想すると、損得のバランスはしっかりとっているのである。

それで、統治される側としての国民は、幕府が「朱子学」を推奨したおかげで、儒教的道徳感の絶対価値が浸透していたから、これまた「真性資本主義」を世界で初めて実現していた。

このバランスを壊したのが、貪欲限りない英国であった。

以上のようにかんがえると、地方統治の二元制は住民全員がもつ道徳感なるベースによって担保されるものなのである。

ために、大英図書館で執筆に専念していたマルクスの『資本論』や『共産党宣言』でいう主旨が、「道徳破壊」にあるのも当然なのである。

だから、本家アメリカも然り、で、地方政治における道徳感についての話が、彼の国における「キリスト教的価値観」と「これの否定」という二項対立となって、まさにマルクスの詭弁たる「階級闘争」を平面上でやっているのである。

このもっと浅はかな形が、福岡と横浜に現出した。

そのとてつもなく大きな原因が、日本人多数の儒教的道徳感の喪失、であるとかんがえる。

むろん、自然に喪失したのではなく、合理的にそうなるようにさせられたことの結果である。

そこにいまもGHQの存在が横たわっている。

てなことで、首長と議会議員の「全とっかえ」が、現実にはもっとも有効な方法なのだと妄想できるのである。

それを、民意、でやれるのか?が、有権者に問われている。

日本は統一国家ではない

わが国は、明治以来、律令時代的「中央集権」とはなったが、「統一国家ではない」ことが福岡県議会の件からみえてきた。

これは江戸期の「藩政」がいまも継続中、ということではないか?

『福岡県の歴史』をみると、いまさらにその土地の「歴史=住民感覚」が当然のように「風土」を形成するとかんがえれば、妙に納得するのである。

関東者のなかでも、生まれも育ちも横浜のわたしは、いわゆる「どこの馬の骨」だかしれない、「流れ者」の子孫(父方の祖父母は川崎の庄屋と武士、母方の祖父は群馬、祖母は茨城の農民)であるために、「藩」のエリアのなかで数世代以上も暮らしてきたひとたちの心情がどんなものかをじつはしらない。

しかも、福岡県は九州なので、まったくわたしの人生においては「化外の地」にひとしく、ビジネス出張以外で何回も訪問した以上の、観光すら、まともにしたことがない「よそ者」である。

だから、福岡県の歴史の話題も、どこか他人事のような気がしながらも、構造的な発想をすれば、「中央集権国家」になっても「統一国家ではない」ようにおもえてならないのである。

これはこれで、わたしのビジネス人生体験からの実感としてある。

それは、たとえば、とある地方の観光ホテル経営再建にあたって体験した、その土地独自の「雇用環境」が、まったく「労基法に抵触している」事実の例があるからである。
社会保険労務士に質問しても、たまたま当該地方の大手企業幹部にあった先輩に尋ねても、答はおなじで、「気にしないこと」だったのである。

ようは、法律が公然としてまもられないことを「ふつう」としている地域が存在する。

しかしながら、わたしが体験したのはなにもこの地域のことだけではなく、東京=中央を離れれば離れるほどに、独特の「法」があることをしった。

それが、狭い地域での「掟」の集合体であることもあるから、全国どこにでもみられることだろう。
だから、地方議員はもとより、国会議員とて、その土地の代表として振る舞うのは、職務上の義務となるのは、これまた当然なのである。

そんなわけで、全国一律金太郎アメのような社会構造は、この国には完成していないし、「風土」があるからずっと「未完」のまま永遠に続くとおもわれる。
さらに昨今、自民党が呼び込んでいる「外国移民の増大」で、「未完」どころか「破壊」が進み、より全国一律金太郎アメとはならないようにしているところがミソである。

福岡県の方には申し訳ないが、まずはザックリと4地域があると認識する。
・福岡藩(黒田藩:外様)
・小倉藩(細川⇒小笠原:譜代)
・久留米藩(有馬:譜代・親藩)
・柳河(川)藩(立花:外様)

かんたんに俯瞰すれば、幕府の分断策がここにもあって、親藩と外様がしっかりからみあっている。
これだけで、遠く横浜からも、4枚のパッチワークとしての印象を得るのである。

ちなみに、東京日比谷の帝国ホテルは黒田藩の上屋敷跡で、正面玄関左手の通路奥に藩邸からの井戸が丁寧に残されている。

建前としての「中央集権国家」ではあるが、その実は無節操な現場任せがある。
この点で、歴史も人間(部族や民族)が複雑なドイツが、連邦制なのは「地域」の方が国家よりも優先されることの潔さともいえる。

つまり、わが国も、実は「国司」の時代が崩れて以来、ずっと連邦制であったことの残滓どころか実態があるのだ。

この点、三多摩地区を東京に引き渡した現在の神奈川県でも、旧藩が三つあった。
・小田原藩
・荻野山中藩(小田原藩の事実上の支藩)
・武蔵金沢藩(いまの横浜市金沢区)

これ以外は天領(旗本知行地含む)か寺社領であったので、実は神奈川県も住民感覚はバラバラなのである。

ゆえに、もっとバラバラなどこぞの馬の骨が集まった横浜市では、明治末期から大正期の「心の絆」として流行った「歌」(「民謡」、「童謡」も「社歌」もこの時期に盛んにつくられた)による市民感覚の統一方法としての「横浜市歌」がもっとも強力な市民団結のしるしとなっている。

これが、目ざとい「DeNA社」の元で、プロ野球「横浜DeNAベイスターズ」の応援歌にも応用されているのである。
だが、元寇の歴史を歌詞にした「福岡市歌」が、福岡ソフトバンクホークスでは採用されないのは、かえって福岡藩以外の旧藩の影響が強い土地柄からだともかんがえられる。

なんにせよ、自民党の党組織自身が全国統制に失敗していることを、自民党福岡県連が示したことは、ひとつの画期ともいえるわが国近代の化けの皮を剥がしたことは確かである。

これと、ほぼ同時期にドイツの地方州における「叛乱的」なAfDの大勝利が、今月20日の次の選挙、ベルリン州とメクレンブルク・フォアポンメルン州でどうなるのか?が世界的な注目を集めているが、あんがいと「福岡の乱」は、日本史的な意味があるとおもわれる。

AfDは「極右」なのか?

ポリコレに走るマスコミは、かつて自制していた「用語の厳格運用」を棄てて、煽動的な用語を勝手に使う政治活動をやっている。

たとえば、「ファシズム」と「ナチズム」とのちがいを述べよ、といわれて即座に回答できるひとはすくないだろう。
どちらも「極右」の範疇にあたると見られているが、わたしは「極左」の変化形だとかんがえている。

「ファシズム生みの親」たるムッソリーニは、共産党より赤いとされたイタリア社会党左派から除名を喰らうほどの極左であった。
一方の盟友、ヒトラーは宿敵スターリンとの支持層争奪戦を行ない、「国民社会主義ドイツ労働者党」を設立した左翼である。

ムッソリーニもヒトラーも、スターリンも毛沢東も、全員が左翼=共産主義=全体主義の共通をもっている。
ようは、個人の自由の制限がこれらの共通なのは、全体に個人が従うことの強制こそが支配のセオリーであるからだ。

だから、AfDだろうが、マリーヌ・ル・ペンの国民連合だろうが、真っ先に見るべきポイントは「全体主義か?否か?」に尽きるのである。

すると、これらにあるのは「個人の自由の尊重」だと気づくから、明らかに「極右」どころか、真の「リベラル(「自由」という意味)」だとわかる。

このことが、「エセ・リベラル」すなわち本当は全体主義の親派たる社会主義者たちをさす「リベラル」の化けの皮が剥がれるので、世界の左翼マスコミ=政治活動家たちは、都合のよい用語としての「リベラル」を死守するためにあえて見当違いの「極右」として宣伝しているのである。

つまり、AfD=極右と書くマスコミは、自分から自分の立場を告白しているのである。
そして、「偏向報道」を厭わない姿を晒しているから、まったくおめでたい。

わが国のマスコミは全部がこれにあたっている。

すると、これは業界内での「カルテル」なのか?と疑いたくなり、誰がその用語の統一を図っているのか?が気になる。

共同通信かNHKを先ず疑いたくなるが、もしや黒幕は自民党が支配し続けている総務省ではないか?ともおもえるのである。
むろん、世界のマスコミが「極右」というのであるから、わが国のマスコミは単に「翻訳」しているだけ、かもしれない。

なんにせよ、AfDはこの度の選挙で「単独過半数」を逃した。

さてどうなるのか?という局面になっている。

AfDの勝利か?敗北か?

EU(選挙で選ばれない官僚たちによるEU委員会)が仕切るヨーロッパでは、「民主主義」の名の下に、さまざまな怪しい政治行動(全体主義)が許される土壌を形成している。

加盟国家における国政選挙で、アメリカ民主党式EU介入の不正が疑われているのは、直近ではハンガリーのオルバン政権が崩壊したこともあるし、スロバキア大統領選挙で一回目投票で最大の得票候補が二回目の出馬を禁止されたり、モルドバの大統領選挙における「疑似バイデンジャンプ」があったこともあるが、それぞれで忘れるように仕向けられている。

フランスでは、マリーヌ・ル・ペンのEU議会議員への支給金に対しての国内流用問題という、じつは制度設計からして運用と解釈の幅に問題が指摘されている「事件」で、政治弾圧として予想通りの有罪となって、第一審では事実上の「(大統領選挙)立候補禁止」の判決をうけたが、二審でこれが緩み、「出馬可能」となった薄氷状態があった。

そのフランスとEU域内二大国として存在しているのが、ドイツだ。

ドイツは、「ナチスへの反省」という戦後政治的な正義から、基本法(「憲法」にあたる)第21条には、「政党違憲(禁止)」の条項がある。
これは、民主主義を守るため、つまり予防的に、民主主義の敵の行動を制限・排除を可能とするものだ。

こんな条項は、困ったことに、ナチスが政権を得たのは、「選挙での勝利」だった歴史的事実があることでの「苦肉の策」なのである。
ようは、ドイツ国民は、民主主義でナチス政権をつくったのだけれども、戦後民主主義は一方の主権者たる国民大衆を免責(被害者)にしたから、責任者不在の矛盾を抱えることになったのである。

この(甘えの)構造は、まったくわが国もおなじである。

悪いのは政府・議会や軍部であって、それらを全面的に支持していた国民は戦災の被害者となって、GHQはあっさり日本国民を免責にしたばかりか、国家管理を強化したNHKに『真相はこうだ』なるプロパガンダ放送をやらせ、被害者気分を完全なものとして今日にいたるのである。

社会現象として、元若手将校や兵隊から転じた「愚連隊」が闊歩したのは、そうした社会的巨大インチキ詐欺に対する、個々人の行き場のない抵抗であったとかんがえる。
それから戦後ヤクザに転じ、ふたたび権力と結託する者たちが仕切る社会となったのは偶然ではない。

そんなわけで、旧東ドイツの統制がとれた見事な社会主義を経験した、真性左翼を熟知したひとたちが暮らす地域から、真逆とみられる「AfD」が誕生したのは、これまた社会的な物理学の必然といえよう。

しかし、彼らAfDは、戦後的なもの、ではない。

よって、未来をみないで、過去をみるものたちには「ナチスの亡霊」がみえるのだろう。
これはこれで、一種の「戦後思想と秩序」に洗脳された挙げ句の「お化けがみえる」現象なので、戦後思想と秩序こそが「カルト」だと証明している。

よって、カルトにはまったドイツ上層階級は、真剣に、民主主義を守る予防的措置としてのAfD排除を要求しているのである。
それは、彼らの絵に描いた餅たる戦後思想と秩序が、鏡像として確認できてしまうことの恐怖にちがいない。

そんなAfDの国民からの支持率が上昇をつづけ、とうとう第一党の地位を盤石にしはじめた。

6日に予定のザクセン・アンハルト州議会選挙では、おそらくAfDの大勝利となり、場合によっては「州首相」が誕生する可能性がある。
ドイツの16ある州で、「州首相」とは、「州大臣」とともにそのまま「連邦参議院議員」となって国会に議席をもつばかりか下院への拒否権さえもっている。

基本法第21条の発動には、連邦最高裁への提訴が必要で、提訴ができるのは政府と議会だけである。
つまり、メルツ政権が渾身斬りの一撃を開始するのか?に注目されるが、比較第一党を「民主主義の敵」として、裁判所が認定するかも疑問なのだ。

まだ本稿執筆時点での選挙結果は不明だが、予想通りAfDの大勝利ともなれば、なりふり構わず「戦後思想と秩序」を振りかざす者共による、大弾圧がはじまって「AfD禁止」なる大敗北にもなりかねないのである。

わが国が福岡県と横浜市から崩れはじめ、沖縄(知事選挙)決戦となっているのに対し、おなじ敗戦国のドイツでは、敗北が先立ったごとく「先行して」民主主義という欺瞞による社会弾圧の危機が迫っている。

はたしてそれは、メルケル長期政権がやった、ドイツ経済破壊の成果でもあるのだ。

自民党長期政権とは、メルケル政権のコピーであった。

地球活動の禍とデジタル・タトゥー

現地時間の8月26日午前8時37分頃、ネパールとチベットの国境にある標高5200メートル付近の斜面が崩壊し、未曾有の土石流による大災害をもたらした。

先ずは犠牲者と関係者の皆様にお悔やみとお見舞いを申し上げたい。

わが国では、骨髄反応的およびポリコレによって、「地球温暖化が原因」との説が流布された。
いま、これが、デジタル・タトゥーとなって、恥ずかしい記録になろうとしているから、書いておく。

なお、1日、ネパールのシシル・カナル外相が、「原因を温暖化だとして、温室効果ガス主要排出国である中国、米国、インドに対して補償を求める」と引き続き読売新聞が懲りずに伝えている。

パキスタン外相としての「政治発言」と、区別がつかない記事とは、いったいなんなのか?
記事を出す元の発想が「政治」だからであろう。

はたして、ヒマラヤ山脈の標高5200メートル付近の気温はいかほどなのか?と素人でもかんがえるポイントである。
小学校で、100m上昇するごとに気温は1度さがると習うから、単純に地上との比較で52度低いはずとなる。

もし、地上が45度の酷暑でも、現地は氷点下7度はあるはずなのだ.

また、海水とちがって、山に積もる雪からなる氷河は、真水、なので、基本的に0度で凍ることも小学校で習う。
なので、まず、どうして標高5200メートル付近の氷河・氷塊が温暖化で「溶ける」ことを原因とする説がでるのか?小学生にわかる説明がほしい。

すると、早速に、衛星からの地形情報分析(アメリカのランドサット衛星の精度は、いま、ミリ単位である)が報じられるようになって、どうやら「地殻」が動いたことが原因のようなのである。

『日本沈没』(1973年12月29日公開)で一躍有名になった、大陸移動説では、元はそれ自体が強大な島だったインド亜大陸がユーラシア大陸にぶつかってできたヒマラヤ山脈は、いまでも年間数ミリ隆起している。
それに、崩落現場付近ではマグニチュード5クラスの地震がよくおきることでもしられている、とのこと。

つまり、氷塊の下にある岩盤が先に壊れて、その上にある氷塊ごと大崩落した、ということになるから、「温暖化説」が吹き飛んだばかりか、デジタル・タトゥーと化したのである。

温暖化を推す学会・学術関係者あるいは知ったかぶりの評論家という「政治家たち」からしたら、これぞ「大崩壊」ではないか?

ときに、世界一隆起しているのは、わが国の南アルプスで、年間3~5ミリのレベルなのである。
これは、南アルプスが伊豆島の本州衝突によってできた、という、過去形ではなくて、まだとまっていないでプレートが押し続けいていることでおきている。

地球内部の対流起でおきるプレート移動は、基本的に「止まらない」のである。

人間の感じる時間と地球活動の時間軸のスケールがちがいすぎる。

中央リニアが、この真下に掘ったトンネルを時速500㎞で疾走することの安全性が心配されている原因だ。

しかして、温暖化説を口にしたひとたちの「恥」とは、勇み足で済む問題ではないけれど、それがこんなにも早く「お笑い種」になるとはまったくの『お富さん』なのである。


ROCCカプセル輸送

8月25日にロシアを訪問したラトクリフCIA長官の続報である。

なぜにCー17大型輸送機に搭乗していたのか?の謎が解けた。
ロシア情報に詳しい、「ニキータ伝」さんによれば、今年3月から運用が開始された、「ROCC(ロール・オン・カンファレンス・カプセル)を積載していたという。

このカプセルは、内部での会話を絶対的機密保持ができるように設計されていて、ここからのトランプ大統領への直接報告も外部には漏れないらしい。

ようは、これ以上ない「内緒話」をしにモスクワへ出向いた、というわけだ。

漏れてはいけない相手とは、英国とEU=NATOとなろう。
むろん、わが国ははなから「蚊帳の外」である。

ではその会談相手とは、CIA長官としてのカウンター・パートになる当然があるが、ソ連時代の悪名高いKGBが解体されたいまのロシアにあっては、3人となる。

・ナリューシュキン対外情報庁長官(SVR)
・ボルトニコフ連邦保安庁長官(FSB)
・コロボフ上級大将ロシア連邦軍参謀本部情報総局長(GUR)

このうち、前2者との会談をしたことは確認されている。

だが、何を話したのか?の情報漏れはないから、トランプ政権2.0の本気度がわかるし、モスクワ駐在の日本大使はもとより、各社の特派員もしりようがないか東京のデスクから無視されているのだろう。

ときに、8月31日から1日までの二日間、米国・アシュビルで開かれた「2026年G20財務相・中央銀行総裁会議」では、ウクライナ後で初参加となったロシアが招待されているのである。

なぜなら、トランプ政権2.0が制裁を解除したからで、どうやら事前連絡がなかったEUとその加盟各国は英国も含めてかなり慌てたようである。
むろん、ベッセント財務長官とロシアの財務相はしっかり会談を開いている。

ようは、トランプ政権2.0は「呉越同舟」を実行した。

なので取材に当たった日本人記者は、日本の片山さつき財務相には、ロシアとの接触があったのか?を質問するべきだが、トンチンカンな質問をして会見の時間をわざと浪費したようである。

スターマー政権から交代したものの、英国の新政権も(極左)労働党政権なので、自民党内で政権交代するのと同様に変化は期待できないが、そのとおり以上にバーナム新政権は踏み込んだフランスと共同開発した長距離巡航ミサイルの提供及び製造ライセンスをウクライナに渡したから、ロシアは英国を「参戦したとみなす」警告をきちんと外交ルートを通じて発している。

当然だが、英国は共同開発したパートナーのフランス・マクロン政権にも同意を得てのことだろう。
だが、賢くも狡猾なロシアは、フランスを名指ししてはいない。

これはこれで、ル・ペンの大統領選挙活動に配慮したのだろう。

よって、英国がひとり敵認定のリスクを背負い込んだわけであるけれど、今回の「G20財務相・中央銀行総裁会議」のもうひとつのトランプ政権2.0の目的が、500年続く英国に拠点を置くヨーロッパ金融貴族支配の排除にあるから、とくにロシアの参加は意味がある。

この意味で、主役を張るベッセント財務長官の独壇場となった。

じっさいに、上に示した「ニキータ伝」さんが「腑に落ちた」という重要な憶測情報は、英国が提供したミサイルのありかを、アメリカ諜報機関の長がこっそりロシアのカウンターパートに教えるミッションだというもので、現実にこの訪問以降のロシア側の外交・軍事上の行動が裏付けているとみえる。

むろん、ベッセント財務長官が対イランを名目としたヨーロッパ金融貴族への制裁宣言と、今回のロシア参加はリンクしているのは疑いもない。
その手始めが、エジプトの「バンク・ミスルUAE支店」への名指しである。

つまるところ、英国労働党は、保守党とともに、金融貴族たちのお先棒を担ぐ存在に堕ちていて、どこにも英国労働者のための価値を示していない。
これが、まったくアメリカ民主党とおなじだから、トランプ政権2.0はその崩壊をも画策する当然がある。

なんと、米露が揃って英国を攻めいているのである。

ベッセントのイラン攻撃

1日、G20財務相・中央銀行総裁会議の最中、ベッセント財務長官がイランの革命防衛隊など幹部が持つ巨額の海外資産(たとえば豪邸も)の凍結について具体的な発言をしたことが話題になっている。

ここには、預言者ムハンマドから数えて4代目のアリーの血を引く12人の家系を「イマーム(指導者)」として尊崇されている者たちも含まれるはずである。

つまり、ベッセント氏は、あたかも「宗教大臣」のような存在になっているのである。

江戸時代の日本では、「町奉行」よりはるか高位だった「寺社奉行」(後の老中候補)がこれにあたる。
現代のわが国では、「文部科学大臣」がそれだ。

エジプトにはアラブ世界最古の大学「アズハル大学」があって、アズハルモスクに併設されているが、このトップが宗教大臣に就任するのが慣例である。

世俗世界は大統領が管轄するが、思想心情・信仰については宗教大臣の管轄であり、わが国の家庭裁判所と地方裁判所をあわせたような、宗教裁判所を管轄する国民生活に密着した存在なのである。

なぜならば、第一にモスクが出生記録から結婚契約を扱うから、離婚訴訟も宗教裁判所の権限の中にあるし、個人間の金銭貸借もイスラム法上の判断が優先される社会であるからだ。

なので、「イスラム共和国」を内外に宣言したイランとなれば、その生活上の隅々まで宗教(戒律)が関与するのは当然なのである。

しかし、ベッセント長官が示したのは、社会の柱となるはずの宗教的トップたちが、私的な蓄財をしてそれをさらに海外に秘密裏に移転・保持していたことの衝撃であろう。

時代劇でいう、権力者の不正曝露、というパターンである。

よって、そんな悪いやつらは成敗してもおとがめがない、という感情を視聴者に植え付ける。
かんがえてみれば、わが国の極左マスコミ傘下のテレビ局各社が、勧善懲悪の時代劇をこぞって放送していた意図は、日本人に革命思想を擦り込む目的があったとおもえる。

その手法を、トランプ政権2.0は、イランでやっている。

ために、トランプ大統領は、ときをおいて何度か、イランの国民向けに「政府打倒の革命蜂起」をアジっているのだろう。

そこで、正確な情報とはおもえないが、わが国に移住したイスラム教徒一家のその後をみると、二世代もすると8割方が「脱イスラム」をするという。
これはこれで、あんがい興味深いのは、一般にいう日本における宗教的寛容さではなく、「日本教」なる世界最強の宗教にはまり込むからではないか?とおもうからだ。

あたかも「神道」のようにみせかける「日本教」は、もっと薄く、かつ、もっと広く分布して、DNAに書き込まれているレベルかとおもうほどの強靱さがあるために「世界最強」の評価となる。

脱イスラムのおおきな原因に、「豚肉の美味さをしった」とかがあげられているらしいいが、そんな程度のイスラム教信仰からの現象なのか?と疑いたくなる。
もっと「テキトー」ともいえる、日本人の宗教的感覚の薄さにはまり込むのではないか?

だが、日本人は自分で意識しないレベルで強烈な宗教感覚をもっている。

たとえば、「鳥居」のミニチュアが道端にあれば、日本人は絶対的に清浄さを維持しようとし、これを嗤う外国人が放尿してから災難に遭うことを当然だと認めるばかりか災難に遭うことを大いに期待するのである。

よって、いつか災難に遭ったときに、かつての愚行を本人に伝えるので嗤っていた者が青くなる構図になっている。
それには二種類あって、単純に「神の存在」への畏怖と、真顔でいう日本人の「カルト感覚」に対する恐怖である。

このようにかんがえると、もっとも強烈な「あたらしいイラン革命」とは、日本化なのである。
そこで、ふたたび『おしん』が登場するのではないか?

そんなシナリオを妄想するのである。