トランプとケネディの連携

第3軸で無所属のケネディ.Jr陣営が、どこよりもはやく最初(3月)に副大統領候補を発表した。

ニコール・シャナハン氏(38歳)で、彼女はグーグル創業者の元妻であることから、相当額の資産分配を受けた富豪でもある。
その素顔はあまり日本では詳しくはないが、環境活動に熱心ないわゆる「左翼系弁護士」でもある。

ゆえに、おなじ左翼系弁護士のケネディ.Jr氏が、仲間として選挙パートナーに選んだのであろう。

もちろん、二人共に根っからの「民主党員」であった。

しかし、民主党はケネディ.Jr氏を党内予備選挙に立候補させることも拒否して、バイデンを強引に推し、ぜんぜん民主主義とはいえないことをあからさまにした。
さらに、「ケネディ家の人びと」からも縁切りをいわせしめることまでやったのである。

たとえば、J・F・Kの娘で駐日大使もやった、キャロラインもこれに加担して、従兄弟を切り捨てたのである。

つまり、かつて「民主党そのもの」といわれたケネディ家を分断・血みどろにしても、バイデンでいくことを党幹部だけで決めて、予備選挙で1000万票以上とったそのバイデンをあっさりと降ろして、無能の極致カマラ・ハリスを立てることにしたのは、バイデンの名で集めた選挙資金を引き継ぐ者が、政治資金法で副大統領のハリスしかいないという事情による。

対するケネディ.Jr候補には、あらゆる妨害工作(まったく手法的にはトランプ氏に対してやった「司法の武器化」のこと)を各州で実行し、ケネディ.Jr氏の名前を選挙投票用紙に載せないための活動を活発化させたのである。

これにキレたのが、ニコール・シャナハン氏で、長年民主党への多額の寄付までしてきた彼女が、ようやくその全体主義体制を身をもって経験するや、とうとう呆れ果てたというわけである。

残念ながら、この点で同情することはなにもない。

現地の23日にも、選挙からの「撤退」を表明すると報道されているのは、民主党を無限に支持するマスコミによる「勝利宣言」でもあるけれど、一方で、「トランプ支持を打ち出す」ことの危機感も同時にあることはまちがいない。

日本の腐ったマスコミは、愚民化した日本人一般に、「全米世論調査」ばかりの数字をみせて、あたかもカマラ・ハリス陣営が有利だと擦り込んでいる。
アメリカ大統領選挙で問題なのは、「州ごと」の選挙人票を得ることだから、「全米支持率」は、じっさいには役に立たない。

いわゆる、「スィング・ステート」という、選挙のたびに民主党やら共和党に振れる州での勝敗が、決定的な意味をなすからである。
いま6州か7州あるという、これらのうち、トランプ氏は3州で有利な形勢にあるが、のこり4州の熾烈な取り合いになっている。

前回、有名な「バイデン・ジャンプ」があったのは記憶にあたらしいけれど、勝敗の分析をすると、トランプ氏はなんとたったの1万票あまりの僅差で負けたことがわかっている。
バイデンが8000万票という信じがたい得票だったということは、あまり意味がないことをしっているゆえ大々的に「過去最大得票」を報じた意味が、この僅差をかくす「目くらまし」なのだ。

さてそれで、ケネディ.Jr支持率は全米で「たった3%」しかないから、どうでもいい、ということにはならない。
問題は、のこり4州におけるケネディ.Jr&シャナハン票のゆくえなのである。

トランプ陣営とどんな「ディール:取引」をしたのか?は、これから明らかになるだろうけど、この典型的な左翼のケネディ陣営を取り込むことは、「トランプ2.0政権」にどんな影響を及ぼすのか?が注目される。

もしや、ケネディ.Jrの父で、J・F・Kの実弟にして、大統領選挙中に暗殺されたロバート・ケネディ「司法長官」の職を継ぐことになるかもしれない。

両陣営最大の一致ポイントは、「DSの排除」である。
そのまた一致点が、「J・F・K暗殺の機密解除」である。

すると、シャナハン氏のポストはなにか?
おなじく司法省で、「ネット検閲」の排除を担当するのなら、なかなかに粋なはからいとなるのだけれども。

さすれば、わが国の総理・総裁が、9月に決まっても、来年には「どんでん返し」だってあり得るのである。

期待はふくらむ。

上野千鶴子政策をやったベネズエラの悲惨

「みんな平等に(=自由をなくして)貧乏になりましょう!」とは、上野千鶴子東大名誉教授のお言葉である。

もちろん、ご本人様は、高級ドイツ車を乗りまわし、都内高級マンショにお住まいであるが、ついでにフェミニストの鏡として「結婚反対」が持論のはずだったのに、余命いくばくかの男性と結婚もしてしっかり遺産相続していたことが話題になった。

自分は別、の典型的な共産主義者である。

安芸高田市長として、旧態依然とした議会と対立し、この対立に民主主義を壊すのか?とかみついた中国新聞の次長様と記者との終わりのないバトルは、結局、見世物であったことが、都知事選に立候補してバレてしまった。

この御仁は、なんと、男性でありながら上野千鶴子の信奉者であることをカミングアウトしたからである。
この意味は、自身がフェミニストであることをいいたいのではなくて、共産主義(親派)だということのである。

ついでに、やはり共産主義者の橋下徹をも信奉していると明言して、完全にそのイカれた頭脳を披露した。
「維新」が保守だと信じる、イカれた頭脳の有権者がいるのも、異臭の戦後教育とセットになった大阪人の節操のなさを明らかにしている。

京都大学でのエリート銀行員だと喧伝されたが、河上肇門下の流れにからめ捕られてしまった田舎者だったのかもしれないし、ニューヨーク勤務で、バリバリの民主党全体主義に染められたのかもしれない。

逆に、ニューヨーク生まれのバリバリ・ヤンキーである、トランプ氏に影響されなかったのは一生の不覚か?

さて南米といえば、むかしは一色の左翼政権ばかりだったけれど、さいきんはエルサルバドルやアルゼンチンで右派政権ができて、これら二国の成功を日本には伝えない方策がとられているために、元来地球の裏側のはるか遠い地域だから興味の薄い日本人には、それで通しても話題にならない。

それでいて、政府が棄民した日系移民のことは、たまに思い出す悪い癖がある。

エルサルバドルは、治安が南米でも最悪といわれていたものだが、いまでは南米で最安全になり、アルゼンチンは経済破綻からのインフレが強烈であったのに、あれよといまは2%台に落ち着いて、わが国よりも低いのである。

わが国の悪政がハッキリするのは、これらの国をみれば容易だ。

バラマキができる石油がでるベネズエラでは、国民を乞食化することに成功して、あらゆる補助で国家経済がおかしくなった。
まさに、上野千鶴子がいう政策、「みんな平等で貧乏になりましょう!」をやったら、ほんとうに予定通り貧乏になったのである。

この状態から、社会主義政府が政権転覆されないように、国民監視システムを「便利だから」と国民を騙しながら導入した。

電子政府とあらゆる個人情報を組合せたのである。

サラリーマンなら月給の支給における銀行口座から、家族構成、買い物履歴、それに物不足によるインフレ対策としての「買い出し指定日」の設定などである。
これは、事実上の配給制に近い。

自分の一家がいつ買い物ができるかは、政府から指定されるメールで通知される。
スーパーへの入店時に、この許可を電子確認・認証しないと、そもそも入店できない。
あたかも、空港のパスポート・コントロール状態になっている。

それで、入店したら好きなものを好きなだけ買える、というものでもない。

たとえば、世帯に割り当てられた上限しか買えないのは、しっかりレジで拒否されるからである。
それで、一家五人家族でイワシの缶詰が2個まで、だという。
さらに、おむつを購入するのには、子供の出生証明をレジに示さないといけない。

転売を防ぐためという。

平日であろうがなかろうが、政府の指定日にしか買い物ができないので、この日は一家で休業する。
子供の学校を休ませるのは、登下校の送迎ができないと誘拐やらの事件に巻きこまれるかもしれないし、夫婦で休業するのは、買い物後に襲われて物品を強奪されるおそれがあるからだ。

もちろん、選挙をやっても、なにもかわらないのは、選挙も電子的な方法になったからである。

そんなベネズエラの治安が、「最悪」にならないのは、最悪の犯罪者たちがアメリカへ不法移民として移動したからだ。

つまり、バイデン・民主党全体主義政権は、そんな社会主義・全体主義体制を支えている。
ゆえに、いまのアメリカはベネズエラとの国交を回復させないで、犯罪者情報の交換をしないで済むようにしているのである。

しかし、スペイン語圏のなかにあって、エルサルバドルとアルゼンチンの変化を、ベネズエラ人もしらないはずがない。

いつか、爆発する火種を育てている。

しかして、自分の発言でどんな苦しみを世界のひとびとが受けようが、知ったことじゃないのが、上野千鶴子なのである。

女々しい恐怖を利用する商売

日本人は元来女々しい(正規には「女性」という)のだという民族特性は、「米を食らう」ことでの決定であったと、前に欧米人の「肉食」を引用して書いた。

この話の初出・出典は、会田雄次の目から鱗が落ちるにして名著、『アーロン収容所−西欧ヒューマニズムの限界』(中公新書、1962年)である。
いまでは絶滅危惧種となった、「(正統)保守派」の論客の一人であった。

高校生向けの参考書コーナーで、「各大学の教授と業績」に関する情報を見たことがないから、高校生はいったいなにをもって「志望校」を決めているのか?といえば、おそらく「偏差値」をもとにした、「入れる限界」を目指しているだけだと推察する。

それで、入学してからおもむろに「ゼミ」の教室を選んで、それがそのまま「恩師選び」という構図になっているのではないか?

つまるところ、なにを学びたくて、だからこの大学で、この教授なのだ、という落とし込みがまったくないのである。
その前提に、みな同じという無機的な思想があって、ちがうのは偏差値だけなのである。

では偏差値の高い大学は、よほど高度な授業をやっているかといえば、そうでもない。
むしろ、易しくわかり易い工夫がされている可能性が高く、ために、理解度が上がるということになるのだとおもわれる。

ときに、『ドラゴン桜』とか、『ビリギャル』のように、偏差値30から難関校に合格するレベルに1年足らずで実現するのは、ようはその程度のコップの中のちがいでしかないことを表している。

そんなわけで、無機質な知識がどれほどあるのか?を測定するのが「受験」になっているので、生徒の方が教師よりもはるかにクールで無機質であるから、専門学問分野の常識にそのままなんの疑念もなく染まる、という現象が発生するのは当然である。

この現象の逆をいくのが、いまどきの「専門学校」だと前に書いた。

大学ではこんな程度のことが毎年繰り返されて、半世紀以上の月日が経過すると、専門学問分野そのものが無機質化して、固定される。

これが、現在も絶えることなく、さらに強化されている「権威主義=象牙の塔」の正体なのである。

そして、偏差値で他校を圧倒する東京大学が、権威の巨塔に変換されて、各学問分野における筆頭教授が、そのまま学会の筆頭となり、異論を許さない全体主義が完成する。

すると、社会という外部からの攻撃に関しての防御が徐々に過剰になるのは、こうした権威を背負う一人のトップを守るための「忠義の行動」に変化するので、組織をあげて強力な過剰防衛をすることにためらいがなくなるのだ。

まったく、会田雄次がいう、日本陸軍の姿がそこにある。

よって、社会は損失を被ることになるが、これらの者のひとりとして責任を負うものはおらず、むしろそんな損失は大したことではないという、後付けの論理を考案して、鉄壁なる組織防衛への貢献をもって序列が決まる「犬の習性」そのものの共産党のような事態となる。

これが、わが国の東大が仕切る、「○○学会」という反社ともいえるような組織とその行動様式の原理なのである。

さらに、同じ大学の文系をでた政府の官僚たちは、無責任という行動様式が等しく刷り込まれているために、このような学会への補助金を「必要」として惜しむことなく投入し、強力な広報(プロパガンダ)をして、国民を恐怖におとしめれば、そんな補助金の無駄をいうものをも排除できることをしっている。

たとえば、大地震がくる「かも」と強力に情報操作して、結局はなにもなくても、なくてよかった、というだけの「保険」だと認定させればいいのだ。

ちなみに、わが国の国家機関が集中する霞ヶ関の官庁街で、どれひとつの建物も「火災保険」にすら加入していない。

どうせ「必要」だから、もしも倒壊しても建て替えるだけのことだからである。

すると、脅されて、真夏の稼ぎどきに海水浴場を閉鎖した南紀白浜の「5億円」の損害補償を後から国に請求する根性は、果たして二階氏の権力に頼っているのかなんなのか?が不明の、まさに12歳以下の知能レベルだといえる。

これが、ちょっとしたことだけの学会の女々しい自己防衛から今後も頻発して、全国に拡大すれば、誰がその損を補填するのか?という、巨大な乞食化した各地の観光協会などが国家予算を襲うことになる。

これを国民が「安全」のための負担だとして許すなら、いったいどこまでの税負担を許容するのかの議論になるが、そんな負担をするつもりははなからないのが女々しい国民なので、愚民国家の行き詰まりは行き着くところまで行くしかないが、それがまた全体主義ともなれば。半永久的に「檻の中の生活」を強いられるのはまちがいない。

不幸にも、ヨーロッパ最貧のモルドバが、女性大統領をして、EUへの憧れをやめないのは、「檻の中」にいすぎて、見倣うべき基準すらわからなくなったからで、隣国のウクライナと一緒に、EU・NATO(戦争屋)の餌食になるべく「飛んで火に入る夏の虫」のような行動する危険がある。

わたしはどうしてこんな女々しい愚民と同じ空気を吸っているのか、わからなくなってきている今日この頃なのである。

はたして、自民党総裁選において、ただのひとりも「ワクチン接種中止」をいわない。

マスコミは、この話題をいっさい投げかけもしないで、外国の製薬会社の利益のために、国民の生身を差し出して平然としていられるのも、東大の医学・薬学のボスたちが、推進することだからである。

高市早苗総理総裁待望論の無謀

岸田氏がバイデンに倣っての辞退を決めて、自民党総裁選がなんだか盛り上がってきている風情だが、そもそも自民党総裁が総理になることが、今どきどうかしている。

それもこれも総選挙をやらなかった岸田氏の置き土産で、芯から日本をダメにしているのがこの政党の存在そのものなのである。
もちろん、組織として、岸田氏に反旗を翻すものが存在しなかったことがその理由であるから、見事な一体感がある。

立候補を示唆している議員たちの顔ぶれは、まことに残念ながら一国を背負う気概も能力もあるとは思えない人たちばかりで、「本社」にあたるアメリカ民主党の人材枯渇とまったくもって歩調をあわせているのが情けない。

カマラ・ハリスとパートナーのティム・ウォルズ氏の両者の特性は、完全なる共産主義者であるから、支店の自民党もそうなったのである。
当然に、日本総督のエマニュエルとかいう人物が、大手を振って自民党を共産化させるのに一枚も二枚もかんでいる。

なので、本気で恨み節をいいたいだろうと推測するのが、日本共産党だろう。
半世紀も前からしたら驚天動地の状態がいまの日本の政界で、これをまた、狂った経営者たちの集団「経団連」が支えて「ソ連化」を推進しているから、わが国の経済衰退が止まらないのである。

興味深いことに、カマラ・ハリスという人物には、これといった政治的実績がない、という驚きがあって、それが映画『チャンス』よりひどいと前に書いた。

しかし、ウォルズという人物はミネソタ州知事として、州法をして州を共産化させた実績がある。
しかも、軍歴詐称など、あたかも民主党らしい狡さをもって平然としていられる、典型的な「肉食の思想=差別意識」をもった白人種である。

なお、「肉食の思想」の初出は、会田雄次の『アーロン収容所』(中公新書、1962年)で、この歴史学の大家は自身の体験をもとにして、様々な文化的・民族的特徴の分析を試みている。

さて、さいきんでは、カマラを「カムアラ」と発音すると民主党支持者は子供のように大騒ぎしているし、あだ名つけ名人のトランプ氏は、ウォルズ氏を「タンポン・ウォルズ」と連呼している。

その理由は、公立高校のトイレに生理用品を無料で配置する州法案で、共和党は「女子トイレに設置」との限定修正案を提出したが、知事と与党の民主党はこれを拒否して、「男子トイレ」にも設置することを義務付けたからである。

こうしてみると、まともな共和党コンビを「異常」といい続けるマスコミの異常が目立つばかりで、わが国における「拝米保守」の片方のDNAをもつ麻生太郎が高市氏を推すことの安易さが、ますます吉田茂より酷い日本にしても構わないという無責任なのである。

それでも、この低脳な人物は、あたかも自身がキングメーカーになったかの錯覚をマンガの主人公のように楽しんでいるにちがいない。
なお、同様の低脳に、菅義偉がいて、こちらはもっと狭い神奈川県内の阿呆を推している。

もしこの両者が妥協したら、同じく神奈川県のクルクルパー、河野太郎が出てくることになる。

ただし、河野のカネの源泉は平塚にある弟が社長の「日本端子=中国」なので、この夏の「北戴河」でなにが起きているのか?が、えらく影響するにちがいない。
習氏の身になにが起きているのか?が、もしも現状の噂通り本当なら、それもこれも、「確トラ」の影響にほかならないのだろう。

ロシアからではなく、先手を打って西側に迎合しようというのが「長老たち」の意向だというのが本当かどうか?は今後あらためて判明するだろう。
ただ、経済がボロボロで、人民ではなく幹部たちの個人資産の減少が「焦り」になっているとすれば、習氏からしたら笑止だったろうにとはおもう。

どちらにせよ、アメリカ民主党に与するとの「判断」があったやに噂されているのだ。

この「確トラ」の影響は、地上の多くの地域で化学反応的に起きている。

しかし、とにかく想像することも、かんがえたくもない日本の外務省は、かつてヒラリー優勢を信じて疑わず、ときの安倍総理を選挙中のヒラリーと面談させた(トランプ氏を無視した)失態は、歴史的であった。

この屈辱に、阿呆ではないトランプ氏は恐る恐る前に出た安倍氏を、逆に異様なまでに優遇したから、ハラハラドキドキの外務省の御殿女中たちも安心させる演技を貫いたのである。

いまでもトランプ氏が安倍氏を慕っているように見せるのは、わたしにはどうかんがえても阿呆な日本人を抱き込むための方便としかおもえない。
わたしはトランプ大統領再選を待望するけど、彼を「神」だとはおもっていない。

むしろ、徹頭徹尾ビジネスマンであるために、ビジネス経験をバカにすらする外務省の自称エリート官僚・役人たちには、トランプ氏がなにをいいだすのかの「読み」がぜんぜんできないのだ。

さらに、日本独立のための必要条件が彼のような「各国ファースト:ナショナリスト」の思想の持ち主でしかないからである。

ところが、ヒラリー勝利予想の大失敗でも反省をするはずもない阿呆集団が外務省だから、日本を賊国扱いし続ける民主党の支配が続くことを願ってやまない。
それが、日本を本気で独立させようとするトランプ氏よりも、ずっと楽して国家予算で私腹を肥やし遊んで暮らせるからである。

ところで、このブログではなん度も批判してきたのが高市早苗という人物である。

彼女の得体の知れぬ不気味さには、麻生太郎のような単細胞には理解不能な邪悪があるからである。

もちろん、拝米保守という亡国・売国の論者たちが彼女を推す理由も、彼女の正体が、バリバリのアメリカ民主党すなわち、トロツキー派だということをしっているからだ。

地味な上川陽子なる売国奴も、高市と同じなので、もしも高市と上川が組んだら、最強の共産主義推進がこの国で実行されるはずである。
お里が知れるのを防ぐためか、この両名は意識して距離を保っているようにしかおもえない。

そんなわけで、だれがなろうが自民党はとっくに賞味期限が切れていて、すでに食中毒が発生して超過死亡がとまらないでいる。
安倍政権が長く無駄に続いたことも、いまの食中毒の原因だ。

ナショナリズム政党は、日本では参政党だけなのに、組織運営に失敗して党勢を落としてしまった痛恨がある。

まこと、組織運営のためのマネジメント・セオリーを日本人がしらないことが、絶望感を高めているのである。

見棄てられた日本とウクライナ救済

日本を含む西側が、いつウクライナを放棄するのか?がわたしの興味になってきている。

15日、突如「ノルドストリーム爆破の犯人像」が大々的に報じられたのは、いまさら感がたっぷりで、ものがガスだけにプロパガンダ臭がたっぷりにおってくる。

ほぼ2年前(22年9月)に、ドイツとロシアが兆円単位を拠出して作り上げたガスパイプラインの爆破事件のことである。

本件は、国連にも持ち込まれて、安保理常任理事国のロシアが、国連による中立的な原因調査と爆破犯の割り出しを提案したが、なんと「否決」されて闇に葬られた経緯がある。
共同被害者のドイツは、この提案に見向きもしなかったのは怪異であったが、それが原因で「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進し、シュルツ政権のレームダック化がはじまった。

先般、ノルウェーとスェーデンが別個に調査をしていたけれど、これが打ち切りになった矢先の再開報道なのである。
それが、西側メディアが一斉におなじことを流しているから、もう、眉唾どころかただのエンタメにしかみえないのである。

各国の公式調査によると、統一されている状況は以下の2点しかない。
・爆破された現場の水深は80m
・爆薬の量は、TNT換算で100Kg×3カ所

今回の報道では、ポーランド人の3人(うち二人は夫婦)が、レンタル・ヨットで実行したという。
しかし、この小さなヨットに総重量で300Kg以上ある爆弾をどうやって積み込んで、それを現場の海上でどうやって降ろして水深80mの場所に設置できたのか?についてなにも言及がないし、起爆方法も不明だ。

なんだか、さいきんの「エノラ・ゲイ号」の話と似ている。

広島型原爆(通称「リトル・ボーイ」)が、当時の大型爆撃機B29に積載可能であったのか?どうなのかが、いまさら議論されているのである。
とうぜんに、常識派は搭載可能説だし、地上爆発説派は、これを否定している。

おそらく日本的感覚でわからないのは、この初めてのウクライナ軍のロシア侵攻目的に、ヨーロッパ向けガス供給基地の破壊があることだ。
なんと、西側はこれだけロシア制裁やらをやっているのに、ロシアもロシアで、陸路からのルートはいまも稼働していることの事実なのである。

しかも、ウクライナ領内を通過するために、通過使用料をロシアはウクライナに支払っているし、ウクライナもこれを受け取っているのだ。

これまた、あたかも「国際決済銀行:BIS」が、第一次大戦でのドイツからの賠償金を「決済」するために設立されたことと似ているし、ヒトラーのドイツは第二次大戦中を通じて毎月きちんと振り込んでいたことに似ている。

一般的に日本人にしらされていないことに、高橋是清がヨーロッパで起債した「日露戦争の戦費債券」の償還は、1986年でおわっていることもある。
とうぜんに、ドイツも日本も律儀なだけではなく、借財の相手がユダヤ資本なので踏み倒したときの報復の方が恐ろしかったからである。

さて、ウクライナ国民でもロシア語を話す東部のひとたちを西部の政権(ナチス・ゼレンスキー政権)が虐殺をやめないので、あたかも「通州事件」(1937年7月29日)のごとくなのである。

そんなわけで、ウクライナをウクライナという一国として扱うと、はなしが混乱するのは、スターリンがこの国をつくったときに、東・西の水と油の対立を共産党が利用して支配するための方便だったからだ。

だから、ロシア軍はどこで止まるのか?は、東ウクライナだとかんがえられる。

それが、NATOとの全面戦争(第三次世界大戦)を回避するための条件になるからである。
だが、第三次世界大戦をおこしたい戦争屋たちは、イスラエルも動員した。
ところが、プーチン氏からアドバイスを受けているイランが、過去とちがって暴発しないのである。

イランも、実体験として戦争屋たちの魂胆を理解していることだろう。

しかし、日本はそうはいかない。
絶対多数の国民が、無抵抗な奴隷にされて、世界最高度のワクチン接種率と接種回数をもって、さらに、世界初となる「自己増殖型の毒薬」を秋から自ら希望して受けるのは、もはやモルモット同然の哺乳類におとされたからである。

つまるところ、世界からほとんどバカにされている状態が、いまの日本人なのだ。

それが、アジアの国々にも及んで、もはや「アジアの盟主」だとひとり思いこんでいるのは滑稽を通り越しているにちがいない。

また、モスクワの地下鉄と日本の通勤電車の光景にもなっている。
モスクワでは、若者たちのほとんどが読書をしているが、日本では老若男女こぞってスマホをみている。

ロシア人だってスマホをもっているが、合間の読書を欠かさないのは、かつての日本の日常光景だったのである。

日本は、日本人自身によって衰退しているのである。

トランプ氏がパートナーに選んだ、「ラストベルト(Rust belt:さび付いた(衰退した)工業地帯)」の、落ちぶれた労働者家庭出身の白人なのは、わたしにはあたかも、日本人へのエールどころか「発憤」を促されているようにおもえてならない。

カタカナだとおなじにみえる、「Last」のラストではない。

日本全体が、「Rust列島」になりそうだからである。

そんな絶望のヴァンス氏の人生を変えたのは、高校卒業からイラク戦争に行った軍務(海兵隊)であった。
アメリカには、軍経験者が進学するための支援制度があるのだ。

今後の少子化による若手の人手不足の深刻度は、社会インフラの不足にもなるのは、警官や自衛官に及ぶこと必至だ。

わが国の伝統として、これらにノンキャリで入れば、ほぼノンキャリのままで一生をすごすけれども、大学やら大学院やらに現役でも退職してもいける制度をつくるのはいいことで、教育費の無償化なる「共産党宣言」にある施策をやってはいけない。

カネではなくて、機会を与えることが重要なのである。

すると、かならず企業にも及んで、入社後の教育制度の充実の有無が、若者の企業選定の要素となるにちがいなのである。

しかも、できうれば「実学重視」の悪しき因習を棄てて、「人文系」のしっかりした哲学や国学を選んでほしいものだ。

それが、明治以来の日本人に染み込んだ「さびを落とす」ほんとうの実学になるからである。

ウクライナはロシアに占領される?

どうしてウクライナ軍がロシア国境を越えたのか?については、ゼレンスキーのやけっぱち説がもっとも説得力あるものになるほど、無意味で理不尽だ。

どういうわけか、ロシアが敗退している、という希望的観測以下の「白日夢」的な宣伝をやっているひとがいるのが不思議でならない。
このひとたちは、デジタル・タトゥーの恐ろしさを忘れたのか?

ぜんぶ記録されているから、時間が経てば大恥をかくことになる。
まさか、西側ニュース報道に騙された、とでも言い訳するのか?

プーチンは停戦案をなん度も掲げているのに、応じないのはウクライナ側である。

もちろん、西側の戦争屋たちはずっと継続させて、濡れ手に粟の利益を手放したくないだろうし、戦争をやめたら政権が崩壊するのをしっているゼレンスキーだってやめたくない。

下手をしたら、ゼレンスキーは死を免れないからである。
もしそうなったら、西側諸国やEUあるいはNATOからなんとそそのかされたのかを告白するかもしれないが、その前に口封じされるかもしれないので、頼みはプーチン氏の温情になるのか?

世界的潔癖症で有名な日本人は、その知的レベルが12歳の少年以下となっているので、見えることしか見ない。
だから、どうしても最初に手を出したロシアが悪い、という戦争屋の論法を信じて疑わない思考停止状態を維持できるのである。

しかし、そもそも論をいえば、2014年の「マイダン革命」なる、アメリカが仕込んだウクライナ政権の転覆をもってトリガーとなったのだいうことから理解しないといけない。
もちろん、これ以前から準備作戦ははじまっていた。

そうなるともっと前の、ソ連がロシアになったときに、アメリカが新生ロシアでどんな卑劣なことをやったのかをしらないと、元ソ連だったウクライナでロシアと連鎖的に起きたこともわからないのである。

ようは、いったん、大ロシア(=旧ソ連)は、英・米の餌食にされたのだ。

実際に、アメリカ上院の公聴会で、当時のロシア担当CIA責任者は、「ワシントンからの命令で我々は国際法でいう犯罪行為を実行した」と宣誓証言しているのである。
しかし、ロシアの天然資源利権を貪った側からのカネが廻っている大手マスコミは、これを大々的に報じることはなかった。

となると、加害者はロシアではないし、教唆したのがワシントン政府で、実行犯がウクライナ軍・警察という構図になるし、じっさいそうなっている。
EUやNATOは、とっくにアメリカ民主党=戦争屋たちの支配下にあって、おなじ利権で動いている。

さらに、プーチンがしっている大問題は、穀物の大産地であるウクライナの農地が、もう半分以上も、アメリカの投資運用会社、「ブラックロック」に買収されてしまっていることが挙げられる。

つまり、プーチンとしては、ウクライナ人の農夫たちに農地を返すために、ブラックロックが購入した地域を占領してしまえ、という「正義の動機」があるのだ。

ここで重要なのは、この地域の農民と農地の関係は、「農奴:serf」であるという歴史的背景があることだ。
つまり、土地を手放した農民の立場的変化は、「奴隷:slave」になったという意味なので、プーチン氏からしたら、「奴隷解放」をやっている、といえるのである。

そんななかでも、ロシア国内にいる「強硬派=早期のキエフ占領」を抑えているプーチン氏が見ているのは、「真珠湾奇襲」に誘われた日本の失敗を繰り返さないことへの決心なのである。

ために、ジワジワと占領地を拡大し、なおかつ、一般人を無差別攻撃しない。

アメリカとNATO(日本を含む西側)が焚きつけて、ロシアを無差別攻撃へ誘導しているのは、全面戦争に拡大したいからであると賢く見抜いているからであろう。
それで、早い時期に「戦術核の使用」をほのめかすことで、これら西側の戦争屋たちを怯ませたのは、まったくもって戦略論での各段のレベルのちがいのあらわれであった。

さて、あたかもブラックロックが悪の親玉に見えるかもしれないが、これもそんな単純な話ではない。
ブラックロックは、顧客からの要請に応える「投資運用会社」だから、その行為の原動力に「顧客からの指示」がいるのだ。

ここが、自分から勝負をかけるヘッジファンドやらとはぜんぜんちがうことに気がつかないといけない。

受身のブラックロックは、いまや世界最大の運用資産(10兆ドル以上)をもっているのに、これが目立たないのは、「受身」からの資産管理をやっているにすぎないからである。

つまり、そんな巨大会社に投資先(ここではウクライナの農地買収)を指示できる顧客とはどんな金持ちの誰なのか?が、問題なのである。

この仕組みを理解しているはずのプーチン氏は、それゆえに、戦時賠償金として1000兆円以上をアメリカとEU+日本に要求して、わざとダラダラと1日数キロの進攻で戦闘を長引かせて占領地の確保をしているのである。

それはあたかもブラックロックから土地を奪うように見えるのだが、じっさいは、ブラックロックに指示を出した顧客の土地だから、プーチン氏は容赦しないのだろう。

広大なロシアにあって、今般ウクライナ軍がなぜに簡単に国境を越えられたのか?についても、まともな情報がないなかで、しろうとでも容易に想像できるのは、そこが「原野」だからであるということだ。

つまり、ウクライナ軍が深く侵攻すればするほど、補給が困難になる。
ロシア軍は、攻撃目標の防衛と補給路を断つだけでいい。

残念ながら、この乾坤一擲の作戦も無駄骨だし、おおくの人命が短期間で失われる。

世界の穀物安定供給のために、プーチンのロシアが払う代償に加えて、西側の戦争屋が不当に儲けた分がコストとして、われわれのパンの料金になって戻ってくるのである。

これに、すっかり奴隷国家化した日本では、「米不足」を人為でつくりだして、カリフォルニア米を大量購入させている。

はたして、昨年の秋に「米の不作」が話題なったのか?を思い出せないのは、そんなことはなかったからで、いまスーパーに貼られている「昨年の天候不順のため」を鵜呑みにして信じる12歳の少年以下の思考力しかないおとなたちが多数いるのだ。

これで小麦どころか米もないことになった。

ちなみに小麦には連作障害があるので、広大な農地の内3分の1でしか小麦栽培はできない。
小麦の次にカブなどを植えて順繰りに作付け地を換えるのである。
一方で、米の田んぼは連作しないといけない。
いったん作付け放棄した田んぼは、かんたんには米作りが再開できなくなるのである。

この意味でも、日本政府の「減反政策」は、ブラックロックの農地買収よりもはるかに深刻なのだ。

ついでに「国産小麦」があたかも高品質というのも、最低の知識もない12歳の少年以下の阿呆のためのプロパガンダで、国産小麦ほど国際規格以下の劣悪品質はないのに、宣伝工作が実って持ち上げているのである。

日本がどうして古来、「瑞穂(みずほ)の国」だったかのか?も思い出せない知的レベルとしかいいようがない。

ウクライナにはまだプーチン氏からの救いの手があるが、わが国にはどうにもならない邪悪化した日本政府があるから期待できないのである。

「12歳」の日本人がサバイバル

マッカーサーが帰国して、連邦上院外交委員会の公聴会で述べた「日本人とは何者か?」との質問の回答である。

ようは、昨日の敵は今日、権力者に媚びへつらうことしかしない12歳の少年程度の思考能力しかなかった、といい切ったのである。

ちなみに、マッカーサーは『ポツダム宣言』を大幅逸脱(=違反)して、「日本国憲法」をつくらせたが、できあがったものはまったく「合衆国憲法」とは別物で、なんと下敷きはソ連の「スターリン憲法」だった。

しかし、一介の軍人がかような無謀ができたのは、一に本国政府の了承か意向があってのことで、はなから白人たちは「国際法」の適用範囲を、白人国家間だけだと限定している。
当然ここに、人種差別があるが、彼らは白人以外は人間だと意識してはいないから、こうなるのである。

なので、非白人の日本人が、あるいは外務省が、「国際法の遵守」をいうのは、ちゃんちゃらおかしいのであるけれど、これが敗戦で手懐けられた結果だし、また、日本人のまじめさの付随的結果なのである。

けだし、奴隷扱いされる便利な原因にもなっている。

さて、アメリカ議会には役割分担があって、下院は予算、上院は外交と政府幹部職員の人事承認がそれぞれに優先議決権がある。

だからもし、日本で「国会改革」を真剣にいうなら、「憲法改正」議論で、下院(衆議院)と上院(参議院)の役割分担を決めるのが筋で、議員数の削減とかは二の次だし、自民党案の基本的人権を削除する全体主義的憲法改正など、論外なのである。

しかし、80年以上前から日本人は、12歳の少年程度の思考力しかないことに変わりはなく、むしろ昨今はもっと退化しているように感じる。

何度も書くが、これが起きたのは、明治の「教育=文部省設置」による、江戸期までの教養教育の廃止が第一の原因である。
なので、江戸期最後の教育を受けた人々がこの世を去ると同時に、より12歳度を高めたのは当然の結果である。

それが、大正期になって、薄い「大正デモクラシー」になったし、それゆえに、大正・昭和前期のグダグダになったのである。

たとえば、松方正義は、天保生まれで大正13年に死去した(享年89歳)し、高橋是清は安政年間に生まれて、昭和11年の「2.26」で果てている(享年81歳)。
文化面では、わたしが「明治三部作」だと思う、どれも原文が英語の名作、岡倉天心『茶の本』、新渡戸稲造『武士道』、内村鑑三『代表的日本人』は、全員が江戸期の生まれだ。

吉田茂は明治11年、岸信介は明治29年の生まれで、ちょっとだけ江戸の匂いを受け継いではいたろうけれど、この後は皆、12歳で思考が止まるように訓練されて、それが日本的エリートとなったのである。

なお、軍人でいえば、山下奉文大将は、吉田と岸の中間、明治18年生まれで、満60歳で死刑が執行された。
この人物は、参謀本部勤務からスイス・ドイツ・オーストリアにも派遣されていて、昭和9年に将官へ昇進して陸軍省(「軍政」を司どる)の「軍事調査部長」になっている。

しかしながら、「2.26」で反乱軍を擁護したのを機に、陸軍の主流から外されていらい、外地、ばかりとなったのである。
天皇が「反乱」と評価して、軍組織内の「空気」が決定したからである。

つまり、あくまでも「本流」は、内地にいて指揮をする者たちであって、これが「軍事官僚」としての「官僚」たるゆえんなのである。
それゆえに、「遺書」は激烈なる反省文となっている。

怖いのは敵からの砲弾ではなくて、足を引っ張る味方からの妨害行為なのであって、これが組織的となれば、どんなに優秀な個人でもどうにもならなくなるのは、組織自体がもつ特性なのである。

さてそれで、12歳児程度しかない自分の思考力を、多くの日本人は自覚しておらず、むしろ、そんな批判に耳を傾けることもなくなっている。
驚くべくは、退職して現役ではない者たちが、かえって「自己保身」に熱心なことである。

ところが、なにから保身したいのか?もない。

「保身行動」が、長年勤め上げた「習慣」になっているから、ぜんぜん抜けないのである。

そんなわけでわが国の戦後史では、「DS:Deep State」に気づいたアイゼンハワーを牛耳ったのは、ダレス兄弟(兄ジョン・フォスター国務長官、弟アレンCIA長官)で、この兄弟がが間接統治したのであった。

当時の日本側カウンター・パートは、CIAのエージョントになることで死刑を免れ釈放された岸信介が首相だったという妙がある。

これから幾星霜、いまや『バトル・ロワイヤル』そのものの様相となって、日本政府が日本人の全滅を画策することとなってしまったのである。

どちらも12歳程度以下の知力しかないのであった。

小説が時代考証になる

人間の人生は短く、かつ、あんがいと記憶もあいまいだ。
脳が自分に都合のよい記憶をつくりだすこともわかってきている。

量子論の世界はわれわれ一般人の生活にはおよそ他人事になっているけど、あらゆる物質の成り立ちを示すものだから、その奇想天外な論にはある程度身近でありたいものである。
そこで、本物の学者先生は、難しい理論を易しく解説してくれるのだが、これはこれで説明に時間を要するから、気のはやいひとには敬遠される。

わからなくてもがまんして見聞きしていると、なんとなくのイメージはできる。
ただ、「時間は存在しない」ということをなかなか理解できないでいる。

中学卒業時のクラス会などでいつも話題になる学校生活での昔話にも、集団で勘違いしていることがあるから、やっぱり脳が記憶するだけでは危ないのである。

そんなわけで、『卒業文集』とかが、当時のリアルな「証拠」として役に立つ。

いまの先生たちが、どこまでクラスの子供たちが一生の付き合いをするのかに興味あるのかはしらないが、5年程前に亡くなったわたしの中学3年時の学級担任(国語)は、このあたりを当時は「異常」とおもわれるほど固執していた。

新編成された3年の4月冒頭、卒業までの記録と卒業後の保存のために、おおきな蓋付きのゴミバケツを2個用意して、卒業前に学校の敷地に埋めたのだった。
ときにこれを「タイム・カプセル」と呼んでいた。

どういう申し送りを学校に残したかもしらないが、この先生が別の中学校の校長で定年退職するときに、声がかかって「タイム・カプセル」の掘り起こしをやったのである。

卒業後、四半世紀が過ぎてのことだった。

出てきたのはガラクタのようなものばかりだが、なぜにこれを埋設保存するのかを書きとめた、「リスト兼理由書」があって、その「お宝性」に驚いたのである。
まさに、「狭い子供の世界の珍品」なのであった。

残念ながら相当数の珍品は処分することとなったが、持主が特定できるものは本人に返還された。

『卒業文集』は、卒業時に配付されたけれど、わたしが書いた「修学旅行記」はその大量のページ数から当時は顰蹙を買ったけれど、いまでは「貴重な記録」扱いになっている。

これも、個々人の記憶が曖昧だからである。

そうやってかんがえると、近現代の時代考証には、時代時代に流行った時勢を扱った「(大衆)文学・小説」が役に立つ。
新聞の「縮版版」の注目は、そうした「作品の広告」で、それが「目録」の役割をしているからである。

もう中学校に入学して、半世紀がすぎた。
それでこのありさまなのだから、近代でなにがどうあって、それがどのように人々の生活に影響したのか?をしるには、それなりの小説やら紀行文あるいは映像にある記述が証拠になる。

たとえば、『仁義なき戦い』は、獄中手記をもとにした「ノンフィクション」だった。

戦後の日本が物騒だったことの象徴で、なにも広島だけの話ではない。
ではどうして、かくも日本が「物騒」だったのか?を追うには、かなり以前まで遡らないとわからない。

最低でも200年。

だとしたら、1700年代の日本人の生活・価値観の理解からスタートしないといけない。
「関ヶ原の戦い」から、100年後の世界である。

現代の出来事の根本を理解しようというなら、1800年代にそのタネがある。
わたしが、『東海道中膝栗毛』(1802年~14年)を重視するのは、ここに近代が描かれているからである。

同時期のヨーロッパで、「弥次喜多道中」があり得ないのはなぜか?

そこに、じつは日本の先進性とヨーロッパの後進性があるのだが、いつでもなんでもヨーロッパこそが先進なのだという誤解は、明治以降につくられたプロパガンダによる。

島崎藤村の『夜明け前』とは、ほんとうは伝統日本の「夕暮れ」だったのであるし、『家』の崩壊もしかり、である。

なので、現代の出来事をしるもう一つのエポックは、まちがいなく「明治維新」をよく観察することなのである。
すると、薩・長ともに、関ヶ原からの藩政を読み解く必要がでてくるのだ。

このとき、少なくとも当時とはちがう、たとえば「司馬遼太郎」を参考にしてはいけない。

わたしは、彼の作品をNHKの大河ドラマとおなじで、なるべくみないようにしているのは、ぜんぶがプロパガンダだからなのである。

そのNHKの時代考証担当ディレクターが、獅子文六『箱根山』(新潮社、1962:ちくま文庫)「解説」で「小説が時代考証になる」と書いていると前に書いたとおりなのである。
なお、加山雄三と星由里子、他豪華俳優陣がが映画で共演している。

ところで、いま書店で売れまくっているのが、ガブリエル・ガルシア=マルケスの1982年ノーベル賞受賞作『百年の孤独』で、理由は先月、文庫本(新潮文庫)になったからだという。

本が売れない、本を読まない時代のヒットになった。
電子版がないのは残念だけど。

この不思議な物語は、「マジック・リアリズム」という手法で文学界に衝撃を与えたというけれど、抽象的に表現されているのは「人間組織の運命」とも読める。
組織リーダーを欠いた組織は、やがて滅びるという、まったくの経営論でもある。

なるほど、わがクラスも、先生亡き後の集結力が各段に下がったのは、まったく100年を要しないスピードでのリアルなのである。
じつは、クラス会を装った、「先生を囲む会」を先生自身がプロデュースしていたのである。

この意味で、この人類を魅了した小説は時空を越えて「時代考証」になるのだろう。

トランプとイーロン・マスクの生放送

イーロン・マスク氏が、旧ツイッターを買収して、名称を「X(エックス)」に変更しだけでなく、あたかもラジオのように生で音声放送する「Xスペース」というサービスを開始していた。

録音・編集して、後から流す「ポッドキャスト」とはまたちがうものである。

この方法で、現地時間の12日、トランプ氏とイーロン・マスク氏の二人による放送が約2時間にわたってライブ放送され、リスナーは130万人を越えたし、その後の関連情報はわずか1日だけでも世界中で10億アクセスを突破する驚異的な大反響となっている。

もちろん、民主党側の応援団たる大手マスコミは、例によって「切り取り報道」をやって、なんとか悪評にしようとしているけれど、肝心のカマラ・ハリス陣営は、あろうことかこの放送を利用して、反論ではなく「一口$25の政治献金」を呼びかけたのである。

先月の共和党大会で正式に党の大統領候補になったトランプ氏は、「20の公約」を発表している。(カマラ・ハリスはいまだに、チップ税廃止しかいっていない)

このなかに、EV(電気自動車)の強制に反対することがあって、「テスラ」の創業オーナーでもあるマスク氏はこれをどう観るかが気になっていたが、マスク氏も「化石燃料との共存」を発言したのである。

もうひとつの注目は、「連邦教育省」をどうするのか?である。

前期のトランプ政権(1.0)では、「廃止」を検討するまでにはなっていたが、実施には至らなかったからである。
「トランプ政権2.0」が、必然的に強力となるのは、前回の経験(裏切り)や失敗をふまえて、かなりの「詰め」をもう行っているからである。

このことは、左派による支配を継続させたい勢力と、決定的な対立になるのは当然なのである。
逆に、これら勢力からしたら、「トランプ政権2.0」は絶対に阻止しなければならない、至上命令になる。

すなわち、教育こそが「次世代の国民をつくる」という、近代国家にとって最大の事業だからである。

良くも悪くも、わが国は、「拝米主義」で一貫した79年を生きてきた。

1945年の敗戦から占領が終わる1952年を越えて翌年の53年までは、あの原爆投下を命じた、民主党のハリー・トルーマンが大統領だった。
それから政権交代して、共和党アイゼンハワーが61年まで大統領であったけれども、この間にわが国は高度成長の軌道をつくった。

そんな「アイク政権」のおかげもあって、といいたいが、現職の大統領が、たとえ引退会見であっても「DS:ディープステート:陰の政府」の存在に言及したのは、アイゼンハワー元帥の意地であったにちがいない。

ちなみに、人望・人徳ではるかに劣るダグラス・マッカーサーは、共和党大統領候補になることさえできなかった。
「元帥」で同格ではあったが、アイゼンハワーの足元にも及ばなかった。

「アイク」のつぎに政権交代したのは民主党のジョン・F・ケネディだったが、どうやら民主党(DS)に裏切られて暗殺され、副大統領だったリンドン・ジョンソンが昇格したけど、あまりの不人気で共和党のニクソンに政権交代した。

あの「ウォーターゲート事件」も、いまでは、民主党によるでっち上げだったことが判明しているが、おおくの日本人はこれをしらされず、いまだにニクソンにいい印象をもってはいない。

むしろ、キッシンジャーやらのDSたちに翻弄されて使い捨てにされたのは、ニクソン・チームをもっていなかったからである。

こうして振り返ると、トランプ氏はアイゼンハワーについで「DSとの戦い」をいう、歴代で二人目にあたる。
つまり、それ以外はみな「DS]の命に従っていたともいえるのである。

だから、日本政府も「DS]によって侵されたし、わが国の教育もアメリカを倣うのは当然なのである。

すると、「トランプ2.0」とは富豪のトランプ氏が私財を投じて構築した「チーム」であって、アメリカだけでなく日本にも大転換が訪れることを意味する。

これにあらがっているのが、DSに支配された自民党で、一刻も早く反トランプを総裁に選びたい、と焦っていることだろう。

それが、14日、岸田氏の自民党総裁選に突如不出馬を決めたことで、アメリカのDSと連動していることがわかりやすく見えるほどの醜態をあらわしたのである。

でも、単純・単細胞な「拝米主義」からすると、いまのうちに「日米関係のために」親トランプを選んだ方が「お得」だという者たち(たとえば、血筋だけでなんの教養もない麻生太郎とか)と小競り合いをしているのだ。

いま反トランプに洗脳されている日本国民一般も、そのうちどこかで気づくのは、当事者のアメリカ人一般が気づいたからである。
これが、ネットをつうじて直接やってくる時代になった。

今回の「Xスペース」も、間にマスメディアがない、「直接配信」だということが重要なのである。
あたかも、「問屋」を要しない、流通革命のごとく。

これぞ、「情報(流通)革命」なのである。

ために、EUでは、マスク氏に対する「制裁」をいう委員が登場したが、はやくもEU委員会内部で孤立していると大手メディアが「報道」しているのは、それが事実かどうかではなく、そんな強権的なやり方が通じなくなっていることの証左なのである。

つまり、「情報問屋」の生き残り作戦ともいえる。

今後、もし、このEU委員がどんな人事に直面するのか?も、あんがいと興味深いが、それがまた、同時に日本政府にも飛び火していることを示すからである。

これぞ地球をひとつにする「グローバリズム」の、歳台にして最悪の弱点なのである。

たった2時間の対談で、これをあぶりだしたのだから、歴史的、といえるのである。

わが国はアメリカから独立できるのか

79回目の終戦の日。
何度も書くが、第二次世界大戦終結の日は、「9月2日」であるからまだ間があるが、停戦の日をもって戦争終結にしているのは負けた側のわが国だけ、という異様もある。

もっといえば、『ポツダム宣言』の受諾を連合国に伝えたは前日の14日なのだ。
これは国民にしらされていなかった。

では、『ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)』には、なにが書いてあるのか?という一大事を戦後の日本人は正規の授業で習わないことも、戦後の一大事ではある。
まず教科書を墨で塗ることからはじめた「教育改革」でも、これを教えない。

むかしはどこの家にもたいがい一冊はあった、『六法全書』には掲載されていたものだけど、国民が劣化して、『六法全書』を常備しなくなったのは、なんでもネット検索できるから、ということでもないだろう。

法律には「施行令」と「施行規則」という足腰がついているし、そもそも時間が進むと法律も改正されたりあたらしいものがドンドンできる。
だから、『六法全書』はつねに新しければいい、という単純なものでもなくて、あんがいと「時代」が刻まれているのである。

そんなこともあって、喉元過ぎれば熱さを忘れる、にしては軽すぎるのである。

念のためポツダム宣言のオリジナル全文は、「国会図書館資料」にあって、ネットでも読めるようになっている。
また、「日本占領」で、GHQによってなにがおこなわれたのかが特集されているので、面倒でも読んでおいた方がいい。

これも念のために書くが、わが国が「無条件降伏」したのは、「軍」であって「政府」ではないことにも注意がいる。
悪辣なプロパガンダ機関であるNHKなどは、これを一切いわず、あたかもわが国政府も無条件降伏したかのようにまだ宣伝している。

相変わらず、GHQに都合がいい、ことの意味をかんがえる必要があるからである。
ようは、『サンフランシスコ講和条約』で、わが国は独立したように見せかけているものの、いまだにアメリカの「保護区(Reserves)」にされているのだ。

ちなみに、大日本帝国憲法では、政府と軍の分離が図られていた。

せっかく山本権兵衛内閣で軍務大臣に任命できるのは「退役軍人」だとしたものを、広田弘毅内閣で「軍務大臣現役制」を復活させたために、新内閣の組閣にあたって軍の意向が決定的に強化された原因となったのである。

それで、東京裁判では、広田は文官で唯一死刑が執行された。

なお、なぜか帝国海軍人は、ひとりも起訴すらひされておらず、ぜんぶ陸軍が悪かったという物語が戦後に蔓延し、その世論が海上自衛隊の誇りになって引き継がれているし、徹底的に陸上自衛隊では旧軍の旧弊を排除した経緯がある。

あらためて、主権回復は、サンフランシスコ講和会議でなったものだが、同時に、『日米安全保障条約』と、これに付随する『地位協定』が残った。
これが曲者(保護区になった)なのである。

そんなわけで、岸田氏が総裁選挙に「不出馬」を表明したのは、まったくもって、本人の意向ではなかったバイデンの大統領選挙「辞退」と瓜二つの現象となったことに注目したくなるのである。

英国人やアメリカ人なら、「信念」をもってたとえ敗戦が濃厚でも闘うことを良しとするだろうに。

こんなことは、『プルターク英雄伝』に山のようなエピソードが書かれている。
日本人(「大和民族」)なら、なにも『プルターク英雄伝』なんか読んで拝欧・米主義に染まらなくとも、たとえば必死で臨んだ「元寇」しかり、「桶狭間の戦い」しかりなのである。

つまり、岸田文雄という人物を通じて、これを支えた内閣各大臣さらには自民党という組織が一体となって、日本人ではないことを示したのだ。

あくまでもバイデンに追随するというのは、本人には美しい「主従関係」の表明ではあろうが、国民には恥辱でしかない。

「トランプ2.0」で想定できるのは、敗戦後二度目の「日本独立のチャンス」なのであるけど、初回は自民党・安倍晋三が「トランプ1.0」のときに決断できなかった。

はたして「次回」は、どうするのか?
まったく気概もなにもない人物がこれにあたってしまうのは、「わが国側の体制」が変わらないからである。

この体制をつくったのが、アメリカ民主党だったから、トランプ2.0では、ただ「独立すべし」といったところで日本が独立できるはずはないことも、政権組織として百も承知であろう。

ではどうするか?

トランプのアメリカが、自民党を解体させる可能性があって、代わりにナショナリズム政党を支援する流れをつくることができるのか?にかかっている。
そのために、敵はマスコミなのだ、という認識も、アメリカ国内同様だということも理解されていることだろう。

なにせ、アメリカ民主党がつくった理想郷が日本だからである。

すると、アメリカ民主党の権化たる、駐日アメリカ大使の更迭と新任人事から観察すれば、本気度がわかるというものだ。