「餅は餅屋」を喪失したら

社会を人為で設計する、という発想は、ミクロでいえば企業経営の日常にも見られることでもある。

この事業をするから、こんな会社にしたい、とかんがえるのは積極的に推奨されるものだ。
なので、株主に、社長が説明するのも義務化されている。

そんなふうになったのは、わが国の「改革」で、政治が役所を使ったのか、役所が政治を使ったのかは横にしても、お国が「株式の持ち合い制度をやめる」ように財界を通じて指示したからであった。

ようは、わが国の経済団体が、政府の軍門に下ったので、かつての「政府と対峙する」という姿勢が吹き飛んだのである。

あたかも「じゃんけん」のように、政府・財界・労働界が、それぞれバランスをとることがひつようなのに、いまは十把一絡げの「翼賛」状態になって、すっかり共産化した。

この意味で、近衛文麿内閣の「夢」が、岸田文雄内閣で実現している。

しかしながら、どうして日本政府がそんな持ち合い解消指示を出したのか?についての議論はあまりなく、「株式会社は株主のもの」という、突如とした企業所有論が先行して、とうとう「株主資本主義」ということばが生まれるに至った。

こんな用語は、学校でも習わなかった。

むしろ、オランダ「東インド会社」がやった、株式会社の発明、こそが、資本主義の誕生だったのではないか?とすれば、あらためて「株主資本主義」なんて言葉はひつようない。
だから、資本主義というのは、定義が曖昧なだけでなく、マルクスが共産主義を説明するために都合よくでっち上げた、ただのアンチテーゼなのだといえる。

なのに日本人が発明した、「株式の持ち合い時代」とは、「株式会社は誰のものなのか?」がはっきりしない、「変な資本主義」だと非難の対象になったのである。
しかし、いわずもがなの、「会社は従業員と経営者のもの」だったから、生活向上と会社の発展がイコールになっていたのである。

貧農から武士になった二宮尊徳が説いたごとく、勤勉さを基礎にして、このイコールが、がむしゃらに働いたことの原動力だった。

身分制がある、ヨーロッパ人には理解できない行動原理がこれだ。

いまからしたら、「陰謀論」であろうがなかろうが、「株主資本主義」がアメリカからの要請=命令だったと気づくのは、いいセンスだといえる。
アメリカ民主党は、肥えらした日本経済という家畜を、とうとう喰らいにきたのである。

「ものをいう株主」がでてきた当初の違和感はもうなく、「ものをいわない株主」こそが権利行使もしない変な株主だということに常識が転換したのは、すさまじきプロパガンダの成果である。

これを日本経済を専門に扱っているといわれている(これ自体もプロパガンダ)新聞社が担っているので、この「新聞」を読むと、経済音痴が伝染するはめになってロクなことにならないと気づいたから購読をやめた。

では、ものをいう株主とは、なにをいっているのか?といえば、企業経営に対する「物言いをつける」ことをいう。
相撲の「物言い」とおなじだが、ときには「いちゃもんをつける」のと同様のこともある。

もちろん、一単位しか所有していない程度では、会社側も相手にしないから、数%以上を保有している「機関投資家」がこの手のものをいう株主なのである。
だから、ものをいうのは、その機関投資家の社員か経営者ということになって、このひとたちは個人的趣味・嗜好で「論破したがる」性質をもっている。

いわゆる、「オラオラ」を大株主の立場でやるのが、優越感となるから、楽しい、という実に下賎なひとがいて、日本人的ではない気持ち悪さがあるのだ。
こんな人物たちが、たいがい高学歴なのは、そういう風になるような教育制度になっているからである。

さてここで、「設計主義」が登場する。

大株主の持ち分が会社の所有権の持ち分とおなじ意味なのだ、というのが、株主資本主義の唯一の主張である。
なので、「いちゃもん」自体も、持ち分の発想からいうだけなので、いわれた会社側はどう解釈したものかなんだかわからないから「いちゃもん」になる。

たとえば、30%の持ち分があれば、その「いちゃもん」の30%分を実現せよ、といちゃもんをつけるのである。
ところが、そのいちゃもんを実行したら、会社はコストが増えるだけで損をして、株価が下がるとまで説明して、ようやくいちゃもんを取り下げるというオチがつくのが関の山なのだ。

そんな説明の筋書きを総務担当者やら企画担当者にやらせるだけで、人材と時間のムダ遣いをさせることになるけど、「いちゃもん」だろうが、「物言い」をやったという実績を残さないと、機関投資家の社員としての仕事をしていないと社内評価されるのが困る、という側面もあることは否定できない。

ようは、人事評価の設計がおかしい会社が投資会社で、ふんだんな資金があるとこうなるのである。

そういった大規模なヘッジ・ファンドなどは、有名な投資家(じつは「投機家=ばくち打ち」)からのし上がったので、ろくな組織マネジメントをしてはいないが、パフォーマンスの高さから、欲深い者たち(おなじムジナ)がカネを出して、合同でばくちをやって荒稼ぎしているのである。

彼らの感覚は、ヨーロッパ中世そのものの時代感覚なのである。

それで、自分たちの都合に有利なように議会や役人の家族を雇うなどして、金銭でコントロールするのは、野蛮な欧米人の発想としては、当然なのである。

これを、「強欲資本主義」というひとがいるが、そうではなく、欧米で一度も資本主義が成立したことなんかない、気分は重商主義とかの中世のままだからである。
彼らには、資本主義とは幻だから、「資本主義成立の歴史的定義」は、いまだに定まらないのは、当たり前のことである。

実態もなく存在しないものの定義なんかあるわけがない。

それでどうして、「株式の持ち合い時代」のわが国企業がいまよりずっと高い成長をしていたかといえば、「餅は餅屋」というわが国伝統の価値観に合致していたからである。

それで、餅屋なのに、餅の品質やらが落ちたら、銀行からカネではなくてひとがやってきて、餅屋らしくなるように指導したものだった。

銀行にも、勤勉の道理があったのである。
それを渋沢栄一は、『論語と算盤』で、ちゃんと説明しているのに、いまでは渋沢が創った銀行さえも、「おとぎ話」にしているにちがいない。

ところが、その銀行が当たり前に疲弊して、あらゆる業界にひとを出しても、ぜんぜん使えないので、なんなんだ?にもなって、とうとう役所の補助金に依存するようになっている。

その原因は、「餅屋らしさ」を追及せずに、損益計算書の数字だけを追及して、へんな設計主義を強制するからである。

残念ながら、銀行も銀行業とはなにか?を金融庁と日銀に破壊されて、自分たちさえ「何屋だか不明」になってしまった。

ために、銀行の指導で、「餅屋」が多核化したりして、「何屋」だか不明になっても、数字さえよければそれでよい、ということに落ちこんだのである。

まったくもって、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーに転落したごとく、なのである。

企業の社会的責任とか、企業倫理とかが宙に浮き出したのは、国民の道徳がアメリカ民主党(トロツキー派)によって破壊されたからである。

その手先の一派が、「国民の道徳批判」を世に出して、正体を現したのも、トロツキー派の邪悪がダース・ベイダーと同様の使命感に変換されたからだろう。

あなおそろし。

アメリカ・カナダの麻薬解禁

アメリカだと、「先進的」に不法薬物解禁(合法化)をやったのは、『オレゴンから愛』(1984年)で日本人にもしられる「オレゴン州」であった。

カナダだと、「ブリティッシュ・コロンビア州」で、こちらは期間限定(2023年1月31日から2026年1月31日まで)の「社会実験」として、18歳以上の成人は、少量なら所持していても逮捕や告発されることはなくなった。

どうなったか?は、とくだん驚くべきことはなく、予想通りの「廃退」がすすんだ「だけ」であった。

また、麻薬中毒者が、非合法ゆえに犯罪者として扱われ、治療を受けにくいという主張にも疑問が呈されて、むしろ、合法だろうがなんだろうが、彼ら中毒者が麻薬使用をやめて治療を受ける決心をするのは、「手遅れ」になる段階になってからで、その間は、麻薬に浸る喜びしかもたないという実態報告がでてきた。

これ以上いくと命に関わりそうだ、という懸念を中毒者本人が自覚する段階は、とっくに手遅れなのである。
脳だけでなく、全身の神経系が薬物で受けたダメージを再生する方法はないからである。

初めから手を出してはいけない、これがまともな鉄則である。

では、薬物合法化運動の本質とはなにか?
それは、文化破壊の政治運動にすぎないし、中毒者が増加して社会が中毒者によって過半ともなれば、あとは支配と被支配の現実がやってくる、まさに、ディストピアの実現なのである。

およそ100年前に、世界史を、形態、として観察したシュペングラーの名著『西洋の没落』によれば、文化社会 ⇒ 文明化社会 ⇒ 文明社会 となって、没落(滅亡)し、再び、文化社会からスタートして何度もおなじパターンを繰り返すという。

アメリカで、少年少女文学として書かれた、『カッシアの物語:原題は「MATCHED」』(2010年)という、三部作のディストピア小説がある。

温暖化でいったん衰亡した人類は、すべてが政府がコントロールする社会を構築していたことから、この物語ははじまる。

オレゴン州やカナダのブリティッシュ・コロンビア州は、そんな悠長な理由はどうでもよく、いきなり「麻薬合法化による衰亡」を計画したのである。

しかし、前にも書いたように、スイスは80年代のとっくに、「無料・麻薬接種所」を設置して、希望者に専門家が注射をほどこすことを、国民投票で決めている。

クスリ欲しさに犯罪に手を染めて、自由民を傷つけることなく、そのまま薬漬けになって勝手に死になさい、という法律なのだ。
もちろん、本人が希望すれば一生をかけて病院に収容される。
それで、自由民は自分の払った税金からの出費を政府に認めた。

冷酷さがにじみ出るみごとな、合理的「損得勘定」なのでスイスらしい。

こんな先行事例を、これら両州は無視したのである。

しかも、合法化されたとはいえ、入手には二系統を残した。
政府からの少量の支給と、元は闇での格安・大量販売で、中毒者はほぼ後者を選択している。
それで、販売競争となった業者は、フェンタニルを混合させてより「強力=格安化」にしているが、その分、常習者への身体的ダメージも強化されている。

もちろん、取締当局は、取り締まることをしない。

ただし、学校などの敷地内では、薬物の使用は禁止されていたが、どういうわけか公園での使用は規制がなかった。
それで、散乱する使用済み注射器を踏み抜いたら危険だと、小さな子供を持つ親からの苦情で、ようやく公園から「15m以内」が禁止となった。

そんなわけで、まともなひとちは、他州への移転を決断し、ますます加速して衰亡の道をひた走っているから、シュペングラーの予言は現実になっている。

このあと、すっかり廃退して死に絶えた地域として、あとは再生するのか?それとも?が見どころになっているのである。

だんだんと、かつて「アメリカの国民作家」といわれた、新しい自由な国をつくる、アイン・ランドの小説も、現実化している。

想像の世界から、すさまじい、社会実験を、愚かで野蛮なひとたちが自分からすすんでやってくれている。

政府審議会委員がいなくなるカモ

『文藝春秋』といえば、かつてもいまも、わが国を代表する「総合雑誌」という位置づけで、もっといえば、「雑誌界の最高峰」ということになっている。

発行部数がずっと、「100万部」という実力だからであろう。

会社としても、雑誌名とおなじ「文藝春秋社」だから、どっちの話をしているかが若干ややこしくなる。

この雑誌の編集長をやっていた、半藤一利(1977年 ~1979年)は、その後、専務となって退社し、作家業に専念したが、渡辺昇一教授はかれを「一貫した東京裁判史観の持主」と評している。

つまり、反日・左翼である。

それでか2009年に廃刊になった『諸君!』は、ウマが合わなかった前任編集長の田中健五(1972年~1977年の編集長で、1988年~1995年の間は社長だった)が創刊したものだ。

半藤は田中の社長退任とおなじ年に退社した。

『諸君!』は、わたしが学生時代から定期購読していた月刊誌では、最後まで購読したものの、廃刊の数年前にその「左傾化」に気づいて定期購読もやめたので、廃刊のニュースはさもありなんだった。

一雑誌が左傾化したのではなくて、「会社として左傾化した」のである。
その随分と遅い反応の記事が、2017年の『アゴラ 言論プラットフォーム』にある。

それから、『Will』と『HANADA』を購読したことがあるが、長くは続かず、ずっとこの手の月刊誌を手に取ることもなかった。

しかしながら、この「4月号」の特集、『コロナワクチン後遺症の真実』のために、えらく久しぶりに、そして積極的に『文芸春秋』を手にしたのである。

記事は、各位がお読みになられるとして、じっさいに政府は、補正予算で100倍以上も計上しているのは、事実である。

そんなわけで、もしもわが国が民主主義国家であるならば、コロナワクチン接種を推奨したひとたちはもちろん、政府の委員は当然に率先して「逮捕」の対象にならなければならない。

容疑は、「虐殺:ジェノサイド」と、「侵略:経済的被害をもたらした」で、もちろん、「人道に対する罪」があって、2022年に現職首相だったボリス・ジョンソン以下が、国際刑事裁判所に提訴されていることは書いた。

つまるところ、「東京裁判」でいう、「A級と同等」という意味で、求刑されるべきは「死刑」しかしないし、別途、民事での金銭的保障は、末代まで及ぶことになろう。

すると、これ以降も、わが国が民主主義国家であり続けるならば、恐ろしくて政府の各役所における委員になることは、「破滅」を意味するようになるので、なり手がいない、ということになるのではないか?

「御用学者の絶滅」が、起こり得るのである。

しかしながら、現実には、厚労大臣も誰もかも、「政府委員がいっているから」という逃げを国会答弁で述べて、議事録に残していることが、重大な証拠になることに気がついていないという、おぞましいほどの民主主義否定が、ふつうに行われているのが、わが国の実態なのである。

もちろん、国民も、そんな状態になっていることに、興味もないほど「政治不信」という名の無関心がはびこっている。

だが、幸か不幸か、「憎悪の訓練」だけは受けているので、その憎悪の対象が政府や政府委員に向かうとき、きっと怖くなるほど日本人は結束するに違いない。

なにしろ、国民の8割以上が、接種者として、とんでもないことになる可能性があるし、それがまた次世代へ遺伝することもあるばかりか、未接種者も他人事ではないのは、「輸血」を要する事態となったら、接種者提供の血液製剤を体内に入れるしかないからである。

なので、未接種者ばかり、という国会議員すら、安全地帯にいると高をくくっていられるのは、愚か者の証拠なのである。

製薬会社は、75年間の秘密協定があるとしているが、人類が75年後にどうなっているのか?も含めて、製薬会社の経営者も自分や自分の子孫のことを思っていない愚か者だとわかるのである。

「家畜」であって「社畜」ではない

JR品川駅の構内を見下ろす構造になっているカフェが話題のようである。

店内には、駅構内を通行するひとたちへの撮影を禁じる旨の掲示があることが話題のタネのようである。

その心は、社畜観察カフェ、という異名からも明らかで、通勤時の大量なる社畜が足早に出口方向へ通過していく姿が、まさに屠殺場へ向かう動物にみえるからだともいう。

それに、この通路は、「社畜ロード」と名付けられて久しい。

これには、「芝浦と場」として、いまは「東京都食肉市場」となっている施設が、極近所にあるから、という理由がかんがえられるけれど、そもそものはじまりは、「昭和11年12月に、それまで都内各地に点在していたと場を合併し、当時は葦(あし)が茂る埋め立て地に作られました」と解説がある。

もちろん、ここで忘れてはならないのが、「中央卸売市場法」(大正12年3月)の制定である。

どうしてこの法律ができたのか?についての、当時の事情はいまとはぜんぜん違うので、いまさらながらに、どうして21世紀の現在にも、「公設」の中央卸売市場が必要なのか?という議論があるのは、現代の事情がもはやこうした施設を必要としなくなっている点があるからだ。

そうやってかんがえると、「社畜」を品川駅で語ることは、食品供給に対する、冒涜ともなりかねない恥ずべき話なのである。

それならば、新宿駅や東京駅も、社畜であふれている、といえる。

昭和天皇の御大葬で来日した、ブータンの前国王(現国王の御尊父)は、お付きのひとに、東京駅駅頭(丸の内口、東京中央郵便局付近)に向かわせて、日本人の通勤風景を観察させていた。

国王の調査目的は、日本人の幸福さ、であり、報告は、「老若男女のほぼ全員が、無言で怒ったような顔つきで歩いており、とても幸福度に満ちているとは思えなかった」であったのだ。

当時、ブータン王国は世界最貧国レベルの経済統計値であったから、王様が提唱された「国民幸福度で世界一」ということの意味が、当時(昭和の最後)の日本人にどこまで通じたかはわからない。

しかも、このときすでに、「バブル」がはじまっていたのである。

それで、バブルが崩壊すると、このときのエピソードが注目されるようになったから、反応の時間は数年というほどの鈍感さを日本人は示したのである。

品川駅にはソニーの本社があるが、ソニーの半導体工場をヒマラヤの雪解け水に目をつけた計画があったけど、世界で初めてソニーの工場進出に「NO」を突きつけたのも当時の王様だった。

国民の所得が向上しますよ、という経済発展の誘いに、国王は、国民全員が雇用されるわけではないから、格差が生じる」と返したのである。

先々代の急逝のため、わずか16歳で国王に即位した先代は、自身の側近を英米のエリート大学出身者ばかり起用したようにみえたけど、だからといって、英米の経済学をそのまま導入しようとはしなかった。

英米の損得勘定と、国王の損得勘定は、ぜんぜん別の価値観による計算式があるのである。

この当時だって蔵書数で定評のあった、横浜市立図書館で「ブータン」と検索したら、4冊しかヒットしなかったほど、日本人には関心のない国だったのである。

利権政治を金権政治というなら、明治維新からわずか二代50年ほどの後の大正4年からのバブル、「(第一次)大戦景気」では、英米の価値観に染まりきっていたのが日本人で、以来、民間企業も「利権獲得」から「確保」こそが利益の源泉だとしたので、その価値観に盲目的に従う子飼いの政治家を育てた結果が昭和の反動となって、敗戦からいまに続くのである。

あたかも政治家だけが悪いという、憎悪を煽るきれい事で、国民の汚れた本音を隠すから、気がつけば、奴隷国家からとうとう家畜国家になったのだった。

この意味で、日本人は一大プロパガンダ作家、司馬遼太郎から卒業しないといけない時期に来ている。

なんにせよ、自分の頭でかんがえることができなくなったら、それはもう、「家畜になった」としかいいようがないのである。

残念ながら、企業内生活と無意識訓練の「習慣」がそうさせるので、「頭脳の生活習慣病」ともいえるから、自覚症状がないために深刻化する。

そうやって、社内昇格するために、トップ・マネジメント層も家畜化してしまうけど、質が悪いのは「君臨する」という事態に及ぶからである。

それが、いま存在する、経団連やらの財界人の姿なのである。

「当然」のプーチン氏再選

2030年までの、ロシア連邦大統領職の任期延長がきまった。

この国(ロシア)は、伝統的に強力なリーダーを必要とするので、プーチン氏の再選(五期目)は、当然といえば当然だ、という専門家の意見がある。

また、今回のロシア大統領選挙で初めて採用された、電子的な投票方法が、「不正の温床となる」と報じる西側メディアは、郵送と電子的な投票方法をあわせているアメリカの大統領選挙では、完璧な管理下で一切の不正はなかった、ということにしているし、「選挙不正はあった」と発言しようものなら、検察官に起訴される全体主義国家になっていることを非難もしない。

いまや正体(戦争屋の手先)がしれた英国の元首相にして、現外相のキャメロン氏が、どうしようもない呆れた選挙だという最大限の失敬な態度をとるのは、ロシアを分割して旨味を得る(英国の帝国主義を保守する党)ことが不可能になったことへの「地団駄」で、まことに唾棄すべき人物だと、自分から世界に示してしまった愚か者である。

ここでわたしが注目したいのは、投票率が約74%「も」あったことである。

また、日本人は選挙の投票に3日間も要することに怪訝な目でみるひともいるけれど、世界最大の陸上面積がある国だ、ということと、ウラル山脈の東側(一般に「シベリア」と呼ぶ地域)のほとんどは、ツンドラでおそろしく人口密度が低いのである。

そのウラル山脈の東側からの広大なエリアには、多数の少数民族が住んでいて、ロシア連邦の国内言語数は、200を超えていることすら西側メディアは報じない。
このことがまた、強力なリーダーを必要とする要因になっている。

さらにいえば、まだ「春」が遠い気候のなかでの投票には、それなりの苦労があるのは容易に想像できるので、なかなかの関心の高さ、というか、「ロシア国民の民度の高さ」を表しているとかんがえられる。

戦後でもしばらくは日本人も、元気なら選挙には投票するのが当然だったので、国政選挙ではだいたい8割の投票率の「高い民度」だった。
逆に、「反軍演説」で国会を追放された斉藤隆夫議員を、再度国会へ送った「地元民の民度の高さ」は、いまでは真逆になって、お困り国会議員が低い投票率だから連続当選できている。

「反プーチン」だという野党のひとを何が何でも応援する西側メディアの、まったく当てにならない報道がここでも現れて、プーチン氏の予想得票率82%を上回る圧勝という数字を、どのように評価するのか?も言及することはない。

74%×82%=61%

つまり、プーチン氏の国民支持は、6割を超えるのである。

これは、アメリカ共和党内における、トランプ氏の支持率と似ているが、国全体ではトランプ氏の支持率も4割程度となるのが現実である。

これは、プーチン政権が盤石な基盤のうえにあることを意味するので、「もしトラ」となっても、アメリカ人はプーチン氏に一目置かなければならないことを意味する。

それが、民主主義、というものだ。

そこで若干、リーダーについて書けば、リーダーとは、リーダーシップを発揮するひとを指す。

へんてこりんな西側メディアの洗脳で、プーチン=独裁者という刷りこみをされて「反プーチン脳」にされている気の毒だが迷惑なひとたちが多数いる。

だから、「強いリーダー=独裁者」という、深刻な勘違いをしているのである。

これがまた、職場等における、「パワハラ」の要因になっていることを、プーチン=独裁者と洗脳された日本人には、かんがえたこともないだろう浅はかさになるのは、マスコミによるプロパガンダを信じる単純さがそうさせているのである。

それでもって、浅はかな与党政権は、浅はかな勉強エリートの官僚に、「パワハラ防止法」なる浅はかな立法起案の作文をさせて、国家権力でもって「やめさせることができる」のが、あろうことか「法治国家」なのだという、浅はかなことを真面目にかんがえる浅はかさなのである。

これぞ、独裁ではないか!

本物のリーダーシップは、そうではなく、常に国民に問いかけて国民が「自ら」正しい方向へ向かうように導くことなのである。
そこで、プーチン氏の場合は、「ロシア正教」という国民の信仰を基盤にした、ローマカソリックやプロテスタントとは異なる国民共通の価値観をもって、「指導」しているに過ぎない。

それが、タッカー・カールソン氏とのインタビューににじみ出たので、都合が悪い西側マスコミは、この内容ばかりか、そんなインタビューがあったことさえ報じないのだった。

前にも書いたが、「ソ連」と「いまのロシア」の区別がつかないひとたちが多数いるという現実は、報道機関という名の犯罪的かつ意図的なプロパガンダのお陰である。

そんなわけで、こうしたプロパガンダ機関は、日本人の目線を海外に向けさせるのは、本音では応援している岸田政権の悪行である実行力をみせないためであるし、一方で、国内の話題を「裏金問題」にするのは、スケープゴートを絞り込んで、逃げ切りたい勢力を助けるためでもある。

国民や視聴者が俯瞰して全体の構造を把握することができないようにするのは、リーダーシップの真逆の、強制的な情報統制なのだ。

なので、おおくの日本人は、世界との関連性のなかで生きていることをすっかり忘却させられて、江戸時代より酷い「鎖国状態」におかれていても、ぜんぜん気にしないで脳天気に生きている。

初の女性首相候補といわれた、野田聖子総務会長(当時)が、シーレーンにあたる海域に軍事基地人工島を建設しているのを、「わが国からはるか遠いので関係ない」といったのを聞いて、「そりゃそうだ」と骨髄反応したなら、そうとうに「脳がやられている」と自己判定もできなくなっているのである。

さてそれで、「親日」を自称しているプーチン氏は、あたかも座禅における「喝」を入れる警策のごとく、「目覚ましの一発」をそのうち日本人に喰らわすことになるのだろうと予想する。

それが、どんな痛みを伴うのかはわからないが、キリスト教的「愛の鞭」ということが、いまの弛んだ日本人には強すぎて、なんであれ過剰反応になることを懸念しておく。

とっくにこの予測をしているマスコミだから、国民の過剰反応を用意するための狂った大宣伝をいまやっているのだとかんがえれば、辻褄があうのである。

TikTok 「禁止?」の緊急法案

13日、アメリカ連邦下院は、超党派の支持を得て賛成352、反対65で可決し、上院へ送られた。
チャック・シューマー上院多数派(民主党)リーダーが、どう処理するか注目されるが、「超党派での可決」を受けて、あんがいと早く議決すれば、あとは大統領が署名して成立する。

バイデン氏は事前に、可決されれば署名する方針を表明しているから、ほぼ決まったとみてよいのだろう。

もちろん、中国の字節跳動(バイトダンス)側は、可決を阻止するために法的権利を行使すると表明したという。

まず、報道の正確性を欠くので、「TikTok禁止法案」という言い方はまちがいである。

アメリカには、特定企業を名指しした法律を立法することは禁じられているためで、法案の主旨はより「包括的」となっているし、禁止ではなく、アメリカでの活動をやめる「か」、アメリカ企業による強制買収を選択できる、となっている。

しかして、なぜにこんな法案が素早く、しかも超党派という理想的な形で下院を通過したのか?について、日本での腐ったマスコミは解説もしないのである。

第一にあるのは、技術的な問題で、日本における「LINE」と同様に、利用者が投稿した他愛ないものが問題になっているのではなく、スマホなどの端末にある個人情報(行動履歴や支払決済記録などぜんぶ)が数秒でダダ漏れするということが、国家安全保障上の問題となっていたのは、トランプ時代からのことである。

「以前」は、数秒を要していたが、いまの機種では「一瞬」という、高性能化がされているのは、盗む側の技術向上だけでなく、端末自体の高速処理技術が逆手にとられているのである。

それでも、アメリカ人の若者を中心に1.8億人ほどがTikTokの利用者だし、それがほぼ民主党支持者ばかりなので、字節跳動(バイトダンス)側もたかをくくって、禁止法が議案に上程されてもロビー活動によって阻止できるとふんでいたようである。

情勢が変わったのは、「ハマス支援」のために若者たちが立ち上がったことだった。

アメリカ連邦議会は、上・下両院とも、イスラエルロビーが超党派(民主党も共和党の壁もなく)で牛耳っていることはあまりにも有名な話だ。

字節跳動(バイトダンス)という企業は、当然だが中共支配の企業なので、若者の行動の裏に、字節跳動(バイトダンス)による情報収集だけでなく、「宣伝工作」もあることがわかってきた。

アメリカ人の世論全体では、ハマス支持は半数にぜんぜん満たないが、10~20代でデータをとると過半なのもその徴候だというのである。

ここでひとつの事件となったのは、バイデン陣営が大統領選挙キャンペーンにそんな若者たちに受けるよう、「TikTokを公式ツール」としたのである。
よって、字節跳動(バイトダンス)側は、今回ような事態にならないと思ったにちがいない。

ところが一方では、若者たちのハマス支持に危機感を覚えた議員たちが素早く動いていた。

それで、時間がかかるロビー活動では間に合わないことに気づいた字節跳動(バイトダンス)側は、慌てたのか?やっぱり発想が打算的なのか?あろうことか、TikTokそのものをつかって、「国会議員に電話して議員の行動を阻止しよう!」というキャンペーン・コンテンツを加入者全員に送ってしまった。

これに賛同した若者たちが誰だかわからないけど、「電話する」のボタンをクリックして、通話行動にでたために、各州にある国会議員たちのオフィスの電話が次々とパンクしてしまったのだった。

これに、超党派の国会議員が震え上がったのである。

自身の政治活動が、一方的なTikTokのキャンペーンによって阻害される、つまり「実力行使」と認定されることになったのである。

このあたりは、目的に付随するが予測できない、「随伴的結果」そのものとなったのだが、全体主義者がしでかした浅はかなことではある。

それでその随伴的結果の方が議員仲間での大きなうねりとなって、あっという間の可決になったのである。

次の興味は、上院での可決をとっくに飛ばして、だれがTikTokを買収するのか?になっている。

この一連を振り返ると、バイデン側の「罠」にTikTokがかかったといえる。

それで買収するのが、マイクロソフトとか、アルファベット(グーグルの親会社)とか、という巨大な資本力のある企業なら、なんのことはない、外国のグローバル全体主義から、アメリカ国内のグローバル全体主義に引き渡されるだけ、という茶番になるのである。

アメリカは酷い国だといいながら、兆円単位のカネが手に入るから、この売買は双方どちらも笑いが止まらないだろう。

これはこれで、共和党トランプ派にとっての随伴的結果なのである。

ドローンの武器化が歴史の転換点をつくった

「無人・無線操作」による、いわゆる「ドローン」(せいぜい100万円程度)が、数億円以上の従来型兵器を無力化して、過去にない戦果をあげているのが、ロシア軍の実態である一方、ウクライナ側は水中ドローンで巡洋艦クラスを撃沈させている。

さらに、遠方まで移動して確実に当てるため、偵察ドローンも登場して、攻撃ドローンの操縦を援護し、あたかもビデオゲームのような状態をつくりだしている。

もちろん、宇宙からは衛星が戦地を監視していて、偵察ドローンの配置計画を援助しているのは、当事者双方でやっているので、双方から「戦場が公開される」という史上初が起きている。

過去の戦争は、一部が公開されるまでにはなっていたが、いまは、ぜんぶが公開対象になっているし、その情報と、戦場(従軍)記者の報告、あるいは双方の軍当局からの発表とが評価の対象になって、世界に配信されることになったのである。

地上波テレビでは、悲惨な「生」の映像をみせないので、ここにもネット情報を得るひととそうでないひととでの情報格差が生まれる。

よって、当局によるプロパガンダもかつてないレベルで実施されている。
自国民と世界への情報発信で、有利な情報操作を仕掛けるのは当然といえば当然だからだ。

この意味で「軍政」も担当分野にある陸軍では、士官学校で、プロパガンダ専門員の育成をかなり重視しているはずだ。
「軍政」が担当分野にない海軍・空軍に対して、どの国も陸軍が上位なのは伝統的だが、教育内容におおきな隔たりが起きていることだろう。

昨年のウクライナによる「反転大攻勢」では、英国やドイツ、それにアメリカの「最新鋭戦車」やら、戦闘機やらが供与されるから、ロシア軍はひとたまりもない「はずだ」と世界の戦争屋宣伝隊のマスコミ(もちろん日本のNHKも)がはやし立てたが、アメリカはわずかな日数で「エイブラムス戦車」を引き上げてしまった。

ロシア軍のドローンによる攻撃に、歯が立たないことを、世界に宣伝したくないからである。

おかげで、貧困化する英国は、なけなしの戦車を失い、ドイツ自慢のヨーロッパ最強戦車も、ただの鉄くずとなるシーンばかりが配信(「砲塔」が揺らぐ)されて、「カタログ販売」の目論見はあっけなく潰えてしまったのである。

中にいた兵員はどうなったかをいうひとはいない。

ちなみに、進攻開始してすぐにロシア軍がキエフを包囲できたのは、緒戦における制空権を確保したからで、いまでは東側占領地域から西のポーランド領付近までミサイル攻撃の射程としている。

このとき、キエフを占領しなかったのは、「和平交渉」をしていたからだが、戦争屋の代理人、英国のボリス・ジョンソンが和平の阻止をやって、最後のひとりまで闘え、といったのをゼレンスキーが飲んでしまった。

英国は、ウクライナ人が死滅しても武器を売りたいし、あわよくば、ポーランドをからめて、ウクライナ分割統治をしたいのである。
なお、ウクライナの穀倉地帯の農地は、すでに英米の投資家がかなりの面積を購入している。

それでまた、BRICsを中心に、西側やアメリカ製の武器購入が減ってしまったのと、なんと生産能力が間に合わないとの二重苦がある。
後者をもって、日本の最新鋭戦闘機やらを外国に販売できるようにしたのである。

生産が間に合わないのは、西側の工場は、「労働法を遵守」しているからで、対するロシアは「祖国防衛」のための24時間フル稼働(三交代制)を維持しているからである。
しかも、ロシアは新型ドローンの開発にも注力して、戦時下における進化を実現している。

残念ながら、国民のやる気がちがうのである。

その背景に、「ロシア正教」への信仰心で国民が結束しているからである。
ゼレンスキー政権は、ロシア正教徒を虐殺してきた元凶だという認識が共通なのだ。
残念ながら、国民に人気の反プーチン政治運動家の死、というのもプロパガンダで、彼の実態はネオ・ナチなのである。

それに、残念な西側軍事顧問らは、戦闘機ばかりか最新鋭戦車の操縦も、数ヶ月の訓練でできると、阿呆なことをかんがえついた。
最低でも3年はかかるし、戦車隊を成すにはもっと多くの経験値がないと、まともな作戦行動もできないのは常識だろう。

そもそも、指揮官が育たない。

兵器さえ最新・最強なら負けはしない、という発想に、人間が操作することを忘れた暴論だということさえも、プロパガンダされて気がつかない脳天気なひとたちが多数になっている。

さらに、「復興支援」なることが昨年の広島サミットでも議題になったのは、戦時中としてありえず、「ウクライナの敗戦による復興支援」と正確に言葉をつかうこともしない。

さてそれで、わが自衛隊の装備は、ウクライナと同様の旧式アメリカ製ばかりで、ドローンによる多数同時攻撃に対しては無力だし、まっ先にあるはずの、電磁パルス戦(EMP:ElectroMagnetic Pulse)の準備もないのである。

敵によるEMP戦発動で、わが国周辺の米軍も一瞬にして無力になる。
もちろん、民間機も民間船舶も航行不能になる被害となる。

いま、「もしトラ」から「ほぼトラ」になってきてはいるが、トランプ氏が大統領に復活した場合の東アジア情勢の大変化は、もしやアメリカ大統領就任後初の外国訪問がモスクワになるやもしれないことで、明確となる。

米ロの蜜月がはじまる、大転換が用意されている。

A.I.の営利企業独占に反対する

『2001年宇宙の旅』で衝撃的だった、A.I.(当時は「人工頭脳」といっていた)の完成形、「HAL9000」が、あたかも「いまのA.I.」なのだという、変な思い込みをするように仕向けられている。

残念ながら、「HAL9000」のような本物のA.I.を作れるレベルにぜんぜん到達してはいないし、この意味で、いまのA.I.は、「HAL9000」に比べて幼児レベルでもないまったく別物である。

数ある人間とコンピュータとの戦いで、この映画が描いた「HAL9000」は、あたかも、人類初の殺人「カインとアベル」のような、コンピュータによる歴史上初の殺人を、えらくリアルな映像でみせたのだった。

旧約聖書『創世記』第四章をしっていたら、上の「カインとアベル」を想像する必然があるので、欧米人たる作り手はそれを念頭においたにちがいないが、旧約聖書にも仏典にも興味がない現代日本人には、制作者の意図に構いなく、単に「何が起きたのか?」ということだけに神経が集中した。

それで、コンピュータが最大進化して人間と同等の価値基準や判断基準をもったら、もしかして怖いかも、と想像して済んだのは、制作された1968年では当然であった。

しかし、いま、ほとんどのひとがポケットにスマホをいれて歩いている状態で生きているので、もはや想像して済むということはなくなった。
なにしろ、スマホにだって、A.I.をダウンロードして利用できる時代になったからである。

しつこいが、それは、「HAL9000」とは別物なのである。

アプリによっては、無料で使えるけれど、有料で「トークン」を買わないといけないものもある。

端末代だけで、人生で70年つかうなら200万円ほどになるし、これに通信・パケット代もかかるが、さらにトークンの負担もしないといけないなら、これだけで「重税」とおなじ、可処分所得を減らす効果がある。

目に見える表面しか見ない、という安楽な生活をしていると、だんだんと脳が劣化して、ややもすると「かんがえる」という行為を脳が拒否するという状態になる。

症状としては、気分が悪くなったり、短気で面倒くささに覆われたりするのだが、これこそ自分の脳が活動することを拒否している、驚くべき状態なのである。

一方で、その物理的原因に、腸内フローラの崩壊が指摘されている。

大腸(じつは小腸も)の共生菌の構成は個人差があるというが、共生菌の活動がちゃんとしていると、脳内物質が平常通り分泌されて、脳の活動も平常を保てるが、共生菌の活動が弱まると、脳の活動も弱くなることがわかってきたからだ。

なにせ、脳内物質は、腸でだけ合成されるために、腸が「第二の脳」といわれる根拠となっている。
これらの物質が、脳内の機能性を発揮するから、不足でも過剰でも、人間の判断力を狂わすのである。

これはコンピュータでいえば、プログラムの作動機能のことである。

すると、「HAL9000」だって、誰がマシンを設計し、それにプログラミングしたのか?ということが、あの殺人のほんとうの「犯人」なのである。
これを、はるか未来の、『マトリックス』では、「アーキテクチャ」の登場で明らかにした。

そんなわけで、いま「A.I.」と呼んでいるものも、ぜんぶ「プログラム」でできている。

しかしながら、ひとつの大問題が発生したのは、オープンソースだったはずの「チャットGPT」が大手企業に買収されて、いまや「A.I.」が世界で数社だけの提供にならんとしていることなのである。

「HAL9000」とは別物とはいえ、いまのA.I.レベルでも、「独占」あるいは「寡占」されることは、多数にとって大変なリスクを負わされることは確実である。

そこで、あのイーロン・マスク氏が、A.I.の独占に反対する裁判を起こした。
彼がかんがえる深刻さは、A.I.が全人類の厄災になりかねない、という懸念なのだ。

せめて、「OS」とおなじようにしたい、ということだろう。

「ウインドウズ」、「マックOS」、「クロームOS」、「ユニックス」が、大手企業のものだけど、「リナックス」はオープンソースとして健在だ。

日本が誇る、「TRON」は、パソコンではなく、「IoT機器」で圧倒的な世界シェアとなっていて、これもオープンソースなのである。

じつは、ウィンドウズはリナックスから作られているし、マックOSはユニックスからつくられているけど、リナックスそのものもユニックスから派生している。

そんなわけで、「ウインドウズ」、「マックOS」、「クロームOS」を提供する3つの大企業は、どこもグローバル全体主義=共産主義をきっちり標榜してはばからないでいるので、A.I.をなにに用いるか?は、かなりディストピア的だと容易に想像できる。

あいもかわらず、「Line」を住民に使わせる自治体は論外として、危険を承知でも顧客に使わせる努力をする大企業が絶えないのは、グローバル全体主義の大株主に逆らえない取締役会の決定事項なのである。

ここに、「企業倫理」や「企業の社会的責任」をいっても無駄な、資本構成、という問題が発生しているのである。

ちなみに、こんなありさまを「資本主義の終焉」とかいうひとがいるけれど、「資本主義」なる用語は、マルクスが共産主義を説明するために発明した、「アンチテーゼ」だけの意味なし言葉であるから、惑わされないようにしないといけない。

資本主義の段階に、人類はまだ到達してはいない、とアイン・ランドはいったが、わたしは、江戸時代から日露戦争までの日本が唯一資本主義を体験したとかんがえている。
そんな日本人も、第一次大戦の「大戦景気」で、拝金主義がはびこって、資本主義を殺したのである。

結局、消費者が立ち上がるしかないが、腸内フローラの崩壊を目論む食品工業の化学調味料・添加物によって、かんがえることすら億劫にさせられている。

すでに、ディストピアは現実なのである。

「野村佃煮」民事再生にひと言

この店のファンとしてのひと言である。

京都、錦市場にあって、東京なら「根津神社入り口」信号の横にあったお店には何度もいっては購入していたのが、「混ぜご飯の素」だった。

炊きたてのご飯に混ぜるだけで、贅沢な混ぜご飯が簡単に作れるのはまさにわが家の「生活の彩り」となっていたからである。

そんなわけで、過日、春の陽気の中、根津神社入り口に、「菜の花ごはんの素」でも買おうかといったら、看板ごとなくなっているので呆然とした。

その場で検索したら、先月13日に民事再生法申請をして、同日、保全・監督命令を受けたという記事がでてきてなお驚いたのである。

かんたんにいえば、倒産である。

あくまでも、この店の味が好きだったファンの声として書いておく。

報道記事によると、創業は1931年(昭和6年)で、2012年には売上高の最高記録、約50億5100万円をあげていたという。
ところが、8年後の2020年3月期は売上高が約39億9100万円にとどまり、約9700万円の赤字を計上した、とある。

あっさり、「需要の減少とともに売上が落ち込み」と記載しているが、どうして需要が減少したのか?についての解説はないので、読者が自分でかんがえないといけない。

まず、売上の推移を幾何平均で計算すると、年率にして-3%ほどの減少だったことがわかる。
計算式は、1-(8√(399100÷505100))=0.029

それでか、経営者は積極的に販売店をふやしてとにかく多店舗展開をやったらしい。

おそらく、これがコスト増(配送、在庫、家賃、人件費など)を招いて、約1億円の赤字となったが、それは売上に対して2.4%ほどという赤字率になっている。

最高益のときで黒字がいくらだっかは、記事からは不明だが、売上比でざっと1%から3%の黒字を想定するなら、5000万円から、15000万円ほどの利益がある商売だとおもわれる。

これに、約1億円の赤字を加味すれば、15000万円から25000万円が、あるべき利益よりも少ないことになって、399100万円の売上比では、6.3%ほどの不足という状況が見て取れる。

それで記事は、「2023年頃からは不採算事業からの撤退などにより再建を目指していた」というが、やっぱり経営判断としては10年以上ある時間を無駄にしたし、着手しようにも、おそらくなにが「不採算事業」なのか?ということもわからなかったのではいか?と疑うのは、月次決算を、税理士に任せていたからではないか?とこれまた典型的な例として疑わざるをえないからである。

税理士は、税金の計算(間違いのない適正な納税額の算出)をするだけが商売の「岡っ引き」なので、会社の経理(「経営の理屈」のこと)をみてくれているのではない。

しかし、おおくの経営者(大企業も含む)は、税理士やら会社法上の決算を見てくれる公認会計士が、あたかもその企業の経理を見てくれていると、信じられない脳天気さで信じているのである。

税理士は納税、公認会計士は、会社法上の決算書類の適正さを見ている「だけ」で、その企業の経営の理屈としてのあるべき姿やら対策を語ることはない。
もし希望するなら、別にコンサルタント契約を要求される(別途料金が発生する)のが「筋」なのである。

依頼している税理士本人か、そのスタッフやらに、だいたい中小企業診断士(国は「唯一の経営コンサルタント国家資格」だと自慢する)なる別の岡っ引きがいて、各種補助金の情報を特別ルートで流してこのひとたちの商売を支援しているが、本来なら、商工会やらを通じて全部の情報公開をすべきだが、それを情報統制して料金を奪うようにしているのである。

さらに、中小零細企業になると、社内で独自の会計システムを導入することも、体力的にできないので、経営の理屈がわからない状態で経営している状態が続いている。

もちろん、国際会計基準という投資家のための会計制度を「日本版」と称して、強制したのも、経営者に経営の理屈をわからせるためではなく、投資家がその企業の価値を判断しやすくして、「売買(かっこうを付けて「M&A」といっている)」による売却を外国人投資家に促すための、深遠なる下準備であった。

ようは、日本企業バーゲンセールのための「値札付け」を、当該企業たちに負担してやらせたのである。
アウシュビッツで、自分たちの墓穴を掘らせたごとく、邪悪な発想である。

この意味で、日本経済の役に立ったことがない、経済産業省とその外局たる、中小企業庁が、まったく中小零細企業の経営に貢献しておらず、成功事例の横取りばかりに専念しているのは、見苦しい限りだ。

くだらない補助金をばらまくのに主人顔をするのなら、こうしたのんきな経営者に、企業会計を教えながら、そのシステム導入に「だけ」補助金をガンガン使えば、よほど日本経済の発展に貢献するはずなのである。

しかし、そうなると税理士会が文句を言い出すかもしれないので、こんな企業に実利のあることはしないし、A.I.に対抗して税法を複雑で恣意的なものに改変することしかかんがえない。

そうやって、税法は納税者の簡易のためではなくて、徴税者(税務署職員と税理士業)のための保護法に変容しているのは、税務署職員が定年すれば、税理士登録ができるからでもある。

また、公認会計士の出る幕でもないのは、中小零細企業にとっては、会社決算も税理士任せで済むからである。

さてそれで、メインバンクの三井住友銀行は、DIPファイナンスをやるという。

「DIPファイナンス」とは、旧経営陣に経営を引き続き任せる手法である。
Debtor in Possession(占有を継続する債務者)ということだが、これは逆に、三井住友銀行をして、旧経営陣に代わってこの企業の経営ができる人材がいない、ということでもある。

ようは、旧経営陣が旧来の方式を継続させてしまうリスクを、銀行が背負うことになる、ということだ。
そのために、この銀行は、税理士が出す資料をくまなく調べて、旧経営陣を指導すればいいのだという、幻想を抱いていることがわかる。

納税目的の月次決算を、なにが目的の書類か?すらわからない銀行マンが、どこを見て経営指導できるというのか、まったく論理破綻しているのである。

なにがいいたいかといえば、これがわが国の資本主義の中核をなす「銀行」の未成熟さを示しているのである。

資本があっても、経営者がいない。
カネはあっても、人材がいない。

そしてまた、家庭でご飯を炊くことがなくなった社会的な変化の背景も重要な要素なのである。

出来合いの惣菜やらインスタント食品ですませ、存在理由が不明の公共広告機構は、「子供にごはんがない貧困」を宣伝して、共産化をめざす「子ども食堂」への支援を訴えている。

共産党と顧客を奪い合うために犬猿の仲になった、与党の片割れは、なにがなんでも「無料化=税金化」という全体主義化=共産化をやって、共産党に一矢報いたいと画策している。

名前が違うだけなのに、また、拝む対象が違うだけなのに、と思えば、共産党のほうがよほど筋が通っているけれど、その邪悪さについてはおなじなのである。

わが家は「炊き込みご飯の素」が手に入ればいいだけなのだけれど、厳しい会社再建となることは間違いないのである。

女性政治家台頭の恐怖

世界で活躍した女性政治家といえば、マーガレット・サッチャーということになるだろうけれど、英国の歴史では、女王の存在があるので、なにも彼女が歴史上で初めての女性政治家、ということではない。

女王で有名なのは、「シバの女王」とか、「クレオパトラ(有名なのは七世)」がいて、そのはるか前には、お妃として、「王妃ネフェルティティ」という存在もある。
日本なら、「神功皇后」がおわされる。

それだから、近年のフェミニストが主張して、これを「理解のある、ものわかりがいい男」として演じてはいるものの、じつは男尊女卑に凝り固まった嘘つきがはびこるから、世の中のネジが狂うのである。

要は、フェミニストを腹からバカにして利用してやる、という悪性根性むき出しのやからに、阿呆なフェミニストが踊らされているという構図である。

もちろん、そんな阿呆のフェミニストの代表が、わが国では、上野千鶴子というお方である。

当然ながら、学問の自由をもって東大教授という公務員(当時)になれたのだけど、なったらなったで、反対意見の学問の自由を奪う活動をやって地場を固める、じっさいは学者ではなくて政治家であり、活動家であって、とうとう結婚までしていたのが信奉者たちにバレてその地盤が揺れたのだった。

いまとちがって、古代の政治状況は、ありえない「王権の絶対」があったはずだと信じられているので、夫の王よりも権力を発揮したネフェルティティの存在を、フェミニストはなかったことにするのは、神功皇后もおなじだし、朝鮮半島を攻めたことも嫌われている。

つまるところ、ご都合主義なのだ。

女性はいつの世も、男性によって虐げられてきた、ということにしないと、主張の辻褄があわなくなるからである。

それだから、古代から女尊男卑の日本では、明治期の「鹿鳴館時代」のごとく、遅れたヨーロッパ文化に基礎を敷かないと、日本におけるフェミニズム運動にならない。

これに、日本人貧困化を画策する与党の思惑が合致して、「女性の社会進出」とおだてて、家庭から安い労働力として「活用」することを、「女性活躍社会」と呼んで、専業主婦の撲滅運動をして「少子化加速の促進」をしているのである。

いまや、亭主の賃金だけでは生活できないような賃金体系にしたので、共稼ぎしないとまともな生活ができないようにしているし、「子育て支援」なるプラーベートことに政府が介入するのは、共産主義体制での子供は政府が育てる、という発想が原点にあって、祖父母・子・孫という、時系列での家族の破壊を目論むものなのである。

そのために、統計をいじって、インフレがたいしたことのないように日銀も惚けるのは、通貨の番人としての役割をまともにやろうものなら、政府からしかられるからである。

ろくなことを書かなかった活動家の作家、城山三郎も、「日銀の御殿女中のような体質」と書いたのは、たまには真実を混ぜないとだれも信用しなくなるからである。
同様なことは、かつて朝日新聞が自ら、6割の嘘と4割の真実、といったごとくであるが、いまや10割の嘘になって誰も読まなくなった。

図書館の新聞閲覧コーナーで、念入りに読んでいるひとの服装に特徴があるのは、新聞に真実を求めるゆえに、収入もなくなったのであろう。
新聞を読む時間があったら、ちゃんとした書籍をじっくり読んだ方が、より人生を豊かにすることに気づかない気の毒なひとたちなのである。

この意味で、公共図書館は、新聞閲覧コーナーを閉鎖していい。
読めるのは、縮版版だけで十分だ。

いまやちょとした旅館やビジネスホテルだと、無料で新聞が山積みになっているが、無料でも読む価値がないので、あんがいと誰も手にしないようになったのである。

わが家では新聞購読をやめたので、この場合はなるべく頂くことにして、大根や白菜などの保存用紙として持ち帰るのである。
ペットのトイレ用に持ち帰るひともいるのではないか?

さてそれで、女性政治家でとくに人気なのは、やっぱり「容姿」がものをいうから、そのひとの政治思想を検討しないで、「美人投票」になっている。

辞めたとはいえ、ニュージーランドのアーダーン首相は、世界経済フォーラム創始者のクラウス・シュワブの秘蔵っ子だけあって、世界的にも過激なコロナ強制隔離を実行したし、EUのフォン・デア・ライエンやモルドバの大統領とか、メキシコの次期大統領候補も、なかなかの美人だが、これらは全員、バリバリのグローバル全体主義・共産主義者である。

例外が、フランスのルペンとイタリアのメローニだけど、メローニにややふらつく傾向があるのは、マフィアが仕切るブラック経済の方が、表の経済よりも大きい国になったからだとおもわれる。

そのマフィアは、トマト缶で外国の共産主義者とつながっている。

ネフェルティティの史実から、あんがいと美人政治家には注意がいるのである。

かつて、「政界のチアガール」といわれた、小池百合子も、ずいぶんと顔つきが変わってきて、本人も自慢していた美貌はどこかへ消えたけど、衆議院補選に日本保守党から立候補表明した飯山陽(あかり)博士(東大、文学)から、アラビア語対決を迫られている。

ジャッジは、エジプト人のフィフィがいい、と外野が叫んでいるけれど、フィフィがこれに乗るかどうかは不明である。

ちなみに、飯山博士は「正則アラビア語(「フスハー」という)」の話者であり、東京弁的な「カイロ方言」にも通じている。

残念ながら、カイロ大学を首席で卒業したといってはばからない小池百合子の主張は、まさかのアラビア語をマスターしている日本人女性によって、白日の下にさらされようとしているが、どんなふうにとぼけて逃げるのか?が注目されている。

国会議員から初代防衛大臣になって、都知事を二期務めたひとの「学歴詐称」は、そのまま公職選挙法に抵触する重大事だ。

放置してきた検察も、ぼちぼち態度を決めないと、アリバイがなくなる。

そんなわけで、女性政治家というときの「女性」で、とくに美人には気をつけないと、男も女も奴隷にする、とんでない「女王様」になってしまう恐怖があるのだ。